若者のコミュニケーションをテーマに講演をする機会があり、生きづらさについて話をしたことがあった。そのとき、講演内容をキーノートで整理しようとしているとき、ふと思った。不完全ではあるものの、「生きづらさとは何か」を言葉で説明できるようになっていたことを不思議だった。「生きづらさ」という言葉がいつごろから、説明なしに使われるようになったのだろうか。

 もともと私が使いだしたのは1998年頃だったように思う。取材をしていた摂食障害の女性が「私って、生きづらさ系だよね」と私に言ったことがきっかけだった。彼女は、摂食障害の自助グループのような電子掲示板を利用していた1人だ。そこで、様々な弱みや悩み、体調などを告白していたのだ。彼女と出会い、取材をした後、別れ際に言ったのが先ほどの言葉だった。

 私が当時から運営していた電子掲示板の名前を「生きづらさ系のフォーラム」としたのもこの後だった(掲示板の名前を『フォーラム』としていたのは、NIFTYのチャットルームから取った)。2001年に著した処女作「アノニマス ネットを匿名で漂う人々」(情報センター出版局)のテーマでもあったし、この本の帯には「生きづらいと感じることは弱さではない」とある。