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ISILによる日本人人質殺害についての個人的考察

2015/02/19 05:10 投稿

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いわゆる、「イスラム国」と自称するテロ集団ISILに日本人二名が拉致され、後に殺害された事についてはご存知の方も多いと思う。
これについて、まあ当然のように自己責任論を主張する人と、安倍総理の危機管理能力について疑問符を投げかけ、この事態は回避できたのではないかとの意見を持つ人とが各々の主張を声高に流布している状態が続いている。


かたや「二人は自分の意思で行ったのであってこれは自己責任、安倍総理始め政府首脳部は出来る限りの事をした」と言い、今後同じ事案が発生した場合の選択肢を増やすため、憲法9条改正も含めて自衛隊を日本人救出に使えるようにするべきとの総理の主張に同調。


かたや「政府は何もしなかった。国民の生命を守る責務を負った政府がそれを出来なかったのだから責任は総理にある。しかも本件を口実に憲法九条に手をつけようとしている」と言い、話し合いは出来たはずなのに全てを放棄し、本気で二人を助けようとしなかったと安倍政権に対する批判を強めている。


この二つの意見、皆さんはどちらに賛同するだろうか。
仮にそう問われたなら、私はどちらでもないと言わせて貰う。
何故ならこの二つの主張、どちらにもマトモな部分と現実的ではない部分が同じ比重で含まれており、方角が間逆を向いているだけで質と量は同じ程度だというのが個人的な意見なのだ。


政府は2011年4月の時点で危険情報レベルでもっとも高い「退避勧告」を出しており、2012年3月21には在シリア日本国大使館を閉じている。
外務省は危険を認識しており、国民に向けてその事実を伝えているのだ。
ただこれには強制力はなく、最終的には個人の判断に委ねられている。
強制力を持つ渡航制限を検討すべきとの声も上がっているものの、憲法第二十二条(居住、移転の自由を定めた憲法)が存在し、現状では難しい。
世耕弘成官房副長官が2月2日、某番組にて後藤さんに対して計3回「渡航をやめてくれ」と伝えていた事を明らかにしたが、これを「自己責任にすり替えて、政権が責任逃れをしようとしてる」だの、酷いのになると何の根拠も無くこの事実自体を疑問視する意見まである。
しかしこれは明らかに間違った見解だ。
外務省は、パスポート申請など、何らかの形で危険情報が出た国への渡航計画を把握した場合、渡航を止めるよう説得を行っている。
これは外務省の通常公務であり、何も後藤さんがこうなったからといって取って付けた話ではない。
そして世耕氏はこの発言の後「われわれは自己責任論という立場には立たない。国民の命を守るのは政府の責任だ」と発言している。
これも国の立場として当然で、政府は自国籍を持つ人間の生命をその経緯に関係なく全力で守るのが大前提であり、これが果たせなかった事実は決して軽いものではない。
この部分に関して「責任は総理にある」との主張は確かに正しい。


さて、ここまでは「出来るだけの事をしていた」と言える政府の対応だが、後藤さん拉致後のそれはアメリカや国内世論、安倍政権が主張する憲法改正などとの兼ね合いから行動が硬直化し、結果自ら選択の幅を狭めたのではと推察する。


後藤さんの奥さんのもとにISILから直接メールが届いたのは12月2日であり、丁度衆議院総選挙の告示日に当たる。
ISILは高い計画性と交渉を持ち出すタイミングに悪い意味で長けており、日本政府が事態を明るみにしたくない時期を狙って交渉を持ちかければ、秘密裏に事態の収拾を図るため金を払うのではと考えたのではないだろうか。
ところが、外務省はメールの一件を口止めし、この事態は膠着状態となる。
後藤さんを現地付近まで案内したガイドはその事実を証言しているようで、遠まわしながら政府も「事案の性格上全てが公表できるわけではない」などと発言している。
確かにその通りだが、この事実が選挙に与える影響を一切考えなかったなどということは恐らく無いと個人的には思うのだ。
この一件、相手の要求に応じて人質が開放さても、逆に失敗しても安部総理に対する世論の風当たりが強くなるのは間違いない。
果たしてこの「口止め」が、いかなる懸念による判断だったのかは想像の域を出ないものの、こういった考察に際して前記した材料があるのは事実だ。


