ニムロデのブロマガ

北朝鮮の核、ミサイル問題における日本の反応について思うこと

2017/08/11 00:57 投稿

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北朝鮮とアメリカとの緊張がその度合いを増している。
8月9日、朝鮮人民軍の金絡謙戦略軍司令官は「日本の上空を通過させ、グアム島周辺の海上に落とす」と宣言、具体的な計画内容を言い添えアメリカに対して強い軍事的プレッシャーを加えてきた。

内容はこうだ。
2017年5月14日に北朝鮮が平安北道亀城から発射、ロフテッド軌道を描き三十分程飛翔の後、ロシア寄りの日本海に落下した物と同型の大陸間弾道ミサイル、火星12型を4発同時に発射、日本の島根県、広島県、高知県の上空を通過し、3356.7キロの距離を1065秒間(17分45秒)飛行した後、グアム島周辺30~40キロの海上に落下するだろう、との事。

北朝鮮と米との緊張状態は今年に入って急激にその深刻さを増している印象が強い。実際ここ一、二年の推移だけ見ればそれは間違いではないが、時間の幅を広くしてみればこの手の実験は1998年のテポドン1号(北朝鮮は光明1号と言い人工衛星の打ち上げだったと主張)から断続的に行われており(ミサイル発射実験自体は1993年のノドン発射があるが、これは1500~2000キロの液体燃料を用いた準中距離弾道弾であり、目的も米に対する軍事プレゼンスではなく、兵器輸出で外貨や石油を得る為の品評会的な意味合いが強かった為、国連安保理の召集も無かった)、この時の発射実験では日本列島を飛び越えて太平洋に落下したこともあり、当時のマスコミは挙って「日本が丸々射程に収まってしまった」と騒ぎ立てたものだ。日本の立場から言えばこの時の緊張状態は今現在の状態に、”瞬間的には”比肩していたと言って良い。
・・・もっともノドンの射程も2000キロと推定されており、これも十分日本列島ほぼ全部射程に収まる訳で、実際に列島飛び越える物が飛んでくるまで暢気してた日本人も大概だが。

そして先に述べたように、当時の日本人の緊張状態はまさに”瞬間的”で、あっと言う間にこの話題を取り上げるマスコミも居なくなり、表面上はそれまでと変わらぬ平和な日本。2006年、2009年の二度に渡る核実験で僅かばかり盛り上がるも結局、報道の意義<視聴率のマスコミは、一週間もしないうちに話題を「公然わいせつで起訴猶予になった草なぎ剛、SMAP×SMAPで復帰へ」に変えていく。彼らにしてみれば、核やミサイルといった軍事的脅威よりSMAPの方が大事なのだ。
・・・そして日本人は慣れていく。別に北のミサイルや核が消えてなくなった訳でもないのに、同じ事が被害なく続いていくにつれ、「またか」というどこか慣れにも似た諦観で事態を眺める国民が大勢を占めていく。そして心のどこかでこう思っていたに違いないのだ。

「自分たちには関係ない」と。

いや、事ここに至ってもなお「自分たち(日本)には関係ない。巻き込まないでくれ」といった内容の意見を多数見聞きする。戦後70年以上が経過し、日米安保条約とそれに付帯するアメリカの核の傘、そして高い能力を有する自衛隊の存在が維持したこれまでの平和を、憲法九条という宗教で達成したと勘違いする平和ボケしたこの国らしい見解だ。

以前、「ISILによる日本人人質殺害についての個人的考察」というタイトルでブロマガに掲載した文面の中に、『自己責任論も政府責任論も、どっちも「ひとごと」』という趣旨の私見を述べさせていただいたが、今回もキーとなるのはこの「ひとごと」感だと、私は強く感じている。


