岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2019/11/02
今日は、2019/10/13配信の岡田斗司夫ゼミ「映画『ジョーカー』特集&試験に出るバットマンの歴史」から無料記事全文をお届けします。
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台風とレゴ動画紹介
【画像】スタジオから
はい、どうもこんばんは。岡田斗司夫ゼミです。今日は10月13日ですね。
皆さん、台風はどうだったでしょうか? まだ通り過ぎている最中という方もいらっしゃると思いますけど。僕の住んでいるところでは、一時的に風と雨がすごかったんですけども、結局、大丈夫でした。
ただ、金曜の夜から土曜の昼くらいまで、あんまり仕事にならなかったんですよね。とりあえず気圧がメチャメチャ下がって、体調がすごく悪くなったということもあるんですけど。それよりも、普段、あんまりそういう心配とかをしないんですけど、珍しく心配になっちゃって。
僕ね、こういうことで不安になったりすることはあんまりないんですけど、一旦、不安になると、際限なく地獄のように不安になるので。それで、もう、昨日の夜くらいから仕事が手につかなくなっちゃって。
「これ、日曜日のニコ生、休めねえかな?」って思ってたら、そしたら、毎週土曜日に放送している山田玲司先生が「今日はニコ生は休む」って話をしていて。「いや、だったら、俺だって台風を理由に休めるかな?」って思ったんですけど、まあまあ、なんとか気持ちが持ち直しました。
いや、ストレスに弱いんですよ、普段、ストレスがないからね。
というわけで、今日も無事に始めることが出来ました。
今日は一応『バットマン』の特集の予定であります。
・・・
後半の方で、ちょっと話をしようと思ってるんですけど、最近、レゴを作ってるんですよね。
今、ここまで出来てるんですけど。
(作りかけのレゴを見せる)
【画像】レゴエンパイアステートビル1
エンパイアステートビルのレゴの模型で。これね、実際に出来上がったら、75センチって書いてあったから、かなりデカいのになるんですけども。
これを途中まで作っている45秒のまとめ動画というのがあるので、ちょっとこれを見てください。どうぞ。
(動画が再生される)
【画像】レゴ動画
はい、どうもどうも、こんな感じでエンパイアステートビルを作ってみました。
この、実際に自分でレゴを作っている様子を、YouTubeの動画として、1時間くらいの無編集のやつを作ったんですけど。
これね、自分でも、なかなか見てるのがシンドいので、解説がいるなあ、と。
これ、普通のYouTuberとかだったら、解説とかナシでやるんですけど。「そもそも、エンパイアステートビルとは何なのか?」という解説をしないと、面白くならねえよなと思ったので、まあ、後でちょっと、そういう解説も話してみようと思います。
最終的に、これらをガーッと組み合わせたら、何とかなるんじゃないかなと思っているんですけど。
・・・
今日は『バットマン』の話がメインなんですけど、前半の無料放送は、かなり映画『ジョーカー』の話ばかりになると思うので、聞いてください。
「ジャック・ニコルソンのジョーカーも良いですよ」(コメント)
うーん。ジャック・ニコルソンのジョーカーもね、一応、この間も見たんだけど。良いは良いんだけど……まあ、その話もします。
今日は『ジョーカー』の話なんですけど、一応、こういうものを用意したわけですよ。
(「現在ネタバレ中」と書かれたパネルを見せる)
【画像】ネタバレ中パネル
いや、まだ大丈夫ですよ? まだネタバレは話しませんけど。
「これが出ている間はネタバレなので注意してください」という目印なんですよ。ネタバレする時には、今のを出すから安心してください。
『ジョーカー』の評価が極端に分かれる理由
【画像】スタジオから
では、映画『ジョーカー』の話なんですけど。最初はネタバレなしで話します。
すごく面白かったですよね。僕、5段階評価で言うと「4.1点」くらいなんですよ。
まあ、ぶっちゃけ「タイツを履いたヒーローが出てこないから面白い」というところもあると思うんですけどね。
なぜかと言うと、スーパーヒーローものって、やっぱり見る時に「ちょっとだけ知能指数を下げる」というか、そういう操作を自分に課さないと、なかなか難しいところがあると思うんですよ。
この例が良いかどうかわからないんですけど、『魔法少女まどかマギカ』って、見る時に、ちょっと自分の知能指数を下げるじゃないですか。やっぱりこういう「女の子が世界を救う話」というのは、頭から真剣に見るのではなくて、一旦、階段を1段か2段下りるつもりで見て「おっ! すごいすごい!」って。こういう見方が正しいと思うんですけど。
スーパーヒーローものというのも、マーベルにしてもDCにしても、やっぱり、知能指数を一旦下げないと、人間が空を飛んだりとか、目から怪光線を出したりとか、エネルギー保存則に反するような現象を起こしたりというところで、なんか納得できない部分があるんですけども。
まあ、1段か2段下げた後なら、存分に物語世界に入り込むことが出来るんですけどね。まあ、ヒーロー映画というのは、多かれ少なかれ、この操作が必要だと僕は思っています。
その点、この『ジョーカー』には、こういった操作の必要性がゼロなんですよ。「最後まで自然に見れる」というのが、ちょっと不思議なところですね。
そして、そのおかげで没入感がすごいんですよね。
なんと言うかな? スーパーヒーローものでもリアルなものってあるにはあるんですけど、やっぱりそれは「よく出来たCG」っぽく見えちゃうんですよ。その中にスーパーヒーローがいたり、不思議な現象が起こったり、あまりにも力が強いヤツとか、あまりにも能力高いヤツが出てくると、やっぱり嘘の世界っぽい要素が入って来ちゃうんです。
だけど、『ジョーカー』には、そういう、よく出来たCG映像と、ちゃんとしたロケ映像という差があるんですよね。そのおかげで、とにかく映画世界のリアリティと、没入感がすごくなっているんです。
・・・
しかし、これを見に行く前には注意が必要です。
例えば、映画.comには、こういう紹介文が載っているんですよ。この紹介文くらいではネタバレにならないから、ここで紹介しますけど。
これがね、困ったことに、微妙に嘘が書いてあるんですね。
「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホアキン・フェニックス主演&トッド・フィリップス監督で映画化。
道化師のメイクを施し、恐るべき狂気で人々を恐怖に陥れる悪のカリスマが、いかにして誕生したのか。原作のDCコミックスにはない映画オリジナルのストーリーで描く。
「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。
しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。
これが、映画『ジョーカー』の宣伝文句なんですけど。実際のストーリーは、これとは違うんですよね。
どの辺が違うのかと言うと「悪のカリスマ」って書いてあるところなんですよ。
これを期待して見に行く人がわりと多いんですけど、だいたいそういう人はガッカリして、コメント欄に「大したことなかった」とか「ガッカリした」と、書き込むことになるんです。
ためしに、映画.comの評価欄を見てみてください。本当に、評価が極端に2つに分かれるんですよ。
評価「4.5点」か「5点」の「ものすごく良かった!」と言う人と、評価「2点」とか、酷い人になると「1点」の「ダメだ」とか「ガッカリした」「つまんない」「寝ちゃった」と言う人に、完全に分かれるんです。
こんなふうに「悪のカリスマ」という言い方とか、そういう内容に過剰な期待をした人というのは、やっぱりガッカリしちゃって、そこをあまり期待しなかった人は、逆にメチャクチャ衝撃を受ける映画になっています。
・・・
でも、悪のカリスマを期待している人は、みんなこれを見に行っちゃうんですよね。
これは『ダークナイト』というバットマン映画の中に出てきたジョーカーなんですけど。
(パネルを見せる)
【画像】『ダークナイト』版ジョーカー © 2008 Warner Bros. Entertainment Inc. © DC Comics.
