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世界最高のバー50にランクイン。バーテンダー・鹿山博康さんが「まわりが右に曲がる時こそ左に曲がる」ワケ

2019/11/02 12:00 投稿

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新宿西口から歩いて2分のMixology&Elixir Bar Ben Fiddich(バーベンフィディック) は、バー好きであれば知らない人はいないほどの超有名店。

ウィリアム・リード・ビジネス・メディアグループが発表する「世界最高のバー50」で36位を獲得し、「アジア最高のバー50」にも初年度の2016年から連続でランクインしつづけています。

そこで腕を振るっているのが、海外でも名の知られた気鋭のバーテンダー・鹿山博康さん。

鹿山さんの手によって生み出されるオリジナルカクテルは、繊細で美しく蠱惑的。ベンフィディックが開店する18時ちょうどには、世界中から押し掛けたファンの予約のみですべての席が埋まってしまうほどの人気を得ています。

カクテルには薬草を使い、市場で買えない種類は実家の畑で栽培・収穫。ハチミツも自家養蜂で採取するほどのこだわりように「農業バーテンダー」と呼ばれることもある鹿山さん。

実家の畑でニガヨモギを収穫する鹿山さん

今回、本特集「ブランドとフィロソフィー」で、鹿山さんに「現代への向き合い方」についてお話を伺っていく中で見えてきたのは、人生の節目節目で巡り合った変化の誘いに柔軟に応じながら、“自分らしさを活かして生きていくコツ”でした。

過去は振り返らず、今に前向きに取り組む

バーテンダーとして世界レベルで活躍されている鹿山さんですが、学生時代からバーテンダー志望だったのですか?

「いえ、僕はもともと自衛隊志望だったんですよ。実家が酪農家だったのですが、継ぎたくないなって思っていて。

というのも、高校3年生までとにかく野球しかしたことがなく、野球部を引退するまでATMでのお金の卸し方も知らなかったほどでした。とにかく野球で鍛えた体力を活かそうと思っていたんです」

それがどうしてバーテンダーに繋がったのでしょうか?

「野球部を引退した直後、ひとつ年上の彼女に連れて行ってもらった首都高ドライブがすべてのきっかけで。そこで初めて見た東京の夜景にものすごく感動してしまったんです。

それまで365日野球しかしてこなかったものですから、その夜景を見て、はじめて自由になれたような気持ちになって。

それで『あぁ、とにかく東京に行かなくちゃいけないな』と思い、東京のホテル専門学校へ通うことにしました」

専門学校を卒業後、都内のホテルに就職した鹿山さんは、そこでバーに配属されます。それが、バーテンダーとしてのキャリアを積むスタートになりました。

「もともと専門学校に通いながら、ホテルのウェイターのバイトもしていたんです。その時はソムリエになろうと思っていました。

ところがホテルに就職したらバーに配属されることになって、それでそのままバーテンダーの道を歩むことになったんです」

人生の節目で思いがけず与えられた環境を柔軟に受け入れて進む姿勢、それこそが鹿山さんに成功をもたらした鍵のひとつであるようです。

与えられた道でプロフェッショナリズムを追求する

鹿山さんといえば、カクテルに使うハーブをご自身の畑で栽培されていることでも有名ですよね。畑では主に何を育てているのですか?

実家の間取りをかきながら畑を説明くださる鹿山さん

「アブサンの原料であるニガヨモギ、アニス、フェンネルを主体に、ジンの主原料のジュ二パーベリー、西洋ネズの木などを栽培しています。

でも、ミントとかローズマリーのような市場でカンタンに手に入るものは、普通にその辺で買ってますね」

そうなのですか! てっきりカクテルに使うすべてのハーブやスパイスをご自身で栽培されているのかと。

「僕は実家が農家だということもあって、農業へのリスペクトはひときわ強いんですよ。

僕がやっている畑はあくまでアマチュアなので、市販で売ってるものがあるならそれがいいに決まっています。だって、その作り手たちはプロなんですから」

採取した蜜

あくまで、バーテンダーとしてのプロフェッショナリズムを追求されているのですね。ちなみに、最近は養蜂もはじめられたそうですが、そんなバーテンダーって他に聞いたことがありません。どうして養蜂まで始めようと思われたのですか?