『アメリカは北朝鮮の核保有を認める可能性がある』


この選択肢は別に最近になって出てきたわけではなく、以前からちらほらと聞こえてきてはいた。
大規模な軍事行動を前提としない金正恩斬首作戦でも、事態の推移によっては大規模な戦闘行為に発展しかねず、中国の介入へと事態が推移することは想像に難しくない。そうなれば朝鮮戦争の悪夢再びである。
アメリカが何よりもそれを一番恐れているのは誰の目にも明らかで、そのリスクを取ってまで軍事行動に出ることはまずないだろう。万が一、アメリカが軍事行動に出たならば、それはほぼ間違いなく中国との間に「現政権を倒し非核化するのみ。その後の暫定政権などで国連やアメリカが主導権を握らない」という約束がなされた時のみだと思われる。(そんな約束が果たして成立するのかという疑問はとりあえず置いておく)
しかしそれでもリスクは残る。
朝鮮戦争時、敗戦一色だった韓国軍は、国連軍の介入によって戦線を一気に38度線まで押し上げることに成功したが、この時調子に乗った韓国軍はこの機に南北統一してしまおうと軍をさらに北上させた。現地の状況を大して勘案せず、中国軍介入の可能性を簡単に否定してゴーサインを出したマッカーサーも同罪だが。
これと同じ火事場泥棒的発想で、唐突に韓国軍が北上を開始する可能性を完全に否定できない。もしそうなってしまったらアメリカが止める間もなく中国軍が介入してくることになりかねず、これもまた大きなリスクとして考えなければならない。
しかしアメリカにはもうひとつ、日本や韓国には決して取ることのできない選択肢がひとつ存在する。北朝鮮の核保有を認めるという選択肢だ。
「有り得ない」と言う人もいるが、私はそうは思わない。アメリカを核で恫喝していないという大きな違いはあるものの、インドとパキスタンの核保有も結局放置されているという前例があり、核保有国同士の軍事衝突は発生したことが無いという実績がある。ありていに言ってしまえば今の世界は核を持った者勝ちなのだ。
アメリカにとっては北が核を保有したところで、「持つ者と持たざる者の差」が少し埋まるだけで核による相互確証破壊は成立する。
空母を持ち、ミサイルだけではなく部隊の展開も手が届くアメリカに比べ、ミサイル以外何一つ届かない北朝鮮との間には以前、決して埋まることの無い格差があることを、アメリカも北朝鮮も十二分に理解している。
だから北朝鮮の要求は昔から首尾一貫して「アメリカとの間に不可侵条約を結ぶ」と「北朝鮮の核保有を認めさせる」の二点なのだ。
アメリカがこの条件を飲む可能性は、決して無視できるほど低いものではない。そしてもしアメリカがこの選択肢を取った場合、もっとも危険になるのは、核を持たず、相互確証破壊を成立させることができず、北の軍が展開可能な韓国と日本なのだ。
上記した北朝鮮の二つの要求と今までの行動から、北朝鮮が目先の目標としては現政権の維持、中長期的には軍事行動によって南北統一を目指していると推測するのは簡単だ。
つまり、今アメリカが北朝鮮と戦争回避の為の話し合いとやらをして、北の条件を飲んだ場合、それはすなわち事実上、韓国と日本の安全保障の梯子をアメリカが外すということになりかねず、この瞬間の平和を維持できても後の世に大きな災いの種を残すことになりかねない。
「日本や韓国はアメリカの同盟国だから、北朝鮮がどちらかに核を撃ったら代わりに報復の核を撃つだろう?だから相互確証破壊は成立してるよ?」と本気で思ってる人間がいるとは思いませんが、一応言っておくとアメリカは恐らく、アメリカ本土が核攻撃されない限り核での報復は行いません。