「映画史上最高の悪役!」とか「悪のカリスマ!」と言われたのは、このバージョンのジョーカーなんですね。
これが好きな人が多いから、今回の映画も、かなりの人がこの路線で見に行っちゃうんですよ。このジョーカーの誕生秘話として、見に行っちゃうんです。
だけど、それを期待すると、やっぱり映画.comのように評価が極端に分かれることになるんですよね。
一応、どういうことになっているかを説明するために、映画.comに投稿されていた評価が低いレビューの中から、ネタバレにならないものを紹介してみます。
星2つ
映画鑑賞する前にジョーカーに対するイメージがあったため、自分の中のジョーカー像と作品の中でのジョーカーの精神の変化に隔たりがありました。
あらゆる極悪な犯罪に手を染めることに何の抵抗もない、そんなジョーカーにそんなことでなっちゃうのって思ってしまいました。
人ってそんな簡単に変わらないでしょって。
私は個人的にジョーカーがあのジョーカーにどうやってなってしまったかを観たかったので、そこをつなげてしまうと時代背景とか気になってしまいますよね。
こんなふうに、やっぱり「『ダークナイト』のジョーカーに繋がらない」ということで、気になっちゃうみたいです。
星1つのレビューは、もっと酷いですね。
星1つ
どうしてもダークナイトと比較してしまうのが悪いのであろうか
いや、贔屓目にみたとしてもただの低予算スピンオフ金集め映画としか感じない
途中で席を立とうかと思ったのは久しぶりだった
芸術性があるだろ? といいたいようなマッドでなく変な演出演技
ここが見せ場ですよ? 感動してねというようなわざとらしいシーン
薄すぎる内容なのに、that’s lifeを流してしまうとは
いろいろな映画やドラマを見ている人は感じるかもしれないが
その変な演出演技さえ全て借り物で、使い方に統一性や信念というものが感じられない
はっきりいって軽薄で根性が悪い映画だ
ぜひ見に行って、金をどぶになげいれてみてください
これが星1個のレビューなんですよ。
さらに、もっと低い、星0.5個という人がいるんですね。
星0.5個
アーサー・フレックとかいう人の物語ではあったけど、俺の見たいジョーカーじゃなかった。
あんなわかりやすい不幸な背景がジョーカーの発端だとしたらがっかりだね。
あの程度で狂ってたら世界は狂人だらけだぞ。
同情すら寄せつけないのがジョーカーなんだよなあ。
こんなのに賞あげるベネチア映画祭は品位を落としたね。
予想を超えることが全く起きなくて、3回くらい寝た。
と、ここまで怒るんですよね。
・・・
なぜ、こんなに評価が低い人がいるのか?
