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「艦隊これくしょん ~艦これ~」キャラマシン大公開!("軽巡洋艦"編) その2

2014/05/02 18:13 投稿

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運営よ、1万文字までとか聞いてないんですけど…許容オーバーしたため分けますorz

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※パクリは厳禁。及び画像は無断使用を禁じます。
※車両説明は同じクルマ(S2000やGTO、NA型・NB型ロードスター等)を除き、完全版+オリジナルの解説(分かんない人のために艦隊の歴史等を艦これWikiから一部引用)のみ記載します。
※画像は「グランツーリスモ6(GT6)」となります。

川内
●トヨタ/プリウス G'02

・パフォーマンスポイント(PP):368
「夜間走行ならお得意の初代プリウス」
 1997年12月にデビューした世界初の量産ハイブリッドカーが、トヨタの初代プリウスである。
 ハイブリッドカーとは、内熱機関の弱い部分を電気モーターで補い、燃費効率を高めた自動車である。プリウスの場合は、58PS(初期型)を発揮する1.5Lの直列4気筒ガソリンエンジンを、40PS相当の電気モーターが助けて走る。おおまかにいえば、発進は極低速域が得意なモーターで行ない、通常走行はガソリンエンジン、急加速したい時はそこにモーターも加わるといった具合だ。
 さらにアクセルを戻したりブレーキを踏むと、駆動モーターを逆に発電機として使って電気を起こし、その電気を蓄える。これを回生と呼ばれる。プリウスはこうしたそれぞれの働きをTHS、トヨタ・ハイブリッド・システムという技術で統合制御している。このTHSが優れていたのは、エンジンとモーターの動力を配分する遊星歯車を変速装置として使い、トランスミッションを不要にしてしまったことである。
 その結果プリウスは、1.5Lセダンとしては画期的な燃費性能を身に付けた。デビュー当初の10・15モード燃費は、1Lあたり28.0km。普通のセダンの1.5倍から2倍に相当する数値である。しかも98年にはその数値を29.0km/Lにアップ、さらに2002年のマイナーチェンジでは31.0km/Lという驚異の数値を達成したのである。
 その走り味は、モーターとエンジンが生み出す不思議な感覚。まさに新しい乗り物を運転する感覚にとらわれる。この初代が成し遂げた偉業は、その後の2代目、3代目でさらに磨きがかけられることになるのだ。
 艦これ界切っての夜戦バカしかも公式設定。仕舞いには家具になる程。黙ってればかなりの美人さんなのに。
 大戦当時の最新鋭軽巡洋艦、川内型の1番艦にして第一艦隊所属の三水戦旗艦。彼女より後に生まれた軽巡は、重巡になった最上型利根型を除けば阿賀野型と大淀(共に大戦中に竣工)。……鳳翔さんと2歳しか変わらず、主砲が14cm単装砲7門の時点で最新鋭(?)なのだが他軽巡よりも比較的優先されて改装を受けた。もっともその優先されていたのは妹二人で、川内さん本人は意外と改装の機会を逃しているが。八八艦隊計画により建造された川内型は、当初8人姉妹となる予定だった。しかしながら、ワシントン海軍軍縮条約締結により川内神通那珂の3隻で建造が打ち切られた。生まれなかった妹たちの名前には加古、綾瀬、水無瀬、音無瀬が予定されていた。この中で加古のみ予算と名前を流用し、古鷹型重巡として建造された。それ以外には、「綾瀬」が戦後護衛艦の艦名「あやせ」として採用されている(1970~1996)。
 名前が読みづらいが「せんだい」と読む。「かわうち」や「かわち」、「こうち」と間違えられやすい。実際、瑞鶴に間違えられている。軽巡の名前法則(川名)に則って元ネタは川内川。宮城県ではなく熊本県・宮崎県・鹿児島県の九州三県を流れている川。河口にある薩摩川内市に九州電力川内原子力発電所がある為、とくに九州内では最近よく耳にする地名だったりする。ちなみに、「かわち」だと河内型戦艦1番艦「河内」(1918(大正7)年に爆発事故で沈没。多分艦これには実装されない)になってしまう。
 5500t級は瓜二つというか瓜14つな外見と性能だが、川内型だけは煙突が一本多い4本なので見分けやすい。その川内型でも彼女だけ艦首形状が違ったり改装で煙突が短くなってる(神通・那珂は一番前の煙突が一つだけ長いまま)ので、川内型の中でも彼女は見分けやすい。実は妹たちも川内のような艦首(スプーン・バウ)のはずだった。しかし、味方に衝突して艦首が吹き飛んだとか造中の災害に依る損傷で一カーンカーンカーン解体されたなどの経緯で艦首を新調(ダブルカーブド・バウ)したという経緯がある。そのため、逆に彼女だけが浮く羽目に。ファミ通のイラストコラムでも触れられているが実は四連装魚雷発射管は装備しておらず、(二)連装魚雷発射管だったりする。川内は連装を四基、妹二人は四連装二基で一度の発射数自体は変わらないが酸素魚雷未対応と次発装填装置がない点で大きく劣る。資料などでは”川内型の性能”という形で纏められた記述の資料が多く、そこでは那珂基準の四連装魚雷発射管装備となっている場合が多い(アオシマのプラモのパッケージとか)。そのため腰に付けているのは四連装魚雷発射管になったのだと思われる。5500t級軽巡は後の型になるにつれ少しずつ装甲範囲が増えている。後期の型ほど耐久値が高いのはそれ故か。
 夜戦バカなのは史実を反映してのことで、参加したほぼすべての海戦が夜戦。最期の戦いも夜戦。ただ、(当然ながら)昼間もちゃんと働いていて、マレー沖海戦では綾波らとともに敵潜水艦を「昼間に」撃沈している。ちなみにこの時の初撃は川内搭載の九四式水偵の爆撃だったりする。それにむしろ昼戦で活躍した軽巡を探すほうが難しいのだが……。じゃあやっぱり昼間も活躍してたんじゃないか、と思うかもしれないが上記の対潜時は主に駆逐艦が働いていた。まあ川内さんは旗艦と言う立場上、駆逐隊の指揮を取るために自ら潜水艦に突っ込んでいくわけにも行かなかったからなのだが。艦これでの彼女は他がドン引きする程の夜戦厨であり、夜戦に対して特別な上方向修正でもありそうなのだが、夜戦時の性能は普通の軽巡だったりする。おいどうした。(→改二フラグ立たないかなあ)もっとも妹の神通など彼女なみのぶっ飛んだ夜戦を繰り広げた艦は多いため、当たり前といえば当たり前かも知れない。
 第三次ソロモン海戦第2夜戦では、偵察の為の先遣隊として前進する彼女の水雷戦隊を霧島・愛宕・高雄らの本隊が敵艦隊と誤認し、射撃寸前に味方だとわかり慌てて射撃中止。危うく味方に沈められるところだった。彼女は米戦艦(ワシントン)から40.6cm砲弾の釣瓶撃ちを受けて、敵が「巡洋艦が転覆した」と錯覚するほどの水煙に包まれたという。しかしそこは夜戦バカ夜戦のエキスパート川内様。直撃弾は1発ももらわず、さらに米艦隊と並走。その後煙幕を張って距離を取った。この時開戦以来長く連れ添っていた綾波が島影で通信を遮られた状況で突入。獅子奮迅の激闘を繰り広げた。川内達が目を引き綾波が単独突撃で敵を混乱に陥れた隙に敵側面に回り込んだ長良率いる第10戦隊の雷撃機会を作るという奮戦だった。また妹神通が沈んだコロンバンガラ沖で敵からの空襲爆撃を受け雪風達と応戦。この時も無被弾であった。
 ブーゲンビル島沖海戦で、先頭を走っていた彼女は、魚雷発射のために回頭しようとしたところで集中砲火を受けて機関停止。この影響で後続の五月雨と白露が衝突する事故も起こったが、指揮下の駆逐隊(時雨、白露、五月雨)は雷撃を成功させた。戦闘後取り残された彼女は、妙高との衝突などで大損害を受けていた初風とともに敵艦隊の乱打を浴びた。彼女らの奮闘の甲斐もあり、妙高・羽黒・長波らの残存艦隊は無事戦場を離脱できた。艦長らはなおも突撃を諦めず、川内の命と引き替えの覚悟で生き残った缶に海水を注入し再始動を試みたが、肝心のスクリュー軸が折れていることが判明。ここに彼女の死が確定した。味方の離脱と川内乗員の退艦を見届けた彼女は、運命を共にした艦長らとともに、夜明けのソロモンの海で眠りについた。
彼女の名はあぶくま型護衛艦の4番艦に受け継がれた。同型艦にはじんつう(神通)もいるが、今回はこちらが妹である。あだ名は[River Monster]・・・・[Night Monster]の方がよかったのでは?本艦には河童をモチーフとしたマスコットキャラが存在するが、名前の由来となった川内川は、河童の伝承が残る場所の1つである。尚現地では「がらっぱ」と呼ばれ親しまれているとのこと。
 なおそんなに夜戦を愛してたまらない彼女であるが、残念ながら提督の夜戦(意味深)には愛宕の方が選ばれる模様。Pixivやニコニコ静画の投稿枚数には現時点で10倍程差がある…。これに加え公式漫画では駆逐艦好き(いわばロリコン)という設定まで追加。「可愛い駆逐艦達と夜戦なんて嬉しいなぁ!」という犯罪者染みた発言もしており、ネタキャラとして磨きがかかった。一部では声帯の妖精さんの性格が感染ったと疑われている。
 他の艦娘のよく話題に出す夜戦バカは99%彼女のことを指しているとみて間違いない。現在川内を話題にした艦娘は夕張(22時)・鬼怒(23時)・翔鶴(20時)・瑞鶴(20時)・熊野(夜戦突入)・阿武隈(夜戦突入)・初風(22時)・長波(20時)(・名前は出ないが時雨改二(20時))の8(+1)人。
 昭和14年、第一艦隊の海軍料理コンペでランクインしたとか。掛け軸みるかぎり達筆のようだし、料理上手とか、意外と女子力高い?搭載出来る物資の量と居住性の都合上、軽&重巡洋艦は主計が献立に四苦八苦していた。そんな中、川内の主計は栄養価が高くて骨ごと潰すだけで加工できるイワシに注目し、揚げ団子にして出品したところこれが大ウケ。そのレパートリーは「レストラン並み」と名を馳せる金剛伊勢扶桑赤城達大型艦陣に次ぐ評価を賜った。ちなみに一水戦旗艦である阿武隈は虎の子の巻焼き(卵焼き)を出したが、色々レギュ違反ぽかった為まさかの無評価。(兵員食で卵焼きを数百~数千人単位で用意なんて余裕の有る大型艦でも容易に出来るものではない。多分可能なのは大和型姉妹位)このコンペ、間宮さんも参加(あくまで参考出品でランキングには不参加)しており、「豚肉の信田巻き」を出品したという。
 トヨタが生み出したハイブリッドカー、プリウス。夜戦に向いているかは不明だが、実用性は完璧のようだ。

