【本格将棋ラノベ】俺の棒銀と女王の穴熊

俺の棒銀と女王の穴熊〈5〉 ~史上最躍の棋士~ Vol.9

2015/03/25 18:00 投稿

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     ☆

 年が明けてしばらく経っても、取材申し込みはなかなか絶えなかった。今日も「もう一花咲かせたい」などという見出しで新聞にインタビュー記事が掲載されて、大熊は眉をひそめた。
 確かに自分で口にした言葉だったが、よく考えたら自分は一度たりとも一花咲かせたことはなかった。だから「もう一花」は日本語として正しくないのではないか。どうでもいいことなのだが、もやもやした感じが残ってしまった。
「読み終わった?」
「ああ」
 新聞を渡すと、八重子はカッターナイフでその記事を慎重に切り取る。新聞や雑誌に記事が載ると、欠かさずスクラップしてクリアファイルに丁寧に保存するのだ。それらの記事を読み返しているところを見たことがないが、夫がメジャーな媒体に掲載されたというだけで嬉しいらしい。
「今度はNHKなんでしょ? またテレビに出られる?」
「予選を通過できたらな」
「ていうか、どうなの? 引退は避けられそう?」
「……ちょっと厳しい」
 昨年の暮れから、大熊は一勝一敗ペースで対局を重ねてきた。五割勝っているのだから上等、ではない。負ければその棋戦ではもう戦えなくなり、対局数も減るのだ。まだ可能性が失われたわけではないが、フリークラス脱出の目はかなり厳しくなっていた。何より、伊達名人に勝った頃の勢いはなくなっていると自分でも思い知らされた。
 ここぞというときに、勝てない。
 負けた相手は、たいてい将来有望な若手だった。中盤で徐々にポイントを稼がれて、そのまま押し切られてしまう。たった一手の緩手が致命的になる。まるでコンピューターを相手にしているようだった。実際、今の若手は強力な将棋ソフトを当たり前のように使いこなし、日々鍛えている。負けない将棋を冷徹な機械から学び、盤上に再現できる。それはSHAKEと日常的に練習対局している自分も同じはずなのだが……地力、才能の差、ということになってしまうのだろうか。
 とにかく、すぐにNHK杯の予選が始まる。本戦出場には三勝が必要だ。つまり一気に三つの勝ち星を稼げるチャンスであり、同時にほとんど最後の希望と言ってよかった。
 今年度の残された棋戦は、このNHK杯予選の他にはひとつしかない。もはや一敗でもしたら詰み。その覚悟で臨むしかない……。
「前にも言ったけど、引退になっても私は全然気にしないからね。余計な心配をかけてすまないとか、そんなこと思わないで、のびのびやってよ」
 八重子は穏やかな顔で、ベビーベッドの上の赤子を撫でる。
 待望の第一子が健康で生まれてくれたことは、勝負の世界で神経をすり減らす大熊にとって、何より心を慰められることだった。
 この子のためにも、頑張らなければならない。……そう思うのと同時に、このまま引退に追い込まれても別にいいかと、少し達観している自分がいた。何としても現役でいるという熱意が、薄れているのを感じていた。
 ここ数ヶ月で注目されたおかげか、将棋教室の生徒は増え続けていた。いくつかの個人や企業から、直接指導に来てほしいという依頼まで来るようになった。対局料がなくなっても、今後の人生の設計図を描くのに支障はなさそうだ。
 将棋は好きだが、敗北は大嫌いだ。トーナメントプロである以上、必ず敗北が付きまとう。その腸がちぎれるような悔しさからも、永遠に解き放たれる。子供の頃のような、純粋な気持ちで将棋と向き合えるようになる。
 それに引退すれば、出張することもほとんどなくなるだろう。産後で何かと大変な妻と、生まれたばかりの我が子とずっといられる。勝負師ではなく、一家の大黒柱として、父親としての生活に専念するのもいいではないか……。
「うん、ここまで来たら、自分の将棋を指すことを大事にするよ」
「その意気その意気」
 大熊は自室に戻り、パソコンでニッコリ動画にアクセスした。
 あと一ヶ月足らずで、電将戦ファイナルが開催される。これに参戦する五人の棋士たちのドキュメント動画を見るのが、ここのところの楽しみだった。
 今回のプロチーム側は、いずれも二十代から三十代前半の、勝率に優れた若手棋士で結成されている。過去の電将戦では、コンピューター将棋に対する心構えが明らかに足りなかった。とうに盛りを過ぎたベテランや、そもそも将棋ソフトと普段は縁がないという者まで含まれていた。そして惨敗した。
 ファイナルということで、連盟は人選を練りに練った。コンピューター将棋に抵抗がなく、電将戦のために多くの研究時間を費やす覚悟がある者。それが今回の五人だ。もちろん部外者の大熊には、具体的にどういった研究が行われているかなど、知る由もないが。
 いずれにせよ、たまたま勝ち星を集めたフリークラス棋士のことなど、もうニュースにならなくていい。もっと若くて才能豊かな若者を取り上げるべきだ。大熊はほとんど顔も合わせたことがない後輩たちに、心の中でエールを送った。

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