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北島秀一・山路力也・山本剛志 共同責任編集
「ラーマガ」THE RAMEN MAGAZINE
#034

・北島秀一・山路力也・山本剛志 共同責任編集
・2014年9月10日発行(月3回)9月第1号(通刊 第35号)

【目次】

■巻頭コラム
 「北島秀一さんを悼む」(山路力也・山本剛志)

□クロスレビュー「必食の一杯」
 熊本ラーメン桂花 渋谷センター街店@渋谷「太肉麺」

■ラーメン実食レビュー

【北島秀一】
  熊本ラーメン桂花 池袋店@池袋「太肉一本盛」
  支那そばや 本店@戸塚「醤油らぁ麺」
  らーめん大文字 藤が丘店@藤が丘「味噌らーめん」
  ぜんや@新座「ぜんやラーメン」
  陽気@広島「中華そば(ニンニク入り)」

【山路力也】
  まかない㐂いち@銀座「鯛そば」
  めん処 宣@柴又「つけ麺」
  支那そばや 新横浜ラーメン博物館店@新横浜「醤油らぁ麺」
  らーめん屋鳳凛 春吉店@天神南「らーめん」
  行集談四朗商店@天神「ソーキそば」

【山本剛志】
  ソラノイロ japanese soup noodle free style@半蔵門「フィッシュカツすだち尽くしの冷製麺」
  ソラノイロ salt & mushroom@麹町「すだちまみれのネバネバ冷やし麺」
  さっぽろ純連 東京店@高田馬場「正油ラーメン」
  夕日のキラメキ一乗寺@一乗寺「台湾まぜそば」
  石田食堂@丹波口「ラーメン+半焼飯」

□拉麺人インタビュー 
 中坪正勝<麺の坊 砦 店主>①
 『毎日が楽しくて仕方がなかった』(聞き手 山路力也)

■異論激論!
 『いやでも、本当にラーメンに罪はないのか?』
 (山路力也/山本剛志/河田剛)

□告知/スケジュール

■編集後記


■巻頭コラム
「北島秀一さんを悼む」

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 私がラーメンの食べ歩きを始めたのは、ちょうど30歳になる1998年のことであった。その時の私は石神本をバイブルとし、東京1週間のラーメン連載も毎回チェックしながら都内を食べ回っていた。北島秀一という人はその時すでにラーメン評論家として名を馳せていて、大崎裕史さんや石神秀幸さんなどと並んで、私からすれば雲の上の存在のような人だった。

 そんな北島さんと初めてお会いしたのは、2000年の夏、ラーメン博物館でのレセプションでのことだったと思う。その年、私はラーメンサイト『千葉拉麺通信』を立ち上げ、ラーメン好きの方たちとの交流も始めたばかりだった。そんな言わばぺーぺーの私にレセプションの声がかかるとは夢にも思わなかったのでとても嬉しかったのを覚えている。

 しかし、私はラーメンと常に新鮮に向き合いたいという思いもあって、その年より7月と8月の2ヶ月はラーメンを絶つと宣言したばかりだった。ラー博に行くと髪の毛がふさふさでスーツを着た北島さんがゲストの応対に追われているところであった。そんな中で私のことを見つけるとスッと寄って来て「Rickyさんですね。ラーメンお休み期間なのにこんなところにいていいんですか?」と話しかけてきた。私のことを知って下さっていたのも驚きならば、私がラーメンお休み中だという事も知っていたのには本当に驚いたものだ。

 そう、北島さんは初めて会った時からそうなのだ。ストレートな物言いをせず、どこか斜に構えたような、ちょっと皮肉まじりのような。他の人に対してはどうだったかは分からないが、少なくとも私に対しては公の場やネットの上ではいつもそうだった。twitter上でも、いつも何か一言余計というかチクリと刺すような絡みをしてきた。しかしそれは北島さん流の照れ隠しであったり、独特のコミュニケーションの取り方であったのだ。

