それと見てわかる名品をいくつも部屋に置くと、ともすればありきたりな印象を与えたり、無味無臭にまとまったりしてしまったりすることも……。ただ、田中さんの部屋には通り一遍じゃないアジがある。その理由は、意外なところにありました。
「そもそも、この部屋そのものにまったく愛着がないんです」
そう。まずもって、マイナス地点からはじまった部屋づくりだからこそ。そのことが、どうやら関係していそうです。
名前(職業):田中 遥さん(ビームス プレス)場所:神奈川県 川崎市
家賃:8.9万円
面積:28㎡
築年数:22年
間取り図(編集部作成)
お気に入りの場所
田中さんがふだん多くの時間を過ごすのが、シャルロット・ペリアンの椅子が二脚置かれたテーブルまわり。
ここでリモートワークをしたり、食事をとったり、一緒に暮らしている恋人とネットフリックスを観たり。そんな風にして時間を過ごしているそうです。
部屋のそこかしこに置かれた名作家具やアートピースは、どれも一貫したまなざしでこだわり集められたことがはっきりとわかります。ですが、じつは部屋そのものに関して、田中さんはまるっきり納得していないのだとか。
「この賃貸に関して、気に入っているところはほとんどないんです……」
言われてみると、ショウルームさながらのリビングスペース以外への関心のなさが窺えます。
「このキッチンはどう頑張ってもいい空間にできないなと。一度そう思ってしまってからは、いっさいの興味を失ってしまいました(笑)。60点にしかならない空間よりも、工夫すれば100点になる空間に注力したくて、自分の好きなものは全部リビングに詰め込みました」
0か100かで考えちゃうその気持ち、こだわり派だからこそって感じだな〜。「わかるわかる!」ってひとも多いのではないでしょうか?
さて、そうして力配分をきっぱりと分けることになってしまった理由は、そもそもこの物件を選んだのは田中さんではないからなんです。
この部屋に決めた理由
田中さんがここに暮らしはじめたのは、つい2ヶ月ほど前のこと。彼の住んでいた賃貸が更新のタイミングで、もともと彼女がひとり暮らし用に借りていたこの部屋に引っ越してきたのだとか。
「本当はふたり暮らし用の賃貸に新しく移り住みたかったのですが、住みたい物件がどうしても空かなくて……」
そこもひとえに、こだわりゆえ。
かねてから狙っているのは、タカギプランニングオフィスという建築事務所が手がける、とあるデザイナーズ物件。やわらかな自然光がたっぷりと注ぐ、白を基調とした洗練された空間。
「いま部屋にある家具も、全部その部屋に置くことを念頭に集めたものなんです」
なるほど、虎視眈々と物件が空くのを待ちつつ、用意周到に着々と準備を進めているっていうわけだ! いまはグッと、我慢、我慢……。
残念なところ
日本の賃貸特有の、悪いクセかくして、そもそも田中さんが気に入って選んだ物件ではないため、残念なところについて聞けば、出てくる出てくる……。
まずは床。
「日本の賃貸にはありがちなこの床材って、一番嫌いなタイプなんですよ(笑)」
田中さんが先日まで暮らしていた部屋もフローリング材が使われていたのは同じですが、ウォルナット調のもっと深めの色味だったため、まだ納得できていたそう。
「前の部屋のときは、家具ももう少し綺麗な感じに見えていました。家具の接地面によって、見え方ってぜんぜん違ってくるんですよね」
また、天井の角の謎の出っ張りやカーテンボックスなど、同じく日本の賃貸特有の構造やあしらいは、とりわけ狭めのワンルームにおいては目障り。
窮屈さを感じる残念ポイントだといいます。
自分の洋服を捨てる代わりに、彼女の家具を捨てる広さはひとり暮らし用であるため、当然、収納もそれなり。ふたりともアパレル企業に勤めている服好きとあって、クロゼットに入りきらない洋服が廊下に出しっぱに。
「これでも、僕の洋服はここに引っ越してくるときにかなり手放したんです」
いっぽう、リビングにある家具やインテリアは田中さんの私物がほとんどで、恋人のものはというと、ほとんどを捨ててしまう予定でいったんベランダにハケている状態。
「業者の回収待ちですが、ベランダでソファーに座ってゆっくりしたり、景色を眺めたりする時間は悪くないですね」
そんななか、壁にかかったヴェルナー・パントンのファブリックパネルだけは、恋人のために購入したもの。
「これだけは、彼女の好みを汲んで部屋に飾ることに。彼女のものを捨てまくっていますが、好みのデザイナーのものをひとつくらい置いておけば、許されるかなと思って(笑)」
なるほど、つまり免罪符ってわけだ!
