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「艦隊これくしょん ~艦これ~」キャラマシン大公開!("戦艦"編)

2014/02/09 16:10 投稿

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DMM.comと角川書店(現KADOKAWA)が出しているオンラインゲーム「艦隊これくしょん -艦これ-」。2015年1月にはテレビアニメ、さらにソニーから2016年2月18日には艦これ初となる携帯ゲーム機用PlayStation®Vita版「艦これ改」が発売される等、話題が後を絶たない。
艦娘のマシンは、豪華なスーパーカーに走行力を上げたスポーツカー、可愛いて小さいコンパクトカー等色々なジャンルが揃っている。ちなみに上層部(防衛省)が決めたわけではなく、本人たちが決めたものである。
戦艦は、世界でも知名度が高い日本のスーパーカーとスポーツカーで構成されている。特に大和のレクサス・LFAや伊勢の日産・GT-R等、世界のスーパーカーと渡り合える戦闘力を持つモンスターマシンが揃っている。
ここでは、約4分の3の艦隊が安定重視の為に四輪駆動(4WD)を愛用している。
金剛「第1弾となるのが私達のジャパニーズスポーツカー&スーパーカーですのネ!」
比叡「金剛型がスバルのインプレッサシリーズ、扶桑型が三菱モーターズのランサーエボリューション、伊勢型が日産のGT-RとスカイラインGT-R、長門型がマツダのRX-7、大和型がレクサスのLFAとIS Fという感じでラインナップされています。」
長門「ビック7と言われた私の勇姿も見るように!!」

・戦艦→ここ
・航空戦艦→こちら
・正規空母→こちら
・装甲空母→こちら
・軽空母→こちら
・水上機母艦→こちら
・揚陸艦→こちら
・重巡洋艦→こちら
・航空巡洋艦→こちら
・軽巡洋艦→その1その2
・重雷装巡洋艦→こちら
・駆逐艦→その1その2その3、その4、その5
・潜水艦→こちら
・潜水空母→こちら
・期間限定艦→こちら
・海外艦→こちら
・敵艦→こちら
・NPC艦→こちら

※パクリは厳禁。及び画像は無断使用を禁じます。
※車両説明は同じクルマ(S2000やGTO、NA型・NB型ロードスター等)を除き、完全版+オリジナルの解説(分かんない人のために艦隊の歴史等を艦これWikiから一部引用)のみ記載します。
※画像は「グランツーリスモ6(GT6)」となります。

■金剛
●スバル/コスワーズ インプレッサ STI SC400'11(WRX STI'07)

・パフォーマンスポイント(PP):503
「エンジンは英国、ボディは日本の最強4WDマシン!」
 2007年5月にデビューした3代目インプレッサに、待望のSTIバージョンが追加されたのは10月のことだった。これまでの4ドアセダンボディではなく、5ドアハッチバックを採用。リアのトランク部分が短くなったため、ホイールベースが100mm伸びているにもかかわらず、全長は逆に約50mm短くなっている。
 よりワイドなタイヤを収めるために、大きく張り出したブリスターフェンダーを採用。全幅は55mm拡大。STIバージョンとして初の専用ボディとなった。このボディに、チューニングされたSI-シャシーが与えられ、インプレッサのハンドリング性能は大幅に向上している。唯一、ハイグリップタイヤを装着していないのがこれまでと異なる点だ。
 EJ20ターボは308PSにパワーアップを果たした。デュアルAVCS(アクティブ・バルブ・コントロール・システム)という可変バルブタイミングを採用したが、これは排ガス対策といえそうだ。ヨーロッパでは常識となっているVDCはデュアルモードとし、スポーツ走行での介入を少なくするなどSTIバージョンらしいこだわりが与えられている。
 前後のトルク配分をマニュアル操作できるDCCD(ドライバー・コントロール・センター・デフ)は受け継がれており、運動性能がさらに高まったSTIバージョンに、有効なトラクションを与えている。6速MTの操作感もピカイチで、スポーツドライビングを楽しめるフィーリングに仕上げられている。
 金剛型戦艦は、装備・入渠上は巡洋戦艦/高速戦艦というカテゴリになっている。通常の戦艦との違いは、速力が「高速」となっている。改造前の装備スロット数が3つ。中口径主砲が装備できないが、探照灯装備できる。中口径主砲は大口径主砲より性能が劣るので装備できなくても特に問題はない。かつては九一式徹甲弾が装備出来ず、弾着観測射撃のバリエーションが制限されていた。2014年7月28日のアップデートで徹甲弾が装備可能に。入渠時間の倍率は重巡や軽空母と同等の1.5で、他の戦艦や正規空母の2.0よりも短い。
 金剛型はそれぞれLv25で改造可能。また金剛改比叡改霧島改の3隻はLv75で、榛名改はLv80で更なる改造が可能となっている。金剛改二の場合、火力/対空/装甲+5・耐久+7・回避+3・運+1といった能力向上が図られ、コストは燃料+10、弾薬+5と多少割増となる。
 金剛型の4艦は、第4艦隊を解放する任務に必要なので早めに揃えたいところだが、なかなか揃わないという意見が多く見られる。以下に、ドロップ報告のあるマップの中で、最初に訪れるであろう南西諸島海域でのドロップについて解説する。
・金剛:2-1ボス、2-2ボス、2-3ボスおよび近くの終点と、若干厳しい。
比叡:2-1、2-2、2-3ではボスでしか出ない。
榛名:2-1ボスおよびマップ右上の終点で。2-2以降はボスのみ。
霧島:2-1,2-2の多くの地点でドロップ。
ただし南西諸島海域での道中ドロップ報告は、ボスマスと勘違いしたと見られる報告があるため信憑性が低いことと、とても低確率なのかほとんど見かけないため、実質ボスのみのドロップと考えたほうがいいかもしれない。北方海域3-2を利用出来る場合、3-2-1で金剛型が全てドロップするため、早期に2-4を抜けられるのならばここが最も効率が良いだろう。ちなみに3-2-1を400周したデータによれば、艦船ドロップ率が約6割、うち戦艦率は約1割ほどとの事。また、西方海域以降は道中でもドロップする可能性があるため、どうしても揃わない場合はこちらへの出撃も検討してみよう。
金剛について言及してる艦娘
浜風「こんな痛み…金剛や、信濃に比べたら…。次の、坊ノ岬では…負けないわ」(中破/大破)史実上で潜水艦「シーライオン」の襲撃により撃沈した金剛を看取った。
Bismarck「午前十時。金剛?長門?いえ、知らないわ。誰?強いの?」(時報)英国の巡洋戦艦フッドや戦艦プリンス・オブ・ウェールズをボコボコにした戦艦だからだろうか?
 提督LOVE勢筆頭「提督を想う気持ちは誰にも負けないネ!」艦これ稼働初期は提督に好意を寄せる艦娘は少数だったが、中でも彼女は明確且つ積極的に好意を寄せてくる艦娘の代表格であり、他に提督に対して「好き」だと自ら発言する如月酒匂などが増えた現在でも提督LOVEの元祖と言う位置づけから「提督LOVE勢筆頭」と評価されている。
 新時代の超弩級戦艦や巡洋戦艦の建艦技術がないことに焦った大日本帝国が、イギリスの先進的建艦技術を学ぶべくヴィッカース社に発注した艦。なお"金剛"の名を英訳すれば"Indestructible"(インディストラクティブル)、まさしく英国面イギリス生まれの巡洋戦艦である。国ヴィッカース社のバロー=イン=ファーネス造船所で1912年5月18日に進水、1913年8月16日に竣工。喜望峰回りで日本へ回航され、11月5日に横須賀に到着した。ゲームにおいて外人口調で喋るのはイギリス製であることに由来してると思われる。この後、彼女のデータを元に妹たちが建造された。ちなみに比叡は海軍製、そして榛名霧島は民間発注された日本初の主力艦。そして、金剛は海外に発注された最後の日本戦艦となった。ヴィッカース社への発注は初めての事ではなく、技術力も工業力も発展途上だった日本はたびたび大型艦を英国に発注している。日露戦争の武勲艦で、戦艦としては大先輩の「三笠」もヴィッカース社製である。三笠は聯合艦隊旗艦として、当時世界最強と謳われたロシア帝国のバルチック艦隊を日本海海戦で完膚なきまでに打ち破り、その名を世界に轟かせた。三笠の活躍にはヴィッカース社員も大喜びしたそうな。
 ちなみにヴィッカース社は当時の英国を代表する重工業メーカー。\名門出身なのデース!/開発から1世紀以上経過した現代でもインド等が保有している「ヴィッカース重機関銃」、英空軍の爆撃戦力を支え対独戦で活躍した「ウェリントン爆撃機」も彼女と同じヴィッカース・ブランドの傑作兵器として有名であり、さらにスピットファイアのスーパーマーリン・ブランドの製造もヴィッカースグループであった。戦後の事業国有化と業界再編でブランド自体は2004年に消滅してしまったが、その遺伝子はBAEシステムズ社などに受け継がれている。
 金剛はよく「ライオン級巡洋戦艦をベースに改設計した」と言われているが、タイプシップはオスマン帝国(当時)が発注していた「レシャド5世」(後に英国が接収し、「エリン」に改称)。逆に金剛の建造経験を元にライオン級4番艦が改設計され、新型艦「タイガー」として登録されており、ヴィッカース社一同曰く、「ロイヤルネイビー向けの制約が一切ないので好き勝手設計できて大変楽しかったデース(意訳)!」とのこと。いい意味での英国面の体現だったらしい。進水式の時、日本側(技術吸収のために技官が派遣されていた)の要望で薬玉割ってみたところ、英国紳士からは珍しく好評だったとか。「軍艦の進水式に平和の使者である鳩を舞わせるなんて、日本人は粋ネ!」ということらしい。また金剛の発注に関して、後に山本権兵衛内閣総辞職にまで発展した大スキャンダルとなった贈賄事件「シーメンス事件が翌1914年に発覚する。金剛型の企画・基本設計は近藤基樹海軍造船総監が率いる日本海軍内で行われている。このため、主砲もイギリスそのままの13.5インチではなく、独自の14インチが採用されている。主砲口径選定には2つの案があった。一つは現行の12インチのまま高初速の50口径にする案であり、もう一つは45口径のまま14インチへ拡大する案であった。12インチ50口径案は先の河内型への搭載が決定していたが、金剛の設計時点では全く実績がない。もちろん、14インチ砲などはこの世に存在してすらいない。決めあぐねた海軍は、イギリスに取引を持ちかける。「14インチ砲が出来たら射撃試験データを全部あげるから、そっちの45口径砲と50口径砲の射撃試験データを見せて!」主砲の射撃試験データは、当時におけるこれ以上ないほどの最高の軍事機密であり、荒唐無稽な取引と思われたのだがイギリスはこれに快く応じてくれた。その実績を見るに、50口径砲は散布界が大きく命中率に難がある事が判明、14インチ45口径砲の採用が決定している。イギリスも45口径採用へ回帰し13.5インチ砲を開発した。中途半端な口径なのは12インチ50口径砲搭載艦の基礎設計をあまりいじりたくなかったため。当時ドイツとの熾烈な建艦競争下にあり、ペースを落とすわけにいかなかったのだ。近藤基樹造船中将は、造船大監であった日露戦争中に主砲塔を中心線上に4基8門搭載する新戦艦の建造プランを出しており、これが金剛型の原点となる。
 実は1913年就役の彼女は、艦の中ではぶっちぎりの最年長であるが、艦娘としての年齢は艦の年齢と関係ないので安心されたし。なんと第1次世界大戦経験者であり、武人たる凛々しさを持つ長門や母性溢れる鳳翔さんよりも年上の大先輩。世界最大最強のあの娘だって彼女からすれば可愛い後輩である。彼女より年上で実装される可能性があるとすれば、おそらく第二次世界大戦にも参戦した元敷島型戦艦の工作艦『朝日』(1900年竣工)か、元浅間型装甲巡洋艦の敷設艦『常磐』(1899年竣工)や出雲型装甲巡洋艦などだろう。超弩級の主砲を搭載する関係で勘違いされがちであるが、巡洋戦艦は装甲巡洋艦から発展したれっきとした巡洋艦である。高速なのは巡洋艦型の船体設計であったことが大きい。初期の金剛型は書類上も一等巡洋艦であった。名前が旧国名ではなく山の名前なのはそのため。金剛型以前の巡洋戦艦(筑波型・鞍馬型)も同様。その後、第一次改装により防御力が増大し速力が低下したため、戦艦枠に移籍されることとなる。大正6年頃、横須賀の海軍機関学校で英語を教えていた縁から芥川龍之介が幼女巡洋戦艦時代の金剛に乗船し「軍艦金剛航海記」という体験記を書き残している。有名作家を乗せたのは青葉だけではないのデース!
 金剛発注より少々時間は遡る。当時日本は初の国産戦艦である「薩摩型」と後に巡洋戦艦へ分類される装甲巡洋艦「鞍馬型」を建造中で、どちらの艦型も当時の常識では十分な性能だった。しかし1906年にイギリスが発表したドレッドノートの登場で生まれながらにして旧式化。世に言う『ドレッドノート・ショック』である。日本も弩級戦艦を保有するため河内型を設計・建造したが、風評に近い扶桑型とは異なりこちらはいくつかの欠陥を持っていた。一見すると軽巡洋艦のように主砲が左右に分かれて載っているように見えるが、前後の全周砲塔以外は砲身長が短かった。そのため統制射撃には不都合であったが、長砲身側の装薬を減らし初速を統一することで問題は解決した。当たり前だが安定性も低い。鞍馬型はドレッドノートと比較すると速度は同等だが火力や防御力が不足気味だった。この辺を踏まえると、「取り敢えず英国に作ってもらおう」と言う決定は合理的ととれる。ちなみにこのドレッドノート・ショックは英国海軍自身も陥っており、当時最優の威容を誇っていた自国の主力艦群まとめて旧式化というわりと洒落にならない事態を引き起こし、しかも既存艦だけならまだしも、まだ建造中の新鋭戦艦(ロード・ネルソン級)まで巻き込んで旧式化させてしまった。オチまで含めて英国面とは、流石紳士の国。とはいえ、アメリカのサウスカロライナ級などドレッドノートの設計思想に似た艦は他の国でも計画または建造中であり、既存の戦艦が旧式化するのは時間の問題であった。