●トヨタ/プリウス G チューンドカー'02

・パフォーマンスポイント(PP):368
「さらにハイブリッドシステムを強化した夜戦仕様の初代プリウス」
(車両解説は上記の「川内」と変わらないため、省略)
 2014年6月20日のアップデートにて実装。改造レベルは神通改二と同様のLv60。ちなみにこれで川内型三姉妹は全員改二が実装されたことになる。全員改二という点ではちとちよ利根型姉妹に次ぎ、3人以上の改二という点ではハイパー金剛姉妹に次いで3種目。
 改造すると夜戦装備として探照灯、と新規実装の照明弾、そして九八式水上偵察機(夜偵)を唯一持って来る。なお照明弾探照灯の方は綾波改二初期装備で持って来てくれる。
 グラフィックは数々の夜戦押しの結果なのか、全体的に忍者を連想できる衣装及びポーズになっている。
 ステータスだけ見ると神通改二に劣る部分があるが那珂改二とはほぼ同等の能力。さらに持参するレア装備の数々により育てる価値は十分ある。夜戦で効力を発揮する雷装と、大破による戦力外化を避けるためなのか耐久・回避が高め。さすが夜戦一筋。逆に軽巡としては対潜が低く、天龍龍田夕張に次ぐように下がる。燃費や装備を考えると実質的に軽巡最低クラスである。対潜ってことは夜戦ないんでしょ?じゃあ行かなーい。ただし、現状の対潜攻撃にはステータスより装備の補正値のほうがずっと強く影響するため、装備を整えてあげれば他の艦との差はほとんどないのであまり気にしなくてよい。
 細かい事はパワーアップ前を見てね。改二予告で話題となった第三水雷戦隊旗艦を開戦時に務める。麾下には吹雪型の第11駆逐隊や綾波型の第19駆逐隊、4個水雷戦隊の中で隷下艦の平均艦齢が一番高い熟練戦隊を率いていたわけである。もっとも、比較的性能が似通っていた特型駆逐艦で統一された三水戦。一方、型・初春型・白露陽炎型と性能も建艦時期もバラバラな一水戦。運用する側にとってどっちが使い易かったのかは興味のあるところ。護衛部隊でありながら前線に駆り出されてきたあたり、錬度が高い分こちらが便利なのかもしれない。
 ちなみに史実での追加装備は21号対空電探25mm三連装機銃である。胸元に21号電探を模したアクセサリがついているのが確認できる。中破絵ではなぜか手袋の形状が変わっている。
 改二仕様。パフォーマンスポイントは大して変わらないのだが、新たにGTウィングを装着。空力を使った安定性を図る。元々魔改造だからチューン要素が見当たらない。足回りを極端に車高を下げたり、ブレーキをリア寄りにしているにあたり、そうそう夜戦仕様となっている。

神通
●トヨタ/プリウス G ツーリング セクション'03

・パフォーマンスポイント(PP):---
「ハッチバック型に移行した、次世代の門を開いたハイブリッドカー」
 2003年9月、2代目トヨタ プリウスがデビューした。電気モーターとガソリンエンジンによるハイブリッドカーであるプリウスの2代目のポイントは「ハイブリット・シナジー・ドライブ」をコンセプトに、エコロジー性能とパワーを同時に向上させたところだ。
 最大の特徴は、パワーユニットがトヨタ ハイブリッドシステムⅡへと進化したこと。原理は従来通りだが、制御電圧を500Vにアップさせている。これにより、モーターの出力は約1.5倍の50kWに向上。専用の1.5L DOHCエンジンも摩擦の低減などで77PSに向上。両者をあわせると、2Lエンジン並みの動力性能を獲得した。
 さらに高張力鋼板、樹脂などの採用によりボディを約150kg軽量化。回生ブレーキの性能向上もあって、10・15モード燃費は当時世界最高の35.5km/Lにまで向上した。
 ボディはプラットフォームをイチから設計し直し、軽量かつ高剛性にするとともに、4ドアセダンをやめてひとまわり大きい5ドアハッチバックフォルムを採用。高い居住性と広い荷室を獲得した。
 インテリアは斬新で未来的なだけでなく、質感や使い勝手もいいユニバーサルデザインを採用。視線に移動が少ないセンターメーター、小径で楕円のステアリングホイール、日本初のエレクトロシフトマチックなどを備えている。
 さらにユニークなのは世界初のEVドライブモード。充電レベルにもよるが、55km/h以下なら約1.0kmを完全に電気自動車として走れるのだ。足まわりを強化した仕様もあり、使い勝手を犠牲にすることなく自然と環境に優しい走りができるクルマなのだ。
 「夜戦バカ」の長女「艦隊のアイドル」の三女というキャラの濃い姉妹に挟まれて、ちょっと存在感が薄くなっている川内型の次女。しかしながら史実では、図鑑でのセリフ通り奮戦する活躍を見せている。「みんな私の事狙うんですもの…ひどいわ……」流石に灯りを点ければ狙われます。
 開戦時、神通の所属は「聯合艦隊 第二艦隊所属第二水雷戦隊」。そして同戦隊旗艦。
神通「どのような部隊か?……ですか?………わかりました、ご説明致します…」帝国海軍において、前衛部隊として敵艦隊に真っ先に突入していくのは第二艦隊である(第一艦隊も基本は同じだが、こちらはどちらかといえば迎撃・防衛戦寄りの決戦部隊)。その中でも、突撃の先陣として魁を務めるのが同艦隊所属の第二水雷戦隊(通称:二水戦)と第四水雷戦隊(同四水戦)。このため、二水戦と四水戦には常に最新鋭の駆逐艦、最高練度の乗組員が集められ、ここに配属されることは装備、人員ともに最も名誉なこととされていた。具体例として、二水戦含む水雷戦隊がガンガンぶっ放した敵に引導を渡すために放ち続けた九三式酸素魚雷は、当時の値段で4万円。当時の税収が植民地分も含めて約12億円、平時の国家予算が概ね27億円。これらから勘案し、現在価格にしてみると1本約3億円(価格比較→ブガッティ・ヴェイロン:販売価格日本円で2億円)。現在、海上自衛隊が使っている魚雷は2千万円、諸外国は数百万円なので、日本は伝統的に魚雷にアホみたいにお金を使って重点を置いている。四水戦は、海軍の駆逐艦の損耗と、開戦当時の艦隊決戦思想が時代にそぐわなくなったこともあって、昭和18年に解隊されてしまったが、二水戦は最後まで敵艦隊にいの一番に切り込みをかけて直接漸減を敢行する、帝国海軍最強のみならず全世界最強の艦対艦雷撃能力を有するクレイジー超々精鋭集団だった。人呼んで『華の二水戦』。その旗艦を聯合艦隊編成以来最も長く務めたのが、他でもない彼女なのだ。
 神通誕生から2年後の1927年(昭和2年)8月24日、島根県美保関沖。徹夜で行われた夜間無灯火演習中に、神通は樅(もみ)型駆逐艦「蕨(わらび/艦これ未実装)」と衝突事故を起こしてしまう。神通の艦首はイ級の顎のような形にえぐり取られ、蕨は92名の犠牲者と共に海に消えていった。Wikipedia等に於いて「美保関事件」で検索をすると、艦首をえぐり取られた神通の画像を見ることができる。さらに、那珂も回避行動を取ろうとして樅型駆逐艦「葦(あし/艦これ未実装)」と衝突。沈没こそ免れたものの28名が死亡という大惨事に。この事件により起訴された神通艦長 水城圭次 大佐は「すべて自分の責任」と述べ、判決前日に自決してしまった。過重な訓練を課した連合艦隊上層部は、その責を問われなかったと言う。なお、蕨の艦長だった五十嵐恵少佐(殉職後中佐)は海軍大学校時代、水城大佐の教え子であった。自分が教え子を死なせてしまったという事実が、水城大佐の精神をさらに追い詰めたのだった。また、五十嵐艦長は原忠一、山口多聞とは海軍大学校の同期であり友人同士でもあった。五十嵐の死後も彼らは五十嵐邸に度々訪れたという。視界不良の暗夜、戦艦部隊から探照灯を直射され一時的に目潰し状態になったことや、難聴の水城大佐が乗組員の警告を聞けなかったことが直接の原因ではある。しかし、根本的には危険な猛訓練の繰り返しが引き起こした事故であった。その訓練とは、実戦を想定どころではなく、両軍の巡洋艦が高速で駆け回る中を、駆逐隊が間隙を縫って突撃するという、実戦以上に過酷且つ想像の範疇を超えた状況を想定したものであったという。当時はワシントン軍縮条約の建造制限の中、東郷元帥の言った「訓練に制限なし」が合言葉。しかも、条約反対派だった時の司令長官加藤寛治大将はこの演習の際「まだ足りん、まだ足りん」と水雷戦隊を叱咤し、更なる猛攻撃を要求。水雷戦隊側も「今度は長官をギュッと言わせてやる」と目の色を変えていきり立っていた。おまけに、蕨と葦の所属する第27駆逐隊はスケジュール消化の都合で臨時に二水戦に編入された部隊で、暗夜航海訓練すら未実施だった。計画書を見た一水戦の小沢治三郎参謀は「指揮系統も練度も違う駆逐隊を入れるのは危険だから外すべき」と進言したが、上層部は「もう発令済みだから」と強行させたのだった。その結果がこれである。神通艦長だけの責任でなく、ありとあらゆる無理がついに破綻した結果の大事故であった。この時といい最期といい、探照灯とは切っても切れない何かがある艦だったのである。公式4コマで肝試しの際、神通と那珂がそれぞれ蕨と葦の藪に突っ込んでいる場面があるが、その元ネタがこの事件である。ただ『これさえこなしておけばあとは何も起こらないでしょ』と笑顔で言えるかどうかは読まれた各提督の判断に任せる次第である。
 「月月火水木金金、日々是訓練」と言う、常軌を逸した猛訓練の末に惨事を起こした神通だが、その後も危険な訓練を繰り返し続ける。
 1935年(昭和10年)5月に行われた襲撃演習は、かつての美保関事件の時と同じく視界の利かない暗夜での訓練だった。出会い頭に戦艦山城が探照灯を照射するや、神通も照射し返してお互いに目潰しを食らわせつつ、真一文字に突撃していった。速力全開の反航戦を以って一気に肉薄し魚雷を叩き込む、二水戦司令官有地少将考案の通称「逆落し戦法」である。反航戦とは、艦隊同士がすれ違いざまに砲雷撃を行う状態を主に指す。少なくとも諸外国では、艦艇で真一文字に突撃していく様を反航戦とは言わない。それ特攻や。主砲や魚雷管は通常、艦側面に向けて撃つことを想定して配置されている。艦正面の相手に対しては、大抵の艦が前面に配置された砲塔のみでしか応戦出来なくなる訳だが、戦艦等の格上を相手取る水雷戦隊からすれば、離れた場所ですれ違うよりも真一文字に突撃したほうが被害を抑えられる可能性が高い訳である。目潰し状態のまま山城も神通も互いに一歩も譲らず、チキンレースの様相を呈しつつあっという間に距離3000を切ってしまう。山城では危険を感じた参謀長がたまらず「艦長、取舵!」と叫んだが、南雲忠一艦長(当時)は「参謀長に指揮権はない!面舵一杯!」と怒鳴りつけたと言う。同時に神通もようやく面舵を切り、山城と神通はわずか数十メートルの距離を相対速力100km/h以上ですれ違った。これと同時に、神通指揮下の駆逐隊の発射した演習魚雷が数本、燐光を発しながら山城の艦底を通過。実戦なら見事命中である。両者ともにあと数秒舵を切るのが遅ければ、また山城がもし取舵を切っていたら、間違いなく神通が真っ二つになるところだった。演習後、神通からは「ヒヤヒヤさせるじゃないかいな」と冗談めかした発光信号が発せられたが、誰も笑わなかったという。このような殺意剥き出しの激烈な訓練を繰り返していたのである。そりゃ事故も起こる。上述の例はまだ避けられたからよかったものの、深雪様電ちゃん衝突事故や、北上様vs阿武隈の衝突事故など、美保関事件の後も度々視界不良下や夜間演習中の事故は頻発していた。
 コロンバンガラ島沖海戦(第二水雷戦隊の旗艦として参戦)は、神通の名を世界に知らしめた海戦である。神通は、味方駆逐艦の雷撃照準を助けるべく、先頭に立って探照灯による照射射撃を敢行。もちろん敵艦隊から見れば絶好の的であり、軽巡三隻から合計2600発余の集中砲火を浴びて大破。しかし、神通が被害担当艦となったお陰で味方艦への砲撃は殆ど無く、第二水雷戦隊はほぼ無傷のまま接敵に成功。雷撃により、敵駆逐艦一隻を撃沈、軽巡三隻と駆逐艦二隻を大破させた(ただし駆逐艦二隻の大破は、魚雷を回避しようとして衝突したのが原因)。神通以外の唯一の被害は、雪風が後部甲板に不発弾を受けたのみ。雪風は沈みません!上記のように自ら身を挺した神通であったが、ただ囮になっていただけではない。大破炎上しながらも反撃で7本の魚雷を発射し、更に大爆発で真っ二つになりながらも、沈没の瞬間まで生き残った砲で盛んに砲撃戦を続行した。その凄まじい闘志がこの戦果を呼び込んだのであろう。なお、敵軽巡「リアンダー」を大破させた魚雷のうち1本は、神通が発射したものであると言われている。余談となるが、本海戦での米海軍唯一の喪失艦であるグウィンは、第三次ソロモン海戦第2夜戦で綾波無双の結果中破し戦線離脱を余儀なくされ、最終的に同夜戦に参加した米軍駆逐艦で唯一喪失を免れた幸運の持ち主だった。結果的に帝国海軍の武闘筆頭たち&異能生存体と立て続けに交戦するはめになったことが、彼女最大の不幸といえるのではないだろうか。
 後にアメリカの戦史研究家サミュエル・モリソン元海軍少将から「神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である」という賞賛をうけた。米軍資料によると、彼女の最期の戦いとなったコロンバンガラ島沖海戦では、艦首以外が沈んだ状態で2時間以上も1番砲のみで砲撃を続けていたらしく、その様子は畏敬をもって激賞されている。モリソンの賛辞はこの時の奮戦ぶりと、開戦以来の武勲に対するものであろう。美保関事件で沈んだ蕨の思いもこれで遂げられたかもしれない。
 夜戦において旗艦が探照灯をつけることは危険な任務であり、司令部要員に危険が及ぶ事例も多い事実、神通に乗っていた第二水雷戦隊司令部&艦長以下の艦橋要員も、艦橋に命中した敵弾によって壊滅した。またそれにより退艦命令を出す者がいなくなってしまい、最後まで戦っていたのはこのあたりも関係している。神通の生存者は米軍輸送艦に救助された2名、および味方伊号潜水艦に救助された21名程度であるといわれる。6日前のクラ湾夜戦においても、第三水雷戦隊旗艦新月が探照灯を使って司令官(秋山少将)が戦死しており、たった6日間で水雷戦隊司令官が二人も戦死しているのである。神通個艦としては大健闘であったが、たやすくは再建できない司令部が短期間に2つも潰滅してしまったのだった。また第三次ソロモン海戦の比叡の例もあって探照灯を使うのは控えて星弾(照明弾)を使うという通達があり、それを神通以下が守らなかったという説もある。が、前述のとおり神通が探照灯照射によって囮役になったがために味方の被害が僅少だったのであり、結果として的確な判断であったといえる。
 名前の由来は富山県を流れる神通川(岐阜県内では宮川)。海軍の艦船名で富山県にゆかりがあるのは神通のみである。川の名前は「じんう」と読むが、軍艦としての彼女は「じんう」と読むこととされた。ただし、河川法第四条第一項に定められた一級水系としては「じんう」と読む。そのため、国土交通省をはじめとする公的機関の文書中には「じんう」と「じんう」が混在している。彼女の名を受け継いだあぶくま型護衛艦の2番艦も「じんう」と同じ読み方である。ちなみにじんつうカレーは佐世保の護衛艦カレー大会で第3位となった。北上様名前読み間違いというか独自の訛りとは似て非なるものなので注意。
 カー・オブ・ザ・イヤーに輝けず、4代目スバル・レガシィに座を奪われた2代目プリウス。あくまでもハイブリッドカーであり、車載動画やドライブレコーダーでは…ね。アクセルベタ踏みするユーザー数知れず。前輪駆動というハンデみたいなものを背負いながら、日々走りに磨きを込める。

