岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2019/10/19

 今日は、2019/09/29配信の岡田斗司夫ゼミ「【番組終了記念】『なつぞら』総決算+マンガ版『攻殻機動隊』解説 第3弾」から無料記事全文をお届けします。


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本日のお題『なつぞら』と『攻殻機動隊』

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【画像】スタジオから

 はい、どうもこんばんは、岡田斗司夫です。
 9月29日ですね。やっと涼しくなってきた感じですね。「セミは終わってもゼミは終わらない」というコメントがさっき流れて、なかなかいいなあと思ったので、これを使おうと思います。
 今、コメント閲覧用のモニターが3画面、並んでて、プレミアムとか、ニコ生とか、YouTubeのコメントも見れるようになっているんですけど。
 YouTubeライブっていうのを、今、同時にやっているんですけど、YouTubeライブって特徴があって、見てる人に子供が多いので、「フタ絵」というのを表示したまま生放送がなかなか始まらないと、帰っちゃう人が多いそうなんですけど。
 そう聞いて「そんなヤツは帰れ!」と思って。「子供は来るな!」って思ったんですけど(笑)。
 もう、そういうのに合わせたりするのが嫌なんですよ。
 もう、こんな「ハローYouTube! 岡田斗司夫でーす!」みたいな始まり方あるじゃないですか。で、バッツンバッツン編集で切って、短く短くしてっていう。
 「なんだよあれ!?」って。そういう動画を初めて作ったヒカキンは偉いけど、みんな、あれを真似するっていうのが、個性がない! 「君たちは自分の個性を殺すためにYouTubeしてるのか!?」というくらい、なんかすげえなって思ってるんですけど(笑)。

 今日は、『攻殻機動隊』というマンガを紹介する回なんですけど、この話はもっと後にします。
 というのも、今回、紹介する『攻殻機動隊』の第3話というのは、もう初っ端から、草薙素子お姉さまのスッポンポンから始まって、裸のシーンがいっぱいあるからなんですね。
 こんなものをYouTubeライブでかけたら、もうバッツリ、削除の対象になるので、これはニコ生の方に置いときまして、今日は延々と『なつぞら』の話をするので、まあ覚悟しておいてください。
 ただ、『なつぞら』を見てない人でも楽しめる……というか、まあ、僕が語る『なつぞら』の話ですから、あんまり本編と関係ないんですよね(笑)。
 そっちの方の話をやってみようと思います。今日で一応、『なつぞら』は最終回の予定です。

『なつぞら』残念な2つのシーンと「70年代テレビ局の事情」

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【画像】スタジオから

 じゃあ、NHKの朝ドラ『なつぞら』の話を始めましょうか。
 ついに『なつぞら』も最終回を迎えました。今日はちょっと1話ずつというか、月曜から順番に最終週、月曜から土曜の各エピソードを、1つずつ語ってみようと思います。
 まず、9月23日の月曜日。舞台は昭和50年、1975年ということで、だいぶ現代に近づいて参りました。
 なつの娘の優っていう女の子の小学校の入学があったんですけど。この小学校入学祝いに、旦那であるイッキュウさんのお父さんお母さんから、百科事典が届きました。
 ……『なつぞら』の紹介で百科事典を取り上げるのは俺くらいだと思うんですけども(笑)。
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【画像】百科事典 ©NHK

 この百科事典、ちょっと嘘なんですよ。何が嘘かと言うと、この時代、大学の教授をやっているような両親が孫に贈る百科事典は、日本には1種類しかないんですね。
 それが、平凡社の『世界大百科事典』というやつです。全35巻なんですよ。中身が32巻あって、その他に、索引だけで1冊あって、地図帳だけで1冊あって、あとは現代編みたいなのも付いてたと思うんですけど、それだけで1冊あるという、もう本当にバケモノみたいな百科事典が当時はあったんです。
 昭和40年代から50年代くらいまで「百科事典」と言えば、平凡社の35巻を指していました。で、これ、1巻だけでも結構デカいんですよ。
 この全35巻というのがあまりにも売れすぎたせいで、本棚まで付いてたんです。百科事典を1セット買うと本棚が付いてくる。なので、もし、皆さんの家に『世界大百科事典』があったら、それにピッタリの本棚もあったと思うんですよ。それは何かというと、百科事典に無料で付いてた本棚なんですけど。
 これ、1セットで10万円もしたんですよね。この10万円というのが高いのか安いのかっていうと、まあ、オールカラーだったから、かなり安かったと思うんですよね。平凡社はこれのおかげで大儲けしたそうなんですけど。
 うちにもセールスマンが来ましたし、あと、当時、大丸、そごう、高島屋なんかの大阪のデパートでは、どこにでも売っていました。そんな時代です。1970年代あるあるですね。
 だから、百科事典を出すなら、その全35巻のやつをちゃんと出してほしかったんですよね。
 僕は、1972年版、つまり、本来だったら『なつぞら』に出て来るべきバージョンを中学2年生の時に買ってもらったんですけど。
 第1巻の「あ」から読み始めて……1972年版なのに、69年の「アポロ計画」の記述がもうすでに古かったんですよ。というのも、実は百科事典って、5年くらい前に記事を書いているんですね。それで間違いがないか徹底的に調べるから、72年に売っているバージョンには、1967、8年くらいの知識しか入っていないんですよ。
 それでも、メチャクチャ面白かったですね。早く「う」の「宇宙」のところに行きたかったんですけど、まあツラい。百科事典を頭から読むのって、本当にシンドくて。僕は結局「さ」とか「た」まで行ってなかった気がするんですけど。
 ただ、百科事典を読むのの何が良いかって言うと。「この世の中には知らないことが無限にある」ということは、別にネットでもなんでもわかることなんですよ。ただ、百科事典のメリットというのは、ネットと違って「この世の中には知識は無限にあるんだけど、それらには限界があって、だいたいなら把握可能である」ということが、物理的にわかるところなんですね。
 「ここからここまで読めば、一応はわかったことになる」ということがわかるので、ネットを触った時の「うわっ、世の中には無限に知らないことがあって、キリないや!」という、あの絶望感がないのが百科事典のいいところだと思います。

・・・

 あと月曜日の『なつぞら』の最後の方で、泰樹じいちゃんが、アニメ『大草原の少女ソラ』を見て感動していました。
 感動していたのは、レイという第1話で拾った男の子との別れのシーンです。
 これは、その夜明けのシーンなんですけど。
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【画像】夜明けシーン ©NHK

 夜明けのシーンって描くの難しくて。これは天陽君のお兄さんが背景を描いているところなんですけど。この岩の上の縁のところに白い塗料を乗っけているのがわかりますか? これは、向こうから朝日が昇ってきて、その朝日のハイライト、照り返しだけを描いているんですよね。
 これは、なつがお父さんを描いているところなんですけど。ここではお父さんの顔に影を入れてるんですよ。
(パネルを見せる)

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【画像】影入れセル画 ©NHK

 実際のセルになったらこんな感じですね。
 このアニメは、キャラクターに影がないんですね。たぶん、動きを重視するために。まあ、絵としてはちょっと安っぽくなっちゃうんですけど。
 ただし、こういう太陽が昇る時とかは「顔に日が当たって、その反対側には影ができる」というコントラストをちゃんと描いているんですね。

 天陽君のお兄ちゃんが描いている背景も、太陽そのものを描こうとするのではなく、そのハイライトを描いています。
 アニメーションの表現というのは、太陽みたいな光るものを描く時、太陽そのものを描くのではなくて、その影響、例えば「岩の端っこにハイライトができる」とか、もしくは「顔に日差しが当たって、その反対側に濃いめの影ができる」というふうにして、夜明けに見せているわけですね。
 これは前回の、美味しそうな食べ物をどう表現するのかというのを「美味しそうな食べ物の作画を頑張る」のではなく、「そのにおいを嗅いだキャラクターの美味しそうな顔を見せる」ことで、見ている人の頭の中に「美味しそう!」と思わせるのと同じです。
 リアクションを描くことが、実はこのアニメーションの基本なんだということです。
 ただ、まあ、それはいいんですけど。残念なところもあって。
 ここでは「太陽が昇って来る」んですよ。でも、このアニメでは、太陽が昇ると、影が段々と伸びるんですよね。
(パネルを見せる)

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【画像】伸びる影 ©NHK

 この「影が伸びる」って、変な話で。だって、伸びるはずがないんですよ。太陽がゆっくりと昇っていくということは。まあ、こういうふうに描きたいのもわかるんですけど。短い影というのは、太陽が高い位置にあるってことですよね? それが段々と伸びているということは、これ、日が沈んでいる時の描き方なんですよ。
 でも、なんとなく「太陽が昇って来たら影が伸びる」みたいな印象があるから、ついつい、こういうふうに描いてしまっている。たぶん、アニメを描いている人もわかって描いているんでしょうけど。こういうふうに描くと、日が沈んでいるように見えちゃう。
 まあ、ちょっと、そこが残念ですね。

・・・

 ところが、9月24日火曜日のシーンになるんですけども、そうやって頑張って作っていたところ、テレビ局のプロデューサーから電話が掛かってきます。
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【画像】電話を取るマコさん ©NHK

 マコさんが電話を取るんですけど、向こうにいるイッキュウさんは気が付いていません。
 どんな電話をしているのかというと、局のプロデューサーが「一週間前の納品の約束なのに、どうなっているんだ!? お前ら、前日納品するつもりか!」と、ものすごく怒っています。
 マコさんは一生懸命謝りながら、「でも、みんな、今、プライドを持ってやっているんです! 彼らを支えているのは誇りだけなんです! 今、質を落とせと言ったら、みんな逃げてしまいます!」と言うんですが、「プロデューサーを脅すつもりか!?」と、ちょっと口喧嘩になってしまいます。

 なんでテレビ局のプロデューサーは、納品が遅れていることにこんなに怒っているのか?
 これ、もう、今ではかなり事情が違ってくるんですけど、当時1970年代くらいのテレビ局の事情というのがわからないと、ただ単に横暴なプロデューサーとか「納品スケジュールを守れ」と言ってるだけの無能なプロデューサーに見えちゃうんですね。
 そうじゃないんですよ。あのね、この当時のテレビ局って、まだコンピューターで制御するようになる前なんですよ。
 今のテレビ局って、全ての放送データを、一度VTRテープに落としているかどうかはわからないんですけど、デジタルデータにして局のコンピューターの中に溜め込んで、タイミング合わせて順次送り出しているから、生放送とかにもすごく強いし、CMの差し替えとかも対応できるんですけど。1970年代までのテレビ局ってそうじゃないんですよね。

