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「艦隊これくしょん ~艦これ~」キャラマシン大公開!("軽巡洋艦"編) その1

2014/04/30 19:18 投稿

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艦これ第10弾。以上に数が多い軽巡洋艦。比較的にトヨタ車とアメリカのビックスリーが多めに登場します。
Q:なんでアメリカ車まで入れたんですか?
A:敵艦専用車種だけにすると、事情による問題が起きるのではと思い艦娘にも配給しています。韓国車は…どうしよう?

戦艦→こちら
・航空戦艦→こちら
・正規空母→こちら
・装甲空母→こちら
・軽空母→こちら
・水上機母艦→こちら
・その他艦種→こちら
・重巡洋艦→こちら
・航空巡洋艦→こちら
・軽巡洋艦→その1、その2
・重雷装巡洋艦→こちら
・駆逐艦→こちら
・潜水艦→こちら
・潜水空母→こちら
・期間限定艦→こちら
・敵艦→こちら
・海外艦→こちら
・NPC娘→こちら

※パクリは厳禁。及び画像は無断使用を禁じます。
※車両説明は同じクルマ(S2000やGTO、NA型・NB型ロードスター等)を除き、完全版+オリジナルの解説(分かんない人のために艦隊の歴史等を艦これWikiから一部引用)のみ記載します。
※画像は「グランツーリスモ6(GT6)」となります。

天龍
●SRT/バイパー SRT10 ACR'08

・パフォーマンスポイント(PP):600
「SRTが手懐けた、2代目バイパーの最強で究極のエボリューションモデル」
 2007年のデトロイトショーにおいて、究極のバイパーともいえるACR(America Club Racer)仕様モデルが発表された。2008年モデルのバイパー SRT10は、排気量の拡大やエンジン内部の摺動部品、吸排気機構の見直しなどによって最高出力608PS、最大トルク77.4kgfmというスペックを手に入れており、ACRはこのクルマをベースとして開発された。
 その位置付けは、公道走行可能なサーキットアタッカーというもの。大きな特徴は、外観からもわかるようにエアロダイナミクスの進化だ。巨大な可変式カーボンリアウィングをはじめ、フロントリップスポイラーやカナードなどによりダウンフォースレベルを引き上げた。
 また徹底した軽量化も行なわれた。フォグランプの廃止や軽量ホイールを含む足まわりの重量軽減などにより、ベースモデル比で約18kgの軽量化を実現。さらに18kg程度のレスウェイトが可能な「ハードコアパッケージ」まで用意されていた。
 サスペンションはバウンド・リバウンドの微調整が可能なレーシングスペックのものに置き換えられた。ブレンボとストップテックを組み合せた耐フェード性、冷却性を高めた高性能ブレーキシステムによって、制動距離も短縮されている。
 ベースモデルから飛躍的に運動性能が高められたバイパーACRの実力は、2008年8月、あのニュルブルクリンク北コースで立証された。トム・コロネルのドライブにより、7分22秒1という量産市販車最速ラップタイムを刻んだのである。2008年6月にコルベットZR1が果たした7分26秒4というレコードを4秒以上も縮める、驚きのタイムであった。
 八八艦隊計画の3,500トン級軽巡洋艦として建造された、天龍型のネームシップ。実は相棒の龍田より年下。堅実な設計に駆逐艦並みの快速と悪くはなかったが、さすがに小さすぎて居住性がお察しだったので5,500トン級に道を譲る。ちなみに主砲の14cm単装砲伊勢型の副砲でもあり、人力装填。まあ旧式だしね……。天龍を初め5500t級軽巡洋艦全てに採用されている。
 もともと巡洋艦としても小さかったために改装の余地はほとんどなく、対空兵装の逐次追加程度にとどまっている。つまりちみっこなのだが、胸部装甲はおっきい。トランジスタグラマー?
 完成当初は英国の同クラスの嚮導艦や偵察巡洋艦を速力・戦闘力で凌ぎ、日本海軍でも前型の筑摩型防護巡洋艦(筑摩さんの先代)の2倍近い戦闘力を持っていた。「フフフ……怖いか?」完成当時世界水準の彼女だが、新型で同等の排水量の夕張と比べると、砲火力は2/3しかなく魚雷は旧式の53cmと攻撃面では散々に負けている。武器では負けていても装甲は新型の夕張に匹敵する範囲と厚さ!……つまり紙装甲。一応ちょっとだけ装甲範囲は広い。ただし航続距離だけは同じ重油搭載量の夕張の1.5倍もあり、この点だけは後続の5500t級に引けを取らない。
 ちなみに彼女の速度33ktは、艦隊型駆逐艦の中で最も遅い改装後初春型と同速。鈍足っぷりに定評のある改装後夕張(32kt)よりはちょっとだけ早いが……波が出てくると特型駆逐について行けなくなるのは内緒だよ?特型相手でも十分怪しかったが、その後続々と就役しつつあった朝潮型駆逐艦や計画中の次期駆逐艦(陽炎型のこと)が相手ではいよいよ水雷戦隊旗艦の任につくことが出来なくなり、マル4計画の枠外で天龍型の2隻を大和・武蔵用の随伴防空艦として改造することが決まった。内容は主砲と魚雷を全て下ろして長8cm連装高角砲5基を搭載するもの。だが昭和16年には実際に予算もつけられたものの、日米開戦のため沙汰止みとなる。昭和10年~15年頃には上記に加え12.7cm連装高角砲4基や10cm連装高角砲3基を搭載する案も検討されていた。似たような防空巡洋艦構想は球磨多摩(信濃・第111号艦用の随伴防空艦)と、由良鬼怒等の5500t型、更には何と鳳翔(局地用防空艦)にまであったが、何れも実現していない。拡張性が皆無に近かった上結局防空艦への改装もできなかったため、完成当時世界水準だった彼女も太平洋戦争ではぶっちゃけ大半の駆逐艦より弱い有様。
 そんな艦これのステにも現れている弱さにも関わらず自信に満ち溢れたその台詞と、相棒があまりにドSなオーラを放っているため二次創作ではビッグマウスで中身はヘタレのキャラに扱われる事が多く、妹はおろか他の艦や提督からもよく弄られている。人気は軽巡どころか艦これ全体の中でもかなり高い方だが、性能云々の問題で実際の出撃での使用率はお察しである……。この性格設定が生まれたのは、田中Pがキャラクター像を軽く伝えて担当イラストレーターにイラストを発注した所、想定より強そうなイラストが上がり、「この個性もアリ」と言う判断の元当初の性格設定を書き換えたからとの事。強いイメージも「本人が『自分は強い』と思い込んでいるのも良いだろう」と考えたからだとか(Febri vol.19インタビューより)。
 上述の通り旧型艦であるが、同じく旧型の駆逐艦夕凪(未実装)と共に第一次ソロモン海戦に参加している。元々は不参加の予定だったが、第18戦隊の首脳による必死の訴えで急遽参戦が決定した。しかし流石に僚艦との性能差は覆しがたく、急な参戦の所為もあって色々と不具合に悩まされたようだ。結局、艦隊の先頭を切って水雷戦をする艦種でありながら、邪魔にならないよう主力より後ろに配置されてしまっている。
 眼帯の元ネタは上記開戦時でのサーチライト破損からとも言われる。そうだとするとガチの隻眼。
 序盤で相棒と駆逐艦四隻で遠征に行く光景がよく見られ、駆逐艦は大体が幼女なためにネタで幼稚園の引率の先生として描かれてることがある。恐らく、龍田ともに序盤で手に入りやすく、燃費も他の軽巡と比べて良い事から序盤の遠征要因として採用している人が多いからだろう。ちなみに一緒に描かれている駆逐艦は4が多い。
 1928年まで水雷戦隊旗艦を務めた後、姉妹で第18戦隊を編成、太平洋戦線緒戦の各地攻略を支援。第一次ソロモン海戦参加後は各地の輸送作戦に従事し、マダン上陸作戦支援中の1942年12月18日にSS-218「アルバコア」の雷撃を受け沈没。潜水艦による日本海軍軽巡洋艦最初の沈没例となった。姉妹揃って潜水艦に殺られている。
 名前の由来は長野県諏訪湖に発し愛知県と静岡県を経て遠州灘に至る天竜川。古来より「暴れ天龍」「大天龍」の名前を持つ暴れ川として有名。日本最大級のダム建設など河川改修の結果少しは穏やかになったものの、未だに難儀な大河である。「天龍」の艦名は2代目。初代は1885年(明治18年)に就役し、日清戦争などに参加した巡洋艦であった。同型艦なし。1906年に除籍、海兵団の練習船として使われた後、1911年に廃船。海上自衛隊においては訓練支援艦「てんりゅう」へとその名は引き継がれた。さりげないが、今の同僚の「くろべ」とともに日本じゃ極めて希少な無人固定翼機搭載艦である。
 2008年モデルからはバイパーSRT-10・ACRというレーシーな仕様がオプションで選べるようになった。ACRとは"American Club Racer"の略で、クライスラーのスポーツモデルに冠されるチューニングカーブランドである。従来のACRではベースモデルに対してパワー向上などのチューンが奢られるのが常であったが、元々バイパーSRT10は608 ps もの大出力を誇っていたため、動力性能的なアップデートはほとんど行われなかった。ACR専用パーツとして設定されたのは、エアロダイナミクスの向上を目的とした外装パーツ(フロントデュフューザー・カナード、GTウイング)、ノーマルよりもハードなレーシングサスペンション(KWのサスペンションを採用)、そして軽量化ホイールとなっている。さらに追加オプションである「ハードコアパッケージ(HCP)」は、完全なサーキットユース向けとして設定され、走行に影響を与えないパーツ(オーディオシステム、トランクカーペット、リアキャビンサウンドインシュレーション、タイヤ補修キット、フードインシュレーター、スチールバッテリーカバー)を取り除き、純正比18kgもの軽量化を果たした。またACRとは別に、レース専用車としてバイパー・コンペティションクーペが販売されている。2010年2月10日にダッジより最終モデルとなる特別仕様車の生産告知が行われ、同日に予約が開始された。
 天竜が持つACRは、紫に黒のストライプ仕様。あまり外見に変化はなく、中身の方をアメリカマッスルカーみたいに化け物となっている。ECU以外に手を加え、足まわり、ブレーキ、LSD、クラッチを強化。ボディ補強も加え、派手とは言えないが、暴れるには丁度いいチューニングがされている。アメリカのインディやデイトナ、ラグナセカ・レースウェイ、ウィロースプリングスなどの代表サーキットで実践も積んでおり、序盤から頼れる相棒になるだろう。