●トヨタ/プリウス G ツーリング セクション チューンドカー'03

・パフォーマンスポイント(PP):333
「チューニング要素が無い?それを論破したプリウスのチューンドカー」
(車両解説は上記の「神通」と変わらないため、省略)
 帝国海軍最精鋭部隊である「花の二水戦」こと『第二水雷戦隊』の旗艦を、最も長く務めていたのが神通である。凛とした佇まいに変更された改二は、そんな彼女の真の姿と言えるだろう。
 探照灯にまつわるエピソードの概要(詳細はこちら)1943年7月12日夜中、ソロモン諸島コロンバンガラ島へ向けての二水戦&輸送隊による鼠輸送任務を遂行中、これを阻止せんとする米艦隊(第36.1任務群)との間で夜戦(コロンバンガラ島沖海戦)が勃発。この時、戦力は二水戦の"軽巡1・駆逐5"に対し、米艦隊は"軽巡3・駆逐10"と圧倒的な差があった。旗艦であった神通は随伴の駆逐艦達の雷撃照準の為に先頭に立ち、米艦隊に対し探照灯による捨て身の照射射撃を敢行。当然目立つ神通に向けて米艦隊が集中砲火を開始、被害担当艦を買って出た形となった。船体は瞬く間に大破炎上、航行不能となり、伊崎俊二少将以下二水戦幕僚も戦死。それでも神通は怯むことなく7本の魚雷を発射、遂には大爆発を起こし、船体は真っ二つになるも、船体の前半分は夜が明けても沈まず、残った砲で砲撃を続ける奮闘を見せた。この逸話からか、中破絵でもボロボロになりながらも探照灯を光らせつつ7本の魚雷を向ける姿が描かれている。随伴の駆逐艦達は神通の探照灯を頼りに砲雷撃を開始、敵駆逐艦1隻を撃沈し、他軽巡洋艦3隻と駆逐艦2隻を大破に追い込んだ。帝国海軍は間隙を突いて戦場を離脱、米海軍は混乱の中追撃命令を出すも失敗に終わった。神通は撃沈までに計2,630発もの砲弾を浴び、乗員の死者は482名にも上った。彼女の尊い犠牲の甲斐あって、僚艦はほぼ無傷で1隻の脱落もなく、深夜の内に全輸送物件の揚陸に成功。輸送隊帰投の際、皐月・水無月が神通の捜索に向かうも時既に遅く、彼女の姿を見つけることは出来なかった。
戦果の詳細
  • 帝国海軍の損害
    沈没:神通
    小破:雪風
  • 米海軍の損害
    沈没:グウィン(駆)
    大破:ホノルル(旗艦/軽)、セントルイス(軽)、リアンダー(軽)、ブキャナン(駆)、ウッドワース(駆)
 彼女の敢闘ぶりを讃え、戦後、米国ハーバード大学の海軍戦史家サミュエル・E・モリソン教授(海軍少将)より以下の言葉が贈られた。――神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である――
 神通改二と同時に実装された『東京急行』のマップは上記コロンバンガラ島沖海戦がモチーフになっているものと思われる。また新BGMの『二水戦の航跡』『次発装填、再突入!』というタイトルからも、まさに2月26日は彼女のためのアップデートであったと言える。攻略の際はぜひ探照灯装備の上で旗艦に置いて、照射と共に夜戦開始の号令を発する彼女の勇姿を見てほしい。
 衣装の「鉢金」について、コロンバンガラ島沖海戦開始から翌早朝、取り残された神通の安否確認のため戦場に飛んだ味方偵察機が目にしたのは、既に真っ二つになり前半分が浮くのみとなった神通が、それでも尚生き残った一番砲で敵駆逐艦への反撃を加え続ける姿であった。白鉢巻姿で一心不乱に射撃を続ける砲員の姿がありありと見えたという。神通改二の巻いている鉢金は、この史実を反映したものかもしれない。このエピソードは雪風乗員大西兵曹の手記によるもので、書籍『雪風ハ沈マズ』に引用収録されている。
 改二仕様。あまりチューニングカーに向かない2代目プリウスを頑張って無理やりチューニングしたモデル。GTウィングをリアに聳え立たせ、パワーなどのアップされている。

