6日
テレビ取材の素材用に秋葉原でレンタルニート看板を持つ様子を撮影した。
実際のところ初見でその場で利用申し込みをする人というのはほぼいないので、一時期からそうやって外で看板を持つのは写真撮ってSNSに載せてもらったりだとか、宣伝のための目的である。
この様子を撮影したがるメディアは多いが、そんな都合よくレンタルニート利用が入るものではない。撮影をした日だけでお客が捕まることを期待するのは望み薄だ。もちろんそれは事前にスタッフには伝えてある。
とりあえずまぁ、レンタルニートで象徴的な看板を持つ姿を収める目的で撮影するということだろう。
いつもの電気街口ラジオ会館側で看板を持ち撮影をした。
しかし今日はやってみると珍しく短時間にいろんな反応が現れた。
街頭インタビューに来ていた富山テレビに声をかけられ、秋葉原にいる人へのインタビューとして対応したり(秋葉原で缶詰といえば?という質問だったので「おでん」と答えた)、ニー株メンバーのダイキチさんがたまたま通りかかったり、そのほかにも物珍しさで声をかけてきたおじさんとちょっと喋った。映画監督をしているという。
利用者はいないが、1時間かそこらでこの反応を得られれば撮影としてはまずまずだろう。
昼頃までやって、撮影している場所がビルの日陰になってきたので明るさの都合により終了した。
明日もやるそうだ。この場所の日当たりの都合によりもう少し早く、10時にここで開始ぐらいの時間でやることになった。
7日
前日に続き電気街口で看板持つ姿を撮影をした。
今回は演出用のイメージカットという類のものらしい。
電気街口のいつも献血の看板持った人がいるあたりからレンタルニート看板を持ってSEGA側を向き、道路の反対側にいるカメラに目線を送りながら立ち尽くした。
この構図、この前学生から取材を受けた時にもここでやったが、午前中の時間帯だと太陽に向かって立つ形になり眩しい。まばたきで長めに目を閉じてなんとか我慢した。
その後は看板持ちの時間をいつまでやるかは自由にやっていいということだったので、昨日終わったのと同じ時間ぐらい、日陰になってくる12時半ぐらいまでやろうというつもりでいた。
そろそろ終わろうかというときに男1人、女3人の若者4人組が話しかけてきた。
何やら大学の課題で秋葉原にいる人にインタビューをしているとのこと。やはり現地にいる人に取材をしようという企画は様々なところであるみたいだ。
内容はつまりレンタルニートを利用してカフェなどへ行き、1時間ほど詳しいインタビューをしたいということだった。取材をしている期間で都合よく利用者はまだ来ていないのでちょうどいいかもしれない。
テレビ取材を受けている最中に別の取材を受けることになったわけだ。
電気街口の反対、UDX側のルノアールへ行ってインタビュー対応をすることにしたが、お店での取材許可は取れなかったとディレクターより連絡があったのでそのまま学生たちのインタビューに対応した。
内容は「秋葉原という街についてどう感じているか」というようなものだった。
いつごろから秋葉原に来ているか、昔と変わったと思うところはあるか、通り魔事件について何か感じていることはあるか、など。
自分が秋葉原に来始めたのは高校2年の、テレビドラマで電車男が流行った時期だったなぁ。時を同じくして、そのころ高校のクラスメイトに結構オタク仲間がいたのでみんなで一緒に行ったのが最初だったような気がする。
俺が高校2年だったのは2005年ぐらい、でっかい建物のヨドバシAkibaがオープンした頃だ。
俺みたいな若い奴が答えてもあまり参考になるかなと思ったが、「昔と変わったところはあるか」という質問に対しては、一応自分目線で実感していることを答えた。
電気製品売り場がたくさんある街だから、一般的な目線だと携帯電話の売り場は10年前とは様変わりしていると思う、ヨドバシでいえば1階の携帯売り場は昔と比べた場合、スマホケースを始めとしたスマホグッズでいっぱいだ。
店の中の売り物の話を答えるのは微妙な気もするが、電気製品の街というテーマで言えば、技術の進歩による製品の移り変わりが激しいという意味で内容に沿っているだろう。
1時間ほどのインタビュー対応を終えて終了。ついこの前も別の大学から取材を受けたが、学生たちの課題の足しになれば何よりだ。
そのレンタルニート終了後にちょっと秋葉原のラジオ会館やボークスなど回ってから帰った。
テレビ取材の素材用に秋葉原でレンタルニート看板を持つ様子を撮影した。
