Mackey4444 のコメント

Mackey4444
No.2 (2019/06/16 04:15)
「主体性」とは、自分の意志や判断により自ら責任を持って行動する特質のことだ。従って主体者意識があるかどうかは、その人が何を成し遂げてきたかによって計られると言える。」

この引用記事では、原因と結果が逆転している?意味不明ですね。
主体的意識があったから、こういう結果になったというのであればわかりますが、結果として何かを成し遂げたら、それは主体的行動したということの証明になるのでしようか?
上司に無理矢理仕事をさせられて、それでたまたま結果が出せたら、主体的に仕事をしたといえるのでしょうか?

主体的意識とは、普通に日本人的に考えると、他かは言われるような受動的な態度ではなく、みずから率先して能動的に行動するといった態度かと思います。ただ、主体的に行動するときに生じる「責任」という概念は、主体的という言葉に関連する二次的、副次的なものであるかと思います。能動的に行ったことにより生ずる責任という意味です。
能動的に犯行を計画した主犯の責任は受動的に雇われた見張りの責任よりも重いということです。
ただ、それは、二次的な意味でしかなく、本質的には主体的という言葉と責任という言葉の関連性は薄いかと思います。

ですから、韓国において、責任転嫁という文脈において責任という言葉を使うことが多いというのはよくわかるのですが、責任という言葉の意味に、「成功した事例に関しては「それは自分のおかげだ」という意味をこめて「責任」って単語を使う」
という例としてこの件を挙げられているのには違和感があります。この例はあくまでも主体的という言葉を使っており、責任という言葉は副次的な使用にとどまっているように思えるからです。仮に初めの文章から責任を取り除いたとします。

「主体性」とは、自分の意志や判断により行動する特質のことだ。従って主体者意識があるかどうかは、その人が何を成し遂げてきたかによって計られると言える。」

これでも文章としては十分成り立ちます。
ですから、この文章を元に、責任という言葉の意味が、「成し遂げた」という言葉に関連するというのはすこし無理があるかと思います。


また、責任という言葉の意味として「日本よ、「漢江の奇跡」を侮辱するな」の新聞記事を挙げられていますが、この記事の中には、「責任」という言葉が一回も使われていないため、説得力に欠けた論調になっているかと思います。

大口さんの論調は感心させられることが多いですが、あえて批判的にコメントさせていただきます。

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