龍田
●SRT/バイパー GTS'13

・パフォーマンスポイント(PP):616
「その毒蛇の名が復活した、モンスター化に磨きをかけた3代目」
 アメリカの自動車業界の中でバイパーが果たしてきた功績は大きい。それまでコルベットのみだったスーパースポーツカー市場に1991年から殴り込みをかけ、いきなりコルベットを打ち破ったことがきっかけとなり、両者による開発バトルが繰り広げられることになったからだ。結果、アメリカンスポーツカーの性能水準は、本場・欧州のモデル達を時として凌駕するほど高まった。そのため2010年に2代目バイパーの生産が中止されたとき、ファン達は大いに落胆したものだった。
 だがバイパーは死んではいなかった。2012年春に3代目がデビューを果たしたのだ。
 クライスラーのスポーツモデル専用ブランドであるSRTからリリースされることになった3代目バイパー。基本的にはキープコンセプトながら、そのパフォーマンスは大きく引き上げられた。プラットフォームは従来同様の角型銅管スペースフレームながら、アルミ製十字ブレースを取り付けることなどで捻り剛性を50%高めている。車体は各部にカーボンなど軽量素材を採用することなどで先代より45kgの軽量化に成功。フロントミッドシップに配置されるV10ユニットは排気量こそ8.4Lと変更はないが、ピストンや吸排気、マネージメントに変更を加え、実に649PSと83kgfmを発揮するに至った。上級版のGTSにはアクティブサスなどが備わっている。
 最高速度は329km/h。2013年モデルのベース価格が10万ドル以下という設定を考えれば、3代目バイパーの登場はライバル達にとって激しい毒蛇のひと噛みといえるだろう。
 天龍型軽巡洋艦2番艦。なので天龍のお姉さんぽいが、実は妹…と見せかけて先に起工進水した天龍より半年以上竣工が早く、竣工時から起算すると年齢的には本当にこっちが姉。
 そしてこんな容姿だが、現時点では金剛不幸姉妹その良型の次に年上で、天龍と共に補助艦艇としては最高れ「死にたい人はどこかしらぁ?」…ゴホン、一番のお姉さんかつ「建造当時は」世界水準超え。…よって太平洋戦争においては旧式としか言いようがなく、砲撃力は排水量同等のはずの夕張の2/3で雷装も駆逐艦以下の53cm、居住性も最低レベルと殆どいいところがない。但し史実でも結構燃費は良かったりする。重油石炭混焼缶の都合で少量の石炭が必要な代わりに、航続距離は同じ量の重油を搭載した夕張の1.5倍以上であり、5500t級と同等。
 艦これではヤンデレ疑惑が立つほどに天龍ちゃんを気にかけているが、史実において共に戦ったのはウェーク島攻略戦ぐらい。天龍が活躍した第一次ソロモン海戦で後ろを走っていたのは夕張。彼女は参加すらしていない……。
 模様替えアイテム「てるてる坊主の窓」のてるてる坊主は、公式WEBマンガでも言及されているが龍田作である。吊るされている「てるてる坊主」の中に「潜水艦」と書かれた見るからにやばそうな物が混ざっているが、彼女は潜水艦に対しトラウマを持っている。演習時第43潜水艦が衝突して沈没させてしまったし、最後は米潜水艦サンドランス(Sand Lance:SS-381)に沈められたから。不運なことに、いずれの場合も悪天候が災いを大きくしている。第43潜水艦のときは救助できず乗組員全員死亡、最期のときは敵潜水艦に船団内への闖入を許し対応が遅れてしまった。このてるてる坊主には龍田の悲痛な思いがこめられていた……のかもしれない。だからといって、味方の潜水艦の自己紹介を受けた際に、『例のブツ』をねじ切るパフォーマンスを見せるのはいかがなものか。根に持つタイプなのか、公式4コマ33話で再び…。
 戦前の日本海軍で発生した多くの事故に遭遇した艦であった。上記した第43潜水艦との衝突事故以外にも、美保関事件での神通と蕨衝突にも関わり、さらに友鶴事件でも水雷艇友鶴とともに荒天下の演習に参加し、転覆した友鶴を曳航している。
 艦名は、大和川の支流で奈良県を流れる竜田川(龍田川)に因む。古代から紅葉の名所として知られ、百人一首でも竜田川の紅葉を詠んだ歌が2首選ばれている。その中の1つが在原業平の「ちはやぶる神世も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは」である。龍田という艦名は2代目で、初代は1894年に竣工し日露戦争などに参戦した通報艦だった。1916年に潜水艇母船「長浦丸」(後に潜水艦母艇「長浦」)となり、1926年に除籍・売却された。初代は逆の意味で潜水艦と縁が深かったのだ。
 この艦のある日の厨房、唐揚げを作ろうとしたら小麦粉が無いことが判明。代用品に片栗粉を使って唐揚げを作成したところ好評だった。この瞬間、「龍田式唐揚げ」=「龍田揚げ」が誕生したと言われている。ただし、別の語源であるとするものもある。語源の仮説の一つにこの艦が絡んでいるのである。この海軍、突然知らない料理のビーフシチューを作れと言われて肉じゃがを作るような所なのであながち嘘とも言えない……気がする。カレーも魔改造してるしねちなみに肉じゃがの由来だが、東郷平八郎はイギリスへ留学した際に気に入ったビーフシチューを、日本で艦上食として作らせようとした。しかし、そもそもビーフシチューを知らなかったので混乱した料理長は、とりあえず日本人向けの味付けにして提供し、これが肉じゃがの由来だという。呉と舞鶴がどっちが発祥かで鎬を削っていたが、現在は大岡裁き的に「どっちも発祥ってことでひとつ」ということになっている。
 遠征任務では天龍+駆逐艦が提督達のお気に入りだが、史実はさにあらず。天龍喪失後に龍田は再び水雷戦隊(第一一)旗艦に復帰している。第一一水雷戦隊は練成部隊であり、その配下は教育係としておなじみ第六駆逐隊(結成までに沈没した除く)と、就役したばかりの早霜・秋霜・霜月(いずれも未実装)であった。ちなみに、ネタで幼稚園の引率の先生で描かれる場合もある。天龍が熱血系お姉ちゃん先生なら龍田はヤンデレは鳴りを潜めた優しいお姉さん先生。実際のところはこの頃になるともう天龍型の性能が不足してるなんて寝言は言っていられなかったのである。

 2012年4月、ニューヨークモーターショーで後継モデル「SRT・バイパー」と上級モデル「SRT・バイパー GTS」が正式発表された。前述の通りブランドは2012年から2014年の間はダッジからSRTに変更されていたが、メカニズムやコンセプトは従来型のそれを受け継いだ。搭載されるV10エンジンの排気量は8.4Lと先代から変更はないが、ピストン,インテークマニホールド,エギゾーストパイプなどに改良を施し、最高出力は640hp(約649ps)まで向上、最大トルクは813N・m(83kgf・m)で、自然吸気エンジンとして世界最大であると発表された。シャシーのねじり剛性を50%向上させながら、ルーフ,ボンネット,リアゲートにはカーボンファイバーを、ドアにはアルミニウムを使用。これにより先代より45kg軽量化された。トランスミッションには従来同様6速マニュアル式を採用、電子制御システムは、マルチステージ・スタビリティコントロール,トラクションコントロール,4チャンネルABSが搭載される。上級モデルのバイパー GTSはクーペよりさらに軽量な1,476kgに、加えてショックアブソーバーを組み込んだアクティブサスペンションが標準搭載される。
 龍田が持つ3代目バイパーGTSは、上記の説明通り、4チャンネルABSやトラクション・コントロールを搭載。安全性で的確な操作性が求められる時代に、こういった電子制御システムを装着するのがセオリーのようだ。あまり攻撃的のように見えないフロントからは、絶対的な伝説の勇姿が見えているのかもしれない。

球磨
●トヨタ/ヴォルツ S'02

・パフォーマンスポイント(PP):376
「非力・・・と呼べない、"若者向け新ジャンルカー"という目標で完成されたクロスオーバーだクマ」
 2002年8月に発売されたヴォルツは、トヨタとGMによる初のコラボレーションカーである。「若者向けの新ジャンルカー」を目標に企画とデザインは共同で行ない、設計とテストはトヨタ、生産はカリフォルニアにあるトヨタとGMの合併会社NUMMIが担当した。北米ではGMがポンティアック ヴァイブとして販売したこともニュースだった。
 ユニークなのはスタイリングだ。ボディはカローラがベースで全長4,365mm、全幅1,775mm、全高1,605mm。長さの割に幅と高さがあり、小型ミニバン程度のサイズである。
 それでいてフロントマスクはいかつく、前後フェンダーやボディ下部にはSUV風の樹脂パネルが付く。タイヤも16インチと17インチという大径タイプだ。まさにSUVの力強さとクーペのスポーティさ、ワゴンのユーティリティを融合したクルマである。
 インテリアも全体はシンプルだが、ユニークな丸型4種メーターや台形のセンターパネルが若々しさを演出している。2,600mmという長いホイールベースのため室内の広さも相当で、自在なシートアレンジとあいまって大きな荷物も積み込める。
 基本コンポーネンツもカローラ譲り。エンジンはチューニングの異なる2つの1.8L直4DOHCで、190PSのVVTL-i付きと、132PSのVVT-i付きが選べた。ギアボックスは4速ATがメインだが、190PS仕様では6速MTもチョイス可能。駆動方式はFFとVフレックスフルタイム4WDだ。
 ヴォルツは斬新なクロスオーバー・カーだったが、惜しくも2004年春で日本への輸入が終了し、製造元のNUMMIも解散することとなった。よくできた日米のコラボレーションカーとして結末が惜しまれる1台である。
 同じ球磨型でも、何故かこの球磨だけ能力の最大値が高いクマ。具体的には火力、雷装、対空、装甲が10高くて、軽巡最強クラスなんだクマ。「意外に優秀な球磨ちゃん」なんて呼ばれるだけあるんだクマー。戦闘に軽巡が必要なら、球磨を育てるといいクマ。
 他には長良がほぼ互角クマ(球磨が耐久1劣るだけクマ)、名取川内も結構強いクマ。阿賀のみんなも強いけど、ちょっと大食い過ぎるかもしれないクマ。神通那珂になると丈夫で強いけど、本領発揮までがちょっと長いクマ。球磨は即戦力になれてそのまま長く使っていけるのが強みクマ。一部の能力に特化した五十鈴や、艦種が変わっちゃう北上役に立つクマ。得意分野は人それぞれクマ。
夜戦火力が高く、球磨・長良・名取は同じ装備なら重巡で夜戦最強の愛宕高雄を上回るクマ。
 天龍型の次に開発された、5,500トン級軽巡洋艦の雛形クマ。サイズアップで居住性も改善されたクマー。実をいうと体型は天龍姉さんと全く同じなんだクマ~、サイズアップされただけなんだクマ~ちなみに前型の天龍型が小排水量に重武装を詰め込みすぎたせいで拡張性に難が生まれた事を反省して、大馬力とそれに裏打ちされた優秀な拡張性の実現を目指して造られたのが球磨だクマ。球磨と多摩はその拡張性能を水上機搭載に使ったクマが、他の妹達は違う事に使ったクマ。竣工当時の長門すら上回る、90,000馬力のハイパワーに裏打ちされた快速が売りクマ。
 デビュー当時は最大速力36ktを誇る強豪艦だったクマ、でも太平洋戦争開戦時には陳腐化してたクマ。まあ20年も経てばしょうがないクマ。と言うかこの頃には装備の増強で7,000tにまで排水量が増えて32ktしか出なかったクマ。ちょっと乗せすぎクマ~
 火力の低さや駆逐艦の性能が上がったんで、もっぱら兵員輸送に従事してたクマ。後方任務だって立派な軍務クマ。艦長には潜水艦の醍醐提督、戦艦「ミズーリ」での降伏文書調印式に列席した横山提督がいるクマ。最後の艦長は「杉野はいずこ」で有名な杉野兵曹長の長男だったクマ。
 艦名の由来は熊本の球磨川クマー。2番艦は多摩川の多摩、猫みたいな名前クマ。これならいっそ、3番艦以降も動物みたいな名前で揃えて欲しかったクマ。三隈熊野最上型姉妹や筑摩阿武隈は語尾にクマをつけてない普通の喋り方だクマー。なぜだクマ。
ちなみにくまとつく5隻がみんな川の名前なのは書類上は(最上姉妹と筑摩も15.5cm砲搭載予定だったから)軽巡だからだクマ。でも「くま」のつく巡洋艦5体で「くま戦隊」を組んでも特にボーナスはないクマー。やっぱり戦隊は5色でないとダメだクマ。能代の「能」に点を4つつけたら「熊」になるクマ。くま戦隊に入れるクマ。
 第三艦隊司令部直率の第16戦隊としてフィリピン攻略で活躍したクマ、戦隊の仲間には足柄長良がいたクマ。途中から16戦隊の旗艦になって、第一艦隊から引っ越してきてた北上大井を率いて南方で頑張ったクマ。
 ツタンカーメン級潜水艦「タリホー(Tally-Ho)」に沈められたクマ。元はキツネ狩りなんかでの掛け声で、あえて訳すなら「来いや~!」という意味になるクマ。軍隊でもよく使われていたクマ。クラス名といい、イギリスの艦名って何かがおかしいクマ。対潜戦闘の訓練に出かけて潜水艦にやられたというのは内緒だクマ~
 球磨型5姉妹の煙突の先には、通称「そろばん玉」と言われる雨水除去装置が取り付けられてるクマ。姉妹の中で球磨だけが3本の煙突全てに取り付けられていて、先が膨らんでるクマ。写真を見る時はそこで見分けるといいクマ。敬礼ポーズが間違ってるクマー?これは手をかざしてるだけクマー。正式には右手を使って、脇は締め、手の平を自分側に向けるのが海軍方式だクマ。クマクマ言ってるけど、どこぞの釣られてる熊と一緒にしないで欲しいクマ。
 トヨタのCMでも登場したヴォルツ。若者向けの為か、デザインが派手になり敵艦の的にならなきゃいいが。SUVで多目的に使えるので、補給する部隊に回されることも。

