岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/02/27
おはよう! 岡田斗司夫です。
今回は、2015/09/20配信「中身がなくて軽い劇場版『進撃の巨人』と、誰も当事者になりたがらない安保法案」の内容をご紹介します。
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2015/09/20の内容一覧
- 本日の告知
- 『進撃の巨人』後編はなぜ浅いのか?
- 「引き出し」のない園子温の薄っぺらさ
- 「正直すぎる」樋口真嗣監督
- 今見るべき映画2本は? 『カリフォルニア・ダウン』の絵のすごさ
- 質疑/オリンピックはいつからダサい?/テレビと政治/監督業とは/マンガ業界事情
- 質疑「キモオタだけど恋がしたい!」
- スーパーヒーローの政治学
- ロールズと「ギフテッド」という道徳
- 西洋人のスーパーヒーロー観
- 日本の正義とは「悪を攻撃する」こと
- 後半とイベントの告知
- 質疑/お見合いから恋愛/iPhone盗聴/まわりがバカに見える/共産党にまだ投票?
- 論理学入門
- 『タイタンの妖女』の「徹底的に無関心な神」
- 政治の歌と「アイドルにこそ多様性がある」
- 川崎のぼるの「上手さ」と梶原一騎三部作
- 西崎義展の取材がすごい、でも断定が浅い
- 次回告知
ロールズと「ギフテッド」という道徳
マイケル・ジャクソンが死んだ時にですね、多くの人が言った言葉が『THIS IS IT』って映画見るとわかるんですけど、「彼には才能があった」っていうふうに字幕が出てるんですね。
「彼には才能があった」と。
で、それは言語で聞くとですね、「ギフテッド」って言葉を使ってます。
それは、天から与えられた物だそうです。
で、「ギフテッドの才能を伸ばす」っていう言い方をするんですけども、「こうすればギフテッドになれる」というような言い方はしないと。
つまり、ギフテッド・才能っていうのは、天から与えられる物であるんだけども、そういうのを伸ばしたりすることっていうのは、特に出来ない。
そういうのを、ないものを急に作ったりすることはできない。それは天からの配財であるというふうな考え方なんですね。
で、ちょっと横路にそれるんですけども。
ロールズっていう哲学者がいます。
個人に与えられた天賦の才能っていうのをですね、社会全体の資産というふうにみなしてたんですね。
で、社会全体の資産としてみなしていたから、だから、たとえば力持ちっていうのは、力を公共のために使わなければいけない。
笛の才能がある人は、その音楽の才能っていうのを、その人の家が、たとえば農家であろうが、たとえば先生やってようが、親がなんとかしろと言おうが、自分のギフテッドされた本来の才能っていうのを活かして、それを社会に還元しなければいけない、というふうに言った。
もしそれをお金を稼ぐ才能だとしたら、その稼いだお金っていうのは、貧しい人に分配しなければいけない。こうやって社会的な均衡っていうのを保とうとした。
(中略)
そんなもの私物化してもいいはずがない。ですね。
なので、そこから利益を得るというのは、才能、資質を持たない人、持たざる人ですね。貧しい人、不遇な人に対して、分配する、改善するっていう公共的な姿勢というよりは、「義」、義務とか責任を持つっていういうふうにロールズは言いました。
これと真っ反対の考え方してる人がいます。
それはリバタリアンと言われる、アメリカに最近多いというですね。
リバタリー、自由主義者っていうふうに言われているやつですね。
リバタリアニズムっていうのは自分の能力や努力ですね、幸運によって手に入れた報酬っていうのはすべて自分が所有してもよいっていうふうに考えるんですね。
なので、それを税金で取り上げることを不当とするんですね。
だから、金持ちからより多く税金をとるっていうのは、日本人にとってみたら、それは当たり前だよねって思ってるようなことも、リバタリアンにとってはそれは不正義なんですね。
間違ってることなんですよ。
そうでなくて、優秀な者がより多く取る社会っていうのが正しい社会であって、それが天与の権利であるというふうに考える。
ロールズの考えている社会観と真っ反対の考え方。
で、残念ながらロールズのこの社会観っていうのは、今のアメリカではですね、強欲経済と言われているので、どちらかと言うとリバタリアンの主張が中心になってるんですね。
(中略)
で、日本人にとってですね、正義の問題にもなってくるんですけど、正義っていうのは何かって言うと、悪に対抗することなんですね。
いや、皆さんはそれを当たり前と思うかも分かんないんですけども、違うんですよ。
正義っていうのはリバタリアンにとって、自分の権利を侵害されないこと。他人の権利を侵害しないことが正義なんですね。
で、ロールズにとっては、天から与えられた才能っていうのを、公共のために使うことが正義なんです。
この正義っていうのがあった上で、じゃあスーパーヒーローというのは何だろうかというふうに考える。
そうすると日本人が考えるスーパーヒーローというのはすべて、まず悪ありきなんですね。
悪いことが起きる。銀行強盗がある。怪獣が出て来るとか、ショッカーが世界征服を企む。
だからウルトラマンが立ち上がる。仮面ライダーが戦うんだっていういうふうになる。
『ヤッターマン』シリーズってだいたいそうですよね。
『ヤッターマン』シリーズっていうか、タツノコのスーパーヒーローっていうのは、まず悪役ありきで、悪役に対抗する形っていうのが正義になってる。
だから、水戸黄門にしても、何にしてもそうなんですけども。
平和な村に行くと何もすることがないんですよ。
それはなんでかって言うと、日本人が考える正義っていうのが悪に対するカウンターでしかないからなんですよ。
これが僕らが考える正義です。
ところが、ちょっと西洋人は違うと。
(中略)
なぜブルース・ウェインはバットマンなのかって言うと、これ日本的に解釈すると、ゴッサムという街に悪があるからなんですよ。
ゴッサムという街に悪があるからバットマンは戦うしかないんだっていうふうに考えるんですけれども。
そうではなくて、ブルース・ウェインには力があるからなんですね。
力があるから、この力っていうのをどうにかして社会に還元しなきゃいければいない。そうでなければ、ただ単に強欲資本主義のリバタリアンになってしまうからですね。
(続きはアーカイブサイトでご覧ください)
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