林報

1 イジメについて思うこと

2015/08/14 21:22 投稿

コメント:44

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 おことわり
 ブロマガの勝手が分からないので、適当に様子を見ながら書きます。
 人を不快にさせることがあるかもしれません。そういう人には申し訳ないです。
 が、備忘録感覚でやっていくつもりですので、あしからず。

 


 あくまでこれは私の持論だ。デリケートな問題なのでこれを読んで不快に思う人がいるかもしれないことも承知している。全て自虐だと思って、流す程度に読むか、そうでなければブラウザバックしてほしい。

 あまり言いたくないが、私は普通の人間ではない。
 ここで言う普通とは、大多数のことだ。世間一般の大多数の人種。学生時代にイジメを受けなかった人たち。その中には周りにそういう状況がなかった人もいれば、加害者や傍観者などもいる。

 私は「普通」にコンプレックスを持っている。
 いろいろあって、一時期通常学級に顔を出していなかった。それから時間が経って、さらにいろいろあって、自分に片をつけている途中だ。自分の思っていることを整理する為にこれを書いている。そして私に共感していただける人がいたら幸いだ。



 過去苛められたことがある人は、捻くれる。表には出さずとも、心や体のどこかで「普通」「正常」「一般」との『ギャップ』が生じる。問題が解決しても直ることはない。一生ついてまわる。このあいだ私がそのギャップを背負う元凶となった人物に、旧友を装ってSNS越しに接触し当時のことを訊いた。

 「そういえば○○(私)のこと覚えてる?」

 「なんとなく覚えてるけど、よくわかんね。忘れた。それはともかく××元気?」


そ れ は と も か く


 予想はしていたが、やはり落胆せずにはいられない。虐めた側が罪の意識に苛まれ後悔し懺悔にひた走ることは、あまりない。例外の話はあとでするとして、おおよそ私は聞いたことがない。そして大抵の場合、数年経ったら虐めた人の名前すら思い出せない。

 いっときの発散のために誰か何かを犠牲にする。したならしっぱなし。だってした側は嫌な思いしてないし、それに苛めた相手は皆どうでもいい人間だし。

 物に当たるのは楽しい。人に当たるのも楽しい。壊すのはもっと楽しい。でも直すのは大変。作るのはもっと大変だったはずなのに。変だねえ、楽しい部分だけをいただこうって、虫がいい。でも世の中には、そういうことが蔓延していて、事実ほったらかしにされている。



 冒頭でも述べたとおり、虐げられた人は歪む。昔壮絶な虐めにあった、でもそれをバネに奮起し努力し成功した! こんなことを言うやつは大抵そこまでひどい目にあっていない。そういう人と話して、過去の「おもいで」を「自慢」されたとき、私は心の中でその人を思いっきり馬鹿にするのだ。だって今面と向かって馬鹿にされてたんだもん。少しくらいいいでしょ。

 そもそも立ち直れるくらい傷が浅い時点で「いじめられっこ失格」なのだ。そういう人は私の中ではほとんど無傷だ。本当につらい思いをした人はこんなに綺麗じゃない。もっと歪んでいて、どこまでも醜い。自虐、卑屈、或いは余りにも尊大な自尊心。壊れたように逃げ道を探して、辿り着いた答えにしがみついて立ち直れない。私もそうであった。

 捻くれたらおしまいだ。さまざまな障害を抱えさせられて社会不適合者の烙印を押され、一生虐げられる。得るはずだった幸せを搾り取られ続ける。日本の表面的な平和はそのようにして保たれる。いや、世界中でそうか。表に見えていて問題提起できる分紛争地帯のがマシとも思える。当事者の人たちには申し訳ないが。

 命が惜しいと思えるのは幸せだ。お前はクズだ、お前は価値がないと数年にわたり暗示され続けた人たちはどうなるか。心の深いところでそれがリフレインしつづけるのだ。そして自分を大切にできなくなる。今あなたが死ねといわれて躊躇するのであればあなたは幸せだ。

 幸せのリソースは限られている。何事もなく平和に安寧な日々を享受できる人たちがいれば、その下敷きとなっている犠牲者がいる。「当たり前」が「大多数の日常」にすり替わると怖い。それこそ自分のために犠牲になっている人を忘れているからだ。



 話を戻そう。

 いじめる側に回った人間はどうなるか。これは勝手な私の推測だが、

  • 負が発散できる(押し付けられる)のだからもっと負を溜め込める。
  • 当たる相手がいることで心にゆとりが生まれる
  • だから勉強に精が出る、物事に集中できる
  • 少なくともヘマしない限り自分はターゲットにされないという安心
  • イコール精神衛生的に健康でいられる
と様々なメリットがある(と思われる)。ばれて怒られることを差し引いて余るほどいいことずくめだ。残念ながら、世の中では人を苛めた時点で勝ち組なのだ。

