聖書ディボーション入門

ヨハネ 6:22-71

2014/10/06 20:20 投稿

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イエスは命のパン
6:26
一時的な利益のためだけについてきた人々を、イエスは非難した。真の信者は、イエスには真理があり、イエスの道が生きる道であることを知っているため、イエスについていくのである。

6:28-29
誠実に神を求めるものは神が何を望んでいるかを考える。イエスの応答は簡潔だった、神が遣わしたイエスを信じること。イエスに「あなたは、生ける神の御子キリストです(マタイ 16:16)」と告白しよう。

6:37-38
イエスは父なる神と無関係に働くことはない。父と一致して働かれたのである。イエスの目的は父の御心を行うことであり、人間的願望を満たすことではなかった。

6:39
キリストは自分の民の救いが失われることがないように守ってくださる(17:12, ピリピ 1:6)。

6:40
キリスト再臨のとき、蘇り永遠の命を得られる(1コリント 15:52, 1テサロニケ 4:16)

6:44
人がイエスを救い主として信じるとき、聖霊の勤めにこたえてそうするそうするのである。だれも聖霊の助けなしのイエスを信じることはできない。

6:45
御国では人は神によって直接教えを受ける(イザヤ 54:13, エレミヤ 31:31-34)。

6:47
イエスは、モーセが荒野で彼らの先祖たちに与えたマナに言及した(出エジプト 16)。モーセより大いなるイエスは、人々を完全に満たし、永遠のいのちに導く天からの霊的なパンをとして、ご自身を差し出しておられる。

6:51
生けるパンを食べるとは、キリストを私たちの人生に受け入れることと、イエスと一体になることを意味する。私たちは2つの方法でキリストと一体になる。
  • イエスの死と復活を信じる
  • イエスが命じる様に生き、導きをイエスの教えに頼り、力を聖霊に信頼する
6:56
血を飲むということは宗教指導者にとって不快であった。なぜなら律法が禁じていた(レビ 17:10-11)からである。もちろんイエスは、実際の血について言っているのではなく、ご自身の命が彼らのものにならなければならないと言っているのである。使徒パウロだけでなく福音書の記者たちも聖餐について話すとき、からだと血という比喩的表現をを用いた(1コリント 11:23-26)。

6:63-65
聖霊の働きがなかったら、私たちは自分たちに新しいいのちが必要であること知ることさえできない(14:17)。

永遠の命の言葉
6:63-65
聖霊の働きがなかったら、私たちは自分たちに新しいいのちが必要であること知ることもできない(14:17)。新生(3:1-15)は神に始まり、神に終わる。神は真理を明らかにし、私たちの内に住まわれる。そして、その真理に私たちが応答できる様にしてくださる。

6:66
なぜ弟子たちの多くが離れでしまったか。
  1. イエスはメシアの王になるつもりがなかった
  2. イエスは彼らの利己的な要請を拒絶した
  3. イエスは行為でなく信仰を強調した
  4. イエスの教えは理解するのが難しかった
6:67
人々はイエスの真の教えを聞けば聞くほど2つのグループに分かれていった。
  • もっと理解したいと思う誠実な探求者
  • イエスを拒絶する人たち

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