鉄塊の政治哲学っぽい解説

自由とは何か?

2020/11/29 22:12 投稿

コメント:1

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・当たり前から問題を解説すること、わかりやすく簡潔に解説することを目標にしています。

・この記事内での考えは基本的に筆者の考えです。

・いつかは時事問題にも取り組みたいと思っています。それを解説するための当たり前がたっていくファルダから目をそらしつつ。

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・週一更新を目標に頑張っていきます。


1哲学的自由とは

法律的自由とは何かを解説する前に自由とは何か、それを簡単に解説していきます。

一般的に自由とは、自身の行動を外的要因により強制、束縛されないことと定義されます。

人は根本的に自由な存在であると言えます。(前もって申し開きしておきますが、私は犯罪を行うことを推奨していません。)

それは、人は人を殺すことができたり、立ち入り禁止区域を含めたどこにだって行くことはできるからです。もちろん許されない行いなので、命の保障はなくなりますし、警察に逮捕されますが。このように許されない行いを人は行うことができます。これもある種の自由といえます。(重ねて言いますが犯罪行為は許されない行いですのでやらないでください。)

また逆に、身体を拘束されて拷問を受けていたといても、行動することはできませんが、反抗を行おうとする意志を持つことも、自害を試みることをもできます。その自らの意志によって行動できるため自由であると言えます。(脅しによって自分の意志ではない行動をとることがあるじゃないかって?別に人質を取っている側に反抗をとることはできないわけではないので、人質を取った側に従う判断を下したのはその人自身の意志です。)

だからこそ、私は自分の意志を持つことを哲学的自由と定義したわけです。

2自由とは選択できること

上記の哲学的自由を自由と言ってしまえば、社会は崩壊するので法的自由は制限が存在すると考えられます。

第一に他者に危害や損害を与えてはならないことです。当たり前ですね、自身に危害や損害を与えてくる人と社会的関係は築けないからです。また同時に、他者に対して明確に危害や損害を与えてなくても、その可能性がある行為は制限されます。(一般的にこのような行為は犯罪行為と呼ばれるものです。)

 第二に自身の意志で行動の選択が阻害されないことです。自分の意志で行動を選ぶこれができなければ自由などとは口が裂けても言えません。

 自身の意志で行動の選択できることだけでは、哲学的自由とはあまり変わらないと言えます。(人は自由な存在なので、自分の意志で行動することができるのですから。)その上で、法律的自由について考えるならなら、第一に述べた他者に危害や損害を与える可能性がない限り、選択が否定されないこと、つまり選択を法律によって保障することだと私は思います。

3自由でなくても許されること

その逆に自由に選択できなくても許されることがあります。自身の能力不足によって自身の望む選択できないことは、不自由ではないです。例えば

職業選択の自由があっても医師になるには、医師免許が必要です。医師免許を取るには学業に優れていないといけません。この例のように自身の能力不足によって、望む職業に就職できなかったとしても、それを持って職業選択の自由が侵されたという人はいないはずです。

また居住の自由があったとしても、様々な理由によって住むところが限定され、この自由が侵害されると訴える人はいません。それは、人がこの様々な理由と呼ばれるものに縛られることを許容しているからです。(例えば家族と近いところで住みたいから、あるいは、職場に近いところが良いからとかでしょうか。家族と離れても良いなら、今のところ以外の職場で良いなら、自由なところに住めます。)

上記の例のように自由だからと言って自身の望む選択を全てにおいてできるわけがありません。それができるほど人間の能力は高くありませんので、それは意味で自身の能力不足による結果と言えます。

また、国民全員が望む選択をできるようなリソースは国家にないので、それができるように国家が手を出せば国家は破綻します。

4自由の責任

自由には限界があり、自由による選択で他者を傷つけてはいけないもので、自身の能力不足で選択できないことは不自由ではないとしました。自由にはもう一つ忘れてはいけないことがあります。それは自身の選択の結果を受け入れること、その選択の結果の責任を負うことです。当然ですね、自分の行動の責任を負うことは当然の行いなのですから。

その上で自身により良い選択ができるように考えましょう

最後に自らが自由な選択を行うための心得を記して本記事を締めくくりたいと思います。

人は自由ではいられない、生きていく中で築いた関係性が、つながりが自身を縛る鎖となるからである。だから自らを縛る鎖が何なのか見極め、その自らを縛る鎖を選ぶ自由があるのです。


コメント

エッグタルト
No.1 (2021/02/06 07:07)
自由についての記事拝見させてもらいました。自由は選ぶ権利の多さでありその結果を自分の責任として受け取れるというのが前提だと解釈します。
 自分の責任として受け取れると言うのが思ったより難しい問題なのかもと思いますが私の経験上その前提には「自分自身の弱さ」を自分の事として受け入れている事が必要なのかなと思います。
 強さと弱さのバランス、どっちが欠けても結局責任から逃げてしまう結果になるのかもしれませんね。
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