 その後、私は情報誌で連載を持ったり地方ローカルのテレビとラジオでレギュラーを務めたり、自分でも驚くくらいのスピードでラーメン評論家として認知されるようになった。しかし当時はラーメン評論家というよりも、千葉のラーメンに特化した評論家という位置づけだったように思う。それが東京でも少しは知られるようになったのは、間違い無く北島さんのお陰である。北島さんはtwitterなどで私と積極的に絡んでくれて、私も後輩なのに先輩に対して楯突くようなスタイルで、お互いに阿吽の呼吸でコミュニケーションを取らせて頂いていたのだが、そうすることで私という存在もより多くの人に知って頂けるようになっていったのだ。

 一昨年の秋に北島さんの腫瘍摘出手術があり、無事に手術を終えて退院したあとに、確かfacebook上の皆が見える場所だったと思うが「北島さんはいつ死ぬか分からないんだから、死ぬ前に本を書き上げて下さい。一冊も貴方の本がないというのはラーメン界に取っても不幸なのだから」などといつもの調子で私は憎まれ口を叩いた。それと同時にDMで「自分の名前で本を書いて下さい。僕も手伝いますから」と送ったところ、「自分は本を書いたことがないので、ぜひ相談に乗って欲しい」と言われた。私などの駄文書きが本を何冊も出し、北島さんのように傑出した存在の文章の書き手が一冊も本を出していないのは、もう巡り合わせやタイミング以外の何ものでもない。私は北島さんの本を出したいと心の底から思っていた。

 今だから正直に言えるが、その時に私は北島さんの死をある程度覚悟はしていた。ちょうどその頃、北島さんがずっと情報発信していた携帯ラーメンサイトのサービスが終了し、パーマネントな情報発信の場がなくなることが決まっていた。ラーメン評論家にとってラーメンを常時語れる場が無くなってしまうというのはとても辛いことだ。北島さんにはまだまだもっとたくさんの文章を書き続けてもらいたいし、それを生きるモチベーションにして欲しい。その一心で、私は「ラーマガ」というラーメン情報チャンネルの立ち上げを決めた。ラーメン評論家として常時情報発信出来る場を用意すると同時に、そこでコラムなどを書き溜めて貰って、まとまったタイミングで本にまとめて出版するつもりでいたのだ。

 しかし残念ながら北島さんはそれを待たずに勝手に死んでいった。それはあまりにも無責任ではあるまいか。

 今、支那そばやに行くとそこには佐野実さんがいる。佐野さんの思いや佐野さんの作った味が今も私たちを楽しませてくれている。それは佐野さんがいることと何ら変わらない。佐野実は私たちの心の中で生き続けているのだ。だから、このラーマガでも北島秀一は生き続ける。北島さんと山本さん、そして私の三人が共同責任編集という立場で作ってきたのがラーマガだ。そして三人で北島秀一の本を出すと決めたのだ。勝手に死なれて勝手に一人抜けられては困る。

 だから、北島秀一はこれからもラーマガの共同責任編集者であり続けるし、時をみて折りをみて北島さんが遺してきた文章をラーマガに掲載していこうと考えているし、何時の日か北島秀一著の本を出したいと思っている。今号もいつも通り、クロスレビューにも個人レビューにも北島さんの生き生きとした文体が踊っている。北島秀一はいつまでも私たちの心の中で、そしてラーマガで生き続けていくのだ。(山路力也)

 私はラーメンの食べ歩きを始めるより前から、「しう」というハンドルネームの北島さんを知っていた。パソコン通信「NIFTY-Serve」で、「TVチャンピオン」の裏話などを語っていた。ラーメンに詳しくなかった私は、「正月に見た特番に出てた人か」くらいの認識だった。自分がラーメンを食べ歩きするようになった1999年、最初に行ったラーメンイベントで北島さんと初めて会話した。

 その後、NIFTY-Serveにラーメンを語る会議室ができて、私は食べたラーメンの感想を積極的にアップするように。その時、私の間違えを丁寧に指摘してくれたのが北島さんだった。そんなこんながあって、私は翌年の「TVチャンピオン」で優勝して、ラーメンに関してテレビや雑誌などでコメントする機会が増えた。

 今でも覚えているのはあの頃の事。とあるテレビ番組で、好きなラーメン屋さんを「日本一美味しい」とコメントした事について、「美味しいラーメンはたくさんあるのに、簡単に日本一とか言ってはいけない。他の店に失礼だ」と叱られた。私もそのコメント収録の時、「ここで日本一と言ってはいけない状況だな」と感じつつ、スタッフが何度も撮り直してプレッシャーをかけられ、根負けして言ってしまった一言だったわけだが、そこで根負けしてはいけないんだ、と認識を改める事ができた。

