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「艦隊これくしょん ~艦これ~」キャラマシン大公開!("駆逐艦"編) その3

2014/12/13 15:54 投稿

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陽炎「やっと会えた!陽炎よ。よろしくねっ!ここでは陽炎型の日産自動車たちが登場するわよ!」
不知火「それは置いといて、不知火のスカイラインセダン350GTに落ち度でも?
黒潮「まあまあ、ぼちぼち見てや(笑)」
雪風「ちょこっと名車も含んでいるので、沈まないように読んでみよう司令!」

・戦艦→こちら
・航空戦艦→こちら
・正規空母→こちら
・装甲空母→こちら
・軽空母→こちら
・水上機母艦→こちら
・その他艦種→こちら
・重巡洋艦→こちら
・航空巡洋艦→こちら
・軽巡洋艦→その1その2
・重雷装巡洋艦→こちら
・駆逐艦→その1、その2、その3、その4
・潜水艦→こちら
・潜水空母→こちら
・期間限定艦→こちら
・海外艦→こちら
・敵艦→こちら
・NPC艦→こちら

※パクリは厳禁。及び画像は無断使用を禁じます。
※車両説明は同じクルマ(S2000やGTO、NA型・NB型ロードスター等)を除き、完全版+オリジナルの解説(分かんない人のために艦隊の歴史等を艦これWikiから一部引用)のみ記載します。
※画像は「グランツーリスモ6(GT6)」となります。

■霞
●ホンダ/CR-X デルソル SiR'92

・パフォーマンスポイント(PP):405
「若者のスポーツカー離れを止めたかったホンダが無念を残した最後のCR-X」
 FFスポーツとして独自の世界を築いたCR-Xは、1992年に「デルソル」というサブネームを持ってフルモデルチェンジを果たした。
 従来のCR-XはコンパクトなFFスポーツの代表選手で、極限の運動性能を追求したモデルだった。機敏な運動性を誇る反面、やや神経質なハンドリングを指摘する声もあったが、よくも悪くもそれがCR-Xの個性だった。
 ところが90年代に入ると、若者のスポーツカー離れが始まる。それに気づいたホンダは、CR-Xのポジションをシフトさせようと考えた。ストイックな走りのイメージを捨て、楽しさを満喫できるクルマへと変身させようとしたのである。
 その結果、3代目が選んだ道はルーフをリアに格納できるオープンエアモデルだった。しかしトップグレードのトランストップという仕様では、全自動で格納できる点が自慢だった。
 当然、パッケージングががらりと変更。後席が廃止されて2シーターとなったにもかかわらず、ルーフ収納のため、全長は先代に比べて200mm以上長くなった。900kg台だった車重も、トランストップ付きでは1.1トンまで重くなっている。
 唯一、強力なエンジンを残したのはホンダのプライドだろうか。SiRには先代同様1.6LのVTECを搭載し、しかも最高出力は170PSにアップした。普及グレードのVXiは130PSの1.5Lだったが、95年には1.6L化され、グレード名もVGiに変更された。
 ドラスティックなまでに変身したデルソルだったが、先代モデルまでのイメージを一新することができなかった。結局CR-Xはこの3代目を最後に、生産を終えるのである。
 基本的な能力は他の朝潮型に準ずるが運の値のみ高く設定されている。
 台詞には一切のデレがなく、終止怒り気味で高圧的。この性格を苦手とする提督も多いようだ。だがそれがいい。しかし元ネタの史実を覗くと見方が変わる……かもしれない。
 朝潮型で唯一、ソックスに将旗のワンポイントがあしらわれている。小さくて見づらいが、おそらくは少将旗(上下に赤線の入った8条の旭日旗)。なぜかは小ネタを参照のこと。
 2013年12月11日のアップデートにおいて追加されたクエスト『「第1水雷戦隊」を編成せよ!』に必要となる。2014年1月15日のアップデートにて追加された任務『「第十八駆逐隊」を編成せよ!』『「第十八駆逐隊」出撃せよ!』にも必要となる。
 「霞」とは気象的には霧やもやのことだが、これは気象用語ではなく文学用語で、特に春の霧などを霞と言うそうである。
 「霞」「」「陽炎」「不知火」で史実の第十八駆逐隊を組める。艦これのラインナップはこれを意識したのかもしれない。第十八駆逐隊は「神通」率いるあの「華の二水戦」所属。四隻いずれも新鋭艦かつ最高の練度を有する、日本海軍最強の駆逐隊の一つであった。しかし、第十八駆逐隊は濃霧のためやむなくキスカ沖で停泊していたところ潜水艦グロウラーの奇襲を受け、「霰」が轟沈し「霞」と「不知火」は艦体切断の重傷を負う。司令駆逐艦であった「霞」、共に生き残った「不知火」はこの件について非難の矢面に立たされ陰口を叩かれ、結果「霞」座乗の宮坂司令が責任をとって切腹自決を遂げるという悲劇を迎え、駆逐隊は解隊。霞は第一水雷戦隊の第九駆逐隊に移された。艦首の無くなった「霞」の船体は、幌筵までは「」、幌筵から大湊までは「」と、第六駆逐隊の2隻が交代で曳航・護衛して連れ帰った。解隊された第十八駆逐隊は後に第五艦隊の第一水雷戦隊で復活した。また、僅かな間ではあるが、中破状態の「」と第六駆逐隊唯一の生き残りとなった「」が所属していた第七駆逐隊にも所属していたことがある。「用があるなら目を見て言いなさいな!」「だから何よ?」「はぁ!?それで逆ギレ?だらしないったら!」、これらのセリフ、彼女が浴びた非難と陰口の数々や、それによる司令の自決といった過去を考えると、まことにヘビーである。第十八駆逐隊はミッドウェー海戦以来不休で働き詰めであり、将兵たちの疲労が激しかった。そこで、霧に包まれた停泊中ぐらいは部下たちをゆっくり休ませてやろうと、宮坂司令は錨地変更時刻を午前3時と遅めに設定した。ところがその時刻になる直前に霧が晴れ始まり、潜水艦からは絶好の目標となってしまっていたのである。移動がもう15分早ければこの惨事は起きなかったとされている。部下たちを思いやる宮坂司令の優しさが、最悪の事態を招いてしまったのであった。彼女の上司もまた非難を浴びせられた人であり艦である。神通に座乗した二水戦司令官・田中頼三少将は左遷の憂き目を見たし、阿武隈に座乗した木村昌福提督(霞を旗艦としたこともある。詳細は下記の礼号作戦を参照)はキスカ撤退戦の第1次作戦で撤退して非難を浴びせられた。自らも上司も当時の提督(戦隊司令官よりもっと上の提督たち)の「逆ギレ」に苦しめられたゆえ、「提督」という言葉すら不快なのかもしれない。
 真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、レイテ沖海戦、オルモック輸送作戦、ミンドロ沖海戦、北号作戦などに参加。とにかく大規模な物から末期の無謀すぎる物まで様々な作戦に参加してきた古豪の艦。一見高慢な態度はこの辺の実績に裏打ちされたものと言える。
 日本海軍最後の勝利と言われる礼号作戦で、同行した重巡「足柄」や軽巡「大淀」らを差し置いて木村昌福提督の艦隊旗艦として参加、米輸送船団に砲雷撃を浴びせた。この戦いで撃沈された駆逐艦「清霜」乗員の救助に、旗艦「霞」が自らあたり、危険海域で機関を止めて救助を実行。また、「霞」の「清霜の救助は私と朝霜(艦これ未実装)がやるわ!あなた達は逃げなさい!」という命令を無視して「足柄」「大淀」は「霞」を護衛。しかも、「足柄」は命令に従おうとしていた「榧」、「樫」、「杉」(いずれも松型駆逐艦・未実装)に「援護に行くわよ、ついて来なさい!」なんて言っている。この時すでに、「足柄」は撃破した敵機が衝突し中破状態、「大淀」は直撃弾2発(幸運なことに2発とも不発)を食らって速力低下していた。それでも両艦は襲撃してきた魚雷艇を撃退し、「朝霜」と「霞」による救助作業を援護。まさに「あ~もうバカばっかり!命令をなんだと思ってんのよ!・・・(感涙)」な世界である。…と、これだけなら綺麗に終わるのだが、「足柄」達は魚雷艇を撃退した後帰途についてしまった。救助が終わったのはその一時間半後。結局「霞」と「朝霜」は護衛もなしに敵機や魚雷艇がいる中で救助を続けたことになる。ともあれ、各艦の活躍の甲斐あって、木村艦隊は損失を清霜一隻のみにとどめ、米軍の追撃艦隊を振りきって無事戦場を離脱できた。
 その後、北号作戦で日向以下四航戦を護衛しつつ呉に帰還を果たし、この時持ち帰った燃料で最期の戦いに赴くことになった。
 「大和」の沖縄特攻にも随伴艦として参加したが、米軍艦載機の爆撃を受けて大破。航行不能となり「冬月」の砲雷撃により処分。これを以って朝潮型は全艦戦没した。この時の冬月艦長は、奇しくも1ヶ月程前まで霞の艦長だった山名寛雄少佐であった。乗員達は開戦からずっと霞と共に戦ってきた者が多く、最後まで戦い抜きやれることは全てやったという自負を持ち、胸を張って誇りを持ちながら退艦したと言われている。性格の元ネタにはこの自負もあるのだろう。実際それに見合うだけの戦歴を持っている。最後に沖縄特攻における霞のエピソードを記しておく。米軍艦載機との戦闘が始まる一、ニ時間ほど前、大和始め護衛艦は各自早めの昼食をとった。戦闘食は普通、握り飯にタクアンと相場が決まっており、この時も各艦でこれが配られた。しかし何故か霞だけはカレーライスだった。「だっだから何よ?」

