日韓問題(初心者向け)

韓国人の日本観

2021/06/24 00:15 投稿

コメント:22

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さて、本日はタイトルにもあるように、韓国人にとっての日本観がどんなものかについて書いていきます。

初めて来られた方はまずこちらを先に読む事をお勧めします。

ブロマガ『日韓問題(初心者向け)』を始めた理由
はてなブロブ版
https://oogchib.hateblo.jp/entry/ar892003


注意
・このブロマガは「日韓の価値観の違い」を初心者向けに扱っています

・当ブロマガのスタンスは「価値観に善悪や優劣は存在しない」というものです

・相手が不法を働いているからと、こちらが不法をして良い理由にはなりません

・自身の常識が相手にとっても常識とは限りません、「他者がそれを見たらど
う思うか」という客観性を常に持ちましょう

・日常生活で注意する程度には言動に注意を心がけてください


2021年10月以降のメインとなる引っ越し先のはてなブログ
日韓問題(初心者向け)
https://oogchib.hateblo.jp/

現在も続く様々な日韓の間の問題に関して、問題が悪化する原因には彼ら独特の価値観のみではなく、その価値観に基づく「日本観」が大きく関係しており、これがあるため話が全くかみ合わないという背景もある。


たとえば、彼らは小中華思想に基づき、「日本という国は自分達が作った」「日本人には韓国人に対する歴史的コンプレックスがある」という認識があり、その前提で彼らは「日本人の行動原理」を想定するため、日本人の問題認識とは全く異なる結論になっている場合が多い。


こうした背景があるので、日本人の持つ問題認識と韓国人の持つ問題認識には大幅な「ズレ」が発生することが多く、これが問題の解決を妨げる原因となっており、問題認識の前提そのものがかみ合わないことが多い。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブやウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:次々と発生する問題


まずはこちらの記事から

韓日外交当局「未来志向の発展が重要」 独島など懸案では平行線
聯合ニュース 2021.06.22
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210622000400882

【ソウル聯合ニュース】韓国外交部によると、李相烈(イ・サンリョル)同部アジア太平洋局長が21日午後にソウルの外交部で日本外務省の船越健裕アジア大洋州局長と局長協議を行った。両局長は韓日関係の安定的で未来志向的な発展が北東アジアをはじめとする世界の平和と安定・繁栄において重要との認識で一致したという。だが、日本が東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の公式ホームページの日本地図に独島を表示した問題や日本による植民地時代の強制徴用と旧日本軍慰安婦被害者の賠償判決など、韓日間に横たわる主な懸案については溝を埋められなかったもようだ。

 韓日間の懸案に関し、両国は以前に合意した通り今後も外交当局間で引き続き緊密にコミュニケーションを取りながら協議していくことを申し合わせたと、外交部は伝えた。

 李氏は徴用と慰安婦被害者問題に対する韓国政府の立場を改めて説明し、日本が誠意を示すことが必要だと強調。また、独島を巡る問題、東京電力福島第1原子力発電所の処理済み汚染水の扱い、強制労働が行われた施設を含む国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の歴史説明などについても韓国側の確固たる認識と懸念を伝えた。これに対し船越氏は、日本政府の立場を説明したという。

 これらの懸案では接点を見いだせず、各自の立場の説明にとどまったようだ。2時間余りの協議の後、両局長は場所を移して夕食を取りながらさらに2時間ほど話し合ったとされる。

 韓日外交当局の局長協議は、東京で4月1日に開催されて以来。

 一方、韓日はこの日、北朝鮮問題の担当高官による協議も行った。韓国外交部の魯圭悳(ノ・ギュドク)朝鮮半島平和交渉本部長は冒頭発言で、「東京五輪の成功を期待しながら、朝鮮半島と地域の安定をどう管理するかに対しても意見を交わしたい」とした。船越氏は、韓米日の協力だけでなく韓日協力が域内平和と安定、とりわけ北朝鮮問題を扱う上で欠かせないと述べた。

記事では、先日6月21日に開かれた日韓局長級会談について書かれているのですが、問題があることを認識しながら、双方の意見が全くかみ合わず平行線に終わったという事が書かれています。


また次の事例では


韓国国立外交院院長「日本の韓日首脳会談の先決条件、極めて外交的無礼」 ⓒ 中央日報日本語版2021.06.15 11:36


先日のG7サミットに関連し、韓国側の首脳会談要求を日本側が「約束を守ることが先」と指摘し実現しなかった件に関して、韓国の外交部(外務省に相当)関連機関である国立外交院の院長が「1965年(の条約)をそのまま受け入れろ、慰安婦合意をそのまま受け入れろ、強制徴用で後退しろというこの3種類、これは完全に屈服を要求する極めて外交的無礼だ」と発言しています。


