落ち太郎/MSDFのブロマガ

こどものような素直さで、という罠。

2020/03/25 04:07 投稿

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子供のような素直な心というものが、まるで無条件に良いものとされています。
それは、あたかもすべての人がある程度の齢を重ねた後に他者から時折突きつけられる場合があるのですが、果たしてそれ「子供のように」は、万人に対し「無条件に良い」ことなのでしょうか?

「子供のように」とは、多くの人、多くの大人達に実はそれほど重要なことではない、或いは顧みなくても構わないものではあるまいか。と、私は考えます。
こう言い放ってしまうとこれを読んだ人は必ず浅薄な暴論だと感じるだろうと思いますが、それならお尋ねしたいのですが、あなたはあなた自身に、「素直な心とはなんぞや」を深く突きつけてみたことはありますでしょうか?

この手の問いかけが人に投げかけられる、または誰かに投げかけようとする場合とは、「なにか特定の特殊な価値観に凝り固まっている人物」に、「素直になれよ」という思いを込め、つまり、その人物の価値観を一旦リセットすることで、誤解の払拭であるとか、思い込みの是正を図る場合にのみ、この「子供のような素直さ」に立ち返ることを促し促されるわけですが、何故か、「子供のように」と必ず修飾された形で「素直に」或いは「正直に」つまり「なにかに囚われることなく」といったニュアンスで突きつけられることが、世間で多すぎると感じたことはありませんか?

それらは無条件にそうあるべき倫理観の一つであるかのように多用されているものの一つだと認識しているのですが、そのこと自体をよく疑ったほうが良いのではないでしょうか?
何故ならば、良い価値観も悪い価値観も膾(なます)切りに切り捨てた上で、単に違う価値観にすげ替えたいだけの場合があるからです。問題な部分はもちろん「良い価値観も」すげ替えてしまおうという場合にも「子供のような素直さ」なる美名であなたや私が培った「価値観」を「別の価値観」にしてしまいたいという画策であったりするのです。
何故そのようなことを他人に誣いて来るのかといえば、単に「商行為」であったりするわけですが、それにとどまっているのであれはよいのですが、実は、「あなたの素直さ」に付け入って、或るいは「その真摯な姿勢」を利用して、「だれかにとって都合が良いだけの」価値観や倫理観を植え付けようとしているだけの場合があります。
例えば「あなたが歯向かってこないように仕向けるために」であるとか、「無抵抗になってもらいたい」、「無防備にさせよう」と、誰かがそんな目的であなたを「子供のように」つまり「幼いままに」「拙いままに」或いは「白痴に」留めようとしているだけの場合があるとすれば、あなたはどう思いますか?

これを読んでもしも、考えすぎ、気のせいだと思ったのであれば、あなたにとってそれらのことが問題ないことであることを、思わずにいられません。


ニコ生コミュニティー なんで、つまらない のか。disconnect版


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