■陽炎
●日産/スカイライン クーペ 370GT タイプSP'07

・パフォーマンスポイント(PP):491
「スポーティなモデルと生まれ変わったスカイラインのクーペ仕様」
 スカイラインの大きな転換点となったV35に設定されたクーペモデルは、新たなマーケットである北米で大ヒットを巻き起こした。短期間でインフィニティブランドのイメージリーダーとして、重要なポジションに登りつめたのだ。その成功を受けてさらに磨きこまれたのが、このV36スカイライン クーペである。
 基本的なメカニズムは旧型を踏襲。細部を見直し、熟成を図ることで、完成度とパフォーマンスはさらに向上した。
 伸びやかなルーフラインが特徴的なエクステリアデザインは受け継がれ、さらに動物的な丸みが与えられることでエモーショナルな印象も強められた。ボディサイズ拡大のほとんどは、このデザイン処理に充てられるほど、デザインに注力している。
 エンジンはバルブの作動角とリフト量を連続で可変できるVVELを装備、3.7LへチューンナップしたVQ37VHRを搭載。333PSという最高出力を誇りながら、経済性や環境性能までも向上させた日産の新世代エンジンである。さらにタイプSPとタイプSには、前後タイヤの切れ角を制御して低速から高速まで最適なハンドリングを実現する4輪アクティブステアを備える。
 トップグレードとなるタイプSPは豪華な本革インテリアに、19インチアルミホイールやスポーツチューンドサスペンション、アルミ4ポッドキャリパーのブレーキシステムなどの走りのメカニズムを組み合わせたゴージャスなグレード。ワインディングでもシティクルーズでも魅力を発揮する、スカイラインらしいオールマイティクーペだ。
 陽炎型駆逐艦のネームシップ。後期に作られた駆逐艦のためか陽炎型は他の駆逐艦よりステータスと装備が一段階高くなっている。具体的には改造後の耐久の最大値が改造前は1、改造後は2高い。その他の能力の最終値は吹雪型~朝潮型までと同じ。さらに後期の夕雲型には劣るが、ゲームのステータス的には誤差の範囲。対潜には若干差があるが装備差を覆すほどではない。
 陽炎型には艦これ中、もっとも多くのレア艦が所属している。その面子は雪風初風舞風秋雲浜風谷風天津風浦風時津風磯風と多くの提督を悩ませるそうそうたるもの。
 陽炎型は全19隻存在しているが、2014年8月8日付で艦これに実装されているのは陽炎(1)、不知火(2)、黒潮(3)、初風(7)、雪風(8)、天津風(9)、時津風(10)、浦風(11)、磯風(12)、浜風(13)、谷風(14)、舞風(18)、秋雲(19)の13隻。未実装は親潮(4)、早潮(5)、夏潮(6)、野分(15)、嵐(16)、萩風(17)の6隻。ついに睦月型を超え、現状単独で最大数を誇るカテゴリーとなった。このうちゲーム内で存在が言及されているのは野分(舞風:図鑑)。
 2014年1月15日のアップデートにて追加された任務『「第十八駆逐隊」を編成せよ!』『「第十八駆逐隊」出撃せよ!』に必要となる。
 2014年7月18日のアップデートで改型に母港・戦闘・補給・ケッコン後母港ボイスが追加された。
 軍縮条約明けの1937年に朝潮型の発展改良型として設計、建造された。帝国海軍の艦隊型駆逐艦の集大成とも言える。建艦計画(通称マル3計画)によると18隻を生産・運用する予定だったが、実際に初期段階で建造されたのは15隻。では残った3隻はというと、大和型建造の予算確保のための偽装申請。近年「秋雲」が陽炎型19番目と認定された。詳細は秋雲のページで。
 漸減邀撃作戦完遂のための高い雷撃能力と良好な航海能力を兼ね備えている、水雷戦隊も満足の逸品。ただし艦隊護衛に欠かせない対潜哨戒・掃討や対空能力に難があった。艦隊決戦に特化した仕様なのでまあ無理もないが……ハワイ・マレー沖海戦により各国の用兵思想は一変、世は航空機と潜水艦の時代に大きくシフトし、従来の様々な艦種が想定外の戦いに送り込まれることに、駆逐艦も例外ではなく、それまで主目的だった対水上艦戦闘(特に水雷戦隊による夜襲など)の戦力として起用されることは少なくなり、対空・対潜が主任務となった。そんな駆逐艦の中でも、陽炎型はなまじ高性能で登場当初から期待されていたこともあり、建造目的にない空母や輸送船の護衛さらには鼠輸送と奔らされた結果、次々戦没。姉妹全員が揃っていたのは半年にも満たなかったという凄まじい職場環境であった。終戦を迎えることができたのは19隻のうち雪風のみ。艦これでは対空・対潜ともに全駆逐艦トップクラス(ただし初期値)。
最終的に主砲を一部撤去してまで機銃を増設しているので、その辺も加味した数値なのだろう。
 舞鶴海軍工廠で1938年9月27日に進水、1939年11月6日に竣工。呉鎮守府に配属され、同型の「不知火」、朝潮型の「」「」とともに第18駆逐隊を編成、第二艦隊第二水雷戦隊に編入された。
 18駆・二水戦所属の状態で開戦を迎え、各地の作戦に参加、護衛任務にも従事。だがキスカ沖で僚艦が全て沈没・大破し、隊は休止された。詳細は不知火のページで。彼女だけ無事だったのは、当時独自に行動(水上機母艦「君川丸」をキスカに護送)していたからである。
 生き残った彼女は第15駆逐隊へ転属、「黒潮」「親潮(艦これ未実装)」と共にガダルカナル島輸送や撤収作戦などに奔走した。
 第三次ソロモン海戦では霧島と戦って敗走中の戦艦サウスダコタに遭遇するが、陽炎は当初霧島ではないかと疑って発砲しなかった。識別信号を送っても返事がなく、そうこうするうち1000メートルまで近づいてようやく米戦艦だと判明したが、すでに魚雷の射点を過ぎてしまっていた。(主砲を撃てばよかったとも思えるが、見境なく乱射して回った夕立が例外なのであって、駆逐艦の主砲のような豆鉄砲を大型艦に撃つという発想はそもそもなかったそうである)陽炎は慌てて反転して後を追ったが、辺りに硝煙が厚く立ち込めていたため見失ってしまっている。
 ルンガ沖夜戦では輸送隊として参加、ドラム缶投入のため速度を落としていたという不利な条件を覆し、長波黒潮涼風らとともに米重巡1隻撃沈、3隻大破の大戦果をあげた。
 しかしコロンバンガラ島への鼠輸送の際、何度も同じルートで輸送を行ったため、米軍に航路を察知され機雷を敷設されてしまう。1943年5月8日、この機雷群に触雷して黒潮は即沈没し、親潮と陽炎も航行不能となって漂流、米戦闘機・爆撃機からの攻撃を受けた末に沈没。全艦失った第15駆逐隊は解散となった。
 陽炎型の駆逐艦に武功艦が多い理由は、艦隊随伴用に設計されていたので、艦隊決戦となった場合に「最終局面で肉薄雷撃をおこない止めを刺す」という役割があったから。実際の艦隊決戦は戦艦が主砲を撃ち合うという前近代的なものではなくなっていたものの、設計思想に基づいた行動を常に要求され、自らも進んで実践した結果だといえる。
 艦隊これくしょんの公式ノベライズ「艦隊これくしょん-艦これ- 陽炎、抜錨します!」では主人公を務め、同作品中では「曙(トヨタ・FT-86 コンセプト)」、「皐月(日産・スカイラインGT-R(R32型・1989年式))」、「潮(トヨタ・イスト(初代))」、「霰(ホンダ・1300 クーペ 9 S(1970年式))」、「長月(ホンダ・S2000(1999年式))と共に十四駆逐隊を構成して旗艦(嚮導艦)として活躍している。ちなみに史実の第十四駆逐隊は開戦前に解隊され戦時中は欠番となっており、陽炎率いる十四駆逐隊はあくまで作品上の架空の編成である。

■不知火
●日産/スカイライン セダン 350GT タイプSP'06

・パフォーマンスポイント(PP):466
「日産が誇るラグジュアリーセダンの最上級モデル」
 V36スカイラインは2006年11月に登場した。V35がいわゆる「スカイラインらしさ」を失い、古くからのファンに批判された点に対して、日産がどのような反応や修正をするのか注目されていたが、モデルチェンジはキープコンセプトとなった。進化と革新を求めて踏み出した新しい道を、日産は信じ、前進させてきたのだ。
 エンジン搭載位置や前後重量配分などの最適化させたFMプラットフォームは不変。ボディ剛性を高めるだけでなく、剛性バランスを修正することで磨き上げた。ステアリングフィールの向上が印象的で、良く出来たFRの持つ上質なドライブフィールが際立つスポーツセダンとなった。
 従来型よりやや広く、低くなったボディに搭載されるエンジンは2.5Lと3.5Lという2つのV型6気筒。それぞれ225PS、315PSという出力を誇り、2.5Lには4WDモデルも設定されている。パワフルな印象が強く、低回転からでも強いトルク感とともに加速が始まる。また上位モデルにオプションで用意される前後タイヤの切れ角を最適に制御する4輪アクティブステアも興味深い技術だ。
 350GT タイプSPは、3.5Lモデルに豪華装備とスポーティなアイテムの両方を盛り込んだ最上級グレード。本革シートの内装にスポーツチューンドサスペンション、18インチアルミホイールなどが組み合わせられる。セダンらしい落ち着いた雰囲気と、快適な乗り心地を持ちながらも、ワインディングでのドライビングを楽しめる上、GT性能の高さを感じさせるところが、スカイラインの血統といえるだろう。
 陽炎型の二番艦。どちらかと言えば元気の良い優等生的な言動が目立つ姉と違い、武人然とした冷静な言動が一定のファンを獲得している。禄だけなら戦艦級なのだが本艦は駆逐艦であr……不知火に落ち度でも? いえ、なにも…
 陽炎型は後期に作られた駆逐艦のため、ステータスが他の駆逐艦より若干高くなっている。
 物騒な台詞が多いが……さりげなく榛名やロリ駆逐艦勢と同じく、一人称が自分の名前だったりする。
 2013年12月11日のアップデートにおいて追加されたクエスト『「第1水雷戦隊」を編成せよ!』に必要となる。2014年1月15日のアップデートにて追加された任務『「第十八駆逐隊」を編成せよ!』『「第十八駆逐隊」出撃せよ!』にも必要となる。
 2014年7月18日のアップデートで改型に母港・戦闘・補給・ケッコン後母港ボイスが追加された。
 不知火とは九州有明海や八代海で夏の夜に発生する怪火。近代以前は妖怪のしわざとされていた。真夏の昼間の現象である姉の陽炎とは対照的である。このことから、八代海には不知火海の別名がある。ただし、駆逐艦不知火の名前の由来は不知火海ではなく、上記の怪火現象である。この現象から名前をとったと思われる不知火町有明海近辺に以前存在していた。(現在は市町村合併により宇城市不知火町となっている。)この町が発祥であることから、柑橘類の品種名に「シラヌヒ」が使用されている。(正確には別名ではないが)別名デコポン。
 浦賀船渠で1938年6月28日に進水、1939年12月20日に竣工。呉鎮守府に配属され、同型の「陽炎」、朝潮型の「」「」とともに第18駆逐隊を編成、第二艦隊第二水雷戦隊に編入された。18駆・二水戦所属の状態で開戦を迎え、ハワイ攻撃機動部隊の護衛として真珠湾攻撃に参加した。
 1942年7月5日キスカ島湾口に仮停泊中、米潜水艦SS-215「グロウラー」の魚雷を受け、約10m破孔が生じ、船体がくの字に折れ曲がってしまった。そのままでは曳航も不可能であるため、横須賀工廠より工作隊が派遣され、艦橋を撤去したうえで艦首部分を爆破切断。切断された艦首部は島の砲台として使おうとしたが転覆沈没する。各種応急処置と重量物(魚雷、弾薬なども)の陸揚げを行い、8月6,7日頃に後進状態で曳航されて舞鶴へと向かう。その途中で第3缶室が使用可能となって自力後進に切り替えて9月3日に舞鶴に到着した。この奇襲で同時には沈没、も艦首切断の大損害を被り、無事なのは呉にいた陽炎だけとなった第18駆逐隊は壊滅状態に陥り8月に解散した。この大惨事に海軍内では「油断していたのではないか」と非難の声があがり、駆逐隊司令の宮坂大佐は責任をとって切腹自決してしまった。なお、これはグロウラー単艦の、しかも初陣での戦果である。
 長い修理の後、千島方面、小笠原諸島への輸送任務に就く。1944年3月1日、薄雲・白雲・のいる第9駆逐隊に編入、同年3月31日、第9駆逐隊は第18駆逐隊に改称した。18駆が2年ぶりに復活したことになる。不知火はこの修理期間や修理直後に撮られた写真が非常に多く、いずれも鮮明で、普段撮影されない部分まで撮影されていることから、陽炎型の艦艇研究や模型作成に多大な貢献を果たしている。すぐ上の姉がネームシップの割にろくな写真が残っていないのとは対照的である。
 レイテ沖海戦では志摩艦隊の一員としてスリガオ海峡に突入を開始したものの、旗艦那智が大破炎上漂流中の最上と激突し損傷。さらに前方に炎上する扶桑山城の惨状を望見したため、絶望的な敵勢力を察した志摩艦隊は反転。戦果はなかった。つまり正確には図鑑説明はう…フフ…不知火を怒らせたわね…!
 その2日後の10月27日、鬼怒の救助に向かったが発見できなかった。諦めて帰る途中、今度はセミララ島で大破擱座した夕雲型17番艦「早霜」の救援に駆けつけた。接近する味方駆逐艦の姿を認めた早霜は「ワレ早霜、敵襲ノ恐レアリ、来ルナ」と信号を送ったが、不知火はそれに構わず沖合1000メートルに停止し、救助のカッターを下ろし始めた。だが早霜の悪い予感は的中した。作業を始めた直後、案の定敵機が来襲したのである。不知火は急いで離脱を図ったものの、速力が上がらないままに艦中央部へ爆弾が直撃。爆発と同時に大火柱が噴き上がり、全艦猛火に包まれつつ真っ二つに折れて轟沈するという凄惨な最期を遂げた。余りに凄まじい爆沈であったためか、第18駆逐隊司令、艦長以下乗組員全員が脱出する暇もなく戦死。ハラハラしながら一部始終を見守っていた早霜乗員たちからは「畜生、何てことだ!」と絶叫があがったという。不知火が沈んだ日の午後には夕雲型11番艦「藤波」(未実装)が早霜救援に現れたが、こちらも米軍機の攻撃を浴びて轟沈。前日救助した鳥海乗員もろとも全員戦死した。
その後、那智の水上偵察機が現れ、早霜乗員の証言を聞き取り、消息不明となっていた不知火、藤波両艦の最期が明らかとなった。また、皮肉にも鬼怒の乗員は後続の輸送艦たちの救助により大半が無事であった。
 先代は東雲型駆逐艦4番艦「不知火」。こちらも姉妹艦(5番艦)に「陽炎」がいる。日露戦争においては旅順攻略戦、黄海海戦、日本海海戦、樺太攻略戦等に参加した武勲艦。日本海海戦では第5駆逐隊旗艦を務め、戦艦クニャージ・スワロフに肉薄攻撃を仕掛けている。貫禄は先代ゆずり?1925年に廃艦。両国の鉄鋼業者にスクラップとして売却され、その業者が寄贈したが現在も両国小学校に露天展示されている。
 提督からの愛称はぬいぬい。落ち度可愛い。
 艦これ小説版『艦隊これくしょん-艦これ- 陽炎、抜錨します! 2』で表紙を飾り、メインヒロイン重要キャラとして活躍する。濃厚なかげぬい、一読の価値あり
 今や全国の警察でも使われているであろうスカイラインのセダン版。実用性・機動性・安全性・操作性・俊敏性・応用性…と警察で使われるのが見て取れる。警察で主に使われているのは覆面パトロールカーで低グレードの250GT。なのだが、不知火が採用試験かなんかで選んだのが、この最上級の350GTタイプSPという代物。どういう風の吹き回しだが知らないか。この全てのバランスを取り揃えたスカイラインに隙は無い。