だが、ここでめげるようでは大英帝国の名が泣く。これよりわずか3年後に超弩級戦艦(スーパードレッドノーツ)の雛形「オライオン級」の起工を発表し、大艦巨砲時代の本格的な幕開けを自らの手で行った。戦艦だけでなく巡洋戦艦もこの影響を受けた。でジュットランド沖でドイツの大洋艦隊に沈められまくった。どういうことかというと、「これだけ攻撃能力が高くてしかも全方位に対応可能なら防御なんて気にするだけ無駄じゃーん」というどっかの国が第二次大戦で航空機でやらかすことを巡洋戦艦でやっちまうのである。一方ドイツは巡洋戦艦でも比較的装甲が厚く、戦訓から消火設備の強化などを行っていたため、多少手数で負けている程度ではそうそう簡単に沈まず、最終的にはイギリス側が勝ったものの、その結果はドレッドノート以降の新型巡洋戦艦ばかりが沈むという散々たる有様だった。金剛の先輩に当たるインヴィンシブルなどは、艦体がど真ん中でポッキリ折れるというこれ以上ないほど悲惨な沈み方をしている。
 「巡洋戦艦」とは何か。巡洋戦艦とは、戦艦と戦うための艦ではない。そもそもが巡洋艦の延長として生まれ、偵察や通商保護を主任務とするものであって、その本質は強化型巡洋艦以外の何ものでもない。通常の戦時においては、高速重武装で航洋性が高く通商破壊に出てこられると非常に厄介な存在の、装甲巡洋艦を迎撃する通商保護を行う。艦隊決戦においては、高速・重武装生かし敵前衛戦力を突破し強行偵察をおこない、決戦局面においては強大な攻撃力を持って敵偵察兵力や駆逐艦など付属艦隊を殲滅する。要するに、装甲巡洋艦以下をを見つければフルボッコ、戦艦が来たら速力を生かして逃げ射程外から追跡し、主力戦艦群の来援を待つ、これが本来の戦い方である。フィッシャー提督の提唱した"Speed is Armour""Invincible"とは「最強ってのは強い奴とは戦わねってこったい」ということであり、速ければ弾を避けられるという意味ではない。主力戦艦群で圧倒的な戦力があり、かつ広大な海域を制圧しなければならないイギリスの国情が生み出したのが巡洋戦艦という存在である。
 ワシントン海軍軍縮条約締結後、ユトランド沖海戦の戦訓対応を盛り込んだ第一次近代化改装を受ける。さらにロンドン海軍軍縮条約の期間満了に先駆け、旧式化の進んでいた彼女らは第二次近代化改装される。第二次近代化改装の主目的は『漸減邀撃作戦において味方水雷戦隊に随伴するための高機動化』なのだが、そのための改装法は『艦上構造物を撤去して船体上部を切開し旧機関を摘出、新型機関に換装。さらに艦尾に鋼材被せて7.4m延長』というマジモンの魔改造であった。が、それをしっかりやってのけた辺り流石帝国海軍の技術力は高かった。つーかプラモじゃねーんだぞ……
 結果、戦艦でありながら最大速力30ノットという高速艦にワープ進化。最古参かつ最高速の戦艦という愉快な立ち位置となった。火力は35.6cm砲8門と日本海軍の中では大した事はないが、世界的には並の戦艦と同等であり、更に従来の戦艦では追いつけない高速艦である。金剛型を捕まえたくとも戦艦では追いつけない、重巡以下では返り討ちと、米軍からは長門と同格レベルで警戒されていた。一方で、元が巡洋戦艦で有る以上防御力の向上には限界があり、重量の問題や改装期間、費用対効果を検討した結果、第二次改装時は防御の強化をほとんど行わなかった。そのため第一次改装以降に登場した新型の徹甲弾や魚雷に対する防御力は不十分なものとなってしまい、これらは金剛姉妹の喪失に影を落とす事になった。後に、米国のアイオワ級戦艦が最高速33.0ノットに3連装16インチ砲塔3基という、金剛と長門を足したような変態仕様になるきっかけとなったとされているが、米国ではそのような記録は残されていない。一方で、上記の「アイオワ級対金剛級説」にはこのような異論もあり、U.S. Battleships An illustrated Design Historyという書籍の307pには米海軍情報部が1942年12月まで金剛型の最高速力を26ノット程度に把握していたという記述が存在しており、この事からアイオワ級は金剛型ではなく日本の新型戦艦などに対抗するために建造されたのではないかという説も存在する。本来はワシントン軍縮条約の「建造後20年経った艦は新造戦艦で代替しておk」という条文にもとづいて1933年には廃艦になる予定だった。だが、1930年にロンドン軍縮条約が締結され代替計画がおじゃんになり、結果的に延命された。この代替艦を巡っては、当時の主任設計官だった藤本喜久雄氏の設計案を不満に思った平賀譲氏(当時絶賛左遷中)が勝手に自分で描いた設計図を提出し、艦政本部を混乱させたというエピソードも残っている。なおこの時の両人の代替艦の設計は、後の大和に反映された。
 太平洋戦争開戦後は主力の戦艦部隊の露払いをするために、水雷戦隊と共に機動部隊の随伴や陸軍さんの対地砲撃要請などに奔走し、最古参にして最も活躍した戦艦と一部では評されることとなるが、他の艦と比べて作戦参加数が特別多い訳でなく、敵艦と遭遇する機会にも恵まれなかったため実際にあげた戦果は他の艦と大差がなく、目立った活躍といえばヘンダーソン基地への艦砲射撃のみである。金剛型は、大和型のように運用経費が問題となることもなく、長門型のように象徴としての権能を持たなかった。言い方は悪いが「攻防共に最弱の巡洋戦艦だから、仮に沈んでもダメージは最小で済む」という思惑もあった他、戦艦と巡洋戦艦の運用思想の違いから前述のように水雷戦隊と行動する事も多かった。
 艦名は、奈良県と大阪府の境にある金剛山に由来する。「金剛」という言葉は、「世界で最も硬い金属」の意、転じてダイヤモンド(金剛石)のことを指す。「金剛」という艦名は2代目。初代は金剛型コルベット艦1番艦「金剛」(コルベットが正式だがコルベット艦とも呼ぶ)であった。初代金剛も英国生まれ(アールス社製)で、比叡コルベットという英国生まれ(ミルフォード・ヘヴン造船会社製)の妹もおりました。(なお初代金剛型は二人姉妹デース!)稀に間違われる事があるが、日本とトルコの友好関係が始まったきっかけと言われるエルトゥールル号遭難事件にて生存者をトルコまで送還した金剛と比叡は、こちらのコルベット艦である。日露戦争に参加しているのもこちら。初代金剛は1910年に老朽化のため解体されたが、その甲板のチーク材は江田島の海軍兵学校の玄関床材に流用された。現在も同校は海上自衛隊幹部候補生学校となって現存するため、見に行く機会は十分にある。イギリスに発注、購入した初代と二代目金剛、そしてアメリカのアーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦をタイプシップとするイージス艦「こんごう」(ちなみにタイプシップとは設計の元となった船のことである)。
奇しくも三代全てが海外の高性能艦をベースとした戦闘艦である。実は意外と珍しいことだったりするのだ。余談だが、「こんごう」は当初、「ひえい」「はるな」に続くヘリコプター搭載護衛艦に命名される予定だったが、諸般の事情でポシャったため、結果的にイージス艦第1号に回ったという逸話がある。その「こんごう」を名乗る予定だった、政治圧力で命名された某名前しらねー艦とその同型艦は、双方ともに大破事故を起こしているのはご存知の通り。名前って大切ネ!米海軍潜水艦「デース」とは特に関係無いデース!
 聖地巡礼。『造船所』ヴィッカーズ社は1999年に買収された後、2004年にBAEシステムズの子会社によって吸収されたため現存していないが、金剛はイギリスカンブリア州バロー=イン=ファーネス市で造られた。同造船所では戦艦三笠や香取といった日本戦艦も造られている。ちなみに現地にある博物館では「三笠、金剛、香取」の資料も残されているとのこと。余談だが戦艦三笠は復元され博物館船となっている。神奈川県横須賀市記念艦三笠。さらに金剛に至っては建造当初を再現した大型模型も保存されている。『艦内神社』金剛山の麓に鎮座する「建水分神社」(大阪府)からの分祀である。尚、現在の「こんごう」は金剛山頂上の「葛木神社」へと変更されている。『金剛の碑』戦艦金剛の慰霊碑。長崎県佐世保市佐世保東山海軍墓地。ちなみに榛名と霧島もここに祀られている。あれ?誰か足りないわ・・・ひえー(比叡は呉に祀られている。)36cm一式徹甲弾』ガ島砲撃時に発射した弾。広島県江田島市海上自衛隊第1術科学校。『戦艦金剛のボイラー』第一次改装で取り外されたもの。広島県呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)。このボイラは再利用され、海軍技術研究所をへて科学技術庁金属材料研究所にて暖房用として1993年まで現役だった。『軍艦旗』沈没時に艦首に掲揚されていたもの。福岡県飯塚市歴史資料館。ただし常設展示ではなく、夏に行われる戦争企画展などで目にすることができる。『戦艦金剛のカップ』「軍艦 金剛」の銘が入ったカップ。茨城県笠間市筑波海軍航空隊記念館。
 彼女のキャラソン艦歌「軍艦金剛」は、ポリドール社によってレコードに吹きこまれ発売されている。「敷島艦行進曲」などの例を除いて、軍艦の艦歌が一般向けに発売されるというのは極めて稀なことであり、彼女がいかに国民に親しまれていたかが窺える。
 正木生虎元海軍大佐(海兵51期:1902-1990)が『正木義太傳および補遺』で金剛についての感想を述べている。なお、生虎氏の実父が義太氏にあたり、義太氏は金剛建造のためにイギリスに派遣されている。そんな生活態度でしたから、金剛建設にまつわるシーメンス事件など、現場では全くどこ吹く風、造兵監督官としても、艤装員としても、副長としても言いたいことはビシビシ言ったので金剛の出来映えは素晴らしかったと思います。私自身は少尉候補生の時代に一年近く金剛で甲板士官をやりましたが、榛名・霧島・比叡の姉妹艦に較べて国産の三艦は電路のジャンクション・ボックスなど心持ちではありますが右肩が上がって居たり、左が高かったりというチグハグが目につくのに金剛だけはピシッと定規で引いたように揃って居り、それに長官公室(ケビン)等後部の舷窓は大きく正方形であり、これは当然防水上は不利であろうと思われる形状であるにかかわらず、どんな荒天にも水漏れした事がなく、また艦尾両舷に備えつけられた救難浮標がクロス・バーに銅の泛子の附いた見慣れないものであったり、珍しさも手伝って英国造船技術のスマートさに感心させられました。その後、私は少佐の時二年間に亙り金剛級高速戦艦戦隊である第三戦隊の参謀を勤めたので、その間何回か金剛に将旗を揚げて、その艦に居住しました。その時は既に艦尾を伸ばした大改造後の後であったので、舷窓も救難浮標も日本式のものに変えられて居りましたが、船は生き物のようなもので年老いてからでも、若かりし頃の気質をそのまま、三つ児の魂百まで、依然スマートで気持ちのよい軍艦でした。
 戦艦乗組員の「しごき」は苛烈なものだったと言われているが、金剛型もその例に漏れず4隻ともにおどろおどろしいあだ名が与えられている。ある戯れ歌にいわく「地獄榛名に鬼金剛、羅刹霧島、夜叉比叡」。別のあだ名では「地獄の金剛」とも。
 Hey提督!私の戦歴デース!私の事をもっと知ってくださいネー!1941年12月マレー沖海戦。榛名と共にマレー侵攻部隊の支援に参加。敵方の英国フィリップス提督は偵察機によりこれをキャッチしており、敵護衛艦隊の主力艦は金剛ただ一隻、輸送艦隊より護衛艦隊と先に遭遇した場合は金剛を優先的に撃破せよという指示を出していた。榛名はガン無視された発見されなかったらしい。敵方の旗艦である戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈したのは航空機であったため戦艦同士の決戦にはならなかった。この海戦により大艦巨砲主義を唱えていたはずの日本が、航空機で戦艦を落とせることを実証してしまった。まさかの航空戦力の時代か?の始まりである。この時、巡洋戦艦「レパルス」という金剛に似た艦がいたため味方は金剛と区別が付かなったという。なお長門に乗っていた司令長官は「このレパルスは撃沈できるがプリンス・オブ・ウェールズは撃沈できないだろう」と発言しビールを10ダース賭けていたらしい。ただし、「レパルス」も同時に沈められた。1942年4月セイロン沖海戦。第一航空艦隊、第三戦隊として金剛型全艦揃っての参加。ちなみに四姉妹そろっての作戦行動はこれが最初で最後。1942年6月ミッドウェー海戦。珍しく比叡とコンビを組んでの参加。一航戦、二航戦の方々が開幕の航空戦で轟沈。撤退を余儀なくされた海戦となった。1944年10月、サマール沖海戦に参加。なおこの戦いで撃沈されたガンビア・ベイは、味方の米軍兵士からも「ベビー空母」と揶揄されているほど貧弱な性能の量産型護衛空母にも関わらず、栗田艦隊に遅滞と消耗を強要して護衛の3隻の駆逐艦とともに散ったガンビア・ベイの男前な戦いっぷりは、米海軍の士官候補生が必ず学ぶ内容となっており、ガンビア・ベイをテーマとした書籍が米国で出版されている程である。1944年11月21日、上記のレイテ沖作戦後の帰路にて米潜水艦の雷撃を受け、2発被雷。とりあえず航行に支障がなかったため、潜水艦の追撃を避けるべくそのまま突っ走ったがこれがまずかった。荒天で波高かった不運も重なり、艦齢30年を超え老朽化が進んだ船体は、波に叩かれ鋼板の繋ぎ目が緩むなどして浸水が拡大。ついに機関も停止して傾斜復旧不能に陥り、午前5時30分頃、内地に辿り着くことなく転覆・沈没した。「うー…日頃の無理が祟ったみたいデース…」余談ではあるが、同じくこの作戦に参加していた榛名の乗組員達は作戦終了の帰路、金剛が沈没していく様子を目撃している。潜水艦の攻撃により戦没した日本唯一の戦艦。だが世界的に見ると大概は潜水艦が関与しているので、航空機に落とされた4隻の戦艦の方が稀である。戦艦以外の艦娘たちも潜水艦に落とされまくっていることから潜水艦を怖がっている艦娘は多い。撃沈した米潜「シーライオン(英語でアシカの意)」は提督の誰もが敬愛してやまない間宮さんをも屠っている。アシカを見たら仇と思えこの時、同じシーライオンに撃沈されたのが金剛の護衛任務に就いていた浦風である。どんだけ被害者いるんだ…余談となるが、金剛が居なくなってしまった上に油が無いという日本の台所事情も重なり、榛名もこれ以後の海戦には投入されず、空襲で大破・着底して終戦を迎えている。したがって金剛型が参戦した海戦はサマール沖海戦が最後となっている。なお総員退艦命令が遅きに失したことに加え、金剛の沈没時には艦内爆発も発生しており、また荒天のため救助も難航し、第三戦隊司令官、艦長以下1300名にのぼる乗組員が命を落としている。痛ましい状況であったとのことである。金剛戦没の報に接した初代艦長中野直枝中将は「孫の臨終に立ち会ったような気持ちだ」と嘆き悲しんだという。

●スバル/インプレッサ WRX STI スペックC'09

・パフォーマンスポイント(PP):546
「"軽量化"という武器を手に入れた本格的な3代目インプレッサSTIの本当の姿」
(車両解説は上記の「金剛」と変わらないため、省略)
 2009年には、軽量化を施しシャシー剛性も向上させた限定900台の特別仕様車、STI Spec Cも発売された。こちらは標準装備でポテンザRE070を装着している。
 2013年11月1日にイベント「決戦!鉄底海峡を抜けて!」開始と同時に実装された。改二にすることで、21号対空電探と22号水上電探を装備してくる。改造に必要な弾薬、鋼材数は各々2400ずつ。
 高速戦艦の速力、回避はそのままに火力、対空、耐久等が軒並み上昇。特に火力は長門型に並ぶほどになった。ただし対空や耐久性能については長門型には及ばない(いずれも上限値)。
 2014年7月28日のアップデートにおいて、高速戦艦も九一式徹甲弾が装備可能となった。しかし、各種主砲の組み合わせによっては命中率が低下する仕様となり、単純に火力が向上したと言えるかは不明である。装備候補としては…
・46cm三連装砲・・・適正砲ではないがこれがないと射程が超長にならないので依然として採用候補に入る。
・試製35.6cm三連装砲・・・適正砲の中では最も火力が高いが今のところは開発不可能。任務報酬で入手可能。(史実の戦艦金剛の武装に基づいて35.6cm砲を適正として上げています。金剛改二の初期装備は41cm砲であるため本当に適正であるかは要検証)
・零式水上観測機・・・装備の組み合わせ次第で弾着観測射撃が可能になる。
・九一式徹甲弾・・・目に見えた効果は期待できないが、「主砲+主砲+徹甲弾+水上偵察機/観測機/爆撃機」と言うように装備すると「昼戦カットイン」と「昼戦連撃」両方が出ると言う特徴が確認されている。
・三式弾・・・現在もっとも効果が高い防空装備。陸上型深海棲艦に対しては「火力×2.5」。
・探照灯・・・夜戦を優位にする効果がある装備。デメリットとして相手から狙われやすくなるので注意が必要。これの類似品として照明弾などもある。
・電探系・・・最上位以外は零式水上観測機の方が性能が上。(電探でも弾着カットインは可能)
 実装当初は燃料と弾薬の消費が大幅に増加していたが、数度の調整を重ねて現在の消費量に落ち着いた。現状長門型より優位な点は回避の上限値と弾薬消費、速度が「高速」である点となっている。速度は現在の仕様では戦闘面への影響は認められないとの検証結果もあり、これがメリットとなっているのかは現時点では判明していない。しかし、速度は航路選択に影響するため、長門型レベルの火力を持つ戦力を高速艦ルートで運用したい場合、現状では金剛型の改二が選択肢となる。2014年3月14日にBismarckが実装され金剛型以外の選択肢が出た。ただしまだビスマルク1隻なので、Tirpitzもしくはリットリオ級(イタリア)が実装されない限り立場を失うようなことはないと思われる。そのビスマルクは2014年9月26日のアップデートにてBismarck dreiが実装され、雷装を持つ戦艦として金剛型との差別化が図られた。手数や夜戦火力ではビスマルクが勝るが、代わりに燃費(特に弾薬)が悪化しているため、状況に応じて使い分けるといいだろう。特に雷装が活かせない状況(連合艦隊の第1艦隊、対陸上型深海棲艦etc.)では、金剛型の方が有用である。
 改二になっていても第4艦隊開放の為の任務を達成することが出来る。これは妹達も同様である。現在霧島改二のみ任務A16【「金剛」型による高速戦艦部隊を編成せよ!】の達成条件に含まれない。以前のВерный(響)と同様、恐らく運営側のミスだと思われる。(修正済。)
 実装と同時に以下のボイス更新が行われた。(改より)補給・放置ボイス実装(改二)アイテム発見ボイス更新及び時報実装。内容については…「鬼に金棒」としか言いようがない。
 史実でも金剛は艦暦の長い戦艦であり、足の速さを生かして様々な作戦に参加。そのたびに繰り返し改修を受けた。ヴィッカース社からの納入時と、第二次大戦中の金剛では別物といっても良い程に変わっていた。 元の金剛がイギリスから来たばかりだとすると、金剛改二は太平洋戦争中の歴戦の「戦艦金剛」となったイメージに基づいての改造だろう。
 21号対空電探と22号水上電探については、1944年の最終時の装備が元になっているものと推察される。
 最終時の金剛は14門搭載していた副砲を8門に減らした代わりに、12.7cm連装高角砲6基、25mm機銃3連装18基、同連装8基、同単装30基と対空火器が大幅に増設され、電探は21号1基、22号2基、13号2基の計5基を装備していた。こちらは金剛改二にも対空上限の向上という形で現れている。
 実はよく目を凝らしてみると「白いなにか」が見えているのは内緒(コニシ氏公認
時報で追加された「具が溶け込んでるカレー」だが、一般的には具が完全に溶け込むまで煮るのには半日以上かかる。ちなみに圧力鍋などで加圧調理を行えば、具材が溶けるほどまで煮込むための時間を大幅に短縮することが可能であるため、2時間というのは結構現実的な数字だったりする。 まあ、流石にそこまで考えて設定されてるわけではないだろうが。 愛の賜物かそれともイギリスには謎の技術があるのだろうか。 そういえば、鎮守府にはどんなに大型で、どんなに複雑な構造の艦だろうと一瞬で完成させる切り札があったが。・・・まさか、ね?他にスコーン自作しており、料理は結構出来る模様。
 提督Love筆頭は伊達ではない…ということか、時報ボイス追加により(ダブりを除いて)計24回も「提督」と発言している。 2014年5月までは単独トップの数字であったが、5月9日に行われた妙高改の各種ボイス追加により一気に並ばれた。 8月8日以降は大淀改の28回(秋限定で29回)にトップの座を明け渡している。