僕はこれを、こういうのが好きな人には申し訳ないんですけど、『羊たちの沈黙』現象って呼んでいるんです。
『羊たちの沈黙』現象というのは「悪というものには、何か理由があるはずだ。ヒーローというのは平凡でつまらない。そんなヒーローには決して届かない深みのようなものが悪にはあるに違いない」と。
『羊たちの沈黙』に出てきたレクター博士というのは、そういう考え方が好きな人にとっては、本当に、リアルな意味でのヒーローだったんですよ。
誰よりも頭が良くて、教養深くて、オシャレで、芸術にも詳しい。そんな完全無欠の人間が悪人だったら、どんなにスカッとするだろう? そういうふうに考える人が『羊たちの沈黙』を好んで見る人には多かったんですね。
でも、こういうふうに考えちゃうのは、だいたい、現実の世界ではあんまり悪いことをしない善い人が多いんですよ。こういう悪に憧れを持つ人というのはね、お坊ちゃんやお嬢ちゃんという善人が多いんです。
これは、凶悪犯罪と言われる事件の裁判記録とか、そういうドキュメンタリーとかを見ればわかるんですけど。実際に起きた残酷な事件とか犯罪、大量殺人の記録では、そういった犯人の証言というのは、あまりにも単純で乱暴な場合がほとんどなんですね。
まあ、テッド・バンディみたいな例外中の例外も、いるにはいるんですけど。現実のシリアルキラーのほとんどは、退屈で平凡な、単なる乱暴者のオッサンが多いんですよ。
煽り運転をするヤツや、歩きスマホをしている女の人に体当たりする輩って、いるじゃないですか? ああいうオッサンも、捕まえて言い分を聞いてみたら、やっぱり単なるバカという場合が多い。
つまり、どういうことかというと、実は「現実の悪というのは凡庸でつまらない」んですね。
それに対して、正義というのは、まあ残酷で多様なんです。
本当にいろんなロジックがある。ヒットラーもそうですし、スターリンもそうですし、イスラム国も発端はそうなんでしょう。
そういう正義の理想を掲げて、多くの人にから「いいぞ! いいぞ!」と支持されて、結果的に悪魔のような所業をして大惨事を生み出すところに、正義というもののヘンテコさ、面白さというのがあって。その正義が別の正義に負けて、悪と認定されることで、ようやっと悪のカリスマっぽさが生まれるんです。
ここからわかる通り、悪のカリスマというのは、もともと正義だった人達が、後から「お前達は正義じゃない!」と言われた結果、生まれる場合がほとんどなんですよね。
この『ダークナイト』のジョーカーみたいなカッコいい悪のカリスマというのも、正義からスタートしていなければ、カリスマとして存在できないんですよ。「なんで、それがわからないかな?」と思って。
『ダークナイト』のジョーカーって、映画の中で部下を裏切ったり使い捨てにするんですけど。そんなブラックな親分に従う子分がいるはずがないんですよ。
つまり、あの『ダークナイト』のジョーカー自体が無理設定なんですね。ジョーカーという個人のキャラクターを立てるために、部下を次々と使い捨てるようなシーンがあるんですけど。あんなことをやってたら、本当に保たないんですよ。
でも、やっぱり、あれを本気にしちゃう人が多い。で、そういう悪に憧れる人っていうのは、そういう現実的な話には、なかなか納得してくれない。なんか「すごい悪のカリスマがいて、忠実な手下がいて、もしくは、手下たちを洗脳したり、暴力や恐怖で操ったりして、その理屈には思わず正義の味方も黙るしかない」という、そういう展開を欲しがっちゃう。
もう、みんな「ちょうだい、ちょうだい!」っていうふうに、悪に憧れてしまうんです。
『ジョーカー』が描くカッコよさや美しさ
【画像】スタジオから
ところが、この『ジョーカー』はそういう映画ではないんですよね。
この辺、ネタバレじゃないから話しておきますけど。
で、僕は「そういう映画じゃないからこそ、すごい」と思うんです。
さっきも話したように、タイツを履いたスーパーヒーローがビルをぶっ壊したりするような極端な映像がないので、画面の中にCG加工というのがあまり見えない。これ、「CG加工がない」わけじゃないんですよ。「あまり見えない」んですね。「なので、没入感がすごくてリアリティがある」と、さっき話したんですけど。
それと同じように、この映画に出てくるジョーカーも、非現実的な悪のカリスマじゃないんですよ。あのね、悪のインフルエンサーなんです。「悪のカリスマであり、悪の象徴」ではなくて「悪というものを人々の間に上手く流行させるインフルエンサー」として描いているところがすごいと思うんです。
この『ジョーカー』というのは「それに影響された人達が、勝手に祭りを起こす」という映画なんです。これは、YouTubeとかインスタ時代のインフルエンサーとまるで同じで、設定的にもすごくリアリティがあるんですね。
この絵としてのリアルさと、設定のリアルさが、ダブルで迫ってくるから、ヒーロー映画なのにわりと文芸っぽい高級感が映画全体から出てるんですね。
例えば『スーパーマン』の青とか『バットマン』の黒のように、ヒーローものにはシンボリックなカラーというのが出てくるんですけど。
この『ジョーカー』では、黄色の出し方がオシャレで良いんですよね。
(パンフレットを見せる)
【画像】パンフレット ©2019 Warner Bros.
まあ、本当に画面のカラーのシーンとかでも、こういうモノクロっぽい感じにのシーンにしても、この黄色いチョッキみたいな色の出し方とかが、ものすごくオシャレなんですよ。
他にも、このパンフレットの表紙になっているシーン。
(パンフレットを見せる)
【画像】パンフレット表紙 ©2019 Warner Bros.
これは、アーサーという人間が、ピエロのメイクをして、笑う練習をしているシーンなんですけど。ここで早くも、彼の頬には涙が一筋流れてメイクが落ちかけているんですね。
これ、何かというと、冒頭のシーンなんですよ。本当に映画のド頭のシーンで、主人公がピエロのメイクをしているんですけど、そこで涙がちょっと出ちゃう。つまり「彼は笑われるピエロになりたかったんじゃなくて、笑わせるコメディアンになりたかったんだ」ということです。
そういう本音を押し殺しているので、その本音が、セリフではなく、メイク中の映像として、一瞬だけ出ちゃうわけですね。