次に、何故日本政府はISILとの交渉窓口にヨルダンを選んだのかを考えてみたい。
これは”たられば”になりかねない話だが、避けて通る事のできない争点だ。
事態が明るみになった時点でこの議論は方々から上がっていた。何故トルコではないのかと。
知らない方の為に説明しておくと、ヨルダンは親米国であり、有志連合の空爆にも参加しており(パイロット、ムアーズ・カサースベ中尉はこの空爆作戦の参加中に墜落、拘束された)、ISILとの対立が激しい国なのだ。
翻って、トルコはアメリカの同盟国だがISILへの攻撃参加要請を蹴っており、件の組織への独自の交渉ルートを持ち、それを使って幾人もの人質解放を成功させている(もっともこれは、秘密裏に身代金を払ったとする説もあり、さらには相手の要求に答えてISILの戦闘員80人を解放したという話もある)。
普通に考えて、交渉相手と敵対している国を窓口にするのが賢明とは思えないわけで、トルコを窓口にしたほうが交渉の裾野は広がったとする見方は妥当にも思える。
日本がISILとの交渉窓口としてヨルダンを選んだ結果、ISILは要求内容を2億ドルからサジダ・リシャウィ死刑囚へ変更するきっかけを手に入れてしまったのは事実であり、交渉においてこれは大きな失点だったのは間違いない。


しかし、である。
これはトルコという国の内情を勘案せずに、とにかく二人を無事に開放させる可能性を僅かばかり上げる為だけに、形振り構わずこの選択肢を選べるなら、という話だ。
トルコが空爆作戦に参加しないのは、関係のない市民が空爆によって命を落とすことに対してトルコ市民が抵抗を感じているからとする話もあるが、国というのは基本的にそんな無益な事で舵をきったりしないもので、これは平和という言葉を盲信する人にのみ聞こえてくる綺麗事にすぎない。
そもそも何故、トルコはISILとの間に独自のルートを持っているのか。
トルコはアサド政権を弱体化させるため、シリアの反体制派、過激派を支援しており、過激派として戦う兵士の訓練、傷病兵の治療などがトルコで行われている。
過激派がクルド人も標的にしていることからも利害の一致が見られ、無論この「過激派」の中にはISILも含まれるだろうことは想像に難しくない。


無論ISILがここまで膨張することはトルコにとって想定外だっただろうが、だからといって即座に綺麗さっぱり手を切れるものでもない。
ISILの支配地域はすでにトルコ国境まで迫っており、トルコ国内にもある程度の数のISILに属する人間が闊歩しているのは確実だ。
そんな状態で手のひらを返すのも難しい状態のトルコは、ISILに対してアメリカほど強い態度を取る事ができず、その切るに切れない関係が今も「独自のルート」という形で残っている。
この事実は、対シリア政策において、トルコとアメリカとの間に深い溝を生んでいる。


日本政府が、こういった経緯で存在するトルコの「独自ルート」を使ってISILと交渉することにアメリカがどういった感情を抱くのか、考えるまでもないだろう。
テロとの戦いにおいて、アメリカと歩調を合わせざるおえない日本政府としては、トルコを窓口とする選択肢は始めから無かったのでは。
無論、先に記した在シリア日本国大使館閉鎖に伴い、その機能をヨルダンの大使館に移したことも理由のひとつではあるものの、これは言わばもっともらしい言い訳に過ぎず、本音はアメリカ追従せざるおえないの一語ではないか。


『日本の選択肢を狭める日米安保条約と憲法九条』


先にも書いたが、国というのは国益確保の為に動くものだ。
その観点からどうしても議論しなければならないのが、現在の日本の安全保障の根幹である日米安保条約だ。
ISIL人質殺害とこの話が関係ないと思う方も居ると思うが、今回の件も含め、日本の外交全てに影響を与えている事柄だ。
どうも私見では、日米安保条約が日本が他国から武力攻撃を受けた場合、在日米軍が自衛隊と一緒に戦ってくれるという取り決めであるかのような勘違いをしてる人が多いように思えてならないので、蛇足を承知でここから明確にしておきたい。
日米安保条約は、日本有事の際にアメリカの軍事協力が約束される内容にはなっていない。
あくまで「共同して対処する」だけであり「そういう選択肢もある」だけだ。
つまり、事が起こってもアメリカは「双方の平和的解決に向けて協力を惜しまない」などと言ってお茶を濁す可能性も大いにある。
しかも現在の日米安保条約は年単位の自動更新であり、一年前に予告すれば一方的に破棄できる。


そもそもこの条約は、戦後、日本の防衛力がない状態を埋め合わせる為に、日本政府がアメリカ軍部隊の駐留をお願いするという体裁で生まれた条約だ。
それが1950年代にには朝鮮戦争、台湾海峡危機、後のベトナム戦争の兆しが見え始めるなど、戦略的に在日米軍の重要度が増し始めたことで、現在の新日米安保条約に至るが、その後もアメリカにとってこの条約の意義は変化を続けることになる。
冷戦時代のそれはソ連への軍事プレゼンスであったが、ソ連崩壊によって冷戦が終わると、高度経済成長を経て突出し始めた自衛隊という日本の軍事力を押さえつける抑制剤として、そして近年はトルコ以東アジアに対しての軍事プレゼンスとして存在し続けている。