また次の事例は今年3月の記事なのですが


【グローバルアイ】韓日関係「管理」も「改善」だ ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.03.19 09:59


韓国側の会談要求に応じない日本の態度に対して記事では「低姿勢に映る行動が続き、高くなるのは日本の鼻っ柱だ。「具体的な解決策」を云々し、本来解決策を議論しに会おうという提案には理由もなくただ拒否するだけだ。何もせず結果だけを手に入れようとするようなものだ。」と書いています。


これらの事例なのですが、大筋では以前も何度か指摘した通り、日本と韓国で約束に対する考え方が大幅に異なっており、日本側は韓国側が「これまでしてきた約束」を反故にしたことを問題にしているが、韓国側は「より重要な事があるなら約束は反故にしてもいい」という考えがあるため、この認識の違いから齟齬が起きているというのが大筋の流れです。


過去記事
日本人と韓国人とでは「約束・契約」の概念が全く違う
はてなブロブ版
https://oogchib.hateblo.jp/entry/ar687902


しかし実際のところ、これだけならば他国とも条件が同じであるため、韓国は他国とも同じようなトラブルが頻発しているはずですが、ある程度トラブルはあっても日本と同程度にまで問題化した事例は実は少ないです。


つまり、日本と韓国との間には「価値観の問題」以外の要素もあるという事になります。

2:独特な対日観


そこで重要となるのが、彼ら独特の価値観、特に儒教朱子学に基づく「正しさ」の概念に根差した歴史観と対日観です。

※独特の正しさの概念

彼らの正しさの概念は独特であり、根拠を必要としない。
また「この世には最初から一つの正しさが存在する」と考えられており、自分はその正しさを常に選択していると考える傾向にある。

そして正しさ同士がぶつかった場合には、(曲解でも捏造でもその件と全く関係なくともなんでもいいので)相手の劣等性を指摘する事でそれを自己の正しさの担保とする。

また相手の劣等性を指摘した時点で自身が指摘された問題は相手の問題にすり替わる。


youtube版
https://youtu.be/PvEa1FjkkEw

関連記事
韓国社会では「記憶の改変」が起きているわけではない?
はてなブロブ版
https://oogchib.hateblo.jp/entry/ar1777164


これがなぜ重要かというと、例えばこちらの事例


(※1)
「百済人の魂こもったリミックス」ヤマハのストーリーテリング  ヘラルド経済(韓国語) 2021.06.18


記事としてはヤマハのゴルフ用品に関する内容なのですが、記事内で「日本の自尊心であり、心臓と呼ばれたほど象徴的だった。日本人は、このような美濃伝の名刀が、百済から渡ってきた刀鍛冶の後孫によって作られたということを隠したかった。月明かりひとつ差さない暗いある日、日本人刀工たちはその匠人を消すために集まった。」と書かれています。


一見するといつもの韓国起源説のように見えますが、この記事にはそれ以上の意味があります。


記事では「日本の自尊心」と彼らが称する日本刀は百済から伝わったものであるが、日本人はそれだと自尊心が傷つくため、その事実を隠したのだとしている部分です。


以前から書いているように、彼らの思考は小中華思想※に基いているため「日本の文化は全て朝鮮から伝わったものであるが、日本人はそのことが悔しく隠したがっているのだ」という認識なのです。

※小中華思想

元々は中華たる明を世界の中心とし、そのすぐ隣にある朝鮮を「文化の中心に近い文明国」とするエスノセントリズム的概念だったが、明の衰退・滅亡と清の建国、そして清に屈服させられた朝鮮は次第に「真の中華たる明が滅んだが、その継承者は自分達である」と考えるようになり、小中華思想も変質していった。



実態は、日本刀のルーツは7世紀頃より関東や東北、北海道などで使われていた蕨手刀であり、そこから毛抜き型蕨手刀、毛抜き型刀、太刀、打刀と変化していった歴史があり百済は一切関係ないのですが、彼らの中では上記のような認識なのです。

※この辺りは論点のすり替え多発ポイントであるため注釈を入れておきます

韓国人達は「日本人はオリジナルの文化を作れない」という前提で思考するため、「百済から打刀が伝わった」と想定しています。
一部で蕨手刀と日本刀の繋がりを疑問視する主張があるのは事実ですが、こうした背景があるのでそのことは韓国起源説と全くの無関係です。



また次の事例では


(※2)
<寄稿>日本の文物は百済が伝播したこと 釜山経済新聞(韓国語) 2020-09-14


もっとストレートに、「文字もなく衣服もない原始生活をする原住民世界に文字や各種の技術、馬など高度な先進文化を持つ百済の大移住集団が日本列島に上陸したとすれば、当然この集団から統治者である王や天皇が出なければならない。」と、日本の文明の起源や皇室の起源を主張しています。