■比叡
●スバル/インプレッサ セダン WRX STI スペック C タイプ RA'05

・パフォーマンスポイント(PP):485
「お姉様譲りのチューニングとエアロで勝利を!」
 初代のWRC参戦以降、WRX STIバージョンを筆頭にラリーのイメージ色濃く持っていたインプレッサだが、2代目はその進化の過程においてオンロード指向を意識するモデルを多く送り出している。その代表的モデルが、このWRX STI スペック C タイプ RAだ。
 STI スペック C タイプ RAは、極めて高い走行性能を持つSTI スペック Cにオンロード指向のチューニングを行なうと同時に、日常ユースでの快適性も高めたモデルであり、2005年8月に350台限定で発売された。
 ベースとなったSTI スペック Cは、装備を簡素化するなどして大幅に軽量化した競技ベースモデルであるが、タイプ RAではこれにフルオートエアコンなどの快適装備を追加。また、最高出力280PS、最大トルク43.00kgfmというスペックに変更はないものの、STI製のエアロパーツや17インチアルミホイール、ステンレス製専用マフラー、4段階減衰調整式ダンパーキットなども組み込まれている。
 モデル名の「RA」とは「Record Attempt(記録挑戦)」の略だが、この「記録挑戦」とはニュルブルクリンクでのタイムアタックを意味している。2004年春、WRX STI スペック Cは、マイナーチェンジ仕様最終プロトタイプにより7分59秒41のラップタイムを記録。量産市販車の壁であった8分切りを見事に達成しているのだ。
 さらに、2005年のニュルブルクリンク24時間レースにはほぼノーマルに近い仕様で参戦し、クラス2位完走を果たしている。このため、スペック C タイプ RAは、ニュルブルクリンクで鍛えたインプレッサの醍醐味を最も身近に感じられるモデルとして人気を集めたのである。
 金剛型戦艦4姉妹は、榛名の運が15、金剛が12であることを除いて、性能的な差違はない。
他の他の戦艦(金剛型以外)との違いは、回避率に関わるらしい速度が「高速」であることと、中口径主砲が積めないこと。以前は徹甲弾が装備出来なかったが、2014年7月28日のアップデートで可能になった。ドロップなど詳しくは金剛も参照。
 比叡は2-4まで唯一ボスでしかドロップせず、比較的入手が難儀である。
 2013年11月20日のアップデートにおいて、金剛に続きLv75での「比叡改二」への改造が実装された。運用コストは上昇するものの、火力は金剛同様長門型に匹敵する98まで向上。対空・耐久こそ劣るが、装甲では互角のものを持つなど、相応にパワーアップが見られる(いずれも最大値)。ちなみに姉妹艦である金剛改二も、ほぼ似た様な性能である。なお、改造時に三式弾を持ってきてくれる。
比叡ひえー!(小破時。ツッコミ禁止)
 金剛型戦艦2番艦。金剛はイギリス製デース{お姉さま少しお静かに}明治の終わり頃に建造された艦であり、太平洋戦争参加艦としては最古の日本戦艦。御召艦(おめしかん)になったこともある由緒ある艦。ただし、比叡が公式に戦艦でいられたのは、1931年6月~1932年12月までのごく短い期間だけ。しかも艦籍は「練習戦艦(下記及び改二に詳細)」であったため、帳簿上では沈没時も「練習戦艦」とされていた。
 巡洋戦艦として建造されたため、艦名は「比叡山」から。同名の艦としては二代目。初代は金剛型コルベット艦2番艦の比叡。姉は二代目同様金剛であり、こちらは二人姉妹で共に英国製。この初代姉妹はエルトゥールル号遭難事件の生存者をトルコへ送り届けたことで知られる。初代比叡は、日清戦争黄海海戦にて「敵艦の包囲を単独敵中突破し生還」という武勲を成し遂げた。その戦闘で蜂の巣穴の如く被弾した軍艦旗は「名誉の証」として二代目比叡に受け継がれ、式典等で掲揚する事が習わしであった。同名鑑はこのように、名とともに栄誉も受け継ぐのである。また三代目として、はるな型ヘリコプター搭載護衛艦「ひえい」(DDH142)が2011年まで就役。就役期間36年3ヶ月は海上自衛隊最長記録ホルダーである。しかし艦内神社は、「比叡」が比叡山の日吉大社から直接摂られているのに対し、「ひえい」は東京生まれ(後述)のためか、同じ山王様を祀る近場のヒェー日枝神社で済まされてしまっている。三代全て『2番艦』。
 名目上は国産戦艦だが、配備を急ぐため兵装や部材のほとんどをヴィッカース社から買い付けている半ノックダウン生産艦。中破時のセリフの「お姉さま譲りの装備」はここから来ているものと思われる。それを反映してか、カードイラストでは微妙に眼の色が薄く、髪も金剛同様の茶髪。カードイラストでは、霧島も碧眼であり榛名のみ瞳の色が違う。これは、竣工時に榛名以外の姉妹3艦が同じタービンを搭載していたところからくるものか。はたまたイラストレーターの気まぐれか。また、比叡本人は金剛との関係を「妹分」とも称している。妹分とは「義妹」もしくは「妹のように親しい人」のことである。これは、設計図こそ四姉妹ほぼ同じだが、「英国製の金剛、半ノックダウンの比叡、純国産の榛名・霧島」と、複雑な家庭の事情製造された環境を鑑みての発言と思われる。
 ゲームでは金剛お姉さまにぞっこんの比叡だが、史実では金剛との絡みはあまりない。姉妹艦でも速力に差があり、若干速い金剛&榛名、若干遅い比叡&霧島で分けられることがほとんど。金剛と組んでいたのは開戦時からミッドウェー海戦までだったり。さらに転生後は「こんごう」と姉妹にすらなれなかった。お姉さまははるな(DDH141)だったりする。金剛型から襲名するこんごう(DDG173)、はるな、きりしま(DDG174)は全て三菱重工長崎造船所製。しかし「ひえい」だけは石川島播磨重工東京第2工場製だった。
 金剛型は戦艦への改装が順次実行されるが、比叡は進捗状況が姉妹の中で一番遅れていた。そして比叡改装途中にロンドン海軍軍縮条約が締結し、その影響を受けて作業がいったん中止となる。年半にもおよぶ放置プレイ作業中止の後、条約に適合させる為に戦闘力半減という逆大改装を受けて練習戦艦となる。缶は半減、舷側装甲板や四番主砲塔を撤去され、後に戦記作家になった吉田俊雄はその無残な姿を「お年寄り」と呼び、後に最後の艦長になる西田正雄は涙を流して悲しんだという。
 練習艦となった比叡はスケジュールや艦内設備に余裕が出来たため、その後の大改装までに数度に亘り御召艦の栄誉を賜った。御召艦として展望台や御座所が設けられ、観艦式の前には二週間に及ぶ乗員の徹底的な清掃が行われた。また、階段の手すりなど陛下がお手を触れられる可能性のある場所は、全て純白の絹で覆われた。そんな比叡は、昭和天皇のみならず、当時の市井の人々にもなかなか人気者だったそうな。特に(自己紹介にもあるように)井上成美提督は比叡がお気に入りで、部屋に絵まで飾っていたらしい。…艦これでも、家具で実装してくれないかな?比叡の油絵…比叡艦長就任以前は長らく地上でのデスクワーク勤務を行っていたため、当初は比叡乗員に「赤煉瓦の艦長がこの大艦を操れるのか?」と侮られていたが、十数年ぶりの航海指揮に際し「計算尺が操艦しているようなやり方で」大連港の桟橋に比叡をぴったりと接舷させ、周囲を驚かせたという。井上艦長時代の逸話として、1935年の満州国皇帝溥儀の日本行幸で比叡が御召艦として使われた際のものがある。復路で御召演習を行いながら国賓である皇帝溥儀の日満間往復を行う航海であったが、皇帝御付きの満人ボーイの素行があまりに悪いことに艦長以下の乗員は頭を悩ませていた。そして御召演習中にボーイが舷窓を閉めなかったことに怒りが爆発した井上艦長は、黄海洋上で「機関停止。縄梯子垂らせ。命令を聞かぬ奴らは叩きだせ(意訳)」と命令する。しかし流石にそんな事は起きず、この命令は直後艦橋にやってきた満州国宮内府大臣の謝罪により撤回された。なお井上提督は生涯に何度か身の回りの少女に礼儀作法を教えたことがある人物だったりする。つまり比叡も一人前のれでぃーである可能性は少なくない。余談の余談となるが、江田島の海軍兵学校校長時代、井上提督の甥にあたる見習いの陸軍士官から手紙を貰っているが、意訳すると『潜水艇部隊の給与規定を作りたいので海軍潜水艦乗組員の給与規定を教えてほしい』という内容であったため、早速『馬鹿者、お前は軍の制度というものを知らなさすぎる(意訳)』という『お叱りの手紙』を送り返している。ただし海軍潜水学校の担当者である中佐を紹介している辺り、やはり叔父として甥の面目を保たせてやりたいという心情はあったという事か。(ちなみにこの見習士官は、無事作成した給与規定が正式採用された一か月後、その潜水艇部隊・・・言うまでもないあのまるゆ部隊へめでたく配属となっている)実際に観艦式での御召艦比叡を目にした後の直木賞作家豊田穣いわく、まるで生まれながらの貴婦人が舞踏会に招かれたようだったとのこと。幾度もの御召艦の経験によって、艦隊一同の敬礼を受けるのが当然のような貴族的な雰囲気を身につけていたという。但し、御召艦指定を受けると乗組員は2週間上陸禁止となり、清掃などの準備に専念させられたため、名誉に伴う苦労は並大抵ではなかったようだ。
 1940年7月3日から翌年4月まで、皇弟である高松宮宣仁親王が砲術長として勤務していた。親王は特別扱いを一切断り、一少佐として勤務したという。
 実際には、ノックダウン建造という不慣れな建造形態だったこともあり、細かい不具合が多く乗組員を悩ませた。練習戦艦へ配転され、後の大改装が徹底したものになったのは理由がないわけではない。
 最終的には、他の姉妹が数度に分けて実施した改装を一挙に実施すると同時に大和型の技術的テストベッドとなり、大和型戦艦に採用される塔型艦橋に改装。金剛型姉妹の中では最も見分けやすい艦となった(他姉妹は艦橋が檣楼型)。またこのため、金剛型で唯一『前部(一、二番)砲塔だけ』『後部(三、四番)砲塔だけ』での統制射撃を行うことが可能な艦となっている。注排水装置、弾火薬庫冷却装置、砲塔駆動水圧装置など補機類も、大和型に採用される予定のものが搭載されて性能が確認されている。他三艦……というか大和型と比叡以外の戦艦はすべて『全砲塔での統制射撃』か『各砲塔での各個射撃』のどちらかしかできない。もっともその有効性が実戦で発揮される機会はなかった訳だが……。完全に余談ではあるが、大和型テスト艦にも使用された比叡の名を継ぐ海自の「ひえい」は、映画「男たちの大和/YAMATO」において、彼女の航跡を撮影したものをCG合成し、大和の航跡が写るシーンとして使用した。同じく、彼女の内火艇も作品中で使用されている。大和と比叡との縁はかくも深いものであった。
 他の3姉妹の改装での不具合を全て改善した結果、バルジが拡張されて全幅が1m大きくなった。内緒だよ?
 成功裏に終わった金剛、榛名によるガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃を、今度は比叡、霧島で実施することに。これにより第三次ソロモン海戦が惹起することとなった。勝利に浮かれる軍部に対し、昭和天皇が「初瀬・八島の例がある、待ち伏せ攻撃に気をつけろ」*8と戒るが、参謀の独断により現地部隊への伝達がされなかった。戒めの言葉が届いたことによって未来が変化したかどうかは神のみぞ知るところだが、結果として比叡は待ち伏せ攻撃を受けることになる。
 海戦史上最大の混乱をきたした第三次ソロモン海戦で奮戦し、軽巡アトランタに初弾で命中弾を与えた。しかしながら、探照灯照射を行った艦の宿命、それも大型艦であったため、敵艦多数の集中砲火を浴びた。相手は巡洋艦や駆逐艦だったが、装甲の薄さが災いし艦橋を含む上部構造から船体にかけて次々敵の砲撃によって損害が発生し、艦内電話は不通になり、発砲電路も切断され一斉射撃が不能に。しかも艦尾の装甲部分を撃ち抜いた砲弾によって舵取機室舵、電動機室が浸水し、操艦が不可能になってしまった。奇しくも(予期せずだったが)小中口径砲の集中砲火で戦艦を無力化させてしまう戦法は、日清戦争時に清の定遠級戦艦に対して日本海軍がとった戦法と同様だった。味方艦艇による曳航や近くの島へ座礁させることを検討されるも、夜が明けると断続的に米軍機が飛来するようになる。復旧作業もままならなくなり、支援部隊「隼鷹」からの零戦による援護の甲斐なく比叡の損害は時間と共に拡大していく。このままでは作業続行も曳航も不可能である、と司令官は比叡の自沈を決断した。当初は退艦を拒否していた西田艦長も、機関室全滅の報告を受けて総員退艦を決意し、駆逐艦「雪風」へ移される。西田艦長はあくまで比叡と運命を共にすると言って聞かず、部下たちの説得も頑として拒み続けた。部下たちは、将来連合艦隊司令長官になるべき器である俊秀の艦長を死なせまいと、大暴れする西田艦長を数人がかりで無理やり取り押さえ、救命艇へ押し込んだ。艦長は最後まで「俺を卑怯者にしないでくれ!武士の情けだ、俺を比叡とともに死なせてくれ!」と絶叫し続けていたという。しかしこのような部下たちの努力もむなしく、後述する通り、乗艦を捨てたとみなされた西田艦長には冷酷な運命が待ち受けていたのであった。機関室全滅の報が実は誤報である事を知らされた時には、既に味方駆逐艦から雷撃が撃ち込まれていた。雪風にて魚雷発射音を聞いたという話もある(戦闘詳報に魚雷発射の記載は無い)。比叡の戦訓から応急舵(戦艦が艦尾に付けている四角い板)を開発、常備するようになったそうです。ここで仮に「機関停止状態=睡眠状態」としてみよう。提督達に愛され親しまれているあのセリフは・・・?寝てません!寝てませんてばぁーっ!
 雷撃処分の遂行途中で、「大和」司令部の山本司令長官より処分撤回命令が出される。「浮いている限りは輸送船団への攻撃を吸収する可能性がある」との黒島先任参謀の主張が理由であるとされている。護衛に来ていた駆逐艦雪風、照月(艦これ未実装)、時雨、白露、夕暮(艦これ未実装)ら5隻は一時的に現場から退避し、6時間後に戻るが比叡の姿は無かった。夜戦時の「見捨てないでぇー!!」はこれが元。機関がかろうじて生きていた(寝てません!寝てませんてばぁーっ!)にも関わらず自沈決定・囮艦とされ、仲間が避難している間に(見捨てないでぇー!!)誰にも看取られることなくサボ島沖の鉄底海峡に姿を消した。これが比叡の最期であり、太平洋戦争における日本海軍最初の喪失戦艦となった。自沈が決まり「軍艦旗降ろし方」の命令が下った際、何かが引っかかって中々降ろせなかった。まるで比叡が自沈を拒否しているかのように見えたという。翌日には、この日に共に戦った妹の霧島もまた同じ海底に沈んでいった。
 西田艦長は「予備役編入・即日召集」という懲罰人事を受けた。山本五十六長官らの猛抗議にもかかわらず、この決定は覆らなかった。そして昇進の望みの無くなった予備役大佐のまま閑職を転々とし、終戦を迎えた。死の直前まで、海軍時代のことを黙して語らなかったという。
 一方比叡に御神体を分霊した日吉大社も沈没の報を受けることが無かったため、社務所で行われていた建艦募金を比叡が没した後の1943年の正月も予定通り実施してしまったというエピソードがある。
 生還者の多くが新鋭軽巡「大淀」に配属された。軽巡でありながら比叡の歴戦乗組員による戦艦並みのシゴキで、訓練は非常に厳しかったという。しかしそのおかげで大淀は、新鋭艦にありがちな「錬度不足のまま実戦へ投入」という事態に陥らなかったのが幸運と言えよう。元乗組員たちは「二度と艦を失う悲しみは繰り返さない」を合言葉に、比叡時代に培った錬度と旺盛な士気を武器に大戦末期の劣勢の中、奮戦を続けた。
 サーバ名にもなった「鹿屋基地」改め「海上自衛隊鹿屋航空基地」にて「戦艦比叡の主錨」が現在も保存されている。この錨、宇都宮基地にあったものを移管したとのことだが、比叡の引き上げが行われた記録も無ければ、錨が内地にあったというのも謎。由来については・・・・いいのか?それで・・・また、大分県竹田市の広瀬神社には第二次改装時に取り外された比叡のマストが保存されていたが、残念ながら近年老朽化のために切断撤去され、現在は同神社所蔵の戦艦朝日のカッターの下に部品の金具が残されているのみとなっている。
 彼女の生涯を描いた本は『戦艦「比叡」―高速戦艦悲劇の生涯』(吉田俊雄著)、『怒りの海―戦艦比叡・西田艦長の悲劇』(相良俊輔著)、『四本の火柱』(豊田穣著)などがある。怒りの海は西田艦長が晩年に一度だけ受けた取材を元として書かれた。四本の火柱は名目上金剛型四姉妹の戦記であるが、比叡最期の戦いとなった第三次ソロモン海海戦・第一夜戦の記述が最多となっている。
 比叡は帝国海軍最後のお召艦。姉妹達もその経験はあるが、担当回数は比叡がダントツである。お召艦のお役が、軍艦による番代制になったのは1886年から。以前は専用のお召船が務めていた。お召艦に天皇陛下や皇族が乗艦される場合、区別旗や長旗はすべて下げ、大檣頂に天皇旗を初め皇族に関する旗を掲げる事が為来りであった。戦後になると皇族による軍(=自衛隊)の観閲が事実上困難になったこと、海外へのご訪問も客船、その後は空自の政府専用機が担当するようになったため、事実上お召艦という制度が消滅した。2010年のエルトゥールル号遭難事件追悼式にて、三笠宮寛仁親王が護衛艦「せとゆき」に乗艦された事が、戦後唯一お召艦が設定されたケースとなる。
 上記にいくつかあるように、日向とともになぜか次代艦「ひえい」がらみと思われるネタが散見される比叡だが、極め付けが現在のところ唯一の公式メシマズ艦娘設定だろう。実は「ひえい」は海上自衛隊一メシが不味い艦として内部では知られており、「ひえい」に配属が決まった海自隊員は、戦艦に配属される海軍軍人を彷彿とさせるほどの拒否反応を示したという。
準姉妹艦の「くらま」が横須賀カレーコンテストベスト3に入賞しているというのに、この違いはなんだろうか。ただし「ゲーム内でメシマズ」かどうかは、直接の言及なく暗示に止まっている(比叡改二参照のこと)。ともあれ本物のゲーム内メシマズが現れてしまったため、比叡も「唯一のメシマズ」の看板は下ろすことになった。

