日韓問題(初心者向け)

韓国社会では他者との違い=優劣という構図が存在する

2016/03/16 22:50 投稿

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さて、本日は前々回に書いた韓国人のアイデンティティー問題に関する内容の再々考察となります。
先週から過去記事なども読み返しながら改めて考えてみた結果、以前のものとは結論や解釈が少々変わっているものがあります、その点だけご了承ください。


以前の記事で、韓国では「違い」ではなく「優劣」でのみ自他を区分けしそれをアイデンティティーとしていると書いたわけだが、この解釈を少し変更し韓国では「違い=優劣」としていると考えると、様々な事柄に矛盾が無くなる。


本来私達の常識では、違いとは「優劣」以外にも個性や個体差という違いがあるわけだが、韓国ではこの部分が非常に軽視される傾向にあり、恐らく彼らは個性や個体としての違いという物を殆ど考慮していない。


そして個としての差異を認識しないまま優劣のみで世界を見るため、世界中全てが同じ価値基準で動いているように見え、また決して揺るがない普遍的な「正しさ」が存在しているとの認識が出来上がり、更に大抵の場合彼らは自らの序列構築のために「他所の評価」を基準にするため、一見揺ぎ無くそして不安定な社会を構築している。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはウェブアーカイブやウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:韓国起源説に見られる特徴


まずは以下の記事から


[さじを入る前](1)日本模倣文化と韓国複写文化
慶南道民日報 2008/2/14
http://www.idomin.com/news/articleView.html?idxno=244655

この前日本のTVで‘韓国の模倣文化'に対して放送したことがある。この放送で紹介されたのは 日本を模倣した韓国製品の中でスナック類、漫画、接着剤などだった。リポーターが模倣製品を 紹介する間、司会者の二人は何がそんなに面白いのか身体を反らしながら声を出して笑う。

実は模倣文化は韓国文化ではなく日本の文化だ。日本文化をよく模倣文化、混合文化と呼ぶが、 日本語で‘勉強する’という意味である‘学ぶ(學ぶ)’は真似る、模倣するという意味の‘真似する (眞似する)’とその言葉の語源が同じだ。

日本は外来文化を受け入れるのに馴染んでいる。この言葉はつまり日本は日本自体の文化が 無いという話になる。文化創造の歴史的資源が無い日本の模倣文化は日本の生存そのものだ。 日本は日本文化の形成に多くの影響を与えた国に中国を指し示したいだろうが、韓国が絶対的で その次が中国、ヨーロッパなどだ。

筆者は食生活文化を研究する者で、まず食生活文化に関係した韓国の食べ物が日本食化したことだけを例に挙げてみる。 第一、韓国の食べ物パプシッケを模倣したスシ(壽司:すうし)だ。1700〜1800年頃寿司が最初に 開発されて日本の代表的食べ物であるハコスシ(箱すし:サンジャチョパプ)が創造された。


上記は寿司の韓国起源説なのですが、その行動原理は日本人に「韓国はパクリをしている」と指摘された(劣等性の指摘)からであり、典型的な「他者の劣等性で自己の劣等性を打ち消す※」行為です。
(※韓国人によく見られる、他者の劣等性をこじ付けでも曲解でも何でも良いので見つけ出し相対化することで、自身の問題点を相殺し相手の問題に摩り替える行為)


そして韓国起源説としてこの記事を説明するのならば「それだけ」でいいのですが、今回重要となるのはそこではなく、実は90年代まで韓国では生魚を食べる習慣を「野蛮な行為」としており、寿司というのは韓国において「日本の劣等性」を証明する典型的な事例だったことです。


しかし、90年代以降次第に国際社会で寿司や刺身が受け入れられるようになると、彼らの認識では世界的に受け入れられている=優れている、世界的に受け入れられているものを劣等としている=自分達が劣等となってしまい不都合が発生します。


そこで彼らは過去を改変し「元々寿司も刺身も自分達は食べていたのだ、だから優れているのだ」という事にし、また上記記事のように起源を主張する事で、寿司を日本に教えてやった(韓国的価値観では日本の劣等性の証明)として、自らの優越性を証明しようとします。