そして次の事例が興味深く、記事では源頼光朝鮮系説※という起源主張や、桓武天皇の生母の出自※の曲解などを利用し

※源義光朝鮮系説

義光は新羅三郎という別名があり、これは現滋賀県大津市にある園城寺内の新羅明神で元服したためなのだが、これを韓国人達は「新羅三郎とは新羅の官職」等と曲解、天皇起源説などと結びつき、侍の起源や大東流合気柔術などの起源主張に利用されている。


※桓武天皇の生母

桓武天皇の生母は高野新笠という人物だが、この9代前が百済の武寧王であるとする説がある。
ただし、実際に祖先が百済の王族であったかは歴史上確定しておらず、韓国人はこれを曲解し「百済人が日本に渡って天皇となった」と主張している。




(※3)
“最初の室町幕府…700年間無人政治”[ワールド レビュー]遠くて近い国‘日本’(第5部)
ソウル日報(韓国語) 020.11.19
http://www.seoulilbo.com/news/articleView.html?idxno=444986


新羅と百済の人々が日本に渡り源氏と平家となり、朝鮮系の皇室と武家が日本を支配していたとしています。


そのうえで、皇族とは関係のない下級武士たちが明治維新を起こし西洋を真似て近代化し、後に侵略に邁進していったと言ったことが書かれています。


こうした事例からも解る事ですが、現代の韓国人達の歴史観では「日本に文明を与え国を作ったのは自分達である」という認識であり、また「その事実を自尊心が傷つくため受け入れられない日本人」が朝鮮を侵略し、また現在も「正しい歴史」を受け入れないのはこの嫉妬心からだという認識があります。


こうした考え方は、韓国的価値観である「恨」を前提としており、彼らの中で日本人は「恨から正しい歴史を受け入れられないのだ」という解釈になっているわけです。

※恨(ハン)とは

あくまで個人的な見解となるが、「主観的な正しさ」を絶対視する韓国社会において、この主観的正しさが相手や社会から受け入れられない場合に、彼らが感じる理不尽さを根底として、そこから派生する様々な感情の総称。

また恨には「解消」という概念があるが、これは完全に恨が消失するものではなく、「一過性」のものでしかない。

韓国人の中にある「主観的正しさ」と「恨(ハン)」
はてなブロブ版
https://oogchib.hateblo.jp/entry/ar843226


youtube版
https://youtu.be/Rfk2R4lLOuw

つまり韓国人達の日本観では、日本人は「日本という国を韓国人が作ったことを知っているが、そこに恨を感じて自尊心が傷つくため『正しい歴史認識』をもつことができず、韓国に反発している」という事になっているわけです。


3:話がかみ合わない


今回書いたように、彼らはその独特の価値観をベースとした歴史観を持っており、そこから派生した日本観で日本を見ています。


ですので、彼らの言う「日本人は正しい歴史を知らない」とは、その言葉以上の意味があり、「日本人は文明を教え国を作った親である韓国人という正しい歴史を認められず、だから歴史を書き換えるために半島を度々侵略しようとするのだ」という前提が存在するのです。


これが価値観以外でも日本と韓国の間で全く話がかみ合わない原因の一つです。
そしてこの前提で以下の記事を読んでみると、印象がかなり変わってきます。


日本は「感情に流される国」になりたいのか ハンギョレ新聞 2021-06-16


記事では、日本は韓国を「常に感情に流される国」「自分がした約束を守らない国」「支持率回復のために反日感情に依存する国」という上から目線で見下す傾向にあり、文政権が融和的態度を取ってもそれが変わらないとしています。


また、日本側の「約束を守れ」という主張を「日本人の小さな妄言」と認識しており、「融和的な文政権に対して感情的な拒絶をする」「(慰安婦問題を記憶し、後世に教育するという河野談話の)約束を守らない日本」という認識があるとしています。


後半の件に少し注釈を入れると、韓国側では河野談話を「日本が韓国側の慰安婦の定義(軍や国の命令で軍人や官憲が行った拉致)を認めた」という事になっており、にもかかわらず日本はその約束を破ったという事になっているため、こうした発想になります。


他にも彼ら独特の価値観から、自身が指摘された「劣等性」を相手に転嫁するという特徴も関係していますが。

※蔑視ありきの自民族中心主義

韓国の自民族中心主義(エスノセントリズム)は非常に特殊であり、通常の自民族中心主義が自己の優越性の肥大化から異民族や異人種を蔑視するようになるのに対し、彼らの価値観では「他者を蔑視する事で自己の優越性を証明する」通常とは逆のプロセスになっている。