那珂
●トヨタ/プリウス G'09

・パフォーマンスポイント(PP):362
「カー・オブ・ザ・イヤー2度受賞した、売れすぎる3代目プリウス」
 3代目プリウスが発表されたのは2009年1月のデトロイドショー。日本での発表は同年の5月だった。
 3代目では環境性能の向上だけでなく、ドライブすることの楽しさも追求。ハード面ではボディをシャープでスピード感溢れる空力的なフォルムへと進化させ、パワートレインもエンジンを1.8Lに拡大すると同時にハイブリッドシステムも90%以上を新開発。結果、世界トップとなる燃費性能38.0km/Lという驚異的な数字を打ち出したのと同時に、「積極的に楽しむ燃焼運転」とでもいうべき楽しみ方をより確固なものにした。
 エコドライブを楽しむ新たなユーザー層の増加はしっかりと数字となって表れ、当初は月販目標1万台としていたにもかかわらず、販売開始1ヶ月後には月販18万台という驚くべき数字を記録。高い燃費性能とドライビングの楽しさはその後もユーザーの心を惹き付け続け、2009年11月時点で車名別新車販売総合ランキングの首位を6ヶ月連続キープ。ハイブリッドを発展、確立させた貢献度は高く、プリウスは2009年のカー・オブ・ザ・イヤーを受賞した
 ちなみに「L」、「S」、「G」の3つのグレードにはメカニズム的な面では大きな違いはないが、装着タイヤや装備面で異なる部分は当然あり、マニアはそれらの違いで微妙に燃費が異なることを想定してグレード選びをするほど。最上級グレードの「G」には本革ステアリングやスマートエントリーシステムが採用されるなど細かい部分に上質感を漂わせているが、燃費を狙うには最高とはされていない。
 第三艦隊解放任務において必要になる川内型のうちの一隻。1-1から出るので、ドロップ狙いそのものには困らないはず。尖った能力がない凡庸パラメータかと思いきや、実は対潜初期値が24で軽巡中3位。1位(五十鈴由良)の40が飛び抜けすぎてて余り言及されないのだが。解体すると「燃2弾4鋼11」が得られるというのはよく知られたネタだが、これは初期装備の14cm単装砲の分も含んだ数値である。
 2013年クリスマス(12/24~27)限定で、XmasスペシャルボイスとXmasバージョンのグラフィックが公開された。Xmasバージョンのグラフィックはあくまで立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。なお下記の通り図鑑に限定イラストの登録が実装された。カードイラストも登録されたがこちらは図鑑限定。当初スペシャルグラフィックの図鑑登録はなかったが、公式ツイッターにて「軽巡「那珂」クリスマスバージョンは、更新された後も図鑑の残る仕様で現在更新準備中です」と告知され、2013年12月27日に実装された。何故那珂ちゃんが選ばれたのかは、インド洋のクリスマス島攻略部隊の旗艦だったからと思われる。(指揮官は西村祥治提督)公式4コマの22話のクリスマスネタでも同ネタが使われている。長良名取共に攻略艦隊のメンバーだった。しかしアイドルの常か、この舞台でアンチ潜水艦の執拗な攻撃(3回に渡って合計魚雷9本を撃たれ、最後の2本の内1本が命中)を受けて航行不能になり、名取に救われている(4コマで名取が引っ張ってるのはこれが由来)。中破絵の魚雷はこの際に食らっていたヤツ。また、右のお団子がほどけ、服の右側が大きく破れているのは、右舷を破損したことの反映か。この後、那珂ちゃんは約1年に亘る長期のオフに入る。一方、アンチ潜水艦のほうは2年半後に、親衛隊に襲撃味方駆逐艦に誤殺されるというまさかのオチに。インガオホー。なお、この時の潜水艦の名前はシーウルフ(Sea Wolf SS-197)。その名前は今も原潜に受け継がれている。独立国家やまとは無関係な2014年1月15日メンテナンスでさらに可愛く、強くなった那珂改二が実装。改造レベルが48と改二にしては低く、早めに戦力化できる利点も持っている。
 川内型3番艦ではあるが、本来は2番艦として設計されるはずであった。建造中の不運な事故(1923年の関東大震災)で大破してしまったために一度解体され、神通の後に再度建造されるにいたった。この再建造の際、艦首を5500トン級共通のスプーン・バウから、凌波性に優れたダブルカーブド・バウに変更している。因みに、解体された「那珂」の旧船体を利用して120トンの起重機船(クレーン船)が作られ、長い間横浜船渠(現在の三菱重工横浜製作所)で活躍した。(『三菱重工横浜製作所百年史』より)
 その後も、夜間無灯火演習中に巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」が衝突、それを避けようとして駆逐艦「葦」と衝突しお互いに大破している等、色々と不運な事故に見舞われているが沈没には到らず、その都度改修及び装備追加されるという幸運(?)もあり、かろうじて運は+-打ち消したということで通常値のままである。公式4コマ第8話のネタはこれが元になっている。
 1941年には姉の神通とともに魚雷発射管を換装、酸素魚雷発射可能になった。この時何故か長女の川内はスルーされて改装されなかった。そのかわりに何故か長良型のはずの阿武隈が改造されている。同じ艦首つながり?
 1942年3~4月のクリスマス島攻略作戦の際にはせっかく攻略部隊旗艦となったのに、潜水艦から魚雷1発を受け大破。名取に曳航されどうにか帰還することができた。この修理の際ついでに近代化改装も行われ、主砲1門を下ろして連装高角砲に交換した他、21号電探の装備や25mm機銃の大増設など、大幅な対空兵装強化がなされている。
 「艦橋天蓋から身を乗り出して戦車のように操艦」といえば雪風が有名だが、那珂も第24代艦長今和泉喜次郎大佐の発案によってこれを行い、成果を上げている。今和泉大佐はさらに独特の爆撃回避法を編み出した。徐々に増速しながら、通常とは逆に敵編隊めがけてふところに飛び込むように変針し敵機をまごつかせる。そして敵機の爆弾投下と同時に最大戦速を命令しつつ舵を一杯に切らせ、一挙に急転舵し敵編隊の後ろに回り込む。この回避法は効果を発揮し、五十鈴がてっきり「那珂がやられた!」と勘違いするほどの水柱を浴びつつ、全爆弾回避に成功した。歌だけでなくダンスも得意でなくては、アイドルは勤まらないのだ。
次女の神通が43年7月、長女の川内が同11月に戦没しているため、川内型では最後まで残っている。
 姉二人を失うも、ファンのために笑顔を振りまく那珂ちゃん。中破しても路線変更せず頑張る那珂ちゃん。なんだかんだでアイドルの鑑である。
 今和泉大佐の後を継いで艦長になった末沢慶政大佐は戦後手記の中で、「母港を出撃してから既に一年以上、トラック島を基地として色々な作戦に従ったが、艦の修理の為母港に帰る状態であった」「ところが僚艦などが損傷の為に帰港してしまったので、那珂はその順番を伸ばされていた」「しかし『無傷のふね』として、その武勲のめでたさを祝福されていた」と書き残している。
 そんな彼女の最期は44年2月のトラック島大空襲の時である。上記回避法を編み出した今和泉大佐がすでに転勤していたのもあるが、いずれにせよ膨大な敵機群に集中攻撃を受けては逃れるすべはなかった。米潜水艦の雷撃により航行不能となった巡洋艦「阿賀野」の救援活動の出撃中に起こった。不運にも別の米軍艦隊と戦闘になり、艦載機による攻撃を受けて沈没している。あれ?やっぱり運が悪い・・・?その後救援が間に合わなくなった阿賀野も沈没した。那珂の轟沈時の様子だが、実は米軍が撮影しており映像として今も存在している。艦載機に詰まれたガンカメラの映像から、トラック泊地で爆撃を避けながら奮戦する様子を、カラーで(今ではネット上でも)観る事が出来る。https://www.youtube.com/watch?v=LRAjb3RKbII
 艦名の由来になった那珂川の河口は、戦車ネタで過熱気味の茨城県大洗町である。磯前神社には軍艦那珂忠魂碑も建てられている。那珂ちゃんと三式中戦車に思いをはせつつ大洗町を訪ねてみるのもよいが、神社と忠魂碑にお参りの際は真摯な気持ちで参拝すべし
 歴代のマネージャー艦長や副長には後の第一航空艦隊司令長官の南雲忠一、後に潜水戦隊司令官・潜水艦隊司令長官を歴任した醍醐忠重、伏見宮博恭王海軍元帥の子息で第六駆逐隊司令も務めた伏見宮博義王など、姉妹艦と比較しても何気に凄い人揃いだったりする。
 演習中に衝突した深雪を曳航するお仕事もしている。しかし損傷の大きかった深雪は途中で諦めた。那珂ちゃん……
 自称「艦隊のアイドル」。アイドルというキャラ設定になった理由は諸説ある。「艦船図鑑の番号が48→AKB48→アイドル」と固まったもの。那珂→なか→中→センター→アイドル、という連想から。開戦と同時に行われたフィリピンの戦いと1942年末にジャワ島占領の際に行われた「陸軍第48師団」の輸送護衛任務に2度も就いていたため。
 MVPセリフの元ネタはAKB48の前田敦子が言った言葉。彼女に対してよく使われる「那珂ちゃんのファンやめます」の元ネタは「アイドルマスターシンデレラガールズ」スレで使われる「みくにゃんのファンやめます」という言葉である。同じアイドルかつ、何かと那珂がハズレキャラ扱いされるために使われだしたものだと思われるが、相手に不快な思いをさせる場合もある為使う場は考えましょう。グッスマカフェも解体ネタで荒れかけたし。さらにみくにゃんの元ネタをたどると、マクロスFのネタで「シェリルさんが○○って本当ですか?幻滅しました……ランカちゃんのファンになります」である。ちなみにランカの中の人(中島愛)は艦これで三隈衣笠伊168伊58を演じている奇縁もある。そして決まり文句の後に解体されたりするイメージのせいで何かと執拗に出る印象のある那珂ちゃんだが、実は最初の海域以外は他の軽巡とドッコイの出現率で+最初の海域では神通以上にレアだとか。というわけで外れレア扱いされるのは建造での登場頻度によるところが大きい。何故ならばどんな資源配分であっても出る可能性があるらしく、戦艦や空母狙いで大量投入した結果がナカチャンダヨーという悲劇も随所で絶えない模様。
 2013年12月のファミリーマートのキャンペーンでは、店外・店内それぞれに掲示されたQRコードを専用ARアプリで読み取ると、週替わりで数名の艦娘のいずれかがランダムに出現するようになっていたが、店内分については毎週那珂ちゃんが出現候補に入っていた模様。またこのQRコードを一般のQRリーダーで読むと、URLに「nakachan」および「nakachandayo」というIDが含まれていた(艦これ以外の電子の歌姫「初音ミク」などのキャンペーンでも使われるシステムのため、IDでキャンペーンを識別するようになっている)。きっと開発者も提督。店内には那珂ちゃんのスタンドパネルも設置されるという破格の扱いだった。なおキャンペーン終了後はカーンカーンカーン
 そんな艦隊のアイドルだっただけのことはあり、那珂ちゃんの名前は川内型グループで唯一、一代限りである。戦後まで人気が続かなかったとは言わない。復活の声こそあったのだが、先代(つまり那珂ちゃん)が色々とやらかした艦なので、縁起をかついだ海自の中の人があまり採用したがらなかったらしい。艦これでの人気爆発を機に復活させて欲しいものである。
 今でもアクアと共に売れ続け中のプリウス3代目。実用性高く、幅広い活躍ができる…のだが、運転に関してはユーザーの7割(多分)が荒いとか。よくよく一般車役に回されることも。普通に走れば問題ないのだが・・・。トヨタの命運で買わされたようなものか活躍中の那珂ちゃんである。その内、初音ミクにも敵対されるような・・・。

●トヨタ/プリウス ツーリングカー

・パフォーマンスポイント(PP):445
「ハイブリッドの本当の実力を思い知らしてやれ!」
 このモデルは、プリウス G(2009)を元に、「グランツーリスモ」が独自にチューニングしたオリジナルモデルである。
 以下でベースとなった車両を紹介しよう。
(ここから先の車両解説は上記の「那珂」と変わらないため、省略)
 アップデートの原因となった曲の元ネタは『艦隊これくしょん -艦これ- 鎮守府生活のすゝめ Vol.1 』に掲載された「きんのたま▼」氏の那珂と一航島風カラオケボックスイラスト(リンク先サンプル)のタイトル。もいたようで、「おそいのでさきにかえります」というメモがテーブルの上に残されていた)これに「『おいわ提督』こと『Gun-SEKI』」氏が実際に作詞・作曲してイメージソングを作り上げてしまったものがニコニコ動画に投稿された。
 装備は1942年4月初頭に豪領クリスマス島で米軍潜水艦シーウルフの攻撃を受け、舞鶴海軍工廠で修理された際に近代化改修を受けた時に搭載されたものに因む。5番砲塔を撤去して12.7cm連装高角砲を搭載、艦橋機能を強化して21号対空電探を装備した。酸素魚雷は
(1941年の改装)の時点で既に搭載していた。実際はこの他にも25mm連装機銃4基と25mm三連装機銃1基、九四式爆雷投射機1式、九四式水上偵察機、大発動艇が搭載された。
 「陸軍第48師団」の輸送護衛任務に2度就いており、ゲーム内で何かと縁のある48という数字は某アイドルグループを意識しただけのものではない。(たぶん)攻撃時に「握手や写真はいいけどぉ、贈り物は鎮守府を通してね♪」と言っている事から、この娘を使った際は、鎮守府にファンから大量の砲弾や爆弾、魚雷等が贈り付けられるので注意が必要である。(嘘)
 解体時の資源は燃4弾6鋼34ボーキ20。解体する提督もそういないだろうが。ちなみに装備を改前の初期装備14cm単装砲のみにして解体した場合は燃2弾4鋼11である。
 改二仕様。グランツーリスモが制作した架空のプリウス。SUPER GTではトヨタ渾身の出場しているが、このツーリングカー仕様とは異なる。後輪には業界用語"スパッツ"が装着され、エコバトルをしろと言わんばかりの存在感を放つ。ゼッケン番号は"48"…あっ(察し)

