岡田斗司夫プレミアムブロマガ 2018/01/15
おはよう! 岡田斗司夫です。
今回は、2018/01/07配信「宮崎駿は超科学をどう描いたか。『天空の城ラピュタ』をとことん語る!」の内容をご紹介します。
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2018/01/07の内容一覧
- 今夜は『天空の城ラピュタ』特集
- ジブリ年表
- 『ラピュタ』とは『カリオストロの城』である
- ラピュタ6つの魅力
- 『天空の城ラピュタ』の不思議なエロス
- 『ラピュタ』エロいシーン
- 宮崎駿作品に登場する女性のしたたかさ
- 矛盾した文明批判
- 『ラピュタ』のオープニング
- オープニング映像だけで状況を説明する
- 『ラピュタ』オープニング制作の舞台裏
- 押井守の『ラピュタ』批判
- 『ラピュタ』の本当のテーマ
- 映画で描かれていないキャラクターの秘密
- 宮崎駿の「アイデア成仏」
- パズーという人間のリアリティが圧巻。小説版『天空の城ラピュタ』
『ラピュタ』とは『カリオストロの城』である
では、『ラピュタ』というのはどういう作品なのか?
僕はもう、『ラピュタ』というのは徹底的に、『カリオストロの城』だと思ってます。
健気なお姫様が悪漢の元から一人で逃げ出してきて、それを男が救う。ルパンが救うのか、パズーが救うのかで違いはあるんですけども、とにかく男が救うのは同じです。
しかし、怖い男たちがお姫様を取り返しにきて、さらってしまう。そこで、主人公は、一度はお姫様を諦めることになる。クラリスが薬を飲まされているのを知らずに、ルパンが「しょうがないか」と思ったり、パズーが「シータが忘れてくれと言ったんだ」と言ってドーラに怒られるようなシーンですね。こういうふうに、一度はお姫様を諦める。
でも、その後、お姫様を取り返すために仲間と一緒に戦い、最後は「滅んでしまった昔の大都市」を発見する。『カリオストロの城』だったら、水に沈んだローマ帝国の大都市だし、『ラピュタ』だったら、巨大な天空の城を発見しますよね。
実は、こんなふうに、構造的にはメチャクチャ似てるんですよ。
これはなぜかと言うと、昔から宮﨑駿は、スティーヴンソンの『宝島』というイギリスの古典的児童文学作品のようなものを作りたかったからなんですね。
イギリスというのは児童文学の発祥の地みたいなものなんですけど、この『宝島』というのは、その定番中の定番なんですよ。宮崎作品というのは、基本的に『宝島』のメインプロットの応用で出来ているんですね。
だから、「じゃあ、この作品における「海賊シルバー」の役割は誰になるんだろうか?」というふうに考えると、宮崎作品がわりと理解しやすくなるんです。
ただ、それと同時に、宮﨑駿には、その当時、周りにあった『ガンダム』とか『宇宙戦艦ヤマト』とか、あとは、自分自身も手掛けた『ルパン三世』などのアニメ作品に対して、「違うだろ!」という、すごいアンチな気持ちというのも持っていたんですね。
そのアンチ感情というのは何かというと、「それらの作品は、すべて「エリート」が主役である。何かできることがある人間を主人公にしている」というところなんです。例えば、ルパンだったら天才的な泥棒とか才能があったりしますよね。
さらに、宮崎さんにとってみれば、『ガンダム』の主人公のアムロですら、やっぱり批判の対象になるんですよ。僕らから見ると、アムロっていうのは平凡な少年だったから、それまでのアニメに出てきた、人格高潔、スポーツ万能みたいな主人公たちとは全然違うように見えるんですけど。でも、宮崎さんにしてみれば、『機動戦士ガンダム』というのは、「所詮、メカの力を借りて、虎の威を借る狐のごとく、主人公がいいカッコしてやがる作品」というのに見えたらしいんですね(笑)。
まあ、そんなところもあって、『ラピュタ』を作る時にも、アンチ・ガンダム、アンチ・ルパンとしての作品としてやりたいと考えたそうです。
ところが……これは後で本人も困ったことなんですけども。
アンチ・ルパンを言い出したまではよかったんです。「もっと普通の少年のことを描きたい」と企画書に書くまではよかったんですけど。普通の少年を主人公にしたら話が動かないんですね。
だって、敵役になるのは、ムスカという軍を顎でこき使う情報部のすごいキレる大人なんです。それに対抗するドーラっていうのも、メチャクチャ強い海賊のオバさんなんですよ。ここに「シータを守るんだ!」というだけの理由でがんばる、12、3歳くらいの子供が入ってきても、勝てるはずがないんですね。
結果、「どうしたらいいんだ?」と、ここから宮﨑駿の苦悩が始まったわけです。「だったら、最初からそんなことを言わなきゃいいのに」って思いますよね(笑)。
なにより、一番最初に宮﨑駿が「よし! これでいいや!」と思って書いた脚本を鈴木敏夫と高畑勲に見せに言った時に、「これ、何? これじゃあ、ムスカが主役じゃん」って、ボコボコに言われたんですよ。
子供の頃から親に聞かされていたラピュタの話というのを信じて、「俺がラピュタ人を再興させるんだ!」と思っていたムスカ。そのために、一生懸命、ラピュタの王族の血を引いているという女の子を探し出して誘拐したりするんだけど、その女の子にも嫌われる。そこで、女の子の気を引くようなこともいっぱい言うんだけど、そんな中、女の子は若い男の子に奪われてしまう。そうやって、いろんなことがありながらも、なんとか栄光を手にしたと思ったら、最後の最後で女の子に裏切られて、挫折して、すべてを失ってしまう。
そんな脚本を見せたところ、「一応、パズーっていう男の子は出てきているけれど、これじゃあ「血湧き肉躍る漫画映画」ではなくて、「若きムスカ、栄光と挫折の物語」じゃん。ムスカという人物を描いた映画としては良いと思うけど、これ、どうするの?」って言われたそうなんです。
いや、この初期案の脚本も、これはこれでなかなか面白いと思うんですけども(笑)。
つまり、何が言いたいかというと、「宮崎さんがやろうとした、なんでもないような少年を主役にするというのは、作劇上、かなりの無理がある」ということです。
王族のお姫様と何でもない少年を主役にするという無理のあることをしちゃったから、最後は結局、2人で手を合わせて「バルス!」という滅びの言葉を言わせてしまうことになっちゃったんです。あそこで2人がやったのは、どう考えても「心中」なんですね。2人で死ぬことで、この状況をなんとかしようとしたも同じなんです。
それでは、『風の谷のナウシカ』の時にもやってしまった、『さらば宇宙戦艦ヤマト』のラストで行われた自殺覚悟の特攻と同じようなパターンになってしまうわけですね。
ただ、「じゃあ、『ナウシカ』と同じなのか? 『さらば宇宙戦艦ヤマト』と同じなのか? 最後は2人が死を覚悟することでなんとなく終わるままなのか?」というと、そうではないんですね。
(続きはアーカイブサイトでご覧ください)
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