多摩

●ポンティアック/バイブ GT'03

・パフォーマンスポイント(PP):396
「間違っても、"あっち"のバイブではないので。あっちと思った提督には轟沈を!」

 ポンティアック バイブは、トヨタ マトリックスの兄弟車として2002年に市販されたサブコンパクト・クロスオーバーSUVだ。右ハンドル仕様がトヨタ ヴォルツとして日本にも輸入されたこともあり、馴染みのあるアメリカ車といえる。
 そのバイブの最上級スポーツグレードがGTだ。このクルマは、マトリックスXRと同じメカニカルコンポーネンツを使ったワイルドなグレード。最大のハイライトはエンジンで、スタンダードのバイブがカローラと同じ1.8Lの1ZZ型を積むのに対し、GTは6速マニュアルミッションも含めてセリカと同じ2ZZ型を搭載する。パワーはスタンダードの140PSに対して183PSを誇る。
 このパワーアップに対して当然サスペンションやブレーキなども強化されており、スタンダードの手ごろなコミューターというキャラクターは、一転して精悍でスポーティなマシンと変貌している。
 もちろん、クロスオーバーSUVとしての性能にも抜かりはない。ブラックを基調とした車内は、2,600mmというホイールベースを生かして前後、高さともに余裕のある空間を持っている。シートのアレンジも絶妙だから、アウトドアで使う大きなアイテムも余裕を持って飲み込んでしまう。
 ちなみにバイブ GTをベースとしたバイブ GT-Rというチューンドバージョンも発表されたが、市販には至らなかった。
 2008年、ボンティアック バイブはトヨタ マトリックスともどもフルモデルチェンジを実施したが、生産拠点NUMMIの解散に伴い人気を博せなかった点が惜しまれる。
 戦争中は第5艦隊第21戦隊に所属。レイテ沖海戦で艦隊ごと動員されるまで、北はアリューシャン・千島・樺太方面、南はトラック諸島からカロリン諸島まで幅広く活動していた。
 艦歴が古い影響で最前線ではなく輸送任務が主だった為、アッツ・キスカ島作戦以外で目立つ戦歴はない。名高いキスカ島撤収作戦で、1回目の出撃では「多摩の機関では心許ない」ということで泊地で待機させられた。1回目は突入断念し、2回目の出撃では木村昌福艦隊の「督戦」として、河瀬四郎第五艦隊司令長官ほか司令部一同を載せて出撃している。映画などでは省略されてるので意外に思う人も多いそうな。そのかわり、北方から南方まであちこち輸送に駆けめぐった縁の下の力持ちである。猫の手も借りたいとはこの事か。艦長リストには百武源吾、及川古志郎、嶋田繁太郎といった錚々たる面々が。「海の辻ーン」といわれたあの神重徳もいたりして。山本長官と喧嘩してた人間ばっかじゃねぇかとか言うな。「ご奉仕するにゃ」「しょうがないにゃあ。」「これで大丈夫にゃ。問題にゃい。」と色々と突っ込みどころのある台詞が多い。
 この猫ネタと球磨とのコンビネタなど、持ちネタは多め。動物ネタは時代を選ばない。「なのです」掛け軸の足跡は多摩のものらしい。ということは、多摩の素足って…?前出の百武源吾は、艦長時代に生まれた末娘に「多摩」と名付けている。
 でも史実でコンビだったのは木曾であり、球磨ではない。凸凹コンビにもほどがある。ナゼダクマー!21戦隊所属の2隻はどちらも北方迷彩が施されていた。多摩の艤装の塗装も実はアリューシャン風味。
 名前の由来はもちろん多摩川。山梨県から東京都を通り、神奈川県との境を流れる一級河川である。多摩ちゃん意外と都会派。因みに生まれは三菱造船(現三菱重工業)長崎造船所。
同郷には妹の木曾の他、霧島日向武蔵川内隼鷹などが居る。同造船所は現代でも、こんごう型やあたご型などを始めとする大型艦艇を多数建造している由緒正しい造船所であり、
そこで建造された多摩ちゃんも、最上級の血統書付きと言えr「猫じゃないにゃ」
 エンガノ岬沖海戦で、日向五十鈴らとともに千歳千代田を護衛していたが、被弾して速力を発揮できなくなった。心配した五十鈴が救援のために近づくと、多摩は千代田の救援を依頼し、「本艦の救助には及ばず、貴艦のご健闘を祈る」と五十鈴に告げて、単独で離脱していったという。しかし1944年10月25日23時10分、米潜水艦ジャラオ(Jallao:SS-368)の雷撃により魚雷3本が命中、撃沈された。乗組員全員戦死。
 あまり猫には似つかわしくないポンティアックのバイブ。前輪駆動をメリットに、コースアウトしても問題ない・・・はず。アウトドアやキャンプの相棒にぜひ!中古に売ってんのかなこのマシン。

北上
●シボレー/カマロ SS'10

・パフォーマンスポイント(PP):561
「アメリカでは人気のカマロ、究極の第5世代目の進化」
 2006年1月のデトロイトショーでのコンセプト発表から2年後、2008年の同ショーで市販型カマロはその姿を現した。
 1967年に登場した初代モデルから脈々と受け継がれているロングノーズ&ショートデッキの迫力のスタイリングや後輪駆動レイアウトなどはそのままに、最新のエンジニアリングを導入。上級グレードとなるSSには6速MT仕様で432PS/58.1kgfm、6速AT仕様では405PS/56.7kgfmを計上する、コルベット用LS3の改良版である6.2L・V型8気筒エンジンを搭載。そのハイアウトブットに対応すべく、パフォーマンスサスペンションやLSD、ブレンボ製ブレーキシステムなどが専用で装備される。その走りの実力は、メーカーの発表によれば、ニュルブルクリンク北コース1周を8分20秒でこなすという。
 そのいっぽうで、搭載されるV8エンジンは運転状況に応じて4気筒を休止するアクティブ・フューエル・マネジメントを採用。燃費・環境性能への配慮も抜かりない。事実、米国EPA高速モードにおける燃費は10.6kgfm/Lをマークしているというから、この手のモデルとしては十分といえる地球への配慮だろう。
 2002年に生産がストップした第4世代モデルから見事復活を遂げた第5世代のこのカマロには、ひと昔前までアメ車が揶揄されていたネガティブな要素は、皆無に等しい。このような高い完成度を見せるカマロだが、リーズナブルな車両価格の設定も見逃せない。上級グレードSSの日本仕様で535万円と、同サイズのエンジンを積む他ブランドのライバルと比較しても格段に安価に設定されている。この点も十分魅力的なポイントである。
 本艦は、基本的には平均的な軽巡洋艦である。しかし、将来的に強力な艦種になるため、初めて迎えた場合は、安易に解体したり近代化改修素材として使用するのは極力控えよう。
 史実で衝突事故を起こしたために、阿武隈に怖がられている。阿武隈が北上の左舷後方に突っ込んだのだが、船舶の衝突事故の場合、進路に割り込んで突っ込まれるなどの例もあるので、どちらが悪いとは一概にいえない。この件でどちらかの艦長、もしくは双方が処罰された記録もないので、海軍は不可抗力の事故と見ていたようである。ただし当時の北上艦長は華族出身の上に、東郷平八郎元帥の娘婿だったので、処分がもみ消された可能性が指摘されている。
 見てのとおり艦名は「きたみ」だが、自己紹介はどう聞いても『きたみだよ~』……故郷の訛りなのかもしれない。そういうことにしておこう。
 1941年に艦隊決戦を見越して重雷装艦に改装。主砲3門や高角砲を外してまで魚雷発射管を詰め込み、両舷合わせて驚異の40門搭載。これに新型秘密兵器の酸素魚雷を搭載して大いに活躍する……はずだった。だが肝心の日本自らが真珠湾とマレー沖海戦で航空主兵時代を招いてしまい、戦争計画の大前提が引っ繰り返ったため出番なし。更には開戦から一ヶ月後、連合艦隊参謀長の宇垣纏少将が大井を視察しに来た際には「このままじゃ使えないし他の使い道を考えろ(要約)」と軍令部に指示する有様であった。改装からちょうど1年後の1942年8月~9月に高速輸送艦へと改装。大発動艇2艘を積めるようになり、以降は当然のようにもっぱら輸送任務に従事した。戦争末期には回天搭載艦に改造された。本土決戦のための海上挺進部隊に編入されるも、重油不足のためまともな訓練もできず、呉軍港に停泊したまま回天の発射訓練などをするにとどまった。1945年7月24日の第2回呉軍港空襲で大破・航行不能となり、この状態で8月15日の終戦を迎えた。戦後は復員輸送支援の工作艦として使われた後、1946年10月に解体された。
 親友の大井っちとは、たった二隻しかいない雷巡同士の仲。史実での計画ではあと一隻(キソーさん)予定されていたが実行はされなかった。(ゲーム内では2013年12月11日のアップデートにより、重雷装巡洋艦、木曾改二が実装)改二になると持ってくる五連装酸素魚雷、図鑑でわかるが実は北上の装備ではない。あの五連装は島風のみが搭載していたものである。
 海上自衛隊においてもその名は引き継がれ、いすず型護衛艦3番艦「きたかみ(DE-213)」が存在していた。なお後期建造艦2隻は、機関や武装で大きな差異があったことから、特にきたかみ型と呼ばれる。来世は駆逐艦でした。因みに終始活動を共にしたいすず型護衛艦4番艦、もしくはきたかみ型護衛艦2番艦は「おおい(DE-214)」である、やったね。
 他にも、かの東日本大震災の津波を乗り越える動画で一躍有名になった、海保の巡視船「きたかみ(PM-02)」や名古屋-仙台-苫小牧行路を結ぶフェリー「きたかみ」等が存在。どっちとも同僚に「きそ」が居るのは笑うところ北上の名前は戦後も意外と人気があるようだ。巡視船「きたかみ」は東日本大震災発生時釜石港内に停泊しており、湾内の船舶の避難誘導を行う為に緊急出港。しかし第一波到達前に湾口防波堤から出ることができず、収束された津波をまともに食らって一時操船困難になるなど危険な状態になったものの、乗員の適切な判断で難を逃れた。船内の映像は塩釜保安(第二管区海上保安本部・宮城海上保安部)が音信不通、釜石海上保安部からの無線で釜石市の壊滅の報が入るなど衝撃的なものになっている。
 敵艦ではヨ級と同じカマロを所有する北上。このクルマと対等的といわれるチャレンジャーが阿武隈なのも分かるはずだ。期待通りのアメリカンパワー全開で、V8エンジンが唸らす。マッスルカーだけにあって、直線番長に見えないコーナリングを見せる。加速性能をアップする為か、リアに大型のリアウィングが堂々と付けられている、その他フロントやリアにもエアロを装着され、まるで"ZL1型(北上さん的には)風"に仕上げられている。ただし、ホイールだけはノーマルというアンバランスが見受けできる。