■黒潮
●インフィニティ/G35 クーペ'06

・パフォーマンスポイント(PP):470
「陽炎のスカイラインクーペをアメリカ版に当たるインフィニティが販売するG35クーペ」
 2002年11月、北米を中心に展開しているインフィニティブランドのラインナップに、1台の美しいクーペが加わった。日本のV35型スカイラインをベースにしたインフィニティのミドルレンジ、G35セダンのクーペ版である。
 北米では先立つこと8ヶ月前にデビューしていたG35セダンが、「モータートレンド・カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞し、さらに「カー・アンド・ドライバー」誌10ベストカーに選ばれるなど、すでにかなりの好評を持って迎え入れられていたため、よりスペシャリティ色の強いクーペ版の登場が待ち望まれていたのだ。
 G35系がアメリカでBMWの顧客を奪うほどの人気を得た理由は、インフィニティブランドをスポーティブランド化して再生を図るというカルロス・ゴーンCEO率いる経営陣の読みが当たり、それがしっかりと具現化されたモデルだったからである。とりわけクーペ版はスポーツ色がさらに高められていて、セダンとは似て異なるどの角度から見ても美しいスタイリング、お家芸ともいえる運動性能の高いFRのシャシー、フェアレディZ並みの豪快な加速を味あわせてくれる298PS/6,400rpmと36.0kgfm/4,800rpmを発揮するV型6気筒3498ccのVQ35DE型エンジン、そしてゴージャスなインテリアに高級感のある乗り心地と、この手のクーペに求められる要素を高い次元でバランスさせていた。
 なおG35型は、セダンは2006年にモデルチェンジされたもののクーペは販売を継続され、同年1月のデトロイトショーでお披露目された同名のG35クーペコンセプトがG37クーペとして販売されるまでラインナップされ続けた。
 龍驤と並ぶ艦これの関西弁枠。ただし、龍驤程は目立つものではないが、彼女の関西弁も地方統一感の無いものである。
 陽炎型の中では不知火と並んでレアリティが低い。
 陽炎型は朝潮型以前の駆逐艦よりも能力的に若干優位であり、入手も容易な彼女は序盤や駆逐艦を要する海域での助けになるだろう。2014年7月18日のアップデートで改型に母港・戦闘・補給・ケッコン後母港ボイスが追加された。
 かつて大阪市にあった藤永田造船所(創業元禄2年、昭和42年三井造船と合併)にて1938年10月25日に進水、1940年1月27日に竣工。艦これでは「皐月」「卯月」「文月」「叢雲」「綾波」「」「」「村雨」「満潮」「黒潮」「浦風」「舞風」「谷風」「巻雲」「長波」と、妙にクセの多い15隻が藤永田造船所生まれ。関東モンのエセ関西弁とは違うんやで。1月生まれ(竣工/就役日)の艦は少なく、艦これの駆逐艦では「村雨」「夕立」「五月雨」「雪風」、そしてこの「黒潮」くらいである。仕事は正月前に終わらせたいもんな。
 
 竣工当初は「雪風」「初風」と共に第16駆逐隊に所属していた。「天津風」「時津風」の編入と同時期に黒潮は転出、16駆所属であった期間は10ヶ月に満たない。
 開戦時は姉妹艦の「親潮」「早潮」「夏潮」(いずれも未実装)と共に第15駆逐隊に所属。
各地の作戦に参加、護衛任務にも従事。加賀翔鶴の護衛にあたったこともある。
 東京空襲を終えたドーリットル中佐の編隊を発見、迎撃したエピソードを持つ。「たぁ~またま、たまたまやて。」ただし、戦果はなかった。
 度重なる任務で夏潮・早潮を失うも、新たに転属してきた「陽炎」を加え、ガダルカナル島輸送や撤収作戦などに奔走。
 しかし、1943年4月28日、コロンバンガラ島輸送任務の帰途に触雷。「これぞ轟沈」と言われたほど瞬時に沈んだという。この時に陽炎と親潮も沈み、第15駆逐隊は解散となった。
 ちなみに黒潮の名は海上自衛隊の潜水艦に受け継がれており、本艦と潜水艦「くろしお(SS-501)」、「うずしお」型潜水艦「くろしお(SS-570)」に続き4代目にあたる、「おやしお」型潜水艦「くろしお(SS-596)」が現役である。

■初風
●日産/フェアレディ 240ZG(SH30)'71

・パフォーマンスポイント(PP):415
「ここから伝説が始まった、Zの初代」
 1960年代も末になると、日本車は国際舞台に本格的な名乗りを挙げる。その尖兵となったのが、1969年に登場したフェアレディZだ。米国日産を率いる片山豊が「今こそ本格スポーツカーを」と本社を説得し、ヨーロッパ車に叩きつけた挑戦状。Zの歴史は、ここに始まったのである。
 そんなZのシンボルが432だ。他のZがL型エンジンを搭載していたのに対し、432はその長いボンネットの下に、プリンスR380の血統を引くS20型直6DOHCを息づかせていた。4は1気筒あたり4バルブ、3はツインチョークキャブレター3基、2は2本のカムシャフトを意味する夢の記号で、最高出力160PS、最大トルク18.0kgfmを誇った。
 この432には432Rというレース仕様も作られている。軽量化のためにFRPボンネットを採用、生産台数はわずかに30台あまりだった。
 しかし高性能の裏には苦労もあった。S20型は非常に神経質で、このエンジンを本当に唄わせることができたのは、日産追浜ワークスのベテランメカニックだけとさえいわれた。このため日産は、レースマシンの軸足を徐々に240Zへと移していくのである。
 2.4LのL型エンジンを搭載したアメリカ仕様の240Zは扱いやすく、どこから踏んでもグイグイ加速するタフネスが持ち味。モータースポーツに投入すると、サファリやモンテカルロといった国際ラリーでも大活躍を演じた。
 この活躍を受けて、240Zは71年から日本でも販売が始まる。中でもGノーズと呼ばれる長いノーズの240ZGは、迫力あるオーバーフェンダーもあって大人気となり、Zの名を一躍スポーツカーの代名詞へと高めたのである。
 2013年8月26日のメンテにおいて、50万登録突破記念として実装された新しい駆逐艦艦娘。
 通常海域でドロップする銀枠の駆逐艦でありながら、入手方法は現在でもただ1つ。難関海域の1つである3-4の最深部で勝利することでドロップ可能という鬼畜具合に歴戦の提督すら震え上がった。5-4まで実装された現在でも取得方法が変わっておらず、所持難易度は間違いなく大和武蔵大鳳Bismarckに次いで最難関を誇る。大型建造および4-3、5-2ボスマスでのみドロップの三隈、建造と1-EX(1-5)でしかでない伊8や建造のみのZ3、そして大型建造限定の矢矧あきつ丸も相当な苦労が必要だが、彼女と比べるとそれすらまだ楽である。そのためか実装直後を除き、ほとんど話題にならなかった。本項目ですら、実装から2ヶ月経ってようやく執筆される有様である。大鳳大和Bismarckは手に入らないと嘆かれるが、彼女の場合はその嘆きの声すら聞こえない。性能面では他の陽炎型とそんなに変わらないからか。陽炎型は艦これ中もっとも多くのレア艦が所属している。彼女をはじめ雪風浜風舞風秋雲といったレア揃いの面子だが、その中にあってもなお初風の入手難易度は非常に高い。
 艦娘の性能をみた場合、同じ陽炎型駆逐艦の舞風と同様に若干高い最終的な対潜ステータスが挙げられるがそれ以外に他の駆逐艦と区別できるほどの特徴は見られない。
 潜水艦のみで3-4を回るという手段もある。燃費効率で見れば最安である。ただ、2月26日以降、爆雷ソナーセットでの威力上昇のシナジーが実装されたがこれは敵にも有効。すなわちこの海域のほぼ全域で出てくるフラ軽巡とフラ駆逐がさらに強化されたことになり、単縦陣から普通にワンパンされることも多くなってしまった。
 2013年11月開催のイベント「決戦!鉄底海峡」のE-3のボスマスで低確率ながら出現した。
 2014年春イベント「索敵機、発艦始め!」ではE-1、E-2ボスマスでドロップしており、特にE-1は比較的周回が楽だったので初風狙いの提督が続出した。
 2014年夏イベント「AL作戦/MI作戦」ではE-2ボスマスでのドロップが確認されている。しかしE-2は難易度が非常に高いので周回はお勧めできない。またE-4Hマス、ボスマスでもドロップしている。というか彼女はイベント限定艦娘と言っても過言ではないような…
 
