品陀リウキ のコメント

品陀リウキ
No.33 (2015/09/19 19:01)
ああとまと船さん、気を使わせてしまったようですみませんね。

 全否定、というのでしたら、先にやられたのはこちらですよ。
自分がこうして今生きてるのは、自分の周囲のいじめを自分が比喩抜きで
命懸けで無くしたからで、それを特に開けっぴろげに言う気もないですけ
ど、さすがに、前回のあの村松くんが無くなった直後のタイミングで

「いじめは無くならない。いじめを克服した人はたいしていじめられてな
い。」

 とか断言調でやられたなら、普通なら、どういう気持ちになると思い
ますか?
 それとも前回の時点で自分がブチ切れておくべきだったでしょうか?

 あえて、事象、とか抽象的な単語で考えを促すのも、自分の感情の
コントロールのためもあってのこと、とご理解ください。
 事象と現象の違いなんてそんな大したものじゃありません。
 言い換えれば、現実と事実の違い、です。
 ある事件がいかなる事象に展開してるかを解決すれば、事実が導き
出されるわけですが、これを「事象を解決する」と言うのでは話が
あべこべなので、それが最初の語義矛盾、というわけです。

 続いて、自由、については、ご指摘のとおりの辞書的な意味合いは
不十分です。言葉の意味を保証するのは、辞書やwikiのみではありま
せん。

 それには慣習の要素も深く関わりますが、その慣習の延長としての
伝統に鑑み、
 自由の意味、というより概念は、選択と責任、の二つの要素で成り
立ちます。
 辞書の意味は前者しか説明しておらず、後者の責任の要素は語義概念、
平たく言えば、常識、に基づく慣習法の領域なので、法律には書かれて
いないだけです。
 これをこの場合に当てはめれば、
「人は何を言ってもいいが、言ったことの責任は持たなくてはならない。」
 となり、
 渡都さんが困りつつも自分の難解な問いに答えてくれてること、そして、
今、自分がこうしてとまと船さんの怒りに答えてコメントしていることも、
その、責任、に当たります。

 自分は、日本文化の価値を信じ、それに人生を賭けてる人も現に知って
るので、今回、先にゴッホを話に出したのはその端緒だったのですが、
それを全否定されて、こういう抽象的な話をせざるを得なかったのですが、
繰り返しますが、

 図らずも、渡都さんに自分の生存を全否定された前回どうよう、今回も
その人の名誉の為に、
 自分はブチ切れるべきだったのでしょうか?

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