備忘録

読書メモ1(『民主主義のつくり方』)

2015/11/29 22:08 投稿

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  • 書評

宇野重規『民主主義のつくり方』筑摩選書、2013年。
(税抜価格1,500円)


本書は、タイトルの通り、民主主義についての考察である。著者のトクヴィルを橋掛かりとした民主主義の研究関連著作の1冊であり、『トクヴィル 平等と不平等の理論化』、『〈私〉時代のデモクラシー』に続く「デモクラシー三部作」の3冊目に位置しているという。

近年、取り上げられている「民主主義」そのものへの不信感を問題提起に、改めて「民主主義」とは何か、「民主主義」とはどのように「つくる」のかという方法を、アメリカ発の哲学であるプラグマティズムを頼りに紐解こうと試みている。一般にプラグマティズムとは日本語訳では「実用主義」や「道具主義」と訳され、常に結果が重要とされる思想と理解されがちである。プラグマティズムとは、「すべての人間には、自分の選び取った理念を追求する権利があり、重要なのはむしろ、そのような理念が結果として何をもたらすか」であるという。

近代政治社会の成立に寄与した社会契約論は、今日まで続く近代の形成に大きく寄与したことには疑いもない。しかしながら、社会契約論が想定した「自立した個人」というフィクションそのものが、自己と他者とのつながりを意図的に消すことにつながる。そのような前提が今日の社会では、社会そのものにおいて、個人化が進み、社会的紐帯(人と人の結びつき)が希薄化する結果を生んでいるのではないかと問題視する。それを土台に成立している現代では、利益を合理的に追求しようとする各個人の選択の集積があらゆる政治現象を生起すると考える「合理的選択論」が現代政治を理解する上で有力視され、市場モデルによって政治を語られることが一つの流行となっている。つまり、自立した個人は、自己の利益を追求するものと想定できる限り、各個人の行動はそれぞれの利益追求という経済的行動思想が政治に侵食しているというのである。

そのような確認を元に、プラグマティズムを民主主義の理解への鍵として利用することで、混迷に陥っている民主主義の再生を意図している。本書を読んでいくにしたがって、民主主義そのものに対する不信に対する答えを想定しながら読むと、少々想定とは異なる回答が訪れる。というのも、世界規模で、特に先進国で顕著にみられる民主主義への不信感への回答を想起すると、本書の回答としての民主主義は現実的で実践的であり、それまでの思想的考察から離れるからだろう。

そして、このような回答の提示には、しばしば民主主義をルソーの「一般意志」」概念の存在を前提としてきた民主主義へのオルタナティブとしての民主主義としての応答としているためだ。これは本当に人々の単一の意志が存在するのか、あるとしてもどのように意志であると明らかにするのかという点への一つの答えである。政治社会というものは、必要なフィクションとしてあるが、必ずしもあらゆる問題の解決方法として政治社会はその回答を持ち得ていないという前提を持つ必要があるということである。

そのとき、プラグマティズムが一つの方向性を示す。人間の意志とは、行為を行う前に自明に存在しているわけではない。むしろ行為後、その行いを振り返ってみて初めて、何をしたかったのかと理解することさえあるのだ。人は完全な個人ではない。生きる上で、他者とのかかわりを拒絶することなどできない。そのようにあるならば、人は各個人が行為を通じて相互に影響し合い、社会を自己変革させていく過程を注目すべきことであるかもしれない。こうして本書は、変化を求めて行為することの限界性が垣間見えてきている今、プラグマティズムをして行為による変化を見届けることで、そのときの意志を確認することが重要なのだと主張する。

すべての人間には、自分の選び取った理念が、追求した結果何をもたらすかというプラグマティズムは、これまでの欧州から離別し、新天地で新た社会を構築したアメリカであるからこそ誕生する機会を得たといえる哲学である。ともすれば、アメリカでは共産主義が存在しない(左翼政党がない)などと指摘される特異事情を考慮すると、理念的対立というものが欧州ほど激烈な展開が起きることはなく、民主党対共和党という典型的な二大政党制が成立しうる土壌であったのだと指摘できる。しばしば日本語訳で実用主義や道具主義と訳語され、著者が半分あたり、半分はずれであるといった意味の誤謬は、欧州において培われてきた諸哲学に裏付けられた思想的対立を持たない国であるがゆえに、結果による理念への追求という点を強調され、理念追求によってもたらされる結果の考察なき哲学であると誤解されるのも無理はないのではないだろうか。プラグマティズムを民主主義再生への支柱として執筆された書であるので、これ以上の詮索は必要ない。

しかしながら、このプラグマティズムを用いた民主主義の再生という試行は、知識として蓄積された「民主主義」と現実での「民主主義」の機能不全との乖離にもたらされた不信の払しょくしようと試みている点で、これまでの民主主義の歴史学的再考や行動科学的な結果としての民主主義の理解とは異なる知見をもたらしている。


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