ブルックリンでジャズを耕す

ブルックリン物語 #57 エメラルドの風の中

2018/12/13 18:00 投稿

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  • 大江千里
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母校の関西学院と7年間レギュラーをやっていたTFM HALLで35周年記念コンサートをやってアメリカに戻ったら、すっかりNYの街は秋が深まっていた。関学の楽屋には父や妹、甥っ子が来てくれてしばし話に華が咲く。いつもコンサートや仕事では関西とは言えどホテルにいるので、機を見てゆっくりと帰ろう、と先月1週間ほど実家に帰省した。

「お兄ちゃん、新しいCD買わせて。よかったら20枚持って帰ってきてや」

そう妹が言ってくれていたので「お買い上げありがとう」とPND社長はスーツケースにCDを丁寧に包んで入れ、その周りをジャケットや下着やTシャツ靴下などで動かぬよう固定させる。今回はプライベートの旅なので日にち分だけの着る物があれば何とかなる。ズボンなんて破れてはいるがここんところずっと買う時間がなかったので、そのまま履いているユニクロのストレート。替えも要らない。

ついこの前楽屋で会ったばかりなのに、その時よりも父が少しだけ年老いて小さく見えるのは気のせいだろうか。息子目線で見るとついついそんな風に見てしまう。父とて僕を見る目は同じだろう。息子もずいぶん歳をとった。腰も膝も指も腕も商売柄とはいえ常に痛がって摩っている。最近、上海経由での帰国にするのは、時間こそグロスで20時間を超えるフライトだが格安でしかもフルフラットでずっと寝て帰れるのが体に嬉しいからだ。


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成田に着いてからエキスプレスであっという間に東京へ。編集のM山さんと合流し渋谷のnoteのオフィスで打ち合わせ、ROBOTでも打ち合わせをしてからいざ品川駅から大阪へ。

チキン弁当が売り切れなので幕内とお茶を買う。2時間の旅の密かな楽しみ。流れる車窓の景色を眺めながら考え事をする。


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家に着いたのはすでに夜の10時。さすがにくたくただった。この前、関学で友人から差し入れで頂いた赤ワインを父が戸棚から出してきて僕のグラスに注いでくれる。フルボディの赤は空気にあてなきゃ、そんな悠長なことは実家では通じない。昔父がポートワインを飲んでた頃から同じのデコラティブキリコのグラスにドボドボドボと注ぐ。途中から父も「やはりいっぱい頂こうか?」とグラスをさしだす。親子で乾杯をし、だんだん共に頬が赤くなるとついつい本音が出始める。

Gパンに穴が開いている。それをなんとかしなさい。60になろうとしている人間のすることじゃない」「いや、これは忙しくて買う暇がなくて」「新聞の取材もその格好で受けたのかい? 非常識にもほどがある」「手でカバーしたり、何とかなったよ」「馬鹿なことを言うんじゃない。すぐに脱ぎ捨てなさい」

日本の外交やドナルドキーンの新刊など話はあちらこちらへ飛び、アメリカでの様子を報告したり、途中から近所に住む妹も合流して三者会談へ。「ああ、実家だ」とこの建売の家に引っ越した時に買った時から変わらない茶色のソファに身を沈める。竹ひごの電気も鏡台の博多人形も父が使っている硯箱もそのままだ。

僕が関学の4年生の時まで使っていた部屋を開けると、父の資料の本が溢れかえっている。父は民俗学の本を出版している学者だが、部屋はそのほかにも書庫が5部屋あって、折口信雄全集、古事記、国史大系、寛政重修諸家譜、神道体系、宗像郡誌、南方熊楠日記などの全集が所狭しに並び、建て増しに建て増しを重ねた廊下にまで萬葉辞典や源氏物語などの棚があり、実家というよりもはや民俗学や歴史の図書館だ。


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父の語る新たな著作の構想を聞きながら欠伸を噛み殺していると、「そろそろ寝るか」と父が問いかける。「そうしようかな」と息子が答える。「風呂が沸いている。先に入りなさい」「うん、入りたいけれど上海のラウンジでシャワー浴びたので今日はもういいや」「そうかい?」「うん、じゃ、おやすみ」

昔客間だった2階の畳の部屋に妹が「乾燥機かけたからちゃんと布団敷いて寝てね」と用意してくれた。大学受験の時『試験に出る英単語』を覚えた階段を登り、N Yからのスーツケースをドカンと畳に置く。それを開ける余裕もなく布団を広げ暖房をつけて電気を小さくする。あっという間に眠りに落ちる。


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翌朝は妹が届けてくれた煮物やオカズで朝食を済ませると、少し遠出して高島屋まで
Gパンを買いに歩くことにした。父の言う事は絶対なのだ。てくてく落ち葉の道を進むと小学生の頃の友達の家が左右にある。表札が変わって他の人が住んでいたり建て替えられたりする。もうあれから50年経とうとしているのだもの。

秋の風が街路樹を揺らしすれ違う人たちが会釈をする。今じゃすっかりお年寄りが多くなったニュータウンだが、当時は若いニューファミリーの街だった。僕が小学4年生の時に父が購入した建売の家。僕たち兄妹の部屋、母の部屋、リビング、父の部屋、それだけだった。庭に小さなゴルフコースを作り、芝生を植えた。しかし一度も父はゴルフなどすることはなく、そこは雑草で生い茂り、いつしか野菜を栽培する畑と化す。そのあと増築をし、2階の1室を妹と僕が折りたたみ式のドアで仕切って使うようになる。階下は父の書斎となり、その時期から蔵書が増えることとなる。

 

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