・・・

 例えば、『大草原の少女ソラ』の放送は日曜日の夜なんですよ。
 日曜日の夜で1週間前納品ということは、前の週の月曜日か、もしくは前々週の土曜日の午後くらいまでに、完成したフィルムを納品しなきゃいけない。アニメーションですから。
 当時のアニメは普通、16ミリフィルムで撮影されているんですけど、『アルプスの少女ハイジ』って、クオリティを上げるために、劇場映画並みの35ミリで撮影してたんですね。『ソラ』も、たぶん、品質にこだわるイッキュウさんですから、35ミリで撮っているんじゃないかなと思います。
 そのフィルムが納品されたら、局はそれをそのまま現像所に持って行って、ビデオテープに「テレシネ」します。
 テレシネというのは、簡単に言っちゃえば「良い映写機にフィルムをかけて、それを反対側か同じ側からすごく良いビデオカメラで直撮りすることによって、ビデオ信号に変えること」。これをテレシネと言います。
 そして、テレシネすると同時に、16ミリフィルムに「デュープ」します。
 デュープというのは、局の中で見る時には扱いにくい35ミリのフィルムを、16ミリのフィルムに落とすことですね。35ミリフィルムを上映するためには、映画館の劇場並みの設備がいるので。
 なぜ16ミリに落とすのかというと、スポンサーと局と代理店の試写会を開かなきゃいけないからなんですよ。これは、テレビ局に納品される、ニュースや局制作以外の作品、全てそうなんですけど。だいたい「スポンサー試写」っていうのがあるんですね。ひょっとしたら、バラエティーでも、まだあるかもわからない。「今回放送予定のVTRです」というような試写をして「問題ないですね?」と、全員の同意を取らなきゃいけないわけですね。
 そうやって、16ミリにデュープしたフィルムで、局の中にある上映所で試写を行って「これで問題ないですね?」と、スポンサーと局と代理店の3つのOKが取れたら、テレシネした1インチ幅のVTRテープ、まあ、リールのビデオテープですね。「『大草原の少女ソラ』第39話」とかラベルされたものが、放送マスターに決定されるわけです。
 この放送マスターはどうするのかというと、次の段階で、3時間くらいのオンエア用のマスターを作ります。
 これ、何かと言うと、アニメは25分とか20分とか、それくらいしかないじゃないですか。その前とか後ろの番組までくっつけて、間にCMを入れて、夜6時から9時までの3時間分のテープを作るわけですね。これが放送用マスターです。
 このマスターというのは、だいたい生放送の報道番組とか歌番組とは別枠で、放送当日の3日か4日前に作るんですよ。
 つまり、日曜日に放送予定のアニメだったら、その前の週の火曜か水曜日にはオンエア用マスターの3時間くらいのビデオテープができてなければいけないんですね。
 だから、もし、このアニメが放送1週間前に納品されてないとなると、そろそろ担当のプロデューサーは、同じ長さの別番組を用意するハメになります。
 再放送でもいいですし、まあ、別のドキュメンタリーでも何でもいいから用意して、それを差し込んだマスターテープを作るわけですね。
 それと同時に、新聞のラテ欄……ラジオ・テレビの番組欄というのが当時の新聞にはあったので、そこの人たちに電話をして「次回の『大草原の少女ソラ』に(仮)を入れてくれ」って言うわけですね。
 番組名と放映されている内容が違ったら、後で新聞社に苦情の電話とかハガキが来るもんだから、「仮入れ」というのをやってもらうんです。
 こうやって、完成した3時間のマスターテープを、タイマー付き自動再生機というやつにガチャッとはめるわけです。これ、ガチャッとはめたら、局によっては鍵まで掛かるんですよね。
 それが予約した夕方の6時になったらガチャッと動き出して、再生が始まって、それが放送されるわけです。9時からの機械は別にあって、9時からのテープも、また3日くらい前からガチャッとはめているわけですよ。
 そうやって、生放送があるところまでタイマー付きの自動再生機がずーっと並んでて、順番にガチャッガチャッと動き出して、僕らが見るテレビ番組が出来ている。
 これが、1970年代の、電子化されていないが、タイマー付きで電気化されている放送局のシステムなんですね。1時間から3時間毎くらいに再生装置が自動的に切り替わって、オンエア用のマスターが次々とノーカットで流れるわけなんですけども。
 もし、『ソラ』というアニメが放送に間に合わず、そのまま代理の番組、再放送なりなんなりが流れちゃったら、担当プロデューサーは始末書を書かなきゃいけなくなります。
 しかし、マコさんに怒りの電話を掛けている担当プロデューサーが恐れているのは、それではないんですよ。
 「放送が間に合いませんでした。 → 穴が空きました。 → 代わりの番組、もしくは再放送です。 → 始末書を書きました」っていうのは、まあ、避けたいんですけど、あることはあることなんです。それはもう、仕方がないことなんですね。
 でも、彼が恐れているのは、もうちょっと最悪の事態なんですよ。
 それが何かと言うと、前日納品なんですよね。「落とすより怖い前日納品」というやつなんです。

アニメ作品の納品スケジュールと「線撮り」

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【画像】スタジオから

 「1週間前に来なかった」という場合、プロデューサーは代理の番組を探し始めます。しかし、そんな中、前の日であっても、納品されてしまったら、テレビ局の人間としては差し替えるしかないんですよ。
 でも、差し替えると言っても、マスターテープは作っちゃってるじゃないですか。そして、3時間のマスターテープをもう一度、頭から作り直すとなると、コンピューターにデータが入っているわけじゃないから、1日以上かかるわけですね。
 すると、どうなるのか? この差し替えを、電子的ではなく、物理的に、1インチのビデオテープをカットして、繋げることをするんです。
 各放送局には必ず1人はいたというビデオテープを切る名人が、VTRテープを斜めにカットするんです。というのも、1インチのVTRの信号というのは、VHSなどの家庭用のビデオも同じなんですけど、斜めに連続して信号が入ってるからですね。髭剃り用のT字カミソリで、シャッと斜めに切るんですよ。
 で、この斜めに切る時の角度とか位置が違ったら、放送信号が荒れるわけですね。
 そうやって、代理の番組の部分を取り除いて、次に納品された『大草原の少女ソラ』の完パケの端っこをシャッと斜めに切って、繋げる。
 フィルムと言っても中身は見えないんですよ。黒に近い灰色のビデオテープだから、何も見えないんでけど。「だいたい合ってるな?」と思った箇所をスパッと切って繋げて、青い色をした磁気粉末塗料というので止めるわけですね。
 「人によってはセロハンテープみたいなのを使った」という話もあるんですけど、もう、この時代のテレビ局のことって、ほとんど伝説になっているので、僕も又聞きなんですけど。
 そうやって、青い塗料を塗って、ビデオテープ同士を接着するのと同時に、磁気信号を均したそうです。
 この時に、カミソリを入れる角度とかが間違っていたり、あとは磁気塗料の厚みにムラがあると、なんと、その箇所で、放送を受信している日本中の全てのテレビに「ブーン!」という一瞬のノイズが入ることになるんですね。
 このノイズが酷ければ、テレビによっては、5分とか10分は元に戻らないんですよ。
 昔のテレビは「ブン!」とノイズが入ることが時々あったんですけど。それって、だいたいカミソリを入れたからなんですよね。
 カミソリを入れる箇所や磁気塗料の厚みがちょっと違うだけなら、一瞬のノイズで済むんですけど。これが下手クソだと、5分とか10分くらい砂嵐みたいになって見えなくなってしまうんですね。下手したら、そのテレビの形式が古かったりすれば、30分とか1時間くらい調子が戻らないことすらあったんです。
 そうなったら、テレビ局には苦情の電話が殺到して、電話回線はパンクします。担当プロデューサーも、もう始末書ではすみません。
 そういう時によくあったのが……テレビ局って、土地を持ってるところが多いので、系列会社で不動産をやってる場合が多いんですよ。そういう分譲マンションとか建売住宅とか賃貸の不動産屋とかに出向という名目で島流しに合うんですね。出向じゃないんですよ。一生出向ですから。
 だから、彼はマコさんに怒鳴っているわけです。「お前、ふざけんなよ! 1週間前に納品の約束だったはずだろ!」って。
 これ、1週間前納品というだけでも、彼はかなり妥協しているんですよ。僕が『ふしぎの海のナディア』の時にNHKに言われたのは、3週間前納品ですからね。
 まあ「3週間前納品を絶対に守ってくれ」と言われた瞬間に、僕は「いや、1週間までは大丈夫なはずだ。放送マスターを作るのは3日くらい前だよな」と読んでたんですけど(笑)。
 でも、前日は流石にメチャクチャだよ、そんなの。
 というわけで、今、放送局で働いている人でも、なかなか知らない人も多いんですけど、前日納品が怖かったのは、こういう理由があるからなんですね。
 前日だろうが、納品されちゃったとしたら、それを放送しなかった場合、責任問題になってしまうので、生テープをカットして間に挟むしかない。でも、それをすると、日本中のテレビ受信機にノイズが入って、ヘタしたら苦情が殺到する。そういう恐怖があるわけです。
 マコさんは、この話をイッキュウさんに聞かせないように、他の制作の人に「演出には言うな。私達でなんとかする。私達で締め切りを守れ」と言うんですけど。
 でも、イッキュウさんみたいなタイプの人には、絶対に「局のプロデューサーから苦情が来てます!」って言った方が良いんですよ。
 なぜかと言うと、「あらゆるクリエイターというのは、締切をギリギリまで読むものだから」です。
 このイッキュウさんのモデルになった高畑勲自身も『アルプスの少女ハイジ』のコンテを全然描かなくて。それどころか、担当プロデューサーに「いい加減にしろ!」って怒られた時に「なんでテレビアニメを毎週毎週放送しなければいけないんですか!?」っていう、ムチャクチャな逆ギレをして、大喧嘩になった事があったんです。
 それを、間に入って止めた宮崎駿が「じゃあ、俺がコンテ切ります!」と言って、腕を組んだ高畑勲が口で言う内容を、そのままコンテにして描いたことがあって、その時に「この人は本当に締め切りを守れない人だ」と、宮崎駿は思ったそうなんですけども(笑)。
 まあ、そういうことなんですよ。だから、早目早目に、演出家なり現場のクリエイターには「これくらい遅れていて、これくらいヤバい」と言った方が良いんですね。

・・・

 さらに、制作進行の男の子のミスで、作画用紙を落として濡らしちゃったりして、制作は遅れて行きました。
 その結果、ついに……俺も、まさかNHKの番組でこれが見れるとは思わなかったんですけど。「線撮り」というのが行われます。
(パネルを見せる)

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【画像】線撮り ©NHK

 声優さんのアフレコの時に、絵が用意できなくて「はい、青い線が出たらレイさん役の方、喋ってください。赤い線が出たらソラちゃん喋ってください」という、線撮りという光景ですね。
 最近のアニメ好きな人なら、ある程度は知ってると思うんですけど。線撮りというのは、絵が間に合わない時に「声優さんにこの色の線が出たら、セリフを喋ってください」と言って行う収録なんですね。
 この場合、出演者が2人だから、まあ、まだ救いがあるんですけど。場合によっては、3人4人出てきて、いろんな色の線が乱れ飛ぶこともあります。