●スバル/インプレッサ セダン WRX STI ラリーカー'05

・パフォーマンスポイント(PP):544
「見直した結果、悪路に特化したレーシングモディファイに早変わり」
 このモデルは、スバル インプレッサ セダン WRX STI スペック C タイプ RA(2005)を元に、「グランツーリスモ」が独自でチューニングしたオリジナルモデルである。
 以下がベースとなった車両を紹介しよう。
(ここから先の車両解説は上記の「比叡」と変わらないため、省略)
 2013年11月20日のアップデートで実装。金剛に続き、金剛型で2艦目となる改二である。改造に必要な資源は弾薬、鋼材各々2400ずつと、金剛と同等。
 比叡改からの性能上昇は火力+4、対空+3、運+1、耐久+8、装甲+6、回避+3。コストは燃料+10、弾薬+5。本艦は22号電探ではなく三式弾を持ってきてくれる。
 金剛改二霧島改二に比べて耐久と装甲が僅かに高くなっている。耐久が奇数であるため、中破ラインで得することがある。
 ちなみに、昔のВерный違い、「比叡」を必要とする第4艦隊開放の為の任務は、比叡改二でも条件を満たす事が出来る。これは金剛改二も同様である。
 艦歴等の詳細は、改装元である比叡の項を参照のこと。
 1936年(昭和11年)、ロンドン海軍軍縮条約破棄に併せて行われた第二次改装後の、第三次ソロモン海戦仕様の比叡がモデルと思われる。これは、装備として持ってくる三式弾が、第三次ソロモン海戦時におけるヘンダーソン基地砲撃のために用意されたものと推察できるため。三式弾は常備兵装だ、というツッコミは聞こえなかったことに・・・
 上記軍縮条約の影響で、比叡は第一次改装を施されないまま練習戦艦となり、35.6cm連装砲1基及び舷側装甲が撤去された他、主機関の変更により速力も18ノットまで低下した状態になってしまった。そのため第二次改装は、練習戦艦から戦艦に戻す改装及び、以前見送られた第一次改装も含めた大掛かりなものとなった。基だった35.6cm連装砲を4基とすることによる火力上昇、13mm4連装機銃2基の追加による対空性能上昇、舷側装甲復活やその他の装甲の増強、及び主砲装甲を強化したことによる防御面の強化、また、主缶及び主機の強化による速力上昇、等。これらの改装がゲーム内での強化に反映されているようだが、主砲の数は竣工時と同数。しかも副砲は2基撤去されている。にもかかわらず火力値が上昇している不思議。「内部の妖精さん達の錬度が上がりました!」しかしそうなると、比叡改は練習戦艦・・・「御召艦という名の武勲艦(?)修正がかかっています!」また、この改装は大和型戦艦のテストベースとしての役割を担っていたため、他の金剛型と比べて艦橋や煙突の形状が異なるものになった。練習戦艦時代の比叡を「お年寄り」と評して残念がった吉田俊雄中佐は、この大改装で生まれ変わった比叡の容姿を「練習戦艦時代の間の抜けた格好どころか、それ以前のスマートな姿からも飛躍して、姿勢の低い、攻撃力と闘志の権化のような姿に一変」と高く評価した。
 改二になってもサラシは健在なのだが、中破すると綺麗になくなってしまう。上部艤装はかろうじて残っていると言うのに何故さらしだけ・・・「胸部艤装を押さえつけられなくなりました!」
 
また、改二になることで待望の時報が追加され、夕食時に自慢の比叡カレーを提督に振舞ってくれるようになる。・・・のだが、カレーを差し出された提督は夕食後、何故か比叡の前から逃走し、行方をくらませてしまう。比叡の追撃を振り切った提督はその後、金剛と一緒にいる所を発見される。19時と20時の時報の間で、提督が比叡カレーを食べているのか食べていないのかが現状では不明確である。(この間、比叡と一緒に食事をしたか否かで20時の時報の受け取り方が変わってくるため。)その結果次第で比叡カレーの評価は大きく変化するので、カレーの詳細は各提督の判断に委ねられることとなる。安易に「轟沈できるレベルの独創的なカレー」と結論付けしてはいけない。練習戦艦時代には、ホテルで調理実績があるシェフが絶品と賞賛されるほどの料理を振舞っていたとか。「side:金剛」第1巻限定版付属のスペシャルCDドラマ#1「比叡、カレーをつくる」にて、比叡カレーがどのようなものかが語られている。詳細なカレーの内容を知りたい提督は視聴して確認していただきたい。料理の腕そのものは悪くないようだが、通常ではありえない「何か」を隠し味として使用していた為に「評価の宜しくない」カレーに仕上がっていたようである。
 また、12時の時報にある「あの番組」とは、もしかしたらウキウキウォッチングなあの番組かもしれない。現在は放送終了してしまったが…2014年3月31日に終わったギネス認定の長寿番組であり、フジテレビの「森田一義アワー 笑っていいとも!」ですね、ワカリマス。

■榛名
●スバル/インプレッサ セダン WRX STI(Type-Ⅱ)'02

・パフォーマンスポイント(PP):489
「丸目インプから一転、性能とスバルの信頼性を取り戻してくれた涙目インプ」
 衝撃的なスペックCの登場から約1年後の2002年11月、インプレッサ・シリーズは早くもマイナーチェンジを行なった。
 マーケットで不評だった丸目のヘッドライトに別れを告げ、顔つきはティアドロップ型ヘッドライトを持つ精悍なものになった。今回はSWRT(スバル・ワールド・ラリー・チーム)のラリーカーとともに開発が進められたため、空力特性などのノウハウが生かされている。
 性能に関しては、最大トルクがついに大台を超える40.2kgfmを達成。同時に排気システムは、2003年の新型レガシィが装備する予定だった等長・等爆エグゾーストを前倒しで採用し、大幅な効率アップを果たしている。
 一部のMT車に、オートモード付きドライバーズコントロールセンターデフが採用されたことも見逃せない。センターデフの前後トルク配分をコーナリングの状況などに応じて自動で行うもので、サーキットやワインディングでは絶大な威力を発揮した。
 2004年6月、タイヤサイズを拡大した04年仕様を投入。これはスーパー耐久などモータースポーツからの要求を実現したもので、最大トルクはついに42.0kgfmまで引き上げられた。
 インプレッサは今や、日本を代表するハイパフォーマンスモデルとして、世界に認められる存在となった。2003年からはSTIバージョンの北米輸出も始まり、同じく北米輸出をスタートした三菱 ランサーエボリューションとは、日本以外の地でも激しい戦いを演じている。
 金剛型戦艦4姉妹は、榛名の運が15なのに対して金剛が12、比叡・霧島が10であることを除いて性能的な差違はない。他の一般的な戦艦との違いは、ルート固定に有用である速度「高速」であることと(回避率関係は実装予定で今は殆ど関係ない)、微妙に元の火力が低く、更に徹甲弾など一部の装備が積めないこと。(徹甲弾は金剛同様装備可能に。ただし中口径主砲は装備不可のままなので注意)ドロップなど詳しくは金剛のページも参照。
 提督に接する態度は極めて礼儀正しく、補給・入渠の際にはお礼を欠かさない。言葉の端々に提督への敬意が見受けられる。長女の金剛とは違った奥ゆかしさに心奪われる提督もおり、彼女の事を提督Love勢の一員であると解釈する提督もいる。「榛名でいいならお相手しましょう」との発言を何か意味深な物に捉える人もいるが、どうとでも取れる状況でのどうとでも取れる発言なので解釈は提督諸氏に任せられている、のだろう。
 その一方旗艦出撃すると提督への忠心を声高に叫び、戦闘では積極果敢、夜戦開幕時には丁寧語も忘れて張り切る…と母港とのギャップも備える。
 任務A16「金剛」型による高速戦艦部隊を編成せよ!に必要な4隻の内の1隻。
 金剛型三番艦にして、初の「民間造船所(神戸川崎造船所)で建造された純国産戦艦」(姉の比叡は横須賀海軍工廠)。一日遅れで起工した霧島も民間造船所(三菱合資会社三菱造船所)で建造されている。この二隻は会社同士が威信をかけて競い合うように作られた。そのせいか、榛名の機関試験が故障により6日程の遅延が発生した際、これに責任を感じた機関担当責任者が自刃するという事件が起きてしまったため、海軍側からの要望もあり竣工日は霧島と同日(1915年4月19日)にする事で悲劇が再発しないように指示された。なのでこの両名は双子とも言える。
 艦名の由来は、群馬県に位置する榛名山。日本戦艦の名前は大体旧国名なのだが、当初装甲巡洋艦として計画・設計された金剛型は重巡洋艦と同じ山の名前。ちなみに空母赤城も同じ事情。1973年に就役した、初の「ヘリコプター搭載護衛艦」に「はるな」(DDH-141)と命名された。かつては一等巡洋艦が名乗った山岳名を海自として初めて採用した例である。
当時の自衛隊で最大の4700トンと、かつての軽巡洋艦並みの排水量であったために、海外からはヘリ巡洋艦とみなして、防衛庁が必死になって否定した。今度は「次姉」だった「ひえい」(DDH-142)を妹に従え、長年活躍した「はるな」だが、2009年に次世代DDH「ひゅうが」が就役し、その入れ替わりに引退した。。その「はるな」も最後は舞鶴でお役目を全うしたが、最後に解体された場所は運命のイタズラなのか、先代の「榛名」が大破着底するまで戦った呉だった。
 昭和天皇即位を記念して1928年12月4日横須賀沖にて挙行された大礼特別観艦式において、「榛名」は天皇陛下が座乗する御召艦を務めた。1931年11月8日の天皇陛下による熊本行幸の際にも御召艦を務めている。11月19日には天皇陛下は鹿児島から横須賀へ「榛名」に乗艦して帰京した。
 米軍発表によると、榛名は最低3回撃沈されている。主だった原因は、爆撃機パイロット達の艦影の見間違いや撃沈の誤認。当時はどこの国も似たような事をやらかしていたが、彼女のやられっぷり(?)はその中でも屈指のものだったり。 9回も帝国海軍に沈められたエンタープライズさんには敵いませんが。余談だが、「足柄の煙突部破損」を「榛名撃沈」と誤報された時は、長良が「ヒラヌマ」(榛名の僚艦もしくは姉妹艦)と誤報されている。 ただでさえ金剛型は複雑な家庭事情持ちなのにさらにややこしい設定を作られても困ry
 
なお、ミッドウェー海戦を皮切りに、榛名は参加した重要な海戦でどこかの狼さんや被害担当艦さん程ではないが、必ずと言っていいほど損傷を受けている。「榛名は大丈夫です。」竣工して間もない頃に一番砲塔で腔発事故が起きている。
 四姉妹の中では、金剛と一緒に出撃することが多かった。比叡と霧島は30ktにわずかに届かなかったが、榛名と金剛は30ktを超えていたためである。霧島にライバル視されているが、最終状態の金剛型で霧島は一番遅く、榛名は一番速かったりする。具体的にいうと霧島が13万7000馬力で速力29.8ktに対し榛名が14万1000馬力で30.5kt。つまり榛名こそが最速の日本戦艦なので、身体能力なら榛名の方が上なわけで。…霧島は「頭脳だけは負けない」と言いたかったのかもしれない……。もっとも、新造の時点で榛名が27.776ktだったのに対して霧島は27.540ktと若干遅い。
 榛名は、姉妹に先んじて第一次・二次近代化改装を受け、技術の進歩の礎として献身した。金剛型における最終時の榛名の見分け方は後部艦橋周辺。後部艦橋が□なのが榛名、⊿なのがそれ以外。また、榛名の後部煙突は他の金剛型より後ろにあり煙突間の距離が長く、さらに後部煙突が前部煙突より長い。明らかに他と違う比叡の次ぐらいには見分けやすい。金剛・比叡の主砲側面が角ばっているのに対して、榛名・霧島は主砲側面が丸みがかっている。この理由は、榛名から国産の36.5cm主砲になっているからであり、丸みを帯びていた方が、敵の攻撃によるダメージを拡散出来るという狙いがあった。榛名には日本初の方位盤射撃照準装置(全砲門を一括で動かして一つの目標に向ける装置)が搭載された。また、第一次改装の時には、他の姉妹の改装による予算の都合で8年もの期間現役を退くことになった。

●スバル/インプレッサ セダン ツーリングカー

・パフォーマンスポイント(PP):565
「ニュル24時間レースに出場したインプレッサN24をグランツーリスモがアレンジ」
 このモデルは、インプレッサ セダン WRX STI(18インチ BBSホイール仕様)(2010)を元に、「グランツーリスモ」が独自にチューニングしたオリジナルモデルである。
 以下でベースとなった車両を紹介しよう。
 スバル・インプレッサは、初代以来4ドアセダンを主流としてきたモデルである。しかし2007年に登場した3代目インプレッサは、主流を5ドアハッチバックもボディに据えた。そのため、同年10月にデビューを果たしたWRX STIも5ドアボディで展開された。
 いっぽうで、数々の伝説を残した3ボックスシルエットのインプレッサを望む声も多かった。そこで、これに応えるかのように、2010年7月、待望のセダンモデル「WRX STI 4ドア」がシリーズに追加された。搭載エンジンは5ドア同様、最高出力308PS、最大トルク43.0kgfmの性能を誇る2.0Lフラット4ツインスクロールターボ。全長はリアエンドを中心に5ドアより165mm延長し、その後端に専用大型リアスポイラーを装着。ボディ形状の違いから、5ドアに対してボディ剛性と空力特性でアドバンテージを得ており、特に高速域でメリットがある。
 STIのチューニングメニューは、原点回帰と言える2代目までのピュアなハンドリングを目指すもととなり、タイムラグのないソリッドな感触で、ドライバーの操作を忠実に反映するハンドリングを実現した。
 しかもボディ剛性や足まわりのキャパシティが大幅に向上しており、ゴツゴツした硬さとは無縁。高性能スポーツセダンとして、十分に許容できる乗り心地を得ている。
 そしてこの性能は歴代インプレッサの開発テスト地であるニュルブルクリンク北コースで証明された。2010年4月、かつてインプレッサWRカーも駆った元WRC王者、トミ・マキネンのドライブにより、7分55秒00のラップタイムが刻まれたのだ。
 2014年7月28日のアップデートで実装。金剛比叡から約9ヶ月、霧島から4ヶ月もの期間を経て、金剛型で最後となる改二実装である。改造可能レベルは80。同日までの改二メンバーの中でも堂々たるトップである
 改造すると新装備の35.6cm連装砲(ダズル迷彩)を2つと三式弾、そして13号を持ってくる。
 注目するべき点は運の高さ。改造前の倍に上がっており、これまで戦艦トップだった長門改を抜きトップへ躍り出た。史実において金剛型姉妹の中で最後まで生き残った事を評価されたと考えられる。ただし運改修を行うと、全艦娘では長門改雪風と(同改)、飛龍改二に続いて同率4位(同率5位)となる。高速戦艦の中では無論1位。他の金剛型改二と比べると対空がトップ。これも史実の呉軍港空襲で、空爆を受けながらも大破着底する直前まで奮闘した評価から来ているものだと思われる。回避も地味ながらトップ。これは姉妹より多くの戦闘を生き残ったことか、姉妹最速を反映していると思われる。他の性能も申し分ない数値。耐久と火力が僅かに低いが、本当に僅かであり然程気にはならないだろう。その運の高さから純粋に夜戦でカットインを狙うのもあり。
 なお榛名改二を必要とする任務が2つ実装された。ちなみにこの2つは別々の出現条件があり、リンクはしていない模様。1つは金剛型改二を4隻揃える任務。(出現条件はケッコン後の出撃任務を終えていること)約半年前の秋イベ等金剛型の需要は高かったとはいえ、なかなか改二を4隻揃えるのは(資材的にも)厳しい提督もいるだろう。時間をかけてゆっくりと改造していこう。もう一つは榛名改二を含む艦隊で5-1S勝利任務である5-1自体は重巡or航巡2隻でボス前は固定可能。駆逐2も入れると完全固定可能になるので羅針盤は問題無い。完全固定した場合の残り1枠は実質的に空母だろう。烈風改及び烈風が2~3個あれば1隻で航空優勢以上を取ることも可能(T字不利回避用の彩雲を載せる場合は烈風改が実質必須なところ)。ボスでは1/3で潜水艦が混じるパターンがある。2/3を狙って単縦でもいいが、複縦で安定するなら駆逐のどちらかには三式対潜セット、もう片方はソナー&連撃装備にすることをオススメする。羅針盤に1回勝つことが条件になるが、編成から駆逐2を抜く手もあり、あまりにも駆逐が大破するなら検討するといいだろう。しかしこの場合でも、夕張改等の対潜要員を確保しておくこと。南方海域なので、どうしてもクリアできない場合は支援艦隊もあり。
 提督に接する態度は極めて礼儀正しく、補給・入渠の際にはお礼を欠かさない。言葉の端々に提督への敬意が見受けられる。長女の金剛とは違った奥ゆかしさに心奪われる提督もおり、彼女の事を提督Love勢の一員であると解釈する提督もいる。
 海戦史上最大の混乱をきたした第三次ソロモン海戦で、次姉双子の妹を失い、多くの仲間を失ったレイテ沖海戦後に別行動していた長姉にも先立たれてしまい、金剛型最後の艦となってしまう。それを反映してか改二実装が一番最後となっている
 何とか呉の港に戻ったが、この頃には敗戦がつづいており、艦船を運用する燃料が不足状態となっていた。レイテ沖海戦を生き延びた榛名も修理を受けた呉で停泊するのみとなった。1945年(昭和20年)2月には呉鎮守府の警備艦となり、4月になって予備艦籍に入ると対空火器や副砲等の大半は撤去されてしまった。6月22日にB-29により直撃弾1発を受け、防空砲台となるべく呉の対岸・江田島小用沖に最後の投錨を行う。
 そして、7月末に呉軍港空襲にて、500キロ爆弾13発はじめ20発以上の命中弾(米国調査では7月24日1発、7月28日に7発)を浴び、力尽き大破着底。その状態でもなおB-24を2機撃墜した。このとき弾薬庫は浸水もなく、前部主砲や対空兵装の一部はなおも使用可能な状態であったとされているが、それ以上戦うことなく終戦をむかえた。なお、最期の姿は主砲塔などに縞状の迷彩を施し、艦橋には網を使ったカモフラージュを行っていたが、これらはほとんど意味をなさなかったと思われる。戦後は江田島小用沖から引き上げられ復興の資材となった。
 最終時の榛名は、一度見ると忘れられないインパクトのある巨大なリーゼント防空指揮所を艦橋トップに載せていた。そのため、スペック的には似た状態だった金剛との識別は容易である。余談だが、今は無きニチモの30cmシリーズプラモデルの金剛型4隻は、箱違いなだけで中身はすべて1944年当時の榛名のモデルとなっている。そのためこの防空指揮所を金剛型共通の仕様と勘違いした人も多かったかもしれない。

