斜め72度

宗教をつくろう~創作宗教論

2013/08/20 17:01 投稿

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前回の記事「宗教学序説~ニコニコ三大宗教を考える」が、閲覧数1マン越えてしまいましてな……、あっしのブログには、過ぎた閲覧数で仰天至極、……まあ、冗長でオチもひねりもないテキトー極まるものでございますので、そのうち9割ほどのかたは3行ほどでお諦めになったのではないかと存じますが、それでも見ていただけたことにひたすらに感謝申し上げたてまつりたき所存にございますれば、

ゲーム理論的に当然妥当にあるチャート進行である

とかいうニヒリズムを捨てて、本日も斜め72度の視点で物事を考えさせていただこうと存じます。

さらにありがたきは、あっしにはなき知識をコメントしてくださるかたがた。あっしにとって興味深い課題をお与えくださるかたがた。嬉しく頼もしく、これからもおすがりいたしますけれど、見捨てずコメントくだされば幸せに存じます。


はてさて、いつもどおり前置きが長くございましたが、本題にはいらせていただきます。

「人間は遺すものである」という命題がございます。
さかのぼれば生命的本能、ふるき伝統ある生物たちは、自らをコピーして遺し、少し時代を経た生物は、繁殖という方法によって「遺伝子」を遺します。

我ら人間は、肥大した大脳新皮質のなかの情報を「遺伝子」としては遺せないために、少しばかり厄介な方法で自己を遺そうとします。
おそらく人類の最初のほうは「これを知っていれば生存に有利だから」という知識ばかりが伝達されたでしょうけれども、だんだんと「集団になっていたほうが生存に有利だから」「集団を保つにはこうすれば有利だから」というように伝達事項がふえてまいります。

先の記事にも出てきました「モンスリ(物知り)」は、そうした伝達事項を蓄える、一定集団の幹部であるとか長であるとかになっていくのでありますが、さらに時間を経過させていくと、「集団の保存」ではなく「個の保存」に目覚めていくようになっていきます。人類史的な「自我の目覚め」でございましてな、個々が考えていることや感じていることが、必ずしも全員同じとは限らないというところにいたっていくわけでございますな。

文化人類学でいえば、「死の発見」というものも大きく関わってくるように感じます。
つまり「ひとはいつか死ぬ」ゆえに「死ぬ前に何かを遺したい」

繁殖行動で遺伝子を遺せば「種の保存」は果たせますけれど、生物の本当にやりたかった「自己のコピーを遺す」「個を遺す」とは違ってきてしまった。ある有利な進化をすると、決定的な退化をも同時にするというのが生物進化のおきてでございますから、これはいたしかたないことでございますな。

ただ、人間は遺伝子のどこかに「単性生殖」という遺伝の究極を忘れてはいないものでございましょう。
自分だけのちからで自分と同じ遺伝子を持つ子をなすこと。「ナルシスト」といってしまうと言葉が軽くなりましょうけれど、自分を愛することは生命の本来の姿にかなり近いものです。「同性愛」「ネクロフィリア」「小児性愛者」もおそらく、この「単性生殖」の枝系で、生まれながらの「ナルシスト」も「同性愛者」も存在して当たり前といえるようにございます。

むしろ「異性愛」「複性生殖」のほうが、生物として複雑化してしまい、不利なはずなのに……、こうして長い時間存在しうるのは、それだけ遺伝子のかけあわせが充実した個を作れるということなのでございますね。

さて、とにかく、人間は自我をもち、個性があることを知り、

「おのれの個性を、才能を、後代までつたえねば!」
という人があらわれると。

遺伝子を遺すだけならば子を作るのだけでも充分なのに、人間は「教育」までが遺伝機構なのですな。「こういう子に育って欲しい」という親の教育は、その親の個性をも反映して遺伝していく。子をなせる時期がすなわち寿命ではない人間は、子を為した後も「教え導く」という遺伝機構を果たすための時間を持っているといえましょう。

と、こうしますとね。
「別に遺伝子として、血の繋がった子を作らなくても『教え導く』さえできれば自分の個性を伝えられんじゃね?」ということにもなりましょう?
まあ、そううまくいくものでもございませんけどな。

こうして人間は唯一無二である自己を伝えるために、知識を蓄え、自ら考え

「ホモ=サピエンス」となり

おなじく人間は唯一無二である自己を遺さんがために、技術を学び、物を創りだし

「ホモ=ファーベル」となる。



まあ、深く考えるほどのことでもございませんやな。
人間は本質として何がしたいか、ということでございます。

「しりたがる」

「つくりたがる」

知り合いのフランス文学の博士が何かの授業でこうおっしゃってたですな、
「君たちは生涯のうち、『何かを伝えたくなる』ことがあるだろう、学べ、修行せよ、働け、そのときのために」

また親友の国文学のひとは、
「人間は万年発情期、いつでも恋をし、いつでも歌をうたう、愛をいつか伝えられるように」


まあ、そういうことですわな。
宗教の発生だとて、これに起因していないこともないのでございますぞ。


それはさておき、昨今のネットによって、創作はおびただしくなりました。知る道具であったものが創る道具ともなったのでございますね。
日々、ホモ=ファーベルは自己を遺し、日々、ホモ=サピエンスは自己に知恵を蓄え、日々、ホモ=ルーデンスは自己を愉快にせんと欲す。

「神は言った、わたしが楽しむための庭なのだ、それをわたしは、自分で創った」

神はネット上いたるところにうまれ、他人から呼ばれたり、自称して神となったり、神道の八百万ですらものの数ではないほどにございます。
宗教だって創ってもなんら問題ない。
むしろ、クリエーターにとって、……ファンタジーやラノベに関わる人にとっては特に、宗教を創り出せば世界観が決定するという大事な肝でもございます。

無神論者も無宗教家も「神がいないことを信じている」という宗教だったり、「既存の宗教が見るに耐えぬほど愚かしい」と信じる信者だったりするわけです。

各個各自で宗教を創ってしまうことが現代の宗教観だとあっしは考えておりましてね、怒涛のごとく個性的な宗教にあふれれば世の中少しは面白くなるだろうと思っています。……知り合いのカトリックとかスーフィーにこれをいうと張っ倒されるのではございますけれど。

宗教をつくるというのは、自分の価値観との対話でもあります。
あなたは、どんな神をあたまに思い浮かべますか?
あなたは、この世界や宇宙をどのようなものだと思いますか?



あ、それと、GO教のかたがたが前回の記事にうじゃこら沸いていらしてございますけれど、あっしは現役時代に彼のビデオを結構見ておりますので、うん、まあ、かわいかったよね、くらいしか感想を持ち合わせませんので悪しからず願います。

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