またこれと同じでさらに典型的な事例として、忍者に対する韓国起源説があります。
これなのですが、過去アメリカで「ニンジャアサシン」という映画が上映された時、その出演者であった韓国の芸能人が「私たちには韓国の忍者がありますが、日本とは非常に異なっています、韓国では伝統的な武術体系の一種です。」とコメントしています。


(※1)
Rain stars in Ninja Assassin CRAVE Sep 18th, 2008


そしてこの起源主張のなかで「忍者を武術体系の一種」としている主張なのですが、これは以前も紹介したことがある、偽忍者団体「A.S.C.A.M Nin-Jutsu」という詐欺団体の主張です。


参照
「Japan Expoに寄生しないで独自のコリアエキスポやればいいのに」→過去にやった事があります






このA.S.C.A.M Nin-Jutsuという団体なのですが、上記画像を見ると「地下足袋」を履いているのが解ります。
そしてこの事が重要なのですが、韓国では日本人への蔑称として公共放送などでも頻繁に使われる「チョッパリ」という単語があるのですが、これは直訳すると「豚の足」という意味です。


この単語は、日本の足袋をみて彼等が「豚の足のようだ」とつけた蔑称であり、この事から併合前まで朝鮮には足袋や足袋に類する物が存在していなかった事が解ります。


ではなぜ彼等がそんな足袋を起源主張で使っているのかといえば、一時期フランスを中心に地下足袋がファッションとして流行った事があるからです。
つまり、他所で流行ったものを劣等なものとしてしまうと、彼らの中で自身が劣等となってしまうので、過去の経緯を書き換え「昔から朝鮮にも足袋があったこと」にしてしまったのです。


上記2つの事例で共通している事として、彼らの中では自己の優劣の基準が外からの優劣の基準よりも下位に位置しており、外国との間に「違い」が発生した場合に彼らは外の基準を取り入れて「優劣の再構築」と「歴史の再編」を行い自らの優越性を保とうとするという事です。
(特に韓国人は白人を自分達よりも上位とする傾向が見られるので、このように顕著な反応となります)


つまりアイデンティティー構築が序列と=であると同時に、その判断基準は常に自己よりも外の基準が優越して序列を構築しているのです。


2:「デザイン」に見られる特徴


次に韓国におけるキャラクターなどのデザインについてなのですが、これにもある種の特徴があり、その大部分が「日本のデザインの特徴とそっくり」なのです。


これは単にパクっているという事では無く、たとえば他国の人が「日本風のキャラクター」などを描いたとしても、大抵の場合どこかしらその国の文化的背景に根ざした独自の絵柄となるわけですが、韓国の場合は殆どの事例でそれがなく、デザインの傾向も画風も全て「日本風」なのです。


例えば最近、韓国の聯合ニュースで韓国のオンラインゲームが日本でヒットしたという記事があったのですが、そこで紹介されている画像が以下です。


韓国オンラインゲーム「セブンナイツ」 日本でヒット 聯合ニュース 2016/03/15




「韓国らしい」と呼べるものがどこにもなく、日本のバナー広告などでよく見かけるような絵柄です。


また最近韓国の中央日報に、「日本のクマモンはキャラクターとして莫大なお金を稼いでいるのに、韓国のキャラクター商品はまるで市場を形成できていない」とする記事が掲載されました。


「くまモン」は年1兆ウォン稼ぐが、ソウル「ヘチ」は20万ウォンも稼げず 中央日報 2016年03月11日




上記は記事にあるソウル市のマスコット『ヘチ』ですが、これも「日本のどこかでありそう」なデザインであり、韓国らしさというものが何も見えてきません。


これらは相当に不自然です。
例えば、日本の現代アニメ・漫画の基盤を作ったとされている手塚治氏の場合、元はディズニーアニメの影響を強く受けており、本人もその事を認めていたのですが、そこから始まった彼の画風や日本のアニメや漫画はその後独自の進化をしていき、現在の「日本風の絵柄」が誕生しました。


韓国の場合、「マジンガーZのパクリ」であるテコンVの頃から、単なるパクリというだけではなくデザインや画風そのものの日本の後追い・模倣があったのですが、それから40年以上経った現在までずっと「その時代その時代の日本の流行の絵柄」の後追いを続けており、独自の絵柄の構築が行われていないのです。