 2003年に「超らーめんナビ」の達人に就任した。私がそこに参加する事が決まってから、少し遅れて北島さんが参加する事になった。それが決まった時は嬉しかった。北島さんと一緒の場でラーメンを語る事ができるからだが、それは同時に、プレッシャーでもあった。北島さんが、速報やコラムで見せる精緻な文章。そこに溢れるラーメンへの愛情。遠征で見せるポイントを外さない店選びなど、私にはとても追いつけないものばかりだった。そんな事もあって、自分のキャラ付けの為、速報の最後に「川柳」をつける事にした(それが今のレビューでも続いている)。これを始めた時、北島さんがニコニコとしていた事を思い出す。

 この「ラーマガ」を始めた理由の一つは、北島さんにラーメンを語り続ける場が必要だと思ったから。昨年12月、3人で『ラーマガ動画「2013年反省会」』を撮影した。実はその後、3人で「2014年の抱負」を語って、そこで北島さんが「武内さんの事を書きますよ」と宣言してくれたのだが、実はその動画撮影に失敗していた。その抱負を公開したら、もう少し多くの事を語ってくれたのではないかと、心残りもあったりする。体調を崩されて長い文章が書けなくなっていたので、「拉麺人インタビュー」を北島さんにお願いする事も私から依頼していた。早すぎる旅立ちで、それも叶わなかった事が残念でならない。

 私はフリーSEとして活動していたので、同じ人と長年仕事をする機会がなかった。ラーメンを語る仕事の方では、「らーナビ」の9年半と「ラーマガ」の1年弱、10年以上の期間を北島さんと同じ場所にいられた。先輩であり、常に目標だった。

 北島さんと一緒に食事された方はご存知だと思うが、常に食事の前に手を合わせて「いただきます」と言ってから食べ始めていた。大事な事だと思い、自分も同じようにしようとするが、ついつい忘れてしまう。

 訃報が伝えられてから、多くの人が北島さんとの想い出を語っている。いろいろな場所で話を聞く度に、北島さんの存在が、どんどん大きく感じられる。それはまるで、涙の後に出る虹のように。

 永六輔さんの言葉に「人間は二度死ぬ。一度目はその命が終わった時、二度目は誰からも語られなくなった時」というのがある。私が北島さんの事を、そして北島さんが語り継ごうとした武内さんの事を含めて語り継ぐのは、北島さんと武内さんの命を、この地上に残しておく為なんだと感じている。北島さんにそんな事言ったら「そこまで気負わなくてもいいのに」と、いつもの笑顔を見せてくれるかもしれない。

 北島さん、本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします(山本剛志)


□クロスレビュー「必食の一杯」

 一杯のラーメンを三人が食べて語る。北島、山路、山本の三人が、今最も注目しているラーメン店の同じ一杯をクロスレビュー。それぞれの経験、それぞれの舌、それぞれの視点から浮かび上がる立体的なラーメンの姿。今回は北島さんがこよなく愛した『桂花ラーメン』の看板メニュー「太肉麺」を三人が食べて、語ります。

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熊本ラーメン桂花 渋谷センター街店@渋谷
「太肉麺
」880円

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 ラーメン仲間ならご存じの通り、30年前に渋谷でこれにハマった時から自分のラヲタ人生が始まった、人生最大級のターニングポイントとなった一杯。あれから店も、経営者も、値段もメニューも麺もスープの味も変わったけれど、何かどこかに変わらない物があります。

 河原社長の名言『変わらない為に変わり続ける』の真逆で『変わり続けたけど変わっていない』……誉めてないか(^_^;)。でも、これもまた、退院したら必ず食べる一杯。桂花が存続する限り食べ続けるんだろうな。(2012年11月19日のfacebookより転載)

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 北島さんと同じく、私がラーメンにはまったのも桂花の太肉麺であった。今から16年前、やはりこれも北島さんと同じ渋谷プライムにあった麺道場。それまでラーメンなんて年に一杯食べるか食べないか、というくらいラーメンを食べなかった私が、この太肉麺を食べた瞬間からラーメン好きになり、ラーメン評論家になってしまったわけで、同じく人生最大のターニングポイントにこの太肉麺はあったのだ。

