澄みわたる青空の下、マラソン界のトップランナーたちが鮮やかな走りを見せてくれた2022年3月6日の「東京マラソン2021」。市民ランナーにとっては3年ぶりの晴れ舞台でもありました。
東京の街に活気と希望をもたらしてくれたレースでしたが、その舞台裏にはどんなストーリーがあり、どのような想いがあったのでしょうか?
大会を目前に控えた2月28日の午後、東京マラソンのレースディレクターを務める早野忠昭さんに、東京マラソンのフィロソフィーについてうかがってきました。
東京マラソンのはじまり
──今年で15回目となった東京マラソンですが、どのように始まったのでしょうか?
よく語られているのは、マラソン指導者の故・小出義雄さんが故・石原慎太郎さんと飲みに行って、「ニューヨークシティマラソンみたいなのを東京にも作ってよ!」という話をしたのがきっかけだったと(笑)。
石原さんはその後ニューヨークへ視察に行き、スポーツという観点からだけではなく、都市の持つひとつの機能としてマラソン大会を作ろうと決めて、そこから東京マラソンがスタートしました。
──早野さんは第1回目の東京マラソンから運営に関わっていらっしゃいますが、初めての大会はどのような印象でしたか?
大会の翌日に、ニュースや特集や、とにかくいろいろなビデオクリップを19時間分ずっと見ていました。すると、走りながら10kmごとに赤ちゃんのために搾乳しているお母さんがいたり、「お腹空いた〜」って言っている人がいたり。
初回は寒かったから、熱量を取るための食べ物が足りなくなっちゃったんですよね。
すると、それを見ていた沿道の方々から自然発生的にとあることが起こったそうです。
浅草あたりの人たちが豚汁を炊き出し始めたりと、人情話みたいなことが東京中で起きていたんです。
それを見た時に「ああ、東京がひとつになる日だったんだなあ」って感慨深かったですね。
開催が延期されたことで、今回のコピーには「もう一度」が加えられた。想いが伝わってくる。
──「東京がひとつになる日」は、すでに初回から始まっていたんですね。
青森からきた人、長崎からきた人。東京にはいろいろな人が集まっていますし、それぞれ背負っているものがあると思います。だからこそ、東京という同じ場所で、マラソンという同じアクティビティを通してみんな同じゴールを迎えることに意義があります。
東京マラソンとしては、東京というプレミアムステージを提供するから、そこでのドラマやストーリーはあなた自身が作ってください、というスタンスです。いろいろなランナーがいて、それぞれが主役なんです。
そんな意義や思いが東京マラソンのロゴにも表れています。色も幅も違う線がたくさん交差したロゴデザインは、少し引いて見てみると複雑に織り重なったタペストリーのよう。
単純に綺麗だと思えるそれは、「ランナーそれぞれのストーリーが折り重なって、ひとつのストーリーになっているんですよ」と早野さんは教えてくれました。
「東京がひとつになる日。」という構想には、このようにまずランナーの走る喜びがあり、それを支えるボランティアの誇り、そして大会を応援する楽しみがあります。この3つのアプローチが相まって、東京マラソンの間口を広げてきました。
世界に誇れる「東京マラソンらしさ」とは
6大マラソン(東京マラソンのほかに、ボストンマラソン、ロンドンマラソン、ベルリンマラソン、シカゴマラソン、ニューヨークシティマラソン)すべてを完走すると、「Six Star Finisher」の称号とともに、「6大会完走証」と写真の「Six Star Finisherメダル」がもらえます。©TOKYO MARATHON FOUNDATION
──東京マラソンならではの良さは、いろいろ語られていると思いますが、運営側の立場としては、どういうところにあると思いますか?
東京マラソンはすでに世界の6大マラソンのひとつに数えられているんですが、その中でも世界一になりたいじゃないですか(笑)。
そこで、世界一を具現化するために用意した3つの柱は「世界一安全安心な大会」、「世界一エキサイティングな大会」、そして「世界一あたたかくてやさしい大会」です。
私たちは常にランナーファーストで考えているので、まず安心安全で、みなさんに喜んでもらえるようなステージを作り、そしてそこで走っていただく。その上で、トップレーサーを招聘して、グローバルスタンダードなレースをしたいと思っています。
そして、忘れてはならないのはボランティアの方々。ランナーが主役であるならば、彼らを支えるボランティアの方々がいないと、東京マラソンは成立しません。
ボランティアの方々の高いクオリティを活かして、東京の街が一丸となってみなさんをウェルカムするような、そういう仕組みを作り続けていきたいですね。
ランニングが素敵になってきた時代
──空前のランニングブームと言われて久しいですが、日本におけるランニングブームの火付け役は東京マラソンだと言われています。ランニングはどのように受け入れられるようになっていったのでしょうか?
