誰もがきっと、食べ物に感動した経験があるでしょう。

ほっぺたが落ちるくらいおいしいもの、見たことがない盛り付け、鼻腔をくすぐる香り……。「その感動を毎日味わえたら!」と、真似してつくってみたこともあるかもしれません。

僕がはじめて「按田餃子」を訪れたときに口にしたスープ、あの味が忘れられない

それはクリーム色の椀に、自らの存在を主張しないことが唯一の仕事であるかのように佇んでいました。にもかかわらず、名物である水餃子よりもまず、そちらに目を奪われてしまった。

澄み切ったなかには繊細そうな細いものが沈んでいるだけ、恐る恐る口をつけてみれば、見た目だけでも十分な素朴さを、さらに薄〜く伸ばしたような、そんな味がしたのです。

(誤解を恐れずに言うと、)正直「おいしい」とは思えなかった。だからこそ、そのとき僕はある言葉を思い出して、得も言われぬ感動を覚えたのです。

「ちゃんとしたものは、それほどおいしくない」

それは以前、“自然のあるがまま”に徹した類稀な山地酪農をおこなうプロフェッショナルが教えてくれた秘密。

素材や製法に真摯に向き合ってできたものの価値は、単純な“おいしさ”だけではおよそ計れないということでした。

僕が按田餃子で出会ったスープも、「心からおいしい」とは思えなかったのと同時に、“間違いなくからだにうれしい”と、はっきりわかりました。

なんたって、水餃子そっちのけであっという間に飲み干してしまったのですから。

それはそれは、不思議な味覚体験でした。

東京代々木上原に2012年にオープンした「按田餃子」。水餃子をメインにした小さな飲食店である按田餃子をいとなむのは、料理家の按田優子さんと、写真家の鈴木陽介さん。

按田優子さんによる著書『たすかる料理』には、お店の成り立ちや厨房の裏側、按田さん自身の自炊法が記されています。

按田さんが教えてくれる自炊法は、あらゆる局面で自由で、まるで魔法みたい。

買いものも、味つけも、調理器具も、保存法も、それらすべてに決まりきったやり方なんて要らないんです。

料理が苦手なあなたの頭も、とろっとろにやわらかく

「料理の“常識”に縛られず、保存食や常備菜を生かして食いつなぐ」という考え方は、目からウロコ。

気楽に生きるための、超画期的な自炊法は、「一食分の量が調整しづらい」「食材を余らせてダメにしてしまいがち」といった“ひとり暮らしあるある”に、ひときわ効力を発揮することでしょう。

按田さんの十八番「チチャロン」は、豚のかたまり肉を塩茹でしてカリッと焼いただけ。これを少しずつ切り崩して食べます

本書から、あの味覚体験の正体がなんとなく紐解けたような気がします。

あのスープは、贅沢な食材や斬新な調理法でつくったものではなく、言うなれば“どこにでもあるような家庭の台所”から生まれたのでした。

それはいつでもそばにある“日常”であるからこそ、僕のからだにスーッと沁みわたったのでしょう。

『たすかる料理』 按田優子[リトルモアブックス]
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