『北朝鮮情勢が浮き彫りにした、日本の歪み』


今のマスコミの報道のあり方が見るに耐えない。
どこぞの論説委員だかが出てきては「各国に冷静な対応を心がけて欲しい」などと恥ずかしげもなく語る。(それ別に、小学生でも言える内容だよ)
2017年5月14日の弾道ミサイル、火星12の発射直後、コメンテイターたちはこぞってXデーはいついつだの、5の付く日は特別だから要警戒だのと、さもトトカルチョを楽しんでいるかのように予測合戦に興じ、それを見た国民は「まーた外れたよ、やっぱなんだかんだ言っても結局何も起こらないんだよね」と、根拠の無い安心にしがみ付く。
そしてまた、これまでと同じく瞬間的に跳ね上がった緊張感はあっと言う間にどこかへ消え、今回に至るまでやれ加計学園だ森友学園だのと、マスコミが大好きな現政権叩きにシフトしていった。
マスコミによる脚色、選別報道も大きな問題だが、さらに深刻な問題は、著名人やコメンテイターによって着色された色を好む日本人の国民性だ。
この感性は、国家の安全保障をどう担保するのかという議論を、自主規制と言う名の言論統制(誤解を承知でこう言わせてもらいます)によって封殺し、巻き込まれたくないと逃げ、逃げ続けてどうにかなってきてしまったせいでこれからもこれで行けると思ってる国民と、そんな無責任な感性を増長させ視聴率至上主義にひた走るマスコミの、負の無限ループを作り出した。
このループは何処までも内向きで、世界情勢を完全に無いものとして成立してしまっている。
島国であり、資源に乏しく、地政学的にも要衝である日本は、どうあがいても世界情勢の影響をおもいっきり受ける立場に居るにも関わらず、国民は皆世界屈指の豊かさに守られ、その現実を実感として感じる機会が無かった。

ゆえに世界の現実から目を背け、大体全ては他人事。対岸の火事。
何の犠牲も出したくないし、何かを変えるリスクを背負いたくない。
そんな感覚だから、「今まで血を流さずに済んだのだからこの道が正しい。だからこれまでと同じこれからで良いじゃないか」と未来予測と危機管理を完全に放棄する。

世界を見て、日本の現実を直視して、この国の置かれた立場や状況を正確に把握すれば、とてもではないが今のように暢気に日々を送れなくなる。どうしても核武装や、有事の際の日本の行動、日米安保がどこまで信用できるのかなど、答えの出ない難題を突きつけられる事を、実は皆判っているのだと思う。
結局の所、過酷な現実を直視するだけのキャパシティが今の日本人には無いのだ。
平和に慣れすぎて、そういう議論をすることすら恐ろしいから、禁忌にし、良くないと断じ、今まで続いた平和な日常に逃げる。
その手助けをしているのがマスコミという構図なのだと私は感じている。


『日本は、とっくの昔に当事国だった』


1998年のテポドン1号発射の時点で、日本列島がほぼ射程に収まった事は周知の事実だ。
この時点でもどこか他人事だと考えていた日本世論のイカレ具合に、私は当時から大きな不安を抱いていた。
ミサイルが届くとなった時のアメリカの態度、対応の方がよっぽど正常で、至極当たり前の反応だと思えるからだ。
今の世論に先に述べた「自分たち(日本)には関係ない。巻き込まないでくれ」といった意見が今更出ることに私が憤りを感じる所以である。
現実を直視すれば1998年の時点で、もっと言えば1993年のノドン発射の時点で日本自体が当事国であり、その自覚が欠如していたのは間違いない。
この時点ではむしろ、アメリカからして他人事なのだから彼らが今のような態度を取らなかったのも当然だ。表向きには悪の枢軸認定したり、中国がある以上大した成果が上がらないことをわかった上で形ばかりの経済制裁をしたりしていたいが、今ほどの本気度は絶対になかった。
しかし日本からすれば、北朝鮮がミサイルによって攻撃可能になってから25年近い年月が流れている。今更だし、四半世紀もの時間をただ漫然と傍観しただけだった日本の態度が、現在の状況を現出させる一助になっていることは否定できないだろう。
米軍基地が無ければ日本が北朝鮮に攻撃目標にされることは無かったと言う人も居るが、もし米軍基地が無かったら、とっくの昔に旧ソ連と中国に領土を切り取られて、日本という国は消滅していただろう。(力が無ければ奪われるのは竹島と北方領土で判ってるはず)
そういった恩恵を完全に無視して、都合が悪くなったら「巻き込むな」という日本の世論は国際的に見てかなり身勝手に映るのではないだろうか。少なくともアメリカ国民はそう思うだろう。