これは何年か前に韓国の漫画やアニメに詳しい方から聞いた話なのですが、個人で描いている人からプロまで、中には「独特の画風」の人もいるようなのですが、そういう絵柄は根本的に「韓国人が評価しない」のだそうです。


ここからも、彼らの評価基準が自己になく全て「外側」にあるという事が解ると同時に、自他の違いを優劣としか認識しない傾向の強い韓国だからこその現象であるとわかります。
恐らく彼らにとっては、場合によっては個性すら優劣の範疇と判断されるのでしょう。


だからこそ彼らの判断基準である「正しさの上位に位置するデザイン」から外れたもの、つまり個性のある絵柄は劣等と判断され評価されないわけです。
そして実は、「個性を認めろ」との指摘は以前から何度も外国人が韓国人にしている事なのですが、価値観の違いからなのかまるで指摘が反映される傾向がありません。


「韓国、デザイン技術は世界的水準だが独特の特徴がない」 中央日報 2015年09月22日


3:「違い」=「優劣」と判断される社会


今回書いてきたように、私達が自他の違い=「個性」「個体差」から導き出すアイデンティティーを、韓国人の多くは違い=優劣と判断しアイデンティティーとしており、更にその優劣を決める判断基準に関しては、大抵の場合「韓国の外」の基準が使われます。


その結果何が起きるのかといえば、例えばミシュランガイドを巡る以下の記事が解りやすいです。


【噴水台】「ミシュランの星の呪い」=韓国 中央日報 2016年03月14日


この記事には以下のようなフレーズがあります。


>星がついたレストランが最も多いところがよりによって東京だ。昨年は226店で、パリ(94店)やニューヨーク(73店)に比べてはるかに多かった。ソウルの星がついたレストランが東京より少なければ韓国料理に対する評価はどうなるだろうか。


日本人の価値観で考えた場合、例えば日本より星の数が多い国があったとしても、それで和食の評価がさがるわけではないですし、なによりミシュランガイドで星をもらえなければ和食に価値がなくなるわけではありません。
恐らく多くの人は、「星のある店は美味しい店なのだ」程度の認識であり、他所との比較などしないでしょう。


そして「なぜ」そう考えるのかといえば、和食に対する独自の評価基準が自身の中に存在しており、ミシュランガイドはあくまで評価基準の参考でしかないからです。
この「他所は他所、自分は自分」との考え方は、要するに他者との比較によって違いを「個性」「個体差」と考え、違いがある事を許容するアイデンティティー構築がされているからです。


しかし韓国の場合は違います。
違いとは=優劣の事であるので、ミシュランガイドで東京よりも星が少ないという事は、彼らの基準で「東京よりも劣っている」という事のみが評価基準となります。


ですからミシュランから星を貰った店、つまりミシュランから評価された店がいくつあろうと、「星の数」が日本より低ければ価値が下がってしまうのです。
違いを優劣と認識するため、常に「正解」を求めるとも表現する事ができます。


またこの傾向は韓国の子供たちの間でも特徴的な自己判断基準を作り出しており、イギリスの慈善団体ザ・チルドレンズ・ソサエティが、世界15カ国で10歳~12歳の子供に学校生活の満足度や自身の外見への満足度を調査したところ、どちらも韓国が最下位になったそうです。


韓国の子どもは世界一不幸、学校にも外見にも満足できず Record China 2015年8月19日


これも要するに違いを優劣と判断し、外見などに「(自己評価の外側にある基準によって)正解」を求めるため満足度が極めて低くなる傾向にあるのでしょう。


またこれは「成人の幸福度」でも同じような傾向が出ており、ギャラップ社の調査によると韓国の成人の幸福指数は100点満点で59点、調査対象143カ国の中で118位というきわめて低い結果であり、その事を中央日報はあらゆる事柄を他人と比較したがるからであり、比較し続ける事で社会に対する不満やストレスがたまっていくとしています。


【コラム】韓国の成人の「幸福指数」はいくらだろうか 中央日報 2015年08月04日
【コラム】幸福も競争する時代=韓国 中央日報 2015年07月20日


これも要するに、単に比較しているだけではなく「違い=優劣」として他者と比較するため、無用な劣等感や優越感を持つ事になり、それが「自分は幸福ではない」という認識に繋がっているだろう事が解ります。
そしてこの事例においても、自己の判断基準が「自身の外にある」という特徴があります。