もう一度
人をいじめた時点で勝ち組なのだ。


 私を虐げた人たちを調べたことがある(陽キャはすぐFacebookをやりたがる)。
 ほとんどがそこそこいい学校に行きいい相手を見つけ色々と結果を出して成功している。
 ざっくり言うと「リア充」になっている。

 私の他に彼らの犠牲になった人も調べた。
 私の知る限り二人いたのだが、片方はおそらく自殺(もしかしたら同姓同名かも)、片方は消息不明だった。引きこもりにでもなったのだろうか。

 決して僻み嫉みではない。全てがとは言わないが、事実がこうしてある以上、もう私はしょうがないことだと思う。そしていじめがこの世からなくならないことも確信した。同様に暴力、武力行使、少数の排除など、なくなりそうにないことは山のようにある。



 そうだ、上で引きこもりの話も出たので少し友人の話をしようと思う。

 私の友人に引きこもりの所謂ニートと呼ばれる人がいる。
 世間一般に引きこもりといえば、気持ち悪い不潔ヲタク根暗甘やかした結果などの負のイメージがついてまわるが、それはある一部の話。彼はぜんぜんそんなことはない。
 彼も私と同様「普通の人」の踏み台にされた人間だ。彼は人と話すとき緊張して動転してしまう。相手の目を見られない。部屋に他人がいるだけでものすごい汗をかく。時々フラッシュバックを起こして黙り込んでしまう。だから私は、彼との音信をほとんどネット越し、文字越しにしている。

 彼がこうなったのは彼のせいではない。彼はもともと吃音気味だった。そういう少し「正常じゃない」ところを突いて「普通の」人たちが彼を「おもちゃ」にして、壊した。

 彼らは咎められ、謝罪し、それから前にもまして苛めは激しさを増した。二度目の謝罪は保護者がついてきた。保護者はとても優しい顔で僕に謝罪した。が、

 なんだ、その目は。彼は違和感を覚えたらしい。蔑みの目。悪意のこもった哀れみの眼。数分経てば顔も引きつったようになってきた。だんだん、睨むように、声だけ優しく。

 彼は恐怖した。自分の息子は「いじめられっこの犠牲者」とでも言いたいのか。まるで僕が彼らに「傷をつけた」みたいじゃないか。なんで僕が責められる?

 何もしていない、ただそこに僕がいるだけで「悪いこと」なのか?


 それから彼は引きこもるようになった。もう2年が経つらしい。



 自覚した瞬間に不良品


 直接手をつける、それを見逃す、事実をもみ消す。

 実行犯、傍観者、教師。綿々としたシナリオどおりに、何十年もかけて培われたノウハウを駆使して、淡々と粛々と犠牲者を育て出荷する。学校はまるで工場のようだ。社会不適合者生産ラインが、全国津々浦々に張り巡らされている。

 全ては社会の平和と繁栄のために。
 その為に少数を切り捨て大多数の幸福を。それがこの星の伝統。

 そんな中、不幸なことに、自分がしていることを自覚する人がいる。虐げられる側に同情し、近づき、寄り添おうとする。その瞬間、せっかく規定路線に乗っかり「正常な新品」として社会に出荷されるはずだったのに、その道を外れることになる。

 不適合者の仲間入りだ。

 本当は私を支援してくれたり同情してくれる人をこのように書くのは失礼だ。そんなことは分かっている。但し断っておきたいのは、そんな彼らを不良品に自ら混じる馬鹿だと嗤うのは「正常」な連中だということだ。

 私が青いときに流行ったこんな「遊び」がある。

暴力で悪だと思しきものを排除するアン○ンマンと
世界を征服して統率を図り秩序を正そうとするバイ○ンマン
どっちがいい人?