『武力、戦争を議論するときに「善悪」を持ち出すな』


アメリカがシリアに放ったとされる59発のトマホークミサイル。
かつては一発一億円以上という価格だった。
その後、部品の見直しや改良が加えられタクティカル・トマホークミサイルとして今現在も運用されているが、それでも今だに一発七千万円もする。
同国がアフガニスタンに投下したとされるMOAB(Massive Ordnance Air Blast bomb)大規模爆風爆弾も、一発一億円程度。
日本近海に二隻居たニミッツ級に至っては、一隻四千億、それに搭載する艦載機を60機として大体三千億円(安く見積もって)、しかもさらにヘリや哨戒機も搭載し、空母を守るための兵装も搭載されている。
しかもさらに、空母は一隻だけで行動するわけではない。
虎の子の空母を簡単に失うわけにはいかないので、それを護衛するためにイージス艦数隻、その他の護衛艦、補給艦、潜水艦数隻からなる”空母打撃群”という一塊として動く。ちなみに、平均的なイージス艦は一隻大体一千億円。
しかもこれらあくまで建造費であり、維持費には建造費と同額程度(空母は五十年運用される為五十年分)、開発には約五千五百億円掛かっているという。

・・・私が何を言いたいか判っていただけるだろうか。
こんな巨費、伊達や酔狂、一時の気の迷いでほいほい出せるものではないという事だ。
では何故、国はこれほどの巨費を投じてまで軍備を増強、維持するのかといえば、当然それは外交において自国の国益を担保するためだ。
これはアメリカだろうがロシアだろうが中国だろうが、北朝鮮だろうが同じ。
自分たちが主権を維持し、国民を餓えさせない為にどうしても必要だから金を拠出するのだ。(北朝鮮は国益=金正恩の利益)
そこには善悪など一切介在しない、純然たる”理由”だけが存在する。
だから、戦争が起こるのにだって”理由”がある。善悪なんて後付で、その”理由”こそ戦争の本質なのだ。
だが多くの日本人は戦争を善悪で議論しようとする。そうすると当然、戦争は良くないという、全人類が理解している当たり前の答えにたどり着く。そして最後には「戦争は良くない事だからしては駄目なんだよ」という、問題解決にクソの役にも立たない結論を教育機関で平然と刷り込んでいく。
多様な思考や価値観から生まれる無数の答えなど、芽生える前に摘み取る為に、生産性の無いレールへ子供を誘導し、思考停止の為の人道的模範解答を全員に刷り込んでいるのが日本の教育課程の現実だ。
実際それは功を奏しており、今現在の世論の大勢はこの刷り込みをそのまま吐き出している。

私も小学生の時、夏休みの登校日には必ず広島と長崎の原爆投下を描いた映画やドキュメントを見せられ、感想文を書かされたものだ。戦争の悲惨さを心に刻むという意味はあったと思うが、その先の議論は一切行われなかった。

戦争を本当に回避したいのなら、考えるべきは良し悪しではなく”理由”だ。
日本が幾ら戦争をしないと言い、憲法で自分を戒めたところで意味がない。
戦争は恋愛ではない。双方の合意など無くても、片側にその”理由”があれば否応無くやって来る強姦のようなもので、跳ね除ける力が無ければやられて終わりだ。
大事なのは戦争の理由を取り除く、もしくは相手にとってその選択肢が割に合わない状態にすることで、その為には理由を分析して対処する以外に方法がない。
そして人類は有史以来さまざまな戦争を経験して幾ばくかの教訓を得ており、そのひとつが軍事プレゼンスによる均衡維持であり、今現在のその究極が、核兵器による相互確証破壊だ。
日本の九条信者が良く言う「話し合いによる平和的解決」も、軍事的均衡が土台に無いと成立しない。というか、話し合いが意味を持たない事もあるのは、件の北朝鮮を見れば判るだろう。

そろそろ日本もいい加減、世界の情勢と安全保障の現実を直視しなければならない状況になったのではないか。
いや、もうすでに遅すぎるくらいではないか。
関係ないでは済まされない、自分たちの国の安全をどう担保するのか議論する、良い機会ではないか。
マスコミ各社には、民間人にもそれを周知させ議論を闊達にする一助になっていただきたいと切に願うばかりである。無理だろうけど。


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