furufuruos@n のコメント

furufuruos@n
No.17 (2016/03/09 22:11)
コラム拝読させていただきました。以下に感想と私見を。

本コラムを読んで、おそらく多くの人が引っ掛かったであろうし、わたしも引っかかった2つのキーワードについて、
以下に私なりの解釈・推論を述べたいと思います。
キーワードは
1.「自身の行いが考慮されない(軽視される)」
2.「イメージの上書き活動」
です。

まず、1.から。
なぜ、「自身の行動が軽視されるべき」と考えてしまうのか、ですが、かれらの中で「行動(action)」がすでに「反応(re-action)」化されてしまっている可能性があるのでは、と最初に考えました。それも「負のイメージ付き」で。
それが仮に正しければ、「行動しない」とか、「行動することに消極的」なことにちょうどいい「言い訳」ができます。
理屈は……、「朱子学」の「大極星」あたりから持ってくれば、伝統的に都合がよいかもしれません。「不動」ってかっこいいからね。

そもそも、かの国の社会は「劣等性」に基づく「批難」であふれており、「行動」は、その「批難」に対する「対応(re-action)」である場合が多そうです。
となれば、かの国では「行動」に『「劣等性」に基づく「批難」』が付着してしまい、「行動をとること」に「嫌子(マイナスイメージの因子)」がついてしまっているのではないでしょうか?
「自発的行動」ですらも、そうした余波をかぶって「悪印象」がついているかもしれません。
だから、「行動」の価値が低いのでしょう。「行動」に慎重であることが、ある意味かの国での美徳なのかもしれません。
わたしから見ると、かれらはむしろ、「行動に怠惰」であるように見えるのですが、かれらにとってはそれも「慎重」の一種なのかもしれません。

次に2.の「イメージの上書き活動」について、ですが、心理学において大きな発見をした、「メラニー・クライン」という方がいます。彼女は人間の心理に関して、二つの有名な考察をしています。一つは、「投影性同一視」、一つは「償い」という概念です。
「イメージの上書き活動」の件について、確言としていえるわけではないのですが、わたしの直観では、どうも、「躁的償い」をしているのか、もしくは「代償(補償)」に似た行動の、いずれかをしているような気がしてなりません。
断言を避ける理由としては、かれらの「その行動」に結びついている「感情」が今一つ見えてこないからです。それも、どちらかというと「本能に近い側の感情」です。
物事に直面して、直接事態の原因に触れて、それを正すことが「解決」なのですが、それができない時、「ごまかし」の一種としての「行動」を人間は必ず取ります。
「面倒だから」などといった理由は、実は後付けの可能性があります。実際は「困難」「解決不能」「立場上不能」等の要素を、そう表現するときもありますから。

と、まあ、中途半端な形で申し訳ないですが、少し真面目に推測をしてみました。前に大口さんにご指摘していただいたように、間違っていると思う場合はどんどん突っ込んでいただいて構いません。間違っていると分かることも、おそらく私にとって勉強ですし、より正しい状況把握に近づけるなら、それでよいのですから。

以上、長文失礼いたしました。

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