聖書ディボーション入門

ルカ 24:1-49

2014/09/24 20:12 投稿

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復活する(マタイ 28:1-10, マルコ 16:1-8, ヨハネ 20:1-10)
24:1
最後の晩餐は木曜日の夜(正確には木曜日の日没後、当時の暦では金曜日)
十字架の死は金曜日
安息日は土曜日(正確には金曜日の日没から土曜日の日没まで)
週の初めの日は日曜日(金曜日からかぞえて三日目)

24:6-7
イエスは自分に起こるすべての事を正確に預言していた(9:22,44, 18:31-33)
他の宗教には、倫理体系、天国と死後の概念、様々な聖典がある。しかし、人となった神がおられ、その方が人間のために死に、力と栄光のうちに蘇り、永遠にご自身の教会を支配しておられるというのは、キリスト教だけである。復活が重要な理由:
  1. キリストの蘇りにより御国がこの世に実現した
  2. 復活により死は征服され、わたしたちも死者の中から蘇りキリストとともに永遠に生きる
  3. 使徒の最も重要なメッセージはイエスキリストが死者から蘇るということ
  4. 復活は主の晩餐の礼典に意義を与える
  5. 復活はわたしたちに将来への希望を与える
  6. 復活はキリストが生きておられ、御国を支配しておられることを保証する
  7. イエスを死者から蘇らせた神の力は私たちの内にも働く、邪悪な世の中でも生き抜ける
復活の重要性(1コリント 15:3-7, 12-58)

24:11-12
初めて復活のことを聞かされた人々は信じるために4つの段階を経験するだろう:
  1. おとぎ話の様に聞こえ、信じられない
  2. 事実を確かめるが、起こったことについて困惑する
  3. イエスと個人的に出会うときに初めて、復活の事実を受け入れる
  4. イエスに献身し、人生をささげ、イエスの臨在を理解しはじめる
エマオで現れる(マルコ 16:12-13)
24:21
エマオからの信者は、イエスが民を敵から救ってくださると信じていた。ほとんどのユダヤ人は、旧約聖書の預言は軍事的なメシヤを指し示していると信じていた。メシヤは人々を罪の奴隷からあがなうためにこられたことを理解しなかったのである。だからイエスが死んだとき、彼らはすべての希望を失った。しかしイエスの死は、とてつもなく大きい希望をもたらしたのだ。

24:25
これらのユダヤ人たちは聖書の預言をよく知っていたが、キリストの苦しみが栄光への道であることを理解できなかった。なぜ神は介入してイエスを十字架から救わなかったのか、彼らには理解できなかった。彼らは政治的権力や軍事力がこの世で賞賛されていることに慣れ親しんでいたので神の国の価値を忘れていた。それは最後のものが最初になり、いのちが死から生じることだった。

24:27
2人の信者が悲しみや混乱を説明した後、イエスは聖書のみことばを、ご自分の宣教に適用して答えられた。創世記 3:5 における約束された子孫から始まり、イザヤ 53 の苦しむしもべ、ゼカリヤ 12:10 の突き刺された者、そしてマラキ 3:1 の契約の使者までイエスは旧約聖書の預言を解き明かした。キリストは聖書全体に組み込まれた主題である。

弟子たちに現れる(マタイ 28:16-20, マルコ 16:14-18, ヨハネ 20:19-23, 使徒 1:6-8)
24:36-43
イエスのからだは、創造の産物でも、幽霊でもなかった。弟子たちはイエスにさわり、また、イエスは食事もした。一方、イエスのからだは、ベタニアのラザロ(ヨハネ 11)の様に回復した人間のからだの様でもなかった。イエスは現れることも、見えなくなることもできた。イエスの復活したからだは死なない。これは私たちが復活したときに与えられる種類のからだである(1コリント 15:42-50)。

24:44-46
「モーセの律法と預言者と詩篇」とは、旧約聖書全体のことである。言い換えれば旧約聖書はメシヤを指し示しているのである。例えば、イエスの預言者としての役割は、申命記18-15-20に預言され、受難は詩篇22篇とイザヤ53章に預言されている。復活は詩篇16:9-11とイザヤ53:10-11に預言されている。


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