「自分で育てた草をメインにカクテルを作ってるわけですから、そのカクテルに甘みを加えるハチミツも、同じ畑からとれたらロマン的整合性が取れるじゃないですか。そう思い立って、去年から養蜂を始めたんです。

まったくはじめてだったので、去年は蜂に刺され過ぎた結果アレルギー性ショック症状が出て病院に行ったりしました。けれど、飼っているうちに蜂への愛着もわいてきて、前足で顔を擦ってる姿に萌えまで感じられるようになりましたね(笑)

それなのに去年は大雨が原因で女王蜂が死んでしまって、一度全滅……」

「あの時の虚無感は忘れない……」と話す鹿山さん

「それで今年再挑戦したところ、少量ですが5月と9月の2回蜜をしぼれました」

ただただ自分の“楽しい”を追求する

鹿山さんのされていることって、ちょっと他の人には思いつかないことですよね……。そういうアイデアって、どんな風にして練っているんですか?

「練るというよりも、自分の畑で瞑想してたら泉のようにアイデアが湧き出てくるんです。

店を締めたあと、週に1~2回は始発で埼玉の実家に戻っていて。15時に電車に乗って店に戻るまでは、ほとんどの時間を畑で過ごしています。

やりたいことがたくさんあるので、時間が生まれたらやりたいリストをEvernote(エバーノート)に書き溜めてるんですよ」

……鹿山さん、それって寝る時間はあるのでしょうか?

「電車の中で寝てますよ」

「僕ね、結構タフなんです」とお茶目に笑う鹿山さん。

はたから聞いていると気が遠くなりそうな過酷なスケジュールですが、鹿山さんは本当に楽しそう。

プロのバーテンダーとして、大変な思いをしながら努力を重ねているというよりも、ただただ好きなことに夢中になって楽しんでいるように思えます。

まわりが右に曲がる時こそ左に曲がれ

鹿山さんならではのこだわりをお聞きして、鹿山さんが世界的に有名なバーテンダーになられたことは必然の結果なのかなと感じました。

「うーん。僕はただ、みんなが右に曲がった時には左に曲がり続けてきただけなんですよ」

どういうことでしょうか?

「日本人はみんな不安なんですよ。不安だから多数が右に曲がるとみんな右に曲がる。

そういうときに左に曲がると、それだけで、まだ誰も触れていないような機会やチャンスに恵まれるんです」

「例えば同じビルの2階にBar B&Fという、フルーツブランデー専門店を出したんですが、多分その業態って日本ではウチだけだと思うんです。

そうしたら先輩のバーテンダーに『鹿山くん大丈夫? フルーツブランデーなんて日本で全然浸透してないけど売れるの?』って言われて、売れる売れないではなく、売れるようにすればいいのではないでしょうか?と僕は答えました。

売れていないってことは、まだ誰にも知られてないってことですよね。それを自分が真っ先に広めるチャンスでもあるんですよ」

「僕は歴史が好きなのですが、歴史や時代は誰かが変えようと動かなくても変わるときには勝手に変わるものだと思っていて。

偉人だって、彼らが世界を変えたというよりも、ただその時の流れにたまたま彼らが沿っていただけの話かもしれない。

今だって多分、これから生まれる新たな流れに変わっていくために、もうずっと前から様々な事象がゆっくりゆっくり変わっていってるんじゃないでしょうか。

だから僕は、その時々の流れや与えられた環境に身を合わせながら自己探求をしていくだけです」

鹿山さんからすれば、価値観も時代の流れも常に動きつづけるもので、変わりゆく「今」を不安に感じているのは、昔の人も同じこと。

それでも、自分が置かれた流れや環境に、前向きに適応し、そのつど与えられた場で“自分の追求したいテーマ”を探すことこそが、どんな時代になろうとも自分らしさを活かして生きていくコツなのかもしれません。

そして、もしも追求するテーマに迷ったら、まだ誰も進んだことのない未踏の方向に、あえて曲がってみるのもいい。ひょっとすると、そこにチャンスが転がっているかもしれないのだからーー。

そんな鹿山流・生き方メソッドの奥儀に触れ、なんだかムズムズと新たな活力がわいてくるような気持ちで帰路についた筆者なのでした。

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