このシーンって、もう本当に、冒頭の5秒か10秒くらいなんですよ。それだけで、この映画が持っている高みというのを、一番最初っから見せてるわけですね。
演技も本当にすごいんですよ。「あのタイミングで、よく涙を出せたな」って思うんですけど。片目だけスッと出て来るところに、演技の上手さというのがあります。
後にジョーカーと呼ばれることになる主人公のアーサーは、この映画の中で「善良で悪いことが出来ない人」という設定から始まって、ゴール地点であるラストでは「明らかに悪い人」にちゃんと変化して行くんですよ。
でも、この変化の理由は「悪の魅力に取り憑かれたから」ではないし、「正義の嘘に気がついたから」というような、よくある理由でもないんです。「俺はそういう正義の欺瞞を暴いてやるんだ!」っていう『ダークナイト』のジョーカーみたいなタイプでは全然ないんですね。
これが、もう本当に、まるでドキュメンタリーを見ているかのような衝撃感なんですよ。
その反面、ドキュメンタリーを見ている感じなので、観客としても悪のカリスマの魅力に酔いしれたり出来ないんですね。
この映画を見ている時、観客には「自分も悪になるかもしれない」という恐怖感があるんですけど。これは、ドキュメンタリー映画やドキュメンタリー番組を見た時……障害者のドキュメンタリーとか、貧困への転落のドキュメンタリーってあるじゃないですか。あれを見た時の不安に近いんですよ。
「自分も、いつ交通事故に遭って車椅子生活になるかもしれない」とか「自分もいつリストラをされて、運が悪かったら、こんなふうに貧困に落ちていくかもしれない」という、あの恐怖感に近い。
そういうリアリティを持って「自分も悪に落ちるかもしれない」という恐怖感を描いた映画なんですね。
そこが本当に新しい。
そういうことを普段、想像していない人、「自分は悪の側なんじゃないか?」とか「自分こそが悪なんじゃないか?」だなんて想像していない普通の善い人に対して「いや、悪になっても仕方がないよ?」というか「もしかしたら、その方がアーサーのように楽になれるよ?」と誘惑する悪のインフルエンサー映画なんですよ。
まさに恐怖の映画ですね。
・・・
キリスト教における悪魔というのは「悪いことをするバケモノ」じゃないんです。「人間に対して悪いことを持ちかける存在」なんですよ。悪の道へと誘惑する者を悪魔と呼ぶんですね。
「そういった悪魔的な行動を、アーサーがしてしまう」という話です。
悪に落ちて行く人間を取り上げること、映画の中に出すこと自体は、そんなに珍しいことではないんです。
例えば、さっき話した『まどマギ』だって、そういう話なんですよ。『まどマギ』に登場する魔女と呼ばれる巨大な怪物みたいなヤツは、みんな、悪に落ちて行った人間の成れの果てなんですね。それが敵役になるんですけど。
ところが『まどマギ』という作品は、最後には魔女になる人間の主観を途中までは描くんだけど、最後まで描いたりはしないんですね。
魔女になる直前くらいまでは、魔女の視点で描くんですけど、でも、闇落ちしてしまったら、必ずカメラは主人公であるまどかたち魔法少女の側に行って「なんでそんなことになってしまったの!?」と嘆きはするんですけど、魔女になってしまった人間の気持ちを描いたりはしないんです。
昔、『前略おふくろ様』という70年代のホームドラマがあったんですけど。
その中に、お兄ちゃん役のショーケン(萩原健一)の妹分として、桃井かおりが演じる海ちゃんっていう女の子が出てくるんです。その海ちゃんも、こういう堕ち方みたいなものをするんですよね。
海ちゃんは頭が良くないから騙されて堕ちて行く時に「私はもう仕方ない。これでいいの! お兄ちゃん、余計なこと言わないで! 構わないで!」って、意地になっちゃうんです。それを見ている主人公のショーケンは、自分の無力さに打ちひしがれるしかない。
これもやっぱり、ショーケンの側からしか描けないんですよ。
でも、それを海ちゃんの側から描いたらどうなるか?
『まどマギ』の魔法少女だって、魔女になってしまったかつての仲間を見て、自分の無力さに嘆くけど、最後は「魔女っ子達の勝ち」で、やっぱり終わるわけなんです。
だけど、この『ジョーカー』という映画は、ショーケンとか、まどかたちのような正義の味方が存在しない世界なんです。
「ヒーロー不在のリアルな世界で堕ちて行くとはどういうことか?」というのを、もう本当に、正面から描いちゃったんですね。
だから、そこには、カッコよさとか美しさが全くないんですよ。
なので、ヒーロー映画を見に行った人、いわゆる悪の魅力を見に行った人は、やっぱりガッカリするわけですね。
本当にカッコよさとか美しさはないんです。まあ、ゴミに溢れたゴッサム・シティよりも、ゴミも含めて全てが燃やされて行くゴッサム・シティの方が、まるでテレビの中とかネオンサインのように、ジョーカーには美しく見えただろうけども。
なので、そっちの方を期待していくと、ちょっとシンドいかもしれません。
はい、ネタバレなしで『ジョーカー』を話すというのは、やっぱり、この辺が限度なので、ここらでネタバレなしは終わりにしたいと思います。
「必要とされてない存在」が他者と関係を持つ方法
【画像】スタジオから
では、ここから先はネタバレで語ります。さっきの「ネタバレ注意」のフリップが出ている時は注意してください。
ここから先は、以下の3種類の人向けです。
なぜ、今日、この話をするのかと言うと、この『ジョーカー』という映画、なんだかんだ言っても見ない人が多いと思うからなんですよ。それはもったいないと思うんです。
なので、これから話すネタバレありバージョンは誰のためかというと「1.そもそも『ジョーカー』をもう見た人」。
あと「2.見る前にどんな話かを十分に吟味したい人」。つまり、全部どんな話かを聞いた上で「ああ、1800円の値打ちがあるな」と思ってから見に行きたい人。
そして「3.見るつもりが全くない人」ですね。
そういう人のために向けた「だいたいどんな話か?」という解説です。
じゃあ、ここからはネタバレです。
・・・
(「ネタバレ注意」のパネルを出す)
【画像】ネタバレ中パネル
ええと、もう、ネタバレが嫌な皆さんは音を消してくださいね? 見ちゃダメですよ?
