岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/05/04

おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は、2018/04/08配信「映像作家・庵野秀明の本質に迫る!特撮視点のアニメ『エヴァ』と、アニメ視点の特撮『シン・ゴジラ』を比較研究!」の内容をご紹介します。
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2018/04/08の内容一覧

エヴァンゲリオン・スタイル「不必要なほどに多いカット割りの理由」

 『エヴァンゲリオン』のスタイルの特徴として、今話した映像的なものの他にも、時間的なものとして「激しいカット割り」というのがあります。

(パネルを見せる)
 これは、『エヴァ』の第2話「見知らぬ天井」の、タイトル開けの2シーン目です。
 偉い人達が会議をしています。これは、後に「人類補完機構」の人達の会議だということがわかるんですけども、この時点ではわかりません。碇司令と偉い人達との会議です。
 まずは、俯瞰で全員を見せたところで、「使徒再来か。あまりに唐突だな」「15年前と同じだよ。災いは何の前触れもなく訪れるものだ」という台詞が続きます。
 ここから、1人が台詞が喋る度に、カットが切り替わります。

 (パネルを見せる)
 こんな感じで、いきなりドーンとアップの画面に切り替わって、「幸いとも言える。我々の先行投資が無駄にならなかった点においてはな」というふうに、手前にいるアメリカ代表が言う。
 すると、次に「そいつはまだわからんよ」と、ロシア代表が喋りだす。
(パネルを見せる)
 この2カットとも、構図が面白いんですね、人間が横並びに2人配置されているだけなんですけど、奥から手前にかけて、斜めにパースが掛かってるんですよ。
 「そいつはまだわからんよ。役に立たなければ無駄と同じだ」と、手前のロシア代表が憎々しげに言います。
 そしたら、また次の台詞に続くんですけど。次の台詞を言うのは、このカットでロシア代表の隣に描かれている中国代表なんですよ。だから、普通は、このカットのまま喋ればいいんですよ。
 しかし、ここではまたカットを割るんです。
(パネルを見せる)
 いきなり、「さよう。今や周知の事実となってしまった使徒の処理、情報操作、ネルフの運用はすべて適切かつ迅速に処理してもらわんと困るよ」というふうに、碇ゲンドウの腋の間から喋るんです。
 すると、次には碇ゲンドウさんが返事をするんですけど。
(パネルを見せる)
 ここでもまた、喋り手であるゲンドウを、思い切り隅っこに配置した構図で、「その件に関してはすでに対処済みです。ご安心を」と言わせるんです。

 特徴は「全員、発言ごとにカット割りをしている」ということですね。1人がひとこと言う度に、別カット、別カットとカットを割っていくという構造になっています。
 普通はこんな無駄なことはしないんですよ。
 特に、中国代表が喋るカットなんて、本当に無駄の極みですよね。隣りにいたロシア代表が喋った次に中国代表が喋るんだから、同じカットで喋らせればレイアウトも少なくて済むのに、なぜかここでは1カット割って、それも、すごく不自然なアングルから喋らせているんですよね。

 こういった「ひとつの発言ごとにカットを割る」というのは、もちろん『エヴァ』以前にもあったんですけども、『エヴァ』では、これがものすごく多用されることになったんですね。
 特に、今見せた「分ける意味すらないカット」なんかは、「単に独自のスタイルを作りたいだけでやっている」ように見えるんですよ。

 では、なぜ、こんなふうに、発言ごとにカットを分けるのか?
 『エヴァ』という作品は、いつもいつも発言ごとにカットを分けるのかと言うと、実はそういうわけでもないんですよね。

(パネルを見せる)
 これは、第1話の真ん中辺りのワンシーンです。
 ネルフ本部の中を案内される主人公の碇シンジくんが、斜めに走っているエスカレーターに乗っています。その後ろには、巨大な手みたいなものが見えます。これは、凍結中の「エヴァ零号機」というヤツなんですけど。その前を通りながら、リツコさんとミサトさんの会話を聞いているというシーンです。
「初号機はどうなの?」
「B型装備のまま、現在冷却中。」
「まだ1度も動いたことないんでしょ?」
「起動確立0.000000001%。「O-9システム」とはよく言ったものだわ」
「それって動かないってこと?」
「あら失礼ね。0ではなくってよ」
 ―――というふうに、止まったままの画面で、2人がずーっと話してるんですね。

 この会話の最中は、ずーっと長回しなんですよ。
 こういうシーンからもわかる通り、『エヴァンゲリオン』という作品は、どちらかというと、1カット固定のままで台詞のやりとりをするシーンの方が多いくらいなんですよ。
 なのに、時々、1つの台詞ごとにパンパンとカットが切り替わることがある。

 これは、『エヴァンゲリオン』のTVシリーズを通して見てたらわかるんですけども。
 実は、『エヴァンゲリオン』というのは、会話の内容が乏しい場面でカットを頻繁に割る傾向にあるんですよね。

 さっきの会議のシーンでも、思わせぶりなことをいろいろと言っているけど、実は、台詞の内容自体はゼロなんですよね。
「幸いとも言える。我々の先行投資が無駄にならなかった点においてはな」
「そいつはまだわからんよ。役に立たなければ無駄と同じだ」
「さよう、今や周知の事実となってしまった使徒の処置、情報操作、ネルフの運用はすべて適切かつ迅速に処置してもらわんと困るよ」
 ―――って、ここまで「碇ゲンドウが吊し上げにされている」という以外の内容が、何一つないんですよ。
 具体的に「こうしろ」「ああしろ」と言うんじゃなく、ちょっと難しそうな言葉を使いながら、よってたかって嫌味っぽく吊し上げにしているだけ。しかも、当のゲンドウが「その件に関してはすでに対処済みです」と具体性のない弁解をひとこと言っただけで、全員そこで追求をやめちゃうんですよね(笑)。

 このシーンって、一見すると知能指数が高そうに見えるんだけど、そんなことないんですよ。
 ほら、なんか、ヤンキーが「夜露死苦」とか書いたりするじゃないですか。ヤンキーほど難しい言葉を使いたがるのと同じなんですよ。はっきり言っちゃうと、そんなにレベルの高いシーンではないんですね。
 そして、僕はこういった「シナリオや台詞内容の弱さを、画面の強さで補う」ということこそが「エヴァ・スタイル」だと思ってるんですね。
 台詞に内容がある場合、ドラマが動いている場合、ちゃんと登場人物の心が動いている、もしくはストーリーに関係している時は、もうカットを固定したままパーンと見せちゃうわけですね。
 リツコとミサトの会話のシーンで表示されるのは、真っ暗な場所にシンジくんの黒いシルエットがあるだけという単純なカット1枚なんですけど、そこで交わされる台詞にきちんと中身があれば、これだけでも見ていられるんですよ。
 ところが、台詞に中身がない場合、もしくは薄い場合は、思い切ってカットを細かく細かく割ることで、ちょっとでも内容があるように見せる。
 こういうのが、『エヴァンゲリオン』のスタイル「だった」んです。
 今、「『エヴァンゲリオン』のスタイル「だった」」というふうに、わざわざ過去形で言ったのは、庵野秀明監督の最新作である『シン・ゴジラ』では、これがさらに進化しているからなんです。

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