ランニングって、正直キツいですよね。だからこそご褒美的なものが何かないと、せっかく始めたのに続けられません。
そこで私たちが提唱してきたのは、なんでもいいので好きなものをランニングにFuse=融合する「フュージョンランニング」という考え方です。
走り終わった後のビールでも、ランニングする時のファッションでも、音楽でも、好きなものならなんでもいい。いわばランニングの「自分ごと化」ですね。
加えて、昨今ではテレワークする人が増えるなど、ライフスタイルも多様に変化しています。それに伴い、走ることが素敵なことだと認識されてきた部分があると感じるそうです。
たとえば、お昼休みの時間を利用して、ちょっと走ってくるというのも、この時代においては「素敵なこと」という認識ですよね。
時間の使い方はもちろん、体に気を遣っているのも垣間見えますし。走ることが豊かな暮らしの実現、ひいては豊かな人生には欠かせない要素になってきているように感じますね。
東京マラソン財団の革新
以前は、民間企業でマーケティングやブランディングに関わるお仕事をされていたという早野さん。当時仕事にしていたことを意識しながら、ランニングの魅力を伝え、東京マラソンの裾野を広げることを意識してきました。
マラソン大会は、日本で言えば日本陸上競技連盟とか、行政とか、新聞社とかが主催しているものがほとんどです。
ところが、東京マラソンは東京マラソン財団自体がレースを作ってきているので、自分たちで稼いで、自分たちで運営して、どんなレースをするのかを決められる。そういった意味で、民間企業の売り方に近い、ビジネス的な部分があります。
レースディレクターの早野さんにとって、レース当日、先頭集団を引っ張るペースメーカーをコントロールするのに大事なツール。
──具体的にはどのようにビジネスとして関わっているのでしょうか?
たとえば、スポンサーセールスですと、これまでとまったく違うやり方をしています。先ほどのフュージョンランニングについてお話ししましたが、おしゃれを楽しむ人やフィニッシュ後のビールを楽しみにしている人など、ランナーは性別も年代も、趣味趣向もさまざまであり、ヒューズするものもさまざまです。
だから、各企業にうちのスポンサーになってください、とオファーするのではなく、これらのランナーに向けたサービスを一緒に考えませんか? とアプローチするんです。
ランナーがどのようなプロダクトやサービスを求めているのかをモニタリングしながら、実際商品を試してもらうこともできるし、商品開発に向けてのリアルな意見もダイレクトにもらえるような環境を作ろうと。
そういう意味で、私たちはランニングのプラットフォームなんです。「ランニング×なにか」の掛け算があり、そこにちゃんと人が介在しているのが東京マラソンです。
財団という特殊な団体ですが、一般企業のようにフレキシブルに物事を捉え、推進できるからこそ、東京マラソンがここまで成長している要因とも言えそうです。
自分自身の体もサステナブルに
──いまの時代、私たちの暮らしにおいてSDGsは無視できない非常に大切なことになっています。東京マラソンを通じて何か意識していることはありますか?
私たちはモノを作るとかそういうことだけのSDGsではなく、自分自身の体もサステナブルでなければいけないという観点から東京マラソンを作っています。
医療費の高騰や、逆ピラミッド型になりつつある人口構成を考えた時に、自ずと健康の大切さは欠かせないと言います。
やはり健康でいることは国自体を守ることでもあると思っていますので。
「コーポレート・フィットネス」という考え方がありますが、特にテレワークの時代となった今、通勤時間が1日1〜2時間カットされるのなら、たとえば勤務時間中に運動する時間をノルマとして入れたらいいですよね。
東京マラソン財団では、勤務時間のうち1時間はランニングしてきていいんです。健康であり続けることも仕事のうちですからね。そういうことを、これからも広げていきたいです。
東京マラソン2021への想い
──コロナ禍で開催された東京マラソン2020は一般ランナーは参加しない、エリートレースのみの開催でした。運営側としてこの状況をどう捉えていますか?
私たちとしては本当の東京マラソンはロゴのカラーリングに現れているような多彩さと、市民ランナーそれぞれのストーリーに支えられていると思っています。
さらに、本大会では現時点での世界記録保持者でもあるトップアスリート(男子はキプチョゲ選手、女子はコスゲイ選手)が参戦し、夢のようなトップアスリートたちが一緒に走ったことで、実にスペシャルな大会になりました。
彼らの芸術的な走りと貫禄はさすがでしたし、無事に開催できたことで喜んでいただけたと思っています。「やっぱりやってよかったね」って思って帰っていただけたんじゃないかな。
みんなが走って、無事終わったので本当に涙が出ました。開催までが大変だったから。私以上に現場はもっと大変だったんですけど、言ったらキリがないぐらい、たくさんの思いが詰まった大会になりました。
早野さんのお気に入りシューズはASICSの「Fuzex Nyc(2016年モデル)」。
たかがマラソン大会と言われていたような過去とは違い、今ではされどマラソン大会とも言えるほど、特に東京マラソンは回を追うごとに成長をし続けています。
特に延期が続いた本大会は、早野さんはじめ、関わっているすべての方々が大会に懸ける思いはひとしおかもしれません。
参加するランナーも熱い思いを持っている一方で、運営側の熱いサポートがなければ、ランニングブームとは言え、これほどまでに盛り上がることはないように思います。
来年開催予定の「東京マラソン2023」も、さらなる期待が膨らみます。
早野 忠昭(はやの ただあき)一般財団法人東京マラソン財団事業担当局長/東京マラソンレースディレクター
1958年4月4日生まれ。長崎県出身。1976年、インターハイ男子800m全国高校チャンピオン。筑波大学体育専門学群を卒業後、高校教諭、アシックスボウルダーマネージャー、ニシ・スポーツ常務取締役を歴任。東京マラソンには2007年の第一回から関わり、ワールドマラソンメジャーズ入りに尽力。
日本陸上競技連盟総務企画委員。世界陸連ロードランニングコミッション委員。スポーツ庁スポーツ審議会健康スポーツ部会委員。内閣府保健医療政策市民会議委員。JAAF RunLinkチーフオフィサー。
Photographed by Kaoru Mochida
Text by Chitra Yamada
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