岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/06/25
おはよう! 岡田斗司夫です。
今回は、2018/06/17配信「月一 Q&A」の内容をご紹介します。
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2018/06/17の内容一覧
- 今日はお便り特集
- あだ名がない問題
- お便り「平野耕太先生に核シェルターを!」
- お便り「かわいくて面白いものをバンバン教えてください!」
- 『スター・ウォーズ』エピソード1には、「人情」がない?
- お便り「米に支配された我が家」
- お便り「『かぐや姫の物語』のすごさの補足」
- コンテンツは二極化している
- お便り「オタクのタイプ分け」
- 仮説と価値判断は違う
- お便り「なぜ電子本は高いのか?」
- 本屋が潰れたら社会はどうなるのか
- お便り「吉本坂46についての本音」
- お便り「子供を産むのは残酷です」
- お便り「岡田さんはどんなアーティストになら興味を持ちますか?」
- お便り「親が熱心な信者です」
- お便り「ジブリランドについて」
- お便り「落ち込むコツ」
- お便り「『銀河英雄伝説』を語ってください」
- お便り 「政治っぽい話その1『HINOMARU』」
- お便り 「政治っぽい話その2『二度目の人生を異世界で』」
- 次回は 大童澄瞳さん登場
お便り「『かぐや姫の物語』のすごさの補足」
では次です。
実はわたし、大学、大学院で古典文学を専攻していました。だから高畑さんの「かぐや姫」は公開当時からとても興味深かったです。
とくに「これはすごい!」と思ったシーンが姫が琴を弾く場面です。岡田さんは、「姫は異性の前ではスキルが上がるので、翁がやってきたら琴を弾きこなせてしまった」と解釈してらしたのですが、わたしは別の解釈をしました。
姫が弾いていた琴は、琴は琴でも、「キン」(琴)の琴という、古典文学の世界では、天人の末裔であるとか皇族とか、要するに特殊な血筋の人間でしか弾くことができない、ある意味で幻の楽器みたいなもので、我々が「琴」と聞いてイメージするような「ソウ」(箏)の琴とは全然別の楽器なんです。
そうなんです。僕らが「琴」と言われた時にイメージするのは、正しくは「ソウ」という楽器なんです。
つまり、琴には、「キン」と「ソウ」というのがあり、元々のキンというのは、もう僕らは、ほとんど見ることができないんです。
いわゆる女の人がやっているようなあの楽器は、弦の間に橋みたいなのが入って、音階を調節する楽器なんですけど、かぐや姫が弾いてるのは、1枚の板に真っ直ぐな糸だけが張ってあり、それを胡座をかいた足の上に乗せて弾く、キンという楽器だそうです。
これについては、解説本の中でも触れられているんですけど、それについては後で話します。
それを姫がさらりと弾きこなしたというのは「姫が天女の生まれ変わりだ」ということを暗示する演出だと、わたしは思いました。
「いやー、すごい。さすが高畑さん」と、感心するのと同時に、「王朝文学を学んできた自分にはかろうじて分かったけど、一般の人には絶対分からない、えげつない演出をするなー」と映画館でぞっとした思い出があります。
本当に高畑さんの映画はえげつないですね。そこがわりと好きですが。
ということだそうです。
これ、『かぐや姫の物語』のメイキング本の中にも書いてありました。
録音の時に、ミュージシャンの人が来たんですけど、そこに用意されていたのが「ソウ」だったんですよ。いわゆる、現代でも使っている普通の琴が置いてあった。
なので、高畑さんに、アニメの監督だから知らないんだろうと思いながら「これね、実は違う楽器なんですよ」というふうに言ったら、高畑さんが「そうなんですよ。これは違うんですよね。「キン」でなければ」と言ったそうなんですよ。
「わあ、すごいな、この監督。知ってるんだ」と思って、その後、2人で相談したそうです。
この2つの楽器の何が違うのかと言うと、現代も伝わっている「ソウ」という楽器は、音が響きすぎる、鳴りすぎるそうなんですね。それに比べて、かぐや姫が使っていた時代の「キン」というのは、もっとくぐもった音だそうでう。
なので、結果、しょうがないから弦の下にタオルを何枚か敷いて、音があまり反響しないようにして、かぐや姫が琴を鳴らすシーンを作ったそうなんですけども。
それをちょっと思い出して、「本当にすごいな、あのオッサン」というふうに思いました。
高畑アニメに関しては、本当に研究すればするだけ深みがあるんですよ。
今のアニメの作り方、映画の作り方、たぶん、小説もマンガもそうなんですけども、二極化してるんですね。
つまり、「高畑さんっぽい」というか「わかる人にはわかる」というような、深みというのをずーっと作っていくような、作者としても「まあ、ついて来れる人だけついて来てくれれればいいよ。初心者にもわかりやすくはしてるけど、実はその奥にもいろいろと考えて用意してるんだけど」という作り方。
意外にも、『進撃の巨人』はそういう作り方をしてるんですよ。あとは『絶望のネバーランド』もそうかな? 他にも『HUNTERXHUNTER』なんかもそうなんですけど。
それに対して、「マンガとかアニメの役割というのは、とにかくわかりやすいことであって、テーマとかも、できるだけセリフとして直接表現するし、とにかく間口を広げて、できるだけ沢山の人にわかって貰おう」という作り方。
このどちらかに二極化してるんですね。
映画作家というのは、どちらかというと前者のタイプが多くて「わかる人にわかればいい」ってしがちなんですけども。
テレビドラマって逆なんですよ。「とりあえず見てる人全員にわかってほしい」という文法で作るんですね。
なので、結果として、テレビで活躍している人が映画を撮ると、ほぼ失敗するんです。
これはもう、「ほとんど例外なく」と言ってもいいくらいです。僕も好きだったテレビであんなにイケてた人が、映画を作ると深みがなくなってしまう理由は、テレビと映画が本質的に持っているものが違うからです。
(続きはアーカイブサイトでご覧ください)
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