大井
●シボレー/コルベット スティングレイ(C7)'14

・パフォーマンスポイント(PP):561
「コルベット第7世代の本気!」
 2013年、7代目となる新しいコルベット「C7」が2014年モデルとして登場し、再びスティングレイを名乗ることになった。スタンダードモデルはコルベット至上最強で、本国の数値では455HP/460ft-ld(約461PS/約64kgfm)を発生。オプション装備時は460HP/465ft-ld(約466PS/約64kgfm)となる。
 12種類の車両特性をドライバーの環境に合わせる「アドバンス・ドライバー・テクノロジー」は、5段階のドライブモードセレクターを装備。新型7MTは次のギア選択を予想し、シフト時にエンジンスピードを完璧に合わせる「アクティブ・レブマッチング機能」を導入している。
 心臓部分には最先端技術を組み合わせた6.2L LT1アルミV8エンジンを採用し、抜群の高効率燃費を実現。ボディに軽量素材を多用しているのはもちろん、新型アルミフレームの後方に重量をオフセットし、50:50に近いウェイトバランスと、世界トップクラスのパワーウェイトレシオも実現した。空力もレース譲りのデータを元にスタビリティの向上を図っている。
 サーキット走行が可能なZ51パフォーマンスパッケージは電子LSD、ドライサンプ形式の潤滑システム、統合制御ブレーキ、ディファレンシャル及びトランスミッション冷却システムなどを装備。0-60マイル(0-97km/h)加速はなんと3.8秒、反対に時速60マイルから完全停止への減速は107フィート(32.6m)のブレーキ性能を誇り、コーナーでは1.03Gを発生する。バージニア・インターナショナルレースウェイの4.2マイル(6.8km)グランドコースでは2分51.78秒のラップタイムを叩き出した。
 1963年のスティングレイがそうだったように、スティングレイを名乗るマシンは最新のテクノロジー、息を呑むデザイン、怒涛のドライブ体験を提供しなくてはならない。
 2014年型コルベット・スティングレイは見事にその伝統を継承したのである。
 ローマ字で「OI」。これは鵜来(うくる)型海防艦「伊王」と並び世界で一番短い艦名だとか。
 平時は、というか竣工から戦争が始まるまでは兵学校で練習艦をしていた。その後は北上さま共々雷巡に改装されて参戦。しかし開戦から1ヶ月後、連合艦隊参謀長であった宇垣纏少将が視察。その際「重雷装艦の戦術ってこの先どう考えてもやる機会ないだろJK・・・」と海軍軍令部にぶっちゃけてしまう。この為軍令部が慌てて使い道を検討する間、輸送護衛や第一艦隊に所属して行動した。
 結局は北上さま共々、せっかく増やした発射管を一部外して高速輸送艦として改装。輸送任務に従事している。1944年7月19日、南シナ海において米潜水艦の「フラッシャー」(Flasher,SS-249)の雷撃を受け3本被雷、敷波曳航しようとしたものの午後5時25分沈没。柴艦長以下368名は敷波に救助されたが、153名が戦死した。
 海上自衛隊においてもその名は引き継がれ、いすず型護衛艦4番艦おおいが存在していた。なお後期建造艦2隻は、機関や武装で大きな差異があったことから、3番艦の名前を取り、特にきたかみ型と呼ばれる。因みにきたかみとおおいは大湊を根拠地とする第32護衛隊で終始活動を共にし、両艦の除籍をもってこの隊は解隊された。来世でも幸せになれたようです。
 2014年から量産化された7代目コルベット。前作「グランツーリスモ5」に収録された"テストプロトタイプ"から始まり、"ファイナルプロトタイプ"を経て市販仕様を新規収録された。
 大井の持つこの7代目C7型コルベットは、北上と同じようにマッスルカーという立場のもと、配給されたもの。ライバル車は、龍田の3代目バイパーGTS。そこまでコントロール不能になることなく、アメリカンらしいセッティングを施されている。直線番長は健在と呼べるほど、ミッションを弄ってある。

木曾
●シボレー/カマロ Z28'69

・パフォーマンスポイント(PP):468
「マッスルカーとして活躍された初代カマロ」
 巨体はびこるアメリカ車の世界に投入されて、いきなり大成功となったコンパクトなスポーティクーペ、フォード マスタング。それをすべての面で上回るべく開発され、1966年の秋にデビューしたのが初代シボレー・カマロだ。
 マスタングと比べれば女性的で伸びやかなスタイリング、マスタングよりも安い価格設定。カマロはデビューと同時に大きく注目されたが、それでも販売成績ではマスタングを凄くことができなかった。そこで投入されたカンフル剤が、Z28である。
 4シーター・スポーティカーのための通称「トランザム・レース」のレギュレーションに合わせ排気量を設定し、高度なチューンナップを施したエンジンと、それを受け止めることのできるシャシーまわりなど、速く走るために仕立て上げられたZ28の存在は、カマロのイメージに大いに高め、販売台数を伸ばすことに貢献した。
 搭載する302ユニットは294PS、それを5,800rpmで発生する高回転型のホットなテイストは、そのままレーシングカーの味わい。実際にレースで活躍したこともあって、当時のクルマ好き達を大いに熱狂させた。
 初代カマロは1969年いっぱいまで生産が続けられたが、最終型となる1969年モデルは、フロントフェンダー後端に新設されたキャラクターラインやバンパー下に設けられたドライビングランプをはじめ、最もスポーティなルックスを持たされた。そのため、ヒストリックカーとなった現在でも一番人気のカマロとなっているが、中でもZ28は別格的な扱いで、憧れの対象になっている。
 木曾だ。木曽じゃないぞ。イラストがそうなってるって?どっちも意味は同じだ。気にするな……。みんなからはキソーさんと呼ばれてる。なぜ音が伸びてるのかは、知らん。誰か教えてくれ。←「20万の感謝」記念掛け軸を参照のこと。
 ……ああ、すまん。すっかり忘れてたぜ。飛行機の話だが、陸上機の滑走台を設置したことならある……でも駄目だね、アレは。大して役に立たなかったから撤去したよ。姉さん達と長良型、川内型のやつらはカタパルトを後付けしたみたいだが、やれ滑走台だカタパルトだ?そんなもんはいらねえな。戦いとは敵の懐に飛び込んでやるもんよ。なぁ、提督もそう思うだろ?
 オレが隻眼なのは恐らく水上機の格納庫に掛けられてた天蓋がモチーフじゃないかって考察されてる。戦いの途中でサーチライトという目を潰した天龍の姉貴とはちょっと違うな。……まぁ、言っちまえば今の俺のこれは戦いの傷と"アレ"を隠すためだ。あ?「中破しても眼帯取れてねぇだろ」って?とにかく最後まで聞いてくれ。
北上姐さんと大井の姉御もカタパルトは付けなかったんだが、知っての通りあの二人は魚雷40門の重雷装艦になった。
 ふふっ、カッコいいだろ?誰の案かは知らないが、よくわかってやがる……有能だな。ホントは俺も含めて3隻が改装される予定だったらしいが、俺だけ順番が回って来なかった。……まぁ、仕方ない。戦時ってのはそんなもんだからな。だが、今のままでも充分役に立つってところは証明してやるよ……最高の勝利でな!でも、改造してくれればもっと活躍してみせるぜ?
パラメータは上昇、スロットも増えて初期装備に酸素魚雷零式水上偵s―ってちょっと待て!水上機なんていらないって言ってんだろ!……まぁ初期装備で付いて来るなら、仕方無い、けどな……貰っといてやるよ。酸素魚雷の方は嬉しいから、そっちのついでで礼は言ってやる。まぁ何だ、それでも頼りねぇとか満足できねぇってんなら最後の手段だ。今は戦時中じゃなくて現代だしな、ポシャった計画が改めて採用される事だってあるんだぜ?とにかく俺をレベル65まで育ててみろ。お前に今以上の勝利を約束するぜ。
 2.26事件の叛乱が起こったその日のうちに、一番槍で東京湾に馳せ参じて陸戦隊一個大隊を送り込むはずだったんだが……出港寸前で軍令部の偉いさんに止められちまった。横鎮の参謀長だった井上の旦那なんかは「何が何でも木曾を出動させとくべきだった」って悔しがってたっけ。本当は那珂の仕事だったんだが、あいつは「九州でツアーがあるんだよ☆キャハッ!」とか言って出かけてて、留守番だった俺にお鉢が回ってきたのさ。出られなきゃ同じことだが。
 いつだったかな…マニラで潜水できるのかどうかも怪しい潜水艦を怒らせちまった事も……あったな。あいつ何の因果か鎮守府に現れてな、海軍式の炊事を知らん様子だったから教えてやったよ。今は友達だ。陸軍海軍なんて関係ないな。
 そろばん玉ってよく言われるが、この水兵帽のことかって?違うな。煙突先についてる雨水除去装置の事さ。俺には二つ、球磨姉さんには三つついてる。確認しな。
 そういえばタミヤからウォーターラインシリーズで俺が発売された時、何故か俺だけ木製の飾り台がついてた。無駄に豪華だったが、その分値段も……な。最期の地はマニラ湾だ。奮戦の末に大破着底した。だが俺の戦いはまだ終わっちゃいない。鉄屑になっても沈没認定がなかなか出なかったもんだから、軍艦旗を翻し防空砲台として空を睨み続けたよ。
 艦長には、第二次上海事変で奮戦した大川内傳七、皇族出だが特別待遇を拒み出世した小松輝久、南太平洋海戦を指揮した角田覚治、その同期で大和と共に沈んだ伊藤整一など……
男自慢するわけじゃないが、すごい奴らばかりだった。戦いとは武器を見せあうことじゃない、気骨を見せあうことなんだ。そのことを教わった。ただのカラ元気や負けん気じゃない。みな自他に誠実だったと思う。気骨とはそこから生まれるものだともね。
 そしてオレは戦後浮揚され解体された。日向達は日本復興の礎になったが、オレはフィリピンの地で彼の発展の礎になったんだ。これはオレぐらいだ。
 完全に余談だが、俺が大破着底した11月13日は茨城県民の日(つまり茨城県が誕生した日)だそうだ。那珂のやつの聖地巡礼とかで行くヤツは、ついでにオレのことも思い出してくれよ。
 あ~ちなみに、俺の名はいま海上保安庁の巡視船(PL-53)が名乗ってる。不審船騒動あとの新型なんで銃撃にも対応してるんだぜ。最近では大忙しさ。フェリーにもいるそうだが、やっぱりあいつらみたいに、生まれ変わるなら軍艦になりたいもんだな。
 カマロの売れ行きを後押ししてくれたハードグレードのZ28。マッスルカーの中では比較的に大人しく、コントロール不能になることはない。