まずは、正しい映画を見る順番です。
まず『ジョーカー』を見てください。明日でも結構です。さっきから「明日行く」って言ってる人がいるんですけど、ぜひ明日行ってください。
その次に、帰ってきたら『タクシードライバー』を見てください。
さらにその次に『キング・オブ・コメディ』を見てください。
で、最後にもう一度『ジョーカー』を見に行ってください。
この4段階で『ジョーカー』というのは出来ています。
まあ「正しい」ということはないな。これが岡田斗司夫オススメの見方です。
まずは普通に『ジョーカー』を見てから『タクシードライバー』を見て『キング・オブ・コメディ』を見て、もう一度『ジョーカー』を見る。この順番が、僕は一番オススメなんですけど。
この理由は後で説明します。
・・・
「この『ジョーカー』は、悪のカリスマ映画ではなく、悪のインフルエンサー映画だ」というふうに言いました。
どういう意味かというと……ネタバレだから話しちゃいますけども。
実は主人公のアーサーというのは、天才でないどころか、逆に障害者なんですね。子供の頃に母親の彼氏から受けた暴力が元になって、脳に障害を負ってしまった、と。
アーサーはいつもノートを持っているんです。これは彼にとって日記帳であり、おまけにコメディアンとしてのネタ帳なんですけど。そのネタ帳が、誤字脱字だらけなんですよ。この誤字脱字具合というのは、明らかに知能障害というか、そういうタイプの人のスペル間違いだったり文章なんですね。
「教育されてないから」じゃないんですよ。そうじゃなくて、純粋に「知能そのものに問題がある」んです。だから主人公アーサーは、まともな職にもつけず、友達もいないんですね。
ここら辺は、もうすごくサラッと描いているんですけど。「なぜ、彼に友達がいなくて、まともな仕事がないのか?」というのは、あのネタ帳の文字を見せたところで、だいたいわかるように出来ているわけですね。
彼は「他人を笑わせたい。幸せにしたい」とずーっと語ってるんですけど。これも、セリフでそう言っているだけであって、本音じゃないんですね。
映像的に見たら、冒頭で「ピエロのメイクをしながら涙を流す」というシーンを見せている時点でわかる通り、本音ではなく、母親から植え付けられたものなんです。
「人を幸せにしなさい」とか「そういうふうにしている時、あなたはすごくかわいいわよ」と言われ続けた。つまり、母親に植え付けられた洗脳なんですよ。
だから、冒頭のピエロメイクで笑う練習をしている時、やっぱり涙を流しちゃうわけですね。それは、抑圧されてるから。
「本人でも意図しない時に笑ってしまう」というアーサーの特徴も、なんか病気みたいに言われてるんですけど、これも脳の機能性障害ではなく、明らかに「いつも自分の本音を押し殺しているから、意図しない時に笑いが出てしまう」んです。
だから、ラストの「他人を殺して笑うシーン」では、ちゃんと、本人が意図した通りに笑えているんですね。脳の機能性障害だったら、やっぱりあの時も違う反応をしていたはずなんですよ。
押し殺されているものが解放されたから笑っている。他人を自分が殺した時に心の底から笑えるというのは、脳の機能性障害ではない証拠なんですね。
・・・
じゃあ、アーサーが「目指さなきゃいけない」と思っていた笑いというのは何かというと、これも危険なネタで。
僕は、これまでにも、このニコ生ゼミで「笑いとは攻撃の裏返しだ」と言っているんですけど。
僕らは、だいたい、ダメなヤツとか憎らしいヤツがやっつけられた時に、笑うわけなんです。
だから、それをひっくり返すといじめになる。いじめって、いじめる側が笑ってるじゃないですか。で、いじめられている側も、自分を守るために、無理矢理笑わされますよね?
笑うことで自分を守るフリをするんですけども、いじめるヤツらは楽しそうに笑う。
これ、なぜなのかというと、笑いというのは本来「ハッピーなこと」ではなくて「攻撃性の証明」だからなんですよ。
お笑い芸人の笑いというのは、いじめの要素というのをいつでもかなり孕んでいる。なので、それを指摘されると、お笑い芸人さん達はみんな逆ギレするわけですね。
Aマッソという芸人さんが、最近、ちょっと差別の問題で炎上したりしたんですけども、あの例を見るまでもなく、笑いというのは基本的に差別であって、いじめなんですね。その分「危険で面白い」んですよ。
たぶん、天国には笑いなんかなくて、微笑み程度しかないんです。逆に、地獄には笑いが溢れてると思うんですけど。
「お前、バカだな!」という言い方でも、仲のいい友達同士という関係性があれば、笑いが生まれるんですよ。
でも、それがなかったら、「お前、バカだな!」というセリフも、いじめになっちゃう。
例えば、ワンマン社長が、悪気なしに、自分の手下だと思っている社員に「お前、バカだな!」と言うと、言われた社員の中には「ワンマン社長からこんなこと言われた!」って、パワハラだと感じる場合があるんですね。
ワンマン社長にしてみれば「俺とお前は家族みたいなものじゃないか! そういう関係性があれば、こういう言葉も冗談だってわかるだろ?」と思ってるんですけど、ところが雇われている平社員の方は家族だなんて思ってないんです。
そういった関係性を否定しているから、この言葉もパワハラにしかならない。こういうことって、よくありますよね?
つまり、いじめと笑いとの差って何なのかというと「仲がいい関係が成立しているかどうか」なんですよ。
仲のいい関係が成立していたら、それは急に許される笑いになる。逆に、全く同じことを言ったとしても、彼らの間に仲のいい関係が発生してなかったら、それはいじめになってしまう。
これをちょっと押さえておいてください。
で、ここで問題です。
アーサーというのは、障害者で、知能が低いわけですね。なので、友達がいないんですよ。つまり「彼は誰からも関係を求められていない」。
「アーサーには友達がいない」ということを、さっきから繰り返していますけど、これなんですよ。アーサーというのは、誰からも関係を求められずに、みんなから放って置かれているわけですね。「お前はおとなしくしてろ!」と言われている、と。
つまり、アーサーにとっては、誰に何を言われても全てがいじめになっちゃうし、逆に、アーサーから誰かに関係を持って言おうとしても、それは全て「気持ち悪い人が、いきなり変なことを言い出した!」になっちゃう。
これが『ジョーカー』の切ない真実っていうやつなんですよ。