韓国人が日本人から嫌われる根本的原因
はてなブログ版
https://oogchib.hateblo.jp/entry/ar547023


youtube版
https://youtu.be/StPglNFdHxE

関連記事
韓国社会では「記憶の改変」が起きているわけではない?
はてなブロブ版
https://oogchib.hateblo.jp/entry/ar1777164


また次の記事では


日本に手を差し出したが背を向けた…文大統領側近「小児病的」「癖を直さなければ」 ⓒ 中央日報/中央日報日本語版2021.06.17 14:36


日本がG7で首脳会談の約束を破ったとしており、与党議員が「韓国と会うよりも韓国叩きが政治的利益ではないかと判断したようだ」「日本のやることがふさわしくなく小児病的だとしても、度量が大きく大胆に先に手を差し出したほうが勝つ」と「わがままな日本に我々が大人の態度を示そう」といったと書かれています。


この2つの事例に関しては、元々彼らの価値観では「約束を守る」という事が重視されない事もあり、日本側が「韓国が約束を守らない」と反発している事そのものが理解できず、「約束云々は(韓国への劣等感から正しい歴史を認めたくない日本人の感情を隠す)口実に過ぎない」と発想し、「我々は日本側のわがままに対しただ怒るのではなく、余裕を持った度量の大きな態度で日本に手を差し伸べよう」と言っているわけです。


そしてそのうえで、先ほどの「日本は韓国に恨を感じており、だから正しい歴史を認められないのだ」という発想になり、それが上記2つのような日本人からは「なぜそういった発想になるのか」が理解できない反応となるというわけです。


そしてだからこそ彼らは、「日本の態度を正している」という発想なのです。
彼らからしてみれば、嫉妬心から正しい歴史を認める事ができず、言い訳がましく「約束を守れ」という口実で難癖をつけてきている、日本がそう見えているのです。


彼らが日本の「約束を守れ」という主張を「失礼だ」と認識するのにはこうした背景があります。
だから話をしても一切噛み合わず、何をしても平行線になるというわけです。



お知らせ。
引用について
・個人の利用であれば「引用」の範囲での転載は自由にしてもらってかまいません、報告も必要ありません。
・企業・団体等の場合は必ず私の方へ事前連絡いただき、許可を取ってから行ってください。
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(※1)
「百済人の魂こもったリミックス」ヤマハのストーリーテリング
ヘラルド経済(韓国語) 2021.06.18
http://news.heraldcorp.com/sports/view.php?ud=202106181408169443705_1

[ヘラルド経済スポーツチーム]ヤマハゴルフを輸入するヤマハが、人気ブランド「リミックス」と関連した興味深いストーリーテリングを出した。日本の匠人が丹精込めて作るブランドだが、刀を作る人の由来と結びつけた点は興味を引く。

ヤマハ本社がある日本静岡県の浜松は、今は工業都市としてよく知られているが、地理的にかつて日本刀を製作した五大門派の中の一つで、日本初期の鉄製刀剣製作技術は百済から渡った刀鍛冶たちによって日本に伝わった。

リミックス製作で、大和伝は最も長い歴史を持つ。仏教文化が繁栄した国の時代(710~794)から製作が始まった。一直線の形をした刀で、主に戦闘をする僧侶のために作られた。相州伝の剣は、戦国時代(1467~1615)を経て、多くの大名や侍が愛用した。伝説の名人、相州政宗が登場する時期でもある。彼の手がけた剣はすべて国の名品だった。

五大門派のうち最も遅く現れた岐阜県の美濃伝は、室町時代(1336~1573)末期に大和(奈良県)から移住した刀鍛冶たちによって形成された。その中には百済から渡った実力が優れた刀工(刀を作る人)の子孫がいた。当時、最高の刀鍛冶と呼ばれた関野孫六に大きなインスピレーションを与えた刀剣製作の匠人でもあった。

美濃伝では、戦闘用刀を大量に生産するシステムを備え、ここで作られた刀剣は中国の明国に輸出されたこともある。岐阜県は、1500年代の武士たちの主な活動舞台として、数多くの日本刀がここで誕生したわけだ。500年以上を超える(26代目)間、家柄で代々刀を作ってきたケースもある。

日本では刀を作ることを、「神が降りた神聖な作業」と考える。石炭や薪がいたるところに置かれている作業場だが、注連縄を配置したり、ここで仕事する人たちは皆、真っ白な作業服を着ている。剣を作ることは神聖な仕事であるため、作業する間に浄潔な精神を保つためだ。

