欠けた世界の真ん中で

欠けた世界の真ん中で―12月23日after―

2019/01/09 20:09 投稿

  • タグ:
  • ケルベロスブレイド


 通いなれた道を、歩く。
 櫻庵を出たのち、体調不良を訴えて彼は、その日の予定をすべてキャンセルした。
 体調を心配する所さんへ心中で詫びながらも、運転手さんに自宅まで送って貰い、下車。
 だが、家へは入らず、踵を返すと御柱の坂道を登った。

 12月23日。
 それは彼にとって、とても特別な日だった。
 去年も一昨年も。
 3年前も、4年前も。
 そう、6年前のあの日から、ずっと。
 今や己が名前すら見失った彼が、ずっとずっと、大切にしていた日だったのだ。

 ああ、俺は。
 俺はいつのまに、こんなにも変わり果てていたのかと思う。
 毎年、12月23日は特別な日だった。
 それは家族を悼む日。
 奥津城へ詣で、亡くした温もりを思い出し、独り静かに過ごす日だったのだ。
 だが、今年は違った。
 毎年、たとえどれだけ仕事のスケジュールが押していても。
 どれだけ、神社の準備が忙しかろうと。
 けっしてその日の過ごし方を変えることはなかった、この6年間だった。
 だが、今年は違ったのだ。
 そう、何故なら。
 その日は、戦争だったのだから。

「だから、勝ってからそれを報告しに来るつもりだったんだ」
 そこへ至る道を歩きながら、静かに彼は呟く。
 すでに時刻は17時を回った。
 1月のこの時期だ、すでに闇は降りて来ている、周囲に人はいない。
「だが、それが終わればクリスマスで、さらに過ぎればもう、年末の準備が始まる」
 それはもう、目が回るほどに忙しくて。
 頬が痛くなるほど――…楽しくて。
 自分が、こんなにも変わり果ててしまったのだと、知る。
「……まさか。お前たちの墓参りを忘れてしまう日が来るとはな」
 玉砂利を鳴らしながら、石の並ぶ小道を歩く。
 そして、俺はいつの間に、あんなにも。
 あんなにもあっさりと、ごく自然に。
「お前たちのことを、話すことが出来るようになっていたのか」
 すでに亡くした、掛け替えのない者たちのことを、心から、離すことが出来るようになっていたのか。
 もう、居ないのが当たり前のように、忘れていることが自然なことのように。
 そうしてそこへ辿り着いて、目を見開く。
 驚きに固まったのは、墓地内の灯りに照らされたそれは、想像していたものではなかったからだ。
 巽の家に、生きている人間は今や己一人。
 その自分が忘れていたのだ、家の奥津城もさぞや薄汚れてしまっていることだろう。
 そう思い、掃除のために桶に水を汲み、花を買ってここへ来た。
 だが、今、目の前にあるそれは。
 まだまだ、先に清掃されて一週間と経つまい、手で触れればざらりとした砂のかけらも感じない、艶やかな石の表面を露わに、みずみずしい花が飾られていた。
 そうして、改めて知る。
 己が、いかに支えられて生きているのかということを。
 これは恐らく、近所の方々、町民の方々の手によるものだろう。
 ひょっとすれば、防衛隊に所属するケルベロスたちの誰かの手も入っているのやもしれぬ。
「――」
 無言のまま、水をかけ、石を磨く。
 まったく、馬鹿だなと思う。
 それは常日頃、己自身が、人へ説いて回っている内容だというのに。
 生者は、死者を悼み続けてはいけない。
 悼みは、痛み、それは、抱き続けていては生を蝕む毒となるのだ。
 常は、忘れていていいんです。
 人の世の聖職者たちはそう説く。
 たとえば自分が死んだとして、残した人たちが泣いてくれるのは、嬉しいものかもしれませんね。
 自分の死を惜しんで、悼んでくれる、それを見れるとしたら、それはそれで嬉しいことだと思います。
 けれど、ずっとずっと泣いて、どんどん元気が無くなるくらい気落ちしてしまったとしたらどうでしょう。
 亡くなられた方は神様の仲間入りをします、守り神としていつも近くにいらっしゃいます。
 神様はいつも、皆さんが元気に過ごしている姿を見たいと思っています。
 生きている人が笑って元気にいてくれれば、その活気は循環し、世に満ちて神様へもお供えされます。
 そして折に触れ、死を思い出し、時々悼んでくれればそれでいい。
 いえ、そうでなければいけない。
 死を悼むのはいいが、死に縋ってはいけない。
 それは、気枯れに繋がるのですから――。

「仮にも神職の端くれだというにな、俺もまだまだ修行が足りん」
 水ぶきをすませて花の水を替えた。
 冷水を使い、寒風に晒された手はジンジンと痛むほど。
 けれど、それがなぜか、満足感を胸にもたらす。
 また一つ、己が何かを失ったような。
 けれど同時に、何かを得たような。
 そんな、不思議な感覚だった。

 自分が買って来たそれを並んで飾られていた花は――…ここへ来る時に見た雪中花。
「……水仙」
 それは彼女が好きだったのと同じヒガンバナ科の花。
「ああ、いや、彼岸花でなくて曼珠沙華だったな」

 そう笑って石を撫でて。
「では、行くな」
 呟いて歩きだす。
 墓地共用の桶とひしゃくを水場の棚へと片して、その冷たさに声を漏らしながら手を洗って。
 赤くなったそれを袖に収めて温めながら、墓地を出た。
 西の空に残る残光は、青黒い空へ紫の色彩を生み出し、その天鵞絨を背に輝きだした女神――明星の美しさを眺めながら。

 俺は頭の端で、今日の夕飯を何にするか考えだしていた。


コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事