斜め72度

崇める布の教団4~罪やら倫理やら教化教育やら

2013/08/28 20:00 投稿

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【入信】
導師の介添えのもと、鏡にむかって次の文言を宣誓する。
「私は数える。
 私は歌う。
 私は踊る。
 私は神の幸せをたどる。」(入信文句)

【第九教義】
「罪像を9つ数え、人間の賢さと、人の愚かしさとなす。
 凍れる結晶より世界をゆがめるがごとき3像。
 ひとつには『妬み』。他を自らに属さしめんと欲す。
 ひとつには『苛だち』。他を自らの思うさまに動かさんと欲す。
 ひとつには『暴き』。他に自らを偉大に見せかけんと欲す。
 枯渇せし泉に水の満つを待つがごとき3像。
 ひとつには『驕り』。己への依存を欲す。
 ひとつには『貪り』。己への献上を欲す。
 ひとつには『快がり』。己への讃美を欲す。
 川のとどまりて淀めるまま動かざるがごとき3像。
 ひとつには『嘲り』。他を愚かしめるも動かず。
 ひとつには『慄き』。他を恐れして動かず。
 ひとつには『怠け』。他を平らかに見て動かず。」(原経典)

(釈)教団において、9が愚かさをも象徴することを表した部分である。世間にはこの九罪を「⑨」と表現することが流行となった時期も存在する。

さて、九罪は、精霊が像を刻む姿から学び、神が作ったものである、とは「第八教義」に既出である。九罪も3の倍数でくくられており、それぞれ、水の印象をもって「凍れる結晶」「枯渇せし泉」「川のとどまりて淀める」とあることから、この教団の神は水との関係性が深い。

3の倍数の数合わせと、前述「第八教義」の「真似びて」から、九罪は、精霊、精子、精孫の9柱に真似てつくられている、と解釈されている。この教義自体にも「人間の賢さと、人の愚かしさとなす」という言及もあるとおり、「閃」「努」「愉」などの、もうひとつの側面とみなすこともできる。
神は罪を蔓延させてしまったのであるが、同時に、人間に罪を感じ取れる段階にひきあげた、ということにもなる。

そもそも、この教団における神は、孤独な存在であるから、究極的には「自己満足」にいたることが人間であるということの裏返しにもなっている。しかし、この神は「自己嫌悪」のほうが強く、九罪は、共通して「自己満足のためだけの行動は罪」と重ねて言っているように考えられる。

九罪を大きく3つに分類すると、この教団の戒律にもなることは言わずもがなであるが、九星術師によると以下のようになるとされるのが通説である。

・奪ってはならない→「妬み」「驕り」「嘲り」
・脅してはならない→「苛だち」「貪り」「慄き」
・騙してはならない→「暴き」「快がり」「怠け」

さて、このように神は罪の創造者であると同時に、一方で「入信文句」には「私は『神の幸せ』をたどる」とあることから、幸福の象徴でもある。神の幸せとは、おおざっぱには罪を犯さぬよう律し、自己嫌悪を払拭して、自己満足にいたることであろうとされるが、これを鏡に向かって行うことにもまた象徴的な意味があるとされる。
姿見に自分を映し、「神の似姿」である自分に向かって、自分が幸せであると宣誓しているという構図なのである。
「入信文句」の最後の一行「私は神の幸せをたどる」は、信徒同士が教団の仲間であることを示すための挨拶のようにも使われ、「あなたにはさらなる幸せを」と付け加えるのがマナーである。

こうした慣例は「神の創りだした九罪をたどるのではなく、あなたが満足でき、自分が満足できる状態(つまり、神が満足できる状態)をつくりだしましょう」という精神の表れなのである。




※編集後記
お読みいただきましてありがとうございます。
宗教団体というものは、教化教育をして、信徒・信者の徳を伸ばしたり、倫理観をもたせたり、といったことを事業として行います。本当は、「宗教的世界観」を教化教育して、そのついでに、徳がついたり、倫理観がついたり、ということになるのですが。
幼児が、比喩的神話、寓話、といった、子供向け絵本とか童話によって、これは悪いことだ、これは良いことだ、などと善悪を学ぶようなものでございますね。
ネット宗教、新興神話でありますと、このあたりはとっかかりが難しいので、相変わらず「数える」というやりかたで上記を組み込んでみたのですけれど、⑨の概念でありますとか、荒らし、ネチケなどといった物事を整理していきましたら、なかなか不思議なことに、七大罪悪とかとも共通項がでてきたりして面白うございました。
そして、間もなく訪れるか、もう訪れているかは分かりませんが、現代は「自己満足社会」へと転向していくだろうという予見から、ぼっち神に自己満足属性を加えました。この第九教義は、つまるところ「自己は神である」「神は自己である」という正体の一部を明らかにした部分でもあります。
あくまで一部です。「神とは何なのか」は、まだまだ先のほうに記すことになりますので、長い目で見ていただければと存じます。






……つづく。

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