町田乃彼方から適当に書き殴る流れ

生きると言う実感がない人生 自分の価値を見出せない日々

2014/07/13 20:32 投稿

コメント:3

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何で自分が生かされているのか、生き残ってしまっているのか
ふと湧き出てくる疑問を考える事がある


幼稚園でのスポーツ活動中の登り棒からの滑落
小学校低学年の時の自転車での正面衝突
小学校高学年の時の自動車事故

社会人2年目と4年目、大阪でのバイク事故

運命と言うか むしろ呪いかもしれない


自営業の家の末っ子、同世代の親族でも末っ子
最大ギャップは13歳で一番近くても3つ上

10歳年の違う姉

自分がとても異常な環境で生まれた事を小学校に入る前には自覚した

近所の人・親族・取引相手・顧客

おべっかだろうが期待だろうが付いて出る言葉は
「未来の社長」「O代目」「男の子でよかった」

会社の為に生まれてきた存在

正直、継がなかった事で注がれるだろう視線や思いを恐れた

中学に入る頃には友達以外に自分の素を見せる場面は無くなった

社会的な体面というか社会に対する自分の方向性や可能性、
やりたい事を中二の進路指導のときに捨てたとも言うんだろうか

工業高校に進学する事で会社の・・・いや
親族の期待に対する生贄になる事を覚悟した
そう自覚したのは社会人になってからだが・・・

あの時は「回りに期待されてるんだから継ごう」程度の軽さだったかもしれない

そこで自分の精神的成長や向上心が止まったとも言うんだろう
中学校の頃の趣味から1ミリもずれてないのがその証明だろう
自分の成長のほとんどをそこで捨ててきた。今思えばそう感じる。

「継ぐんだし必要最低限で良いだろ」 と全部投げた

なりたい別の職業と言う項目が無かった気がする
「長男だから」 それだけですべての道が決まったかのような感じ



前の日記にもいろいろ書いてるけど
20歳の時のバイク事故で本当は死んでるはずなんだ

あんなバイクの惨状を見て、体の傷は唇の下が裂けただけ
50キロ位で居眠りして車に突っ込んでその程度
悪運と言うか運命と言うか血族の呪いと言うか・・・

この会社の為に生かされてるな俺は

と思う事が間々ある。


まぁ、思い込みだし

親族経営の会社のボンボンでユルく生きてる
そんな恵まれた環境のやつが贅沢に人生嘆くな

とも言われそうだけどな

生きる事を心配せず、楽しめてるんだから最上の人生だろ って


それに日常で何かにつまずくと
20歳以降の自分はロスタイム、楽しんで生きればそれでいい
と思って逃げてる自分もいる。
親が死ぬまでに自分が死ななければいい
そのくらいの軽さで自分を考える事も有る
自分の価値を見出せてないからこんな駄文を書くんだろうな。

コメント

ねここね
No.1 (2014/07/13 21:02)
 えーと。
 素直に羨ましいって思ったかな。
 
 僕は、人から望まれるために努力したり生きたりしてるところが多いです。
 むしろ、望まないところから求められることなんて今まであったかどうかも分かりません。
 

 生まれつき、望まれるような、求められるような
 運命というものに憧れたりします。

 その立場であれば、その立場なりに思うところが出来るとは思いますが
 僕は、いいなーって思いました。
 羨ましい!!!。
ガンマ (著者)
No.2 (2014/07/13 22:18)
>ねここねさん
確かに認めてほしいと言う気持ちは有りますが
それがいくら頑張ろうと「やって当然」で ミスると「あの家の息子が?」となる
中途半端に名が知れてる自営業だとそういう気配が有ったり・・・
頑張ってないわけではないですよ、ただハードルが高い。

>運命
明らかに望まれて生まれた子ではありますが・・・
物心が付く前から包囲網が敷かれ、それを察して
表面上は素直でおとなしい仮面を被れる子供になってしまった

高校でもその先生がいる場面のON/OFFで
同じクラスの底辺どもに「いいかっこしてんじゃねぇ」
と無駄な騒動になった事もありますw
場に合わせた態度をあからさまに切り替えられる自分に対して苛立ったんでしょうね
正直あいつらが怒ってる意味がわかりませんでしたし。

高校生活は社会のTPOを守られながら学ぶ場所
目上の人に合わせる能力や折り合いを身につける場所だろうに
とヤンキーに対... 全文表示
フリーザー
No.3 (2014/07/13 22:54)
貴方は本当に生きているのですか?私には、ただ存(ながら)えているだけに観えます。それを貴方は自分自身で感じ取っている。無知の知に近付いているだけ、私には人間の中でもまともに観えます。人間の領域の端に滞在しようとしている。


何かを生み出そうとしていますか?生み出すことを辞めたら生物でなくなる。「人」は自ら立ち上がる姿を表す。弱くとも考える力を持って立ち上がろうとする存在が人だ、と私は想います。全力で生きない生物は人間だけだ。いや、人間は亜生物だ。


人の間に居るだけの存在に何の意味もない。迎合したら悪になる。「間」には門から月の奇跡に満ちた一条の光がやってくる様子が描かれている、はずだった。それが、人間は単に間に迎合するだけの姿に成り下がっている。Daimonの悪は人間が受け継いでいるようにしか観えない。悪魔の方が筋を徹す分まともだ。


日本には幕末、明治初期以前まで「社会」なんて言葉... 全文表示
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