普段使いもできるランニングシューズとして、最近ではファッションシーンからも注目を集めている「On」。取り扱っているセレクトショップも増えてきているので、見たことあるという人も多いと思います。

そのOnを日本で広めたのが、オン・ジャパン代表の駒田博紀さん。2013年の日本上陸から現在まで、孤軍奮走してきた茨の道のりとブランド作りに欠かせないファンとの交流の秘訣を聞いてきました。

Onのミッションは、ランニングを楽しくすること

──まずはOnの生い立ちを教えて下さい。

「Onが生まれたのは2010年。スイスのチューリッヒで、ランニングを楽しくすることをミッションに設立しました。

創業者のひとりでもあるオリヴィエ・ベルンハルドは、アイアンマン・ヨーロッパチャンピオンの元プロトライアスリート。現役引退前、アキレス腱の慢性的な炎症に苦しみ、大好きだったランニングが楽しめなくなってしまったんです。

痛くなく、楽しく走れたらいいなという思いが捨てられず、第二の人生に夢のランニングシューズを作ろうと思ったのが創業のきっかけです」

──Onのシューズと言えば、クッション性に優れた凸凹のソールが特徴です。あのソールもそういった思いから作られたんですね。

「はい。最初のモデルは庭の水撒きホースを輪切りにして、それを既製品のソールに貼り付けて走ってみたそうです。それが、思いのほかよかったみたいで(笑)。

二人の友だちに履かせてみたところ評判もよくて、世の中のランナーが幸せになる靴だから会社を作ろうと背中を押されたようです。

しかもその友達というのが、元マッキンゼーのコンサルタントと、ヴィトラ社のCMOというビジネスエリートでした」

──輪切りのホースでも、一流のビジネスパーソンが賛同してくれると心強いですね。Onの楽しい社風がにじみ出るエピソードです。

「ブランドのフィロソフィーは、一言で言えば楽しさ。

創業から11年経って、ランニングのほかにハイキングやトレイルランニング、街履き用のライフスタイルまでラインナップは広がりましたが、根底にあるのはランニングを楽しくしたいという思い。そこはずっと変わっていません」

ランニング嫌いがトライアスロンを完走

──そもそも駒田さんがOnに携わるきっかけはなんだったんでしょうか?

「商社に勤めていた2013年1月、急遽、会社がOnと契約を結びまして。僕が日本におけるセールスとマーケティングを担当することになったんです。

初年度なのにマーケティング予算は数百万円しかないし、何よりもランニングが一番嫌いなスポーツでしたので、正直、困りましたね」

──それはキツイですね。ランニングシューズといえば、老舗ブランドが乱立するレッドオーシャン。そこに参入する条件としては、あまりにも過酷です。

「実際、契約後すぐにマラソン大会にブースを出展しましたが、まったく売れなくて……。2ヶ月ぐらいもがいていました。

転機となったのは2013年4月に出展した宮古島のトライアスロン。出場者の中にOnを履いている人がいて、ゴール後に声をかけたんです。そうしたら、話の流れで自分も翌年の宮古島トライアスロンに参加する流れになってしまって(笑)」

─走るのが嫌いだった人がトライアスロン!? そんなこと可能なんですか?

「正直おすすめはしません。でも、当時の僕は無知だったし、Onを広めるために何か行動をしなければという焦りがありました。

それ以降、Onを履いてトレーニングする模様をFacebookに投稿していったんです。恥ずかしい失敗や苦しい気持ちなど、包み隠さず正直に毎日1~2本の投稿を続けていたら、おもしろがってくれる人が増えてきたんです」

──フェイスブックを使ったマーケティングの走りですね! そういった声も駒田さんの背中を押してくれたんですね。

「そうですね、すごく励みになりましたし、実際に助けられたこともありました。

2014年3月、宮古島トライアスロンの2週間前のことです。サイクリングの練習中に事故にあって、自転車が使えなくなってしまったんです。そのことをフェイスブックに投稿したら、なんと某自転車メーカーの社長さんがサンプルを1台貸してくれたんです。出場を諦めかけていたときだったので、感動しましたね。

レースはボロボロになりながらも、制限時間内に完走しました。この頃はOnのことを知っている人も増えていましたし、僕にとってはブランド側とユーザーという関係ではなく、“仲間”のような感覚でした」

突然の契約解除。辛かったけど、走っているときだけ忘れられた

オン・ジャパンのショールームには、全種類が壁一面に並んでいる

──ランニングの初心者が約1年かけてトライアスロンを完走する。そのドキュメントは確かにおもしろいですし、投稿を見続けていたら駒田さんのファンになってしまいそうです。実際に日本におけるマーケティングでも、手応えを感じていたのではないでしょうか。

「メディアの方、ショップの方、トライアスリートの方など、各方面の方たちともようやく仲良くなってきた頃でした。

でも、そんな矢先、2014年9月に会社からOnの契約解除を告げられるんです。『2015年の4月末で終わりだぞ』と。

ビジネスなので利益がなければ撤退するのは商社マンとして理解できるんですが、それを聞いた瞬間、パッと仲間たちの顔が浮かんだんです。このまま終わらせるわけにはいかない、バイバイとは言えない、と」

──手掛けてから1年半、光明が見えてきたタイミングだけにショックですね。

「Onは僕の人生を変えてくれました。ですので、このままでは納得がいかない。

商社マンとしては、契約満了までできる限りのことをやりながら、個人としては、日本にOnを根付かせるために日本法人を作りましょうと、本国の経営陣に伝えました。

すると、その想いが通じて、2014年のクリスマスに日本法人を作ることが決まったんです。僕は会社を辞めて、Onジャパンの代表に就任することになりました」

勤めていた会社にも仁義を通し、晴れてオン・ジャパンを立ち上げることになった駒田さん。

サラリとそう語りますが、立ち上がりに際して、心を揺さぶる出来事があったと言います。まるでドラマのようなエピソードは、2021年3月11日公開の後編にてお楽しみください。

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Photographed by Kosumo Hashimoto

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