だから、アーサーはコメディアンになれないんです。笑いを生み出せないんですね。
だけど、いじめる側になれば、笑うことが出来る。なので、最終的に彼は社会をいじめる側に回ったんですけどね。
・・・
この映画を見てたら、途中、ゴッサムという街中で、ピエロのマスクを被って、デモをやったり暴動を起こしたりする人がでてくるんですけど。
やっぱり、ああいう人らもみんな、アーサーほどではないにしろ、周囲から求められていない人ばっかりなんですね。
電車の中にピエロ姿のヤツらが乗ってるシーンがあったんだけど、ほとんど誰も会話していない。
あれって何かと言うと「ここに乗っている1人1人が、この社会の中で孤独に生きていて、誰も友達がいない連中だから」なんですね。
だから、そんな中で一度喧嘩が起こると、もう誰にも止められなくて、ひたすら暴走していく。
あそこで喧嘩が起こった瞬間に、警官を誰かを殴った瞬間に、彼らの中に初めて敵と味方というのが発生したんです。彼らはそれまで友達がいなかった分、そこで自分の仲間というのに「ああ!」って気が付いたんですよ。
だから、彼らはゴッサムの中で、街に火をつけたりするような極端な暴動が出来るんです。
僕らは、特に男性のは、こういう孤立の仕方が多いんですね。
なので、友達がいない系の男の人らには、あの映画って、メッチャクチャ魂に来るわけです。
僕も僕で、魂に来て、これを見てる時はたまらなかったんですけどね。
だから、「タクシーですれ違う人の中に、アーサーがピエロを見る」というシーンが必要だったんですよ。
このピエロを見るシーンというのは、本当にすれ違ったタクシーの車内にピエロ姿の男がいたかどうかはわからないんですね。これは、単に、アーサーの妄想かもわからないんですよ。それが、この映画の作り方の上手いところなんですけど。
ただ、このシーンからわかるのは「タクシーの後部座席には、3人いた」ということ。その内、2人は話をしていて、その話に加わらずに窓の外を見ている人がピエロのマスクを被っていたんですよ。
これってどういうことかというと「3人で移動している最中に、仲間外れになりがちなヤツが、ピエロになる」ということなんですね。
この映画の中で「ピエロになる」ということは、つまり、「必要とされていない存在である」ということなんです。
「お前は大人しくしてろ!」と、いつも言われている人達というのが、あの映画の中では暴れる側なんですよね。
そういう人達というのは、いつもこの社会では「大人しくしてろ!」と言われる側なんです。清掃業者がストライキしてゴッサムの街がゴミだらけになっても、失業率が高くなっても、「とりあえずお前らは大人しくしてろ!」と。「頭のいい人達が解決してくれるんだから、お前らみたいなのが何か言っても始まらないぞ!」と言われているわけです。
・・・
『デビルマン』という永井豪が描いたマンガの、確か5巻だったと思うんですけど、「人間がデーモンに変身する」というデマが流れたおかげで、政府がデーモンになりそうな人間たちを駆除するという、そういう機動隊の話があったんです。
その中で、機動隊がとある地区に突入する時に「この地区の人民は、以前、政府に対してデモをしたことがある、暴動を起こすかもしれない人民である! なので、先に制圧する! もし彼らが暴動を起こさないんだったら、暴動を起こすように仕向けろ!」って言ってから、突入していくシーンがあるんですけど。
やっぱり、これは、永井豪が小柄でビビリな人間だったから描けるシーンなんですね。永井豪は、いわゆるこちら側の人間だったから、ああいう恐怖というのを描けるわけなんです。
「彼らはやがて立ち上がって襲ってくるに違いない」という恐怖から生まれたストーリーなんですよ。
例えば、煽り運転とかをした人に対して……もちろん、煽り運転をするような人達というのは、本当に嫌なヤツばっかりで許せないんですけど。でも、そういう人達に対して、またネットの人達というのは、リンチ的な「晒し」というのをやるじゃないですか。
この、リンチみたいなことをやるのも「ああいうヤツがいる」という恐怖心があるからなんですよ。
実は、さっき話したような、スマホを持って歩いている女の人に体当たりするような男も、煽り運転をやるようなヤツらも、実社会ではあんまり仲間がいないようなヤツらなんですけど。「そういうヤツらを大人しくさせておきたい」とか「そんなヤツらの正体が見えた瞬間に、みんなで潰そうとする」というのは、やっぱり、そういう人達に対する恐怖心があるからなんです。
僕らは、そういう人らに対する対処法を知らないんですね。
現実の問題の例えとして、煽り運転とかそういうのを使うと、もう本当に生々しくなり過ぎるんですけど。
「じゃあ、どうすればいいんだ?」と。
「あんなヤツらは全員捕まえて、刑務所に放り込め!」って言えりゃあ楽なんですよ。でも、本当に全員に対してそれをするというのは問題ですよね。
この「捕まえて刑務所に入れろ!」というのは「僕らの見えないところへ連れて行ってくれ!」という意味なんですよ。「そういうヤツらは見たくないから、僕らの生活を邪魔しないところへ連れて行ってくれ!」と。
これは、この『ジョーカー』という映画の中で、アーサーが言われていることと全く同じなんです。
アーサーがいつも言われている、「お前らは、乱暴者だったり、知的障害だとか、障害者だったりして、この社会の中で俺達が見えるところにいたら邪魔だから、どこかで大人しくしてくれ!」というのと、全く同じなんですけど。
さっきも言ったように、僕らは、ああいう人達に対する対処法を知らないので、誰からも嫌われてたり、疎まれてたり、なんか周りから浮いている人に親しく話しかけられたら、なんかこう、逃げちゃうんですね。無視して笑うか、逃げるかしたり「大人しくしてろ!」と思っちゃうんです。
だから、劣っている者が他者と関係を持つためには「友達になる」のではなく「恐れられる存在になる」しかないんですよ。
アーサーみたいな人が周りの人間と関係を持とうと思ったら、「優しい人を探して友達になる」よりも、もっと簡単で単純なのは「怖がられる」ことなんです。
昔、落ちこぼれが暴力団に入ったのは当たり前で。子供の頃は、ある程度、クラスの中を暴力でシメたり出来るんですけど、中学生くらいになってきたら、暴力を振るってると、周りから段々浮いてきて、避けられるようになってしまう。仕舞いには、誰も相手にしてくれなくなる。そうなったら、もう、暴力団みたいなところに入って、周りからビビられることで、関係を作り直すしかなくなってきちゃうんですね。