 それまでラーメンに対するイメージは、醤油スープに縮れた鹹水臭い麺、チャーシュー、メンマ、なるとという、ステレオタイプな昔ながらの中華そば的なイメージしかなかった。しかしこの太肉麺はそれをことごとく崩してくれた。臭みのないなめらかな豚骨スープにマー油、パキパキボソボソの麺、生キャベツにクキワカメ、そして大きな角煮(太肉)。どこを食べても美味しくて楽しくて。「ラーメンってこんなに面白いのか!」と思わせるのに十分過ぎる一杯だったのだ。

 私にとって桂花の太肉麺はラーメン人生の原点でもあり、偶然だが私が生まれた年に出来たメニューでもあるいわば特別な一杯なので、それから毎年何杯かは必ず食べてきた。しかしながら、自分の舌が肥えたのか経験値が上がったのか、それとも桂花の味が落ちたのかは分からないが、間違いなく最初に較べて美味しいと感じない自分がいた。一番気になったのはスープのコク。しっかりと乳化してまろやかで豚骨の甘味があるスープが、妙にシャバシャバでカエシとマー油ばかりが目立ってしまって、正直悲しく思ったものだ。

 北島さんの訃報に接し、これはやはり渋谷で太肉麺を食べなければと思い、亡くなった1日の夜、リニューアル後初となるセンター街店に足を運んだのだが、これが驚くほどに旨かった。今年に入って新宿などでも食べているのだが明らかに別物で、初めて食べた時と相違ない美味しさだったのだ。ずっと他の店で気になっていたスープのシャバシャバ感もなく、まろやかで深い旨味とコクを持ったスープが素晴らしかった。北島さんも最近の桂花の味には多少寂しさを覚えていたようだが、この一杯はきっと満足するはず。これからも毎年9月1日は渋谷の桂花で太肉麺を食べて、北島さんに報告していきたいと思う。

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 都内の桂花は新宿・池袋にはたまに行くけど、渋谷店はリニューアル後初訪問。平日の昼過ぎという中途半端な時間帯だったが、お客さんは時折入ってきていた。

 「太肉麺」は「東京進出の立役者」と言われる通り、1968(昭和43)年の桂花東京進出の際に生まれたメニュー。目を惹くのは柔らかい豚角煮とキャベツ、そしてキャベツにかけられたマー油。豚骨スープはあっさりしながらも旨みも感じられるもの。そこにマー油が入るのだけど、太肉麺ではキャベツからマー油が徐々にスープに流れていく。この形だと、マー油がスープの上を一斉に支配することなく、まずは豚骨スープのシンプルさを、そしてマー油を被せた味を共に楽しめる。卓上の一味唐辛子や胡椒をかけても、マー油の味を隠す事なく味わえる。

 太麺は「生煮えではありません」と書かれていたほどの固さ。「固め」で頼んだら本当に生煮えになってしまうのではないかと心配になる。麺のハリと密度を感じる麺を啜れば、スープも勢いよく口の中に入ってくる。

 大ぶりな豚角煮は脂も入って柔らかく、「肉喰った~」と言いたくなるインパクト。キャベツはマー油を流す効果がありつつ、スープを含ませながら口に入れるのにもちょうどいい。そして、それらの間に入った、麺より細い茎ワカメが、無意識のうちに口の中に入ってきて、その旨みと食感の独特さに、不意を突かれた口の中がまた新鮮な気持ちで、飽きずに一杯を楽しませてくれる。

 栄枯盛衰のラーメン業界、「桂花」も経営上の危機があった。地元熊本の「味千ラーメン」の支援を受けて新体制になったが、「太肉麺」は時代を超えて味わいを伝える「不朽の一杯」であり続けてほしい。

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熊本ラーメン桂花 渋谷センター街店
東京都渋谷区宇田川町27-1
JR線・東急線・京王線・東京メトロ線「渋谷」駅より徒歩3分


■ラーメン実食レビュー

 数あるラーメンの中で、今食べるべきラーメンはどれなのか? 三人のラーメン評論家が日々食べ歩いた数多くのラーメンの中から、特に印象に残ったラーメンを一人5杯ずつピックアップ。「ラーマガ」でしか読む事が出来ない、渾身のラーメン実食レビューです。
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【熊本ラーメン桂花 池袋店@池袋】
「太肉一本盛」1,400円