「AL作戦/MI作戦」では時津風も実装されたため、第十六駆逐隊が勢ぞろいすることになった。ただしこの中で一番入手し易いのが雪風という時点でお察しください…。
 神戸川崎造船所で1939年(昭和14年)1月24日に進水、1940年2月15日に竣工。呉鎮守府籍となり、第2水雷戦隊第16駆逐隊に配属された。意外にも艦娘中唯一の2月生れ。広川太一郎(声優)と丁度一年違いである。2014年8月8日の大淀(1943年2月28日竣工)実装により唯一の2月生れではなくなった。満を持して(?)実装された十六駆逐隊の二隻目。因みに十六駆最初の実装はあの異能生存体こと雪風である。三隻目は天津風で、四隻目は時津風。公式四コマでは雪風と同室だがこれは16駆で一緒なのと同時に陽炎型7番艦で雪風は8番艦だからだろう。おかげで同19話にて雪風の寝言でトラウマ再発、重巡寮の妙高姉さんの所へ行き抱き付いて離れようとしなかった。初風自体は雪風に対してなんの言及もしていないが、妙高姉さんとの激突ネタほど雪風に対してトラウマはないのかもしれない・・・どころか、史実では初風にとって雪風は幸運の女神そのものである。戦歴を見れば一目瞭然、初風は雪風が一緒だと勝利に恵まれ、雪風がいないと負け戦になる。妙高姉さんに首もがれた時も雪風は別の艦の護衛任務で不在だった。最大の味方がなぜ公式四コマでトラウマ発生装置となったのか謎である。天津風は16駆のことを引き合いにして、雪風や初風のことにも言及している。ちなみに天津風と初風は開戦時16駆内で第2小隊を組んでいた。
 スラバヤ沖海戦がほぼ終わった後、神通を狙った米潜水艦シールへ、天津風を除く他の十六駆逐隊と共に爆雷攻撃をしている(ただし逃げられた)。またジャワのバウエアン島付近にて天津風と共に蘭潜水艦K-10との戦闘を行っている。主に爆雷を投下したのは天津風のようだがその後K-10は自沈。陽炎不知火黒潮らより最終的な対潜値が高いのはこの戦歴からかもしれない。なお同じ対潜値を持つ舞風にも同様に米潜水艦を撃沈した戦歴がある。
 ???どきっ、衝突だらけのブーゲンビル島沖海戦。ポロリもあったね…」ブーゲンビル島沖海戦で敵艦からの砲撃を避けている内に隊列から脱落し、「妙高」と衝突、艦首を切断し航行不能となった。その後、31ノット・バークことアーレイ・バーク大佐!率いる第45駆逐群の集中砲火を浴びて沈没した。なお、この戦いでは「五月雨」と「白露」が衝突、敵艦隊でも駆逐艦2隻が衝突している。ほかに、「川内」は「時雨」との衝突を間一髪避けたが、集中砲火を浴びて航行不能となり、翌日沈没した。
 夜戦バカさんに関する時報を午後10時になると話す。基本的に他の時報や夜戦突入時のセリフで彼女に関連した事を話す艦娘は、あまり彼女との絡みが無いことが多いのだが、初風とは同じブーゲンビル島沖海戦で沈没しているという共通点がある。…同じ戦場で沈んだ相手に対してそのセリフを言うかとも言いたくはなるが。
 艦名の「初風」は、暑い夏が終わって秋の訪れを告げる涼しい微風のことを指し、実は涼風とほぼ同じ意味だったりする。
 彼女の名前は、海自では使用されていないが、海上保安庁の巡視艇では3回使われている。「すずかぜ型巡視艇」(現;ひめぎく型巡視艇)「はつかぜ」が現役で活動中。番号はCL73。所属は「あまちゃん」の舞台にほど近い宮古(第二管区)。「はつかぜ」は東北地方太平洋沖地震発生時、宮古港内に在泊。緊急出港し漁船を誘導しつつ港外に向かったところ臼木半島(浄土ヶ浜の半島)の南で第一波に遭遇して難航。この様子が宮古海上保安署庁舎から撮影されている。その後、無事に乗り切り湾外への脱出に成功している。ちなみに161隻いる姉妹の中には「ゆきかぜ(CL81、第一管区・花咲)」、「はまかぜ(CL50、第三管区・横浜)」、「すずかぜ(CL11、第一管区・小樽から第五管区・姫路に配置換えに伴い名称変更。その後CL143、第一管区・小樽が再襲名)」もいる。
 航空自衛隊が初めて導入した初等練習機、ビーチクラフトT-34Aメンターに「はつかぜ」の愛称がつけられている。1954年から1983年までパイロットの養成に使われ、現在は全機が退役済である。軍用航空機関係では、第二次大戦期の日立製航空用エンジンが「初風という名前であり、主に練習機に使われた。
 日産の歴史を見ても、このクルマは外せない一台である初代フェアレディZ。湾岸ミッドナイトの朝倉アキオの乗る悪魔のZ、S30Z…ではなくSH30という型式のZ。下記の雪風のハコスカ同様、人気を現代でも得ているようだ。