■霧島
●スバル/インプレッサ セダン WRX STI プロドライブスタイル(Type-Ⅰ)'01

・パフォーマンスポイント(PP):492
「エアロチューンやプロドライブを施したスペシャルインプレッサ」
 2000年8月、スバル インプレッサシリーズがついに2代目へと進化した。実に8年を経たフルモデルチェンジということになる。先代モデルとはフロントマスクを一新、丸目のヘッドライトをもつユニークな顔つきになった。ワゴンを除けば全幅が1,700mmを超え大型化し、GC型が抱えてきたタイヤサイズの限界を打ち破った。
 待望のSTi バージョンが姿を現したのはこのフルモデルチェンジから2ヶ月後の2000年10月。ここで登場したSTiは、先代のGC型が突き当っていた限界をらくらくと乗り越えるポテンシャルを秘めていた。
 搭載エンジンは、型式こそこれまでと同じEJ20型水平対向4気筒DOHCターボだったが、最高出力280PS/6,400rpm、最大トルク38.0kgfm/4,000rpmと、先代モデルのトルクの壁を越えた。組み合わされるトランスミッションも自社製の6速MT。タイヤは前後とも225/45R17だが、5ナンバーボディのワゴンだけは215/45R17だった。
 セダンのSTiは自社製ブレーキを廃止し、ブレンボ製のブレーキシステムを採用。このブレーキは横GセンサーとEBD(電子制御制動力配分)付きスーパースポーツABSと組み合わせられ、サーキットで高い効果を発揮した。足まわりは4輪倒立ストラットを熟成して搭載、ギア比の速いクイックステアリングも最初から装備していた。
 2001年9月には早速一部改良が施され、フロントマスクが若干の変更を受ける。さらに12月にはSTi タイプ RA スペックCが登場。これは徹底的な軽量化を図った上で最大トルクを39.2kgfmまで高めたモデルで、フロントキャスターをはじめとする足まわりのジオメトリー変更まで行なった最速モデルであった。
 金剛型戦艦4姉妹は、榛名の運が15、金剛が12であることを除いて、性能的な差違はない。
他の戦艦(金剛型以外)との違いは、回避率に関わるらしい速度が「高速」であることと、中口径主砲が積めないこと。以前は徹甲弾が装備出来なかったが、2014年7月28日のアップデートで可能になった。ドロップなど詳しくは金剛も参照。
 2014年3月28日のアップデートにて、「霧島改二」への改造が実装された。最終的には大和・武蔵に次ぐ火力を誇る戦艦となる。大和型の出番がない海域では実質エース的存在であるため、育てて損はない。
 金剛級四番艦。三番艦の榛名と一緒に初の民間造船所(三菱)で建造された純国産戦艦(姉の比叡は横須賀海軍工廠)。進水日は1913年12月1日、就役日は榛名と全く同じ1915年4月19日。榛名と同じ就役日になったのは、榛名側である事件があったため。詳しくは榛名の項で。長崎造船所で作られたのに、艦これでは最初は川崎造船所と間違えられていた。後に修正された。
 産まれが榛名と似通った境遇のためか、霧島は彼女をライバル視しているのだが、実際は最大速度の関係で比叡との絡みの方が多く、しまいには比叡と組んで新しい戦艦戦隊を編成してしまうほどだった。ちなみに霧島はぎりぎり30ノットに及ばない29.8ノット、一方の榛名はというと30.5ノットで金剛型最速。「頭脳負けない」というのはそういう意味?
 金剛型末妹である彼女の“妹”と呼べる艦は複数存在する。お家事情が複雑ですね。
古鷹:霧島の次に一等巡洋艦として竣工。ただし起工時は二等巡洋艦だったので川内の妹でもある。なるほど古鷹の野戦バカ予備軍ぶりは血筋か
長門扶桑伊勢型での迷走の後、結局金剛型の拡大型に落ち着いたのが彼女。
大和:金剛型の第一次改装・戦艦への艦種変更時にはすでに長門・陸奥は竣工していたため、金剛型の次に戦艦として日本海軍に籍を登録される戦艦は彼女。
赤城愛宕高雄:金剛型の純粋な拡大・改良型である天城型巡洋戦艦として建造中にワシントン軍縮条約で中止。赤城は空母へ改装、愛宕・高雄は後に重巡洋艦に艦名流用。
 艦隊の頭脳とも呼ばれているが、比叡とともに参加した第三次ソロモン海戦・第一夜は、史上最大の混乱を来した海戦と揶揄されるほどの乱戦で、その結果「ノーガードの殴り合い」と言っても良い、戦艦ではありえない近距離戦をするほどの勇猛さを示した。姉妹艦の比叡は副司令の乗る軽巡アトランタに砲撃を加え、霧島は司令の乗る重巡サンフランシスコに砲撃を行った。両艦共に砲弾を命中させる。(ちなみにこの戦闘でアトランタは沈没、サンフランシスコは大破したが、アトランタの沈没原因には僚艦サンフランシスコの誤射も多分に含まれていたりする。)相手が格下の巡洋艦でも遠慮なく殴りかかるその姿は、まさに兎を狩る獅子王の風格の霧島さんである。てか、姉妹揃って容赦無しですね。しかしその後、姉の比叡はその海戦で軽巡、駆逐艦によって返り討ちにされ舵を損傷し、復旧の見込みが無くなったため自沈処分。霧島は姉の仇をトルノデスともう一度飛行場砲撃のためにソロモン海に向かうも、今度は16インチ砲9門の新型戦艦×2が待ち伏せ。こうして運命の第三次ソロモン海戦・第二夜が始まる……。霧島はサウスダコタを発見し、砲撃戦を仕掛ける。世にも珍しい戦艦同士の殴り合いである。このときサウスダコタは既に人的ミスや日本軍駆逐艦の攻撃により、レーダーの故障と復旧を繰り返すような状態で航行していた。「あの娘、電気系統が弱いの?ガツン、って叩けばいいんじゃない?」このとき、サウスダコタとともに最新戦艦のワシントンも航行していたのだが、二隻は互いの運動に気付かず別行動をとっていた。ワシントンはその後、霧島をレーダーで捕捉していながらも、「ひょっとしたらサウスダコタかも」と攻撃を控えていたのだが…。砲撃の際、霧島は飛行場を攻撃するために三式弾を装備していた。最初の数発は三式弾を撃ちこみ、その後はすぐさま徹甲弾に換装し、随伴巡洋艦の愛宕高雄と3人がかりでサウスダコタに砲撃を行った。この砲撃戦でサウスダコタはレーダー機能と通信設備を失い、第三砲塔には霧島の36cm砲弾が命中して作動不能となった。船体へのダメージ自体は深くなかったものの、戦闘の継続が困難になったサウスダコタは海域からの撤退を始めた。霧島がこの夜戦で探照灯を点灯し続けていたため、攻撃を控えていたワシントンはついに霧島を日本戦艦と判断し、すぐに9発の砲弾を撃ち込んだ。霧島はほぼ戦闘不能の状態になりながらも、一度射撃を止めたワシントンに反撃を行った。しかしワシントンはすぐさま海域を離脱し、大した損害を与えることはできなかった。「どうして…?私の戦況分析が…」その後米艦隊は海域を離脱し、霧島の最後の時が訪れる。大規模な火災が発生し、完全に航行不能となった霧島を、長良や駆逐艦が曳航を試みたが失敗。機関は一部が無事だったが、機関科兵の戦死と、艦尾に命中した魚雷が空けた穴から浸水した。負傷者移乗がすんだ午前1時25分、駆逐艦朝雲、照月、五月雨が見守る中、霧島は戦死者212名と共に沈没した。駆逐艦隊は艦長以下1128名を救助した。
 なお霧島をボコったワシントンは1941年就航、ボコられたサウスダコタにいたっては1942年就航の最新鋭艦である。そんな最新鋭の強敵相手に喧嘩を売ってしまう霧島さん、艦隊の頭脳(物理)。その後のサウスダコタ、ワシントンについては折り畳み部分を参照。サウスダコタの通信機設備が前述の理由から機能していなかったため僚艦ワシントンの連携が悪く米艦隊内では「ワシントンは逃げた」という風評となった。さらに燃え盛る火にガソリンをぶちまけるかのように、サウスダコタ艦長もワシントンの行動を非難。煽り合いの果てにマジギレした両艦乗組員のリアルファイト(第三次夜戦)に発展、拘束された乗組員で歓楽街の留置場が満杯になったという。サウスダコタは綾波を攻撃した際、主砲発射の衝撃で電気系統が故障して主要動力回路が停止し、FCS及び全砲塔が使用不能となってしまった。電気系統は間も無く復旧し砲撃を再開した。復旧したSGレーダーで綾波をレーダー射撃し、レーダーで沈没したことを確認したらしい。ただ、日本側の記録では綾波が被弾したことは確かだが、沈没したのは20分後であるあたり、多少の不具合はあったのかも…米軍が作成したサウスダコタの損害報告書によれば被弾総数は27発で、被弾口や残された砲弾の破片を調査した結果、内訳は35.6cm砲弾1発、20.3cm砲弾18発、15.2cm砲弾6発、12.7cm砲弾1発、口径不明弾1発となっており、霧島が与えた命中弾は主砲弾1発と副砲弾6発の計7発とされている。ただし、報告書や被弾箇所の写真を再検証した近年の海外の研究によれば、35.6cm砲弾6発、20.3cm砲弾7発、15.2cm砲弾8発、14cm砲弾4発、12.7cm砲弾2発という説があり、霧島は主砲弾6発(一式徹甲弾×2、零式通常弾×2、三式通常弾×2)、副砲弾8発の計14発を命中させたと言われている。上記の説が正しければ、サウスダコタを滅多打ちにしたのは霧島だが、この説では27発中13発が不発弾だった。米軍報告書では"extensive damage was done"「甚大なダメージが発生した」「後の祭り・どうしようもない状態だった」とダブルミーニングを使用して呆れられている。作家・有坂純氏がtwitterに於いて、霧島の戦果に対して否定的な意見や、艦これ運営・Wikipediaを非難する内容のツイートをしていた。この件については大変ややこしくなるので、下の折りたたみ部分を参照されたし。以下の点に事実誤認・誤解が見られる。また、他にも誤訳が多数確認されている。サウスダコタの艦載機の炎上は00:45ごろにサウスダコタの第三砲塔が綾波への砲撃を再開した時に飛行機を炎上・吹き飛ばしたことが米軍側戦闘詳報より確認できる。したがって、霧島との交戦は無関係である。サウスダコタ第三砲塔の砲撃不能については同氏の誤訳が原因である。ダメージレポートには「被弾後、砲塔の指向にはいくつかの困難があったと認識できる。しかし、それはまだ砲撃可能であると考えられていた」と記され、砲撃不能であったことが確認されている。米軍側戦闘詳報には「サウスダコタの3番砲塔はガス・シールの近くのどこかに命中した14インチ砲弾が原因で、(砲を)向けることが困難と報告した。」と記され、翌朝10:00に「第三砲塔は復旧不能」と記されている。サウスダコタのレーダーは01:00ごろの霧島と重巡の砲撃により、全て機能不全に陥っている。特に同氏が「架台に孔が空いただけ」と表現したSCレーダーはアンテナが脱落し完全に破壊されており、アンテナのない台座が写真に残されている。戦闘詳報によると10:00ごろの記述だと「レーダーは1基のみ使用可能」「夜戦能力を喪失」と記されている。サウスダコタの停電については00:33、綾波との交戦中に起きた停電がダメージレポートに記されているが、それを同氏が霧島との交戦中におきた停電と誤認している。結局、砲弾の命中数以外では有坂純氏が言ってることは米側資料でも全く確認できないものである。第三次ソロモン海戦前、昭和天皇が「旅順港の前例を忘れるな。戦艦だからって油断すると痛い目みるぞ」と直々にご警告下さった。……のだが、そのお言葉が現地へ届いたのは作戦開始後であり、陛下の危惧は的中。1992年8月、海洋考古学者のロバート・バラード(タイタニック号やビスマルクの発見者)によって、サボ島の西北西10kmの海域で霧島の残骸が発見された。深度約1000~1200mの海底でひっくり返った状態で沈んでおり、第一煙突より前方の船体が失われているが、これは着底の衝撃で2番主砲塔弾薬庫が誘爆を起こし海中で吹き跳んだのが原因と推測されている。→詳細なレポート(英語)開戦からミッドウェーまで霧島の烹炊兵として勤務した高橋孟氏の著書、「海軍めしたき物語」「海軍めしたき総決算」と献立と調理法を記した「海の男の艦隊料理」がいずれも新潮文庫から刊行されている。自己紹介で言っているように、霧島の名前は海上自衛隊のイージス駆逐艦「こんごう型」の2番艦「きりしま」に受け継がれている。こちらも三菱重工業長崎造船所生まれと、先代と同じ地で誕生した。頭脳派なのはイージスシステム=すごい頭脳という解釈も含まれている。正真正銘艦隊の頭脳となったきりしまは、イージスシステムという眼鏡を光らせ、マイクチェックタイムを待っている。なおこの「きりしま」は東京にほど近く、俗に「広報の横須賀」と呼ばれる横須賀基地を母港としているため、海自に関係する各種取材には結構な頻度で紹介されることで有名な艦だったりする。同じく横須賀を母港とする「ひゅうが」と並ぶ『護衛隊のアイドル』である。史上初の「音楽PVに出演」を、先代である霧島の最後の僚艦だった「てるづき(照月)」の3代目とともに果たしている。なおその曲は、艦これとも縁の深い某海洋SFアクションアニメのOPテーマだったりする。また、海上保安庁にも「みはし型巡視船(現;しんざん型巡視船)」の4番船として「きりしま」がいる。現在の所属は第十管区・日向(宮崎県細島港)。ちなみに「巡視船・きりしま」が1991年3月竣工なのに対し、「護衛艦・きりしま」が1993年8月進水であるため、2年くらい彼女のほうが先輩である。なお、海上保安庁の船舶は配置換えによって船舶名が変わることが多いが、「きりしま」は「ある事件」の功績から、同型の3番船などとともに例外として配置替えによる船舶名の変更がないという船になっている。目立つことはめったにないが彼女もまた、日本の海を静かに守っている。ちなみに全く余談ではあるが、マイクで敵を攻撃する兵器は実在する。とはいっても実際にマイクで殴りつけるわけではなく音に指向性持たせる非殺傷の装備であり、実は民間企業でも何の問題もなく使える。主に暴動鎮圧、海賊対策などに用いられる他、特殊なスピーカーとしても利用可能。なお、「さざなみ」が本兵器で洋上ジャ○アンリサイタルを開催し不審船を追い払うことに成功している。具体的には、「我々は日本の海上自衛隊だ!」と自己紹介。相手は耳を押さえてのた打ち回りながら退散する。残念ながら護衛艦きりしまが使用したという記録は今のところない。

