「“幸福度日本一”といわれても、いまいちピンとこない」という地元の人たちのリアルな声に、この地域の日常にこそ、人が求める幸福の源泉があるのではないかと直感し、この街にどっぷり浸かることで、その本質を追究したいと思ったのがきっかけだった。
あれから1年半、住む・食べる・楽しむ・仕事するという4つの観点から、福井での生活を振り返ってみたい。
【住む】徒歩圏内でコンパクトに生活する
通勤や買い物など、福井県内の移動手段は、ほとんどがマイカー。運転免許証すら持っていない私にとって、居住可能なエリアが限られてしまうのは必然だ。そこで、“徒歩でも不便なく生活できること”を最優先に家を探し、福井市の中心市街地に居を構えた。
福井市の中心部は、コンパクト。スーパーやデパート、銀行、コンビニ、飲食店が一通り揃っているうえ、老舗の洋食屋さんや純喫茶、専門店など、地元の人々に愛され続ける個性的なお店も多く、街歩きするのも楽しい。
気に入ったお店に何度か通えば、新参者の私も、すっかり“おなじみさん”。毎朝、立ち寄る喫茶店で「いってらっしゃい」と送り出してもらったり、ランチのお弁当を買う総菜屋さんから「今日もがんばりねの」と声をかけてもらったり、程よく顔の見えるつながりが心地よい。
福井駅から少し歩けば、中心部を流れる足羽川や小高い足羽山など、自然の水や緑がすぐそばにあるのも魅力だ。身近な景色を眺めながら、季節の移り変わりを豊かに感じられる。
【食べる】季節の移り変わりを感じながら、地産地消を実践する
コシヒカリの発祥地でもある福井は、日本の代表的な米どころ。それゆえ、お米が美味しいであろうことは想像できたが、その理由が、お米そのものだけでなく、水にあることを、この地域で暮らしてはじめて知った。
不思議なことに、同じお米でも、福井の水で炊いたご飯は、よりふっくらもちもちしていて、冷めても美味しくいただける。“水が合う”とは、居所の風土に馴染んで快適に暮らすさまを指すが、この言葉は、人だけでなく、米にも当てはまるものなのかもしれない。
福井には、米だけでなく、季節ごとに食材が豊富だ。ふきのとうやタケノコ、コシアブラなど、少し苦味のある山菜を食べて春の訪れを感じ、夏には、フルーツのように糖度の高い福井県産ミディトマト『越のルビー』やトウモロコシ、ナスなど、つやつやと光ったカラフルな野菜が市場に並ぶ。スーパーや食材店で里芋が出回りはじめると秋が徐々に深まり、11月初旬、越前がにの漁が解禁になると、そろそろ冬支度。
【楽しむ】人との出会いやつながりを楽しむ
決して社交的ではない私が福井での暮らしに躊躇なく飛び込むことができたのは、地元・福井で出会った人々のおかげに他ならない。さりげなく気遣いながらも、妙な気取りがなく、フラットに接してくれる人々が多く、自然と溶け込んでいくことができた。
定期的に地元のイベントに顔を出したり、お気に入りのカフェやバーに出入りしているうちに、友人や顔なじみが“芋づる式”に増えていき、いつの間にか、ローカルなコミュニティと自分がゆるやかにつながっていることに気づく。
【仕事する】とにかく、地元でお金を稼いでみる
「居を構えて生活するだけでは、私はいつまでもこの街の“お客さん”にすぎないのではないか」と考え、本業であるライターの仕事を続けながら、積極的に地元でお金を稼ぐことにした。労働することで、この街を異なる視点からみることができ、かつ、金銭を得ることができるなら、一石二鳥だ。
福井市内の公共施設で施設管理のアルバイトや、カフェでの皿洗いなど、幸いにも、地元の友人や知人から仕事の縁をつないでもらった。地域の労働者のひとりとして地元にかかわる体験は、街をミクロな視点でじっくりと見つめる機会にもなり、職場の同僚をはじめ、地元の人々とより深く濃いつながりをもたらしてくれる。
福井というなじみのない土地で自分の生活をつくっていくことは、決してたやすいことではなかったが、つとめて、能動と受動のバランスをとるよう心がけた。
自分から歩み寄っていく、まずは挑戦してみるという能動的なアクションと、周りの人々がもたらしてくれる縁やつながり、自然が与えてくれる豊かな恵みや美しい景色を、ありのまま、ありがたく受け取るという、いわばセレンディピティに委ねた姿勢をバランスよく行き来することで、充実感や幸福感に包まれた日々を過ごすことができたと感じる。
1年半生活してみた結果、福井が“幸福度日本一”なのかどうかは、正直、よくわからない。ただ、福井は、私に、自分らしい幸せな暮らしのつくり方、過ごし方を教えてくれた街だった。
Photographed by Yukiko Matsuoka
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