■雪風
●日産/スカイライン ハードトップ 2000GT-R(KPCG10)'70

・パフォーマンスポイント(PP):398
「前代未聞の50勝を手に入れた、Rを冠したスカイライン神話の火付け役『ハコスカ』」
 1969年2月、C10系スカイラインに投入されたGT-Rこそ、のちに連綿と続くスカイラインの栄光の軌跡の第一歩である。
 搭載された6気筒ツインカム4バルブユニットは、速度世界記録や日本GPで名を馳せた、あのR380直系のS20型。日産の合併しても輝きを失わなかった、プリンス自動車の面目躍如というべきエンジンだ。ノーマルGTの車両価格は86万円だったが、GT-RのS20型エンジンはエンジンだけで70万円もしたのである。
 4ドアセダンとハードトップのGT-Rは、いずれもスカGの伝統に忠実なロングノーズ。リアフェンダーに走るサーフィンラインというアクセントも新鮮だったが、GT-Rはあえてそれを無視。大径タイヤを収めるためのビス止めオーバーフェンダーが、その華麗なラインを断ち切って与えられていた。
 そんなGT-Rの声価をいやがうえにも高めたのが、レースでの大活躍だろう。北野元、高橋国光といった名ドライバーが駆る追浜ワークス勢が、富士を、鈴鹿を暴れまわり、今や伝説となった50回という勝利をもぎ取ってみせた。
 そのいっぽうで、4バルブ・3キャブ・ツインカムという高度なメカニズムを誇るGT-Rのエンジンは完全な調子を出すのが難しく、その卓越した性能を一般ユーザーが公道で味わい尽くすチャンスは稀だったといわれる。
 それでもひとたび金属的な咆哮を挙げたが最後、すべてのライバルをミラーの彼方に消し去るなど朝飯前。フロント・ストラット・リア・セミトレーリングアームという鍛え抜かれた足まわりも、このパワーとバランスした素晴らしいものだった。
 島風と並び、Lv20で仕上がる駆逐艦では最強の部類に属するステータスをもつ。火力、雷装、対空、装甲、回避の最大値が平均的な駆逐艦より10高い。対潜、索敵、耐久は、さほど変わらず。特筆すべきは運の高さ。改造後で60と全艦中ぶっちぎりでトップの数値。
 夜戦では装備構成に依存した特殊な攻撃として、2連続攻撃を行う「連撃」と、強力な一撃を加える「カットイン攻撃」がある(夜戦(戦闘分類)参照)。通常は比較的安定して発動する連撃が好まれるが、運60を誇る雪風はカットイン攻撃の発動率も十分に高い。このため鬼や姫などのボス級への対策として、火力要員としても活躍できる優秀な駆逐艦となっている。なお運の最大値は99。このため運をMAX改修をすると(ほぼ)全夜戦カットインというチート能力を手に入れる。他に運がカンストする艦娘は現在の所長門改のみである。(改造前の長門は79)
 島風と並ぶ高初期性能のため、駆逐艦が必要な場面では大いに活躍するはず。特に駆逐艦でないとクリアできない3-2などでは重宝されるだろう。
 レア駆逐艦の異名の通り非常にレア。南西諸島海域では2-4ボスでのみドロップ報告有り。北方海域では3-1から3-4までのボスでのみドロップ報告有り。西方海域では4-1ボス、4-2ボス、4-4ボス前哨戦でのみドロップ報告有り。南方海域では5-2ボス、5-4ボスでのみドロップ報告有り。ちなみに島風の方はドロップするマップも多く、雪風よりは入手が容易な傾向がある。
 専用の建造レシピが編み出されている(2013年9月現在)ので、資材が有るなら建造で狙っても良いだろう。ごく稀にオール30で建造できたという報告もあるが、真偽は不明(要検証)。
 太平洋海戦当時は、初風天津風時津風と共に第十六駆逐隊を結成していた。のちに浜風谷風磯風浦風が所属している第十七駆逐隊へ異動している。天津風や時津風、浜風、磯風、矢矧は雪風について言及する事があり彼女への信頼を感じさせる。
 あまりの幸運っぷりに、ついたあだ名は「奇跡の駆逐艦」。ただ生き残っただけでなく、主要な海戦のほとんどに参加しつつ、毎回ほぼ無傷で帰還している異能生存体。尤も「奇跡の駆逐艦」や「幸運艦」は戦後に付けられたあだ名で、戦時中は武運の意味合いが強い「強運艦」や「不死身の駆逐艦」、直ちに戦闘態勢に入れる初動の速さから「超機敏艦」と呼ばれていた。 『雪風、いつでも出撃できます!』沖縄特攻で生き延びたり、呉空襲では係留されたまま米軍機を落としたり(この時機銃弾を撃ち過ぎて、後で上から怒られた)と、乗員の錬度も凄まじい。『ううん、奇跡じゃないですっ!』 ゲームでの台詞は乗員達の腕前を讃えているのかも。彼女の歴代艦長の中でもっとも有名なのは、やはり第5代艦長の寺内正道中佐であろう。斗酒なお辞せぬ酒豪で、でっぷり太った体躯に炯々たるギョロ目、ピンと張った八の字ヒゲがトレードマークの、細事にこだわらない豪快な人物であった。その操艦技術は卓越しており、対空戦闘では『艦橋の天蓋から鉄兜もかぶらず身を乗り出し、三角定規で爆撃を読みつつ航海長の肩を蹴って操艦した』というエピソードが残る。乗員たちは艦長を「雪風の守護神」として非常に信頼しており、あの大和特攻の際も、古参下士官の中には「うちの艦長は操艦日本一だ、任せておけば間違いない」と微笑している者すらいたという。寺内艦長は「わしが乗っている限り雪風は沈まん」と豪語。乗艦は絶対に沈まないという強固な信念の持ち主で、
事実、前任艦のは彼が任期にある間、弾が向こうから逸れるような幸運に恵まれ、幾多の激戦をほぼ無傷で乗り切っている。その自信は、大和特攻にあたっても、他艦のように乗員たちに遺書を書かせたり遺髪を集めたりせず、参加艦お揃いの特攻の象徴、菊水の紋章を入れさせなかったところにも現れている。雪風艦長は兵学校を下から数えたほうが早い成績で出ていたため、厳しい訓練や新しい戦術によって生還したのに「単に運がいいだけだ」と見られるのが嫌だったとか。「生還のコツ」を聞きに行った同期の訪問にたいそう喜んだそうな。5代目艦長の子息・寺内正義氏は某公共放送の元解説委員(現在は退職して国際ジャーナリスト)。イスラム圏の専門家なので、その類の事件等があった時に「視点・論点」等の報道解説番組に登場していた。現役の記者のときにはベトナム、イラン、イラク、レバノンなどの戦地に何度も取材に行っていたが、その時は、雪風元乗員の会が作った雪風の名の入ったタオルを小さく切って常に持ち歩いていたという。無傷で帰ってこれたのは雪風の幸運のおかげかも、と回想している。豪傑寺内艦長の影に隠れがちだが、第4代艦長の菅間良吉中佐も幸運艦・雪風を語る上で忘れられない逸話を残した人物である。ソロモン方面におけるいくつもの名だたる激戦の中で雪風を生き残らせたのは他ならぬ彼。物静かな性格にポーカーフェイス、女性的な雰囲気を帯びた容姿は寺内艦長と対照的だが、奥に秘めた芯の強さ、名人の域とまで称された操艦技術、そして強運人としての評判は共通しており、「私が乗っている限り雪風は沈まん」と豪語。乗艦は絶対に沈まないと言う強固な信念の持ち主で、事実、前任艦の磯波は彼が任期にある間、弾が向こうから逸れる様な幸運に恵ま・・・う、うん?「ちょっと陰険なとこもあった」と部下に回想されてしまう菅間艦長も、雪風を去る時は「操艦の名人に去られてこれからの戦いは大丈夫か」と心配する部下たちを思い遣り、自負していた強運人の看板を降ろして激励の言葉を贈っている。「嘗て私は運がいい男だと大見得を切ったが間違いだった。武運の神に守られているのは雪風だ。私が去っても雪風は沈まない。雪風に神宿る――『雪風に神宿る』だ。」太平洋戦争開戦時の艦長は飛田健二郎中佐。強気でユーモラスな薩摩隼人で、宴会では三等水兵とも肩を組み共に酒を飲んだと伝えられる。雪風の"和"の艦風の形成に大きく貢献した人物。コンビのエピソードに隠れてしまい語られる事は少ないが、雪風もスラバヤ沖海戦で飛田艦長の指揮の元、漂流中の敵軍兵士40名を救助している。「超機敏艦」と称された雪風伝説も飛田艦長が魁。タバオ港がB-17爆撃機の空襲を受けた際、雪風は修理中であったにも拘らず素早く発進して難を逃れたが、これは飛田艦長が空襲を予見して缶の圧力を上げるよう命令していたお陰である。この迅速さと用心深さは雪風最後の戦いとなる宮津湾空襲まで継承されている。尚、飛田艦長の口癖の『うんにょー』は、「いいや」「違う」を意味する鹿児島弁『うんにゃ』が更に訛ったもの、らしい。改二だろうか?うんにょー!』大和の特攻に同行した際の軍医長は、復員後故郷の佐賀県で町医者として開業、2010年には地域密着医療に貢献した医師に贈られる賞を受賞しており、未だご存命である。NHKのデジタルアーカイブス でインタビューを見ることができる。
 艦隊決戦用に設計された陽炎型十九隻、ほぼ同型の朝潮型十隻、夕雲型の十九隻、合わせて四十八隻中、生き残ったのは雪風ただ一隻のみ。
 幾多の激戦をほぼ無傷で生還した・・・という華々しい戦果ばかり強調されがちだが、損傷が少ない故に、大きな戦闘の合間も休みなく護衛や輸送の任務をやり遂げた功績を忘れてはならない。後述する『ダンピールの悲劇』の3日後にも徹夜続きで次の輸送任務に出発しており、戦争後期になると行く先々で仕事を任され、空母護衛の三重複なんて無茶まで経験する。あまりの激務に雪風がどこにいるのか第十七駆逐隊僚艦たちはおろか軍司令部さえ掴めなくなってしまったブラック鎮守府ってレベルじゃねーぞ冗談のような話だが歴とした事実で、雪風乗艦を命じられたある新兵が雪風を探して横須賀からシンガポール、台湾、呉と6ヶ月も渡り歩き、とうとう呉でデング熱に倒れて療養・・・してたら雪風が寄港したので着任できたと言うとんでもない逸話がある。
 大和型艦艇の内、大和と信濃(艦これ未登場)の最後の戦いで護衛を務めた。その影響か「武蔵の沈没時も護衛だった」と勘違いしている人を頻繁に見かけるが、その時は別の姉妹の護衛だったから、風評被害を広めちゃダメよ?電撃アンソロジーまでやらかしたのは救いようがない坊ノ岬沖海戦で沈むまで、雪風と同じく主要な海戦に皆勤していた陽炎型12番艦磯風と混同している人も多いと思われる。磯風も強運艦として有名で、大和、信濃に加え蒼龍,大鳳,金剛等を看取っている。坊ノ岬沖海戦で航行不能になり沈没するも、ほとんどの乗員は雪風に救助されている。磯風も武蔵の最期を見たと勘違いされていることが多いが、武蔵の最期のそばにいたのは浜風と清霜の2隻のみである。これは生存者及び戦闘詳報から確認済み。しかし磯風は武蔵沈没の瞬間にこそ立ち会わなかったものの、艦首が大きく沈下し瀕死の姿の武蔵を写真に収めており、これが記録に残る最後の武蔵の姿となった。実質的には、大和型姉妹全員の最期を知る艦といえるかもしれない。信濃の回航の際、雪風含む護衛の駆逐隊は、歴戦の経験から潜水艦が怖いから昼間に陸岸近くを行こうと言ったのに、決定権のある信濃艦長の阿部大佐が空襲が怖いからと夜間の沖のコースを選んでしまったのが運の尽き。信濃の近くでちょろちょろする浮上中の潜水艦も見届けていたが漁船と誤認し(これを信濃沈没の原因と直結させる意見をよく見かけるが、実際はその後、護衛の三駆逐艦も信濃も目視や通信傍受によって追跡する潜水艦の存在を確認できている。浜風が潜水艦を発見して接近、一時は潜水艦が追跡を断念しかけたり、別の発見時には雪風らが砲撃して追い払おうとしたが、速力差で潜水艦を振り切る選択が最善と判断した阿部大佐がその都度中止命令を出している)、結果信濃は被雷。
被雷後も信濃は工員と新造艦ゆえの訓練未熟な乗組員によるダメコンがうまく機能せず、突貫工事のため水密試験も省略していた信濃の運が悪いとしか言えない。加えて、この時激戦のレイテ沖海戦から戻ってきたばかりで休息を取らせて貰えず、水中探信儀が故障したままで、さらに指令駆逐艦浦風と谷井駆逐隊司令も失っていた雪風以下第十七駆逐隊のせいにするのはあまりに酷かもしれない。
 終戦後は復員船として1万3千人以上を本土へ帰還させた。その中には、後に「ゲゲゲの鬼太郎」などをヒットさせる水木しげる氏の姿もあった。
 復員輸送艦時代の雪風で艦長を務めた佐藤精七少佐は少し変わった形で雪風の幸運に恵まれた人物である。終戦後、酒匂で副長代理を務めていた佐藤少佐は、ある下士官が「副長代理が毎日のように陸に上がっては軍需物資の横流しをしている」と虚偽の噂を流したため、突然予備役を命じられ解任されてしまう。あらぬ噂により追放同然の処分を受けた佐藤少佐だったが、丁度その頃、雪風で予定されていた艦長が着任できなくなったため、急ぎ代わりの将官を探さなければならなくなり、酒匂退艦が決定した佐藤少佐の任命が検討された。これを境に佐藤少佐の日常は好転する。なんと噂を流した下士官が名乗り出たのだ。「規律に厳しい副長を追っ払いたくて噂を流したが、目的を達成できたからには真実を話しお詫びします」と言う。降って沸いたような幸運の展開で佐藤少佐の濡れ衣は晴れた。予備役も取り消された事で彼は栄転と言う形で雪風の第8代艦長に着任している。佐藤艦長就任の話には続きがある。酒匂での噂は雪風乗員の間にも伝わっており、佐藤艦長は雪風に着任すると複数の乗員から噂の真偽を問われる事となった。「艦長艦長、陸に毎日遊びに出かける馴染みの飲み屋があるそうですね?」「その店に親しくしてる美女がいると聞いてますが、紹介してください!」「不名誉な横流しの噂がどうしてそんな楽しい話になってるかッ!?」わざわざ噂の店に乗員を連れて行く羽目になった佐藤艦長(ひでぇ・・・)。確かに女はいた。「噂が本当なら俺も大したものだ」と内心期待するほどの美人だったが、幸運にも濡れ衣は晴れてしまった。その後の雪風艦長時代の勤務については「あまり苦労したことがないので、今記事を書くのに苦労している」(雪風乗員の手記より)
 復員船の役目を終えた後に賠償艦として引き渡され、駆逐艦でありながら中華民国(台湾)海軍旗艦「丹陽(タンヤン)」として就役。どうも連合国にも雪風の強運っぷりは伝わっており、旗艦就任はそれを見込んでの事だったんだとか。この時陰陽思想で雪も風も陰に属する字のため名前がいまいちということで、陽である丹(赤)と陽を使うことになった。余談だが、中華民国海軍の艦艇名には日本からの賠償艦・米国からの供与艦を問わず○陽が多い……というか名付け元の都市名に○陽が多いというべきか。あちら流の験担ぎと思われ、総称して「陽字號」などと呼ばれることも。ちなみに、帝国海軍艦艇由来の「陽字號」は以下の通り。
中華民国海軍での名称:帝国海軍での名称
・丹陽(DD-12):陽炎型・雪風
・信陽(DD-15):橘型(改松型・改丁型)・初梅
・華陽(艦艇番号未付与):橘型(改松型・改丁型)・蔦
・瀋陽(艦艇番号未付与):峯風型(改峯風型・野風型)・波風
・汾陽(艦艇番号未付与):秋月型(乙型)・宵月
・衡陽(艦艇番号未付与):松型(丁型)・楓
・惠陽(艦艇番号未付与):松型(丁型)・杉
中華民国海軍に引き渡しが決まったあとも乗員たちは清掃や手入れを怠らず、連合国の関係者が「敗戦国の軍艦でかくも見事に整備された艦は見たことがない」と驚嘆した。引き渡された当初は武装は降ろされていたが、国民党海軍の手によって旧帝国海軍の鹵獲兵装を取り付けられ、後に補給の問題からアメリカ式の火砲に換装されている。なお、丹陽として就役した後も幸運ぶりを発揮。詳細は省くが、幸運通り越した異能生存体っぷりは健在だった。中共艦艇と交戦中、突如ボイラーが本調子を取り戻したことで往時の高速を発揮し危機を脱したり、命中寸前の砲弾が突如空中で爆発したという逸話も残されている。ソ連油槽船拿捕や人民解放軍の沿岸用コルベット撃沈等戦後も活躍し1965年に一線を退いたが、その後も訓練艦として就役していた。日本で雪風返還運動が始まり、1969年には1年後の返還が約束されるところまで漕ぎ着けたのだが、夏の暴風雨によって老朽化していた船体が大破し、あえなく解体された。栄えある帝国海軍最後の実働艦は、結局最後まで戦没することは無かった。この時のこともあって、当時の中華民国だった台湾でも雪風、もとい丹陽は人気があるんだそうな。何せその生涯を描いた擬人化同人誌があるくらいだし!取り外された錨と舵輪は1971年、元艦長や乗員たちが出迎える中で返還された。返還式典は火葬場の拾骨のように沈痛な空気に包まれ、「あの雪風がこれだけになってしまった」とかつての乗員たちは男泣きに泣いたという。現在は江田島の教育参考館に静かに安置されている。また台湾には彼女のスクリューが残されている。
 幸運を讃える声がある一方で、僚艦が次々大破・沈没する激戦でもピンピンしているのを気味悪がられることがあった。夕暮(艦これ未登場)が沈んだ際は、敵の空襲を受ける前に各艦が個別回頭し、艦隊の左右の列が入れ替わっていたため、当の雪風乗員で「僚艦が身代わりになったのでは?」と気に病む人もいたらしい。一方、他の艦では「雪風の強運に肖ろう」と言う話が広まって、雪風の塗装をお守りに忍ばせようとする兵士が出没。勝手に雪風のスカートペンキを剥がしていってしまい、雪風乗員を困らせる事になった。
 艦艇の性能的に考えれば雪風が島風と同能力値になっているのはおかしく見えるかもしれないが、決して運が高いことで発生したエピソードを反映しただけではない。その理由は生存していたことによる搭乗兵の練度上昇と共に、幸運艦として有名になるにつれて次々に搭載されていった装備類にある。なんと最終的には、当時最新でまだ開発途中のソナー、対水上・対空レーダー二基、針山のような対空火器を装備というとんでもないカスタムが施されていたのだ。優先的に新装備が施されたのも、「間違いなく帰ってくるだろう(新装備が沈没で無駄にならない、実戦データを持って帰ってくれる)」という期待があってのこと。それもあってか、小さな駆逐艦の癖に砲撃成績は優秀だったとか。ナイショだよ。雪風乗員の練度の高さを伝えるエピソードとしては、戦闘時の被弾を想定した応急処置訓練に関する冬月(艦これ未登場)の士官の証言がある。「訓練ではいつも雪風が群を抜いて早く、しかも精確な処置ができていた。」 戦闘で中々破損しないからって、日々の訓練を怠ってたわけじゃないのですよ?
 雪風と常に行動を供にしていたのが、すぐ下の妹の時津風親方。沈没した時、幸運艦雪風に乗組員が殆ど救助されている。ラッキー、なのか?沈没したんだけど・・・。時津風が沈没した海戦は、時津風と共に白雪朝潮荒潮を一度に失ったビスマルク海海戦である。敵の制空権下、真っ昼間、駆逐艦と輸送船だけで堂々と突破セヨと言うムチャな作戦によって、輸送船8隻の全てと護衛の駆逐艦8隻中4隻が沈没。参加艦隊の参謀が「全滅するからやめてくれ」と願い出たのを作戦司令部は「全滅覚悟で行け。命令だ」と突っぱねたとか。創作の疑いはあるものの、事実であってもおかしくないそんな中で大半の乗組員が救助されたのなら幸運と言えなくもないが、艦これ提督が孔明に見える様なアホな作戦を命じられた時点でラッキー?を問うレベルの話ではない。雪風は戦闘で沈んだ妹、時津風の乗員を救助後、一旦北上して脱出。救援に駆け付けた初雪に救助者を移して燃料を補給すると、12隻の仲間たちが沈められた戦場に舞い戻り、漂流中の荒潮を発見して生存者を救助している。尚、ビスマルク海海戦は完勝したアメリカが付けた名称。日本側はあまりに被害が甚大過ぎてこの戦闘に名称を付ける事ができなかった。そのせいもあって味方にこの惨敗は伝わっておらず、飛鷹の乗組員は「アメリカの捕虜になった時、戦果を報道してるのを見て知った」と言う有様。日本にはダンピールの悲劇の異名と、帰還した雪風乗組員の「こんなみじめな惨敗の姿で戻ってくるなんて・・・」の悲痛な手記が残る。
 マリアナ沖海戦にて護衛していた第二補給部隊が空襲を受けた際に探照灯で米軍機搭乗員の目をくらませるという奇策を用いて3機を墜落させる事に成功するという世にも珍しい迎撃を行っていたりする。しかし、全ての攻撃を捌き切ることは出来ず、被害を受けた油槽船一隻を雪風が雷撃処分する事となってしまった。公式4コマ35話でもネタにされている。
 被弾損傷や人的損耗も少なかったもののゼロというわけではなく、終戦までに乗員9名が戦死。一般にはこの「9名戦死」が広く伝わっているが元乗組員達により出版された手記によれば13名戦死とある。仮泊中に行方不明となった兵(艦から落下した形跡があり溺者となったと考えられた)達も含めての死者の数であり、「戦闘中の死亡でなくても彼らを忘れないでやって欲しい」との元同僚達の願いが込められている。戦記に見張り兵の戦死者のことが記されていたことから、「手にした馬鹿デカい双眼鏡はそのことに配慮してのものでは?」という意見があったが……。グラフィックを担当したしずまよしのり氏によると、物を見ることしかできず武装としては特に意味をなさないはずの双眼鏡を持っているのは、雪風が数多くの艦が沈むところを見てきたためらしい。雪風の双眼鏡には仲間の最期を看取った涙が溜まっているのだという。尚、頭に載っているのは測距儀、頭の横にあるのは22電探、口元にあるのは伝声管である。電探が装備された頃、雪風で「電探から出る電波が水虫に効く」と言う噂が流れ、電探を囲んで座って水虫の脚をかざすのが流行ったそうな。艦娘の雪風がそれをやられてるシーンを想像してみると…。
 彼女の生涯については『雪風ハ沈マズ』(豊田穣著・光人社)という名作がある。全期間を最前線で活躍した雪風らしく多くの海戦や他艦のエピソードも豊富で、艦これファンなら読んで損はない。
 余談ですが……終戦から十数年が経過し、復興を果たした日本に、再び軍艦の建造が認められる事になりました。戦後初めての自国生産による軍艦。生まれ変わった日本にとって、そして発足して間もない海上自衛隊にとって、極めて重要な意味を持つことになる最初の護衛艦。はるかぜ型護衛艦。その二番艦が、一番艦はるかぜより一月早く進水する事となりました。
戦後復興を象徴する、正真正銘の最初の護衛艦。この排水量1700トンという小さな彼女に与えられた名は──「ゆきかぜ」──です。この名が発表されたとき、旧海軍の関係者や、復員船となった雪風のおかげで祖国に帰ることができた人たちは、皆、同じ言葉をもって迎え入れたそうです。「おかえり」と。
 海上自衛隊発足後の文字通り1番艦になったのは偶然ではないと云われています。戦後初の護衛艦のネームシップを「ゆきかぜ」にできなかった理由は「武勲艦として、あまりに有名すぎたから」です。そこで、地味な護衛任務を太平洋戦争を通じて全うした名誉艦である「はるかぜ」をネームシップとし、そのかわりに先に「ゆきかぜ」を進水させたと伝えられています。代表的なものとして某元幹部学校校長を務めた元海将が回想として上記のことを「駆逐艦春風」という本に文章を残している。また草創期の将官の何人かも回想録に記している。海兵学校末期の出身者にとっては憧憬をもって記憶されていたらしい様子が伺える。はるかぜ型以前に使用されたありあけ型護衛艦の前身はアメリカ海軍のフレッチャー級駆逐艦だった。またこのはるかぜ型の設計は、白露朝潮を元に、米駆逐艦の長所をミックスしたものとなっている。武勲艦に駆逐艦が多いのが日本海軍の大きな特徴である。諸外国の駆逐艦はフレッチャー級のように哨戒などを主任務にしていたのに対し、日本の場合は雷撃艦として攻撃に特化していたから。実際に運用されるのが駆逐艦だけなので、必然的に武勲艦が生まれることになった。
 1968年に誕生した3代目スカイライン、愛称「箱スカ」。日産とプリンス自動車の合併(1966年)した後に初めて販売されたスカイラインである。設計統括は「スカイラインの父」として知られる桜井眞一郎氏である。初登場は1968年に開催された第15回東京モーターショーで、「スカイラインGTレーシング仕様」という名のコンセプトカーで出品された。そして、翌1969年に販売開始されたのがスカイラインGT-Rで、当初は4ドアセダンのみであった。
 グランツーリスモに収録されている2ドアハードトップ仕様は1970年に登場。4ドア仕様に比べてホイールベースが70mm短くされ、リアフェンダーにあるサーフェイスラインを普通にカットして付けたオーバーフェンダー等、市販車としての範囲ギリギリまで性能を追求した。
 雪風が持つスカイラインKPGC10は、所々カスタムが施されていて、容易にできない部分までしっかり補強されている。特に足まわりは綺麗に整備が行き通っており、サスペンションは最新の車高調整式フルカスタマイズで組み付けてある。更にはレーシングブレーキセット、古カスタマイズトランスミッション、カーボンプロペラシャフト、トリプルプレートキット等、現代のスポーツカーらに付いてる装置は、このマシンが非常に残念なところです。

