れおまま 本の館

「僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由」読了

2016/06/27 00:07 投稿

  • タグ:
  • 読書
  • 感想
  • 若者
  • 仕事
  • 挫折
  • 社会

2001年、著者が21歳のときに若者(10代〜30代)を対象に取材したもので、それぞれがどう挫折し、どう葛藤し、どう居場所(答え)を見つけてきたのかという、「働く意味」を考えた本。

若い時代の著書のせいか、取材対象は自分の「身内」(関わった人)が多い。
大学の先輩・後輩、小学生時代の友達、従兄、著者が10代の頃に通っていた塾の塾長、著者の祖母が入所していた介護施設の若い職員、そして全く著者と関係のない人物が2人。
良く見れば、それだけ著者の周囲には「取材対象となり得る人」が多かったのかもしれない。

ここでの「働く」というのは、単に「仕事に就く」ということではない。
「働く」を「社会と関わる」に置き換えた方がしっくりとくる。
それだけ社会と「関わらない」「関われない」人が多いということだろうか。

登場人物(実在人物)それぞれが、自分の将来を夢見、挫折し、もがくのだが、そこから先の歩む人生はほぼ真っ二つという感じだ。「関わる」か「関わらない」か。関われなかった人でも結局「関わる道」を選んだ者もいれば、「関わらない道」を選んだ者もいる。

本の中身をざっと紹介すると、以下のようなものだ。
・「面倒くさい」という理由で就活をせず(実際は「社会に関われない」)田舎暮らしをする者
・就職したものの、職場環境や「営業職」に納得が行かず、辞める時期を考えている者
・エリートコースまっしぐらだったはずなのに、音楽に出会ってミュージシャンを目指し始めた者
・友達の輪を広めたい、自分の好きなことで安定したいと、敢えてフリーターになった者
・引きこもりだった場所から何としても脱出したいと、あらゆる可能性を求めた者
・就職はしたものの自分に合わない職業で、介護職に転身し生き生きと働く者
・20代前半で塾講師から塾経営者になったが、煮詰まって医学部を目指す者
・制約の多い学校を嫌い、サーフィンに目覚め、結局海人(うみんちゅ・沖縄の漁師)になった者

簡単に紹介するとこういう記述になってしまうが、それぞれが挫折し葛藤し、挫折したことへの負い目なのか人(近所や同級生)の目を気にし、もがきつつ選択をしている。

特に、引きこもりから脱出した若者と、塾経営者の苦悩は興味深かった。
引きこもりの若者の場合は、社会に関わっては引きこもり、引きこもりを脱出しては社会と関わりの連続で、そのたびに彼の体重まで増減し、読んでいる私までイライラさせられ、現在のフリーター生活(当時)に至ってやっとホッとした感じがある。

塾経営者の場合は、取材当時は31歳だったが、思い描いていた人生を歩めず悶々としていたところに塾講師の話が舞い込んだのが21歳。そこからトントン拍子に経営権を譲られ経営者となり、その型にはまらない指導法で人気となり、月100万の収入を得るまでになるが、自分の欲を満たすことができずに医学部を目指そうとしていた。最終的に「知識欲」を満たす方向を選んだのだ。

人間は、その長い人生の中で「選択」と「判断」をし続けながら生きている。
もちろん、選択や判断を誤ることもある。
でも、それもまた「自分が選び取ったもの」だ。大切な自分の人生の一部。
だから、その「選択・判断」を誰かのせいにすることはできない。

この本に登場する若者たちも、時には選択を誤り、その都度歩く道を変え、何が正しくて何が間違っているのかと苦悩しつつも、その歩みを止めずにいる。
そういえば、自分の選択が誤りだった時、親に責任をなすりつける人はひとりもいなかった。
例え一時的に誰かに責任をなすりつけたとしても、結局のところは「自分が蒔いた種は、自分で刈り取る」という結果になる。
笑顔には笑顔が返って来るし、犠牲には感謝が返って来るし、憎しみや恨みには己が傷ついたり、人に嫌われるという形で戻って来る気がしている。

この本が書かれたのは今から15年前。
登場した若者たちも、30代、40代になっているはず。
その後、彼らがどういう選択をし、どう判断して自分の人生を歩んでいるのか、「彼らのその後」が知りたいと思える作品だった。

最後に、著者の言葉を引用して終わろう。
道は続く。そして道に立っている以上、歩き続けなければならない。当然、僕も含めて。足の踏み出し方は違っていたとしても、その歩みに早いも遅いもない。道の形は違っていたとしても、その道に優劣はない。




コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事