『ジョーカー』は『バットマン』の再解釈
【画像】スタジオから
だから、アメリカでは、この『ジョーカー』って過剰な反応をされているんですよ。
例えば「映画館の中で暴動が起こりそうだから、警察とか軍隊の出動が~」とか言われてるんですけど。
アメリカ人って本当にパーティー社会だから、パーティーに入れないような人とか、無口な人とか、地味な人に対して、普段から、迫害しているとまでは言わないけど、抑圧しているという自覚がやっぱりものすごいあるわけですね。
そういう自覚があるからこそ、一昔前までは、本当に黒人恐怖というのがありましたし、僕は、第2次大戦における太平洋戦争や、その後のベトナム戦争というのは、アメリカ白人の黄色人に対する恐怖心というのが根本にあったと思っているんですけど。
うんと話が戻りますけども、『羊たちの沈黙』という映画は、そういう犯罪を犯す者への恐怖というのを、インテリ達が取り戻すための、ある種の戦いだったわけですね。
さっきも言ったように、もともと凶悪犯罪というのは、ほとんど粗暴な人しかやらないんですよ。でも、稀にある、レアケースとして、超インテリな人が残虐犯罪を犯すこともある。
そういうレアケースを通じて、犯罪という世界すらもインテリ白人の世界へ取り戻そうとしていたんですね。
その点、今回の『ジョーカー』というのは、それをもう一度「平凡で愚鈍な悪」というのを取り返そうという、恐怖の話なんです。
この映画の中で、ゴッサムというのは、別に悪の街になったわけではないんです。
都市の中で80%か90%を占める普通の人達の社会に、10%か20%の仲間外れの人達が、暴力という形で参加してきただけなんですよ。
なぜなら、彼らは、暴力という形でしか参加が出来ないから。暴力以外の形で、仲間はずれの人が参加してきたら、「お前らは大人しくしてろ!」とか「家にいろよ!」とか、笑われたり、自然に排除されるだけなんですよね。
彼らが参加するためには暴力しかなかったんです。
つまり、『ジョーカー』という映画は、現実に存在している仲間外れな人達に対して「もう我慢しなくていいんだよ?」とか「これで僕らも問題児としてクラスに参加できるよ?」という、とんでもないメッセージを送っているわけですね。
だから、アメリカでは「こういうメッセージを受け取って、これまで我慢させてきた人達、劣った人達が一斉に立ち上がるのが怖い!」ということで、過剰な反応が起きたんですよ。
実際には『ジョーカー』という映画が原因になって起きた暴動なんて、今のところは起きてないんですよ。10月13日、このニコ生やってる時点では。
公開前はこんなに恐れられていたのに、実際に映画館の中で銃を乱射するヤツがいたのかというと、結局、いなかったんですけど。
でも、「こんな映画を公開したら、もう、そんなヤツらが一斉に暴れ回ることになるに違いない!」というこの恐怖心は「あっちの社会には、そういう人達を押さえつけているという、意識化されていない罪悪感みたいなのがある」という証拠になっている気がして、僕にはちょっと面白かったです。
・・・
でも、映画館にこの映画を見に行く僕らというのは、なんだかんだ言っても、やっぱりジョーカーの側には立てないんですよ。
だって、お金を払って、こんな映画を見に行けるくらいの余裕もあれば、知性もあるわけですから。
「俺ってジョーカーっぽいな」とか「俺らと同じじゃん」と言いながらも、ジョーカー側から見たら、そこには確たる一線があるわけですね。
僕らの誰もが、面倒臭い人とか、嫌な感じのする人というのを切り捨てた覚えがあるんですよ。
だから、この映画を見ている間の僕らは、時々「加害者の側の視点」でジョーカーを見ることになるんですね。それがまあ「やましい、やましい」という。
しかし、それもこの映画の中では逆転しちゃうんですよ。
映画の中でアーサーをいじめるヤツらというのも、別の誰かにいじめられた仕返しをしているだけだというのが、段々とわかるんです。「自分より弱い者に、自分がいじめられた仕返しをしているだけだ」と。
例えば、アーサーの持っていた黄色い看板を最初に奪うストリートチルドレンというのが出てくるんですね。そいつらを追いかけたんだけど、看板を取り返せなかったところから、アーサーの転落が始まるんですけど。
じゃあ、ストリートチルドレンというのは何かというと、もちろん「学校に行けてない子供達」なんですよ。それは「学力が足りない」とか「親が不自由している」とか「お金が足りないから」とか、いろんな理由があるんですけど。その結果、ストリートチルドレンに落ちて行った。
あいつら、仲がいいように見えるんですけど、それは「他の人達から排除されているような子供達が、ピエロという、自分より弱いヤツを見つけていじめているだけ」なわけですね。
「自分は、強いヤツから、権力みたいなものから、もしくは学歴社会みたいなものからいじめられている!」という自覚があるからこそ、それに対して反抗するのではなくて、アーサーみたいにさらに弱いヤツを見ていじめるようになるわけです。
他にも、地下鉄でアーサーをいじめるエリート社員がいます。
あれにしても、エリート社員だからそんなことないように見えるんですけど。実際には、あいつだってウェイン産業でこき使われている社畜なわけですよ。
社畜だから、彼らは安っぽいハンバーガーを地下鉄の中に持ち込んで食うような生活をしているんです。アーサー達から見れば、エリート社員に見えるんですけど、所詮はウェイン産業でこき使われている社畜が、ハンバーガーを電車の中に持ち込んで、女の子をナンパしようとしていただけなんですね。
本当の富裕層というのは何かというと、あの映画の中で『モダン・タイムス』を見てた人達なんです。
市の美術館の中で上映されていたチャップリンの『モダン・タイムス』を見ているような人達というのは、誰にもいじめられてないんです。
だから、特に他人をいじめない。徹底的にアーサー、ジョーカー達とは無関係なままなんですね。
この世界の全ては「不当にいじめられたヤツが、自分よりも弱いヤツをいじめ返し、笑う」という、この連続で成立している。
じゃあ、最底辺の人間はどうすればいいのか? 一番下でいじめられるだけ、笑われるだけの人間はどうすればいいのか?
それはもう、この社会そのものを破壊すればいいんだ! そうすれば、少なくとも、笑われる側から笑う側に回れる!