■天津風
●ホンダ/S2000(US)'04

・パフォーマンスポイント(PP):466
「アメリカに輸出したS2000」
(車両解説はその1の「長月」と同じ為、省略)
 2014年04月23日の春イベント「索敵機、発艦始め!」において先行配信。E-3「ポートワイン沖海域」突破報酬として配布された。
 2014年08月08日から開催の夏イベントAL作戦/MI作戦E-1、E-3を除くマップでボスドロップが確認されている。恒常入手ができる本実装の予定は現在のところ告知が無いため未定。
 島風雪風に続いて3人目のホロ駆逐艦娘である(改造後を含めればZ1改Z3改・その他改二もいる)。
 初期装備で缶を持ってくる。さらに改造後は上位互換の新型高温高圧缶三式ソナーが手に入る。
 未改造でスロット3つあり、改造レベルも20と育成し易い。代わりに燃料の消費がちょっぴり多くなっている(史実ではむしろ缶のおかげで良燃費で島風と同じだったりする)。
 運がほかの艦娘に比べて若干高めである。改造すると運が下がるめずらしい子。
 天津風とは「高い天空に吹く風」を意味する。決して天津飯ではない「天津風 雲の通ひ路吹きとぢよ 乙女の姿しばしとどめむ(僧正遍照)」という百人一首の歌で知られる言葉だろう。この艦名は2代目。初代は磯風型駆逐艦で浜風(初代)らと姉妹であった。
 当時、列強が建造しつつある新型戦艦の速度は上がる一方だった。「理想的な」艦隊型駆逐艦として完成されたはずの陽炎型だが、速力は35ノットに過ぎず、これは当時の新型駆逐艦としてはやや遅いものだった。駆逐艦による雷撃の成功というものは、如何にして命中魚雷を得やすい射点(発射場所)に到達できるかにかかっており、その為に必要なのは何よりも目標に対する優速だった。そのためには概ね10ノット以上の優速が求められていたが、陽炎型の35ノットという速度は敵主力艦を襲撃するには明らかに不足であり、次期主力駆逐艦にはそれ以上の高速性能が求められていた。しかし速度を上げる為には陽炎型に搭載されたものよりも強力な機関が何としても必要。そこで、次期主力駆逐艦に搭載する予定の新型ボイラーを陽炎型に試験的に搭載することになり、その試験艦として選ばれたのがこの「天津風」である。
 従来の「甲型」のボイラーが温度300°C、圧力30kg/cm²の蒸気を生み出したのに対し、天津風のボイラーは更に高温高圧の温度400°C、圧力40kg/cm²の蒸気を送り出すことが可能であり、この新型缶の搭載によって燃料の消費量を抑え、また缶そのものも軽量であったので機関重量の軽減も実現した。
 天津風乗組員には各種学校の卒業者など特に優秀者を集め、機関の運転状況や整備状況などの詳細な報告をしていた。試験結果は良好で、海軍は大変満足したとされている。
 津風の成功を踏まえ建造された、新型缶を搭載した次期主力駆逐艦こそ、日本駆逐艦史上に名高い重雷装高速駆逐艦「島風」である。そのため島風の従姉、もしくはプロトタイプ島風のような関係にあたる。天津風の機関は試作型なのでそこまで無理をした性能ではない。缶は島風と同一ではなく、出力は同型である陽炎型の52,000馬力に準拠している。一方の島風は79,240馬力を誇る。最近島風を見慣れてきてしまった提督諸兄は、彼女がすべての駆逐艦どころか扶桑型戦艦をも凌駕する途轍もない怪力の持ち主だということを再認識しておこう。飛鷹も高温高圧缶を搭載したが当時の最新世代同士なだけであって、島風・天津風の艦本式自然循環型とは大きく構造が異なる。(飛鷹は川崎ラモント式強制循環型)タービン他の陽炎型と同じだったので最高速力に大差はないが、燃費は13%向上、航続距離は5000海里から6%(300海里)延伸したという。
 開戦当初は同型艦である初風雪風時津風とともに、「華の二水戦」指揮下の第十六駆逐隊の一員として、南方攻略作戦に参加。空母や輸送船団の護衛も行った。クリスマス島攻略作戦にも初風とともに参加。その際は大破した那珂が曳航されている間の護衛も行っている。
 開戦間もない1942年1月、夜間の掃蕩任務(いわゆる潜水艦狩り)に参加した天津風は、暗い艦橋内で海図を確認していたため小さな島を見落としてしまい、島に直進するハプニングに遭遇する。迂回して島を避けるにしても、掃蕩は8隻ほどの駆逐艦が横一線に並んで水中探知機により潜水艦を探す作業なので、探知機がカバーできないスペースを作らぬよう他の艦と連携してコースを変える必要がある。天津風艦長は直ちに駆逐隊司令に相談した。「前方に島があるのですがどの方向に避けたらいいでしょう?」程なくして司令から命令が届く。「飛び越えろ」流石にジョークであり「ムリなら避けていい」と言われたので避けました。公式四コマ第42話でホントに飛び越えました(詳細は是非四コマで!)。
 夕立無双でおなじみ第三次ソロモン海戦第1夜戦にも参加。駆逐艦1隻を仕留めた後探照灯照射を行うが狙い撃ちにされ死者負傷者多数を出してしまう。同じく探照灯照射を行っていた暁は撃沈されてしまった。この際途中離脱したため味方からは一時沈没したと思われており、後で合流した際にはその生存を喜ばれたという。その後工作艦明石による応急修理を受けてから単独帰国して本格的に修理された。彼女と明石の実装が同時期なのはこのためかもしれない。
 陽炎型としては異例のホンダ・S2000、しかもアメリカ仕様。高速スタビリティを重視にしてあるのか、高速コースであるサルトサーキットやスペシャルステージ・ルート7などでは存分に発揮する。しかし、小さなコースやテクニカルコースなどは、その性能を存分に発揮できず、じりじりと引き離されてしまう。