 今でこそ「桂花」では各種のトッピングや麺の大盛りなどのカスタマイズが自由に出来るが、私が主に渋谷で食べていた頃にはそれらのオプションはほとんど無く、せいぜい麺硬めが指定出来る程度だった。その当時から太肉麺を知るファンなら、一度は「ああ飽きるほど太肉載せて喰ってみてぇ」と思った筈だ。

 あれから幾星霜、数年前から桂花では太肉のトッピングが解放された。私も何度か楽しんだが、池袋店で更にどえらい限定が出ていると聞いた一年半ほど前。それがこの「太肉一本盛」だ。一杯のラーメンとして1400円はお安くはないが、もともとの太肉麺が950円で、トッピング太肉が150円なのを考えるとまずは妥当な所だろうか。

 ラーメンのビジュアルはさすがに凄い。丼の上縁を覆う一本太肉はまさに男のロマンである。がぶりと思い切りかぶりついても、まだ7割くらい肉が残っている幸せ。これはやはり一本盛りじゃないと楽しめないなあ。

 ラーメン自体はいつもの桂花だ。昔を知る者には不満もあるだろうが、今でもかなり繁盛はしている。ただ、今の麺だけは何とか昔の物に戻してくれないもんかなあ。

 などと思いつつ、ラーメンの合間に太肉をがぶり、またがぶりと食べ進む。50歳を超えたオッサンにはさすがに終盤キツくなっては来たが、「飽きるほど太肉を喰う」と言う長年の夢は充分に叶えられた。願わくば、これを30代で食べられれば更に幸せだったろうな。(北島秀一)【ラーマガ017号より転載】

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熊本ラーメン桂花 池袋店
東京都豊島区東池袋1-22-13
JR線・東京メトロ線他「池袋」駅より徒歩10分
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【支那そばや 本店@戸塚】
「醤油らぁ麺」880円

 佐野さんのラーメンは非常に大雑把に別けると鵠沼時代、ラ博時代、そして戸塚時代になる。むろんそれぞれの時期に於いても何度か大幅な改変を経ているが、ざっくりとした流れで言うと、徐々にスープのダシが複雑に、そしてまろやかになっていき、味わいの主導権が醤油や塩のタレからダシに移っていったと思っている。

 いわゆる「引き算のラーメン」と言う表現があるが、支那そばやのスープはその表現とは反対の、基本的には「足し算のラーメン」である。もちろん単に味を足して重ねて行くだけではただのごった煮になってしまう訳で、何かを足す時には別の何かを引いたり控えたりする事で、「味の球体」のでこぼこを極力感じさせない丸い味を保っているが、その足し算を繰り返す事で「球体」は大きく分厚くなり、シンプルなようで複雑な旨味を楽しめる。その現在の所の到達点が、戸塚本店のこの味だと思う。

 麺は言うまでもなく自家製麺。ラ博店にある製麺機とは別で、製麺途中でローラーで生地を叩く事によって更にコシを出す工夫がされた特別製の製麺機だと聞いた事がある。「もともと風味は良いがグルテンの少ない国産小麦でどうコシのある中華麺を作るか」は佐野さんのライフワーク。結果としては生涯をかけた研究になってしまった。

 佐野さんの訃報から数日後に戸塚本店に食べに行ったが、もともと既にデイリーの営業では佐野さんが直接厨房に立たない体制は出来上がっていたので、味のブレは全く感じられず、安定した「戸塚本店の味」を堪能できた。今後もラ博店、戸塚店共に営業は続くので、是非この二軒を比較してみて欲しい。「人に歴史あり」ならぬ「支那そばやに歴史あり」の一端を知る事が出来るだろう。(北島秀一)【ラーマガ020号より転載】

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支那そばや 本店
神奈川県横浜市戸塚区戸塚町4081-1
JR線・市営地下鉄線「戸塚」駅より徒歩5分
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【らーめん大文字 藤が丘店@藤が丘】
「味噌らーめん」950円