料理不精をいっそうこじらせるキッチン「僕自身、料理が苦手で、彼女もあまり料理をする方じゃないんです」
もともと料理不精であるふたりを、さらに料理から遠ざけているのがキッチン。コンロも一口しかないし、おまけに五徳の一部が折れてしまっていて、これじゃあフライパンや鍋が安定しない。
「次の引越し先は、キッチンが広いことも決め手のひとつです。ふたりとも料理はあまりしませんが、そのうえキッチンが狭かったり使いにくかったりすると、いっそう料理離れしてしまう気がして。自分たちを少しでも奮い立たせるためにも、いいキッチンのある部屋に住みたいんです」
お気に入りのアイテム
3つのチェア田中さんの部屋に置かれている家具やインテリアのほとんどは、フレンチミッドセンチュリーのもの。
なかでも存在感を放っているのが、3つの椅子。ひとつはピエール・ガーリッシュのチューリップチェア。もうふたつは同じもので、シャルロット・ペリアンセレクトのサイドチェアです。
「ピエール・ガーリッシュの50年代のチェアは、おそらくフランスのシャビーな床材の上に置かれていたんだろうなと想像しています。
でも、たとえば美術館のような場所にあってもぜんぜん違和感がないと思う。フレンチミッドセンチュリーの家具のそうした振り幅の広さが、すごく好きなんですよね」
アメリカものと違って、無機質な空間にもあたたかみのある空間にも、わけへだてなくフィットする。そんな懐の深さが魅力なのですね。
いっぽうのペリアンセレクトの椅子は、かなり珍しい個体なんだとか。
「ブラウンレザーとスチールのものがほとんどなんです。このタイプは個体数が少なくて、探してもなかなか出てきません。
ただ、よく行く家具屋で、以前トラックで納品されてきた瞬間にちょうど出くわして。その場で即購入しました!」
ところで、ビームスといえばアメリカのカルチャーを日本に広めたパイオニア的ショップですよね。そうなると、田中さんの趣味の矛先はビームスの世界観とは異なっているように思えます。
「そうなんです。実際、ビームスで購入したものといえばマガジンラックくらい」
しかも、これもイタリアのエンツォ・マーリによるデザインということで、やはりヨーロッパのもの。
「インテリアにしても洋服にしても、アメリカものってあまり好きじゃないんです。もちろん、うちの会社にはさまざまなものに精通しているスタッフがごまんといて、憧れはあります。でもどこかで、『彼らが当たり前のように持っているものを、僕は持ちたくない』と思ってしまう。そこが自分らしさなんじゃないかとも」
多様な個性をたっとぶビームスだからこそ。そうやって自分の好きを貫き通すことも、受け入れてくれるんだね!
暮らしのアイデア
見せたくないものは、見せたいものに入れてしまう「田中美佐さんの『静かな空』は、大学生の頃にPinterestで見つけてからずっと欲しいと思っていたもの。それからしばらくして、東京で開かれた展覧会に行って、そこにある商品を買い占めました(笑)」
部屋をぐるりと見渡しても、田中さんの好きなものしか目に入らないリビング。どうやって生活感を消しているのでしょうか?
「見せたくないものは、見せてもいいもののなかに入れてしまえばいいんです」
なるほど、単純明快!
たとえば本やCD、恋人の化粧道具は収納棚に。ドライヤーは、バッグに入れておけば必要なときにすぐに取り出せるけど邪魔にもならない。
エンダースキーマのレザーケースのなかには、コンタクトレンズが保管されていました!
でも、生活感を消して暮らすって、ともすれば窮屈に感じたりするもの。
多少生活感がないと落ち着けないっていうひとも、少なくないですよね? でも、田中さんにとっては部屋は自分をゆるめるための場所ではなく、むしろ気持ちを高めるための場所であるようです。
「ふだん仕事では、原宿にあるおしゃれなオフィスで、ありがたいことに業界の名だたる方たちと一緒に働いています。だから、家でも自分の憧れているものに囲まれていないと、整合性がとれないというか。平凡な日常に戻る感覚よりも、QOLを高く保っていたいんです」
オンもオフもわけへだてなく地続き。そう考えているからこそなのですね。
レイアウトが整えば、気持ちも整う
で、そんな理想の部屋を保つためのマイルールについて訊いてみると、そのヒミツは毎朝のルーティンにありました。
「時間がないとき以外は、朝起きてすぐに、部屋のレイアウトをひと通り整えるようにしています」
たとえば、棚に置かれた雑貨の配置がわずかにずれていたり、収納箱の蓋が開いていたり、ラグの一部がめくれてしまっていたり。日常生活のなかで自然と乱雑になってしまう隅々を、その都度整えていけば、ちょっとした時間で部屋をつねに綺麗に保てるというわけです。
「そうすれば、毎日気持ちよく家を出て、気持ちよく帰ってくることができます」
これからの暮らし
次の引越し先を見据えた仮住まいとはいえ、見事な手腕で、自分の理想の部屋をすっかり実現してしまっている田中さん。
部屋の狭さや賃貸特有の不便な構造もものともせず、好きを表現しています。
「長く暮らすほどに、どうしてもモノは増えていってしまいます。でも、いまはグッと堪えて、ミニマルに暮らしたい」
それは、たとえばラックに置かれた本の冊数といった細部にいたるまで。部屋のキャパシティーをつぶさに見定め、節度をもって整える。
部屋そのものに満足していないからこそ、そこかしこの工夫が、いっそう光を放っているのかもしれません。
Photographed by Shibayama Kenta
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