鉄塊の政治哲学っぽい解説

政治における代案の必要性

2021/01/17 22:53 投稿

コメント:1

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今回は前二回の経済関連から政治についての話に戻ります。

タイトルにもあるように政治討論において、代案が必要な理由について解説していきます。

1政策がつくられる理由

政策は何かしらの課題解決の手段として議会などの政治の場で議論され成立します。議会に提出された政策は、当然デメリットをある程度持っています。政策実行には何かしらのコストを必要とするので、デメリットの全くない政策は作れないです。

議会に提出された政策はその後、批判を受けたり、代案が出されたりして、そのままあるいは、修正して成立するか、廃案になります。

 政策に対応する批判と代案はどのような性質を持つのでしょうか?

2批判と代案

 批判とはデメリット、問題点の指摘であり、相手の意見を批判するだけなら中学生でもできます。

代案は、対応する政策の問題点を改善するか新しい方法で、その政策が解決しようとした問題に対する回答を出すことです。

短期的にみれば、批判だけする存在が否定され、対案が必要な理由は次の通りです。

批判をするだけの存在は、政策を作る行為の主体性を持ちません。なぜなら、デメリットの指摘をするだけで改善方法を述べないなら、その改善は批判された側が行うのからです。そして、改善する案がないのなら、その政策が悪手であろうと、それより良い手がないのであれば、その悪手を打つしかなくなるからです。

付け加えて述べるなら、ある政策そのものが必要ないと批判するなら、その政策が行おうとした課題解決が必要ないことを説明しなければなりません。

つまりどれほど、その政策に対して代案を出さずに批判しても、その政策を行うべきではない理由を論理的に説明できなければ、その政策を行う目的、解決すべき課題がなくなるわけではないので、課題解決のためにその政策を行うしかないのです

3長期的に代案が必要な理由

また、批判しかされずに対案が出ないことは長期的に以下のような弊害を生み出します。

野党から批判を主に行い、まともな代案が出されなければ、与党は、野党は政権を取るつもりがないと判断され、与党の危機意識は薄れます。危機意識が薄れれば、党の質を維持する原動力が小さくなるので、与党の質は落ちていきます。つまり、それはダメな政治になっていくということです。

最後に至極当然の道理を述べて、本記事を締めくくりたいと思います。

与党自民党の劣化が激しいというのなら、それ以上に野党の劣化は激しい。


コメント

kei
No.1 (2021/01/17 23:47)
批判するだけで対案もださない、悪いままの政策を実行すれば無駄遣いとののしる、ほらやっぱり失敗したとなじる。
そうとだけおもっていましたが、案外、与党野党双方の劣化、つまりはこの国の政治全体の稚拙化をねらっているのかな、とこちらを読んで思いましたね。
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