 自分自身かなり久しぶりの訪問になったし、更にたいてい来る時は限定とか新作を食べるのがマニアの性。レギュラーの味噌は、下手をしたら10年単位で食べていなかったかも知れない。が、久々に食べて唸った。いやー美味しい。昨年の、TRY味噌部門でこのラーメンがベスト10に入っていなかったと言う事実が信じられないくらいに美味しい。

 私が美味しいと感じたポイントは、味噌ラーメンらしいパンチを充分感じさせつつも、やたらなくどさ、しょっぱさ、油っこさと言う、安易なブーストに頼らないバランスとキレの良さを両立させている事。味噌ダレの濃さもあってか適度なとろみがスープにあり、太めのしっかりした麺に絡んで一口目からぐいぐいと食べさせるのに、それが中盤を過ぎて食べ終わりになってもまったくキツくならない。

 「インパクトのあるスタートダッシュ」と「最後まで食べられるキレ」を両立している事例は、特に味噌を始めとする濃厚タイプだとかなり難しい筈。たいていは、最初のパンチに重点を置き、スープを最後まで飲ませるバランスは放棄しているが、ここの味噌はそれがある。ある意味「東京スタイルの味噌ラーメン」の代表格と言っていい味わいだと思った。(北島秀一)【ラーマガ001号より転載】

らーめん大文字 藤が丘店
神奈川県横浜市青葉区もえぎ野17-7
東急線「藤が丘」駅より徒歩9分
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【ぜんや@新座】
「ぜんやラーメン」700円

 一日100杯限定で、午後から夕方には売り切れ終い。駅からは決して近くない上に路駐も困難。店は広げず夫婦二人だけで営業し、提供するのは塩ラーメンのみ。醤油も味噌も限定もつけ麺も出さない。今のご時世、もし「こんなコンセプトで新店をやりたいんですが」と相談されたらまず私なら反対するが、このスタイルを15年近く貫き、未だに行列の出来る人気店に育て上げたのがこちらのご主人である飯倉さんだ。

 先日約十年ぶりに訪れてみたが、この姿勢は全くぶれない。豚ガラをメインにしたスープにはショウガも使われているようで、寸胴の近くに座ると何とも言えないよい香りが立ち上る。匂いの時点で既にキレとコクが感じられてしまうのだ。綺麗に澄んだ琥珀色のスープに入るのはこれも変わらぬ中太麺。普通なら細麺を合わせてあっさりスープをより強調するのがセオリーだが、深いコクのスープはこの太麺をふわっと包み込みつつ抜群のパフォーマンスを発揮する。

 寡黙な飯倉さんのはにかんだような笑顔も十年前と変わらず。穏やかな表情の裏にある、自分のスタイルを貫き通す強い意志がこのラーメンを支えている。(北島秀一)【ラーマガ000号より転載】

ぜんや
埼玉県新座市野火止4-10-5
JR線「新座」駅より徒歩7分
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【陽気@広島】
「中華そば(ニンニク入り)」600円

 広島県のラーメンと言えば真っ先に思い浮かぶのは「尾道ラーメン」だろうが、実は広島市を中心とした西側にも尾道に勝るとも劣らぬレベルの「広島ラーメン」が存在している。その代表格がこの「陽気」。市内には系列の「横川店」「大手町店」もある。

 広島ラーメンの特徴は、何と言ってもそのスープ。軽い甘味を伴う豚骨醤油だが、決してコッテリ過ぎず、かと言って軽すぎず、白濁豚骨なのに「中華そば」と言われても納得の食べやすさが身上だ。そのスープに合わせる細麺はこりっとして実に気持ちのよい歯ごたえ。使用されるもやしは主に西日本に多い細もやしで、硬めの歯ごたえと濃い味が関東の太もやしとは違った美味しさを楽しませてくれる。

 「陽気」は、その広島ラーメンの中でも「すずめ」と並ぶ人気店。決して便利な場所ではないが、営業中はお客が途切れる事はない。大盛りもライスもビールも無く、メニューは中華そばただ一品。注文時のオプションは「ニンニク」があるのみ。この写真は、その「ニンニク入り」。一度は陽気で食べた事がある人にも、改めてニンニク入り食べてみてと言いたくなるベストマッチだ。(北島秀一)【ラーマガ025号より転載】

陽気
広島県広島市中区江波南3-4-1
広島電鉄「江波」駅より徒歩30分
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