●スバル/インプレッサ GT300 ベースモデル'08

・パフォーマンスポイント(PP):514
「クスコDUNLOP・インプレッサのベースモデル、それを霧島がアレンジしたオリジナルマシン」
 このモデルはカラーリングやゼッケンの選択などを楽しむためのベースとなるモデルである。以下に元となったモデルを紹介しよう。
 4WDからFRに変更したインプレッサでスーパーGTに参戦してきたクスコレーシングは、2006年の後半からトランスアクスル方式シンメトリカルAWDを採用したニューマシンを導入した。
 EJ20型水平対向4気筒ターボ・エンジンが発生した動力は、プロペラシャフトを介してまず後方のギアボックスへと伝えられ、その上にあるセンターデフを通して前後のデフへと振り分けられる。部品の増大によって重量が増えるというデメリットには、車体側の徹底的な軽量化によって対応している。
 2007年からはタイヤをヨコハマからダンロップに変更すると共に、エース謙開発ドライバーとして前年まで3年連続でGT300クラスを制した山野哲也を起用した。雨の走行ではAWDのメリットを活かして最初から速さを見せていたが、ドライでも次第に熟成を進めていく。翌年の2008年には山野の相棒として佐々木孝太、終盤2戦はカルロ・バン・ダムを採用した。
 リアセクションの軽量化や剛性アップなど、細かな改良が加えられた2008年のクスコDUNLOPスバルインプレッサは、シーズン前半に空力をさらに改善。そして第4戦セパンでは、完全ドライ路面ながら、見事なポール・トゥ・ウィンを達成したのだった。
 この他にも2度ポールを獲得し、2度3位表彰台に立つなどの活躍を見せた結果、2008年の山野のドライバーズ・ランキングは6位をマークするまでに成績を伸ばした。
 残念なことに2009年シリーズには参戦しなかったが、復帰を望むファンの声が多く寄せられている。
 2014年3月28日のアップデートにて実装された。2014年7月現在。第4艦隊解放の要である任務A16【「金剛」型による高速戦艦部隊を編成せよ!】の達成条件に含まれない模様。条件があるのか、達成できた提督とできない提督がいる模様?要検証。達成できない提督は運営に問い合わせましょう。
 素の火力が他の高速戦艦よりもわずかに高い。さらに近代化改修で長門型改以上の104になる。流石に大和型にはかなわないが、他の姉妹のように46cm三連装砲x2を装備せずとも火力150に到達するのは魅力的。素の火力104に46cm三連装砲(火力+26)と41cm連装砲(火力+20)を加えて、火力150になる。4スロット全てが46cm三連装砲なら火力208になる。命中?昼戦キャップ?知らない子ですね…戦艦主砲の重量補正を鑑みても、素の火力104に41cm連装砲を2基と九一式徹甲弾(火力+8)で火力150を超える。もちろん火力は陣形や被害状況や残弾数などによりマイナス補正を受けるので、昼戦のキャップである150以上の火力が必ずしも無駄にはならない。
 現状では長門型改以上の火力を持つが、もし長門型に改二が実装されれば火力負けする可能性が高い。しかしそれでも高速の艦娘の中でトップの火力なのは変わらないため、有用性の高さも変わらないだろう。
 貴重な装備である探照灯を持ってきてくれる。神通改二に続き2人目。
 他の戦艦と比べて火力が飛びぬけて高いのは、夕立改二などのように史実における活躍を反映したゲーム的強化だろう。活躍については後述の小ネタを参照のこと。
 改二実装と同時にアイテム発見ボイス更新、補給・放置・時報実装がなされた。また、「元々ケッコン専用母港ボイスがあったキャラが、改二でさらに更新」というやや珍しいことが起きている。ちなみに霧島改の補給・放置ボイスは遅れて2014年7月28日に実装された。
 第三次ソロモン海戦において、霧島は電気系統の不具合により無防備状態となったアメリカ戦艦サウスダコタを一方的に砲撃した。徹甲弾に換装した霧島と重巡の砲撃によって、サウスダコタは第三砲塔が復旧不能、レーダー機能不全による夜戦能力の喪失まで追い込んだ。しかしその後、探照灯を照射していた霧島は戦艦ワシントンにその姿を認識され、九発の砲弾を受けて大破してしまう。翌朝、駆逐艦たちに見守られながら、霧島はサボ島沖で静かに沈んでいった。18時時報の「電気系統が弱いあの娘」とは、この時のサウスダコタのことか。サウスダコタは綾波を攻撃した際、主砲発射の衝撃で電気系統が故障して主要動力回路が停止し、
FCS及び全砲塔が使用不能となってしまった。電気系統の一部は間も無く復旧し砲撃を再開し、復旧したSGレーダーで綾波をレーダー射撃し、その後レーダーで沈没したことを確認したらしい…が、実際はまだ沈んでなかった。先に川内をレーダー射撃した時も同様に一発も当てられなかったが命中誤認している。なお、海戦中にサウスダコタは21:33、21:36、22:05と3回も電気系統に不具合が発生し、それぞれ砲撃中止をしている。戦闘の後、調査で新型の配電盤に欠陥があって本国に旧型の配電盤で全量交代した話がある。本木に勝るうら木なし…?
 霧島の名前は海上自衛隊のこんごう型イージス艦2番艦に受け継がれている。

■扶桑
●三菱/ランサーエボリューション Ⅹ GSR P.P.'07

・パフォーマンスポイント(PP):481
「プレミアムに移行したランエボ第4世代!」
 第4世代のランエボはすでに2005年、東京モーターショーでconcept-Xというコンセプトカーによって予告されていた。これまでのメーカー製チューニングカーから脱却し、BMWのMシリーズやアウディのSシリーズのようなプレミアムスポーツをターゲットとしている。
 ここまで3世代、トータル12タイプからの大きな変更は、エンジンが伝統の4G63から、新世代の4B11となったことだ。オールアルミ、後方排気など、ハイパワーターボとするには厳しい構成だが、それを三菱のエンジニアが克服している。
 トランスミッションには5速MTの他に、TC-SSTと呼ぶ6速DCTが与えられた。ステアリング奥のパドルによって、素早い変速が可能だ。その基本ユニットはゲトラグ製で、耐久性やコンディションの変化を抑えた慎重なチューニングが与えられている。
 4WDシステムはS-AWC(スーパー・オール・ホイール・コントロール)へと進化。これまでのACD(アクティブ・センター・デフ)+スーパーAYC(アクティブ・ヨー・コントロール)に、ABSの制御までも統合させたもの。ABSが参加することで、より効果的な駆動力配分が可能になっている。それによってACD+スーパーAYCの制御はシンプルなものへとブラッシュアップされ、リニアなコントロール性を得ている。
 プレミアム性を重視したこともあり、インテリアの質感や乗り心地、静粛性は大きくレベルアップ。重かった操作性も一般的なレベルに近くなっている。最上級モデルとなるGSRプレミアムは、フロントグリルへクロームメッキが与えられ、BBSホイールやレカロシートも標準装備されている。
 戦艦の中で最もレアリティが低く、様々な海域でのドロップが確認されている。「戦艦」として他の艦種を凌駕する耐久や火力を持つ。
 ただし改造前は運がたったの5、回避上限も明石に次ぎ、山城あきつ丸と共に全艦中下から2番目タイと極めて低いので被弾に注意。
 Lv20と比較的低レベルで航空戦艦に改造することが出来る。改造すると水上爆撃機の装備が可能となり、搭載すれば開幕の航空戦ターンでの攻撃・砲撃戦時の対潜攻撃を行える。全体的な性能面での向上も見込めるが、火力は94から79と15も下がってしまう。詳しくは扶桑改FAQを参照。
 このキャラの第一印象を一言で言い表すと「でかい。」胸部装甲の話じゃないよ?ゲームでの「艤装の大きさ」なら伊勢、日向どころか金剛型、長門型すらも凌駕し、大和型に匹敵する。おかげでデン●ロビウムだのハルコ●ネンMk-Ⅱだのネタにされるが……
 扶桑あるいは扶桑改を必要とする任務は2013年12月現在、『「扶桑」型戦艦姉妹の全2隻を編成せよ!』『「西村艦隊」を編成せよ!』『「西村艦隊」出撃せよ!』の3つが確認されている。この内、赤字は出撃任務だが、指定は4隻なので残り2隻に強力な艦艇を配置すれば達成は難しくない。
 2014年10月10日のアップデートで実装された一式徹甲弾が入手できる「第二戦隊」の編成・出撃任務にも必要となった(構成は扶桑型2隻と長門型2隻、改でも可)。
 そして2014年10月24日のアップデートで待望の改二が実装され、同日追加された任務『「西村艦隊」を再編成せよ!』『「西村艦隊」南方海域へ進出せよ!』の必須艦にも指定された(改二でなくとも可)。後者の出撃任務では勲章が入手できるので、改装設計図が用意できない勲章不足の提督には朗報かもしれない(ただし同任務の出現や達成にはそれなりの労力が必要である。詳しくは任務の項目を参照)。
 少々読みにくい彼女の名前は、扶桑と書いて「ふそう」と読む。「扶桑」の漢字を使う花にハイビスカス(扶桑花・仏桑花とも)がある。担当イラストレーター六花氏によると、「扶桑姉妹のスカートはハイビスカスを意識しています。」とのこと。日本海軍の戦艦は、命名則により「旧国名」が艦名として用いられている。では、扶桑はどこの国かというと……実は「日本」そのものである。元ネタは中国の古書『山海経』などに書かれている、いわゆる東方のユートピア。本来は中国神話に登場する「東方の果てにある大樹」であり、その大樹の下にある国を「扶桑国」という。後世日本に比定され、松尾芭蕉の『奥の細道・松島湾』の一文、「松島は扶桑第一の好風にして~(松島は日本一風景のよい場所)」という形で引用されている。そのため艦内神社も国内最高格の「伊勢神宮」。後輩の「伊勢」と同じである。なのにこの差は一体?ちなみに、軍艦の名前としては二代目。初代扶桑は、明治時代に初代金剛、初代比叡と共に英国に発注された装甲艦(後に二等戦艦)であり、東洋初の装甲艦だった。妹の「不幸だわ」が伝染してか、「フソウ」ではなく「フコウ(不幸型戦艦とも)」と言われてしまうことも。陸奥日向最上型姉妹と違い運が悪かったエピソードは特にないのだが・・・。余談だが、開発中は「運」パラメータの表示が今と違っていたらしく、扶桑は「凶」となっていたそうな。
 図鑑説明のとおり、日本初の超弩級戦艦にして、火力の方も超弩級。ただ、あまりにも火力を偏重しすぎた所為で速力や防御力がかなり犠牲になっている面もあり、この辺りは扶桑本人のMVPセリフにコンプレックスとして表れている。史実では二度の近代化改装でそれなりに改善されているので、ゲームでも是非手を掛けて強くしてあげよう。「ドックで寝たきり」とよく言われるが、これは近代化改装を二回に分けて行ったためであり実際の入渠期間は最古参である金剛型の方が長かったりする。改装が長引いた背景には元からあった問題に加え、第一次世界大戦の戦訓への対応やワシントン条約により主力艦の保有が制限され更なる戦闘力が求められたことなどが存在する。ただし太平洋戦争でまともに戦った日本戦艦自体が金剛型と伊勢型しかいなかったりする。扶桑のそのへんの事情は長門型やホテル化した大和型と大差ない。
特に長門型や大和型は他の戦艦よりも性能が高かったことから温存された。長門は扶桑と共に航空隊の訓練標的役にされたことすらあるのだが、なぜ扶桑型だけこう貶されるのか……旧式故の不幸である。まぁ艦長の友人・長門の相棒の方が運低いけど。ちなみに低速と言われるが、第一次改装の時点までは世界有数の高速戦艦だったという事実がある。意外?
 国の威信をかけて建造された扶桑型への期待は、大和型に懸けられた期待と同等のものであったと思われる。なのだが、扶桑は連合艦隊の旗艦になったことが一度も無いは旗艦になったことがあるため、公式四コマでネタにされている。広義の意味で旗艦になったことはある。扶桑が連合艦隊旗艦となったのは1917年頃で、連合艦隊が非常設だった時である。この頃(1894年7月19日~1922年12月1日の常設になるまで)の連合艦隊は、戦時に艦隊を総合指揮する司令部的な意味合いで編成されるか、毎年秋に行われていた大演習の為に特別に編成されていた。当時日本は第一次世界大戦に参戦していたが、大きな海戦が起こらなかったので「連合艦隊」は設置されず、扶桑・山城は秋の大演習で特別旗艦を務めただけだった。山城の場合は、その後連合艦隊が常設へと変わってからも務めたことがある。
 カードイラストの枠に収まりきらない艤装の大きさに驚いた提督諸氏も多いと思われる。実艦の扶桑型も艤装部分の占める割合がとても多く、艤装に合わせて配置された弾薬庫等の位置を含めると、全体の5割以上が被弾危険個所となっていたのである。この点は中破イラストにも反映されているのか、改造後は全体の5割以上が肌の露出で大変危険な状態となる。「砲塔が大きいと肩がこる」……ってそんなレベルじゃないんですよ、ええ。彼女の右肩から胸元に伸びている紐状の物は飾緒(かざりお)という装飾品で、艦これ内では木曾改二が同様のものを身に着けている。陸海軍将官の正装に用いられ、特に参謀将官は略装でもこの飾緒を着けており現在に至るまで他に例がないという。
 「扶桑といえば艦橋」と言われるほど、彼女の艦橋は個性的。これは、三番砲塔上に水偵用カタパルトを設置する際にカタパルトの制約から砲塔の向きを前後逆にする必要があり、艦橋基部が拡張できなくなった事で独特のアンバランスな形状となった。後に扶桑もカタパルトを艦尾に移設したが砲塔の向きは変えなかったため、艦橋は最後までえぐれたままだった。妹の山城はカタパルトを艦尾延長工事後、艦尾に航空儀装を設置した為このような見た目にはならなかった。「一度見ると忘れられない」見た目から、「違法建築」「ジャックと豆の木」「ジェンガ」「九龍城」などなど、あだ名が山ほどつけられている。公式四コマの第22話5ページ目で、頭部艤装(艦橋)がクリスマスツリーに置き換わったツッコミ待ちな姉さまが登場した。その微笑ましい姿に心を撃ち抜かれた提督達から、「クリスマスツリー」というあだ名も新たに頂戴することとなった。また、その後もぼんぼり(公式4コマ第32話)、桜の木(同35話)に置き換わっていたりと、今後もあだ名が増えていきそうである。海外(特にアメリカ)ではその特徴的な艦影が美的センスの琴線に触れたのか、日本戦艦としては大和並みの人気艦となっている。公式四コマ49話においても、ビスマルク(言うまでもなく海外艦)がつつきまわして「クールだわ!」と評していた。「本当に倒れないわ!!」「World of Tanks」で有名になったベラルーシのゲーム会社Wargaming.netの次回作「World of WARSHIPS」のアバントレーラームービーで、日本はおろかWW2世界の戦艦ズのトップを誇っている。えぐり込まれた艦橋基部も思い切りアップだ。
 伊勢日向は扶桑型の3,4番艦として計画されたが、建造予算の遅れで着工が遅れたのが幸いし、扶桑型の欠点を改良すべく大幅に設計変更された。航空戦艦への改造も、日向が演習中に砲塔爆発事故を起こしたため伊勢型が先に実施され、戦況悪化とともに扶桑型の改造は見送られた。世界情勢の影響を受けていたとはいえ、下の妹達への待遇に対する扶桑の想いは、戦闘時の「伊勢、日向には負けたくないの…」というセリフに表れている。扶桑と似たような境遇の艦艇は、世界でもいくつか事例がある。テネシー級とかガングート級とかヴィットリオ・ヴェネト級とか…興味のある方は各自ググってみよう。
 開戦直後は長門や伊勢達と一緒に南雲機動部隊の支援に出撃したり、山城と共にミッドウェー海戦などに参加する。はその後砲術学校練習艦となり日本本土に留まる日々が続いたが、 姉は陸奥を事故で失った長門と第二戦隊を組んで前線基地のトラック泊地へと進出。1943年10月には米機動部隊との決戦を目指して出撃しているが、会敵は果たせず空振りに終わり、1944年2月のトラック空襲を前にリンガ泊地へと退避している。1944年6月ニューギニア西部のビアク島に米軍が上陸すると、同島を救援する逆上陸部隊を送り込む「渾作戦」が発動され、扶桑は米艦隊を誘い出す間接護衛隊の一員として出撃する。ちなみに間接護衛隊でこの時一緒にいた駆逐艦が、後にスリガオ海峡へと共に突入する朝潮型の「朝雲(未実装)」だった。しかしこの渾作戦の第一次出撃は、艦隊が早々に米偵察機に発見されたことや米機動部隊発見の誤報などであえなく中止されてしまう。その後第二次、第三次出撃が実施されたが扶桑は作戦部隊から外され、渾作戦そのものも何ら成果をあげることなく米軍のマリアナ侵攻により立ち消えとなってしまった。結局実戦の機会は一度もないまま、扶桑は山城と第二戦隊(司令官・西村祥治中将)を再編し、1944年10月に最初で最後の実戦となる捷一号作戦発動の日を迎えることになる。
 戦艦扶桑・山城と戦艦時の伊勢型は主砲が6基あり艦影が似ていて紛らわしく、甘味処 間宮の展示でプラモデルが取り違えられるという珍事が起きた。しかし三番砲塔周辺に注意すれば見分けることが出来る。その為、分かり易くするために図も同時に掲載する。
・扶桑……艦橋後ろの第三砲塔の砲身が前向き(艦橋側)に配置されている。それにより艦橋の根元が抉れ今にも倒れそうな独特の艦影を形作っている。
・山城……第三砲塔の砲身が後ろ向き(煙突側)に配置されている。
・伊勢型……艦橋後ろに煙突があり、第三砲塔はその後ろに二段重ねに配置されている。

■山城
●三菱/ランサーエボリューション Ⅸ GSR'05

・パフォーマンスポイント(PP):472
「圧倒的なチート性能ですら持て余す実力」
 ランエボファンにとって、エボⅨの大きなトピックスはブーレイマスクが外され、コンベンショナルな形状に戻ったのかもしれない。その中身については、エボⅨ向けに開発されていたコンポーネンツの多くがエボⅧに先行投入されてしまっていたため、Ⅷほどの大きなインパクトはなかった。
 エンジンには、さらなるトルク向上のためにMIVECが与えられた。ただしかつてのバルブリフトまで可変としたものではなく、吸気側の位相だけを変化させるメカニズムとなっている。それによって低回転域でのトルクアップが実現し、さらなるトルク感のアップが図られた。これは最高出力の規制から、トルクアップでしかエンジン性能を上げられないためだったが、高性能でありながら扱いやすい特性をランエボにもたらすことになった。
 エボⅨでは、ロードカーであるGSRとモータースポーツベースのRSの中間に、GTが新設定された。これはRSのマグネシウムコンプレッサーのチタンターボと5速MTと機械式LSDの組み合わせに、GSRのビルシュタインのダンパーやブレンボのブレーキを与え、ガラスはRS用の軽量な薄板で、装備やボディカラーはGSR同等というものだ。ラリーのホモロゲーション対策として生まれたモデルだった。
 サスペンションは、ビルシュタインを含めて基本的にはエボⅧ MRから共通だが、GSRのみ、リアの車高を5mm下げることで、前後の荷重バランスを微妙に変化させている。この変更により、高速コーナーでのスタビリティが高められている。
 スペックは姉の扶桑と全く変わらない。詳しくは当該項目を参照。
 も大概だが大破絵が非常にアレである。山城はポーズの関係で特に尻を強調する結果になってしまっている。興味があるならぜひ確認してみよう。
 「不幸」が口癖。他艦娘の項目で「不幸」という言葉が出たら、ほぼ山城と思って差し支えないレベル。山城「砲塔爆発事故なんて起こしてませんし!」そして姉や一部の艦に劣らず重度のシスコン。「不幸」と同じくらい、各種ボイスでたびたび扶桑のことを気にしている。

