斜め72度

とがなくて死す

2013/08/11 17:13 投稿

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国文学専攻の学部を卒業しても、最近は「いろは歌」すら暗誦できない若者が多いなんてことを耳にいたしますけれど、まあ、覚えていたところで就職に有利になるわけでもございませんでね、ただ、ちょっとした教養を身につけるために大学にいくのであれば、頭脳にちょっとした知識を飾りますのは、人生を彩る糧でございましてな。

色は匂えど
散りぬるを
我が世
誰ぞ常ならむ
有為の奥山
今日越へて
浅き夢見じ
酔ひもせず

長訳しますと

色(花)は鮮やかに香っても
いずれ散ってしまうものを
わたしの住む世だって
誰が永遠に変わらぬ存在であろうか(いや、無常である)
見えている、理解しているつもりのこの世を
今日越えていこう
浅い夢をみることなく
夢に酔っていることもないようにしよう

なんてな意味になるのでございますな。
これをきちんと解釈しようとしたら仏教的無常観とか阿含経とかの解説までしなければならなくなってくるので割愛いたしますけれども、この「いろは歌」のすばらしさは、この阿含経をうまいこと歌の形に整えながら、なおかつ、かなにすると47字のすべてを一度だけ使ってできている、ということにございますな。

さらに、これはもう、言葉遊びの最高傑作ではなかろうか、という有名なものが、

【かなにして七文字ずつならべる】というやつでございます。


いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす


さて、勘のよいおかたと「知ってんぜ」というおかたは、この記事の題にピンと来たか知れません。
うえの【かなにして七文字ずつならべ】たものの、各行、最後の文字を縦に読んでいってくださいませ。









と、なってございましょう。

昔のかな文字には濁点がございませんでな、うまいこと濁点をおぎなうと、「とがなくて死す」となるわけでございます。「とが」というのは「とがめられる」の「咎」。もっと現代語に近づけると「罪」となりましょうか。「誰にもとがめられることをしていないのに死にます」と、なんともダイイングメッセージめいているではございませんか。冤罪(ぬれぎぬ)で死罪になった、とか、そういう感じなのかもしれません。

もっとも、作者もよくわかっておらず、ほかにも色々と言葉遊びがなされておりますこの「いろは歌」でございますから、たまたまかもしれませんし、遊び心かもしれませんし、普通に病気で余命いくばくもなかっただけの遺書かもしれませんけれど。

斜め72度でものを考えますとね「冤罪で死罪」とかいうことは、たぶん歴史上にとんでもなくたくさんあったのだろうと思うわけでございますよ。科学捜査どころか、鑑識官すらないわけですからねえ。
たぶん人違いで殺されたり、犯人でないのに犯人扱いされたり、なんてことは、いくらでもあったんでございましょう。


まあ、例えば日本の話。
「たたり」というものがございますわな。
恨みを残して死んだ人は「祟り神」としておそれられ、そのたたりが続くと、神として祀られていくわけでございますな。
ちょうど、いま、あっしの家の外で神鳴りがゴロゴロいってますけどな、この雷といいますのは、菅公……要するに、天満宮の学問の神であるところの、菅原道真の荒らぶる姿、祟り神の姿だという信仰がございます。
というか、道真公が左遷されて、無念に死んだあとに、天災続きでございましてな、どうも「みっちゃんの祟りだ」ということになったんではございませんでしょうか、その怒りを静めるために、誉めそやして神様にした、というのが本当のところでありましょう。

「天満宮縁起」という絵巻物に、より詳しいものがあるのですけれど、道真公が生前どんなことをしていて、どういう経緯で罪を得たか、なんてことが書いてありまして、その死後に、どんな災厄に見舞われたか、神として祀ったらどういうご利益があるようになったか、なんてことも書いてあるんですけれど。

「たたりを恐れる心理」というのは、罪をなすりつけたとか、そういう良心の呵責がもとになっているものと考えられます。そうした心理状況のもとでたまたま災害がおきると、これは神上がりさせて慰めたほうがよろし、となっていくわけでございますな。

意外と、この観点、……「神は祟りを起こしていたから祀られるようになった」という観方をしていくと、日本ほど冤罪が史実として明確になっていく文化は他にないのではないか、と思うのでございます。

後ろめたいところがあっても、普通は歴史というものは「勝ったものが書く」というテキスト嫌疑がございましてな、自分たちに都合の悪いことは書かないもの。もし間違って罪のない人を処罰しても、間違った人(政治の中心にいた人)にとって不名誉ですからな、正史には残したがらないものと思います。(実際は、間違った断罪の場合だとしても歴史書に残っていることも少しはあります)


なんでこんな話をグダグダしておるかといいますとな、日本昔話に「かみなりさまとクワの木」という話がありまして、まあ、「ジャックと豆の木」の日本バージョンのようなものなのですが、これの結末が「こうして、かみなりさまは、それ以降、クワの木だけは避けて雷を落とすようになったということじゃ。雷が鳴ったらクワの木を飾ったり、クワの木の下で雨宿りするのはそのためなんじゃと。めでたしめでたし」となっていたのを思い出しまして。

ああ、そういえば、菅公も「くわばら、くわばら」と唱えると、雷を避けてくれるんだったな、と。
まあ、桑原というのは地名でございますけれど、おそらく、昔話になったころに「桑原」が「クワの木でもいいらしいぜ」と伝言ゲーム間違いしていったのだろうな、と、さっきふと考え付いただけのお話なのでございます。

くわばらくわばら。

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