長良
●トヨタ/86 GT'12

・パフォーマンスポイント(PP):428
「操作性はあの名車"ハチロク"再来か」
 トヨタとスバルの共同開発による小型FRスポーツカーのコンセプトとして2009年に発表され、ファンの期待をかき立てたFT-86 コンセプト。2011年、そのトヨタ版の市販モデルが東京モーターショーでついにデビューした。
 FT=Future Toyotaが外れて単に「トヨタ 86」と命名された新世代のハチロクは、2011年のジュネーブショーに展示されたFT-86 Ⅱ コンセプトにかなり近いシルエット。エアロハンドリングと呼ばれる、前後上下左右の各方面から車体を路面に押さえつける発想でデザインされている。
 フロントミッドに搭載される自然吸気の1,998cc、4気筒DOHCボクサーエンジンは200PS/7,000rpmと20.9kgfm/6,600rpmを発揮し、ストロークの短い6速MTまたはパドルシフト付6速ATを経由して後輪に伝えられる。
 前後重量配分は53:47で、操舵感とテールの動きのコントロール性を考慮した数値。重心高は460mmとスーパーカー並みの低さだ。車重は最も標準的なグレードのMT仕様で1,230kg。LSDが標準で備わるグレードも用意された。
 新世代のハチロクは、俊敏な走りとコントロールを楽しむために、あらゆる部分が徹底的に考え抜かれて専用設計されている。その甲斐あって、まるで手足の延長上にクルマがあるかのような、ダイレクトで一体感のある痛快なハンドリングを心ゆくまで味わい尽くせるスポーツカーに仕上がった。
 同時に、モデリスタやTRDのカスタムパーツが多数ラインナップされるほか、競技用のベースに最適なカスタマイズグレードも用意される。クルマ好きの心をどこまでも大切に考えた、新世代のライトウェイトスポーツである。
 八四艦隊計画で建造された長良型二等巡洋艦のネームシップ。球磨型とほぼ同じ設計だが、魚雷が強化されている。
 艦長にはロンドン軍縮条約を推進した堀悌吉や安倍総理の大伯父佐藤市郎、舞鶴鎮守府司令長官を務めた小林宗之助などがいる。
 川内型以降、日本海軍が重巡ばかり建造していたため、開戦時には既に旧式艦となっていた。フィリピン侵攻戦を始め、空母や戦艦の護衛艦隊旗艦として数々の海戦に参加。新型軽巡の阿賀野にバトンタッチするまで最前線を駆け廻った。
 ぶつけられたこともあるけど忘れた。だったかな?地味ながら意外に強運で、数値も少し高めの12。陰りが見えはじめていたとはいえ自慢の脚は健在で、1943年末クェゼリンに停泊していたとき空襲に遭うまで大きな被害を受けなかった。このとき至近弾で搭載していた魚雷頭部が誘爆、戦死者48名、負傷者112名を出してしまう。工作艦山霜丸から応急修理を受けた後トラックへ移動。病院船氷川丸に負傷者と戦死者の遺骨を預け、航行不能の長波を曳航しながら日本に辿り着いた。敵潜水艦の動きが活発な中、艦尾がない長波を曳航しつつこれまた満身創痍の長良がノロノロ航行すれば恰好の餌食になると予想されたため、負傷した艦長に変わり指揮を執った艦長代理は、死を覚悟して病院船に預けた遺骨を受け取り、沈むときは英霊を抱いて眠ろうと言ったらしい。このような少なからぬ縁があるのに両者の台詞に接点はない。長波はもう少し感謝してもいいんじゃないかな?
 その後、呉で近代化改修を受けて対空兵装が大幅に強化された。1944年8月7日、天草諸島沖でSS-246「クローカー」の雷撃を受ける。長良はジグザグ航行で回避したつもりだったが、2分後、元の進路に戻ったところ1本命中、沈没した。すでに運を使い果たしていたのかもしれない。なおこのときの映像が残されており、彼女最末期の兵装を確認できるらしい。
 牛深町に慰霊碑がある。魚行商のオバちゃん(佐々木ツル氏:故人)が私財を投じ建立したもの→鎮魂の丘また牛深町の観光施設うしぶか海彩館二階には軍艦長良記念館が設けられている。交通の便が悪いのが難点。訪れてみようと思う提督は、九州新幹線 出水駅から出水・天草ロマンシャトルの使用をお薦めする。
 なお、謎の戦艦『ヒラヌマ』の正体はどうも長良らしい。
 カー・オブ・ザ・イヤーでも特別賞を受賞した86。扱いやすく、その上コースの特徴を生かしたライン取りができる。だが、敵車をしつこく煽ったり、クラッシュ覚悟のコーナーの突込みなど、無茶ぶりが発揮してしまう事も。

●トヨタ/86 "レーシング"'13

・パフォーマンスポイント(PP):425
「ワンメイク仕様。差も少ないマシンで勝負!!」
 2012年夏、トヨタが運営するGAZOO Racingは、トヨタ 86とスバル BRZのナンバー付き車両によるワンメイクレースを2013年夏頃から開催することを発表した。
 このレースでは完全なイコールコンディションを維持するため、出荷時にエンジンに封印を施した車両でのみ参加が可能となる。そのためにトヨタは「86 レーシング」、スバルは「BRZ RAレーシング」という専用車種を用意し、販売している。
 86 レーシングはトヨタテクノクラフトが仕様を決め、架装をし、全国のトヨタ販売店を通じてデリバリーするナンバー付きレーシングカー。6速マニュアルの車両をベースに、トルセン式LSDやリアまでベンチレーテッド化がなされた4輪ディスクブレーキが備わり、フロントバンパーの下側にはブレーキ冷却用のダクトが、フロントグリルの内側には空冷式のオイルクーラーを装備。また室内には専用のロールケージが組まれ、競技専用の4点式シートベルトも装着されている。また車体前後には牽引フックが取り付けられる。
 とりたててエンジンの出力を上げたりサスペンションを締めあげたりするチューンナップは行なわれていないが、サーキットを走らせるのに全く不足のないモデルに仕上げられている。
 いっぽうで、街中での走行を考慮して、マニュアル式のエアコンや電動格納式ドアミラーなども装備されている。後席も残されているので、通常の86と同じように買い物やデートにも使えるレーシングカーなのだ。
 球磨改名取改と並んで軽巡改ではトップタイの火力と雷装を誇る。初期値や打たれ強さこそ阿賀野型に劣るが、攻撃力の最終値や燃費、入手難度で優っている。長良改はそれに加えて耐久や防御もわずかに高く、特化型の五十鈴改二を除けば、軽巡最強艦と言っても過言ではない。神通改二の実装により最強の座は譲ったものの、改二クラスと比肩し得る優秀な艦である事には変わりない。
 あまりノーマル仕様と変わらない改仕様。操作性なども変わらず、追加されたといえばバンパーに牽引用のフックが付いた程度。

