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■3

 なぜ男は巨乳に惹かれるのか。
 宇宙に到達し、物質の最小単位・素粒子まで観察するようになった人類が、そんなシンプルな問いになかなか答えを出せないでいる。それらしい説はいくつか提示されているが、もちろん来是にとって小難しい理由はどうでもいい。
 今、目の前に憧れの先輩がいる。
 制服を押し上げる豊かすぎるバストを見せつけながら、聖母のように優しく将棋を教えてくれている。ただその現実だけでよかった。
 彼女が後ろに回ると、わざとなのか無意識なのか、温かい膨らみが背中に当たった。
「春張くん……教えてほしいことは他にありますか?」
 もしかして、将棋以上のことを教えてくれるつもりなのだろうか?
 幸せだった。こんな幸せは他にない!
「むふふ、先輩、俺にもっとあれやこれやのご指導を……!」
 そう口にした途端、頭を思いっきりはたかれた。
「寝ぼけていないで、早く起きなさい!」
「ぬわ?」
 ひやっとした空気を感じると同時に、自分は夢を見ていたのだと気づかされた。
 乾燥してよく開かない目に、柔らかい朝の陽差しが飛び込んでくる。
 とりあえず状況を把握した。勢いよく剥ぎ取られた毛布は床に落ち、そこに腕組みをして仁王立ちする依恋がいる。
「お前、なんで」
「起こしに来てあげたのよ。感謝しなさい」
 はあ、と頭を掻く。幼馴染が起こしに来る……漫画やアニメではよくあるシチュエーションだが、まさか自分が体験することになろうとは。
「どういう風の吹き回しだ?」
「別に」
「別にって何だよ」
「いいからさっさと顔を洗って、朝ごはんを済ませなさいよ。待っててあげるから」
 言うだけ言って、依恋は部屋を出て行った。
「ったく、ますますわけわからないな」
 どうも入学式以降、依恋の言動が微妙に変化している気がする。自分に対して偉そうなのは変わらないが、接触の仕方がストレートになってきている。
 一緒の部活に入ったり、部屋に上がり込んで起こしに来たり……。そんなことをする理由は、さっぱりわからなかった。
 支度を手早く済ませて、来是は家を出た。依恋は本当に律義に待っていて、歩き出す彼の隣に静かに並ぶ。
「依恋は昨日、どうしてた?」
「このパーフェクトなボディを磨くので忙しかったわ。ジムのランニングマシンで五キロも走っちゃった。その帰りにマッサージ屋に寄ってね」
「高一でそんなことしてるの、お前くらいのもんだろうな」
「そういう来是は……」
「初心者向けの将棋の本を買ったりしてさ、基礎の基礎からみっちり勉強してるんだよ。将棋盤はないけど、パソコンでも並べられるから特には困らない感じ」
 ふうん、と依恋は無表情だ。
「あんた、すっかり将棋にハマっちゃったのね」
「ああ。俺もようやく、夢中になれるものが見つかったんだ。人間、その気になれば簡単に変われるものなんだなあと実感してるよ」
 変な名前がイヤだといじけていた自分は、もうどこにもいない。
 むしろ春張来是というこの名前は、とても和風で将棋指しらしいではないか。そう考えると、両親に感謝さえしたくなるのだ。
「……紗津姫さんがいなかったら、見向きもしなかったんでしょ」
「そうだな。神薙先輩のおかげだ」
 来是は胸を張り、喜びを前面に押し出した。
「でも、なんだってそういうもんだろ。野球のホームラン王を見て、自分もやりたくなったとか。あと人気漫画に影響されたとか。俺にとっては神薙先輩が、目指したくなる、近づきたくなる光のようなものに映ったんだ」
「下心があるくせに! い、いつかあの巨乳をものにしたいとか思ってるくせに!」
「んー、別にそれくらい、いいだろ? この気持ち、女のお前にはわかるまい」
「変に堂々とするな、バカ!」
 なぜ怒られなければならないのか、やっぱり来是は理解できなかった。