鉄塊の政治哲学っぽい解説

平等より公平であるべき

2020/12/13 21:39 投稿

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・この記事内での考えは基本的に筆者の考えです。

・いつかは時事問題にも取り組みたいと思っています。それを解説するための当たり前がたっていくフォルダから目をそらしつつ。

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・週一更新を目標に頑張っていきます。

今回は自由と同じく民主主義で大切だとされる、平等について解説し行きます。

1人は生まれながらにして平等ではない

人は生まれながらにして平等な存在ではないです。生まれた家庭の収入、遺伝子によって半分ほど決まる身体的特徴等々です。生まれがどうあっても努力でどうにかなる可能性があるので平等という声が聞こえてきそうですが、最高のコーチがいて家庭環境があって自分に強い熱意があっても、オリンピック選手になれるとは思えないです。また、圧倒的資金力に設備に熱意があってもノーベル賞はとれるとは思えないです。頂点の辺りを例えに出しましたが、頂点という存在があるということは平等ではないです。

 あらためて述べますが、これらのことからもわかる通り世界は平等ではなく、また格差を完全になくすことはできないです(生まれた瞬間から存在する差なんてなくせないですから)。

2平等を求める理由

さて本題に入ります。民主主義国家では自由と並んで平等が重要視されます。なぜでしょうか?それは人という存在において、人々の間で決定的違いを持つとすると民主主義が成り立たないからです。民主主義とは人々の間に差はないと定義したからこそ、国家の構成員たる国民の総意によって国家の意思決定を行う正当性があるとしたからです。(国民の意思決定能力に差があってはいけないですから)

 その民主主義で目指すべき平等とは求めた理由は何なのでしょうか?それは、不平等感です。生まれの違い、ただそれだけでより多く税をとられる金を多く持つ平民ブルジョワの中でその思いを持つようになったのです。同じ人であることは違わないのに扱いが違うことに不平等感を持ったのです。

だからこそ、国家の下国民が平等に扱われることを求めたのです。その人間の生まれなどの変えようのない属性によって、非合理的に法律的扱いが変わらないことを求めたのです。

 そして現在求められる、平等の多くは産業革命以降、格差(例えば、経済や教育など)が大きくなっていった過程で求められていったものだと私は考えています。それは人としてまっとうな生活を求めて、人として、自由な選択をするために希求されていったものだと私は思っています。

3目指す社会の平さ

 そのうえで、最初にも述べたように人は平等な存在ではないですが、どのような平等を目指すのでしょうか?共産主義が失敗したことからもわかるように結果が平等になるようにするのは、努力する意義を人から奪うので、避けるべきです。(格差についてはまた別の時に詳しくやります。)

結果の平等が取れないとするなら、どのような状態が良いと思いますか?

 上記にも述べたように人が自由の選択の結果として自身の望む結果がたどり着ける可能性が那由他の彼方にでもすべての人間にあるような状態が望ましい平等の状態だと私は思っています。

全ての人間の人生のスタート地点が違い、歩く道のり、環境も違う世界で、国家が国民に提供できる平等とはその程度であり、それ以上は国家の負担と不公平さ(何かしらの属性を持つ人間への過剰な関与)だと私は思っています。これは、平等というより公平という概念が近いと私は思っています。

何故なら、そのような社会では、努力したものには相応の報酬が、怠惰なものにはそれ相応の報いが訪れることになるでしょう。家庭環境などの影響を排しきれないのは事実ですが、それは才能の有無のようにどうしようもないものです。その親もしくはそのまた親かもしれませんが、そういった人たちが努力した結果ですから。もっともそのアドバンテージを生かすも殺すもその人次第なのですから。自身の行いの結果で自身の状態が変わるのならそれは平等ではなく公平というべきでしょう。

 だからこそ、私は平等より公平を求めるべきだと思うのです。日本は自由な選択ができる民主主義国家ですから。

最後によく人に与えられる平等といわれるものについて触れて本記事を締めくくりたいと思います。

与えられる一秒の長さと死が訪れることはすべての人間に対して公平である。しかし死の訪れは平等ではなく、故にその人生の長さも平等ではない。


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