日本の自尊心であり、心臓と呼ばれたほど象徴的だった。日本人は、このような美濃伝の名刀が、百済から渡ってきた刀鍛冶の後孫によって作られたということを隠したかった。月明かりひとつ差さない暗いある日、日本人刀工たちはその匠人を消すために集まった。

匠人は、暗い作業場で最後の焼きなましをしていた。焼きなましは、刃が赤くなる様子を目で確認しながら作業するために、必ず暗い所でしなければならない。温度が800度を一気に超えると、刃に傷が残って剣を破棄しやすくなり、800度にならなければ、焼きなましがきちんと行われてない。温度計がなかったその時代、最上品の刀を作り出すために、800度を維持するということは、匠人の腕でなければ真似することすら難しい作業だった。

汗を流しながら、焼きなましをしていた匠人の後ろに、血気盛んな日本人刀工数名がゆっくり近づき始めた。すると、火の中をのぞき込んでいたその匠人は急に身を起こした。まるで、自身の死を予見していたかのように、身なりを整えると、目を閉じた。刀工たちが、振り回した刀は彼の首を切り、匠人の白い服は赤く染まった。

明くる日、この知らせを耳にした妻もまた静かに目を閉じた。頬の上に熱い涙が流れた。しばらくすると、彼女は懐の中の短剣(脇差)を取り出し、自決してしまった。この短剣は、彼女が二十歳になったばかりの頃、夫である刀工がプレゼントしたものだった。彼はなぜ、幼い妻に短剣をプレゼントしたのだろうか。もしかして、こんな時が来ることも予見していたのだろうか。

匠人と一緒に仕事していた幾人かの刀工は、血で染まった服と彼の妻が自決する時に使った短剣だけを持って、現在のヤマハ本社のある浜松地域まで避身した。そして、彼らは服と短剣を土に埋めた。数百年が流れた後、匠人とその妻の冤魂が眠っていた場所の上には、大規模な工業団地が建設された。皮肉にも、一時、中興期を享受した同工業団地内の工場は、2000年代に入り、多くが廃業し始めた。今や世界的な企業のヤマハやホンダ、スズキなどの大企業がその座を守っている。

この悲しい物語は、口伝として継がれてきて、偶然ヤマハクラブを制作する技術者の耳にも入った。彼は、「リミックス(RMX)020アイアン」を作る時、かつて聞いたこの話を思い出した。 直ちに、日本刀を作る特殊工法を適用した鍛造アイアンの製作を構想し始めた。

日本刀は、各門派の象徴がよく溶け込んでおり、その秘法は後孫にきちんと伝授され命脈を継いでいる。日本の侍が使っていた刀は、人の首を一気に切り落とすほどの切れ味を備えている。侍が死を迎える際にする儀式の割腹(ハラキリ)は、刀が鈍くならないように常に鋭さを維持した。

日本刀は、鉄を薄く叩いた後、布団を折り重ねるように畳んで再び叩く。そして、それをまたさらに半分に折って叩くことを繰り返す。鋼鉄と軟鉄を合わせたのが日本刀の特徴だ。硬いものだけにすると折れるので、やわらかいものを入れて折れないようにする。日本刀が何でも切れる鋭さを備えているが、同時に折れない理由にもなる。

日本刀の鋭利さと柔軟さが、ヤマハクラブにも溶け込めば良いという製作者の意志が投影されたのが、このリミックス鍛造アイアンだ。日本刀を作るときのように、焼き技法(=焼鈍法)で鉄に熱を加えてからゆっくり冷ます作業を繰り返しながら、その鋭さを増した。

ヤマハゴルフは、精密で打感に優れた鍛造アイアンを作り、どこの国のゴルファーよりも鍛造アイアンを愛する韓国人を思った。そして、感覚を重要視する韓国人のために、この特殊工法を適用した。まるで、韓国人の先祖であるその昔の刀工を礼遇するかのように。

フィールドで、リミックスアイアンでピンを攻略する度に、百済から渡った刀工とその後孫が血と汗で作りあげた日本刀を想像する。芝に入り込み、ヘッドが長くディボットの形を描きながら抜ける時、鋭く削られた芝が空中に泡沫を起こす。 まるで、匠人の魂が生きているようなやわらかな当りと空中に浮かぶ無数の芝生の破片は、何かを物語っている。

ヤマハゴルフの韓国エージェンシーであるオリエントゴルフが今年作ったリミックス広告も、このストーリーに着目して作られたものだ。上着を脱衣した筋肉質の男性がリミックスクラブを素早く振る姿は、まさに武士を連想させる。