■伊勢
●日産/GT-R'07

・パフォーマンスポイント(PP):567
「2007年、ついに奇跡の復活を遂げたGT-R」
 2001年の復活宣言以来、世界のクルマ好きの心を騒がせ続けてきたGT-Rが、2007年、ついにデビューした。プラットフォームは専用設計で、もはやスカイラインクーペをベースにしたエボリューションモデルではなく、ゼロから新設計されている。
 日本車史上最強となるスペックのVE38DETTは、3.8Lツインターボで480PSのパワーを得た。そのパワーはトランスアクスルレイアウトを採用し、リアデフと一体化されたトランスミッションの配置によって前後重量配分を適正化している。前輪駆動用の出力は、リアから再びフロントへと平行に配置されたプロペラシャフトで戻っていく。そのトランスミッションは6速DCTであり、高い伝達効率と素早いシフトワークを可能にしている。
 カーボンコンポジットやアルミダイキャストといった素材を最適配置、前後バランスにも注目したエアロダイナミクスなど、レーシングテクノロジーからフィードバックにより、徹底的に速さを追求している。唯一速さにつながらないのは4シーターのボディだが、これは4WDシステム以上にGT-Rのヘリテイジといえるものだ。
 この革新のスーパーカーは、日産の生産現場にも大きな影響を与えた。匠ラインと呼ばれるクラフトマンシップを導入することで、量産ラインの密度を維持しながらも、フレキシブルな生産体制を実現している。それは単に量的な増減だけでなく、新しいバージョンの追加や記念モデル、限定モデルへの対応など、GT-Rの可能性を大きく広げているのだ。
 伊勢神宮で名高い伊勢国(現在の三重県)からの命名、日向とは神話繋がりの姉妹である。扶桑型の後発艦として予定されたが、起工の遅れと設計の欠陥から再設計され、扶桑型の後継艦として起工。とは言え、まだまだ英国の流用技術に依存する部分も大きく、純日本製戦艦は長門型を待つこととなる。
 扶桑型の無理がある主砲配置を改正して6つの砲塔で無理・無駄のない射撃ができるようになり、実戦能力が向上。これで無駄内に定評があるEMP(電子パルス)の射程内幅が広がるね!
 一方で上構が小さくなり居住性が悪化、乗員からの評価は芳しくなかったという。しかし史実においてはその改正により内部容積が大幅に減少し、居住性は日本戦艦の中でも最悪と評されるに至った。また副砲搭載スペースも不足し、砲郭だけでは必要数を満たし切れなかったため一部の副砲は露天で設置されていた。山城「これが私と姉様が上回っている部分なのね」。実際、R35の居住性は少し悪い、いや特に後ろの2シーター分のツケが回っているのか。
 ゲーム画面下部の用語集に赤城と共に解説されているのだが、なぜか航空母艦「伊勢」と書かれてしまっているまさかの空母化(しかもまだゲームで実装されてないというのもシュール)
 
 2011年、「伊勢」の名を引き継ぐヘリ搭載護衛艦「いせ」が就役。全長・全幅は戦艦伊勢とほぼ同じである。2013年11月、台風の被害を受けたフィリピンへ派遣された。1944年のレイテ沖海戦では帝国海軍が突入できなかったレイテ湾に、戦うためでなく救援活動のために入港を果たしたのだ。

■日向
●日産/スカイラインGT-R Vスペック Ⅱ Nur(R34)'02

・パフォーマンスポイント(PP):494
「2002年、排気ガス規制により出番を失った最後のGT-R」
 1999年1月、R34型GT-Rがデビューした。大柄なR33から一変して筋肉質のボディを与えられ、全長で75mm、ホイールベースで55mmコンパクトになった。剛性は極限まで高められ、先進的なエアロダイナミクスは冷却やダウンフォースまでも考慮している。
 搭載エンジンはR32型以来のRB26DETTだが、トルク向上とレスポンスアップ、軽量化を狙ってさらにリファインの手が加えられた。中でも大幅なフリクション低減に成功したセラミックターボの効果は大きく、ついに最大トルクは40kgfmの大台に達している。
 シャシー性能も格段に向上し、もはや意のままといえるコントロール性を得た。アテーサE-TSプロによる駆動力配分で、姿勢変化も自由自在。ステアフィールも4WDとは思えぬレベルで、名車R32と比べてもその走りは隔世の感をおぼえるほどである。
 より高性能なVスペックは、強力なダウンフォースを生み出すフルカーボン製リアディフューザーを量産型として初採用した他、アクティブLSDも標準装備。このVスペックは2000年10月にVスペックⅡへと進化し、NACAダクトを備えたカーボンボンネットまで与えられている。さらに2001年5月、ル・マンカーのサスセッティングにヒントを得た、コンフォート性の高いMスペックも投入された。
 2002年1月、ドイツのニュルブルクリンクにちなんだ限定車「ニュル」がデビューした。N1仕様のRB26DETTを搭載したスペシャルモデルだった。しかしスポーツカーの世界を革新した第2世代GT-Rは、排ガス規制という世の流れを受け、このモデルを最後に幕を閉じたのである。
 改扶桑型とも呼ばれる伊勢型姉妹の妹の方。宮崎県の旧国名からの命名で、神域の伊勢に対して天孫降臨の地である日向と、日本神話繋がりの姉妹である。ちなみに、神話繋がりの話だが日向国は日本海軍発祥の地とされている。そのことからも海の護りと頼む戦艦にふさわしい命名である。
 実際の彼女は、轟沈しても不思議じゃない大事故を何度もやらかしつつも無事で、また撃沈覚悟の絶対不利な戦場に立ちながらも見事に生還したという、なんか勝利の女神か何だかが憑いているレベルの強運に定評がある。前述の通り天孫降臨の地にして海軍発祥の地を艦名にいただき、さらに艦内分社は宮崎神宮(主祭神は神日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)=神武天皇。日本海軍の祖であり日本最初の提督でもある)のもの。ひょっとすると、神降しが成ったがゆえの強運だったのかもしれない。
 彼女の強運がどれほどのものか、「砲塔爆発2回、弾薬庫火災1回という前歴を持ちながら、しれっと生き残る」と言えばお分かり頂けるだろうか。ちなみに全部事故(クルマでいう交通事故)。戦闘の結果負った損傷ではない。陸奥などの例を見ればわかるが、どれもこれも即轟沈しかねない大事故である。「おいおい、なんで五番砲塔なんだ?」というセリフはこれが元ネタ、艦後部の5番砲塔を爆発事故で失ったことが、彼女の大改装の契機となった。なお、1度目の爆発は艦中央部の第3砲塔で、弾薬庫火災は第4砲塔だった。ちなみに二度目の砲塔爆発事故、何と国民向けのニュース映画に収録され全国放映されてしまった。どうやら当局でさえ気付かないまま検閲を素通りしてしまったらしい。件の映像をよく見ると、砲塔全体が煙に包まれ砲身から炎が出ており、事故映像だとわかるが、発生時、日向の艦橋ではだれも事故に気が付かず、射撃指揮所からの通報で直ちに弾火薬庫に注水し、ギリギリで爆沈は防がれたという。さらに暗礁で座礁しかけたこともある。未知の暗礁でお腹を擦ったが、平時だったために搭載物が少なく、その分喫水が浅かったために難を逃れたという好運エピソードも。その暗礁はこの件がきっかけで発見され「日向礁」と名付けられた。
 特に筆頭なのは、2度目の砲塔爆発はちょうどミッドウェー海戦の頃であり、これが彼女の運命を大きく左右することとなる。海軍の偉い人たち「まさか一航戦と二航戦がまとめて消滅するとは……。代替戦力として正規空母をいちから造るのも、戦艦を全面改装するのも時間が足りない。さてどうしたものか……むむっ! こんなところに5番砲塔を事故で喪失した日向が! ちょうどいい、伊勢型の船体後部に航空艤装を施そう!」とまあ、大体こんな感じで航空戦艦へ改装されることとなったのである。
 ちなみに扶桑型が改装をキャンセルされたのは、資材の関係や伊勢型のほうがちょっとだけ高速だったから。決して彼女たちがポンコツとかそんな事はない……筈と信じたい。

■長門
●マツダ/RX-7 スピリットR タイプA(FD)'02

・パフォーマンスポイント(PP):500
「25年も生産され続けてきたロータリースポーツカーに終止符」
 3代目RX-7となるFD3Sがデビューしたのは1991年12月。先代モデルまでのサバンナというサブネームが消え、アンフィニRX-7が正式名称となった。
 トレッド拡大やワイドタイヤ装着のため、FD3Sでは全幅を大幅に広げたが、ボンネット、スペアホイール、ジャッキ、前後ダブルウィッシュボーンの足まわりはすべてアルミ製とし、車重1200kg台という奇跡のような軽量ボディとなった。
 搭載エンジンはFC3Sと同じ13Bターボ。しかしシーケンシャルツインターボを採用し、パワーを255PS、30.0kgfmまで増強。最軽量のタイプSのパワーウェイトレシオは4.90kg/PSにもなり、歴代RX-7中屈指のポテンシャルを身につけたのである。
 FD3Sの歴史は絶え間ない進化の連続だった。ボディ剛性やコンピュータ、ABSの仕様は年ごとにバージョンアップされ、91年にⅠ型で始まったボディはⅡ型、Ⅲ型と改良され、2000年にはなんとⅣ型にまで進化している。
 この進化の中でトピックだったのは、93年に限定発売されたタイプRZが、国産車初の40/45というロープロファイルタイヤを装着したこと。そして、2001年に発売されたタイプR バサーストRが、量産車としては異例の車高調整式ダンパーを備えていたことである。
 当然エンジンも強化された。96年にはECUと吸排気系を見直して265PSへパワーアップ、98年には冷却系やエンジンなどをリファインしてついに280PSを達成した。パワーウェイトレシオはタイプRで4.49kg/PSに達し、動力性能はスーパーカー並みだった。
 しかしそのRX-7も21世紀の環境規制には勝てなかった。2002年8月、RX-7はスピリットRという記念モデルを最後に、足かけ25年におよぶ生産を終えたのである。
 栄えある図鑑No.1。通常の建造ないし通常作戦海域でのドロップで出現する艦娘として、最強と云えるパワーを誇る戦艦娘。2014年3月28日実装の霧島改二の登場で火力が2番手に落ちた。しかし差は僅か5でその他の性能ではこちらが上なのでさほどは気にならないが。純粋なパワーは大和型の姉妹の方が上回っているが、過去のイベント海域攻略報酬大型艦建造以外の入手方法が無い。
 終戦まで生存したことへの評価か、運は初期値で20、改で30と高い。夜戦での一発に最も期待できる戦艦であり、これは大和型や金剛型改二にはない強み。まるゆ素材の改修によりさらにその長所を伸ばすのもよい。ちなみにMAXは改造前は79だが、改造後は雪風同様の99まで上がる。2014年7月28日に実装された榛名改二(運41)の登場で運も2番手に落ちた。
 火力の最大値は金剛型の98(霧島改二は104)に対し99と、あまりアドバンテージは無いが、対空・耐久については完全に凌駕している。
 耐久の高さはカス当たりの被ダメ増加やフラ戦等にワンパン大破を貰った時の入渠コスト等にも繋がっている為、一概に高い方が良い訳ではないことは注意が必要。火力・装甲は初期値がかなり高いため、近代化改装の余地がほとんど無かったりする。
 レア度は現状二番手の6を誇り、その上ドロップ場所がボスのみと限られており非常に入手し辛い。
・南西諸島海域:2-4のボス
・北方海域:駆逐艦でしかボスに行けない3-2を始め、3-3、3-4のボス
・西方海域:4-4のボス
・南方海域:5-5でボスSドロップが確認された。
・中部海域:6-2のボス
・この中でマシな海域となるとボス前まで固定可能な3-3か4-4、もしくは固定可能の6-2。潜水艦なら3-4あたりとなる。
-2-4は羅針盤的にも、戦闘回数的にも不利のためあまり推奨はできない。
-3-2は比較的低コスト、ただし中大破率が高く、運が悪いとお仕置き部屋連行もあるので注意。
-
3-3は道中もボスも敵はそれなりのため割かと周回はしやすい。ただしよく家具箱に流れるのはご愛嬌。
-
3-4を水上艦隊で進むのは羅針盤的にも戦力的にも高コスト。潜水艦隊なら比較的低コストで周回可能だが、ボスマスで得られる戦果評価が厳しい。
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4-4はボス前まで固定はできるがボス前が少し厳しいのとボスに潜水艦が2/3で混じるためS勝利は少し厳しい。
-
5-5は絶対にオススメできない。まず道中が鬼畜の上、ボスSも非常に厳しいためである。
-
6-2はボスルート固定も可能でボスも弱いためSは楽だが、道中事故率と被害率が非常に高い
 上記のように狙える場所が少ないので、建造の方が早いのでは?との見解もある。
ちなみに大型建造の最低値でも建造可能である。開発資材は1or20で構わない。
 また、出撃に要する燃料・弾薬のコストが非常に重いのも大きな特徴である。特に弾薬については改造前で金剛型の18%増し、改で33%増しの消費量であり、入渠時の鋼材消費量もまさにビッグ7。計画して運用しないと提督諸氏の頭髪が禿げる他艦娘達の作戦行動や建造計画に支障が出るほどの資材を食う大食らい。改造前の方が燃費が良い事は有意であるため、改造前の状態でレベリングを行う事を検討してみても良いかも知れない。ご利用は計画的に。もっとも、それでもどこぞの姉妹と比べれば燃費は半分程度であり、遠征や任務による最低限の資材確保を怠りさえしなければそうそう致命的な枯渇を招くことはない。結局は運用する提督の心掛け次第である。
 一式徹甲弾が入手できる「第二戦隊」の編成・出撃任務に必要である(長門改で可)。長門旗艦だと第二戦隊の出撃任務なのに「第一戦隊、出撃するぞ!」の台詞で始まるというシュールな光景が見られる。
 艦名の由来は、本州の南西端にあり現在の山口県一帯を含む「長門国」。明治以降、数々の有名政治家を輩出した長州藩が存在していた場所でもある。本州北東端にあり津軽海峡を有する青森県他の旧名「陸奥」と対になっている。
 開戦時の連合艦隊旗艦でありいかにもリーダー然とした武人的なキャラクター。…のはずの彼女だが、実は二度しか海戦をしたことがない。赤城たち空母に出番を取られてしまった。
 公表時にはスペックを偽装され、対外的な最高速度は23ノットと発表されたが、実際の最高速度は26.5ノット。当時の戦艦の速度平均を軽く超えた高速艦だった。その他主砲の威力等、スペック上は陸奥共々ビッグ7最強艦。ちなみにスペック偽装がバレたきっかけは関東大震災。救援物資を満載して帝都へ最大戦速で急行する途中でイギリスの軽巡「ディスパッチ」に見つかった。が、各国には半ばバレかけていた時期だったので表だった反応は特になかったらしい。実のところ、煙突の大きさから機関出力はかなり正確に推測できるのだ。しかし水面下ではガチで警戒されており、嘘か真か、1930年代にルーズベルト大統領が海軍将校に「日本はいつ占領できるのか?」と訊いたところ、その海軍将校は「駄目です。日本には長門がいます」と答えたとかいう話がある。大艦巨砲主義が幅を利かせていた時代のことだが、それだけの警戒を受けるに足る性能を持っていたことの証左。勿論額面通りに聞く話ではないが。特に古今東西軍関係者にとって「無理=対策予算寄越せ」である。ちなみに長門の建造費は大正5年の価値で4,390万円、現在換算で大体3,000億円強となる。長門型の操艦は日本海軍の戦艦で一番容易だったという当時の現場評価がある。翻って、直進性が低かったため針路保身が難しかった伊勢型や直進性が良い代わりに舵の効きが悪く、回頭時の惰性力が大きい大和型の操艦は難しいとされていた。なお、計画時に前部マストは三脚型であったが、ある砲術士官の強い要望で(最終的には設計担当の平賀譲中佐と大激論の末に)、より強固な七脚式のものに変更された。要望した士官の名は金田秀太郎大佐。あの金田50万トン戦艦計画の生みの親である。
 八八艦隊計画で建造された他の艦は妹の陸奥、長門型3番艦の加賀と4番艦の土佐(後に2隻とも加賀型戦艦に変更)、天城型巡洋戦艦の天城・赤城。赤城と天城はワシントン軍縮条約によって空母へ改装される予定だったが、関東大震災の影響で天城が大破・回復不能の損傷を負ったため、同じく軍縮条約にて廃艦の予定だった加賀が代役として空母に改装された。
加賀の妹の土佐は進水式のわずか3ヶ月後に廃艦、砲弾などの各種実験に供用された後、高知・宿毛湾沖にて自沈処分。そのため見方によっては長門と加賀は血の繋がった姉妹と考えることもできる。どっちも大飯食らいだしもし戦艦として就役していたら、長門型の改良強化版といった性能になる予定だった。姉より優れた妹などいない。
 1934-1936年の近代化大改装においてビスマルク級などの条約型新型戦艦に対抗可能な戦闘能力を獲得。誰が呼んだか「最強の旧世代戦艦」。ただし20,000mでの長門型主砲の貫通力は455mmにも及び、上記の戦闘距離では米戦艦の垂直装甲を貫通できるので、長門型については改装前でも不利というわけではない。また、米軍の14インチ砲は18,300mで349~356mm程度の貫徹力のため、上記の通り、対敵姿勢によっては、20,000m程度までは貫通できない。とはいえ、日本戦艦の35.6cm砲は307mmの貫通力であり、米戦艦の垂直装甲を破れない。注意が必要なのは長門型の装甲配置は舷側垂直装甲の裏側に45度傾斜した75mmの装甲版が配置されていることで、米軍が使用した短遅動信管(命中後の爆発が早い信管、日本海軍は大遅動信管で爆発までの時間が長い)では主舷側装甲を抜けた後、背後の75mm装甲を撃ち抜く前に爆発する可能性が高い。この事から主要部への命中弾であってもバイタルパートを確実に貫くのは難しいという説もある。大改装時に船体を延長し、機関も重油専燃になったせいか機関強化がされなかったにもかかわらず、ほとんど速度が落ちなかったという逸話が残っている。最大速力で2ノット以上の差がある大和とレイテ沖を2時間半にわたって駆け回って落伍しなかったあたり、スペック以上の速度を平然と出せたようだ。尤も、大和が第四戦速24ノット、第五戦速26ノットを主用したのに対して長門は最大戦速となっているので、大和に同行する為にかなり無理をしている。無論これにもちゃんと根拠はある。長門は当初より連合艦隊旗艦として建造されたため、特に機関の強度等に気を使った設計がされていたことによる。重巡洋艦と同等の機関に積み替え29ノット級の高速戦艦化する話はあったものの予算不足でボツ。
 台詞にある「第一戦隊」とは日本海軍最強、最精鋭の戦艦部隊のこと。連合艦隊(常設化される前は第一艦隊)司令長官が戦隊司令官を兼務する、日露戦争以来艦隊決戦の要とされる部隊だった。
長門型は竣工から太平洋戦争開戦まで、整備・近代化改装工事で艦隊を離脱した時期を除き、第一戦隊にのみ所属し続けた。まさにエリート中のエリート。大和の就役により連合艦隊旗艦を譲った後も、ミッドウェー海戦までは大和と長門型姉妹による3隻体制だったが、武蔵の就役を一ヵ月後に控えた1942年7月、長門と陸奥は編制替えで第二戦隊に転じることとなる。