 この線は、通称デルマ、正しくはダーマトグラフという、三菱鉛筆が開発したグリスペンシルという油性の色鉛筆で描いてあります。
 このデルマって、芯が柔らかくて油性だから、ガラスとか陶器にも描けるし、人間の皮膚にも描けるんですね。だから、手術する時の「ここをカットするよ」という指示みたいなことにも使うんですけどもですね。
 これは、実際に絵コンテを16ミリで撮影して、その上にデルマで、セリフの入るタイミング合わせてシャーッと線を引いているんですけど。まあ、レイは青い線、ソラは赤い線ですね。

 この線撮りにも段階がありまして、1番から6番まであります。
(パネルを見せる)

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【画像】線撮り段階

 第1段階の「タイミング撮り」というのは、セルを撮影しています。
 「セルは間に合ったんだけど、背景だけ間に合わない」とか、もしくは「色パカがあったので、後で直します」とか、リテイクするんだけどセルは間に合っているという段階のことを、タイミング撮りと言うんです。
 口パクのタイミングとかが全部わかるから、タイミング撮りと言うんですけどね。
 このセルが間に合わなかったら、第2段階の「動撮」、「動画を撮影する」というバージョンになります。
 この動撮になってくると、そろそろ声優さんの嫌味が始まる頃ですね。「ああ、今回も動撮ですか」って言われます。タイミング撮りくらいまでは、あんまり言われないんですけど。
 それも間に合わなかったら、第3段階の原画撮影、「原撮」ですね。
 原画撮影とかになると、口は動かないし、動きもわからないから、もう演技のつけようがないんです。正直言って。
 この原画撮影も間に合わない場合は、第4段階「レイアウト撮影」というのがあります。
 原画に入る前に、原画の人と背景の人が会って打ち合わせして「画面レイアウトはこんな感じで行きます」って決めるんですけど、この時のレイアウトをそのまま撮影しちゃうのがこれです。
 そのレイアウトも間に合っていない時、世の中には「コンテ撮り」という恐ろしいものがあります。
 このコンテ撮りは、絵コンテを撮影するんです。
 しかし、この絵コンテすらも、いよいよ間に合わない場合というのが世の中にはあって。まあ、『超時空要塞マクロス』でもあったはずだし、手塚治虫さんの24時間アニメでもあったはずなんですけど。最終段階として、純粋な「線撮り」というのがあります。
 これは「素材なし」ですね。つまり、何も映っていない16ミリフィルムに、演出助手が「えいやっ!」と引いたデルマの線だけを頼りに、とりあえず声優さんにアテレコしてもらって「声と作画した絵とあうかどうかは、それはもう、後のお楽しみ」という方法で合わせる方法があるんですけど。
 今回の『なつぞら』では、見ていただいたらわかる通り、コンテ撮りなんですよ。
 恐ろしいことに、絵コンテをそのまま撮っている。つまり、第5段階まで行っちゃってるわけですね。
 これね、おっかないですよ? もう、声優さんによっては、怒って帰っちゃうんですよね(笑)。
 まあ、声優さんやスタジオを、予め何ヶ月か前から押さえなければいけないから、こういう事態になるんですけど。
 『ルパン三世』のルパン役をやってた山田康雄さんは、すごい真面目な人で、ルパンのアフレコで、もう本当に、1カットだけ絵が動いてなかった、つまり動撮か原撮だったという時に、スタジオから出て行ったことがあるというエピソードがあるくらいですから。
 まあ、正直言って、原撮あたりからは、もう演技のつけようがないので、本当にラジオドラマになっちゃうんですね。
 しかし、1980年代、この『そら』が放映される5年後辺りから、アニメブームが本格化して、テレビアニメが毎週40本とか50本というありえないスケジュールで作られるようになり、もう原撮や動撮も当たり前になりました。

・・・

 注意したいのは、アニメーションというのは手作業だから、全ての作業にギャラの支払いが発生するんですよ。
 アニメーションの撮影というのは、セルを1枚ずつ、1秒間を24コマに分けて1コマずつ撮るんですけど。それがアフレコに間に合わなかった場合、どんどんこういう線撮りになるわけです。
 この線撮りのためのフィルムにも、だいたい、セル撮影とほぼ同じギャラが発生するんですよ。

 このコンテ撮りって何かというと、例えば、普通にアニメーションを撮る場合、3秒のシーンだったら、1秒間12コマだから、36回素材を変えて、パシャッパシャパシャと1枚ずつ撮っていくんですけど。
 これがコンテ撮りの場合は、コンテの1コマを大写しにして、そこで3秒間分、パシャパシャと連続で撮るわけですね。
 もう、本番では全く使わない無駄なものを、延々と30分番組分撮影して、演出家がそのフィルムの上から線を引くから、結局、同じお金を撮影さんに払わなきゃいけないんですよ。
 つまり「スケジュールが遅れる」ということは、単に「時間が遅れる」というだけでなく、「同じ支払いを2回しなきゃいけなくなる」という意味でもあるんです。撮影費が2重払いになっちゃうので、結構シンドいんですよ。
 先週も話した目玉焼きのシーンや今回の「良いものを作るためにアニメーターが頑張る」というのは、感動的に聞こえるんですけど、毎週オンエアするアニメでクリエイターのワガママを許しちゃったら、仕上げとか撮影に、ひたすら負担が行く。後ろへ行けば行くほど、このしわ寄せが激しくなるんですね。
 作画スタジオというのは、『なつぞら』を見て分かる通り、所詮は鉛筆と紙しかない清潔な環境なんですよ。
 ところが、これが仕上げ部門、つまり、仕上げの外注のおばちゃんのところへ行くと、そこら中、絵の具だらけで、しょっちゅう洗わなきゃいけなくて、未乾燥の塗料があって、湿って不潔な環境になるんです。
 さらに、それが撮影に行くと、撮影所というのはだいたい地下にあって、そこから外に出られずに、太陽の光を全く浴びないまま、暗い所で人間がずっと手袋をしっぱなしで作業をする、と。
 だいたい、アニメーターが頑張って一晩徹夜した結果というのは、仕上げは2晩徹夜することになるし、撮影は3日間徹夜することになるんですね。後ろに行くほど被害が酷くなってくるんですよ。
 だから、今回の線撮りのシーンというのを見ちゃうと、僕は笑うと同時に溜息が出るんですよね。「うわっ、キツいな」と思って。

・・・

 このアフレコのシーンで僕が楽しかったのは、これは『大草原の少女ソラ』の最終回で使われた台本なんです。
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【画像】『ソラ』台本 ©NHK

 「第39話 最終回:優しいあの子」って書いてあって。オープニングの曲名と同じタイトルに持ってきた、と。なんか、最後までちょっと余裕を持って遊んでいるところが、ちょっと楽しかったんですね。
 第1話の時は、こんな台本だったんですよ。
(パネルを見せる)

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【画像】『ソラ』初回台本 ©NHK

 「第1回:新しい家族」っていうやつなんですけど。
 でも、この台本、『大草原の少女ソラ』とは書いてあるものの、放送局も何も書いてないんですよ。最終回の台本には「UTV」ってちゃんと書いてあるんですけど、こっちは放送局も書いてない。
 だから、たぶん、この第1話の台本をスタッフが作った頃は「放送台本の表紙には何が書いてあるのか?」っていう取材をしてなかったんですね。で、それを先輩に見られて「バカ野郎! テレビの台本に放送局名が書いてないなんてことがあるはずないだろう!」と。
 本当は代理店名も書かなきゃいけないんだけど、「まあ、そこはいいや」と思って、こうなったんだと思います。

 それと同時に、ついに『大草原の少女ソラ』のポスターも発表されたんですけど。
(パネルを見せる)

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【画像】『ソラ』ポスター ©NHK

 「制作:マコプロダクション」ってわざわざ書いてあるんですよね。他にも、一応、放送が「UTV系列にて毎週日曜日7時30分」って書いてあるんですけども。「いやいや、普通、スポンサーを書くよね?」と(笑)。
 スポンサーと代理店をここにびっちり書くはずなんだけど、ここらへんがこうNHKっぽい嘘だなと思いました。
 まあ、このポスターの絵は、僕は結構、好きなんですけども。

・・・

 ちょっと一旦、コーヒーを飲みますね。
 ここまで『なつぞら』を見てない人でも全然楽しめる……アハハ、「楽しめる」というのは当たり前ですね。『なつぞら』とは関係ない話ばっかりですから(笑)。
 いや、こういうところばかり気になっちゃうんですよ、本当に。すごい取材して、遊んで作ってくれているのに「台本に局の名前が入ってない」とか、あと「ポスターにスポンサーの名前が入ってない」って、ありえないだろうと。
 あと「日本全国で日曜日の7時半に放送されるはずないだろ!」と。あの当時、1つの番組を日本国中同じ時間でオンエアするなんて、NHKだけなんですよ。絶対に民法は、例えば佐賀テレビは土曜日の7時半からとか、大阪だったら読売テレビで月曜の夜8時とか、絶対にそういうふうになるんですよ。だから、系列局の名前をズラリと書いてあって、それぞれ何時に放送されるのかを書くのが、もうお約束なんですけど。
 NHKの人は、そういう民放のお約束というのを知らないから、ついつい「日曜の夜7時半より」って書いてしまうんですよ。
 そこらへんも「なんか、NHKって、世間知らずでかわいい」とか思ったりするんですけどね。

最終回で描かれた「開拓者精神を取り戻す」じいちゃんとなつ

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【画像】スタジオから

 じゃあ、『大草原の少女ソラ』の最終回ですね。
 最終回は、ずっと実家の牧場を守っているソラの元に、東京で自由になっていたレイが帰ってくるシーンなんです。
(パネルを見せる)