戦場で剣は武士の命に等しい。フィールドでゴルファーにとって最高の武器はクラブだ。ゴルファーは1度のスイングで芝目に逆らって、風を切ってボールを真っ二つに切るような勢いで攻撃する。一刀で敵の心臓を貫く剣のその鋭さが、相手の気を抑える。心の中の剣を振り回すように苦難と困難、煩悩と恐怖に向き合う時、リミックスアイアン(剣)を持って一気に叩きのめす(斬る)ことができてこそ、武士の精神を感じることができる


(※2)
<寄稿>日本の文物は百済が伝播したこと
釜山経済新聞(韓国語) 2020-09-14
http://www.bseconomy.com/news/view.php?idx=36358

百済東城王の死で王位に上がった武寧王は蓋鹵王の息子であり昆支王の養子だ。462年、倭地にある奈良百済に行く途上にある各羅島で生まれ、名前は隆だ。生まれた後も続けて奈良百済で成長したので日本語で島またはサマと呼ばれた。それで彼を斯麻王とも言う。

これは倭地にもう一つの百済があったことが分る部分だ。それが奈良百済だ。奈良百済は近肖古王の時に建国されたが当時、近肖古王は大陸百済、韓半島百済、倭地の奈良百済の三地域を統治した大帝国の皇帝であった。

大陸と韓半島は距離が近いが倭地は大陸から遠く、当時は海上交通が発達していない時代で倭の奈良百済を自治的に統治する王を置いたが、これを天皇と呼び総督の様なものだった。サマは生まれるとすぐに生母とともに大陸百済に戻ったが、政治的状況が非常に不安で奈良百済にある昆支に再び送られた。

このように百済王室が王子を勝手に倭地の奈良百済に送ったり連れてきたりしたのは、奈良百済が百済が支配する領土だったからだ。百済は王子だけでなく、百済の文物を倭の奈良百済に伝達するために百済住民を大挙移住させた。403年(応神14年) 2月、百済の縫衣工女が奈良百済に渡り、これが日本列島で衣縫の元祖だ。

工女が一人で行ったわけではなく大移住集団の一員として行ったが、移住集団は日本列島全域120余りの県に散って暮らしながら百済の文物を伝播した。

当時、倭は衣服もない新天地島で、このような先進文化を持つ百済の大民族集団が移住した事実はすなわち百済が日本列島を開拓し、さらには日本列島全域を建設したことを立証する。

文字もなく衣服もない原始生活をする原住民世界に文字や各種の技術、馬など高度な先進文化を持つ百済の大移住集団が日本列島に上陸したとすれば、当然この集団から統治者である王や天皇が出なければならない。史録によれば、倭の奈良百済・応神天皇も百済住民大移住集団から出た天皇であり、同時に奈良百済初の天皇だった。

475年、高句麗の攻撃で百済の都城が崩れ蓋鹵王が捕えられて死ぬ時、彼の王子はみな死んだが島は倭の奈良百済にいたので死をまぬがれて王位に上がることができた。

高句麗は、この機会を逃さず、7月に靺鞨を買って百済の高木星を攻撃しようと木星が崩れて600人の死傷者を出し、200人が捕虜として捕らわれ行き、高句麗は4ヶ月後、11月には、再び百済のマ水性を攻撃したが、大雪で攻撃をできず撤退した。

百済武寧王は507年5月には、高木星の南に木柵を立て将官性を築いて靺鞨の攻撃に備えよう予想通り、高句麗は靺鞨と連合戦線を広げて攻撃してきたが、失敗して帰って行ったが、その年の10月に高句麗は百済の閑散性を打つためにファンアクサン下に兵力を集結させていた百済武寧王は自らの軍隊を率いて高句麗軍に対抗して戦う高句麗軍は退却したが、高句麗と百済の頻繁衝突は続いた。

倭地の奈良百済も小王国と戦って領土を拡張しながら日本国建設の土台を用意していった。この時、奈良百済の領域は四国島と向かい合う本州の凸のように出ている奈良県が中心だった。

このような記録を見れば日本の文物は百済が伝播したことは明らかに見える。



(※3)
“最初の室町幕府…700年間無人政治”[ワールド レビュー]遠くて近い国‘日本’(第5部)
ソウル日報(韓国語) 020.11.19
http://www.seoulilbo.com/news/articleView.html?idxno=444986

【ワールドレビュー]遠くて近い国「日本」(第5部)

日本初無事政権」ゲン地お問い合わせ鎌倉時代」

「建武の新政」天皇レトロ政治約60年南北朝開幕

1336年足利歌謡時ミス」室町時代」開いて

「江戸幕府」最後無事政権続いて明治維新の近代化
所定県待ち

●幕府時代」、鎌倉時代」(1185〜1333)