夕張
●日産/フェアレディZ(Z34)'08

・パフォーマンスポイント(PP):482
「ホイールベースを短縮し排気量を拡大。走りを極めた6代目Z34型フェアレディZ」

 2002年1月にデビューした5代目フェアレディZであるZ33型の後継として、2008年12月に発表されたのが、6代目となるZ34型フェアレディZである。
 スタイリングが成功作だったZ33型のイメージをかなり強く残しているため、マイナーチェンジかと思われたりもしたが、これは立派なフルモデルチェンジ。V36型スカイラインクーペと同じEプラットフォームを採用し、車体の安全性能を高めながらボンネットやドア、リアハッチなどをアルミ化するなどで車両重量を先代とほぼ同じ1480~1,530kgに抑えるという車体構造。ホイールベースはZ33型よりも100mm短縮され、基本的な運動性のよさを手に入れている。
 搭載されるパワーユニットは、バルブの作動角とリフト量を連動させて可変とするVVELを備えたVQ37VHR型で、最高出力は336PS/7,000rpm、最大トルクは37.2kgfm/5,200rpm。トランスミッションは、マニュアルモード時には世界トップクラスの変速スピードを実現する6速オートマチックと6速マニュアルがチョイスできるが、マニュアルはシフトチェンジのときにエンジン回転を最適に制御する世界初のシンクロレブコントロール機構を持ち、ヒール&トゥをする必要がない。
 またフロントがダブルウィッシュボーン、リアがマルチリンクのサスペンションや、フロント4ポッド、リア2ポッドのアルミ対向ピストンを持つ4輪ディスクブレーキも、コントロールのしやすさをテーマに徹底的に煮詰められた。
 歴代フェアレディZの中でも、最も走りにこだわって開発されたクルマといっても過言ではないだろう。
 ドロップするマップが少ない、レアな軽巡洋艦だが、建造なら最低値(all30)でも低確率で建造可能。レアだからと資材を多めに投入すると逆に出にくくなるという報告もある。
 通常の軽巡より装備スロットが1つ多いことが本艦の最大の特徴。(改造後は4)余裕ある装備の割り振りによって対艦特化・対潜特化・対空特化・万能艦どれにも変化。装備次第で激しく性格が変化する艦と言える。三式水中探信儀×2と砲×2でフラ潜の討伐と夜戦の両立が出来る。そのため軽巡では唯一、雷巡と差別化が出来ている。flagship潜水艦の撃墜を視野に入れた場合は、三式水中探信儀×2より、三式水中探信儀+三式爆雷投射機のシナジー効果が有用なケースもある。elite潜水艦なら三式水中探信儀×2でいいのだが…。 それでも稀に戦闘航路と陣形効果で撃ち漏らす。計算式の都合上、三式爆雷投射機三式水中探信儀を満載する場合、全艦中最大の対潜値を誇る五十鈴改二より4スロット装備可能な夕張改の方が対潜攻撃力が高くなる。真の対潜番長になりえる。対潜装備が大幅に強化され対潜の重要性が艦娘固有の数値から装備性能へと大きく傾いた事で、対潜における夕張改の優位性が決定的なものとなった。
装備を三式ソナーとする場合実質的な夕張改の対潜火力は120、五十鈴改二は103となる。同時に潜水艦2隻が新たに実装された事により対潜の重要性が増加。1スロットと引き換えにあまりにも多くの性能を失い微妙な立ち位置にいた彼女も、遂に存在意義を確立する事となった。対潜装備ガン積みってさすがにやりすぎじゃないの?という疑問は当然あるが、評価S勝利狙いなどの場合は撃ち漏らした時点で失敗同然なので、倒し損ねるくらいならオーバーキルの方が良いのである。この場合、中破して火力低下しても撃墜できる可能性もある。 ガン積みは正義2014年2月26日のアップデートで爆雷+ソナーのシナジー効果が攻撃力アップ+命中アップと強化されたため対潜ガン積みの場合ソナーに爆雷を混ぜるほうが威力も命中も安定するようになった。三式爆雷を持っていない諸氏は開発に励むか五十鈴改二を育てよう。秋のイベントで、新規軽巡として阿賀野能代矢矧が登場。ほとんどの数値で彼女らに負けているが、改造後4スロットになるのは未だ夕張のみ。ちなみに対艦特化(61cm五連装(酸素)魚雷×4)の雷装は127となり神通改二(雷装134)や島風改(雷装135)に一歩劣る。
同様に対空特化(10cm連装高角砲×4)の対空値は97となり五十鈴改二の105にやはり届かない。しかし対空特化の方は艦隊防空値が9.8となる為小さな対空番長としての役割はこなせるかもしれない。いづれもカットイン装備となる為相当数のまるゆの投入が前提ではある。打たれ弱さを逆手に取って夜戦までに小~中破させるブラッキーな運用法も……
 火力(ほんの若干であるが)・対空が高い部類である一方、耐久・回避・装甲全てが軽巡内で最下位。それも、僅差などではない。数値上、打たれ弱さはほとんどぶっちぎりである。その為他の軽巡より早く壊れやすい。防御面に限って言ってしまえば、駆逐艦とほぼ同値である。 下手したら駆逐艦に負ける。
 史実では燃費が非常に悪い艦だが、なぜか軽巡の中で最も燃料の消費が少ないのが彼女。(改造前限定。弾薬は逆に消費が多い)燃料のみを消費する遠征(海上護衛任務など)の軽巡枠に最適。弾薬消費の少ない天龍田と共に園児駆逐艦の引率者とする提督も多い。なお彼女の台詞には足の遅さをネタにしたものがあるが、速力自体は他の軽巡と同じく高速であるので、勘違いせぬ様に。
 幻の産廃兵器12.7cm単装高角砲夕張改の初期装備で入手できる。装備図鑑を埋めたいなら1人は改にする必要がある。だが、2014年1月29日のアップデートで追加された弥生も改造時に持ってくるようになった為オンリーワンとは言えなくなったのだが、相変わらずレア装備な事には変わりないだろう。
 2014年2月26日のアップデートで南方海域に追加された#5-4「東京急行」の針路固定要因として、ドラム缶をガン積みする姿が見られる。おかげでドラム艦なんて呼び名も…。 どんどん載せて。いい気持ちぃ  データもバッチリね!そして公式四コマ第36話でもネタとして…もう許してやれよ。ただし、ただでさえ耐久面が不安な夕張より、同じくドラム缶を4積みできる航空巡洋艦に任せるほうが戦力としては安心できる。当然ながら燃費は夕張の方が良いので、育ち具合などの諸々を考慮して選択すべし。
 艦娘として、愛称はメロンちゃん。勿論名前の夕張から。デザインも明らかに夕張メロンを意識している。残念ながらメロンらしきボリュームは見当たらないが……(ちなみに夕張メロンは1961年に誕生した品種)お昼ごはんには蕎麦をリクエストする。これは彼女が敬愛してやまない設計者、平賀譲造船中将が咽頭ガンで死の床にあった際に最期に食べたがったのが蕎麦であったこと、そして夕張市の名物がカレー蕎麦であることによる。登場時の紹介で「兵装実験軽巡」と発言しており、MVPにも類似の台詞があるため勘違いしがちであるが、某ヨーツンヘイムのように兵装そのものの実験は特にしていない。詳細は後述。
 軽巡洋艦として、当時予算の乏しかった海軍は、5500トン級と同等の戦闘力を有する「高性能な小型艦」の建造を望んでいた。そこに基本設計主任だった平賀譲造船大佐(当時)が提案したのが5500トン級の軽巡と同じ火力を3000トン級の船体に載っけようという男のロマンあまりにも画期的な物であった。流石にそう来ると思ってなかった海軍は「どう考えても無理じゃね?」「流石に無理だろ……」と反対したが、平賀氏の頑固な主張・説得に折れ、長良型4隻の内1隻分の予算を充てて試作する事になった。
 ともかく、実際に完成してみると、あまりにも独創過ぎる設計は世界中の海軍を驚かせた。詳しくはwikipediaへ。あのジェーン年鑑にも載ったのよ?それも特集(特記項目付き)で
 本艦の完成で自信を深めた平賀は、その後彼女を一回り大きくした古鷹型や妙高型を設計していく事になる。この夕張、平賀は基本設計という形のみで、詳細設計は後に平賀の後任となる藤本喜久雄造船少佐(当時)によるという説もある。
 単装砲の上に連装砲という独特の主砲配置、類似の形式は米軍のペンサコラ級のみ。こうするとより多くの主砲を積めるのだが、トップヘビーになり復元力や防御がおざなりになるためか、太平洋戦争に参加した中ではやや旧いこの2級しか存在しない。
 この連装砲は14センチ連装砲で(艦これ未実装)夕張と一部の軽巡洋艦である。だから手に持っているものもこれ。14センチ単装砲という主砲最弱の砲2つ分という夕張No2の産廃兵器とか言うな。この配置になった理由は他にもある。巡洋艦~駆逐艦程度の大きさの艦だと荒天の際上甲板も容赦なく波を被る事になるのだが、そうなると砲の操作に支障を来すどころでなく、波に叩かれて破損する事まであり得る。となれば砲はできるだけ高い所に置きたい。背負い式で混載なら、より強い砲塔を上にすれば荒天の際の戦闘力低下を少しでも抑えられる……という訳。また、揚弾機周りの設計や装甲配置がやりやすくなるという利点もあったとか。連装砲用の揚弾機を使えば、(人力揚弾である)単装砲の射撃速度も早くなるため。夕張・ペンサコラ級のほか、改装で主砲塔を削減したイギリス駆逐艦が「背負い式の上の砲だけ残した」例がある。また、5500トン級や睦月型以前の駆逐艦の後部主砲が上甲板から一段高くされているのも同じ理由である。
 彼女の艦尾には日本海軍の秘密兵器「連繋機雷」の投下装置が付いていた。このため単なる軽巡にもかかわらず、彼女のお尻はしばらく撮影禁止だった。しかし結局連繋機雷は実用の機会のないままに終わり、彼女の投下装置も昭和9年に撤去された。三川艦隊殴り込みの際、スクリュー故障を起こして30ktに低下し置いていかれそうになる。……兵装の重さ全然関係ないけどね。
 鈍足のイメージが強い彼女だが、初期段階では他の艦と比べて別に速度で劣っていたわけではない。それどころか5500トン級の川内型より速かった。機関は天龍型・球磨型・長良型が採用した重油専焼缶と重油石炭混焼缶の併用を廃し、重油専焼缶のみにして石炭を積む必要をなくした。さらに重油は石炭より燃焼効率が良いので速度の向上や航続距離の増大の効果もあるはずなのだが、夕張の機関は非常に燃費が悪くあろうことか航続距離が、重油石炭混焼である上重油搭載量や排水量がほぼ同じであるはずの天龍型の2/3しかなく、軽巡でありながら旧式駆逐艦より航続力がない艦になってしまった。つまり、水雷戦隊の指揮艦が配下艦艇と同行できないという事態になってしまう。あまりに壊滅的な燃費だったせいか、彼女の後に作られた5500t級の川内型では逆に重油石炭混焼缶が増えることになった。
 防御力は新素材を使用した甲鈑を艦船構造に組み込む等して装甲された場所に関してはほぼ同レベルのものを持っている。ただし、軽量化の都合で5500t級軽巡洋艦と比べ明らかに装甲面積そのものが狭い。と言うか面積だけなら天龍以下。排水量ギリギリで余裕がなかった天龍に更に1.5倍の武装をしたので当然の結果ではあるが……更に魚雷防御に関しても弱く浸水に弱かった。事実、自ら述べている通り機関室への被雷たった一発で沈んでしまっている。この浸水に弱い艦船構造は艦中央に隔壁を設けた設計方針による。日本巡洋艦共通の特徴なのだが、片方が浸水してももう片方まで水に浸からなくて沈まないぜ! と思ったら、片方だけ重くなるので転覆し易くなってしまったのだ。ちなみに同じことを海軍の師匠であるイギリスもやらかしている。大型正規空母アークロイヤルが、この原因で転覆沈没。ただこの隔壁のお陰で転覆するまでは航行できるので近くに港湾がある時に限れば逃げ切ることもできる、はず。
 本人も述べてる通り古鷹型をはじめとした日本の重巡洋艦は夕張のデータをベースに造られている。装備スロット数や改造可能レベルが重巡洋艦とお揃いなのはこの為だろう。ただ元が大型駆逐艦に毛が生えた程度のサイズである。モガドール級大型駆逐艦(仏)や嚮導駆逐艦タシュケント(ソ連)とほぼ同等である。対空を強化する際には主砲を2門減らし高角砲と機銃を増設しているが、余裕なスペースは無く船体は針鼠のようになり、速度も3kt以上も遅くなってしまった。
 艦名は北海道の石狩川の支流で、夕張を水源とする夕張川に因む。当時、軍艦の燃料は石炭であり、特に北炭夕張炭鉱の良質な石炭に、東郷平八郎元帥は感謝の念を抱いていたという。1923年(大正12年)、夕張炭鉱の鎮守社の夕張神社を再建する際、東郷元帥は社名を揮毫した扁額を奉納した。同年に竣工した軽巡夕張の艦内神社にも、夕張神社の分霊が祀られていた。1983年に、夕張の名を受け継ぐ護衛艦「ゆうばり」が就役し、大湊基地に配属、2010年に退役した。夕張市が財政破綻したとき、ゆうばりの乗員から集められた30万円が寄付された。
 1944年4月27日、パラオ諸島での輸送任務の帰りに米潜水艦「ブルーギル」が発射した魚雷6本のうち1本が機関室に命中し、航行不能となった。排水作業を行いつつ五月雨が曳航しようとするが、夕張が重すぎるためにうまく曳航できなかった。生存者全員を夕月(未実装)に移乗させ翌28日、浸水区画が広がり艦首より沈没した。
 何故Z34かはスルーで。あんまり夕張市や北海道に関係のないフェアレディZではあるが、そこそこラリーでの実績もあり、そのまま配給されたにちがいない。挙動も安定しており、無理なく走りが楽しめる。