■陸奥
●マツダ/アンフィニ RX-7 タイプR(FD)'91

・パフォーマンスポイント(PP):474
「FD3Sの3代目、極限を具現化したモデル」
(車両解説は上記の「長門」と変わらないため、省略)
 このRX-7は、長門型戦艦の2番艦である「陸奥」の愛車。長門の前モデルを使っているようだが、性能的にはそんなに不満はない。が、夜戦(夜間走行)は苦手。爆発事故が原因と思われる。
艦名の由来は、本州の東北端にあり津軽海峡を有する東北の青森県などを含む旧名から。西南端にあり関門海峡を有する中国地方の山口県の旧名「長門」と対してである。その中で設計時は「もっと主砲を増やせないのか」という用兵側の要望で、設計を担当した平賀譲氏の考えで傾斜装甲・新型ボイラーの採用・ボイラー室区画の短縮を行い、長門と同排水量で連装砲塔1基を増載する案が立てられた。その名も「陸奥変体」と呼ばれている。間違っても「変態」じゃないからね。しかし、改正による竣工の遅れや同型艦による運用の兼ね合い、何よりも艦内が窮屈になりすぎる事が考えられて没案(廃案)となった。もっぱらFD3S型RX-7も言えた事ではないような・・・。
1921年就役と他の艦娘に比べて割りと古く、お姉さんキャラなのはその為。でも、就役と言っても実は半完成状態であった。これは当時、米国(アメリカ)と英国(イギリス)からの「陸奥はワシントン海軍軍縮条約内にある『未完成艦は廃艦とする』という規定に含まれるだろJK……」というツッコミを潰す為であった。英国・米国の調査を妨害してまで押し切り保有は認められたが、代償としては米軍ではコロラド級3隻の建造続行、16インチ砲戦艦を保有していなかったイギリスにもネルソン級2隻の新造が認められてしまった。こいつらのせいで、どんだけ自国のメーカーが消費しているんだが・・・。一応摂津(ほとんど準弩級)の代艦扱い、米国(主砲12インチ)・英国(主砲13.5)も代わりの戦艦を廃棄している、英国が一番馬鹿を見ているのは気のせいであるだろうか。

■大和
●レクサス/LFA'10

・パフォーマンスポイント(PP):561
「日本が誇る、エキゾチックカーの金字塔」
 日本の自動車産業が世界に認められる20年以上も前、トヨタは2000GTという1960年代の最新のテクノロジーを結集させたスポーツカーを生み出した。そして21世紀。トヨタは再び最新のスポーツカーを開発した。それがLFAである。
 開発は難航した。カーボンを使ったボディなどの生産技術を確立させながらの作業となったためだ。ハンドメイドで帳尻を合わせるのでは意味がない。最先端技術を安定した品質とするのは、量産車メーカーとしてのプライドでもあった。
 スポーツカーの重要な素性となる前後重量配分は48対52。これにはトランスアクスルレイアウトとリアへ配置されたラジエターが効いている。車両重量は1,480kgに抑えられた。しかし、それ以上に開発陣がこだわったのは低重心化で、V10エンジンはドライサンプ化され、パワートレイン全体のマウントを低くするために、ドライブシャフトはリダクションギアを介して1段高い構造とした。
 4.8LのV10は72度のバンク角を持ち、許容回転限界は9,500rpmに設定された。560PSのパワーは1Lあたり117PSという高性能ながら、高い環境性能を両立。トランスミッションは6速の2ペダルMTで、トレンドのダブルクラッチではなく、シングルクラッチを選択。これによりレーシングカー並みの0.2秒というシフトタイムを実現している。
 ブレーキは標準でカーボンセラミックが与えられ、フロントは6ポッド、リアは4ポッド。すべて異径ピストンが与えられている。
 時速100km/hまでの加速が3.7秒、最高速度325km/hというスペックをもつこの車は、全世界わずか500台の限定生産とされた。
 
 この限定の和製FRスーパーカーを所有しているのは、軍艦に詳しくない人でも名前くらいなら知っているであろう、日本海軍の隠し玉にして最大の超弩級戦艦「大和」。大和と聞くと、地域名の"大和市(神奈川県など)"や配達大手業社"クロネコヤマト"、日本では美人などに使われている"大和撫子"、日本の国民的アニメの一つ"宇宙戦艦ヤマト"などの言葉が出てくるだろう。基準排水量及び満載排水量そして搭載主砲の口径で戦後ギネスブックに認定されている。はずなのだが、最近の本には何故か載ってない、今の現代人に忘れ去られたのかも。
 海軍の発注コンセプトは、ワシントン海軍軍縮条約により八八艦隊構想を諦めたことから「数造れないから最強の艦隊決戦用戦艦造る(意訳)」で、実際に完成したのは大和・武蔵、航空母艦へ改装された信濃の三隻だけである。
 スペックに比して動かす負担もゲームと同様で高負担過ぎる。一隻建造するだけで一個艦隊を余裕でぶっちぎる予算が吹っ飛び(大和型一隻の建造費用は、現在の日本円価値に直してみるとなんと巨額である約2兆5000億円。グランツーリスモ6内に収録されている20億円で販売されている"ジャガー・XJ13'66"が数十台、いや数百台から数千台楽々購入できる額)、動かすとさらに燃料が消し飛ぶ。何も動かさなければ問題ないと思いきや、弾薬庫内の適温維持などに主機を動かす必要があるため、結局吹っ飛ぶ。今の国家予算動かせるんじゃないか、この維持費で・・・。
 ゲーム内の資源消費で水雷戦隊1個分が大和1隻分になっているのは実物と大体同じ量。ネタにされている「ボーキサイトの女王」と違って現実でこうである。
 日本海軍きっての隠し玉(切り札)であり、存在そのものが最高レベルの軍事機密として秘匿されていた。その秘匿ぶりは議会を因幡てゐ並みに騙し、予算を架空の陽炎型・伊号潜の建造予算や比叡・蒼龍の改装予算に紛れ込ませていたほど。今の日本の法律だと違反になるようですけど、忍ばせるとか・・・。また極秘という事で当然のように陸軍にも秘密、海軍内でも主砲の制式名を「四十糎(センチ)」にする等、多くの海軍人も真のスペックを知らなかった。無論、当時の国民にもその存在を知らされることは一切無かった。そのため国民の間では「帝国海軍の象徴と言えば"長門"と"陸奥"」というのが一般的な見方でもあった。以上の理由に加え、後述するように図面等の大切な資料も終戦時に敵である米軍の手に流通しないようにほとんどが破棄や処分されたため、大和型戦艦は現在のような知名度でも、資料の数少ない軍艦となっている。ただし、最近(といってもほんの数年前)、完全版ではないものの、相当量の設計図面が発見された。廃棄するには忍びないだかの理由で技師がこっそり持ちだしていたらしい。それのおかげで、大和型戦艦の解明は飛躍的に進んでいるのも事実である。
 折角最強と言う名を貰った戦艦として就役したのに、当の日本海軍が「空母機動艦隊こそ正義、戦艦はサブ」を立証してしまった、戦歴は色々悲しい艦。ミッドウェーでは空母艦隊の後ろに配置された上空母艦隊が壊滅した瞬間反転させられ、金剛型のように敵地殴り込み作戦にも使って貰えず、その艦歴のほとんどを泊地に停泊して過ごした。それのお陰でついた仇名は、満州にあったヤマトホテルと引っ掛けた「大和ホテル」。居住性が帝国海軍艦の中では破格の高さ」だったこともその一因だったが、停泊してる間ただ居住するためのホテルと化していた訳ではない。砲術士官達はここで砲術の勉強会を開いており、彼らからは「大和大学」と呼ばれていた。もっとも、冷房設置などの居住性向上は最上型から行われており大和型に限った話ではない。結局、まともに参加したのは戊一号作戦(輸送作戦)、中止になった渾作戦(ビアク島援護作戦)、レイテ沖海戦、菊水作戦だけ。その性能の真価を発揮させられないまま沈んだ悲劇の艦である。
大和の副砲に使われた15.5cm砲は軽巡時代の最上に使われたものを流用したのは有名な話で、それがために砲塔を丸ごと使ったと勘違いされがちだが、甲板上に出る砲室も艦内にある砲塔部分も、全て大和に搭載するに当たって新規設計されたもの。最上から流用されたのは15.5cm砲の砲身だけであり、他より装甲が薄いのは確かだが軽巡並みではない。
 改装で副砲を二基取り払い、その分対空装備を多量に盛った。

●レクサス/LFA ニュルブルクリンクパッケージ'12

・パフォーマンスポイント(PP):560
「過酷なドイツのサーキット"ニュルブルクリンク"、そこで鍛え上げられたLFAの完全版」
 レクサス・ブランドの究極のスーパースポーツカーとして、2009年11月に正式デビューしたLFA。世界で500台の限定販売であったが、その中に「ニュルブルクリンクパッケージ」と呼ばれる50台だけの特別仕様が設定され、2011年3月に発表された。
 LFAは2003年の最初の試作車の段階からドイツのニュルブルクリンク・サーキットで走行テストを重ねており、2008年以降は開発の一環としてニュルブルクリンク24時間レースに参戦している「ニュルブルクリンク育ち」のクルマである。
 その名前を冠しただけあって、このスペシャルエディションはスタンダードモデルよりもサーキットを意識した仕様だ。まず目立つのは空力性能の追求で、フロントにはカーボン製の大型スポイラーやカナードを装着、リアには角度調整が可能な固定式ウィングがマウントされた。エンジンは560PSから570PSへとチューンナップが加えられ、2ペダルMTの変速スピードも0.2秒から0.15秒へと短縮された。サスペンションは専用セッティング、車高は10mm低められ、タイヤもホイールも専用品が与えられた。
 ちなみに生産開始は発表から1年近く遅れたが、その理由は開発陣の納得がいくまで研究開発とテストが繰り返されたためだ。開発の一環として2011年8月にはニュルブルクリンクで確認走行を行ない、飯田章のドライブにより量産車メーカーの市販車として当時最速の7分14秒64をマークしている。「ニュルブルクリンクパッケージ」は、タイヤまで含めてほぼこの確認走行時のままの仕様でリリースされた。

■武蔵
●レクサス/IS F'07

・パフォーマンスポイント(PP):542
「型破りなセダンの皮を被ったスポーツカー」
 トヨタの最高級車ブランド、レクサスが日本で開業したのは2005年のこと。ほどなくLS、GS、ISという3サイズのセダンと、オープンモデルのSCというラインナップが揃えられたが、BMWのMシリーズやメルセデスのAMGといった、ライバルの欧州プレミアム・ブランドにある最高級スポーツ・モデルが不在であった。
 そこで開発が急がれたのが、2007年のデトロイトショーで姿を現したレクサス IS Fである。
 ベースとなったのはISのセダンだが、その中身はまるで別物。300km/hオーバーでも安定した走りを可能にするために、空力をメインにとことん手が入れられた。特にフロントまわりはV8エンジンを搭載するためにオーバーハングが伸ばされ、ヘッドの干渉を防ぐためにボンネットが大きく盛り上がっている。
 搭載される5L・V8エンジンはレクサスのフラッグシップであるLS 600hに採用されたものをベースに、トヨタとヤマハが共同開発した専用スポーツユニット。最高出力422PS、最大トルク51.5kgfmを発生する。
 8速ダイレクト・スポーツ・シフトは2ペダルMTにも匹敵するクイックなシフトを可能にし、0-60mph(≒0-95km/h)加速4.9秒を実現。ISから全幅は20mm拡大され、19インチ・ホイール&タイヤをすっぽり内に収めてる。ブレンボ製のブレーキは前が6ポッド、後ろが2ポッドのモノブロックキャリパー。ローターも大径タイプで、雨のサーキットでも余裕で対応する。
 高級車としての品質を追求しながらも、サーキット走行のも耐えうる走りを追及するIS Fは、隙のないプレミアム・スポーツカーとしてその存在感を確固としたものにしている。
 言わずと知れた大和型超弩級戦艦2番艦「武蔵」。そして、大日本帝国時代が建造、そして完成させた最後の戦艦でもある。伊8と同じく艦これのキャラクターの中で貴重な眼鏡属性を持つ6人目。イベント前に実装されていた彼女達と組み合わせることで、ようやく眼鏡っ娘艦隊が組めるように。時代は航空戦に移行してなお、米帝をして「モンスター(化け物)」と言わしめた程の装甲と火力を誇る。"宇宙戦艦ヤマト"になったり、何度も映画になってる姉とは少し違った意味で知名度の高い名前だが……それは多分戦艦としてではなく同名の剣豪のイメージだろう。艦これでもその流れを崩さず、武人然とした言動を示している。
 なお、姉の大和は二代目だが、武蔵はその名を持つ艦としては三代目。初代はアメリカから購入した日本政府の所有船、二代目は初代大和と同様、葛城型スループの一隻である。二代目武蔵は1935年に解体されたため、姉であるヤマトのように先代に先立つ不幸は一切なかった。
 大和より遅れて起工したために、大和建造中に見つかった不具合の解消や旗艦設備の充実などを含めた若干の仕様変更が行われている。レクサス IS Fみたいに急いで開発したみたいな。元々の起工の遅さと仕様変更が相まってただでさえ高かったコストにさらに駆逐艦1隻ぶんが上乗せされた挙句、竣工予定に3ヶ月(約90日)の遅延が発生してしまう。さらに建造中に大東亜戦争が開戦してしまい、1942年12月完成の予定を6月に繰り上げることを余儀なくされ、スタッフの超人的な努力によりなんとか達成。本当にレクサスと同じ道を通ってきたのか・・・。機関出力は姉の大和と比べ、3553馬力ほど劣っていた。それでも15万馬力という恐ろしい数値だが。愛機のIS Fは475PSと若干遅い。いや、他の艦娘達と比べれば上の中くらいのレベルである。建造過程やその間の出来事に関しては吉村昭著『戦艦武蔵』、牧野茂/古賀繁一監修『戦艦武蔵建造記録』に詳しいので、興味のある提督諸氏はぜひ読んで頂きたい。今回は少し仕方ないので珍しく3つほど詳しい詳細を出そう。
・彼女(武蔵)の建造はドック内ではなく陸上の船台で行われたのだが、防諜上の理由から、その目隠しにシュロのすだれ(現在でいうブルーシートやトタン板みたいなもの)を使用。大和型のあのでかい巨体を隠すためのすだれなのだから、無論超大量に必要となる。そのための極秘のシュロ買い付けで当たり前のように市場価格が暴騰し、漁業関係者が抗議をした。悪質な"買い占め事件"と見なして日本の警察が捜査を始めるという、何とも米騒動以上に意味不明なオチが待っていた。
・防諜がとても厳しく、図面1枚無くしただけでその場にいた技師と製図工全員が特高(特別高等課)の取調べ(拷問大会)を受け、犯人の少年製図工は家族ごと満州(今のロシア?)送りにされて消息不明なんて話もあったりする。島送りとかいう隠蔽とか言うレベルじゃねーぞ!
・というのも、紛失した図面というのが、主砲塔が回転する部分の一部を記したもので、もしこれが他国の諜報機関に渡って一度分析されてしまえば、主砲の大きさ、口径、更には建造中の艦艇の大きさ等が分かってしまうという危険をはらんでいたからである。この紛失事件が発覚した際、現場は勿論の事、報告を受けた艦政本部も戦々恐々としたという。
 姉の大和と違い銀髪で褐色の肌をしているが、これは甲板を黒に近い鼠色に塗装していたという逸話からだろう。ホイールもその影響に近い。また、武蔵にとっての最後の戦いとなったレイテ沖海戦に向かうに当たって、船体を明るい銀鼠色(今でいうシルバー)に塗り替えた事も無関係ではないと思われる。この塗装変更、乗組員には「艦長四代副長二代の死に(四二)装束」「武蔵は囮艦なのか?」と非常に不評で、他艦からもものすごく縁起が悪いと思われていたらしい。
 長崎県生まれ故か、好物の皿うどんとカステラは共に長崎県の名物。「やたらでかいハンバーガー」は佐世保バーガーを指す言葉かと思われる。福岡県と長崎県に挟まれた佐賀県が泣いてるぞ。

●レクサス/IS F ツーリングカー'07

・パフォーマンスポイント(PP):603
「ニュル24時間を制覇したIS Fの真の姿」
 このモデルは、IS F(2007)を元に「グランツーリスモ」が独自にチューニングしたオリジナルモデルである。
 以下がベースとなった車両を紹介しよう。
(ここから先の車両解説が上記の「武蔵」と変わらないため、省略)


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