五十鈴
●スバル/BRZ S'12

・パフォーマンスポイント(PP):425
「トヨタと共同開発、スバル初のFRライトウェイトスポーツカー」
 トヨタとの共同開発で生まれたFRスポーツカーのスバル版として2012年3月に発売されたBRZ。トヨタ版は2009年にFT-86 コンセプトを発表するなど、早い段階からプロジェクトの形を一般公開していたが、スバル版が初公開されたのは2011年のジュネーブショー。それも透明なボディでシャシーの様子と低い位置に搭載されたエンジンを見せるための技術展示だった。
 しかしこの技術展示でスバルは、お家芸である水平対向エンジンがどれほどの低重心化を可能にしてクルマの基本性能に好影響を与えるか、大きな自信をもってアピールしたのであった。
 量産型のプロトタイプが初公開されたのは2011年11月の東京モーターショー。話題を先行していた兄弟車のトヨタ86とは基本的に同じクルマであり、200PSのエンジンや、6速MTと6速ATが用意されるトランスミッションも同一のものが採用されている。車体も基本は一緒で、異なっているのはフロントグリルやフォグランプの形状、インテリアなどの細かな部分だ。86より少々大人っぽい雰囲気が漂うが、実は乗り味に関しても同様で、86がリアを積極的にスライドさせて楽しむのに向いた方向性であるのに対し、BRZはグリップ重視のやや落ち着いたセッティングとなっている。
 グレードは競技ベース仕様の「RA」、標準仕様の「R」、上級仕様の「S」の3つで、どちらかといえばスポーティ志向の「R」に対して「S」はグランツーリスモ志向。シリーズ唯一となるレザー&アルカンターラパッケージと呼ばれるゴージャスな雰囲気のインテリアがオプションで用意されている。
 Lv12と破格の低さで改造可能。その際に21号対空電探と61cm四連装(酸素)魚雷という、実戦経験の少ない提督にとっては有り難い装備品を持ってきてくれる。
 Lv12までは3-2-1旗艦で12回、通常で18回である。が、面倒なら遠征艦隊に放り込んでLv12を待つのも良いだろう。
 さらに、近代化改修の素材として用いた時の五十鈴改は対空+4と、対空能力に限れば正規空母並みの上昇値である。ちなみに最上改もLv10で改造可能で対空+3と、こちらも優秀。ゲームが進めば軽空母のドロップも増えるので、対空素材そのものは入手が容易になるため人によっては五十鈴に頼らなくても済むようになる。だが+4はレアな正規空母並の数値であり、対潜特化で容易に稼げる海域も出てくるので、簡単にドロップできて急速育成も可能な五十鈴の利用価値はまだまだ高い。そんなこんなで五十鈴ならぬ十二鈴と呼ばれる始末。詳しくは五十鈴改も参照のこと。
 戦力として用いる場合、対潜がかなり高いということを覚えておくと、特に序盤では役に立つ局面がある。ネックは耐久の最大値。夕張を除く他の軽巡が40-44程度であるところ、五十鈴は37しかない。ただしその他の能力については、平均から見て特に遜色のあるものではない。
 頑張って育成すると、Lv50で2段階目の五十鈴改二へと改造可能。いくつかの上限値が上昇し、タフさに不安が無くなった。特に対潜に到っては全艦娘内最高値まで育つ。対空も高く、ステ上限値の合計では2013年10月現在、屈指の高さを誇っている。詳しくは五十鈴改二を参照。
 三重県の五十鈴川から名前を貰った、長良型二番艦五十鈴よ。水雷戦隊の旗艦にピッタリの高速巡洋艦なのっ!トラック?馬鹿ね、何言ってるのって言いたいところだけど、お察しの通り"♪どーこーまーでも どこーまーでもー はーしれはしれー"の歌でお馴染みの某企業と同じ名前の由来だったりするわ。(いすゞ自動車の事ですね、わかります)扶桑さんも似た様な感じよ。え、深夜ラジオ番組?そういうのは四本煙突のの仕事でしょ!?五十鈴川は伊勢神宮の中を流れてる川で、五十鈴の艦内神社も伊勢神宮の分祀なのよ。……尤も、帝国海軍では由来ある神社のない艦はみんな伊勢神宮の分祀なんだけど。あんまり話すとあの人がドヤ顔するんでこの話はここでストップよ!
 歴代の艦長には有名人が多いのよ?二航戦の山口多聞提督やマレー沖海戦指揮の松永貞市提督、連合艦隊司令長官の山本五十六提督も五十鈴の艦長だったの。名前に"五十"が入っている同士、不思議な縁を感じるわ。…ん、十二がどうかした?…どうしたのそんな顔して?…「公式で男自慢をしている」と冷やかされるが、この程度、彼女にとってはほんの一握り。他にも堀悌吉、松山茂、津留雄三、高須四郎、原顕三郎など、海軍史を彩る名士たちがワンサカいる。その豪華さは浮かぶ海軍殿堂と吹かされても信じてしまうレベル。
 艦長が山田大佐だった時に、女優の山田五十鈴を招待したこともあったの。対空火力アップの為に、主砲を全部外して高角砲に換装する改修を受けた事があるの。思い切ったことするわよね…。この改装は私だけなんだけど、ついでに電探対潜装備も増やしてもらって、対潜水艦部隊で頼りにされたわ。レイテ沖海戦では対空戦隊に急なピンチヒッターを頼まれたこともあったわね。あの時は13機を撃墜する戦果を上げたわ。…4機くらい、本当に墜とせたか怪しいのがあったけど、たぶん仕留めたはずよ!ふふっ・・・敵機も潜水艦も、五十鈴には丸見えよ?
 何故お姉ちゃん名取だけ中破絵が描き直されてたけど、五十鈴には2013年9月25日のアップデートで中破絵どころか改二が実装よ!もう電探と魚雷だけ剥がされてポイーなんてさせないわ!…でも今度は電探二個持ちなのよね…はぁ、ちょっと不安。因みに出来たばっかりの私はこんな感じ、最初は14cm単装砲を7門積んでいたの。
 意外に思われるかもしれないけど、あのアイドルバカとは結構仲良いのよ。一緒に第14戦隊を組成して輸送任務をこなしたこともあるんだから。一回空襲にあったこともあるんだけど、あのコったら凄いギリギリで爆撃避けたりして……あの時は沈んじゃったかと本気で心配したわ。
 レイテ沖海戦を生き残ったあと、フィリピンでの輸送任務に就いたの。けど、不覚だったわ。艦尾に潜水艦の雷撃を受けちゃって…。舵も吹き飛ぶし、あの時はほんとうに沈むかと思ったわ…。松型駆逐艦の桃ちゃんが護衛してくれたおかげで、シンガポールに辿り着いてドック入りできたの。
 その修理が終わって、すぐに南方の島々から陸軍さんの部隊を撤退させる任務に就いたわ。末の妹、阿武隈が活躍したのは「ケ号作戦」だったけど、私が就いたのは「ニ号作戦」ね。
行きの道中、潜水艦に襲われたけど無事に回避。でも、これで敵の群狼部隊に見つかってしまった。群狼、ってなにかって?群狼戦術――英語ではウルフパックというけど、簡単にいうと何隻かの潜水艦がチームを組んで獲物を追いつめる方法よ。1隻の潜水艦が目標を発見すると、無線で仲間に知らせるの。すると、近い位置にいる別の潜水艦が行き先を予測して先回りしたり、取り囲んで滅多打ちにしたり…。あの戦争では多くの輸送船やタンカー、ううん、そればかりか巡洋艦や駆逐艦までもが、この狼に喰われてしまったわね…。
 そう、そして私、五十鈴も…ね。最初に潜水艦に狙われてから4日目の朝早く、スンバワ島を出港したのを電探で捉えられた私は右舷に魚雷を受けて、自慢の俊足が出せなくなってしまったの。それでも2時間ほど粘ったけど、さらに別の潜水艦から3本の雷撃を受けて…悔しいけど、とうてい持ちこたえられなかった。時に1945年4月7日、大和さんに先立つこと半日ほど早い最期だったわ。
 思えば、せっかく対潜戦能力を強化してもらったのに、実際に潜水艦掃討任務に就いたことがなかったのよね。でも、今度こそは潜水艦なんかに好き勝手はさせないわ。五十鈴に任せて!
 私の跡取り(護衛艦 DE-211)は、めでたくネームシップになったのよ!でも姉妹にあの人たちの名前ってどうなの?よく見るとぶつかりそうな娘もいるじゃない…うちの子大丈夫だったのかしら?1992年、無事に引退しましたよ。ご安心を。
 トヨタ・86の姉妹車にして、スバル初のライトウェイトFRスポーツカー、BRZ S。低いエキゾーストを奏で、スポーツカーとしては優秀である。小型・軽量・低重心を狙って開発されたモデルで、車名の由来はBはボクサーエンジン(Boxer Engine)、Rは後輪駆動(Rear wheel drive)、Zは究極(Zenith)を意味している。エンジンは富士重工が開発したFB20型をベースに、トヨタの直噴技術である「D-4S」を組み合わせた新開発のFA20型。証としてインテークマニホールド上面のカバーには「TOYOTA D-4S」と「BOXER SUBARU」が併記されている。高回転出力型を目指したためFB20型と比べてストロークが短縮された結果、ボアxストロークは奇しくも86x86mmとなった。共同開発車であるトヨタ・86と仕様上の大きな違いはないが、ヘッドランプ・フロントバンパー・フェンダー部のエンブレムや内装デザインなどが違う。開発技術は両社から持ち寄られており、開発費も両社で折半されている。車両コンセプトやパッケージングなどの企画策定と全体デザインはトヨタが、実際の開発・設計と確認作業は富士重工が主導した。生産は一貫して富士重工が担当しており「トヨタから富士重工への開発委託」という単純な体制ではない。
 86との違いは、エンジンなどの基本部分は共通だが、フロントグリルやフォグランプの形状などの外観や内装、オプションに一部違いがある。また、カラーリングはスバルブルーとして有名なWRブルー・マイカがBRZのみに設定される(逆に、86にはBRZに非設定のオレンジ・メタリックが設定される)。乗り味にも違いがあり、86がリアを滑らせて楽しませる(=ドリフト)志向なのに対してBRZはグリップを重視した安定志向のセッティングであると評されることが多い。モータースポーツベースグレードの両者の違いとしては、エアコンが86ではオプションでも未設定であるのに対し、BRZはメーカーオプションで設定がある。また、BRZはどのグレードでもHIDヘッドランプが標準装備されている。
 五十鈴が持つBRZは、WR Blue MicaではなくGalaxy Blue Silicaである。特徴的な巨大な専用リアウィングに、長良型での共通のホイール、無理のないチューンナップがされており、雨の中だろうと安定するようになっている。ある程度腕がいいのか、画像のようにル・マンカーすらカモれる。相当レースとかで熱くならなければ、PP500クラスのスポーツカーを潰しにだって行ける。ちなみに、この五十鈴、青にツインテール…電子の歌姫"初音ミク"に見えたりと静画などでネタにされているんだな、これが…(汗)

●スバル/BRZ GT300 ベースモデル'12

・パフォーマンスポイント(PP):518
「スバル・R&D SPORT BRZのベースモデル、それを五十鈴がアレンジしたオリジナルマシン」
 このモデルはカラーリングやゼッケンの選択などを楽しむためのベースとなるモデルである。以下が元になったモデルを紹介しよう。
 スバル BRZは2011年11月30日からの東京モーターショーで市販バージョンが公開され、2012年3月28日から発売が開始された。しかし、実車が公開される以前の2011年11月13日の段階で、いち早くレースへの参加が発表されたことでも話題になった。富士スピードウェイで行なわれたJAFグランプリの中で、スバルのモータースポーツ部門的役割のSTiが、2012年からスーパーGTシリーズのGT300クラスにエントリーすることを正式表明したのだ。
 そのマシンは東京モーターショーで市販モデルと同時に展示され、ファンから喝采を浴びた。
 ノーズとボンネットをさらに低く抑え、4つのフェンダーを大きく張り出し、大型のフロントスポイラーとリアウィングを中心に徹底的な空力チューニングを施したそのスタイリングは、DTMマシンにも負けない迫力だ。
 パワーユニットは2011年までのレガシィGT仕様でも実績のある、WRCマシン由来のEJ20型1994ccシングルターボで、296PS以上/6,000rpmと45.9kgfm以上/4,000rpmを発揮、6速シーケンシャルミッションと組み合わせている。
 ちなみにマシンの設計と製作はレガシィGT仕様を手掛けたR&Dスポーツではなく、STiが担当。低重心によるハンドリングの良さというBRZそのものの持ち味を活かして、FIA-GT3規定のマシン達に対抗すべく開発が進められた。
 STiとR&Dスポーツの共同参戦というかたちでエントリーした初年度は、2011年までと同じく山本哲也と佐々木孝太のコンビをドライバーとして起用。第7戦オートポリスで4位入賞を果たすなど、コーナリングスピードの速さを見せつけた。
 もう十二鈴とは呼ばせないと言わんばかりの大改装。文字通り「五十」鈴で改装が実装された。パラメータのみならずおっぱいも育った。
 1944年の大改装がこのステータスの元。この改装は活躍の場を失った巡洋艦を防空巡洋艦として改装しようとしたテストケースであった。対潜装備まで増強されたのは新設の対潜部隊(第三十一戦隊)に所属させるため。本来は長良がその任に当たるはずだったのが先に沈んでしまったため、代打で五十鈴が起用され対潜兵装の大改装も行われた。短射程化したのは主砲の14cm砲7門を下ろし、12.7cm連装高角砲3基6門と置き換えたためか。ちなみに25mm対空機関銃も38門積んでいる。対潜掃討の機会はなかったが、強化された対空火力を以てレイテ沖海戦で小沢艦隊の一員として参加し、千歳千代田を護衛、13機撃墜を記録した。
 五十鈴はレイテ沖海戦から生還し、南方に進出して輸送作戦に従事していたが、1945年4月7日、インドネシアのスンバワ島沖で米潜水艦ガビラン(Gabilan:SS-252)、チャー(Charr:SS-328)2隻からの攻撃を受け、撃沈された。この日、沖縄に向かっていた戦艦大和以下の第二艦隊が壊滅した。五十鈴沈没の約6時間後のことである。
 "提督の夏休み"では防空対潜巡洋艦五十鈴X(カイ)という、おっぱいの強調されたイラストが掲載されていた。両手の機銃やヘアバンド等、類似点を見ることが出来る。
 ゲーム画面ではわからないが、セーラー服の襟には「弐」の文字が書かれていることがホビージャパン2014年5月号しのづかあつとによる挿絵で判明した。くーろくろ「ゲーム画面ではほぼ視認できないんですが、セーラーの端の「弐」の文字を描画して下さってます
 SUPER GTで活躍するBRZのGT300仕様。元々はチューンドカーを予定していたが、GT300仕様収録をきっかけに導入。本人は満足に乗っている。のだが、似たようなGT300仕様を見ると白熱しまうのか欠点。

名取
●サイオン/FR-S'12

・パフォーマンスポイント(PP):---
「北米版86、そのコントロール性とバランスは天下一品」
 トヨタとスバルの共同開発による小型FRスポーツカーのコンセプトとして2009年に発表され、クルマ好き達の期待感を掻き立てたFT-86コンセプト。そのトヨタ版の市販モデルは、2011年の東京モーターショーでデビューした。北米ではScion FR-Sの名称で発売される。
 その名称からFT=Future Toyotaが外れて単に「トヨタ 86」と命名された次世代のハチロクは、最初のコンセプトカーよりも2011年のジュネーブショーに展示されたFT-86 Ⅱ コンセプトにかなり近いシルエット。エアロハンドリングと呼ばれる前後上下左右の各方面から車体を路面に押さえつける発想でデザインされている。
 フロンドミッドに搭載される自然吸気の1998cc 4気筒DOHCボクサーエンジンは200PS/7,000rpmと20.9kgfm/6,600rpmを発揮し、ストロークの短い6速MTまたはパドルシフト付6速ATを経由して後輪に伝えられる。
 前後重量配分は53:47と操舵感とテールの動きのコントロール性を配慮した数値。重心高は460mmとスーパーカー並みの低さだ。
 新世代のハチロクは、俊敏な走りとコントロールを楽しむために、あらゆる部分が徹底的に考え抜かれて専用開発されているのだ。その甲斐あって、まるで手足の延長上にクルマがあるかのような、ダイレクトで一体感のある痛快なハンドリングを心往くまで味わい尽くせるスポーツカーに仕上がった。
 クルマ好きの心をどこまでも大切に考えた、次世代のライトウエイトスポーツである。
 まるでぼっち艦のようなことを言ってるが、第二水雷戦隊を離れてから予備艦となっていたせいかも。長良なら髀肉がついてしまったと嘆いただろうが。史実では戦争前に第五水雷戦隊に配属され、仏印進駐から姉妹と共に活躍していたりする。
 艦尾の飛行機作業台が他の姉妹と違ってなぜか反対になっている。クリスマス島の仕事で艦隊のアイドルアンチに狙われて大けがを負ったとき、彼女を助けてセンターを任された。艦長には後の戦艦「武蔵」艦長猪口敏平がいる。だが「奇人」有地十五郎 、「南洋王」中原義正なども…個性的すぎ。水上偵察機搭乗員には後に夜襲特化の航空機部隊「芙蓉部隊」の指揮官となる美濃部正も乗艦していた。艦長の命令により、零式水上偵察機で仏印駐留の仏軍基地航空兵力を侵入調査していた。彼女の「や、夜戦だけは…得意なんです、私!」というのはある意味、今後の彼女の活躍を示唆しているのかもしれない。
 1944年8月18日、米潜水艦ハードヘッド(Hardhead,SS-365)の雷撃を受け被雷、7時05分に沈没。艦長以下550名が戦死し、183名の生存者は3隻のカッターに乗り込み13日間300海里を漕ぎ続け生還した。その中のある士官は五十鈴足柄にも乗り込むが撃沈され漂流、しかし鮫の出る海域を泳ぎ切って生還。戦後は警察幹部や会社社長にまでなるが…彼女達はこの士官に運を吸い取られていたのではないのだろうか
 立ち絵が筋肉モリモリマッチョマンの変態である元コマンドー部隊所属の彼に似てるのは恐らくたまたま彼女が入渠中の時間つぶしには山形新聞「『艦これ』をご存じだろうか」でググって見ることをお勧めする。
 サイオン版の86。北米での売り上げを伸ばすための第二の刺客といったところか。敵艦にはない為、存分に振り回せる。ゆえに、コーナリング特性を生かすスタイルも持ち合わせており、早々甘く見ない方が身のためでは?