 と訊いて回る。まったくモノは言いようだ。
 これ自体は間違っている、まったくおかしな「ジョーク」なのだが、社会ではこれくらいガバガバな矛盾が実際に生じつつある。

 多数派=正常という価値観の元、正義を一元的な物差で計り、少数の反乱因子を排除することで秩序を作る。私は現代の世界中の国がこれに陥りつつあることを憂いている。

 政治であれば、右派にしろ左派にしろ、デモであれディベートであれ、自分たちが「多数派だ」「多くの人の声だ」と主張して、敵対勢力を排除しようとする。最近こういうのが多い。

 私
はそれが正しいやり方だとはまったく思わない。彼らに関心もしないし努力を称えたくもない。多数派の主張が優先されるのであったら、アンパ○マンのバイキン○ン陣営には大量のかびる○るんがついているではないか。

 話を戻すと、昔目下の問題を一緒に悩んでくれた女性がいた。が、彼女も巻き添えを食らって半分私たちと同じような状態になってしまった。本当に陰湿だ。私だけならまだしも、私に救いの手を差し伸べてくれた彼女にまで危害が及んだことを私は悔やんでいる。私がいたせいでまた一人不幸になる人が生まれてしまったと思い悩んだ時期もあった。

 このように、社会は少数弱者に寄り添わない。寄り添う人を馬鹿にして少数に括りまとめてこの世から追い出そうとする。私と私の友人をそのようにした社会を私は許さない。



 私は、この世に人間が存在する限り、苛めはなくならないと思っている。


 かといって、見たくないものから眼を逸らし続けるのは、犠牲になってきた者への冒涜だ。


 多様性に迎合する社会
 間違っているものを間違っているといえる人を正しい人だと言える社会
 それを作るためには何をすべきか。

 どういう教育をして
 どういう意識を広げ
 どういう制度をつくり
 どう社会を整備するか。

 それができる人を育て、選び、推す。そういうサイクルを作るのが、今を生きる私たちが将来生まれてくるこどもたちにやさしい世界を提示するための責任であり、義務であると私は考える。



 末筆ですが謝辞を。

 Sくん、ありがとう。
 してあげられることは少ないけれど、会えるようになったらまた声をかけてください。
 いつでも行きます。あと夏イベ頑張れ。


コメント

とまと船
No.43 (2015/09/19 15:01)
ワイだって世の中からいじめを無くしたいねん。そのために必要なんが、具体のノウハウやろ?
ここで「なくせる」と豪語しとる奴らよお、具体的な方法言ってみいや。 今困っとる人にそれでアプローチするのが大事なんやろが。それをなんや、話すと長くなるだ? ふざけんなよ。 一番大事なことじゃろうが!

ハナっから上から目線で、議論を進める気も全くないようなのが適当こくなや。 あれやこれや屁理屈ばっかりで煙に巻きやがってからよお。
品陀リウキ
No.44 (2015/09/21 20:21)
>>43
>>42
ああ、とまと船さん、ここでも怒ってらしたんですね。

話そうにも具体的な話を渡都さんがどうも聞きたがってない、ていうか、
この次の記事ではっきりと
「興味ない。」
と言っておられますし。

 いじめは、虐め、と書きますが、
 これは徹頭徹尾、俗に言うSMの元語のサディズムとマゾヒズム、
 つまり、加虐主義と被虐主義の問題で、その本質を掴み、本気で
無くそうとするなら、迂遠でもそうした抽象的な話を長々とでもし、
抽象思考にも慣れてもらわないといけなかったのですが、渡都さん
はその主義の主体であるご自身の自我を守るのが精一杯のようです
ので、それでどこまで言えたものか自分も自分なりに一生懸命探っ
てたんですよ。

 加虐主義と被虐主義は、懐疑主義の頽落の悪無限、というものを
解ってもらえば克服できるのですが、それをストレートに言っても
解って貰える自信がないので、自分のブロマガではさらにその大本
の虚無主義の克服から話をしてるのですが・・・


 こうした哲学の言葉を、どうか、煙に巻く、とか屁理屈、とか拒絶
しないで下さい。
 こうした言葉でしか表現できないことも、解決できないこともある
んですよ。


 では、渡都さん、どうもお邪魔しました。
 これで本当に最後です。
とまと船
No.45 (2015/09/21 21:08)
>>44
リウキさん、冷静な人やねえ。。。狂犬の扱いに慣れてらっしゃるみたいやねっ。
見境無くキレてどうも申し訳ナス!

学生にしても社会人にしても、イジメは無くしたいし、その方法を知りたいけんど、どうもその方法が「抽象的な話から始まる」ってのが、正直、直感ピンときませんのぜ・・・ということを、荒々しくぶちまけて申し訳ナス。。

イジメはいじめっ子の「力」が関する以上、なんとなーく「力」による解決しかない気がしていたのぜ。短絡的には刃物で隙を突くとか。でも抽象的なトコロに何か手掛かりがあるなら、知りたいのぜ。血が流れんなら、それに越したことはないのぜ。今並べられた言葉では、やっぱりピンと来てへんのやけど・・・

よっしゃ場所を変えて、続きをやりたいのぜ。 もっとも喧嘩と... 全文表示
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