聖書ディボーション入門

ルカ 16:1-18

2014/09/11 20:03 投稿

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不正な管理人
16:1-8
金銭の使い方によって、私たちがキリストを中心としているかどうか試されている:
  1. 金銭は神に属するものであって、私たちに属するものではない
  2. 金銭は善にも、悪にも用いることができる
  3. 金銭は善のために用いる様にしよう
金銭には大きな力があり、注意深くかつ思慮深く用いなければならない。私たちの物質的な財産は信仰と従順を育む方法で用いなければならない(12:33-34)

16:9
賢く金銭を使う機会を利用すべきである。困っている人を助けるために、また人々がキリストを見出すのを助長するために金銭を使うのであれば、この世での投資は永遠の利益をもたらすのである。

16:10-11
天の国の宝は、この世の財産よりはるかに価値がある。私たちがこの世の金銭に関して信頼を失うのであれば、それがどれほどの額であっても天の国の莫大な宝を扱うのに適さない。あらゆる問題において、それが大きいことでも小さいことでも、誠実さを持ち続ける様にしよう。

16:13
金銭があなたの奴隷であるか、あなたが金銭の奴隷であるか、どうしたらわかるだろうか。金銭について頻繁に考え心配していないだろうか。もっとお金儲けをしたいと思っていないだろうか。金銭のために、すべきことやしたいことをやめていないだろうか。自分の財産を気遣うことに多くの時間を費やしていないだろうか。寄付することに抵抗を感じていないだろうか。借金をしていないだろうか。
金銭はやっかいな主人となり得る。しかしどんなに金銭があっても、健康や幸福、永遠のいのちを得ることはできない。神をあなたの主人とする方が、はるかにいいのである。神の僕には心の平安と守りが与えられるのである。

律法と神の国
16:15
パリサイ人は、他の人からの賞賛を得るために、新人深く振舞ったが、神は彼らの心の中にあるものをご存知だった。彼らは、自分たちの富を神の承認のしるしとみなしたが、神は彼らの富をひどく嫌われた。なぜなら繁栄は人々の賞賛を得るかもしれないが、それを神への献身と奉仕の代わりにしてはならないのである。

16:16-17
バプテスマのヨハネの宣教は旧約聖書と新約聖書の間の境界線だった(ヨハネ 1:15-18)。イエスの出現で旧約の預言は成就した。イエスは御国が律法(旧約聖書)の成就であることを強調した。御国は律法を廃棄しなかった(マタイ 5:17)。御国は、新しい組織ではなく古いものの原点だった。モーセを通して働かれたその神が、イエスを通して働かれたのである。

16:18
例えば、離婚についてのイエスの教えは、モーセの教え(申命記 24:1-4)を超えていた。当時のあらゆる学派より厳格(マタイ 19:10)であり、聞き手にに衝撃を与えた。結婚は生涯の献身であるとイエスははっきり言われる。別の人と再婚するために配偶者のもとを去ることは法律で認められているかもしれないが、神の目には姦淫である。

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