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【ヒキ弱王の日常 2020】~オレと麻雀編~(4月23日)

2020/04/23 20:00 投稿

コメント:2

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~オレと麻雀編~



現在、4/23日の17時。
本日は20時から「天鳳麻雀大会」の生放送を控えており、そういえば自分の麻雀歴について詳しく語った事は無かったなと思いまして、そんな題材で今回は書いていきます。自粛中は過去の話を振り返るのが定番よね。

麻雀との出会いは確か小3ぐらい。当時は三度の飯よりTVゲームが大好きで、友達の家でも親戚の家でも「やめなさい」と言われるまでファミコンばっかりやっている、今思えばかなり迷惑な子供だった。夏休みや冬休みの度に泊まりに行っていたその親戚の家にあるゲームソフトはほとんど遊び尽くし、何か他に面白いものは無いかと物色していて手に取ったのが「ファミリー麻雀Ⅱ 上海への道」だった。

そのソフトの存在自体は今までも目に入っていたのだが、何となく難しそうだなと思い、あえて遊ぼうとはしなかった。でもその時はよほど他のゲームに飽きていたのだろう、ソフトの持ち主であるその家のおばちゃんに「これってどうやるの?」と聞いていた。そして、そのおばちゃんが実際にプレイしながら「3つずつの組み合わせを4セット集めること」「残りの2つは同じ牌を揃えること」を教えてくれて、オレは麻雀と出会った。その日はずっと、そのゲームだけをやって過ごした。面白かったのだ。

役も点数も全然分からなかったけれど、一つずつ必要な牌を集めて、ある時は狙い通りに、またある時は予想とは全く違った方向へ出来上がっていくアガリまでの過程。そしてあと一つ必要な牌が来ればアガれる、という時に宣言できる「リーチ」という甘美な言葉。ファミリー麻雀Ⅱは、リーチ直後に「〇〇待ち」と親切に教えてくれるのだが、それもまた楽しかった。カンチャンやペンチャン、単純な両面待ちなど、簡単に分かるような形なら「うんうん、これね」と頷けるのだが、たまに変則多面待ちになった時などは、「え? この形でリーチできるの?」「うわっ、待ちがこんなにあるの?」と新鮮な驚きが次々と押し寄せてきた。

その1日だけですっかり麻雀が気に入ってしまったオレは、数年後に自分のファミコンを手に入れてから、改めて「ファミリー麻雀Ⅱ 上海への道」を購入。説明書についていた「役一覧表」で初めて、アガった直後に表示されていた難解な漢字の読み方と意味を知り、今度は色々な役を作ることに楽しみを覚えた。ゲーム中にアガることができた役にはチェックを付けて行き、まだアガったことが無い高難易度の役は「いつか作りたい」と思うようになった。同じクラスの友達と遊ぶ時にもそのソフトを持って行き、友達にもまんまと麻雀の楽しみを教え込むことに成功。そのうちに「誰かと対戦してみたい」と思うようになり、なぜか自宅の倉庫にあった(両親に聞いても誰のかは分からなかった)竹製の古びた麻雀牌を見つけ出してきて、舞台はリアル麻雀へと移行していった。中学時代は、自宅の庭にプレハブの自室を作ってもらうことに成功し(期末テストで上位入賞が条件だった)、すぐさま友人たちの溜まり場になり、ゲームと漫画と麻雀三昧の日々である。

高校へ進学し、中学までの友人たちは全くいない環境だったが、そこで初めてできた友人にも麻雀を教えた。どちらかと言うとクラスの端の方に位置していたオレの、数少ない交友グループ内にも麻雀熱は広まっていき、そしてまた友人の家へ泊まり込んでまで麻雀を打つ日々。(余談だが、高校で初めて麻雀を教えた友人に、逆に教えてもらった遊びがパチンコである)

しかし大学へ行くと、いったん麻雀とは疎遠になる。代わりに時間を費やすようになったのがパチンコ・パチスロと、初めてできた彼女とのあれやこれやと、サークル活動等だろうか。

そのまま大学を卒業し、スロプロを2年ほど続けた後に、パチンコ業界の端っこへバイトとして就職。なんやかんやあって「ノムラ600萬」というふざけた名前と風貌で自社運営のパチンコサイトでコラムなど書くようになり、今まで雑誌で見るだけの憧れの存在だったライターの方々とも少しずつ知り合えるようになる。

すると、高校時代から唯一人だけ一緒にスロプロをしていた杉山という男の兄が、たまたましのけんさんと一緒に立ち回っていたことがあったらしく、しのけんさんに初めて会った時にその杉山・兄の名を出すと「あぁ~! あの〇くんの!」とすぐに話が通じて、その事でオレを覚えてくれていたのか、その何ヵ月か後になんとしのけんさん直々に連絡があり、「S-1 GRAND PRIXに出ませんか?」という。

こうして、どこの馬の骨とも分からない男がパチテレの「S-1 GRAND PRIX」という番組に初出場する事になり、その時は1回戦突破→準決勝で敗退→次の大会は1回戦敗退、というあまりパッとしない結果だったのだが、やはり白スーツにサングラスという風貌が目立ったのだろう、たまたまその番組を見ていたある人の記憶に残ったらしい。

萩原聖人さんである。
 

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コメント

きっちりフラグ回収。お見事です!

No.1 55ヶ月前
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(著者)

>>1
こんなの絶対おかしいよ!

ノムロック☆

No.2 55ヶ月前
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