実際のところ初見でその場で利用申し込みをする人というのはほぼいないので、一時期からそうやって外で看板を持つのは写真撮ってSNSに載せてもらったりだとか、宣伝のための目的である。
この様子を撮影したがるメディアは多いが、そんな都合よくレンタルニート利用が入るものではない。撮影をした日だけでお客が捕まることを期待するのは望み薄だ。もちろんそれは事前にスタッフには伝えてある。
とりあえずまぁ、レンタルニートで象徴的な看板を持つ姿を収める目的で撮影するということだろう。
いつもの電気街口ラジオ会館側で看板を持ち撮影をした。
しかし今日はやってみると珍しく短時間にいろんな反応が現れた。
街頭インタビューに来ていた富山テレビに声をかけられ、秋葉原にいる人へのインタビューとして対応したり(秋葉原で缶詰といえば?という質問だったので「おでん」と答えた)、ニー株メンバーのダイキチさんがたまたま通りかかったり、そのほかにも物珍しさで声をかけてきたおじさんとちょっと喋った。映画監督をしているという。
利用者はいないが、1時間かそこらでこの反応を得られれば撮影としてはまずまずだろう。
昼頃までやって、撮影している場所がビルの日陰になってきたので明るさの都合により終了した。
明日もやるそうだ。この場所の日当たりの都合によりもう少し早く、10時にここで開始ぐらいの時間でやることになった。
7日
前日に続き電気街口で看板持つ姿を撮影をした。
今回は演出用のイメージカットという類のものらしい。
電気街口のいつも献血の看板持った人がいるあたりからレンタルニート看板を持ってSEGA側を向き、道路の反対側にいるカメラに目線を送りながら立ち尽くした。
この構図、この前学生から取材を受けた時にもここでやったが、午前中の時間帯だと太陽に向かって立つ形になり眩しい。まばたきで長めに目を閉じてなんとか我慢した。
その後は看板持ちの時間をいつまでやるかは自由にやっていいということだったので、昨日終わったのと同じ時間ぐらい、日陰になってくる12時半ぐらいまでやろうというつもりでいた。
そろそろ終わろうかというときに男1人、女3人の若者4人組が話しかけてきた。
何やら大学の課題で秋葉原にいる人にインタビューをしているとのこと。やはり現地にいる人に取材をしようという企画は様々なところであるみたいだ。
内容はつまりレンタルニートを利用してカフェなどへ行き、1時間ほど詳しいインタビューをしたいということだった。取材をしている期間で都合よく利用者はまだ来ていないのでちょうどいいかもしれない。
テレビ取材を受けている最中に別の取材を受けることになったわけだ。
電気街口の反対、UDX側のルノアールへ行ってインタビュー対応をすることにしたが、お店での取材許可は取れなかったとディレクターより連絡があったのでそのまま学生たちのインタビューに対応した。
内容は「秋葉原という街についてどう感じているか」というようなものだった。
いつごろから秋葉原に来ているか、昔と変わったと思うところはあるか、通り魔事件について何か感じていることはあるか、など。
自分が秋葉原に来始めたのは高校2年の、テレビドラマで電車男が流行った時期だったなぁ。時を同じくして、そのころ高校のクラスメイトに結構オタク仲間がいたのでみんなで一緒に行ったのが最初だったような気がする。
俺が高校2年だったのは2005年ぐらい、でっかい建物のヨドバシAkibaがオープンした頃だ。
俺みたいな若い奴が答えてもあまり参考になるかなと思ったが、「昔と変わったところはあるか」という質問に対しては、一応自分目線で実感していることを答えた。
電気製品売り場がたくさんある街だから、一般的な目線だと携帯電話の売り場は10年前とは様変わりしていると思う、ヨドバシでいえば1階の携帯売り場は昔と比べた場合、スマホケースを始めとしたスマホグッズでいっぱいだ。
店の中の売り物の話を答えるのは微妙な気もするが、電気製品の街というテーマで言えば、技術の進歩による製品の移り変わりが激しいという意味で内容に沿っているだろう。
1時間ほどのインタビュー対応を終えて終了。ついこの前も別の大学から取材を受けたが、学生たちの課題の足しになれば何よりだ。
そのレンタルニート終了後にちょっと秋葉原のラジオ会館やボークスなど回ってから帰った。
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