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【画像】ソラとレイ3カット ©NHK

 ちょっと俯瞰気味の構図で、牛と一緒に歩いています。そんな中、「あ、あれは!」みたいな感じでハッと気がつくと、向こうから「ソラ!」って声がしてびっくりするっていう、この3カットなんですけど。
 この3カット、何気ないように見えて、死ぬほど大変なんですよ。
 まず、1番上のコマからいきましょう。
 1番上のコマ、斜め上から撮っているんですけど、牛が歩いている時に、牛の肩甲骨が全部動いているんですよね。牛の前足の肩甲骨まで作画しているんですよ。
 そんなアニメ、たぶん、みんな見たことないと思うんですよね。だいたい、テレビアニメに牛が出てくることすら稀なのに、その牛が歩く時に肩甲骨まで動かさないんですよ。
 次に、この横向きのシーンで、この牛が歩く時にも、上下動をしながら、この肩の部分の盛り上がりだけは、ちょっと大きく動いているんですよ。「肩甲骨動かしてる!」って思って。
 肩甲骨がちょっと前後に動いてですね、上下以外に前後に動いているんですね。
 最後が、ソラが「あっ!」と気がついて止まるシーンなんですけど。4頭の牛が、下り坂をゆっくりと歩いている。すると、2頭だけがソラと一緒に止まるんですけど、この4頭の牛の足並みが全部違うんですよ。
 あのね、4つ足動物を動かしてね、その足並みを乱すというのはすごく難しいんです。もちろん、相手は動物だから、現実には、人間みたいに整列してザッザッと行進して歩くはずがないんです。だから、4頭の動物とか描く時って、足をごまかして描くものなんですけど。
 これね、描いちゃってるんですよ。4頭の牛の足並みをバラバラで作画してて、おまけに、下り坂で自分の体重にちょっとブレーキかけながら2頭が止まる様子というのを描いてて。
 僕、なんか、すごいよ、この回! アニメーターが本当に頑張って描いてる! ……でも、ほとんどの視聴者はスッと流すだけなんだろうな、と。「ああ、『ハイジ』っぽいな」とか思って。
 でも、『ハイジ』にはこんな豪華なシーンはないですから。ここまですごいシーンはないんですけど。

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【画像】ソラとレイ、ラストシーン ©NHK

 で、遂にラストシーンになります。
 ラストシーンは、東京……かどうかは知らないですけど、都会に出て獣医になって帰って来たレイという男の子と、主人公のソラが、互いに走り寄ってきて、てっきり抱きつくのかと思ったら、握手して、お互いを見つめ合って再会を喜んで、2人で未来を語り、最後は「奥にある家で、お父さんとお母さんが待ってるわ」と言って、手を繋いだまま、牛4頭と一緒に歩いていくというシーンで終わるんですけど。ここでまた、後ろから見た牛4頭の作画というのをやってるんですけどね。
 「お父さんとお母さんが待ってるわ」と言う時のソラは、なんで妹のことを言わないんだろう? 何があったのかな? って思ったんですけど。ただ、僕、このレイとソラが再会するシーンで、実はちょっと感動しちゃったんですね。

 なんで感動したのかなと、自分でも原因を考えたんですけど。
 結局、それは何かというと、このソラという女の子と、レイという男の子って、男女関係を変えたなつと天陽の話なんですね。つまり、それぞれが「田舎で待っている天陽君と、東京に行ってしまったなつ」というものを象徴しているというか。
 まあ、どっちもなつなんですよ。表現しようとしているのは、2人のなつ。こうあるべきだった、おじいちゃんから「こうなってほしい」と思われていたなつと「でも、私はこうなってしまった」というなつの2人が和解する話なんですね。
 というのも、もともと戦災孤児の身寄りのない自分を育ててくれて、一度はおじいちゃんにも「絶対に私は農場を継ぐ! 牛飼いになるんだ!」と言って、農業高校まで行っていた自分がいるわけじゃないですか。ところが、反対するおじいちゃんを説き伏せて、東京で夢を叶えてアニメーターになった自分というのがいるわけですね。
 なつの中でも、2人の自分というのが矛盾していて、時々心が痛くなっていた。それが、ようやっと最終回で和解するという話なんです。
 泰樹じいちゃんは「ちゃんと東京へ行って、東京を耕して来い!」、という風に言ってくれるんですけど。泰樹じいちゃんが「東京へ行け」と言った時、もちろん本音100%ではないんですね。
 だから、じいちゃんは「まだなつは帰って来んのか? ツラかったら、いつでも帰って来ていいぞ」とか「まだ来んのか?」ってずっと言うし。あと、なつ自身も、自分のやりたいことがわからなくなって、アニメーターを辞めたくなったこともある。
 例えば、『魔界の番長』というアニメの制作をやらされた時は、娘にも「あれ嫌い」と言われるし、なりたくてなったアニメーターの仕事についても「もう他の同僚の女の人と同じように自分も辞めてもいいんじゃないかな?」と思っていた。
 つまり、なつの中にも、ちゃんと2人の自分というのがいるわけですよね。「アニメーターになったんだけど、本当は田舎で農家を継いでた方が良かったんじゃないか?」という自分が。
 そういった2人の自分、おじいちゃんをいわば裏切ってアニメの世界に行ってしまった自分自身と和解するシーンとして、ちゃんと成立しているので、ちょっと僕、感動しちゃったんです。

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 あと、アニメの中のおじいちゃんが、夜明けの空を見るシーンというのがあるんです。
 自分が引き取って育てていたレイという男の子が「僕は医者になりたい。だからここにいるわけにいかない」と言った時、「そうか、お前は行って良いんだ」と、夜中に話している時に、夜が明けて、陽が射して、という良いシーンがあるんです。
 まあ、このシーン自体には、僕は何も思わなかったんですけど。それをテレビで見ていた泰樹じいちゃんが、ちょっと涙ぐむんですよね。
 そこら辺で、なんかこう「ああ!」って繋がりだしたんです。

 結局、この『なつぞら』という作品は、基本的に「なつがやったことで、おじいちゃんの心が動く」という構造になっているんですね。
 だから、なつが農業高校の演劇部にいた時に、『白蛇伝説』という舞台をやったことで、それまで農業組合に加盟して牛乳を売るということを反対していたおじいちゃんが行動を変えたわけです。
 それは『アルプスの少女ハイジ』の中で、ハイジという女の子が来たおかげで、里の人から嫌がられて怖がられてたアルムおんじという人に、どんどん人間らしい部分が出てきた。
 それまでにも人間らしい部分はあったかもしれなかったけど、アルムおんじの方も、村の人が嫌で怖かったから、逆に怖い人を装ってたんですね。それがハイジという女の子が1人来たおかげで、解けていって、アルムおんじが変わって行くというのが、やっぱり『ハイジ』の見所なんですけど。
 それと同じなんですよ。泰樹じいちゃんは泰樹じいちゃんで、農業高校の演劇を見た時に「今の俺ではいけないな」と思ったわけですね。

 天陽君というなつの幼馴染が新たに農業をやると言った時に、じいちゃんは最初「あんなヤツに無理だ! わしらがあんなに苦しんだ、何もない土地を開墾することなんて、出来るもんか!」って言ってたのに、最終的には、一緒に開墾を手伝ってくれて、農地を作ってくれたんですけども。
 こういう時のじいちゃんというのは開拓者なんですよ。自分が自称している通り、開拓者一世で、まだ開拓者の魂を失っていない。
 しかし、農協を拒否して、直にメーカーと契約して、自分の牛乳だけが高く売れていればいいと思っていたじいちゃん、つまり『白蛇伝説』の舞台を見る前のじいちゃんというのは、もうすでに開拓者ではなくて、既得権益にしがみつく権力者になっていたんですね。
 もう、自分でも気づかないうちに「開拓者一世として、まだ生き残っていて、そして最大の農場を持っている」という強みのおかげで、いつの間にか権力者になっていた自分を、なつの演劇『白蛇伝説』が「ああ、俺は開拓者のはずなのに」って、現役の開拓者へと復帰させてくれた。
 そういう構造でできているんですね。
 だから、僕はついつい、『なつぞら』という作品が、例えば東京へ来て、東洋動画に入った時に、社長がカネカネ言う人だったり、その後、労働争議があるという歴史的な事実もあったので、そういう部分も同じように描いて行くのかと思ってたんですけど。でも、お話はそっちの方に行かないんですね。
 本当に、徹底的に、なつと泰樹じいちゃんの関係というのが、このお話の中ですごい力を持っている。
 なので、逆に言えば、他の人がほとんど脇役になっているというところが、まあ『なつぞら』の長所でもあり、欠点でもあるんですね。

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 話を戻します。
 なぜ、泰樹じいちゃんは『大草原の少女ソラ』の夜明けのシーンを見て泣いたのかというと、やっぱり「何かが変わったから」なんですね。
 では、何が変わったのかと言うと。じいちゃんの家族というのは、みんな、ちゃんと泰樹じいちゃんの夢を継いで活躍しているわけですね。
 例えば、最終回で、天陽君の残された遺族たちは、ちゃんと農地を守っているし。あと、自分の跡取りの孫がいて、その嫁はアイスクリーム屋を作ろうとしているし。孫娘(長女)の嫁ぎ先は、自分の大好きなスイーツ、洋菓子を作るところで働いている。
 それはね、テレビを見ている僕らにとっては、単に、当たり前のラストの大団円に向かって「みんな、めでたしめでたし」というシーンの数々なんですけど。
 でも、登場人物である泰樹じいちゃんとしては「みんな、自分の夢を継いでくれているんだ」とは認識していないんですね。どちらかというと、「身体が弱くなって動けなくなっている自分というのがいて、そして、家族達だけが元気で、やることがある。もう自分は必要なくなったんだ」という気がしていると。
 牛舎は新しく電気化されて、電動の搾乳機が入って、もう自分は既に要らないものになっている。開拓の時代は終わって、自分はもう老人で、杖をつかなきゃいけなくなった。「もう自分の時代は終わっちゃったんだ」と、悲観して元気がなくなっちゃっている。そのせいで、もう動けなくなっているわけですね。
 しかし、『大草原の少女ソラ』というアニメーションは、そんなじいちゃんの生き様とか人生を、丸ごと大肯定してくれるわけです。
 アニメの中の朝日を見て「俺もああいう朝日を見た」って、何回も言ってるんですけど。
 この朝日っていうのは、てっきり希望の象徴みたいに思えるんですけど、全然違うんですよ。希望の象徴じゃなくて、絶望の終わりを示しているんですよ。
 なぜ、開拓者たちが朝日を見たのかというと、それは「眠れない夜があったから」なんですよ。酷い災害があったり、冷害があったり、もしくは「牛が死ぬかもわからない」という恐怖の夜があったから。その恐怖の夜に日が射して、終わるから、なんですよ。
 これは「恐怖が終わる」というわけではないんですね。「その夜が終わる」というだけなんですよ。
 だけど、朝日が昇ることによって、災害があったこと、水害があったとか地震があったとか、それがなくなるわけではないんだけど、「でも、そんな日でも夜が明ける」という、かすかな希望だけはある。
 朝日というのは、絶望が終わったサインなんですよ。そして、昨日の分の絶望が終わったから、また今日も歩き出さなきゃいけない。
 なんか、そういう力強いものを思い出したので、泰樹じいちゃんはすごく感動するわけですね。「そういうことを、娘はちゃんとわかってくれていた」と。
 たぶん、他の人が描いたら、希望の朝みたいに描いていたはずだから、泰樹じいちゃんは感動しなかったんですけど。そうじゃなくて「ある絶望が終わった時、朝日が射していると、俺達はまた生きる気力が湧くんだよね」みたいな感じですごく感動しているわけです。
 なので、最終回間際になって「いきなり雷が落ちて停電する」というシーンが必要になるわけですよ。雷が落ちて停電というのは、絶望の夜が来たというメタファーだからです。
 「停電が終わらない。いつまで経ってもずーっと電気が通らない」っていうのは「絶望の夜がずっと続いていく」ということであって、そんな時、長男がアイスクリーム屋を壊して牛乳を守るという判断をするんですけど。
 それ以前の柴田家一家は全員、開拓者精神を忘れつつあったんですよ。一家全員が「アイスクリーム屋をやろう」とか「電動の搾乳機を入れよう」という、言っちゃえばバブル景気みたいなものに浮かれかけてた頃に、再び絶望の夜がやって来たからこそ、全員が開拓者魂を取り戻した。そういうシーンなんです。
 あれ、最後の週の木曜とか金曜でいきなり始まったから、僕は「なんて取って付けたようなことをやるんだ」って思ったんですけども。あれは『大草原の少女ソラ』の夜明けのシーンと込みでないと作動しない仕掛けなんですね。
 前半の作り込みに比べて、最後、建付けがデコボコしているところがあるんですよ、正直言って。だから、わかりにくくなっていたんですけど。

