「社会は、静かにあなたを『呪う』」の第2章で、わたくしこんなことを書いております。ちょっと長くなりますが、大事なことなので引用しておきましょう。
良性マゾヒズムとは、「人間の快楽は不快との落差で決まる」という現象のことだ。たとえば、辛い物を食べた後は水の味をより鮮烈に感じるし、怖い映画を鑑賞した後はいつもの日常が心地よく思え、サウナで熱さに耐えた後は水風呂が快い。
これらの体験は、いずれもはじめに不快さを味わったことで、その後の快楽がより強調されたせいで起きる。このような快と不快のコントラストで生まれる快楽を、ロジンは良性マゾヒズムと名づけたのだ。
この心理が生まれた背景にもまた、進化論的な理由が隠されている。今から600万年前、サバンナで狩猟採集生活を始めた人類は、猛獣の襲撃に脅えたり、飢えや暑さに耐えたりと、常に複数の脅威に悩まされながら暮らしていた。もしこれらの脅威を”苦痛”としか認識できなかったら、狩りを続けるモチベーションは生まれず、人類は生存競争に敗れたはずだ。
そこで人類は、脳内に「不快さを乗り越えて得たものほど価値がある」と認識する心理を進化させた。 「苦しみの先に報酬がある」と思うことができれば、目の前の困難に挑むモチベーションが高まり、ひいては種の生存率も上がるはずだ。ケニアのマサイが成人前の男子にライオンを捕獲させたり、アマゾンのサテレマウェが青年に毒アリに手を嚙かませたりといった儀式を行うのも、「試練に価値を見いだす」という進化的なプログラムが背景にあるのだろう。
言い方を変えれば、私たちの脳は、不快な感情を抱くほど、その先にある心地よさや快感をよりよく認識できるように設計されている。生物があえて"苦痛"を求めるのは、ただのマゾヒズムではなく、快楽をより強く味わうために備わった自己調整システムだ。
なればこそ、私たちは「苦痛のパラドックス」から逃れるわけにはいかない。絶え間ない快楽はいずれ日常になり、その代わりに必ず平 へ い坦た んな退屈が訪れる。すべての経験は快と不快のコントラストをもとに処理されるのだから、嫌なことを避けて"楽しさ"だけを追ったところで、充足感は遠ざかるばかりだ。
ってことで、要は不快の先に快があるってことを言ってるわけです。快楽と不快さは常にニコイチなので、どちらかの総量が多すぎても充実感にはつながらないよーって話ですな。これはまさに人生の真実なので、ぜひ肝に銘じておきたいところです。
「不快こそが人を進化させる」──“コンフォート・クライシス”とは何か?
ってことで、皆さん最近「不快な体験」をどれくらいしてますでしょうか? たとえば、
- 汗だくになるような運動
- 空腹でちょっとフラつく感覚
- 何もせず、ただボーッとする退屈な時間
- 冬の朝にぬくぬく布団から出るときの震え……
こういったものをできるだけ避けようとするのが、現代人のごく自然な反応であり、私も例外ではありません。「なるべく楽に、なるべく効率的に」が染みついてまして、これはいたしかたないところでしょう。
が、ここで最近おもしろかったのが、マイケル・イースター先生の新作『The Comfort Crisis』であります。著者はネバダ大学ラスベガス校の教授で、最新の科学をベースによりよい暮らしを送る方法を模索しておられます。「満足できない脳」とかで有名な先生っすね。
で、この本のテーマは「快適すぎる生活こそが、人類最大の危機だ!」というものです。パレオダイエットでもおなじみの視点ですが、イースター先生の主張はシンプルで、
- 人間は“ちょっと不快”な環境の中でこそ、本来の力を発揮できるのだ!
というもの。たとえば、、極限の登山で集中力が研ぎ澄まされたり、空腹時に創造性が爆上がりしたり、寒さの中で身体が本気モードに切り替わるみたいな感じで、逆に言えば、「快適な環境に慣れきってしまうと、心も体もどんどん弱っていく」ってことであります。このあたりは「不老長寿メソッド」でも書いたホルミーシスの考え方と似たところがありますね。
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