当時すでに百済系と新羅系が渡って定着しており、百済系は平氏を成し新羅系は源氏を成していた。この二つの一族が戦って源氏一族の「源頼朝」は平氏の平清盛との戦いで勝利し、1192年、朝廷から征夷大将軍に任命され、鎌倉(現在の神奈川県)に幕府を置いて日本最初の武士政権を樹立した。

鎌倉幕府はその後、約140年間持続し、この期間を鎌倉時代という。鎌倉幕府の成立は従来の貴族政権に対して武士が独自政権を持ったことを意味するが、これは武士政権の最高位である将軍とその部下である御家人が土地を媒介して結んだ主従関係をその基礎にしている。この時から日本では室町幕府と江戸幕府を経て明治維新が起きるまで、700年間余り、武士による武人政治が持続する。

「源頼朝」が死ぬとすぐに彼の妻・マサコの実家勢力・北条氏が実権を掌握して摂政になる。13世紀後半に2回にわたる麗蒙連合軍の日本遠征(1274、1281)は、日本の政治、経済、社会の全般にわたって多大な影響を与えた。麗蒙連合軍は、日本列島の日本人の多くを虐殺した。この防御過程で参加した武士への支払いが少なかったため、幕府と武士の間の信頼関係が著しく損なわれた。武士の不満が蓄積して幕府の勢力に従わなくなり、幕府の勢力は格段に弱体化した。

●幕府時代」、室町時代(1336〜1573)」

この隙間を狙って「後醍醐天皇(後醍醐天皇)」鎌倉幕府を滅亡させる。建武の新政(建武の新政は鎌倉幕府滅亡後の1333年6月から1335年11月までの2年半の間の短い期間に「後醍醐天皇(後醍醐天皇)」によって再開された天皇レトロ政治を指す言葉だ。後醍醐天皇はこれ調整を政治の中心地で復活させたが無事層を冷遇して政権の危機を招いた。

1336年に無事層の有力者」足利尊氏(足利尊氏)」の反乱に再幕府政治が復活した。「後醍醐天皇」は吉野(吉野)に避難して、「尊氏」が立てた「光明天皇(光明天皇)」が京都で即位して以来、約60年の間に南北朝時代(南北朝時代)が続いた。

「ダイ角ジトオー(大覚寺統)」の南朝と「足利」後援の「ジミョあるとう(持明院統)」の北朝の二つの調整が同時に存在した。戦いは足利(足利)が勝利、1336年足利です時ミス(足利義満)が、室町時代(1336〜1573)を開く。

地域、国家間の政治的・経済的矛盾は、武力によって解決がされた。最後に、織田信長(識田信長)は、室町将軍足利義昭を追放して室町幕府を刷新した。16世紀半ばに登場した「織田信長」は自治都市の境界を直轄領とするなどの方法で流通政策と海外交易を担当する強大な軍事力を手に握った

混乱の時代だった日本の統一を加速させたのは、ヨーロッパで伝来した火縄銃であった。この連発は1543年に「織田信長」によって国産化、大量生産で日本統一の礎石を置いた。信長はライフル部隊を編成して在来の戦闘フォームを変え作った人物としても有名である。

一方、信長は、商業や手工業を自由に行うことができようにし、キリスト教を保護奨励し、ポルトガルやスペインとの貿易をした(南蛮貿易)。この時期には、スペインの宣教師ザビエルが1549年に初めて日本で宣教活動を行った。

政変によって信長死後に権力を掌握したのは、「豊臣秀吉(豊臣秀吉)」であった。天下統一事業は豊臣秀吉が継承することになった。秀吉は信長の政権を母体にして東北で九州に至る地域を平定し1,590年に統一事業を完了した。秀吉は中世の支配勢力の排除と抑制に努めて中世を終えた。また、豊臣秀吉は、二度に渡って朝鮮に出兵したが、二回も失敗に終わった。

●幕府時代(江戸時代)(1603〜1868)」

徳川家康(德川家康)は勢力を育て秀吉の死後1600年に「関が原」の戦いで「石田三成」豊臣派を撃破して1603年に将軍になって、江戸(現在の東京)に幕府をインストールした。以後約260年間を江戸時代(江戸時代)という。幕府の中心地である江戸は人口100だけ集まって生きて当時としては世界最大の人口集中地になった。

江戸幕府は、「鎌倉幕府」と「室町幕府」に続き三番目に現れ、最後の幕府である。京都にはまだ天皇や貴族階級が存在していたが、政治の実務は、幕府が担当していたので、京都政府は象徴的な存在としてのみ考えられてい

徳川家康の初期には、自由な海外在住の貿易も許して東南アジアなど多くの日本人が渡って住んでいた。また、日本国内では、キリスト教が番地者、キリスト教禁止令を下し、幕府の弾圧と殉教は続いた。この当時、日本は中国とオランダとだけ交易を許して鎖国を実施した。