 というわけで、「一家揃って開拓者精神を取り戻す」という出来事があったので、じいちゃんは元気になったし、同時に、逆説的なんですけど、じいちゃんは開拓者を安心して引退することが出来たんですね。
 自分の人生を、自分の娘より可愛がっていた孫娘が肯定してくれた。開拓の時代というのは確かに終わったんだけど、開拓者の精神は自分の子供達に受け継がれる。
 これで、『なつぞら』というドラマ自体は、もう大団円なんですよ。見事に終わったんです。

「三人だけのドラマ」とラストシーンの意味

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【画像】スタジオから

 でもね、本当にすごいのは、ラストシーンなんです。
 隠されたサインが、ラストシーンには、まだいっぱいあるので。ちょっともう少しだけ『なつぞら』の話をさせてください。『なつぞら』の話だけで1時間になっちゃうな。
 ちょっとね、僕「このラストシーンでようやっと辻褄が全部合ったわ」と思って、びっくりしたんですけど。
 『なつぞら』最終回で、ミルコスからマコプロへ「同じ枠で新しいアニメを作ってください」という発注があります。
 この時、マコさんが「わかりました」と言って手に取っているのが『CUORE(クオーレ)』という、イタリアの児童文学です。
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【画像】『クオーレ』表紙 ©NHK

 この中に『母をたずねて三千里』という短編があるので、まあ、これを作ることになるというお話なんですけど。
 まあ、しかし、実際には、マコプロは最終回直前くらいまで、外注さんとかに無理をいっぱい言ったり、他のアニメスタジオに助けてくださいと言ってきたので、これから恩返しをしなきゃいけないんですよ、本当は。
 恩返しというのは何かというと、他所の会社がパニックになって「無理!」ってなった時に、今度はマコプロが助けてあげるということを、社をあげてやらないと、もう二度と、どこの会社もマコプロの外注を受けてくれなくなるんですね。
 なので、まあ、まずマコさんがやらなきゃいけないのはそれなんです。なつとイッキュウさんも、本当は北海道に行っている場合じゃないんですね。自分たちがそんなメチャクチャなことをやった尻拭いというのを、マコプロはやらなきゃいけないんです。
 ということで、「他所の会社を助ける」ということを、今度はやってるわけですね。
 お兄ちゃんがやっている声優事務所には、どうも『タイムボカン』みたいなアニメの依頼が来たようです。なんか「魔女とドロボウの3人組が出て来る話」だそうですけど、そりゃもう、時期的に考えて『タイムボカン』シリーズだろうと。『ヤッターマン』みたいなやつだろうと思うんですけど。
 で、大感動のラストシーンになります。
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【画像】ラストシーン ©NHK

 これがラストです。この草原で、イッキュウさんは「君たち兄妹の話、戦争の話を作りたいよ」と言います。そして、ナレーションで「イッキュウさんとなつは、およそ12年後にその夢を叶えます」と言って、『火垂るの墓』っぽいアニメが流れるわけですね。
 この『火垂るの墓』っぽい戦争アニメね、僕は蛇足だったと思うんですよ、要らなかったと思うんです。
 なぜかというと、この『なつぞら』というドラマは、すでにモデルになっているはずの高畑勲とか奥山玲子から、もう本当に関係のないところへ行っちゃっているわけですよ。もう、人物関係とか、結婚する相手も全部変わっている。
 だったら、そのまま行きゃあいいのに、今さら「12年後に『火垂るの墓』を作ることになりました」って「12年後」って細かい数字まで出して言われても、「いや、もう、そこの世界線は変わってるから」ってツッコミがあるんですよね。
 もう、今まで散々、実在の人物とは関係のない話を展開しているんですよ。そんな中、最後にもう一度、モデルになった高畑勲に戻しても意味がないし、お話がブレるだけなんですよね。
 たぶん、『なつぞら』というドラマの第1話の冒頭の空襲シーンと繋げたいんでしょうけど、それはね、製作者のエゴなんですよ。製作者の「これで伏線回収が出来る!」というエゴ。
 『大草原の少女ソラ』のオープニングと繋げたのは良い判断だったんだけど、ここの『火垂るの墓』というのは、ちょっと上手くなかったと思うんですよ。

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 なんで、僕が「このシーン、要らなかったな」と思っているのかと言うと。
 さっき「現実の高畑勲と離れている」と言った、このイッキュウさんというキャラクター。なつの旦那さんですね。実は、この人って、このドラマに要らない人なんですよ。
 まあ「要らない」と言ったら言い過ぎだけど、あまり重要な人物として初期設定されてないんですね。
 なのに、テーマが家族なもんだから、やたら出番が多くて、ドラマ的にも大事な存在になっちゃってるんですけど。本来、あんまりね必要な人物として設計されていないんです。
 ここでちょっと見てほしいのが、天陽君が描いた雪月というお菓子屋の包装紙なんです。
 この雪月の包装紙と、実際のラストシーンは、ちょうど左右反転して同じ絵にデザインされているのがわかります。

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【画像】包装紙とラストシーン ©NHK

 つまり、天陽君が描いたこの絵というのは、「もう1つの世界のなつ」なんですね。あるいは、ここに描いてある女の子は、なつと天陽君の子供なのかもしれない。まあ、そういう子供が存在するパラレルワールドで。これは、幼い頃のなつ、自分と一緒に十勝で生きてくれたなつのいる世界なんですよ。
 このパッケージの女の子をアップで見るとわかるんですけど、だから、この子は黄色いシャツを着て赤いサロペットのスカートを履いているんですね。
 最終回のラストシーンで、なつは黄色いワンピースを着て、なつの娘の優はソラの服と似た真っ赤なワンピースを着ているんですよ。つまり、最終回のなつと優は2人で1つなんですね。この2人の黄色と赤というのを、このパッケージの絵でちゃんと予言しているわけなんです。
 「なつの服と優の服を重ねるとこの包装紙の女の子になっている」というのは、もう最初っから「このシーンはこの服を着せる」って設定していなかったら、準備できないんですよね。北海道ロケまでしなくちゃいけないわけですから。
 だから、ラストシーンの衣装まで考えて、このパッケージの絵というのは描かれていたんです。
 ちなみに、イッキュウさんがここで着ているシャツというのは、格子柄で、青と白なんですよ。
 この絵の中には存在しないというか、大空の部分にちょっと出ているだけの、あんまり存在感がないような色を着てます。
 なぜ、ここでのイッキュウさんは存在感がないのか? さっきから僕が言っているように重要でないのかと言うと、『なつぞら』というのは、最初から、なつと泰樹じいちゃんと天陽君のこの3人が軸になって作られている話だからなんですよ。
 『なつぞら』って、ストーリーを追って見て行くと、後半のアニメーションの話が面白いし、僕もアニメが好きだから、そっちの方をメインで見て、すごい引っ張られちゃうんですよ。
 それで、僕も今まで「『なつぞら』って、なんでこうなっちゃうんだろう? 変だな」と思ってたんですけど。
 なぜかと言うと、ドラマとしての設計が「そもそも、泰樹じいちゃんとなつと天陽君しか必要でない話に、いろんなディテールが乗っかってるだけだったから」なんですよ。
 その初期設定の土台が強すぎて、その後に乗っかってきている、例えば「生き別れのお兄ちゃん」とか「生き別れの妹」とか「柴田家のお兄ちゃん」とか「夕見子と、さらにその妹」とかが、すごく影が薄くなってるんですよね。

・・・

 これ、それぞれが象徴するものを並べると一目瞭然なんですけど。
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【画像】登場人物の象徴

 登場人物の象徴するものっていうのは、泰樹じいちゃんは「開拓」なんです。
 なつは芸術という「表現」なんですよ。
 そして、天陽君は「開拓」と「表現」の両方をやっているんですね。
 こういう話だと思えばわかりやすいんです。
 だから、なつは「開拓」と「表現」の間にいる天陽君のことを、いつもいつも気にしていて「自分の師匠みたいなものだ」と言ってるんです。
 じいちゃんもわかりやすいんですよ。全員、こういった象徴しているものが、衣装にちゃんと出てるから。
 北海道の大地で生きる開拓者を象徴しているから、だからあんな服を着ているわけだし、天陽君は天陽君で、単にアーティストっぽい服ではなく、農作業もするようなアーティストな格好をしていて、ベニヤ板に絵を描くという辺りで「開拓と表現」を象徴しているということが、絵面としてもわかりやすいんです。
 その点、なつは、アニメーターっぽい格好をしているわけでもなければ、開拓者魂があるような衣装も着ていない。映像表現の作品としては、これ、致命的に個性がないんですよね。
 それは、彼女の持っている「アニメーターになりたい」という精神が、実のお父さんから受け継いだものでもないし、じいちゃんから引き継いできたものでもないからなんですよ。一応、設定としては「お父さんが絵が上手かった」とか「東京で女性アニメーターという世界を開拓してくる」というのがあるんですけど、それは単なる設定なんですね。
 しかし、この開拓と表現の両方を目指している天陽君は、おかげでメチャクチャキャラが立っちゃってるんですよね。もう本当に登場シーンが少ないのに、キャラが立っている。
 そんな天陽君を、なつが好きにならないのは、見ていて変だし、逆に言えば東京で出会うイッキュウさんのことをなぜ好きになったのか、最後までわからないんですよ。
 「なぜ、この男を好きなのか?」っていうのが全然わからないまま、やたら盛り上がってドラマが終わるから、僕はそれでちゃんと感動はするんですけど、心の中で「なんか変だぞ」と思うんです。
 だけど、それは、このドラマは、なつ、泰樹じいちゃん、天陽君の3人で出来ているからなんですね。
 このドラマというのは、この3人の関係を描くことが目的であって、その他は脇役なんですよ。
 脇役がやたらと豪華で、おかずがすごく美味しくて、アニメーションの世界、アニメの制作現場を描くという設定に走り過ぎて……まあ、小手先なんですけど。その小手先があまりにも面白かったから、僕はすごく楽しく見れたし、さっきみたいに語ってたんですけど。
 でも、1つの作品として見ると、メチャクチャバランスが悪いんですよ。