阿賀野
●トヨタ/スプリンタートレノ GT-APEX(AE86)'83

・パフォーマンスポイント(PP):383
「峠からモータースポーツまで、幅広く愛されたAE86型トレノ」

 トヨタの主力車種カローラ/スプリンターは、1983年5月のフルモデルチェンジでFFとなった。しかしその中で唯一、スポーツモデルだけが例外的にFRを採用し続けた。これこそがAE86型カローラレビン/スプリンタートレノ、いわゆるハチロクである。
 ハチロクは最後のライトウェイトFRとして、すぐさま人気を集めた。ボディは3ドアハッチバックと2ドアノッチバックの2つ。両車の違いは主にフロントマスクで、レビンが横桟グリルに角目ライト、トレノはグリルなしでリトラクタブルライトを採用していた。
 搭載エンジンは、新開発された1.6Lの4A-GEU型直列4気筒DOHC。DOHCのメリットを活かすためにエアフローメーターの取り払い、圧力センサーで燃料を算出するEFI-Dを採用、さらに吸気ポートにT-VIS(トヨタ・バリアブル・インダクション・システム)を備え、最高出力130PS、最大トルク15.2kgfmを発生した。
 実際に走らせてみると動力性能は驚くほどでもなかったが、軽快なエンジンの吹け上がりと鋭いレスポンスが抜群に気持ちいい。操縦安定性も決して限界が高いとはいえないが、逆にそれを利用して姿勢を自由自在にコントロールすることが可能だった。FRならではのクルマとの一体感が存分に体感できたのである。
 同時期に同じようなスペックをもつライバルは存在したが、ハチロクはその走りの楽しさ、気持ちよさで大勢のクルマ好きに愛された。その後性能の高さを誇るクルマは多数出現したが、ハチロクほど愛されたクルマには、なかなか出会えない。
 
 2013年11月1日のイベント「決戦!鉄底海峡を抜けて!」のE3以降のドロップで先行実装された艦娘。その後、大型艦建造にて姉妹艦の能代矢矧と共に建造可能になった。図鑑の空きスペースなどから実装が確実視されていた、末妹の酒匂も2014年4月23日のアップデートに登場。2014年2月26日で実装された通常海域(5-4)のドロップでも入手可能になっている。同アップデート時に阿賀野型全体の燃費も改善され、改造前の阿賀野は弾薬-10。詳しくはのページも参照。
 ともども、軽巡とは思えない豊満な洗練されたボディが目を引く。例外もいるがこれは阿賀野型が公試時7710トンという排水量を誇る巨大な船体をしているからか。その排水量は小柄な天龍型や夕張の倍近くになっている。川内型と比べてもこちらの方が3割重い。・・・といいつつ、実はこの頃の5500トン型巡洋艦は度重なる近代化改装で、公試排水量が7000トンを超えたものまでいたりする。船体の大きさはステータスの耐久の高さや、最初から3スロット装備できる点にも現れている。とはいえ、史実の阿賀野型は厳しい財政事情と夜戦運用の都合から極限まで艦型を絞った小型巡洋艦なのだが。あまりに小型過ぎて一芸特化の夜戦バカになってしまったので、次の巡洋艦は8500トン程の「巡洋艦らしい巡洋艦」になる予定だった。通称改阿賀野型。主砲塔1基追加、高角砲五割増し、機関出力も向上させて島風型も指揮できるようになっているのが特徴。詳細設計すらされなかったが
 阿賀野型はマル4計画で増備が決まった軽巡6隻のうち、水雷戦隊旗艦の後継艦として4隻が計画、建造された。(残り2隻は後の大淀型)意欲的な設計がなされており、特に顕著だったのが機関周り。翔鶴航空母艦で採用された高温高圧缶を装備した結果10万馬力を発揮することが出来た。まさに水雷戦隊旗艦用軽巡洋艦の最終形態。史実では帝国海軍最強の軽巡として、太平洋の覇権を握る。…はずだったのだが、阿賀野はなんと就役がミッドウェーより後。世は水雷ではなく航空の時代、しかも日本は既に劣勢。色々と登場が遅すぎた結果、大した戦果を上げることなく生を終えてしまった。実戦経験0のよりマシ…かなぁ?せめて水雷戦隊の見せ場であったソロモンの戦いに間に合っていればと、色々妄想を掻き立てられる艦である。時代に翻弄された彼女。本領を発揮させるには、各提督の愛と努力が求められる。1943年11月、SS-277「スキャンプ」(伊168を葬った米潜)の雷撃を受け航行不能となる。その後能代に曳航されてトラック島へ命からがら逃げ延びた。実はこの時阿賀野にトドメを刺すべく別の潜水艦が接近していたのだが、阿賀野を護衛する駆逐艦に阻まれた。その潜水艦とはSS-218「アルバコア」だった。応急修理後、内地での本修理の為にトラック島を出発。潜水艦SS-305「スケート」の攻撃を受けて沈没したのはその翌日だった。なお「スケート」はこの前の年太平洋の女帝クリスマスプレゼント魚雷を献上している…が、何の返礼もなかった。その後艦長は「全長250m以上の新型戦艦。魚雷を当てたがビクともしなかった」と正確に報告したのだが、上からは「有り得ねぇだろ。こいつイかれちまったか」と思われ、彼は地上勤務に回されてしまったそうな。カワイソスちなみに那珂が米軍の艦載機による攻撃を受けて沈没したのは、「スケート」による攻撃で航行不能となった阿賀野の救援のために出撃した時である。
 「巡洋艦阿賀野慰霊碑」が呉の長迫公園に建立されている。周りの欄干には雪風舞風初風をはじめとしたかつての部下駆逐艦たちの名が刻まれ、今なお彼女の碑を守り続けている。
 艦名は新潟県を流れる阿賀野川にちなんで命名された。戦後、吉田元大佐率いるY委員会が掲げた新海軍構想の中で、本型をベースにした軽巡4隻を新海軍の旗艦にする案が盛り込まれていたという。最も、その新海軍構想も計画に終わったのだが。
 もう既に艦娘のマシンはネタ切れなんじゃ…頭文字Dで有名なハチロクことAE86型スプリンタートレノ。外見どう見ても藤原拓海と同じパンダトレノであり、ホイールもRSワタナベ製のホイールではないか似たようなもので装着されている。セッティングなんかもドリフトしにくい用にしており、本人曰く楽しんでいるらしい。
 とまあ、車両解説にあるように後にジャパニーズスポーツカーたち(スカイラインGT-Rやインプレッサ、NSX、MR2、ランエボ等)が登場するが、それに乗っている艦娘達(特に駆逐艦)には、容赦なく撃墜されている。2011年には、長良のトヨタ・86が登場しており、FRブームが再加熱しているようだ。

能代
●トヨタ/カローラレビン GT-APEX(AE86)'83

・パフォーマンスポイント(PP):383
「固定式フロンドライトが人気に。走り屋を魅了したAE86型レビン」
(車両解説は上記の「阿賀野」と変わらないため、省略)
 神通が務めていた第二水雷戦隊旗艦を、神通亡き後に引き継ぐ。『海の精華』『華の二水戦』といわれていた通り、太平洋戦争初期の当時は世界でも最強クラスの水雷戦隊であった。そこの旗艦を務めていた能代は、神通と共にflagship軽巡と呼んでも差し支えないエリート部隊のトップであり、彼女が沈没する捷一号作戦までの間が第二水雷戦隊の最盛期でもあった。
 レイテ沖では連合艦隊最強の戦艦部隊を率いていたことで有名な栗田艦隊に所属していた。旗艦はご存知、ぱんぱかぱーんじゃなくて連合艦隊の切り札大和。それに影響してか、肩出しのセーラー、赤いスカート、腕に白い衣服(阿賀野型は手袋、大和はアームカバー)、片足ニーソと共通点の多い服装をしている。
 就役当初は南方の輸送任務に駆りだされていた、輸送任務中に2度空襲で損害を受けている。二水戦旗艦として唯一の晴れ舞台となったサマール沖海戦で駆逐艦一隻以上を撃沈するなど奮戦した翌日、空母機動部隊の追撃を受けて沈没した。機関停止後に曳航作業をしていたが、度重なる空襲についに耐えられなかった。彼女にとっては飛行機が鬼門だったのかもしれない。阿賀野型は水雷戦隊旗艦としての能力はたしかに優秀だが、対空装備は従来の軽巡に8cm高角砲を加えた程度のもので、主砲対空用としては貧弱であり、対空戦闘力はとても優秀とは言いがたかった。
 名前の由来は秋田県を流れる米代川の下流の別名「能代川」から。ちなみに新潟には正式な名前で能代川という河川があるが、読みが「のうだいがわ」であり、本艦の由来とは別であることに注意。実は海軍が徴用した民間船にも「能代丸」という船が2隻いた(特設掃海艇と仮装水上機母艦。後者は「能代川丸」と呼ばれた)。似たような例に特設巡洋艦「赤城丸」、特設タンカー「愛宕丸」なんてのもいる。1973年から2003年まで就役していた護衛艦「のしろ」も、名前の由来は軽巡能代と同じである。
 スプリンタートレノと違い、こちらは固定式ライトを持つカローラレビン。こちらはドリフト用にセッティングを施されている。要は無駄な動きをしないという事だ。レクサス・LFAを使う大和とは類似点があり、ひとつはもちろん後輪駆動であること。もうひとつは世界に愛されたスポーツカーであることだ。

矢矧
●トヨタ/スプリンタートレノ BZ-R'98

・パフォーマンスポイント(PP):407
「最後となってしまったスプリンタートレノ7代目最終型」
 1995年5月、レビン/トレノはフルモデルチェンジを果たし、7代目へと進化した。型式名AE111と呼ばれるモデルである。
 AE111は先代のAE101とは正反対に、バブル経済崩壊の影響を強く受けた。そのため、レビン/トレノの原点であるスポーティさに立ち返るクルマ作りを目指すと同時に、コストダウンにも意識が払われている。その結果注目されたのが軽量化で、AE111では徹底的なシェイプアップを実施、ボディは最大で70kgも軽くなった。
 ラインナップ上の大きな変化は、トップグレードに搭載されていたスーパーチャージャーエンジンが廃止されたことだ。これまでのトップグレードだったBZ-Gは、先代で登場した自然吸気5バルブの4A-GEを搭載したのである。
 5バルブの4A-GEは先代モデルからさらに熟成が図られ、165PS/16.5kgfmの最高出力と最大トルクを発生するに至った。つまりスーパーチャージャーのパワーに並んだのだ。AE101から採用されたスーパーストラットサスも熟成が進められた。フロントにヘリカルLSDが新採用されたことでいっそう曲がりに強くなり、トラクション性能が向上した。
 1997年にはマイナーチェンジを実施。トップグレードのBZ-GはBZ-Rと名前を変え、トランスミッションが6速MTとなった。しかし同時にエアバックや衝突安全ボディであるGOAへの対応がなされたため、当初シェイプアップされた車重は再び増えてしまった。
 この時期、若者の人気はコンパクトクーペからSUVやワゴンへとシフトしつつあった。2000年、カローラがフルチェンジすると、そこにレビン/トレノという名前はもはやなかったのである。
 艦名は長野県から岐阜県・愛知県へと流れる矢矧川(現:矢作川)に由来する。「矧」はなかなか見ない漢字だが、矢竹に矢羽根を付けて矢を作ることを「矧ぐ」と称する。流域の旧東海道沿いに職人が多く所在した事から名付けられたとされる。
 機密保持のため進水式で配られた記念の盃には艦名が記されず、代わりに「矢と萩の花」が描かれていた。16:00の時報はこれにちなむ。そのため「矢萩」だの「矢作」だのとよく誤字られる彼女だが、全くの無縁という訳でもないという面白い事が起きている。
 戦歴に恵まれない阿賀野型軽巡の中にあって、僅か1年半の生涯で数多くの海戦に参加。戦争末期とあって多くの敗北を経験した。マリアナ沖海戦には第10戦隊旗艦として駆逐艦15隻を率いて参加。大鳳翔鶴の生存者を救助し、瑞鶴の直衛として対空戦闘にあたっている。この事もあってか翔鶴の轟沈セリフでは矢矧と秋月(艦これ未実装)のことを言及するものがある。レイテ沖海戦にも第10戦隊旗艦として栗田艦隊に所属し参加。武蔵が戦没したシブヤン海海戦では至近弾により損傷、22ノットまで低下した速力を応急修理により28ノットまで回復。30ノット以上出すと浸水が始まる状態であったが、翌日のサマール沖海戦ではそれに構わず無理やり32ノットの速度をひねり出して追撃に参加した。サマール沖海戦では敵駆逐艦ジョンストンの勇敢な応戦に苦戦しつつも麾下駆逐艦たちとともに魚雷を発射、敵空母2隻撃沈を報じた。しかし残念ながらこれは誤認であった。この戦果に関しては矢矧、雪風、浦風それぞれが命中確実と確認し、その様子の具体的な図まで作って報告している。しかしどうやら魚雷の信管過敏のため波に叩かれ早発してしまい、各艦はその水柱を命中と誤認してしまったようだ。この時の矢矧の確実な戦果は駆逐艦ジョンストン(Johnston:DD-557)撃沈である。阿賀野型が達成した唯一の敵艦撃沈であった。命中率の低い遠距離からの雷撃であったため攻撃判断については疑問も呈されており、これが攻撃時の「今度は良く引きつけるんだ……」の台詞につながっているものと思われる。最期大和護衛の第二水雷戦隊旗艦として出撃したが、空襲開始早々に2本の魚雷を受けて機関停止し艦隊から落伍してしまった。しかし、その後ただの浮かぶ標的状態になりながらも踏ん張ってなかなか沈まず、沈没は大和総員退去の約10分前だった。彼女が浴びた被害は、実に魚雷7本、爆弾12発にも及ぶ。軽巡が被った被害としては空前絶後である。生存者は初霜などに救助された。乗員であった池田武邦少尉曰く、「もう早く沈んでくれ」。魚雷命中のたびに傾いては注水復旧し、図らずも阿賀野型の設計の強靭さを見せつけることとなった。尤も、これは被弾してからとっとと魚雷や偵察機などの誘爆の危険性のあるものを捨てたのが功を奏したとの見方もある。航行不能となった矢矧から第二水雷戦隊司令部を移乗するため、司令官は駆逐艦磯風に「接舷せよ」という命令を発したが、大空襲下にこれは無茶であった。それまでほぼ無傷であった磯風がやむなく敵の爆雷撃を掻い潜って果敢に何度も矢矧への接近を試み、やっと成功したと思ったとたん爆撃を受け磯風も行動不能に陥った(のちに砲撃処分)。雪風と比して遜色ない武勲艦だった磯風乗組員の憤懣やるかたなしであった。ちなみにこのときの司令官古村啓蔵は初霜に救助され生還している。この矢矧への集中攻撃は錬度に問題があった米パイロット達が、駆逐艦より遥かに大型の矢矧を大和だと誤認したために起こった。戦後、矢矧を攻撃した米パイロット達の多くが、大和に命中弾を与えたと信じて疑わなかったという。最期の出撃の際には食糧を5日分のみ残して返納し、代わりに後部甲板に大量の角材を救命具として積み込んでいたとされている。だが天一号作戦の戦闘詳報には余計な角材を積み込んだ記録はなく、これは後世の創作ではないかとも疑われている。しかし当時の風潮ではとても「救命用の角材」を積み込むとは言えないため、帳簿外で都合した可能性は否定できない。生存者の甲板士官は艦長・副長の命により艦内にある応急用の角材を後部甲板に移したと証言し、多くの乗員が助かったのはこのおかげではないかと語っている。
 新造の本艦に名前を譲った初代矢矧は廃艦第12号と名を変え、練習艦として係留されて新兵の教育にあたった。しかし、戦後まで生き延びた初代大和や初代赤城と同様、二代目に先立たれることとなってしまった。戦後になって、海上保安庁のやはぎ型巡視船のネームシップ(退役済)に名前が受け継がれた。(次姉の名を継ぐ船もいた)
週刊ポスト(2014年1月24日号)の特集で、前述のかつての乗組員の池田武邦氏(90)が「かわいいじゃないか。うん、いい子だよ」との感想を寄せている。http://news.nicovideo.jp/watch/nw915059
 グランツーリスモシリーズでも登場しているAE111型スプリンタートレノ。よく配信イベントでは敵車役で走行していたのがいい思い出。AE86型とは裏腹に、駆動方式がFRではなくFFという事、ということはアンダーステアが極端に出やすい。しかしタックインというドライビングテクニックで功をそうしている。