●ホンダ/S2000(US)チューンドカー'04

・パフォーマンスポイント(PP):466
「散りばめられた、デザインとアレンジの結晶」
(車両解説はその1の「長月」と同じ為、省略)
 改造すると新型缶とソナーを持ってくる。ついでに時報も読んでくれる。
 現状1回目の改造でSホロ駆逐はこの子しかいない(改二含めるとZ1とZ3両名がSホロにはなるが)。
 イラストは改造前と比べて、舷側に書かれた艦名が消え、やや表情に変化がある。煙突帽子からでている煙は必見。ハート型である。可愛い。史実では応急修理を受けた彼女だが、艦これでは艦首や連装砲くんが無くなったり低速になったりはしないので安心を。幼女化・ちびっこ化を期待していた提督は涙を拭おう。
 燃費が…ちょっと遠征には心理的に入れにくい。島風のお友達とはそういうことか。
 改造後の初期値は史実の歴戦を反映してか耐久・雷装・対潜・対空がやや高く、装甲は歴代トップとなる。火力・索敵に関しては同型艦に準じている。
 改になってグラフィックが一部変更されている。変更点は以下の通り。表情が変化し、笑みを浮かべるようになった。頭部に装備する煙突から煙が立ち上るようになった。煙の形をよく見ると…?ハート型なんです連装砲くんの船体に書かれた「アマツカゼ」の文字が薄くなった。開戦前に防諜と潜水艦対策のため駆逐艦の艦名表記が塗り消されるようになったためであろう。
 グラフィックが変わっているが、あきつ丸改などのように別のNoに移っている訳ではなく、扶桑改などと同じく天津風のページにある。

■時津風
●日産/シルビア K's ダイヤセレクション(S13)'90

・パフォーマンスポイント(PP):419
「人気オプションを装備して販売された、走り屋を魅了し続けたシルビアS13型の特別仕様」
 日産のスペシャリティ・クーペのシリーズであるシルビア。その5代目にあたり、1988年から1993年にかけて生産されたのがS13型だ。
 シャープなラインと柔らかい曲面で構成された美しいスタイリングが注目を浴び、デビューと同時に大ヒット。歴代シルビアの中で最も販売台数の多いモデルとなった。またデビュー年の1988年には日本カー・オブ・ザ・イヤーも受賞している。
 当初、日産はデートカー的な位置付けでS13型を捉えていたが、基本構成が当時すでに貴重な存在となりつつあったミドルクラスのFRレイアウトで、加えて活発なエンジンとコントローラブルなシャシーを持つなどスポーツ走行にも適したプロファイルを持っていたため、いわゆる走り屋のためのマシンとして愛された。
 シルビアが走りのクルマとして強く認識されるようになったのは、このS13型の存在があってこそ。そのS13型シルビアの初期の頃の高性能モデルがK'sである。175PS/6,400rpmの最高出力と23.0kgfm/4,000rpmの最大トルクを発揮する直列4気筒DOHC+ターボのCA18DET型ユニットは1,140kgの車両重量には充分で、日産がこだわりを持って開発を進めたリアのマルチリンクサスペンションの出来の良さも相まって、ステージを選ばず走りを楽しめるモデルに仕上がっていた。
 1990年2月には、オートエアコンやアルミホイール、リアスポイラーをはじめとして数々のオプションパーツが標準装備とし、価格アップを最小限に抑えたお買い得仕様のダイヤセレクションシリーズが、K's、Q'sなどのそれぞれのグレードに追加された。
 2014年8月8日のアップデートにて先行実装、AL/MI作戦のE-4をクリアするとゲットできる。
 同時実装の磯風と共に、Z1Z3に次いで実装された数少ない初期金レア駆逐艦娘である。
 雪風続く「しれぇ」勢。第十六駆逐隊の雪風天津風初風とも仲良しである事がうかがえる。編成任務とか来ないでください。
 
一方しずま氏が書いた艦娘で唯一のホロ未満の艦娘である。他には大和型長門型島風雪風天津風と入手難易度とレアリティは全員高い。
 時津風は陽炎型の10女。昭和15年12月15日、浦賀生まれ。時津風の津は「の」を意味する助詞で、つまり「時の風」。季節ごとの時に応じて吹く風、潮が満ちる際に吹く風などの意味がある。
 初風雪風天津風・時津風で開戦時の第16駆逐隊を編成できる。無論編成任務など来たら、最難関クラスになる可能性も…もともと第16駆逐隊には黒潮がいたのだが、時津風と天津風の竣工・編入によって第15駆逐隊へ転出していった。
 太平洋戦争開戦時にはフィリピン攻略作戦に参加。翌昭和17年1月からはメナド・ケンダリー・アンボンの各攻略作戦に従事。
 2月にはスラバヤ沖海戦に参加。その後西部ニューギニア攻略作戦に従事している。6月のミッドウェー海戦には輸送船団護衛として参加。
 ミッドウェー後の第16駆逐隊は新設された第3艦隊第10戦隊に所属。空母機動部隊の直衛の任に当たる。8月の第二次ソロモン海戦、10月の南太平洋海戦の両海戦に参加している。第二次ソロモン海戦では利根天津風らとともに龍驤を護衛し、対空戦闘を行った。しかし力及ばず龍驤は直撃弾多数を浴び沈没。時津風はその生存者の救助を行っている。
 ガダルカナル島撤収作戦であるケ号作戦には3回すべてに従事した。
 ビスマルク海海戦、通称「ダンピールの悲劇」では第16駆逐隊司令艦として参加。安達二十三中将ら陸軍第18軍司令部幕僚を乗せていた。同海戦で連合軍の新戦法、反跳爆撃の前に輸送船や白雪荒潮らが次々と犠牲になる中、時津風も犠牲者の一隻となってしまった。このビスマルク海海戦がどのような無残な結果に終わったかは朝潮白雪の小ネタを参照して欲しい。
第8艦隊司令部参謀の慢心しきった杜撰な作戦計画の結果、輸送船団は全滅し護衛駆逐艦も半数沈没。海に投げ出された将兵も、掃討命令を受けた連合軍航空機と魚雷艇による機銃掃射を浴びてその大半が射殺され、凄まじい数の犠牲者を出した惨劇だった。時あたかも昭和18年3月3日。地獄絵図のような雛祭りになってしまった。海面スレスレの超低空を突っ込んでくる敵機に対し、艦上の誰もが雷撃だと疑わず、主砲と機銃による一騎打ちを挑んだ。ところが敵機は魚雷ではなく爆弾を海面に投下。この爆弾が水切りの要領で海面を飛び跳ね、時津風の横っ腹へと突っ込み、炸裂したのだった。これが新戦法、「反跳爆撃」だった。まさか敵機がこんな戦法を取るとは夢にも思わず、被弾を許してしまったのである。この一発によって機関室は瞬時にして全滅。応答がなくなったため機関室を覗きこんだところ巨大な水槽と化しており、機関兵たちの血肉の混ざったオレンジ色の海水が広がっているだけだったという。また、心臓を食い千切られた形となった時津風はもはや動くことも出来なくなってしまった。そこで、戦闘の合間を縫って無傷の雪風へ第16駆逐隊司令部を移乗することに。時津風からの司令駆逐艦変更命令により、雪風は直ちに接近し、ボートを下ろして司令部移乗の作業にかかった。敵機に見つかればボートはおろか雪風も一巻の終わりであり、両艦の乗員たちは顔面蒼白で絶叫しながら作業を励ましたという。しかし雪風はあくまで強運であった。移乗を無事に終えると再び戦闘に突入。無傷で戦い抜いたのち、時津風の乗員を収容した。戦闘終了後、行動不能の時津風はそのまま自沈処置をして放棄することとなった。ところが時津風は沈まず、翌日に至っても漂流しているところを発見されている。新鋭の陽炎型が敵の手に陥ちることだけはなんとしても避ける必要があり、99艦爆9機を派遣して撃沈処分することになったが、1発も命中しなかった。そして何の皮肉か、その後現れた米軍機の爆撃は見事命中し、時津風は海に姿を消していった。
 時津風の艦名は公式には二代目。…なのだが、正確には三代目である。というのも、大正6年5月に神戸川崎造船所で竣工した初代時津風は、翌年3月30日に宮崎県折生迫(おりゅうざこ)海岸に荒天のため座礁。折生迫海岸は激浪で知られるところで、座礁後2~3日で時津風の船体は3つに断裂、再起不能なぐらいめちゃくちゃに壊れてしまった。このため使用可能な兵装と備品を取り外して流用することにし、同じ図面を使って舞鶴で代艦を建造。この二代目は新造でありながら大修理の名目で作られ、予算も修理用予算から支出されたため、書類上初代と二代目は同じ艦として扱われたのである。ちなみにその後の初代の船体は荒れ狂う波のためあっという間に崩壊。3ヶ月後にはボイラーが4個ころがっているだけとなり、7月に撤去された。二代目は昭和10年4月に引退し、「廃駆逐艦第20号」と改称されて江田島の海軍兵学校に係留、練習艦として海軍士官の卵たちを育てた。三代目に先立たれたのちも健在であり、終戦まで無事に生き残っていたものの、、終戦直後の台風で浸水沈没。初代も二代目も風の名を与えられながら、妙に風に祟られた艦だった。