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 実は、この作品の本質って、『ラ・ラ・ランド』なんですね。
 『ラ・ラ・ランド』というのは、女優を夢見るミアという女の子と、昔通りのジャズのバーを持ちたいセブという男の人の物語で「上手く行きかけたものの、やがて2人の夢はすれ違って、別の人生を歩む」っていう話なんですよ。
 5年後、大女優になって、すでに夫もいれば娘もいるミアが、ある日オシャレなジャズバーに行くと、セブはそこでピアノを弾いていた。2人はお互いに夢を叶えたことを知って、目を見つめ合うんだけど、知らないフリをしてその場で別れるという、すごく切ない話なんですけど。
 『なつぞら』はこの『ラ・ラ・ランド』の中の、女優として成功するミアの5年間を主に描いた作品なんですよ。だから、すごく変なんですよね。
 『ラ・ラ・ランド』の中に「ミアとセブの互いの幻想として、ひょっとしてあったかもしれないパラレルワールドの5年間を思う」というシーンがあるんですけど、そこが、この映画の中で1番楽しいシーンになっているんですよ。
 これと同じシチュエーションが、『なつぞら』にもあるんです。それが、天陽君が死んだ後、なつが会いに行って、そして、死んだはずの天陽君と2人で対話するシーン。
 あのシーンがなぜ必要だったのかというと、あれこそが『ラ・ラ・ランド』のクライマックスであり、『なつぞら』というのが、実は『ラ・ラ・ランド』だからなんですね。
 そして、その関係が『なつぞら』では、この包装紙に凝縮されているわけです。
 この包装紙の中に、幻の5年間みたいな世界が凝縮されているから、だから、この包装紙の絵を見た時とか、この包装紙と対になる最終回のラストシーンを見た時に、僕は「わー!」と思って、すごく感動したわけです。
 「あり得たかもしれないもう1つの世界」というのが見えた気がするから。この、左右反転にするところもすごいですよね。
 まあ、実際は、ジャズにこだわって自分のジャズバーを開いてしまうセブというのは、『なつぞら』の中では天陽君と泰樹じいちゃんという2つのキャラに分割されて描かれているんですけど。
 なので、『なつぞら』の中では延々と、なつが十勝に帰省する度に、視聴者は、じいちゃんを目で追ってしまうんです。
 「今、じいちゃんはどこにいるんだろう? じいちゃんはなつをどう思っているんだろう? なつはじいちゃんをどう思ってるんだろう?」というふうに、視聴者はじいちゃんばっかり目で追ってしまう。
 それは、このお話の、ストーリーラインではなくテーマとして、じいちゃんが主人公の1人であることが、見ている人にはバレちゃってるからですね。
 「これは、天陽君とじいちゃんとなつの話だ」っていうのが、見ている人に刷り込まれてしまっているから、この3人の関係ばかりが気になってしまう。
 お話上は、イッキュウさんの方が重要なはずなのに、アニメの方が重要なはずなのに、そっちにはあんまり気が行かなくて、ついついじいちゃんばっかり見ちゃうのは、それがあるからなんです。
 だから、千遥の娘の千夏という女の子を演じていたのは、なつの子供時代をやっていた子役さんなんだけど、この子が出演したら、一瞬でなつの娘の優っていう女の子は存在感を失っちゃうんですね。
 メチャクチャ可哀想なんですけど、これは構成上の問題であって、演技力の問題ではないんですよ。
 その意味では、このドラマというのは、なつ、泰樹じいちゃん、天陽君以外の全ての役者さんには、実は見せ場がほとんどないんですね。だから、無理矢理ダンスを踊ってみたり、いい話をしてみたりして、オチみたいなのをつけるんですけど。まあ、演技的に良いシーンという意味では、なつの妹の千遥を演じた役者さんだけ、演技力全開で、なんとか存在感を出していたんですけど。
 そもそも、このドラマ自体が、この3人を描くためだけに組まれていた話だから、イッキュウさんも、実の娘も全て脇役になっちゃうんですね。
 それは、『ラ・ラ・ランド』の中で、ミアの夫とか娘が必要最低限の存在感しか与えられていないのと同じなんですよ。
 本当に、お話を邪魔しない程度の存在感。「とりあえず、いい子ですよ」とか「すごくいい旦那さんですよ」というくらいしか表現されていない。それはなぜかというと、ミアとセブとの2人の関係が、この映画の本質だから、なんですね。
 だから、『なつぞら』の中では「アニメーション作る」という仕事論も脇役なんです。
 なつが一時「牧場を継ごう!」決意したようなリアリティを、アニメ作りの中では描けてないんです。
 大樹じいちゃんのような開拓者としてのキャラを、例えば、東映動画の先輩の仲さんも持っていませんし、なつの同僚や先輩の中にも、大樹じいちゃんのように強いキャラで「俺が日本のアニメを作るんだ!」っていうキャラクターは、1人も出てこなかったんです。
 だから、アニメーションというのも、やっぱり脇役で、十勝の農地ほどの魅力を出せなかったんですね。

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 そういう関係が、ドラマの最終回で包装紙と逆位置の風景を見せてくれたことによって、僕にもやっと全部わかったんですよ。
 「天陽君はすでにこの世の中にいないんだけど、天陽君の家族は残っている」と。
 そして、もう本当に存在感はないんだけど、「なつにも、ちゃんと自分の家族がいる」と。
 だって、このラストシーン、後で見れたら見てください。なつが色々と決意するんですけど、横にいるイッキュウさんも、なつの娘も、存在感ゼロで受けの演技しかやっていないんです。全部、なつがいいとこ持って行って、それを受けるだけの演技をやっているんですね。
 『ラ・ラ・ランド』で「なぜ、2人は最後に別れるのか納得ができない」と言う人が多いんですけど、そういう人のために、『なつぞら』では、ちゃんとなつにも本当の家族を用意してくれた上で「やっとなつは最後の最後になって自分が目標としている天陽君と同じ位置に立てた」としているんです。
 「ようやっと、これで2人は対等になった」っていう。本当に、なつと、天陽君と、大樹じいちゃんの話として完成したなと思いました。
 だから、僕はこの包装紙とラストのシーンに、すごく感動したんですよね。
 それまで、アニメーションとかディテールにばかり目が行っていた自分に対して「ああ、これは失敗だったな。この3人の関係を見る話なんだ」と。
 ……まあ、事前にこの3人の関係を見る話だと知ってたら、俺はこのドラマを見たかどうか、正直な話、わからないんだけど(笑)。
 そういう話だったんだなと思いました。

 以上、『なつぞら』の話は、一応、今回で最終回にします。

『攻殻機動隊』第3話冒頭の解説

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【画像】スタジオから

 じゃあ、『攻殻機動隊』の話に入ります。
 最初に話した通り、今回のエピソードでは、女の人の素っ裸が出てくるので、YouTubeライブでは見せられません。
 まあ、一応、ここまで話したということでご勘弁ください。
 後に、YouTubeでこの『攻殻機動隊』の解説は、公開もしません。見たい人は、嫌でしょうが、皆さんがそういうことが嫌なのはよくわかっていますが、ドワンゴのニコニコ動画に登録して、無料登録で見れるそうですから、そっちでお楽しみください。
 じゃあ、ここでYouTubeライブ終わってください。
 ここからは、ニコ生で見ている人だけです。無料の人も限定の人も、もちろんプレミアムの人も見れます。まだ無料放送はしばらく続くから、安心してください。

 久しぶりの『攻殻機動隊』の解説になります。
 『攻殻機動隊』の第3話は、いよいよ本題に入るという話なんですね。
 というのも、第1話は前フリで、6ページか8ページくらいしかなくて、第2話は攻殻機動隊が設立されるという、いわゆるプリクエル(前日譚)みたいなものなので。この第3話から、いよいよ本題に入り、「人形使い」とかも出て来るわけです。
 それでは、さっそく『攻殻機動隊』の第3話に入ってください。よろしくお願いします。

(映像再生開始)
 士郎正宗『攻殻機動隊』(講談社)、今回は第3話「JUNK JUNGLE(ジャンク・ジャングル)」をやります。
 一応、『攻殻機動隊』らしい話ですか。前回の「SUPER SPARTAN」というエピソードが攻殻機動隊が創設されるまでの紹介話だったので、今回で初めてお話の中に入っていきます。
 『攻殻機動隊』という作品には、全体のテーマとして「意識とは何か? 人間とは何か?」というのがありまして、その他に「正義とは何か?」っていう裏テーマみたいなものがあるんですね。
 この「正義とは何か?」というのは、ちょうど『攻殻機動隊』とほぼ同時くらいに少年サンデーに連載されていた『機動警察パトレイバー』でも扱っているテーマなんですけど。『攻殻機動隊』とは、ちょっと扱い方のタッチが違うんですね。
 『機動警察パトレイバー』の方はのんきなお巡りさんの話なんです。ノンポリ(ノンポリティカル)っていうのかな? 「現代の若者の気質を残したままの公務員としてのお巡りさんが、正義というものについて、徐々に徐々に考えるようになってくる」っていうお話だった。
 それに対して、『攻殻機動隊』は、まず対テロ組織ということで、最初から、自分たちの行動原理に「正義とは何か?」というのが入ってくる。特に、マンガの後半において戦う相手は、反社会的勢力ではなく、日本国とか、もしくは国家政府の中での部署争いとかになってくるので、余計に「正義とは何か?」ということを考えざるを得ないということになっています。
 今回は、そういう部分に注目しておいてください。

・・・

 では、表紙です。
(パネルを見せる)

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【画像】『攻殻機動隊』表紙 ©士郎正宗

 この見せ方を見てわかる通り、士郎正宗さんは、表紙の扉絵から、「今回はアクションモノで行くぞ!」と宣言しているわけですね。
 フチコマというロボットが、前回のちょっと可愛らしい動きみたいなところから一転して、わりと口径が大きい銃の弾帯をズラーッと垂れていて、表情がわからないカメラレンズをこちらに向けている。
 そんな中、バトーという、このマンガの中では武闘派の人が、有線で繋がれている。いわゆる無線連結ではなく、有線でフチコマと電脳的に接続されている様子を見せて、ちょっとハードな一面というのを出しています。

・・・

 では、1ページ目。
(パネルを見せる)

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【画像】ジャングル ©士郎正宗

 いきなりベトナム戦みたいなジャングルが描き出されます。
 士郎正宗の絵というのは、色使いがすごく特徴的なんですね。今回も、南国風のかなり強い日差しというのを見せています。
 おそらく、この時代の日本というのは、今とはちょっと気象条件が変わっているんでしょうね。もともと、日本というのは、亜熱帯気候から温帯気候の境目なんですけども、それが、この2、30年くらいで気象変動によって亜熱帯モンスーン気候という帯域に変化しています。
 「一応、亜熱帯モンスーン気候ではあるものの、南国ではない」ということで、こういう葉っぱが長い植物や枝の高い植物を描くことによって、日本っぽい雑木林であることを示しています。いろんな種類の木が見えている、植生があるところから、雑木林的な所であることがわかります。
 そんな中、バトーが張り込み調査をしています。


バトー:くそったれ、エアコン使えねーのに、こん中にいられるか。もーやめやめ!!


