あけましておめでとうございます。いいやまです。
去年を振り返ると、何とかプロジェクトをやりきるという事はできました。
ですが、経営者1年生だったこともあり商売の仕組みについて無知だったので、中々思うようには行きませんでした。
しかし、何事もやりきるという事は大切で、今の私にはお金を稼ぐということが、何となくですがわかってきたような気がします。
お金を稼ぐための種をまいて育てる作業をあまりやらなかったのが問題なんじゃないかと思います。
今年はそのインスピレーションを参考にお金を稼ぎたいですね。
お金を稼いで、行動にさらなる自由度を手に入れ、さらに面白い人生を歩んでいけたらと切に願う所存であります。
お金を稼ぐということは別にニートだけではなく一般の人にも大切なことのようですが、こんな広告をネットで見ました。
それは、英語がしゃべれると年収200万円上がるというものです。
私はこの広告を見て少し違和感を覚えました。
一見英語しゃべれれば年収があがるので英語をマスターすると得するなと思うのですが、私はなんというか「二度手間じゃね?」と思いました。
転職系のサイトか英語の教材のサイトのうたい文句かだと思いますが、例えばたまたま英語が好きでマスターしてる人がいるとします。
転職するにして、今英語の仕事をしてたらその人でも200万円アップするのでしょうか?
そもそもすでにマスターして仕事にしてるので付加価値はありませんよね?
じゃあ、マスターしてても仕事にしていない人だったらどうでしょう?
マスターしているのに仕事にしていないのなら恐らく何かの理由があることが多いと思います。
趣味でやりたいから仕事にしたくないとかです。
そういう人が広告を見て「よし!転職しよう!」と思うでしょうか?
恐らく思いませんよね?
教材を売るためのうたい文句だったらどうでしょう?
英語をマスターしてなくて英語をしゃべれるようになろうとしているとします。
その人は何故英語をしゃべれるようになりたいのでしょうか?
年収を上げるために?
だとしたら何でその手段が英語なのかと疑問に思うわけです。
英語をマスターするということは英語圏の外国で暮らさない限り、そんな片手間でできることではありません。
つまりそれなりの労力をつぎ込む覚悟でやろうとするわけです。
その労力をつぎ込む先が何故英語なのか?
その人がやりたいことは英語をしゃべれるようになりたいわけじゃなくて、年収をあげたいわけです。
そこに何か二度手間を感じるわけです。
年収をあげたいなら、年収をあげることに労力をつぎ込むべきです。
営業職だったらもっと契約が取れるように、メーカーならもっと売れる商品が作れるように、さらには会社内の地位を上げて年収をアップしたいなら社員をまとめられるようになるために労力をつぎ込むべきです。
何故そこにわざわざ英語を挟むのか疑問に思ったわけです。
契約もうまく行かなくて、売れる商品が作れない会社で英語がしゃべれるようになって、それで年収が上がるんですかねぇ?
うまく行ってる会社だとしても、英語がしゃべれればその会社の統率者になれるんですかね?
私はそんなことをこの広告を見て思ったわけです。
まぁお金というのはニートじゃなくても必要なものですから「お金が欲しいけど僕は何にも考えてません」という人には魅力的に見える広告なのでしょう。
要するに売るためのテクニックです。
英語がしゃべれるようになるよりこの広告の会社のやり方を学んだほうがお金になるんじゃなかろうか?と私は思ったわけです。
おしまい
去年を振り返ると、何とかプロジェクトをやりきるという事はできました。
ですが、経営者1年生だったこともあり商売の仕組みについて無知だったので、中々思うようには行きませんでした。
しかし、何事もやりきるという事は大切で、今の私にはお金を稼ぐということが、何となくですがわかってきたような気がします。
お金を稼ぐための種をまいて育てる作業をあまりやらなかったのが問題なんじゃないかと思います。
今年はそのインスピレーションを参考にお金を稼ぎたいですね。
お金を稼いで、行動にさらなる自由度を手に入れ、さらに面白い人生を歩んでいけたらと切に願う所存であります。
お金を稼ぐということは別にニートだけではなく一般の人にも大切なことのようですが、こんな広告をネットで見ました。
それは、英語がしゃべれると年収200万円上がるというものです。
私はこの広告を見て少し違和感を覚えました。
一見英語しゃべれれば年収があがるので英語をマスターすると得するなと思うのですが、私はなんというか「二度手間じゃね?」と思いました。
転職系のサイトか英語の教材のサイトのうたい文句かだと思いますが、例えばたまたま英語が好きでマスターしてる人がいるとします。
転職するにして、今英語の仕事をしてたらその人でも200万円アップするのでしょうか?
そもそもすでにマスターして仕事にしてるので付加価値はありませんよね?
じゃあ、マスターしてても仕事にしていない人だったらどうでしょう?
マスターしているのに仕事にしていないのなら恐らく何かの理由があることが多いと思います。
趣味でやりたいから仕事にしたくないとかです。
そういう人が広告を見て「よし!転職しよう!」と思うでしょうか?
恐らく思いませんよね?
教材を売るためのうたい文句だったらどうでしょう?
英語をマスターしてなくて英語をしゃべれるようになろうとしているとします。
その人は何故英語をしゃべれるようになりたいのでしょうか?
年収を上げるために?
だとしたら何でその手段が英語なのかと疑問に思うわけです。
英語をマスターするということは英語圏の外国で暮らさない限り、そんな片手間でできることではありません。
つまりそれなりの労力をつぎ込む覚悟でやろうとするわけです。
その労力をつぎ込む先が何故英語なのか?
その人がやりたいことは英語をしゃべれるようになりたいわけじゃなくて、年収をあげたいわけです。
そこに何か二度手間を感じるわけです。
年収をあげたいなら、年収をあげることに労力をつぎ込むべきです。
営業職だったらもっと契約が取れるように、メーカーならもっと売れる商品が作れるように、さらには会社内の地位を上げて年収をアップしたいなら社員をまとめられるようになるために労力をつぎ込むべきです。
何故そこにわざわざ英語を挟むのか疑問に思ったわけです。
契約もうまく行かなくて、売れる商品が作れない会社で英語がしゃべれるようになって、それで年収が上がるんですかねぇ?
うまく行ってる会社だとしても、英語がしゃべれればその会社の統率者になれるんですかね?
私はそんなことをこの広告を見て思ったわけです。
まぁお金というのはニートじゃなくても必要なものですから「お金が欲しいけど僕は何にも考えてません」という人には魅力的に見える広告なのでしょう。
要するに売るためのテクニックです。
英語がしゃべれるようになるよりこの広告の会社のやり方を学んだほうがお金になるんじゃなかろうか?と私は思ったわけです。
おしまい
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