酒匂
●トヨタ/カローラレビン BZ-R'98

・パフォーマンスポイント(PP):394
「原点に立ち返り、最後を迎えたカローラレビン」

(車両解説は上記の「矢矧」と変わらないため、省略)
 艦名は富士山や丹沢山地を源流とし、静岡県から神奈川県へと流れ相模湾に注ぐ酒匂川(さかわがわ)に由来。
 阿賀野型軽巡洋艦の末妹であり、戦後唯一の生き残りである。就役したのが1944年11月30日。その頃には既にレイテ沖海戦も終わっており、燃料不足で外洋に出撃することすら叶わなかった。また、姉の阿賀野・能代は既に戦没していた。
その日に第十一水雷戦隊に編入される事となった。十一水戦は水上艦艇の練成部隊である為、自艦の訓練の他にも新造駆逐艦などの訓練指導もあり、日々訓練や指導に明け暮れる日々を送る事となった。また余談ではあるが、かつての十一水戦の旗艦には龍田長良が務めており、を除く第六駆逐島風もかつてはこの十一水戦に所属していた。水雷戦隊だがその範囲は駆逐艦だけではなく、航空戦艦に改装された伊勢日向も所属して訓練していたことがある。
 本来は坊ノ岬沖海戦を初陣にして死に場所とする特攻が計画されていたが、酒匂は直前で出撃が取り止められ、呉に残留することになる。「ねぇ、あたしも連れてってよ~」1945年5月以降は舞鶴に移動し、当地で終戦を迎えた。
 スプリンタートレノ7代目AE111型を持つ矢矧と変わらないカローラレビン。パフォーマンスポイントは矢矧より低く、馬力も190PS以下。だが安定性だけは手に入れてある。

■大淀
●フェラーリ/エンツォ フェラーリ'02

・パフォーマンスポイント(PP):595
「フェラーリが創ってしまった、神をも凌駕するモンスタースーパーカー!」
 エンツォ フェラーリは、2002年、フェラーリ創業55周年を記念して作られた399台限定生産のスーパープレミアム・スポーツカーである。
 当初はそれまでの記念碑的限定車であるF40、F50の流れを汲んで、F60という名称で紹介されていたが、デビューを前に、フェラーリ創業者であるエンツォ・フェラーリ氏の名前が付けられることが発表された。
 デザインは当時ピニンファリーナに在籍していた日本人デザイナー・奥山清行の手によるもので、空力を煮詰めたボディは当時のF1マシンを彷彿とさせる。ボディパネルだけでなく、フレームの大半までもカーボンコンポジットによって形成されているのが特徴だ。
 搭載される6L V12エンジンはエンツォのための専用開発で、660PS、67.04kgfmと絶大なパワーを発揮する。足まわりは前後ダブルウィッシュボーン式で、ブレンボ製カーボンセラミックブレーキとあいまって、サーキットでの全開走行にも耐えうるもの。強力なエンジンに軽量化されたボディにより、最高速は350km/hを超える。
 大出力エンジンをミッドシップにマウントする伝統はF40、F50を引き継ぐが、いっぽうでガルウィングドア、エアコン、F1マチックと呼ばれるセミオートマチック採用、さらにサブフレームにブッシュを介してエンジンをマウントすることで、騒音や振動対策もとられるなど、レーシングカー然としていたF50よりもロードカー的な設計になっている。
 創業者の名前を名付けたのは、自信の証。エンツォ・フェラーリは紛れもなく、21世紀最初の究極のスーパー・スポーツなのだ。
 2014年8月8日のアップデートにて実装。長らく任務娘として看板を背負ってきた彼女が、ついに艤装を背負って登場となった。
 新装備である艦隊司令部施設改造後に持参してくる。索敵機スロットが0,6,6と偏っている(搭載0とそれ以外が混在する艦は大淀が初)。
 史実では魚雷発射管や爆雷を装備していなかったため、艦これでもデフォルトの雷装・対潜値は0となっている。初期値の状態では雷撃・対潜攻撃が不可能だが、近代化改修やレベルアップにより値を1以上にするとどちらもできるようになる。ただし他の艦に比べて上昇値は心もとない。ちなみに素の雷撃値が0だと魚雷を装備しても雷撃不可、対潜値0の場合、ソナー・爆雷を装備しても対潜攻撃をしない模様。これはまるゆちとちよが素の雷撃値0の時は雷撃しないのと同様の処理と思われる。
 阿賀野型と同様軽巡としては大型であることから、燃費は全軽巡洋艦でも最悪の水準。遠征には全くの不向き。史実ではけっこう輸送してるのに
 