■浦風
●日産/シルビア K's エアロ(S14)'93

・パフォーマンスポイント(PP):447
「S13型に引き続き期待されたが、売れ行きが不調に陥ったシルビアS14型」
 1993年10月、大ヒットを記録したS13型シルビアの後継車として誕生したS14型は、3ナンバーボディにサイズを拡大することで、その人気の継続を図ろうとした。S14の全幅は、S13型の1,690mmに対して1,730mmとなり、これにあわせてトレッドも広げられた。
 全長はプラス30mmの4,500mm、全高はプラス5mmの1,295mmで、大きなサイズアップではない。実車から受ける印象も、全体のボディラインがソフトになったためか、幅広感が強調されたものだ。ちなみにK'sのタイヤは16インチが標準となった。
 エンジンはS13に搭載していたSR20系をブラッシュアップして搭載した。トップグレードのK'sには15PSパワーアップした220PS、28.0kgfmのインタークーラーターボが、Q'sとJ'sには160PS、19.2kgfmのNAが搭載されている。サスペンション構成も基本的にはS13と同じで、フロントがストラット、リアがマルチリンク。電動スーパーHICASモデルも用意された。
 ラグジュアリーさが強調されて、本来ならばさらに魅力を増したはずのS14だったが、悲劇だったのはこの時代に2ドアスペシャリティの市場が急速にしぼんでしまったことだ。そのためS14は思うように売り上げが伸ばせず、大きなマイナーチェンジを強いられることになる。
 マイナーチェンジで強調されたのは、その走りのパフォーマンスだった。エクステリアも前期型のソフトなイメージから一転、つり目型のヘッドライトと大型リアスポイラーを備えた、いかついものへと変更された。しかし、この変更を受けても劇的な販売増へは結びつかず、結局S14は99年に次期モデルへと交代することになった。
 なお、S14シルビアは北米では240SX、ヨーロッパでは200SXの名前で販売された。
 2014年5月23日に2-5と共に実装された艦娘。浜風谷風同様に、初期装備で九四式爆雷投射機を持ってくる。当初は2-5のボスのみのドロップだったが、6月6日のアップデートで2-44-24-3のボスからも出るようになった。2-5でのドロップ率は大鯨よりは高いらしく、捕鯨船団を悩ませているとか。4-2の場合は重巡・駆逐のレベリングと平行してドロップを期待できる。周回には不向きだが、4-3のボスS勝利にてドロップが確認されている。
 実装時の運営コメントによれば、司令部レベルが上がると2-5での浦風のドロップ率も上がる模様。「(前文略)新海域「沖ノ島沖」において、【新艦娘】駆逐艦「浦風」との邂逅が可能です。」※交戦する敵艦隊が強力なほど、邂逅率は高くなります。ただし司令部の各レベル毎の入手状況は未検証なので、確率がどの程度上がるのかは不明である。なお2-5のボス艦隊がもっとも強くなるのは司令部レベル100以上である。2-5以外でのドロップ率が変化するかどうか不明。
 浜風ほどではないものの、なかなかの胸部装甲をお持ちの様子。もちろん駆逐艦娘では上位クラス。といい秋雲といい夕雲型といい、最近の駆逐艦の発育はどうなっているのだろう……。
 ちなみに改造にはそこそこ高い練度(Lv35)が必要なので注意。駆逐艦の一度目の改造に必要なレベルが最も高い艦でもある。磯風(改造レベル45)の実装により2番目になった。その代わりか、改造後はレア装備の12.7cm連装高角砲(後期型)を持ってくる。他では入手できないので牧場する提督も少なくない。他の艦娘だと、阿賀一部の最上型伊401、そして明石がLv35改造である。
 「浦風」とは、海辺を吹く風のことであり、浜風と大体同じ意味である。
初の広島弁艦娘。呉鎮守府に所属していたためと思われる。ただし出身(造船所)は黒潮谷風と同じ大阪(藤永田)である。
 かぶっているのは水兵帽(セーラーハット)。エラー娘と間違えてはいけない。左右のリボンひもはペンネントをイメージしたものだろうか。
 ラバウル大空襲の際に被雷大破した阿賀野の救援に従事している。この時阿賀野は舵が効かなくなってしまっていたため、浦風は彼女のお尻からロープを張ってぶら下がり、右へ左へ引っ張って舵代わりに動き、トラック島へ護送したというエピソードが残る。サマール沖海戦では、矢矧の直率する第十戦隊の第十七駆逐隊司令艦として、雪風、磯風、野分とともに突撃に参加、敵空母群へ雷撃を行い、敵空母一隻轟沈、一隻大破を報告した。しかし戦後判明したことによると、これは戦果誤認であった。大ベテランの雪風はじめ各艦が戦闘詳報へ図入りの報告までしたのに誤認であった理由には、魚雷の信管が過敏で、命中前に波の影響で自爆してしまったことがあげられる。この早発の大水柱を命中と誤認してしまったのであった。どちらも米潜水艦「シーライオン」に撃沈されている。またアシカのちなみに浦風を撃沈した魚雷は長門へ向けて放ったものが命中せずに流れ弾として被雷したとされている。これがビッグセブンの実力被害者か!
 沈没時、僚艦浜風・磯風は金剛の手当て、雪風は内地へ急行する長門以下を護衛するため、浦風の手当てと救助は後回し……と言うより浦風は轟沈したため手の施しようがなかったらしい。ホントかウソか、とある磯風乗組員は「沈んだのに気が付かなかった」とか?一段落したあと救助に僚艦たちが戻ってきたときには生存者すら見当たらず、艦橋のグレーチングが一枚漂っているだけだったという。「もうどうにもならん」や轟沈時のセリフ、この事実を踏まえて聞いてほしい。
 護衛経験のある艦は飛龍、五航戦姉妹瑞鳳、扶桑姉妹熊野金剛など。
 浦風の名前は2代目で、先代は浦風型駆逐艦のネームシップ。1915年竣工。機関をタービンとディーゼル併用にした試作艦として建造されたのだが、肝心のドイツ製ディーゼル機関が第一次大戦の影響で手に入らず、仕方なく重油タンクに変更したため、30ノットがせいぜいという鈍足に。しかも妹の江風(かわかぜ)はイタリア海軍の要請により譲渡、駆逐艦アウダーチェ(Audace:大胆な)として海の向こうに行ってしまった。試作艦、それも計画は実現せず、おまけに姉妹艦もいない単艦となっては艦隊編成に入れることもできず、ほとんど揚子江での警備任務に従事していた。1936年に除籍され、以後記念艦三笠のそばに係留されて、1945年7月の空襲まで横須賀海兵団の練習船として活躍。空母戦艦軽巡と同じく2代目に先立たれることとなった。ちなみに先代の艦長はあの第二艦隊司令長官の栗田健男、ワレアオバの五藤存知、西村艦隊司令官でレイテ沖海戦で山城と共に散った西村祥治、伊勢最後の艦長牟田口格郎と錚々たる面々が務めている
 初代・二代目ともに運が悪いせいか(海自はゲン担ぎ目的でそういう艦の艦名を避ける傾向がある)「浦風」の名前はその後の艦で利用されてないが、映画「亡国のイージス」にて架空の「たちかぜ型護衛艦」として「うらかぜ」が登場。設定上ミサイル護衛艦であるが、映画では汎用護衛艦である4代目の「いかづち」が「うらかぜ」役を演じた。もーっと私に頼っていいのよ!もっとも、「うらかぜ」は反乱を起こした「いそかぜ」(キャスト:二代目みょうこう)に撃沈されるやられ役だったのだが。なお、こちらの浦風も戦前を代表する冒険小説「新戦艦高千穂」に登場している。ただしこの小説が書かれた時期(1935~1936年)には陽炎型がまだ起工すらされていなかったことから、初代浦風の可能性もある。

■磯風
●日産/180SX Type X'96

・パフォーマンスポイント(PP):448
「FRスポーツカーの象徴」
 1989年3月、S13シルビアのハッチバックモデルとしてデビューしたのが180SXである。リトラクタブルライトをもち、リアにガラスハッチを備えたこのクルマは、はじめはシルビアの人気に押されてほとんど目立たない存在だった。エンジンはシルビアと同じ1.8Lだったが、ターボだけをラインナップした。
 91年にはエンジンが2L化され、205PS、28.0kgfmを発生するSR20DETとなる。本来ならば180SXはこのスペックで販売を続け、S13シルビアのフルチェンジとともに生産を終えるはずだった。ところが、240SXというネーミングで輸出されていた2.4L仕様の北米での人気が衰えなかったため、日産はシルビアと切り離して生産を継続することを決断した。
 そこへ日本市場でも追い風が吹いた。3ナンバーになったS14シルビアが走り好きから歓迎されず、180SXが注目され始めたのだ。その結果180SXは貴重な5ナンバーFRとして熱い支持を集め、足かけ10年にわたって販売が続けられることになった。
 180SXの基本コンポーネンツは最後までS13だったが、途中でマイナーチェンジを繰り返してパフォーマンスを維持した。96年には初のNAモデルであるタイプSが追加されている。
 車重はやや重く、ハッチバックボディでリアの剛性が不足していたため、走りではシルビアに劣るといわれたが、チューニングパーツが続々とリリースされてその弱点は克服された。多くのファンが独自の改造を施し、オリジナルモデルが生まれたのもこの180SXの特徴だ。そうした中で、フロントマスクをS13シルビアに改造したモデルは、特別に「シルエイティ」と呼ばれている。
 2014年8月8日のアップデートにて実装、AL作戦/MI作戦最終マップのE-6の突破で手に入る。
 同時実装の時津風と共に、Z1Z3に次いで実装された数少ない初期金レア駆逐艦娘である。
 歴戦艦中の歴戦艦としての史実を反映してか、一部能力が標準よりも高めになっている。詳細は磯風改を参照。
 改造可能レベルがLv45と非常に高く、浦風を超えて駆逐艦第一改造Lvは1位になった。このレベルは第一改造としては大和改伊号潜水艦401以外)、雲龍に続いてのレべル改造となる。改になると母港台詞が変わる。「笑ってる内にやめような。」が好きな場合は改造しないでおくのも一考。
 磯風実装を持って第17駆逐隊を編成できるようになった。内訳は磯風・浦風浜風谷風雪風の5隻である。第16駆逐隊同様こちらも編成任務が来れば最難関クラスか
 図鑑の一覧で浦風と手をつないでいるように見える。
 磯波と間違えて解体する提督もいるので注意を要する。E-6では磯波もドロップするためロック等を間違えやすい。
 磯風は陽炎型の12女。昭和15年11月30日竣工、佐世保工廠生まれ。磯風・浦風谷風浜風で開戦時の第17駆逐隊を編成できる。雪風浜風天津風と並ぶ、陽炎型の中でも最末期まで戦い抜いた歴戦の駆逐艦。
 雪風とは生まれ(造船所)が同じ(佐世保工廠)だったり、最期に乗員救出・磯風の処分を行ったのが雪風であったりと何かと縁がある。
 参加海戦は主要なものだけでも実に10回。真珠湾攻撃から坊の岬沖海戦まで、帝国海軍の作戦には常に参加。帝国海軍の栄光と終焉は駆逐艦磯風とともにあった。その参加した主要海戦名を挙げるだけでも次の通り。真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、ケ号作戦、第一次・第二次ベララベラ海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、坊ノ岬沖海戦…どれだけ名だたる激戦をくぐり抜けてきたかが分かるだろう。
 ミッドウェー海戦には空母機動部隊の直衛として参加し、対空戦闘に従事。至近弾で小破したものの、浜風とともに蒼龍の生存者を救出している。
 ガダルカナルでは弥生と共に作戦に従事していた時、米軍の空爆を受け磯風は回避するものの弥生は撃沈されてしまう。空爆が激しくその時は弥生の乗員の救助が出来ずに退避し、その2週間後に生き残った弥生の乗員を救助している。
 ケ号作戦には3回とも参加。2回めの際、救助された百武晴吉陸軍中将を磯風乗員がそうとは知らずブン殴ってしまったというエピソードがある。同作戦第3回目の時に艦首へ直撃弾2発を浴び大破炎上、舵まで故障したが、長月時津風の曳航の申し出を断り、自力でショートランドまで帰還した。艦首の損傷は凄まじく、南雲忠一中将は「これほど損傷した艦をよく連れ帰ってくれた」と乗員を賞賛し、湯田温泉への慰安旅行をプレゼントしたほど。

●日産/シルエイティ'98

・パフォーマンスポイント(PP):450
「ユーザーが生んだ、奇跡のオリジナルFRマシン」
(車両解説は上記の「磯風」と変わらないため、省略)
 浦風改時津風改同様に12.7cm連装高角砲(後期型)を装備している。また、大淀改同様13号対空電探改を持ってくる。
 以下、ステータスに関する情報。火力上限が48と初期に実装された陽炎型達比べて1低いのは他の後に実装された陽炎型達と共通。耐久値が他の陽炎型より1高い。海外艦の1回改造と同値だが装甲に勝るため総合的な耐久力ではこちらが上回る。浜風と同様対空戦闘を多数経験していることから、対空が64(陽炎型の標準は49)と大幅に高い。これはZ1 zweiと同値であり、駆逐艦の1回改造としては堂々の最高値。開戦直後の真珠湾から最後の海戦である坊ノ岬の最後の最後まで数々の激戦を戦い抜いた経歴から、運も戦没艦としては最高クラス。ただし生存艦の壁20は超えられておらず、カットインを安定して狙えるほどではない。それでも生存艦でも超えられていない艦が居るのに比べればまだマシかも知れない。
 時報によると料理が壊滅的な模様で提督(プレーヤー)が逃げる模様。一方15時でおやつを食べると無駄なバルジができると発言したり間宮アイスでキラキラになるくせに……。、16時で提督が輪形陣を選択する一方単縦陣を推し進めたりする。
 詳細は磯風にて。
 天津風と同じく改造後のイラストに変更点があり、セーラー服のデザインが変わり、スカーフが大和と同じ注連縄になり、主砲を高角砲に持ち替えている。また、頭に電探と思わしきアクセサリーがついた。史実での装備からすると13号電探であろうか。艤装の煙突、長い方の靴下、制服の胸元の3箇所に菊水マークが描かれている。これは沖縄への出撃前に煙突に菊水マークが描かれたことにちなんでいるのだろう。カードでは見にくいが図鑑の全身像や近代化改修成功時の画面で確認できる。


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