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信じることと認識論

2016/06/21 15:11 投稿

  • タグ:
  • 信仰
  • 認識

信じることの力。
とても伝えにくいものです。
けれど、とても大切なことです。


★地動説

「信じる」という行為は、とても大切です。

けれど、現代の日本ほど、この言葉が失われた時代は少ないでしょう。

「神を信じる」というように使うと、「迷信」「キチガイ」「古い」など、あざ笑われることが多いです。

けれど私には、あざ笑う彼らの言葉が「地球は平らで、太陽は海から昇る」と言っているように聞こえるのです。

彼らはそれを頑なに「信じて」疑わず、アトランティス大陸がある地球儀を「世迷言」と断定しているように見えるのです。

あなたにこれが伝わるでしょうか。


★結びつける力

信じるという行為を、ほかの言葉で例えるなら

「尊敬」

という言葉に似ています。

「愛情」

という言葉も同じような感覚を持っています。

「信じる」という思いは、離れているものを一つに結びつけようとする力です。

これを理解していようがいまいが、すべての人がこの力を使っているのです。


★信と智

「自分はこういう人間だ」と言えるのは、そう信じているからです。

手があり、足があり、何十年か生きてきた、と「信じて」いるのです。

これは、「知っている」という段階まで来ています。

けれど、行ったこともない外国というものがあり、戦争をやっているらしい、と信じているはずです。

現実に海外旅行に行った人ならば、外国があるのは確信をこえて「知った」という段階にあるでしょう。

行ったことがないなら、信じているのではないでしょうか?


★自他一体

あの世と呼ばれる多次元空間は、「光」と「光が活動するための時空間」で出来ています。

高次元に行くほど「数」の概念が変わっていきます。

3次元では、リンゴが2つあれば「2」と数えます。

高次元では「リンゴ」というものがいくつあっても「1」として数えられるのです。

「リンゴ」という役割に差がないので、「一つの物」という認識です。

離れたところに2つリンゴがあれば、
「2つとも自分で、同時に存在する」
という自己認識です。

これが「自分がリンゴだということを知っている」状態です。

リンゴの形に不揃いがあろうとも、木に成っていようが、食卓にならんでいようが、何十万個あろうが、「全部が自分」ということです。

自分がリンゴであることを知っているものどうしは、「私とあなたという区別なく、同じリンゴ」という認識だということです。


★確信

知ることができないものを結びつける力を「信じる」という言葉で表しています。

信じたものどうしは結びつきあい、確信に至ると「知っている」と同じ効果がでます。

リンゴと、リンゴを信じたものが、一つとして数えられるのです。

もちろん、リンゴではない部分が強ければ、1つになることは出来ません。

どこまでも、自我を捨て去り、こだわりをなくした結果、得られるものです。


★信仰の門

仏を信じ、仏の説く教えを信じ、人間が仏が創った被造物であることを信じたならば、
「自と他の差がない」「自分と仏の差がない」
という悟りを得ることが可能です。

「自分は、仏が創った仏の子」という認識が、同じ仏の子である全生命と、親である仏と、今自分と見えしものを一つにするのです。

なかなか信じ切ることができませんが、仏を信じ、仏の教えを実践していく中に、徐々に悟りが深まっていきます。

どこまでも深遠な悟りの入り口にして、最後の悟りが信仰の門です。


★物理的な力

「信じる」というのは、摩訶不思議なことでも、気休めでもありません。

信じるという思いには、物理的な力があります。

人は、信じたものに近づいていき、一つになろうとする物理的力が働きます。

最先端の物理学でも、理論すらできていない、「根源なる力」です。

人類が存在を証明することすらできない多次元宇宙を、根本から貫いている力なのです。


★永遠の道

あなたの心の中心にも、「仏の子」の部分があります。

これを「信じ」、「この仏の子の部分こそ私だ」と確信できたときに、
人類が長年求めてきた悟りに至るでしょう。

信仰の道は悟りの道。

遥かなる未来への道。

永遠の時は「信じる」ということを知るためにあるのです。

私も共に歩いています。

あなたと共に歩いています。

この遥かな信仰の道を。


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