……と、こういう、とんでもないメッセージを隠した映画が『ジョーカー』なんです。
・・・
しかし、まあ、切ないですよ。
アーサーには、母親からね貰ったハッピーという名前があるんですけど、後にこの名前を捨てるわけですね。
で、本当は自分のお父さんになって欲しかったトーマス・ウェイン、ウェイン産業の社長には、否定されるわけですね。「俺はお前のお父さんではない」と。
その結果、もう1人のお父さんになって欲しかった存在である、ロバート・デ・ニーロ演じるマレー・フランクリンというコメディアンに名付けて貰ったジョーカーという名前を生涯、名乗るんですね。
もちろん、アーサーはマレー・フランクリンを殺すことになるので、憎んでいるようにも見えるんですけど。でも、そうじゃなくて。
ちゃんと彼に名付けて貰った名前を、以後、忠実に名乗り続けるという、まあなかなかキツい話なんですよ。
母親を殺して、マレー・フランクリンを殺して、トーマス・ウェインがジョーカーの影響で殺されて初めて、やっと彼は笑いたい時に笑える人間になったんです。
そして、ラストシーンの謎として「バットマンというのは、実はジョーカーの単なる妄想だったんじゃないか?」という展開を、映画の最後に見せるわけですね。
「もし俺の人生がこういう話だったなら、最高に笑えるのにな」という、ジョーカーの想像上の存在。つまり、バットマンというヒーローは、自分を引き立てる相手役として、ジョーカーの考えた妄想だ、と。まあ、ルパン3世に対する銭形みたいな存在であって、あくまでジョーカーを引き立てるためのサイドキックがバットマンなんだ、と。これが、ジョーカーが考えた楽しい想像なんですね。
俺が産み出した犯罪のせいで、トラウマを抱えちまって、以後、タイツを着て顔を隠しながら正義の味方として一生コソコソ隠れながら暮らす、俺の弟になったかもしれないチビのブルース・ウェイン。あのかわいい男の子が、俺がやったわけでもない犯罪によって、俺みたいなヤツのことを一生恨んで、憎んで。そして、俺のように堂々と顔を晒すんじゃなくて、顔を隠すようなことになって「一生、悪と戦う!」みたいなことを言いながら、コソコソ隠れて生きるようになったら、それは最高に面白いよな、と。
そういう想像をしながらニヤニヤしているジョーカーというところで、この映画はラストに入って行くんですけども。
これはもう『バットマン』の否定であって、再解釈なんですね。
「正義の味方がいるから、それに対する悪役(ヴィラン)が欲しい」という話じゃないんですよ。
そうじゃなくて「悪があるからこそ、その相手役として、マヌケで気の毒なヒーローが欲しい」と。銭形警部が欲しいと。
「俺一人で悪をやっててもつまらないじゃん? だったら、俺のようなルパン三世様には、銭形みたいな、気はいいんだけども、マヌケな、愛すべき存在としてのバットマンが必要だな」と考えたわけですね。
「だから、俺は以後、俺の好きな時に笑うぜ!」と。「俺は笑われるんじゃなく、自分の好きな時に笑う! 笑われるのは、バットマン、お前の方だ!」というメッセージを残している。
だから、『バットマン』の世界の中で、ジョーカーはいつもバットマンに対して笑っているわけなんですね。
こういうところで、やっぱり、バットマンファンというのは、すごく強い衝撃を受けるし、強く反発するわけです。
というわけで、最初に話した、岡田斗司夫が薦める正しい順番の話に戻りますけど。
「『ジョーカー』を見て『タクシードライバー』を見て『キング・オブ・コメディ』を見て、それから『ジョーカー』の2回目を見ろ」と言いました。
『タクシードライバー』も『キング・オブ・コメディ』も、全部、マーティン・スコセッシが監督した80年代の映画です。
つまり、この『ジョーカー』と時代設定が同じ映画なんですよ。
そして、どちらもロバート・デ・ニーロが主演です。
『タクシードライバー』というのは「他人との付き合い方がわからない、自分のやることのメモをずーっととっている、ジョン・トラヴィスという男がテロリストになるまでの話」という、もう本当に『ジョーカー』と似ている話なんですよ。
この映画には、主人公が通っているタクシーの運転手の溜まり場っていうのが出てくるんですけど。『ジョーカー』でも、それに合わせるかのようにピエロの溜まり場っていうのが出てくるんです。アーサーは、毎日、タイムレコーダーを押して、そこに出勤しているんです。「そこまで似せんでも!」って思うんですけど(笑)。
でも、やっぱり、これのおかげでピエロのシーンが面白くなっているんですね。あれって『タクシードライバー』の溜まり場を、そのままズラしてやっているから面白くて。「ああ、そんなのがあるのかな」というふうになっているんです。
あとは、アーサーが自宅で銃を撃つシーンがあって。これも『タクシードライバー』のトラヴィスに似てるんですけど。
やっぱり、何が怖いかって、家で銃を抜く真似をする時に、誰もいないソファーに向かって銃を撃つ練習をするんですよ。その誰もいないソファーというのは、自分のことを「愛している」と言ってくれてるお母さん、自分が世話をしているお母さんがいつも座っているソファーなんですね。
そのお母さんがいないソファーに、ザッザッと銃を向けているのを見て、俺、映画館でゾゾッとして。「すげえ映画を撮ったな……!」って思ったんです。
もう1つの『キング・オブ・コメディ』という映画は「妄想癖がある男が、コメディアンを目指す」という映画なんですけど。コメディアンになりたくて、有名なテレビ司会者のコメディアンを誘拐しちゃうという話なんですね。
この、妄想と現実の混乱構造というのが、本当に『ジョーカー』の元ネタになっている話で。一度、この『キング・オブ・コメディ』を見て、妄想と現実との区別がつかなくなってきて「ラストは、これ、どっちなんだ?」というのを見ておくと、『ジョーカー』を2回目に見た時に、ストレートに頭の中にサッと入るようになってくるんですね。
『ジョーカー』の映画だけを見ていると、ちょっとわかりにくかったところが、すごい整理されるので『ジョーカー』を見て、さらに気になったら、この2本を見てから、もう一度『ジョーカー』を見に行くと、絶対に1回目とは見え方が変わるので、オススメです。
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