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【画像】テントからバトー ©士郎正宗

 そう言って、テントからバトー君がズルズル出てくる、と。
 まあ、バトー君は、本当はこの中で待機しなきゃいけないんですけど、命令違反で、匍匐前進をしていると、近くで地雷を見つけます。


バトー:感圧式警報機にゴルゴン地雷? ダミーか……。バッカでェ~~、もったいねえ仕掛け方!! あとでもらって帰ろうっと!


 これは、iPadみたいな薄いやつが、そこら中に葉っぱの下に広げてあるわけですね。このどれかを踏んだら、こいつがボンと地面の上に跳ね上がって、四方八方に弾を出すという仕掛けなんでしょうか?
 戦争映画とかが好きだったら、「感圧式警報機」とか「ゴルゴン地雷」という言い方でわかるんですけど、ちょっとそういうのを知らない人にとっては不親切な作りになっています。
 まあ「不親切でも構わない。このマンガはアクションマンガなんだ」という意味で描いているんでしょう。
 亜熱帯のジャングルの中で、ずーっと見張り番をやっているバトー君のツラさというのを表してます。

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(パネルを見せる)

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【画像】気配を感じるバトー ©士郎正宗

 で、次のページに行くと、バトー君が「あれ?」と思って振り返る。これは、後ろに気配を感じるんですね。
 こういう気配を感じる能力のことを、後に草薙素子は「ゴーストが囁く」と言うんですけど。ここら辺は、もう「職業的な勘が冴えている」という状態ですね。

 「何かな?」と思ったら……わかりにくいんですけど、当時の士郎正宗の絵の描き方です。噂によると、無地の透明のスクリーントーンに、いろんな模様をパソコンでプリントしたものを出力して、それを普通のスクリーントーンみたいに貼っているので、こういう液体みたいな表現が出来るそうなんですけど。
 何か透明なものが葉っぱを踏む描写があった後に「わしだ」と言って荒巻が出てくる。
 この2コマ目の後の3コマ目の荒巻の右肩には、同じように流れるようなものが乗ってます。ここから、これが光学迷彩の生地だということがわかります。このマンガの中での光学迷彩というのは、一番最初に出てきた時から、「あくまでもプロジェクターの膜みたいなものを人間が着ないとダメだ」という設定になってるんですね。
 最近の映画版とかでよくある「とりあえず、着ている服があっという間に透明になる」という都合のいいSF映画みたいな設定ではなくて、この頃の作者が描いている光学迷彩というのは「専用の布があって、その布が透明になる」という設定なんです。まあ「透明になる」というか、後ろ半分の背景を映しているんでしょう。
 これを肩に当てている。つまり、バトーの前で透明化を解いて「わしだ」と言ったわけですね。

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【画像】銃とバトー ©士郎正宗

 対するバトーは、一応、気配を察したので、銃をいつでも撃てるように、最小限の音だけさせて準備をした。だから、ここで「チキ」という僅かな作動音がしているんです。
 ここでのバトー君が偉いのは「わしだ」という声を聞いたからといって、目標から視線を外していないところですね。この辺りがプロの行動です。
 これ、ヌルい映画とかでやっちゃうと、プロであっても、監視対象から視線を外しちゃうんですね。「前の方を監視しろ」と言われて、後ろから近づくものがあったら、反撃用に銃を準備するのは構わないんですけど、それが味方だった場合、視線を外しちゃいけないんです。
 なので、バトー君は前を向いたまま、ずーっと、このまま喋ってます。まあ、ここからはゆるくなってくるので、視線は徐々に外しますけど。ここまでは警戒態勢です。

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【画像】バトーと荒巻 ©士郎正宗

荒巻:動きはあるか?
バトー:この32時間でくだらなーい電話が2回。それ以外はなーんにも。交代も差し入れも何も無し。
荒巻:まあ、一パイやれ。
バトー:ああ! こいつはどうも!
荒巻:韓国の情報筋の警告通り「人形使い」がネットの各端末に介入し始めた。
バトー:正体不明で超ハッカーの? それがこのはりこみと関係あるんで? あ、これ割りましたね?


 バトー君が愚痴ると、「まあ一パイやれ」ということで、お酒を貰います。
 そして「人形使い」という人物名が出てきます。これが、まあ、この単行本1冊丸々に出て来る悪役みたいなもんです。
 で、そいつは「正体不明で超ハッカーだ」と。こういうセリフ、本当はイヤなんでしょうけどね。説明ゼリフです。
 そして「お酒かと思ったら水割りだった」ということで、ちょっと文句を言っています。
 ここから次のページに行きますけども、色味だけ覚えておいてください。本当に濃い緑です。

・・・

(パネルを見せる)

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【画像】バトーたちと少佐たち

 最初は原色の緑だった場所から、次のページがいきなりこんな感じになるんですね。
 このヨットの帆をコマの枠線に見立てて、帆を堺に、バトーのいる側の世界と、少佐のいる世界との差というのを見せています。少佐は休暇中で、青い空の下、日光燦々と降る中、女友達と愛欲三昧の日々ということで、バトー君の今やっていることとのコントラストを出しています。
 ずーっとコマの外側で「みんみんみんみん」という蝉の声がしています。


荒巻:その傾向から、ガベル共和国との秘密会議に対する妨害の気配がしとる。
バトー:じゃあ秘密会議とは言えませんねェ。


 「秘密」の所に濁点が打ってあるんですけど。「こういう会話で普通に出て来るようだったら、もうそんなものは秘密じゃねえわな」ということです。
 バトーが見張っている先にあるのは、実は、ガベル共和国の秘密会議に近い状態。まあ、それの前交渉みたいなもんですけど。


バトー:俺がはってるのは、会議の情報を漏らした奴? 「人形使い」を雇って妨害しようとしている奴?
荒巻:「亡命希望中の軍政指導者」それだけだ。


 バトー君には、何を見張れと言われてるのか説明されてないんですね。
 「亡命希望中の軍政指導者」とは、バトーの視界にいるこの人のことです。ガベル共和国という国の軍人さんの偉い人なんでしょう。その人が日本国に対して亡命を希望しているけど、まだそれが許可されていないという状態。
 お話の中で、これが段々と大事な情報になっているんですけど。この一番最初の2ページ半くらいのところで、作者はそれをザーッと説明しています。ここから段々とアクションシーンになります。

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【画像】バトーと荒巻 ©士郎正宗

バトー:わざわざそれを言いに?
荒巻:違う。お前の回線で草薙を呼び出せ。第17フラットに来いと伝えろ。


 「フラット」というのはマンションの部屋みたいなもんですね。17番目のマンションの部屋だと思ってください。


バトー:え、少佐は夏休みで――
荒巻:休暇は取り消す。


 荒巻がそう言うと、バトー君はものすごく嬉しそうに「えへへっ」と笑います。
 では、たった今、休暇を取り消された少佐はどこかというと、もう、この下にちょっとエロい絵が見えていますね。
 ここは、『攻殻機動隊』の中で、士郎正宗がおそらく初めて意識的に描いたエロシーンで、これ以降はあんまり出てきてないので珍しいんですけど。
 ここでこれを入れたのには理由があって、『攻殻機動隊』というお話の中では、現実と擬似感覚というのがしょっちゅう出てくるんですね。
 特にこの「JUNKJUNGLE」というのは「人形使いによって普通のゴミ清掃員が、脳に疑似記憶を入れられて自分の過去を丸々すり替えられていた」という話なんです。だから「疑似体験というのは怖いよ?」というお話なんですけど。
 同時に「そんな中、少佐は、公安で正義のために働いておきながら、アルバイトでエロVRを作ることをやっていた」という。そういう両面性を表しています。

・・・

 次のページに行くと、もういきなり青空がドーンと、コマの外にまで割り出していますね。
 「あら、ファランクスは?」ということで、まだ来てない仲間について話しているのか、もしくは「何か薬を持ってきてくれるはずだった」ということを言っているのかもしれません。
 周りに色んな情報があるんですけど、基本的にはレズビアンAVを作っているわけですね。
 ここでアヘアヘ言っている少佐を、友達が2人がかりで責める。
 なんでこんなことしているのかっていうと、実は、少佐の身体というのがAVの録画機械として大変性能がいいからです。「光ファイバー系だから電磁ノイズも受けないし、皮膚組織に関して1平方センチメートルあたり、16の自乗の素子が入っているので、メチャクチャ感度がいい」とか「人間の触覚とかと比べて、もっともっと素子の触覚組織の性能がいい」という情報が、ここに入っています。
 そうやって、2人がかりで責めて責めて、この素子さんが感じている快感というのをダイレクトに録画しようとしているわけですね。
 これ、売り物なんですよ。買った人はどうするのかっていうと、これを頭の中にガチャンとはめる、と。まあ、お客さんはもちろん女の人なんでしょうけど。そうすると、この素子さんが今感じている快感を脳でダイレクトに受けることが出来るというような、まあ闇バイトをやっているわけですね。
 『攻殻機動隊』という作品について、アニメ版とか映画版と、この原作マンガ版の大きい差の1つに「草薙素子のプライベートが描かれている」というのがあると思うんですね。
 別の話でも、草薙素子は同棲している男性とキスして「今日のパーティーどうする?」っていう話してたり、結構この人はこの人で、真面目に世界のこととか正義のことを考えて生きているだけではなくて。
 「それはそれ」ということで、5時になったらさっさと仕事を切り上げて、自分の好きなことをやったり、恋人と同棲したり、パーティーに出たり、こういう闇バイトをやったりしているんですね。
 そういうプライベートな生活が出てくるというところが、このマンガ版の『攻殻機動隊』の特徴です。
 真ん中のコマで、腕に塗られている液体みたいに見えるものはプログラムだそうです。
 プログラムを目に見えるようにしている、と。こういう見せ方も、ちょっとねSFマンガとして新しいと思うんですけど。
 バーチャル空間内で、何か新しいプログラム、もしくはアプリみたいなものを入れると、どう見えるのかというと「いきなり世界がカチャッと変わる」とか、もしくは「物で表現する」とか色々あると思うんですけども、この中では、せっかくアダルトビデオっぽいものを撮っているんだから、液体みたいなものとして表現しているんですね。