偵察巡洋艦としての出自から、索敵が非常に高い。初期値でも伸び率でも利根に勝る。必要索敵値が苦しい場面では彼女の投入も検討しよう。
 装備スロットが初期で3つ、改造することで4つになるという夕張と同じ特徴を持つ。火力は同等だが雷装が30も低い。このため夜戦で大物を相手取るのが苦手という軽巡らしからぬ弱点がある。素の対潜値も低いので最大対潜攻撃力も夕張に軍配が上がる。夕張のお家芸連撃&対潜装備でフラ潜を相手取るのは心もとない。代わりに6機のスロットがあるので弾着観測射撃が可能。その場合残り1スロットをフリーで使うことができる。主砲を積んだ場合神通改二を超えて軽巡最高の砲撃力の持ち主となる。ただしこの場合夜戦が主砲カットインとなる。副砲を積んだ場合連撃・カットインの両面待ちで発動率を高めることができる。ただしこの場合夜戦が主副カットインになる。軽巡中最高の運24を持つので、夜戦カットイン仕様でも悪くはない。さらに偵察機を積むことで索敵値を底上げし羅針盤制御を助けることもできる。電探を積んで命中補佐、渦潮軽減等に使うことも可能。ノーマル潜水艦程度なら三式水中探信儀1つで蹴散らせるので命中の底上げついでにつけるのもあり。ドラム缶ガン積みで5-4回るのもあり低耐久低回避の夕張と違い防御能力が優秀。耐久・装甲・対空は平均以上で、回避も平均並みにある。総合的には夜戦と対潜に勝る夕張と総合性能の大淀で差別化できるだろう。
 マル4計画で阿賀野と共に建造された、潜水艦隊指揮用の旗艦巡洋艦。阿賀野型姉妹と同じく戦争中期(43年2月)に就役した新造艦であるが、絶対不利な戦局となった戦争末期の、レイテ沖海戦(小沢囮部隊)、礼号作戦、北号作戦などに参加、無事に完遂。45年7月の呉軍港空襲で大破横転するまで戦い続けた強運艦である。また、帝国海軍最後の連合艦隊旗艦としても有名。そして一部の提督の間では、「最後の軽巡(軽巡のラスボス的な意味で)」的な期待をもって実装が待たれていた有名艦である。艦名は鹿児島県、宮崎県を流れ、日向灘に注ぐ『大淀川』に由来する。地理的な理由もあり、艦内神社は日向」と同じ宮崎神宮を勧請していた。強運艦たる所以はここにもある。本来なら仁淀(によど)という妹ができるはずだったが、マル急計画で軽巡洋艦では無く重巡洋艦を建造する事となった為、起工される事は無かった。
軽巡としては珍しく、姉妹でカップリングが感じられる命名だっただけに惜しい。加賀さんと仲良くなれそう
 次世代型駆逐艦とともに前線に出てこれらを指揮する「水雷戦隊旗艦」としての能力に特化した乙型巡洋艦(阿賀野型)に対し、彼女は索敵兵装に乏しい潜水艦に代わって索敵を行い、後方から通信で作戦指揮を執る「潜水戦隊旗艦」として設計された丙型巡洋艦である。当初の構想では飛行甲板を張った1万6000トンの航空巡洋艦だったが、あまりにも無茶だったので、主砲も魚雷も積まない、徹底的に水上機運用能力と旗艦としての通信能力に特化した中型巡洋艦にまとめなおされる。その後、まがりなりにも最前線で活動するのだから水上戦闘能力がもっと欲しいという声があがり、最上三隈から降ろした15.5cm三連装砲の砲塔が2基余っていたのでこれを搭載して主砲兼対空砲とし、これに新型高性能の長10cm高角砲連装4基8門と25mm三連装機銃6基(後に12機)を合わせて強力な対空火力を得ることになった。この15.5cm砲と10cm高角砲の組み合わせによる防空力は軽巡としては破格のもので、重巡すら上回り、対空設備を強化された摩耶以上とも言われるほどであった。外観上の特徴はなんといっても艦全長の4分の1にも達する巨大なカタパルトと箱形の搭載機格納庫。基準排水量は8,164tに達し、阿賀野型の7,700tと比較しても大きい、大型軽巡洋艦である。参考に、米軽巡クリーブランド級、満載14,131トン。ファーゴ級、満載14,500トン。ウースター級、満載17,997トン。軽巡‥‥?
 大淀は「軽巡」ではあるが、水雷戦隊旗艦として前衛を務める役割を求められなかったことから日本の軽巡洋艦の中では唯一魚雷発射管を持たず、代わりに旗艦設備と偵察用の水上機運用力が充実している。軽巡洋艦としては唯一水上機格納庫を持つため6機もの水上機を搭載でき(史実では軽巡の搭載機数は阿賀野型で2機、他は1機である)さらに実質大淀型専用機となる新型水上機紫雲を射出する為の大型カタパルトに加え回収用のクレーンも搭載しており、破格の水上機運用能力を持つ。紫雲を運用する為に新たに開発されたカタパルトは従来の火薬式カタパルトでは無く、圧搾空気式のカタパルトであり、全長44m、全幅1.5mに及ぶ巨大なものであったが全装備重量が4,1tに達する紫雲を難なく射出することが出来るものだった。しかし、カタパルトの開発には成功したものの肝心の紫雲は試作機の段階で様々な不具合が発生していたにも関わらずそれが解決されないまま制式採用されてしまい、暫定的に生産された6機がパラオの水上機基地へ配備され実戦での試験運用が行われていたが、不具合が解消される事の無いままであった紫雲は全機が撃墜される事となってしまった(これを否定する意見もあるhttp://www.warbirds.jp/truth/shiun.html)。この結果を受け日本海軍は紫雲の生産中止を決定し、大淀での運用も諦める事となりカタパルトは竣工後直ぐに撤去され、従来型の呉二式射出機五型に置き換えられ、搭載機は従来の零式水上偵察機2機という無難な装備となった。なお、本職の水上機母艦を除けば、水上機格納庫を持つのは砲撃が強すぎて水上機を破壊してしまう大和型と航空戦艦である伊勢日向のみである。
 彼女の本来の目的は、日本列島に近づいてくる敵艦隊の戦力をじりじりとすり潰す「漸減作戦」において索敵が苦手な潜水艦に代わって強行偵察を行い、敵を発見次第潜水艦に指揮を飛ばして敵戦力を減らすことである。そのため偵察巡洋艦としての役割が求められていたこともあり、かなりの快足の持ち主。翔鶴型や阿賀野型と同様の高温高圧缶を搭載しており、公試記録での最高速度は35.5ノットだが実際には39.5ノットと島風に匹敵するほどの速力を出せたと言われている。一説には過負荷時には45ノットもの速力が出せたとも。(後述)理論的には、同じ重量で速力を35ノットから39.5ノットにするには所要出力は1.36倍、45ノットにするためには所要出力が2.1倍になる。大淀の速度の逸話については公式記録がなく、証言以外の証拠が残っていないため、判断には注意を要する。そもそも阿賀野型は島風型の指揮を行えるということが前提にあるので、阿賀野型と同等以上の機関を持つ彼女もまたそれだけの速力を持っていて当然と言える。新型缶の採用、翔鶴型と同様のバルバス・バウの採用などで燃費も良く、航続距離は10180海里と設計段階の予想(8700海里)を遥かに超えるほどの長大さを誇った。
 長期間の偵察行動を前提としていたこともあり、艦内は空調が完備され、一部居室の冷房が省略された大和型以上の快適さを持っていた。
 第三次ソロモン海戦で戦没した比叡の元乗組員の多くがこの船に乗った。そのおかげで巡洋艦でありながら訓練や制裁は非常に厳しかったと言われている。ただしその分乗組員の士気・錬度は共に十分で、幸運も味方につけた大淀は激戦地を転々としながらも45年3月の空襲まで損害らしい損害を受けず戦い続けた。
 ・・・そんな期待の新型として誕生したはずの彼女だったが、彼女が登場したのは既にミッドウェーの後。漸減作戦の後に艦隊決戦という青写真は既に破綻してしまっていたため本来の潜水戦隊旗艦としての能力を発揮できず、航空巡洋艦や巡洋艦隊旗艦として運用される事も無く、同型艦もなく隊もろくに組めないぼっちの彼女は新型艦にもかかわらず警備や輸送などの地味な裏方に回る不遇な日々を過ごしていた。那珂ちゃんと仲良くなれそう能代らとともに行ったカビエンへの輸送任務の際、100機を超える敵機の襲撃に遭った事がある。この時大淀は物資揚陸完了直後で、50km先の敵機を発見し緊急出港。物資を降ろして身軽になった大淀は全力で加速していくと、速度計の針が45ノットの針当てを叩いていたという。これはあくまでも乗組員の証言でありもちろん公式記録ではないが、もしこの話が本当なら、大淀はこの時45ノット以上を発揮していた可能性がある。この戦闘で、大淀は主砲対空弾300発を40分ほどで撃ち尽くしてしまい、徹甲弾や演習弾まで撃っていたという。100ポンド爆弾1発を浴びたが幸運にも不発で、これは不発処理の後艦内神社に飾られた。
 そんな中で戦局はさらに逼迫し、海軍内で主戦力である戦艦を旗艦任務で遊ばせず前線に投入すべき、という論が立ちあがった。また、現実的な問題として戦況の拡大により大規模な組織改編を行い複雑化した連合艦隊司令部の機能を一隻の戦艦の設備だけを使って果たす事は不可能となりつつあった。このため、陸上に新しい司令部用の施設を設けるか、連合艦隊司令部専用の軍艦を用意する必要に迫られていたという事情があり、今の所特に具体的な運用計画が定まっておらず同型艦も存在しない大淀が、巨大な格納庫を連合艦隊司令部の常駐する施設に改装する事が出来ると判断され、連合艦隊旗艦として選ばれる事となった。大淀の連合艦隊旗艦への改装は1944年二月に開始され、格納庫を三段に仕切りそれぞれの階に連合艦隊司令部の設備が施され、2ヶ月後の4月には正式に連合艦隊旗艦として新たな任務に就くこととなった。
こうして大淀は栄誉ある連合艦隊旗艦の任を武蔵から受け継いだ。戦艦以外の連合艦隊旗艦は初代連合艦隊旗艦である防護巡洋艦「松島」に次いで2隻目である。豊田副武聯合艦隊司令長官を乗せて、あ号作戦(マリアナ沖海戦)を指揮、その後彼女は旗艦の任を解かれ、司令部は陸上に移っていった。以後連合艦隊旗艦は空席のままとなり、結果として彼女は日本海軍最後の連合艦隊旗艦となった。旗艦時代の大淀の評判はあまりいいものではなく、豊田司令長官からは、「(従来の戦艦と比べて)こんな小さな船で戦死してしまったら連合艦隊の足元を見られる」と嘆き、最大の特徴である航空運用力が減少したこともあり、現場からは「何をするにも中途半端な存在」と酷評された。無理やり格納庫に司令部機能を詰め込んだために復元性能が悪化し、転舵のたびに大傾斜してしまう問題も抱えてしまった。なお、連合艦隊旗艦としての息苦しさから開放されたとして乗組員は旗艦解任をむしろ歓迎していたという。
 その後小沢囮艦隊の随伴艦としてレイテ沖海戦に参加。元々小沢艦隊旗艦になる予定だったのが、「囮とはいえ機動部隊を率いるからには旗艦は空母だ」という小沢中将の意向で旗艦は瑞鶴となり、大淀はその予備旗艦となった。機体無き囮となった空母たちに殺到する敵機に対し搭載していた主砲対空弾の8割を撃ち尽くすまでに奮戦(乗組員曰く撃墜27機)。囮の役目を全うし大破炎上した瑞鶴から小沢中将以下司令部を移乗させ、艦隊旗艦の任を受け継ぐ。空襲の間隙を突いての作業であり、間一髪の移乗劇だったという。下記動画のカッターは大淀のもので、小沢長官を迎えに行く途中の映像である。ナレーションは不時着水した搭乗員を救出するためと言っているが実際は逆で、カッターの周りに戦闘機が相次いで不時着してきたものだった。その後、千代田や駆逐艦初月(未実装)を襲った敵水上艦隊を撃破すべく、日向伊勢ら生き残りとともに更に前進したが補足できず、奄美大島に帰投した。大淀から撮影されたこの戦闘の映像が、日本ニュース第232号として現存している。
 司令部が退艦し再び旗艦任務を解かれた彼女はマニラ、ミリ、ブルネイ、リンガとフィリピン方面の泊地を回る。レイテ海戦後に満足な補給も受けられないままの行動であり、特に主砲対空弾が不足したままの行動であった。マニラに寄港していた大淀は、敵の情勢不穏を察知して、予定を前倒しして緊急出港した。その直後マニラに大空襲があり、大淀は間一髪で危機を脱した。しかし停泊していた重巡那智がここで撃沈されている。
 提督諸兄の合言葉「帰ろう、帰ればまた来られるから」でお馴染みの木村昌福中将指揮下で足柄らと共に礼号作戦に参加する。緒戦の最中に爆撃機からの爆弾2発が直撃、至近弾2発を受けるも直撃弾は全て不発という強運を発揮した。お前はどこの8番艦だ直撃弾のうち1発は煙突から装甲板を貫通して機関室に飛び込んでいる。不発でなかったら沈没は免れなかっただろう。直撃弾のうち1発は煙突から装甲板を貫通して機関室に飛び込んでいる。不発でなかったら沈没は免れなかっただろう。この爆弾は例によって不発処理されて艦内神社に祀られたという。その快足で敵水雷艇の魚雷を全て回避しつつ迎撃し、サンホセ港の物資集積所および飛行場を20分あまり砲撃した。その後旗艦霞より撤退命令が下るが、沈没した清霜搭乗員の救助に当たっていた霞の安全を確保するため足柄とともに撤退命令を無視し周辺の敵水雷艇を掃討してから撤退。救助完了後霞も無事撤退し作戦を成功させた。
 そして伊勢型姉妹率いる輸送隊の一員として北号作戦に参加。既に無用の長物だった司令部を今度は輸送庫に改造。元に戻しただけとも言う 物資を詰めたドラム缶を満載して日本へと向かい、「半分生き残ればいい方」とまで言われたこの無謀な輸送作戦で見事全艦無事で呉まで辿り着くという奇跡のごとき成果を残す。だが、呉まで辿り着いたはいいもののそこで作戦行動できるだけの燃料が尽き、この作戦が彼女の事実上最後の花道となった。北号作戦の詳しい経緯と幸運艦としての大淀の評判については伊勢改および日向改を参照。
 以後大淀は練習艦に格下げされ呉に残留することとなる。1945年3月19日。呉を襲った敵爆撃機隊を友軍と誤認して反応が遅れ、急ぎ抜錨し離脱を図ろうとしていた所を狙われ至近弾により艦底より浸水、さらに直撃弾でボイラーと機関室が破壊され缶4基を失う大損害を被る。穴を塞ぐ応急修理は行われたものの機関部の修理はされないまま、以後は浮き砲台として扱われることとなる。同7月24日。敵艦載機の襲撃を受け爆撃によって上は大炎上、下は浸水。右に傾斜したまま着底するも、消火と排水が行われなんとか復旧する。同28日。再び呉を襲った大空襲によって次々と爆撃を受け続けた大淀はついに完全に横転。横倒しのまま大破着底し力尽きた。戦後大淀は転覆状態から復旧された後にドックまで運ばれて解体された。
 現在は二代目「おおよど(DE-231 あぶくま型3番艦)」が現役である。あだ名は現地の不死鳥伝説にに因み「Bright Phoenix」ちなみに「大淀」が艦娘として実装された(2014/8/8)翌日、非常にタイムリーな事に「おおよど」が愛媛で一般公開される・・・予定だったが台風接近に伴い中止となってしまった。中の人は預言者か?
 航空巡洋艦最上利根型重巡などがよく「DDH(ヘリコプター搭載護衛艦)の先駆け」と言われるが、大淀の主砲2基→艦橋煙突→格納庫→航空甲板というレイアウトと、旗艦設備が充実して対艦攻撃力は最小限という性質は、最上・利根以上に後年の「はるな」・「しらね」型護衛艦にそっくりである。

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