ここまでご覧になれば、日米安保条約が日本の安全保障の為に存在する条約ではないことが良くわかると思う。
だがこれは当たり前、現在アメリカ国防総省は日本を仮想敵国とみなしているという話すらあるのだから。
全てはアメリカの国益の為に存在し、日本はその副次的な抑止効果の為に、この不確かな条約をなんとか維持し、しがみつくしかない。
その為に日本は、アメリカにとって有益な国であり続ける必要に迫られ、米軍の血を流してでも守る価値のある国であることを、常に示さなければならないのだ。
これが日本の安全保障の根幹、日米安保条約の実態だ。

アメリカの顔色を常に気にして、外交の選択肢を制限されてしまうその根本原因は、憲法九条と日米安保条約に縛られ、自国の安全保障を他国に委ねざるおえないこの国の病状にあると言えるだろう。
ISIL人質事件においてもそれは例外ではなく、交渉窓口にトルコを選べなかったのも、上記の理由で選択肢が狭められた結果とは言えないだろうか。


『自己責任論も政府責任論も、どっちも「ひとごと」』


私は殊更、政府を擁護する立場をとりたいわけではない。
現在の安倍政権の方策に対しても、個人的には幾つか首を傾げたくなるものもある。
今回のISIL人質殺害に関しても、交渉のタイミングそのものに問題があったと思っている。
あのオレンジの服を着せられた人質が解放された前例は無く、そういう意味では脅迫動画がネットに出回った時点でこの結果はもう不可避だったと個人的には思う。(もっと言えば、あの動画が出回った時点で二人とも殺害されていたと個人的には思っている)
本来なら、後藤さんのご家族にISILからメールが来た事を把握した時点で、政府が相手に口止めをした上で水面下で金を払って人質返還を求めるよう外務省に指示を出し、あとは官僚に任せるのが、確実性の高い現実的な解決方法だったのではないだろうか。(この時点ですでに殺害されていた可能性もあるが)
ISILもその辺りに落とし所を定めていたように感じる。
ところが日本政府が想定外の「無視」をしたため、人質をカードとして出すタイミングをずっと待つことになったのではと私は推察している。
この「無視」は政府として責められるべき落ち度だったのは間違いない。(もっとも事前にアメリカに旨を伝えて交渉しようとしたら、アメリカ側からブレーキをかけられた可能性もまったく無いとは言えない)


しかしこう考えると、「安倍総理が中東訪問したタイミングがいけなかった」などという意見は、勘案すべき中身が皆無ということになる。
結局の所、ISIL側からしたら「口実はなんでも良かった」のだ。
仮にこれがアメリカのオバマ大統領との会談だったりしても、なんやかんやと言い掛かりをつけられて、同じ経緯を辿っただろうことは想像に難くない。


結局の所、本当の意味でこの人質事件が解決できなかったのは、現在の日本の状況を勘案すれば、仕方なかったで片付けざるおえないというのが個人的意見だ。
何せ取り得る選択肢が少なすぎる。
だが、選択肢が少なかった事実は浮き彫りになったはずで、この部分をどうにかしないことにはこの先さらに同じような事態に直面した時、今回のような八方塞な状況を甘受しなければならないだろう。
それは何も対テロ対策だの海外でのこのような人質事件だけの話ではなく、この国の外交方針全てにおいても同じ事だ。


自衛隊を所持しながら憲法九条という名の幻想にしがみつき、アメリカの都合で継続されている日米安保条約に危険や面倒ごとを擦り付ける。
憲法九条が日本を平和にしていたのではなく、日米安保条約が辛うじて、日本の憲法九条という甘えを許していたのだ。
日本国民は、その矛盾に心のどこかで気が付いていながらリスクの少ない現状維持を70年もの永きに渡り最優先し続けた結果、それによって生まれた歪みによって自国の舵を自由にきることが出来なくなった。


今の日本の体制は、戦後70年間、この国に生まれ、死んでいった全ての国民によって築き上げられた。
民主主義である日本の政府は国民によって選ばれており、責任は国民にある。


だから私はまず「政府責任論」を唱える方々に、あなた方はこの国の国民としての自覚はあるのかと問いたい。
国民が選んだ政府なのだから、罪はそれらを選んだ国民全員にあるのだ。
それをひとごとみたいに語るその論調に、私は不快感を覚える。


だが、政府には国民の生命と財産を守るという至上命題が存在する。
たった一人の個人の自由の為に、国家が総力を上げるのが民主主義の理念といえる。
それを無視し、政府は悪くないと言ってしまえる「自己責任論」の方々にも「政府責任論」の方々と同じひとごと感を、私は感じずにはいられない。


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