この時代は、留学が主流を成したが、この流れに批判的な立場をとり、国学(國學)と洋学(洋學)に関心を有する思潮が形成された。洋学は幕府の鎖国に反対し、日本の国を主張する者たちの出発点となった。日本は鎖国を固執したが、英国、米国、ロシアは継続的に、通常の求め、最終的には、米国と日米修好通商条約(1858)を締結する。

19世紀半ば、西洋帝国主義国家の侵略との交流の過程を経て、江戸幕府は崩壊、近代に移行することになる。この時に15代将軍慶喜(慶喜)は危機から脱出しようと天皇に政権を戻す「大政奉還」(大政泰還:幕府が天皇に国家統治権を返した事件)を宣言する(1867)。

以降戊辰戦争(戊辰戦争)は、1868年から1869年の間に江戸幕府(徳川幕府)の勢力と政治権力を返すことを要求する勢力との戦いで、日本で起きた内戦である。

慶喜は政権を返却したが、調整ではまだほとんどの政務処理(情事に関するすべての全権)を慶喜に委任し、議会に昔の幕府勢力を植え据え、政権を掌握した。これに不満を抱いた新政府軍は慶喜の官職の剥奪と領地を返却するように宣言が下される。結局幕府勢力は戊辰戦争を起こし抵抗したが、新政府軍に敗北して、完全に消える。

これにより、日本は約700年続いた武人政権時代を終え、近代に入るようになる。江戸幕府の崩壊後、明治維新(明治維新)を迎えた日本は近代国家の建設を迅速に推進した。その時期は、明治年号が開始された1868年とみなす。

日本帝国の明治天皇(明治天皇)は、第122台1867年1月30日に即位した睦仁である。明治(明治)という題名は、彼が天皇に在位したときに使用し連呼だ。日本の近代史で最も優れた名君(明君)に挙げられているという。日本の右翼系では、最初から、明治大帝(大帝)、明治ソンジェ(聖帝)とも呼ぶ。同じ島国であるうえ、本格的な帝国主義君主だったという点で、ビクトリア女王と多く比較されることもある。しかし、実際の改革の先頭に立っ件伊藤博文など下級武士出身の新政府の政治家たちだった。

この時期には、「サハリン地域」を、ロシア帝国に譲渡する代わりに「千島列島」(千島列島、千島列島)全域を日本領にし、南西諸島(南西諸島)と琉球国(琉球國)に実効的な支配を確保して、今の日本の領土範囲がほぼ確定した。

一方では、自由民権運動が行われ、1885年に内閣制度が成立して、1889年には、日本帝国憲法を制定し、翌年の1890年衆院総選挙を実施し、帝国議会を設置することにより、名目上の立憲国家となった。

封建的幕府時代に終止符を打ち、近代的システムを導入してわずか数十年で強大国を圧することができたのは日本の膨張欲求による。日本の戦争の歴史は清日戦争から太平洋戦争まで一貫した流れで進められた。それは領土拡張の歴史であり侵略の歴史であった。

一方ではロシア勢力南下を阻止しようとしていた英国、朝鮮の支配権とフィリピン支配を互いに対等交換した米国の共謀も日本が露日戦争で勝利する要因の一つであった。

日本は北海道と沖縄を自国領土に編入した後、台湾と朝鮮を占領して植民地にしながら帝国の力を育てた。中でも朝鮮という植民地は日帝が力を備蓄して東アジアで跳躍する重要な踏み台になった。

日本近現代史は数多くのアジア人民に苦痛と死を与えた流血と略奪の歴史でもあった。











コメント

ume
No.23 (2021/06/27 18:11)
オズの魔法使いのエメラルドの都みたいやな
日本海
No.24 (2021/06/27 20:42)
禿胴。特に「※独特の正しさの概念」で引用された「相手の劣等性を指摘した時点で自身が指摘された問題は相手の問題にすり替わる。」。相手にどんな劣等性があっても自分の問題が無くなったり解決されたりするわけではありません。


こう書いてるウリも韓国人ニダが
ike
No.25 (2021/06/28 12:55)
正義と善意で反日やってるからな愚民は。
煽動してる側は反日利得を堪能する為に。

正義を奮う快楽と、実利のためなら、捏造も約束破りも許される。

なぜなら、それらは約束や真実より尊いもので絶対だから。
むしろ、尊いと証明するために、約束を破り嘘をつく。
序序列が確認できて守られているのか、あるいは覆す事ができるかどうかの確認行為でもある。

韓国は日本相手なら覆せると甘く見てる。
日本が覆そうとしてるとわめきながら。

結局、政争。
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