・・・

 すみません、もう少しだけエロいシーンが続きます。もうあと1ページで終わりますけども。
 ということで、「連絡を取れ」と言われたバトー君は、なんかこう、責められて責められて気持ちよくされている真っ只中の少佐に繋がってしまうわけですね。
 バトー君は「あッ、ヤクか?? こりゃやべえ!!!」ということで、反応すると、素子さんの腕に仕込まれていた解毒剤というのか、覚醒剤というのか、現実に戻る装置みたいなものが強制的に起動します。
 おそらく、これも本当に、こんな機械が腕の中に入っているとは限らないんですよ。たぶん「身体の中に入っている小さいプラントが起動して、表面では見えないような液体が体をめぐる」とか、もしくは「脳の中のプログラムが起動した」というだけなんですけど。
 「これは、あくまで周りの人に今何が起こっているのかわかりやすくするために、こういう画像を見せているのだ」と、欄外にちょっと説明が載っています。
 バトー君は、いきなり素子の脳とシンクロしてしまったので、急にこの気持ちよさがバトー君の中にまで入って来てしまった。
 おまけに、それは薬で増幅されているので「あッ、ヤクか??? こりゃやべえ!!!」ということで、強制的に回復剤というのを注入したんです。
 本当に素子の中に回復剤が注入されているというよりは、プログラム的なものだと思ってください。それらを、さっき、プログラムを液体として見せたのと同じように、こういうデバイスとして見せているんですね。
 すみませんね、なんか説明がわかりにくくて。

・・・

 覚醒剤を打たれて、正気に戻る素子さん。「覚醒剤」というのは、この場合、「目が覚める薬」という意味での覚醒剤ですね。「はッ」と言う時に、後ろにバトー君が見えるのは、まだバトー君と繋がっているからですね。
 実は、素子は自分のマンションの部屋にいました。たぶん、背景に見えるのが読み取り機械ですね。友達2人がこれに繋がれている。

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【画像】自分を殴るバトー

 バトー君は「ぐえええええ、ハラの中に~~~気持ち悪りぃ~~!! 端末がない器官でよかったぁ~」と文句をいって、その後、自分で自分を殴ってますけど。これは、素子が強制的にバトーの運動神経に介入して殴らせたんですね。
 バトー君が「気持ち悪りぃ~!」と言っているのは、自分の中にない器官、女性器というものの感覚を、急に頭の中で再生されてしまったので……もともと女性用のVRですから。それを男性がやってしまったので「お腹の中にあるはずもない器官があるような気がして気持ちが悪い」と。そんなことを訴えたところ、殴られました。


バトー:非常招集、フラット17。
草薙:20分後に到着予定と伝えなさい!


 まあ「フラット17にすぐ来い」と、という事務会話があった後、素子は友達から文句を言われる、と。
 「もう、イコライザー返してッッ!!」と。たぶん、イコライザーというのは自分の感覚を録画する装置のことでしょうね。
 それに対して、素子は「帰る時、部屋のシール固めといて!」と謝りながら出て行く。「部屋のシール」とは何かと言うと、おそらく、素子は一度外出するごとに、いろんな場所を封印していって、誰かが勝手に入った時にわかるようにしているんでしょうね。親しい友達にそれを伝えて去ります。
 ここまで来て、ようやっと草薙素子がドラマの中に入ってくるんです。
 本当言えば、一番最初にバトー君が見張っているシーンが草薙素子でもよかったはずです。お話的には、そこに部長が来て「人形使いが~」って話をしてもいいはずなんですけど。
 やっぱり、士郎正宗というのは、裸の女の人を描くのが好きなもんですから、出来れば裸の女の人を出したい。なにせ、カラーページがこんなにもらえる機会というのは中々ないんです。雑誌においてカラーページというのは別格の扱いですから。
 そのカラーページを8ページくらい貰った時に「一番最初に緑の深いジャングルを描いて、その次にシーン変わったら、真っ青な海の上で、女の人の日に焼けた褐色の肉体が、くんずほぐれつしているというようなものを見せてから、ドラマに行きたい。ドラマに言っちゃったらもうあとは白黒でも構わねえや」という、ちょっと思い切ったページの使い方をしています。
 他にも、この裸のシーンというのは、今回のお話全体の「人間の本当の記憶と、疑似記憶というのは見分けがつくのか? その見分けというのは本当に大事なのか?」というテーマを語る上で、実はなくてはならないものなんですけど。
 あまりにもエロいために、あんまりそこらへんは評価されていないんですね。

・・・

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【画像】ヘリコプター ©士郎正宗

 ということでシーンは変わります。この奥のジャングルみたいな場所からバトー君が見張ってたわけですね。そこにいきなりヘリコプターみたいな、オスプレイみたいなものが着陸します。それを部長が迎える、と。
 これ、さっきのシーンの続きなんですよ。バトー君が潜んでいた森の中に部長が入って来て、バトーに「見張りはもう終わりだ」と告げてるんですね。「なぜかというと、俺がこの場に入って行くから」ということで、森の中からガーッと歩いて行ったら、このヘリみたいなものが降りてくるというわけです。


外務大臣:やあ、荒巻君。外務省に何か用かね?
荒巻:おはようございます、大臣。


 本来、内務省の荒巻部長というのは国内のテロ事件の担当だから、こういう国際的な外務省がいるような場には不釣り合いなんですよね。
 ヘリの中から睨んでいるこいつは、おそらく、外務省側のボディガードです。だから、「本当は公安なんかいらない」と。
 「外務省に何か用かね?」に対して「ガベル共和国ですが」と切り出すことで、この中で行われている秘密会議を知っていることをほのめかしながら、「そこに用があります」と荒巻は伝えます。


荒巻:ガベル共和国ですが、
外務大臣:要度6。難度1。ランクE。さほど重要ではないな。外交的にも経済的にも、どうという事のない小国だ。もとは軍政だったが、革命後はまあまあ民主的にやっとるよ。たしか、革命軍の戦術指導に君の部下があたってたな。
荒巻:そうですか。


 このセリフで、この情報を部長が知らなかったということがわかります。
 部長の元部下が、部下を辞めたあと、ガベル共和国の中に入って民主政権を建てた、と。


外務大臣:もと軍事政権の親玉であるマレス大佐が、病気療養と称して我が国に滞在しとる。


 これが、さっき話していた亡命希望者ですね。元・軍事政権の親玉であるマレス大佐というのが、部長の部下に革命を起こされてしまって、本国から逃げざるを得なくなった、と。
 その後も「こりずに本国の軍政派に支援を送っている。お陰で今も軍政派がプラチナの鉱脈を押さえている」という、ややこしい話がずーっと続いています。
 外務省としては、ガベル共和国は普通の民主国になって欲しいんだけども、実は日本国の部長の部下がガベル共和国でクーデターを起こしてしまった。その火消ししている最中なんですね。
 そういうことがわかって、部長としても、ちょっとバツが悪い感じですかね。

・・・

(パネルを見せる)

 ここまでがカラーで、ここからはモノクロになっていきます。


荒巻:では、秘密会議というのは?
外務大臣:空回りのODAだ。稼いだ金じゃないから身につかんし、搾取の返済だと思っているから誰も感謝せん。
荒巻:厳しいですな……マスコミはオフレコ発言でも流しますよ。


 「今やっている秘密会議の内容はなんですか?」と部長が聞くと、「ODA関係だ」と。
 ODAというのは何かというと、政府の支援のことなんだけど、「基本的にそれぞれの国が自分で稼いだ金じゃなく、金持ちの日本が融資している、貸している、もしくは支援しているだけなので、身につかないし、もともとは日本がそれらの貧乏な国を利用して稼いだ金だと思っているから、誰も感謝してくれない」と、大臣は本音を漏らします。

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【画像】荒巻と外務大臣 ©士郎正宗

荒巻:で、政府の意向は?
外務大臣:あの国は極めて不安定(デリケート)だ。様子を見ないと世論処理が難しくなる。マレス大佐を放り出し援助を進めるか、大佐の亡命を公式に認めて援助を断るか……。


 この辺りが外務省の悩みどころですね。
 どういう意味かというと、「ガベル共和国の民主化というのは、日本国にとっても都合がいい民主化だ」と認めて、援助をこのまま進めるという方法が1つ。
 もう1つは「こんな方法で民主化されても、例えばソ連なり、米帝なり、どこか日本に都合の悪い国と仲良くするための民主化かもしれない」ということで、大佐の亡命を認めて、もう一度、軍事政権に戻すために、共和国への資金源を断つ意味で援助を断る。
 かなりバックグラウンドがあることを考えています。


荒巻:プラチナ関係の金の流れを監視したら面白いでしょうな。
外務大臣:税金のムダ使いはいかんな。


 これに対して、荒巻はこう言ってます。
 なんでこういうことを悩んでいるのかというと、日本政府はODAとしてガベル共和国に援助をしているんですけど、ガベル国内の軍政派からの賄賂が、日本、特に外務省に向かって流れているということを、荒巻は察しているんですね。
 「それを私は知ってますよ。プラチナの鉱脈がガベル共和国にあるでしょう。そのプラチナ鉱脈の利権が外務省の方に流れているんですよね?」ということを言うと、「そんな監視のような税金のムダ使いなんて出来ない」つまり「その金は、俺が外務省の中で立場を維持するのに必要な金だから、そんなことはやりたくない」と。
 ということで「民衆の代表、つまり政治家っていうヤツは、なんでこうなんだろう」と荒巻は憤ります。
 一見、ここまで、ずーっと「日本政府はガベル共和国を支援するかどうか?」「あの国が軍事政権であるか民主主義であるか、どっちがいいのか?」っていう話しをしているんだけど。
 「それ以前に、日本の政治家に対して、プラチナ鉱脈の利権で金を流してるでしょう?」ということで、荒巻部長はそういうことが嫌いですから、「そこら辺も、バンと洗っちゃえばいいじゃないですか」と言うんですけど。「そんな調査に税金のムダ使いは出来ない」=「外務省はその件に関して触れるつもりはないよ」と言われて、まあ、こういう政治家に対して、やっぱり、イラッとしている、と。
 しかし、「それはそうと、軍政側に戦術指導した奴がおるな……」ということで「実は自分の部下が軍事クーデター側にかつて手助けをして、そのおかげでガベル共和国で軍事クーデターが起こった」と、外務省側からの好意で荒巻さんは教えられ、ピーンと来たということで、お話が進み始めます。
(映像中断)


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