真っ青な空を見ることがある。
日本にいた頃に記憶にない特別な青色がそこにある。
あれは一体なんなのだろう。
NYに昔から住む日本人の友達に聞くと、「そうそう、あの色って紺碧だよね。最近とくに見る……」と口を揃えて言う。おそらく、空気の澄んだ日、雨が降った後に起こる現象だと思うのだが、それがとてつもなく美しい。
自分が生きている間に、そういう珍しい現象や色に出会えるチャンスはいったい何回あるのだろう。
舞台のホリゾントに映し出したような紺碧に近い幻想的な色。
あの空の色が見える前の激しい雨はバケツをひっくり返したように一気に降る。
時々雷鳴を含み、まるで雷が避雷針があるのに、それをはずれて水面に落ちるときのように、背の高い街灯を外して針の雨がその横の道路に刺さりまくる。
しっとりとした濡れた車道に筵(むしろ)のように跳ね上がる無数の雨の竹が乳白色の霧に刺さり、信号の赤や黄色や青のライトを乱反射させる。そしてそのスペクタクルの雨が上がったあと、古い凸凹のレンガの建物の壁沿いに広がる空にいきなり青色の微かな魔法がかけられる。そのときに暮れていった空にひたすら広がる特別な色合いの青。
これこそ人生で何度もない瞬間だと出会うたびに心が震える。
ブルックリンの道はでこぼこで全くもってひどいのだが、この一気に怒りをぶちまけて降る雨が数多くの光を巻き込んで乱反射し、とてつもなく美しい絵に変わる手前の雨、僕はこれを「青い雨」と呼んでいる。あの空に紺碧を映すまでの雨の景色に溶いた様々な光の絵の具が、いつしか車道にグラフィテイを描く。それがだんだん「紺碧」を仕上げていく。
「だいたい、ブルックリン市は道を直すお金がないんだよね。雪掻き車が掘り起こした車道のでこぼこに、次の冬までコーンを逆さまに突っ込んどくなんて、普通だし、夏には消火栓の水がパレードの仕掛けのように吹き上がるのを誰も止めもしない」ニューヨーカーはぽつりとそうこぼす。
電車に乗ると、目や鼻や口が、車内に落ちてピンポン球のように転がりまくるかと思う。それくらい電車は無茶苦茶に揺れる。乗客はそれらを丁寧に拾い集めて元の顔に戻し、何事もなかったように目的の駅に着くと淡々と降りてゆく。そんな漫画のようなイメージを頭で想像してぷっと吹き出しそうになるのを堪える。街の不便や不都合に誰も文句を言わないばかりか、楽しんでいる気配さえある。
街全体が古びていてメンテの必要はあるのだろうが、それをだましだまし使っているところがまたNYの魅力だったりもするから、結局そんなガタガタの街の機構を諦めに似た気持ちでニヤニヤ眺めている。しかしどしゃぶりの後の暮れゆく空は見事にそんな街のあれこれを全て包んで青く染め上げていく。