●サイオン/FR-S チューンドカー'12

・パフォーマンスポイント(PP):428
「今度はエアロなどで武装をしたFR-S」
(車両解説は上記の「名取」と変わらないため、省略)
 気弱な彼女にも二人とは違う独自のこだわりがあるのが絵師のtwitpic(twitter用画像アップローダ)にアップされている
 改仕様のFR-S。エアロを装備されてはいるものの、中身は変わらずじまい。

由良
●フォード/フォードGT'06

・パフォーマンスポイント(PP):598
「GT40以来復活を遂げた、フォード創業100周年記念モデル」
 かのル・マン24時間レースで1966年に1位から3位を独占し、1969年まで4年連続で優勝するという偉業を成し遂げた伝説のレーシングマシンがフォードGT40である。そしてフォード創業100年を記念してその姿とスピリットを蘇らせたのが、このフォードGTだ。コンセプトモデルの発表は2002年のデトロイトショー。正式デビューは2004年のデトロイトショーであった。
 そのスタイリングは1960年代のGT40を彷彿とさせる美しいものだが、アルミスペースフレームに組み合わせられるボディは、現代の基準や法則に合わせて新たにデザインされた別物。ちなみに全長は457mm長く、車高も102mm高く、各部にフラッシュサーフェス技術が用いられ、高い質感を誇っている。室内も、いにしえのイメージを巧みに残しつつ現代流に仕上げられており、2名がストレスなく乗車することができる。
 ミッドに縦置きで搭載されるエンジンは、スーパーチャージャー付き5.4L・V8DOHCである。最高出力は558PS/6,500rpm、最大トルクは69.13kgfm/3,750rpm、トランスミッションは当時主流になりつつあった2ペダルのセミATではなく、オーソドックスな3ペダルの6速MTのみ。0-60mph(約100km/h)到達タイム3.3秒、最高速度は329km/h。これらの数値からも理解できるように、フォードは姿かたちだけでなく、レーシングカーとしてのGT40並みに性能までも再現し、ストリートに解き放ったのだ。
 このフォードGTは2006年までの3年間で4038台が生産された。そのほとんどがフロントからリアまでを貫く2本の太いストライプを持つが、ごくわずかにストライプレス仕様も存在する。
 編成などでソートを「艦種別」にした時、改造前は「五十鈴」「名取」「由良」と図鑑No順だが、改造後はなぜか「名取」と順番が入れ替わっている。対潜初期値が五十鈴と並んでトップ。潜水艦狩り任務の際はぜひ連れて行ってあげよう。
 一部のセリフの一部分が超特徴的で、他の艦娘ではなかなか味わえない要素である。「だがそれがいい」として、好んで集中運用している提督も多数確認されている。
 長良型二等巡洋艦の4番艦。八四艦隊計画で建造された姉たちに続き、八六艦隊計画で妹たちと一緒に建造された。それが理由なのかは不明だが、海軍部内では名取までを長良型、由良以降を由良型として認識しており、艦政本部が昭和13年に作製した由良の図面(後述)でも「由良型」の記述がある。艦娘のコスチュームが名取以前と由良以降で異なるのは、おそらくこの辺が理由だろう。
 計画時の予定艦名は「鈴鹿」(三重県の鈴鹿川から)。ところが建造の訓令が出る直前に、舞鶴のある若狭湾にちなんだ由良(京都府の由良川)に変更された。因みに、海上自衛隊には「ゆら型輸送艦」として「ゆら」の銘を持つ艦が在籍していたが、この「ゆら」は由良半島からの命名であり、軽巡「由良」は上記の由良川からの命名であるため無関係だったりする。
 昭和も2桁になって航空機の脅威が現実問題として認識されるようになると、当時旧式であった天龍や5500t型を防空巡洋艦として改装する計画が持ち上がる。艦政本部は図面を作り、5500t級には長10cm連装高角砲を7基搭載可能という見積もりを出したが、この中に「由良型」の記述がある。結局は「秋月型駆逐艦」の整備や、各艦の対空火器を増すことで解決することとなり、天龍型や5500t型を防空巡洋艦へ改装する案は取り消された。
 彼女には2つの「初めて」がある。まず一つは、日本で最初に水上偵察機を搭載した軽巡であること。もう一つは、太平洋戦争で沈没した最初の日本軽巡であること(1942年10月ガダルカナル島ルンガ泊地突入作戦)。ただし、乗員の錬度や船体構造も良く、決して弱い艦だった訳ではない。彼女が沈んだ理由は誤報が原因とされている。誤報を伝えた第六駆逐隊(当時は修理中につき不在)に一切の恨み事を言わないことから、彼女の温厚さが感じられる。
 彼女がドーントレスとかB17などの米軍機が苦手と言うのは、これらの爆撃により航行不能になったことが沈没の要因であったからだろう。
 雷撃処分のため総員退艦が決定し、同行していた第二駆逐隊(夕立五月雨・春雨・村雨)及び秋月への移乗が始まる。この時、真っ先に接舷し収容を始めた夕立(艦長:吉川潔 中佐)の行動は正に賞賛されるものであった。炎上する彼女に接近した各艦が、爆発の危険を察して反転して行く中、夕立は躊躇う事無く救助作業を続けたと言う。横付けをしての乗員救助は非常に危険を伴う。航行不能となった艦に接舷させるために、救助する側も減速もしくは機関を停止する必要があるため、相手側から見れば恰好の的になってしまうためである。また一度停止した艦は、スチームアップ済であっても即座に最大速度で航行することができない。そのため、救助後に敵追撃部隊に捕捉されて結果的に沈没してしまったもある。由良の場合、総員退去発令から沈没までの時間がおよそ3時間弱と言われているが、「敵領海内に動けない状態」で居座り続けていい時間では決してない。煙の流れる前甲板に、由良艦長の他、最後まで残った乗員達が整列。艦橋へ向けて姿勢を正し、『ラッパ君が代』と共に敬礼するその姿は荘厳で、救助作業中の僚艦搭乗員達も直立不動の姿勢になったという。
 水防区画の設計に優れた由良は、春雨と夕立による雷撃が命中しても容易には沈まず、夕立の砲撃が加えられた後、僚艦に見守られながらソロモン海へと沈んでいった。沈没していく由良の傍を、各艦は静かに周回していたという。別れを惜しむように、沈みゆく彼女を守るように。
 アメリカでのマッスルスーパーカーとして代表的な車種、フォードGT。かつて1960年代ル・マン24時間レースなどで活躍したレーシングカー「フォード・GT40」のリメイクであり、フォード100周年を記念して限定1,500台がフォードと関係の深いサリーンの工場で2006年まで生産された。かつての「GT40」は英国の著名なレーシングコンストラクターのローラが開発した。この「GT40」という名称には商標登録の問題があり、結局、フォードGTという名称で販売されることになった。GTの開発に当たり、チーフデザイナーにカミーロ・パルドが担当。GT40を彷彿とさせながら現代のスーパーカーとなっている(ちなみに「GT40」の車高は40インチだが、「GT」のほうは44インチ強である。)駆動方式はミッドシップ(MR)で、V8エンジンを縦置きし、その後ろにデフギヤボックスが配置されるという、レーシングカーとしてオーソドックスな作りをしている。オリジナルの「GT40」は右ハンドルであったが、このフォードGTは左ハンドルであり、イギリスでも左ハンドルのまま販売された。なお、日本には正規輸入されなかったものの、個別に数台が輸入されており、ゲームのグランツーリスモシリーズで知られる山内一典が2台所有している。
 彼女の持つフォードGTは、2006年式であり、電子制御をバリバリに入れている…怖いのか、スピンするのが?スーパーカーとして何故かこの位置で配給されたもので、ハイスピードのコースとかならお手の物。弱点はテクニカルコース、そこまでとは言わないが、バランス感が悪い。本人は気にしてないのだが…。

