こんにちは、すすろです。
最近気づいたことがあります。
それは、物事は、やらなければ終わらないということです。
たとえば、算数プリントの宿題が100枚出されたとします。
それを終わらせようと思えば、1枚ずつやっていくしかありません。
たとえば、すごく散らかって汚い部屋があったとします。
それを終わらせようと思えば、少しずつ片付けていくしかありません。
たとえば、行列のできるお店で100人並んでいたとします。
そのお店に入りたければ、100人の後ろに並んで待つしかありません。
とても当たり前のことを言いました。
これは当たり前のことなのです。
しかし、この当たり前のことを実行するのは、難しいことだと思います。
算数プリントの宿題が、100枚も出されたら、その時点で嫌になりませんか?
あまりにも汚い部屋だと、どこから手を付けてよいかわからず、片付ける気にならなくないですか?
100人も行列していたら、あきらめて別のお店に行きたくなりませんか?
途方も無いような分量の困難を目の前に突き付けられると、その時点でやる気を失ってしまうことは、大いにあると思います。
それをコツコツやれば、必ず達成できるとわかっていても、です。
しかし最近僕は、なんだか少しわかった気がします。
そういうものは、少しずつやっていけば、達成できるということです。
どんなに頑張っても、達成できるかできないか、不確定なものはこの世にたくさんあります。
たとえば、「プロ野球選手になりたい」というのは、どんなに頑張っても、確実になれるとは限りません。
自分の努力の他にも、いろいろな要素が関わってくるからです。
しかし「算数プリントを100枚やりたい」というのは、頑張って100枚やれば、終わるのです。
最近僕は、そういうことに気づきました。
最近気づいたことがあります。
それは、物事は、やらなければ終わらないということです。
たとえば、算数プリントの宿題が100枚出されたとします。
それを終わらせようと思えば、1枚ずつやっていくしかありません。
たとえば、すごく散らかって汚い部屋があったとします。
それを終わらせようと思えば、少しずつ片付けていくしかありません。
たとえば、行列のできるお店で100人並んでいたとします。
そのお店に入りたければ、100人の後ろに並んで待つしかありません。
とても当たり前のことを言いました。
これは当たり前のことなのです。
しかし、この当たり前のことを実行するのは、難しいことだと思います。
算数プリントの宿題が、100枚も出されたら、その時点で嫌になりませんか?
あまりにも汚い部屋だと、どこから手を付けてよいかわからず、片付ける気にならなくないですか?
100人も行列していたら、あきらめて別のお店に行きたくなりませんか?
途方も無いような分量の困難を目の前に突き付けられると、その時点でやる気を失ってしまうことは、大いにあると思います。
それをコツコツやれば、必ず達成できるとわかっていても、です。
しかし最近僕は、なんだか少しわかった気がします。
そういうものは、少しずつやっていけば、達成できるということです。
どんなに頑張っても、達成できるかできないか、不確定なものはこの世にたくさんあります。
たとえば、「プロ野球選手になりたい」というのは、どんなに頑張っても、確実になれるとは限りません。
自分の努力の他にも、いろいろな要素が関わってくるからです。
しかし「算数プリントを100枚やりたい」というのは、頑張って100枚やれば、終わるのです。
最近僕は、そういうことに気づきました。
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