このように、韓国では他者との比較が非常に重要であると同時に、その比較において違い=優劣という構図が存在し、そこから「優劣」を探し出しアイデンティティーとしているという背景が見えてきます。


そして恐らく、蔑視ありきの自民族中心主義というのは、この「自身の外にある評価基準」に相手の劣等性を見つけ出し当てはめることで、自己の優越性=韓国的アイデンティティーを確立しようとする反応なのではないでしょうか。


当然のことですが、一般的な日本人がこのような違い=優劣としている社会と交流をしても、それが集団になればなるほどトラブルばかりが発生する事になります。
同じ物事を見ていても見え方が全く違う上に、双方とも意図せず相手を侮辱する可能性が極めて高いからです。





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以下は当ブロマガのお勧め記事マイリストです、もしよかったらこちらもどうぞ。










(※1)
Rain stars in Ninja Assassin
CRAVE Sep 18th, 2008
http://www.craveonline.com/site/150202-rain-stars-in-ninja-assassin

(一部抜粋)
Q:忍者は日本の文化ですが、韓国に忍者はありますか?

rain:はい、私たちには韓国の忍者がありますが、日本とは非常に異なっています、韓国では伝統的な武術体系の一種です。

コメント

sevenpick
No.37 (2016/03/19 20:48)
欧米諸国は韓国と境を接していないから利害関係が少なく、韓国も比較的素直に白人文化を優れたものとして受け入れた。
しかし日本や中国を含むアジア諸国は韓国と距離が近すぎ、利害やシガラミが多いのでお互いに感情的になりやすい。
日本が戦争でも経済競争でもアジアの中で圧倒的に強い地位を維持できていれば、韓国も大人しく尻尾を振ってなついていただろうけれど、残念ながら日本は常勝国家ではいられなかった。

強い相手には媚びへつらい、弱い相手は容赦なく餌食にするのがあの半島の人々の処世術。ぼやぼやしていたらすぐに異民族に征服されてしまうような歴史を経てきたのだから、ある意味仕方ないのかもしれない。
食うか食われるかの中で生きているから、優劣をはっきりさせなければ相手との間合いが保てない。

そういう意味では、今の日本は強いのか弱いのか、韓国側も決めあぐねている。だから政府の対日外交は迷走する。民間も日本への憧憬を素直に表現できず、起源主張というねじけた表現をとる。日本がそれを許してきたからますます増長する。日本の曖昧な態度が日韓関係を複雑化させてきた。
―とはいうものの、戦後の日本は平和と調和を愛する民主国家なのだから、できることは少なかったと思う。
box
No.38 (2016/03/19 21:54)
 「違い」と「優劣」の問題は、過去の「韓国では序列が全て」の要約を人間関係以外に拡大させたように感じです。
「2015-12 韓国では序列が全て」の要約 韓国社会は序列が全てあり、「どちらが上か下か」で人間関係などの全てが決まる。
 今回の記事で特に「3:「違い」=「優劣」と判断される社会」を見て、我が意を得たりと感じました。
 長文失礼。読み飛ばしてかまいません。
「今年も続くソメイヨシノ韓国起源説」にて「序列のモノサシ」なる仮説を出しましたが、もともと「序列のモノサシ」は、ある漫画の日本しか基準のないモノサシに、何が何所にあるのかを考えたのが原型です。多くの場所や大口さんにも影響されてますしツッコミもいただきました(笑)
 万有引力の法則が惑星の動きを近似しながら水星の近日点移動を解消できないように、朝鮮人の行動をすべて説明できないが大体このくらいと近似して思考するくらいは出来るのではない... 全文表示
むゆん
No.39 (2016/03/20 00:04)
>>22
もちろんアイデンティティは経験や他人との付き合いで変わっていくもので、確立したと言っても全く揺るぎもしないようなものではないです。
ただ、普通はしなやかに徐々に変化していくもので、スクラップ&ビルドと表現されるようなものではないでしょう。それでは昨日と今日で急に言うことが変わるような信用のおけない人間になるだけです。
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