鬼怒
●フォード/GT40 Mark Ⅰ'66

・パフォーマンスポイント(PP):548
「まさに伝説と呼ばれるフォードGTの先祖」
 フォードはブランドイメージ向上のためにレースでの活動が必須と考え、1963年にフェラーリを買収しようと試みたが、しかし交渉は決裂し、破談に終わる。そこでフォードは、エンジン配給先であったイギリスのレースコンストラクター、ローラ・カーズと提携し、新たに独自のレーシングカーを開発する計画を立てた。
 1964年、ローラが設計したレーシングスポーツ「Mk6」をベースに、マークⅠが完成。フォード GTという名前で発表した。GT40という名前は車高が40インチという低さに驚いた記者が付けた通称である。
 スチール製のモノコックシャシーにFRP製の軽く空力に優れたボディを組み合わせ、インディカー用に開発されたオールアルミ製の4.7L・V8 OHVユニットをミッドシップマウントしたのがこのマシンは、1964年のニュルブルクリンク1,000kmでデビュー。続いてル・マン24時間レースにも3台のマークⅠが出場した。ル・マンではラップレコードとル・マン史上初となる300km/hオーバーのスピードをマークするなど驚くべき速さを見せたが、信頼性の問題で結果は残せなかった。
 翌1965年からはレース活動を強豪シェルビー・アメリカンに委託。ル・マン24時間ではラップレコードと最高時速記録の更新を果たすも、またもや全車リタイアを喫する。1966年のル・マン24時間レース。参戦した13台のフォードGTのうち8台がマークⅡという進化版で、シャシーを強化し、エンジンをシェルビー製の7L・V8 OHVに変更、350PSから475PSへパワーアップするなど数々の改良が施されていた。
 サーキットに御大ヘンリー・フォード2世自らが乗り込み、戦いを見守るなか、フォードはこのマークⅡで悲願の優勝だけでなく、驚異の1-2-3フィニッシュを果たす。これを皮切りに、フォード GTは1969年までのル・マン4連覇を記録したのである。
 軽巡の改造可能レベルは通常Lv20だが、本艦はLv17で改造可能。その分耐久が同型艦に比較してほんの少し低いが、軽巡の平均に収まる程度であり、そう見劣りはしないだろう。更に初歩的なものながら、改造時に電探も持ってきてくれる。というわけで序盤に有用そうなのだが、問題はその序盤に手に入る見込みが建造以外にない事。ドロップは早くて3-1ボス、もしくは4-1ボスor左上。その後も4-xのボスドロップしかなく難しい。運良く建造でゲットできたら、活用を検討してみよう。なお、同様の特徴は阿武隈も持っている。レアである本質は、改造後急激に伸びる対潜値にあると言える。
 掲示板等での愛称・俗称は「おにおこ」「コロンビア」。「おにおこ」はTwitter用語である「げきおこ」と、「鬼怒」をそのまま訓読みさせたものとを組み合わせたもの。MS-IMEでは「きぬ」で変換できないところから初期候補に出てこないため定着したと思われる。公式四コマ28話節分の回にて、伊勢に鬼役として「おにおこー!」と無理矢理やらされていた。が、駆逐艦達には受けがよくなかった模様。だから嫌だって言ったじゃないですかー!「コロンビア」はアタック25の有名な回答者が元ネタ。最近二号ができました。
 艦長には海軍大臣になった及川古四郎さんがいます…「小籏巍」…すみません、どう読むの?7代目艦長「おばた・たかし」です。海兵33期、福岡出身。
 クマーとは戦争途中から第16戦隊の仲間同士。途中で旗艦のお仕事を代わってもらっている。ペナン沖で潜水艦の雷撃を受けた北上を曳航したことがある。
 レイテ沖海戦では、青葉や「浦波」とともに輸送艦を連れてレイテ島への兵員上陸任務に従事。このときも潜水艦の雷撃で損傷した青葉を後方へ曳航している。力は強いんだよ、えっへんその後、10月26日に「浦波」とともにスールー海東のパナイ島近辺で艦載機により撃沈された。帝国海軍最武闘派・第2水雷戦隊の旗艦に3年間就いていたこともある。名前だけでも怖いのに。しかし次の総長はもっと鬼だった。
 「パナイ号事件」を起こしたのは陸上攻撃機の部隊であり鬼怒はまったく関係ない、念のため。パナイ号事件で撃沈された米海軍の砲艦「パナイ」は、艦名はパナイ島にちなんでいるが、パナイ島へ行ったことがないどころか、中国から出たことがない。
 「舞鶴の学校」とは海軍機関学校のことである。鬼怒は1934年から1年間、ここで練習艦を務めていた。同校は現在舞鶴地方総監部として利用されている。
 余談ではあるのだが、新造当初には開発されたばかりの呉式二号二型射出機(小型機用の火薬式射出機)が射出実験のために搭載されていた。この射出機は約一年間の実験後に「神通」に移設されることになる。ちなみに、何回かの改修の後に完全に射出機が撤去され代わりに数度の対空兵装の補強が行われている。「対空兵装は大事だよねぇ」と言うほどある。しかし、鬼怒の場合「何回も空から襲われて損害をこうむってる」のでこの台詞に説得力がないかもしれない。
 
夜8時の時報で言いかけているのは8時だョ!全員集合。1970年代から80年代半ばにかけて土曜夜8時台に放送されていた、ドリフターズ主演の国民的人気コント番組であった。おっさんにしかわからんだろ、このネタ。
 よくヒストリックカーを持って来れたなと言わんばかりのフォードGT40であり、事実購入価格が高い。とは言え、敵艦が使っていないアメリカ車としては優秀な方。ただ、軽すぎるのとタイヤが馬力に負けているという。どこまでパワーが使えるかが鍵となる。

阿武隈
●SRT/チャレンジャー SRT8'08

・パフォーマンスポイント(PP):516
「地上を制するアスファルトの帝王」
 往年のポニーカーとして人気が高い初代チャレンジャー。そのモチーフを大胆に受け継いだ第3世代チャレンジャーの存在が明らかになったのは、2006年のデトロイトショーでのことである。当時はコンセプトモデルとしての位置付けであったが、アメリカ国内のみならず世界中のファンから熱い眼差しが注がれた。そして2年後の2008年のシカゴショーにおいて、ついに量産モデルであるチャレンジャー SRT8が正式にデビューを果たしたのである。
 新世代の後輪駆動プラットフォームは、300Cなどともベースを分かち合うもの。これを覆うボディは、モダナイズされてはいるものの、低く構えたフロントマスクやボディサイドのキャラクターラインが見せる迫力の表情は、まぎれもなく初代チャレンジャーのそれである。
 さらに、このボディの内に秘めるパワーユニットも強烈なものだ。クライスラーのハイパフォーマンスモデル担当部門であるSRTの手による6.1L V8OHVのSRT HEMIユニットは、最高出力431PS、最大トルク58.1kgfmを発揮。かつてのマッスルカーを彷彿とさせるビック・ユニットだ。
 もちろんこの強烈なパワーを受け止めるためのシャシーチューニングにもぬかりはない。たとえばフロント360mm、リア350mmという大径ローターを備えたブレンボ製ブレーキシステムがおごられ、現代スポーツモデルの必須ともいえるトラクションコントロール・システムも標準で備わる。
 レトロとモダンの見事なハーモニーが生んだ、21世紀のアメリカン・マッスルカーである。
 艦名は、福島県を水源とし宮城県南部で太平洋にそそぐ阿武隈川に因む。宮城県を流域とする川が由来の艦といえば北上もそうであり、阿武隈川と北上川は約60kmの日本最長の運河でつながっている。命名の時点ですでに縁があったのか。なお、同型の名取の由来の名取川も宮城県が流域。艦名の候補の中には「水無瀬」があった。某アイドルプロデュースゲームの某ツンデレの名字の由来である。だが、「瀬」の字が嫌われたのか、候補から外された。その後、川内型軽巡5番艦、甲型海防艦の候補艦名となったが、どちらも計画自体が中止になり、海上自衛隊のかさど型掃海艇24番艇「みなせ」で始めて日の目を見た。現在就役中の護衛艦「あぶくま」も名称の由来を同一とする2代目である。来世は満載2500tという小型艦とはなったが、めでたくネームシップとなった。[Strong Bear]というあだ名が付いてるクマー因みに現代での妹たちは「じんつう」「おおよど」「せんだい」「ちくま」「とね
 艤装中に関東大震災に遭遇し、竣工が数ヶ月遅れ、就役に際しては更に遅れた経歴がある。一つ上の鬼怒と比べても起工は1ヶ月違いなのに就役は何と2年半遅れ。そのため姉達に比べ明らかに幼く描かれており、見た目は駆逐艦娘に近い。その分加齢老朽化も遅れ、姉5人と夕張が老朽化により第一線から除外・解体処分を検討された時も阿武隈は無関係だった。(なお、後継艦の完成が遅れた事で実際には全員が生涯現役であった。)軽巡娘の中ではトップクラスの胸の薄さであるが、姉達を見る限り成長による余地は十二分にありそうなのであまり悲壮感は無さそう。
 夜間演習中に北上と衝突事故を起こし艦首を大破させたことがある。これが「北上が苦手」と言う由縁。艦首損傷という時点で察しがつくかもしれないが、実際は阿武隈の方が北上に突っ込んでいる。怖がる関係逆じゃないのか……?公式漫画でもネタにされているが、お互いぶつからないようにしていたり、狙われているのは後述のダブルカーブ形状に改修後。つまり苦手としている理由は一度ぶつかったからではなく根に持たれているからと見てよいかもしれない。母港台詞を聞く限り北上が阿武隈の前髪を触るせいで髪型を崩されてるらしく、その事から苦手意識を持ってるようだ。北上さんも阿武隈の前髪が気になってるのだろうか。ちなみに公式のWEB漫画では阿武隈の首を狙う北上さんの姿を見ることが出来る。急に止まれない船の場合、衝突される側に原因があることも多いのだが、阿武隈側も北上側も特に表立った処分を受けた記録がないことから、どちらが悪いということでもなかったようだ。修理の際艦首をダブルカーブ形状に改めたため、スプーン型だった他の長良型と見分けやすい。ただこのせいで、後年長良型軽巡の模型を発売するとき阿武隈だけ遅れてしまったとか。
 同じ第一艦隊の水雷戦隊旗艦(川内は三水戦だが)であるためか何度か川内から旗艦任務を継承している。逆に川内へ旗艦任務を継承する事もあった。阿武隈が夜戦台詞で「夜戦バカには負けない」と言っているのは同僚としてのライバル心からだろうか、ちなみに後述の第一艦隊の料理コンテストでは川内の方が高評価であった。
 キスカ島撤退作戦にて第一水雷戦隊の旗艦として司令官:木村昌福少将のもとで島風等を率いて活躍している。霧のため島影を敵艦と誤認し、右魚雷戦の号令で魚雷4本を発射。見事に全弾命中したそうである。この時の様子を、阿武隈水雷長の石田大尉が詠んだ狂歌がこれ「一番が 敵だ敵だとわめき立て あっと打ち出す二十万円」一番とは見張り員のことで、20万円は現代では20億円相当である。魚雷は1本で一等地に家が立つほど高価なものだった。しかしキスカ島撤退作戦を元ネタにしたと思われるキス島撤退作戦攻略では、駆逐縛りのため参加できない。解せぬ。キスカ島撤退作戦は映画(太平洋奇跡の作戦 キスカ)になっていて、木村提督(劇中では大村少将)座上艦として映画の主役を張っている。霧の中を進む阿武隈がかっこいいので、未見の方は一見の価値あり。また、上記キスカ島撤退作戦で陸軍部隊を無事に収容した後、阿武隈主計科では炊飯を行いおにぎりを配った。撤収部隊は、敵に発見されないように煙があがる炊飯は禁止されていた為にカンパンを配るはずであったが、「苦労した味方にカンパンでは主計科の恥」との心意気で実現したおにぎりである。その時の陸軍兵士たちは終戦後に「うまかった」と回想している。なお、この主計科、4年前の1939年には第1艦隊で行われた料理コンテストにおいて卵焼き(巻き焼、現在で言う所の出汁巻き卵)を出品していた。当時鶏卵は高級品であり、主計科としては贅を尽くした必殺の一品のつもりだったのだろうが…なんと「評価なし」。参加艦の中でたった一隻だけ寸評をつけてもらえなかった。なにしろ軍艦の乗員は1隻につき数百人から数千人。これだけの人数に対して貴重な鶏卵(粉末卵を使用する分の保存コストはクリアされていたにせよ)を惜しげもなく使うのも、いちいち卵液を流しては巻いてを繰り返すのも非現実的だと判断されたのだろう。つまりは反則負けであった。
 最後の出撃はレイテ沖海戦。雷撃を受け損傷したため、旗艦任務をへ継承したあとと共に戦線を離脱した。この時、2万メートル先の海上に炎上する軍艦を発見、阿武隈では西村艦隊の大戦果と思い「緒戦の血祭りだ!」と沸き立った。しかしその直後「左に炎上するのは扶桑!」「右に燃えながら突っ込んでいくのは山城!」と報告が入り、愕然としている。(注)実はどちらも、船体が真っ二つに割れ、炎上・漂流中の扶桑。応急修理を行った後に航行を再開したが、B-24の攻撃を受け上甲板や艦橋は壊滅、機関も停止。火災により魚雷が誘爆して艦体を破損し、3時間後に沈没した。なお沈没前に生存者は総員退艦して潮に救助されている。
 北上のカマロと対等であるチャレンジャー。怖がる理由は…どこにあるのだろうと。アメリカの警察でも一部採用されているチャレンジャー…某有名なカーアクションゲームを除けば
。北上と同じようにエアロを付けており、特にリアのGTウィングは北上と一緒。ダウンフォースで得る空力を武器に、今日もどこかの提督の元、北上と激突しているだろう。

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